2025年6月7日土曜日

Tyler Smith 「大恐慌から抜け出せたのは、金本位制から離脱したおかげか?」(2024年1月23日)

Tyler Smith, “Recovering from economic depressions: Did ending the gold standard help countries escape from the Great Depression?”(Research Highlights, American Economic Association, January 23, 2024)


金本位制からの離脱が1930年代の大恐慌(Great Depression)を終わらせるために必要な第一歩だったというのが多くの経済学者の考えである。そのことを裏付ける何よりの証拠がアメリカの経験である。しかしながら、一つの例あるいは一部の例から一般的な結論を導き出すのは軽率かもしれない。
 
大恐慌から抜け出すのを支えた真因は何だったのか? そのことを探るためにこれまでで最も包括的なデータを使って検証を加えているのが、アメリカン・エコノミック・レビュー誌の2024年1月号に掲載予定のマーティン・エリソン(Martin Ellison)&サン・セオク・リー(Sang Seok Lee)&ケヴィン・オルーク(Kevin Hjortshøj O'Rourke)の三人の共著論文――“The Ends of 27 Big Depressions”(American Economic Review 114 (1): pp. 134–68)――である。27カ国が対象になっていて、最先端のナウキャスティングの手法を使って1500以上の変数について月次ないしは四半期の23万件を超えるデータに分析が加えられている。

金本位制から離脱する前後で物価水準と産出量にどんな変化が生じたかを跡付けたのが、三人の共著論文から転載した以下の図(図11)である。ベルギー、カナダ、デンマーク、エストニア、フィンランド、日本、ニュージーランド、ペルー、南アフリカ、スウェーデン、イギリス、アメリカの計12カ国が対象になっている。いずれも金本位制から離脱した日付がはっきりしている国である。




横軸に直行する垂直線よりも左側が金本位制から離脱する前で、右側が金本位制から離脱した後である。赤色の実線は、アメリカの物価水準と産出量の推移を表している。濃い黒色の実線は、アメリカを除く11カ国の平均値を表している(産出量については、データの制約もあって、ペルー、ニュージーランド、デンマーク、エストニア、フィンランドが除かれている)。

金本位制から離脱するまでは、12カ国すべてで物価水準が下落傾向にあった。金本位制から離脱した後はどうだったかというと、大半の国で物価水準が急速に安定した。多くの国では、産出量も盛り返した。アメリカなんかは特にそうだ。しかしながら、産出量が下落し続けた国もいくつかあった。上の図に照らす限りだと、金本位制から離脱したおかげで産出量にどんな効果が及んだかについて明確な結論は下せない。

金本位制からの離脱がどんな効果を持ったかを推計するために、エリソン&リー&オルークの三人は別の手法も使って分析を加えている。そして、金本位制からの離脱がインフレ期待を喚起して実質金利を低下させたことを見出している。 実質金利が低下したおかげで、景気が回復したというのである。

通貨制度が大きく変わると、インフレ期待が喚起されて総需要が刺激される可能性があるのだ。金本位制からの離脱がその典型例なのだ。

2025年6月5日木曜日

Aaron Steelman 「輸入を称えて」(2003年)

Aaron Steelman, “In Praise of Imports”(Econ Focus, Federal Reserve Bank of Richmond, Winter 2003)


アメリカの歴史を振り返ると、輸入の制限を求める声が絶えない。貿易が自由になると、国内が海外の製品で埋め尽くされて、自国の企業が育たないという意見もある。貿易を制限して戦時において重要になる産業を保護するのは、国防の観点からして国益にかなうという意見もある。

保護主義を求める言い草のどれにも共通しているのは、「完全無欠な世界」とでも呼べるものが想定されていることである。例えば、次のように語られる。「他の国も関税を引き下げるのであれば、我が国が関税を引き下げるのに賛成してもいい」。他にもある。隣国が特定の産業に補助金を与えるのをやめるようなら、自由に貿易するのも結構なことに違いないだろうけど。あるいは、世界中で賃金が同一であるようなら云々。しかしながら、そのような条件は満たされそうにないので、貿易を制限する措置を撤廃するわけにいかないというのである。

「完全無欠な世界」が実現されそうにないからという理由で保護主義を擁護する議論のどこが問題かというと、そもそもどうして貿易を行うのかを誤解しているところだ。消費するためなのだ。「輸入」こそが国際貿易による真の恩恵を生むのだ。 

19世紀のアメリカがどうだったかを振り返ってみるとしよう。当時は、輸入が輸出を上回りがちだった。言い換えると、貿易赤字を抱えがちで、赤字が巨額に上ることもしばしばだった。そのせいでアメリカ経済は打撃を被ったかというと、逆だ。急速に成長したのである。その背後で輸入が重要な役割を果たしたのである。1993年にノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノース(Douglass North)によると、1800年代に「消費財を作るために使われていた生産要素(労働や資本)の多くが運河や鉄道の建設に転用された。海外から消費財が大量に輸入されたおかげで、国内での消費財の生産の落ち込みがある程度相殺された。1850年代になると、鉄道を建設するために使われる鉄が大量に輸入された。・・・(略)・・・海外の資本のおかげで輸入の超過が賄われたし、綿花の生産を増やしたり交通のインフラを整えたりするために資源を振り向けるのが可能になったのである」。

それは今でも同じで、世界中の貧しい国々が海外の製品に国境を開いたら生活水準を高められる可能性がある。貿易が発展途上国にどのような恩恵をもたらすかをワシントン大学に籍を置く経済学者のラッセル・ロバーツ(Russell Roberts)が架空の例を使って説明している。

セントルイスの住民が地元(セントルイス)で生産された品物しか買えなくなったとしたらどうなるかを考えてみるとしよう。農産物を育てる土地を確保するために、あちこちの家を取り壊わさなくてはいけなくなるだろう。生きるために欠かせない品物の生産に注力するために、多くの住民が職を変えないといけなくなるだろう。ロバーツによると、「あれやこれやの変化が相次ぐだろうが、どの変化も生活を貧しくするだろう。これとそっくりなのが最貧国なのだ。国内で自給自足しようとすると、ものすごく高くつくのだ。貿易をすれば、罠から抜けられる。貿易をすると、搾取されるのではなく、自給自足ゆえの貧困から抜けられるのだ」。

1950年代から1980年代にかけて真逆の進路を選んだのが、ラテンアメリカの発展途上国の多くである。工業化を促すために、「輸入代替」政策を採用したのである。そのおかげで国内に工業部門が育ったのは確かである。しかしながら、その代償は大きかった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に籍を置く経済学者のセバスチャン・エドワーズ(Sebastian Edwards)によると、「輸出が落ち込み、為替レートが割高になり、雇用が伸び悩み、保護されている部門における大量の資源――有能な人材も含む――がロビー活動に振り向けられた」。

輸入を制限したせいで「輸出が落ち込んだ」というエドワーズの指摘は、腑に落ちないかもしれない。輸入障壁を高くしても、海外への輸出は増えないまでもこれまでと変わらないんじゃないかと思うかもしれない。しかしながら、なかなかそうはならないのだ。1930年代にそのことに気付いたのがアバ・ラーナー(Abba Lerner)である。ラーナーも主張しているように、 輸入に税金を課すのは、輸出に税金を課すも同然なのだ。

チリとブラジルがその例証になる。チリは、1970年代にラテンアメリカ諸国の中で貿易の自由化を試みた数少ない例の一つである。チリでは、その後の25年の間に輸入も輸出も対GDP比で測って急増した。 その一方で、保護主義的な政策が続けられたブラジルでは、輸入も輸出も停滞したままだったのだ。

教訓として何が言えるかというと、輸入を制限するのは万能薬なんかではないということだ。輸入を制限すると、国が貧しくなる。輸入を制限しても、経常収支(貿易収支)はほとんど(あるいは、まったく)改善されない。ミルトン&ローザのフリードマン夫婦が語っているように、アメリカは世界中の国々に向かって次のように提案するべきなのだ。「貿易を自由化しろと強要することはできない。しかしながら、誰もが同じ条件で全面的に協力する機会を作ることならできる。関税もその他の制限措置も撤廃して、市場を開放するのだ。売れる商品を売ってもらうのだ。売りたい商品を売ってもらうのだ。買える商品を買ってもらうのだ。買いたい商品を買ってもらうのだ。 そうすれば、一人ひとりが世界規模で自由に協力できるようになるのだ」。

2025年5月24日土曜日

Paul Krugman 「小心の罠」(2014年3月21日)

Paul Krugman, “Timid Analysis (Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, March 21, 2014)


今日のコラムでも軽く触れたけど、もうちょっと突っ込んだ話をしておこうと思う。

ブルッキングス研究所主催のパネルディスカッションから戻ってきたばかりだ。「アベノミクス」がテーマの論文についても報告があって、僕も含めて二人が討論者を務めた。もう一人の討論者は、ベン・バーナンキだとかいう名前だったと思う。個人的にずっと心配に思っていたことがあって、そのことについても語った。言いたいことを前よりもいくらかうまく整理できてると思うので、ここでも繰り返させてもらうとしよう。

僕が1998年に書いた論文(pdf)以降に大量に生み出された「ゼロ下限制約」に関する理論的な研究の山を眺めてみると、「流動性の罠」に陥るのは一時的なショックの結果であると見なされている。例外なくだ。何らかのショックが起こって――わかりやすい例だと、バブルが崩壊したりとか、信用ブームが終わってデレバレッジ(債務の圧縮)が強いられたりとか――、総需要が大きく落ち込む。金利をゼロ%にまで引き下げても完全雇用を実現できないくらいに。でも、そのショックもいつまでも続くわけじゃない。いつかは終わる。そうだとすると、抜け道があることになる。金融政策のレジームが変わったことをみんな(国民)に納得させればいいのだ。ゼロ下限制約に直面している状況で総需要を刺激してほどほどのインフレを起こしたければ、ショックが去って総需要が回復してからも中央銀行が金融緩和を続けるとみんなに信じ込ませればいいのだ。  

ところで、日本でショックが去るのはいつになるんだろうか? 総需要が勢いを取り戻して、ゼロ下限制約に縛られる必要が無くなるのはいつになるんだろうか? アメリカについてすら長期停滞(secular stagnation)の可能性が真剣に取り沙汰されていて、金融政策が「正常」に戻るまでにかなり長い時間を要するかもしれないというのに。

それでもなお、景気に弾みをつけるのは依然として可能だ。中央銀行が高めのインフレ率の達成を目標に掲げて、そのことがみんなから信頼されるようなら、〔予想インフレ率が上昇するので〕実質金利が低下する。ところで、中央銀行が掲げるインフレ目標がみんなから信頼されるために必要なことって何だろう? 「自己実現的な予言」(self-fulfilling prophecy)が大いに絡んでくるに違いない。中央銀行が掲げる目標値にまでインフレ率が上昇するに違いないとみんなが信じて行動したら、その通りにならなくちゃいけないのだ。景気が刺激されて、インフレ率が目標値にまで上昇しなくちゃいけないのだ。

そのための必要条件がある(ただし、十分条件じゃない)。インフレ率の目標値がかなり高めに設定される必要があるのだ。みんなが信じて行動したら、ブームが起きるくらいの高さに設定される必要があるのだ。インフレ率の目標値がそんなに高くないようだと、みんなが信じて行動したとしてもその通りにならないだろう。景気もそこそこしか刺激されずに、そのせいでインフレ率も目標値に届かないだろう。そんなだと、そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなって、すべての努力が無駄になってしまうおそれがあるのだ。 

今朝作成したばかりの図を使って、今の話を確認しておくとしよう。




黒い曲線は、フィリップスカーブを表わしている。仮想的なものではあるが、現実のフィリップスカーブとそう違わないと思う。インフレ率が産出量の水準に依存していて、資本設備の稼働率が高くなるほど(産出量の水準が高まるほど)傾きが急になっている。青い直線は、金利がゼロ%の場合の総需要曲線を表わしている。予想インフレ率が上昇すると、それと同じだけ実質金利が低下する。総需要曲線が右上がりになっているのは、そのためだ。上の図では、中央銀行がインフレ率の目標値を2%に設定するけど、インフレ率が2%にまで上昇しない状況が描かれている。インフレ率が2%にまで上昇するとみんなが信じて行動したとしても、その通りにならないのだ。そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなってしまうだろう。

僕の心配事というのは以上の通りだ。インフレ率の目標値を4%に設定する必要があるというのに、セントラルバンカーが次のように語ったとしよう。「4%ですか? ちょっと過激に思えますね。もうちょっと慎重になって、2%にしておきましょう」。慎重で分別があるようだけれど、そのせいで失敗してしまうかもしれないのだ。

2025年5月23日金曜日

Gregory Mankiw 「景気循環の影響は尾を引く?」(2006年5月25日)

Gregory Mankiw, “Goolsbee on the Business Cycle”(Greg Mankiw’s Blog, May 25, 2006)


シカゴ大学に籍を置く経済学者のオースタン・グールズビー(Austan Goolsbee)が本日のニューヨーク・タイムズ紙に素晴らしい記事を寄稿している。学生たちが社会に出る時の景気の状態が彼らのその後のキャリアに及ぼす影響について調査している最新の研究結果が紹介されている。一部を引用しておこう。

スタンフォード大学経営大学院に籍を置く経済学者のポール・オイヤー(Paul Oyer)が最近の論文――“The Making of an Investment Banker: Macroeconomic Shocks, Career Choice and Lifetime Income”(NBER Working Paper 12059, February 2006)――で見出している証拠を取り上げるとしよう。オイヤーは、1960年から1997年までの間にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちのその後の経歴を辿っている。

どういう結果が見出されているかというと、学生たちが大学院に入学してから2年間の株式市場のパフォーマンスが卒業後に投資銀行部門に就職できるかどうかだけでなく、卒業後の平均賃金にも重要な影響を及ぼしているという。投資銀行部門というのは給与も高額だから、特段驚くような結果ではない。衝撃的なのは、卒業した年度の違いによる平均賃金の差が20年後になっても埋まらないということだ。

例えば、1988年度にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちは、1987年の株価大暴落(ブラックマンデー)の直後に就職戦線に入ることになった。民間の銀行は、新卒採用に消極的だった。そのためもあって、1988年度の卒業生の初年度の平均賃金は、1987年度の卒業生の初年度の平均賃金を下回るだけでなく、株式市場が回復した後に卒業した学生の初年度の平均賃金も下回ったのだった。卒業してから10年以上が経過した後でも、1988年度の卒業生の平均賃金は、それ以外の年度の卒業生の卒業後10年以上が経過した後の平均賃金を大きく下回ったままなのだ。1988年度の卒業生たちは、社会人としてスタートした時点で割りのいい仕事を取り逃がしてしまい、その後も失地を挽回できなかったのだ。

過去20年間を対象に同様の調査を行っている他の経済学者によると、MBA(経営学修士号)を取得してウォール街で働くような若者だけに当てはまる現象ではないことが見出されている。学部の卒業生(大卒者)にも当てはまるというのだ。フィリップ・オレオプロス(Philip Oreopoulos)&ティル・フォン・ワッチャー(Till Von Wachter)&アンドリュー・ヘイス(Andrew Heisz)の三人の最近の共著論文――“The Short- and Long-Term Career Effects of Graduating in a Recession”(NBER Working Paper 12159, April 2006)――によると、不況期に就職した大卒者は、社会に出てから10年間は収入面での躓き(つまずき)を挽回できないというのだ。

標準的なマクロ経済理論と食い違っているようだが、辻褄を合わせるにはどうしたらいいだろう? この記事を読みながら頭に浮かんだ疑問だ。標準的な理論によると、自然産出量や自然失業率から一時的に乖離するのが景気循環という現象なのだ。マクロ経済ショックが起きてから数年後には、すべてが正常に戻ると想定されているのだ。それとは対照的に、グールズビーが紹介している証拠によると、マクロ経済ショックが一人ひとりの機会に及ぼす影響はだいぶ尾を引くというのだ。

GDPが過去の値(履歴)に強く影響を受ける――「単位根」を持つ――ことを示唆する時系列分析の分野の発見と関わってくる証拠なのかもしれない。景気循環の社会的コストについて見直しを迫る証拠なのかもしれない。

グールズビーが紹介しているミクロの証拠と標準的なマクロ理論との食い違いを埋めるために、優れた研究論文がそのうち何本か書かれるんじゃなかろうか。

2025年5月21日水曜日

Mike Moffatt 「リセッションとデプレッションの違いとは?」(2018年7月22日)

Mike Moffatt, “What Is the Distinction Between a Recession and a Depression?”(ThoughtCo., July 22, 2018)


「リセッションというのは、あなたの隣人が仕事を失う時のこと。デプレッションというのは、あなたが仕事を失う時のこと」。経済学者の間で知られている古いジョークだ。

リセッションとデプレッションの違いが曖昧ではっきりしない単純な理由がある。一般的に認められている定義というのがないのだ。100人の経済学者にリセッションとデプレッションの定義を聞いたら、最低でも100通りの別の答えが返ってくるだろう。しかしながら、とにかくやってみるとしよう。リセッションとデプレッションがどう定義されているかを概観した後に、ほぼすべての経済学者が同意してくれそうなやり方で両者の違いを説明してみるとしよう。


リセッション:新聞の定義

GDP(国内総生産)が2四半期(あるいは、2四半期以上)連続して減少するのがリセッションというのが、新聞でよく目にする定義だ。

大半の経済学者は、この定義を気に入っていない。主な理由は二つあって、GDP以外の変数の変化が考慮されていないというのが一つ目だ。例えば、失業率だとか消費者信頼感指数だとかの変化が無視されているのだ。四半期のデータを使って判断されているので、リセッションがいつ始まっていつ終わったのかを特定するのが難しいというのが二つ目の理由だ。リセッションが10カ月未満しか続かないようなら、見過ごされてしまう可能性があるのだ。


リセッション:景気循環日付委員会の定義

リセッションに陥っているかどうかをより的確に見抜こうと試みているのがNBER(全米経済研究所)の景気循環日付委員会だ。 雇用量、鉱工業生産、実質所得、卸売販売額/小売販売額だとかの変化に目を凝らして、景気の良し悪しを認定している。景気循環日付委員会では、 景気が「山」から「谷」に向かうまでの期間をリセッション(景気後退局面)と定義している。それとは反対に、景気が「谷」から「山」に向かうまでの期間は景気拡張局面と定義されている。この定義によると、リセッションは平均的には1年くらい続く傾向にあるようだ。


デプレッションの定義

1930年代に大恐慌が起こるまでは、景気の低迷は例外なくデプレッションと呼ばれていた。1910年とか1913年とかに起こったデプレッションと1930年代に起こったデプレッションを区別するために、1910年とか1913年とかに起こったデプレッション(1930年代に起こったデプレッションほどは深刻じゃないデプレッション)をリセッションと呼ぶようになったのである。このことからデプレッションの単純な定義が得られることになる。リセッションよりも長く続いて深刻なのがデプレッション。


リセッションとデプレッションの違い

リセッションとデプレッションをどうやって区別したらいいだろうか? いい目安がある。実質GDPの落ち込みが10%以上ならデプレッションで、実質GDPの落ち込みが10%未満ならリセッションと見なすのだ。

この物差しを使うと、アメリカで最後にデプレッションが起こったのは1937年5月から1938年6月までの期間ということになる。実質GDPが18.2%減少したのだ。この物差しを使うと、1930年代に起こった大恐慌の見え方も変わってくる。一回ではなく二回のデプレッションが起こったのだ。1929年8月から1933年3月までの間に実質GDPが33%近くも減少するというひどいデプレッションが起こって、その後に景気回復局面を挟んで、1937年5月から1938年6月までの間にもう一回デプレッションが起こったのだ。

戦後のアメリカでは、実質GDPが10%以上減少するようなデプレッションは起こっていない。1973年11月から1975年3月までの間に実質GDPが4.9%減少したのが、過去60年の間に起こった最悪のリセッションだ。フィンランドだとかインドネシアだとかでは、実質GDPが10%以上減少するようなデプレッションがつい最近も起こっている。

2025年5月20日火曜日

Gregory Mankiw 「リセッションとデプレッション」(2008年10月10日)

Gregory Mankiw, “Recession or Depression?”(Greg Mankiw's Blog, October 10, 2008)


学生から質問された。

どうなればリセッション(recession)がデプレッション(depression)になる決まりになっているのでしょうか?
 
デプレッションの公式の定義というのはない。私も委員を務めたことがあるNBER(全米経済研究所)の景気循環日付委員会では、景気循環の転換点を認定している。景気が拡大局面から後退局面(あるいは、後退局面から拡大局面)に転換したのはいつかを後知恵で決めているわけだ。緩やかな景気後退をリセッションと呼んで、深刻な景気後退をデプレッションと呼ぶのが習わしみたいになっているが、リセッションとデプレッションを区別する公式の定義というのはないのだ。 

この上なく明快な定義は、おそらく以下だろう。

リセッションというのは、あなたの隣人が仕事を失う時のこと。デプレッションというのは、あなたが仕事を失う時のこと。

Cory Doctorow 「フランスやスコットランドが性能面で劣っていたクロスボウに固執したのはなぜ?」(2016年1月20日)



ロングボウクロスボウよりも性能がだいぶ優れていたが、軍の主力武器として取り入れたのはイングランドだけだった。フランスやスコットランドの軍隊は、性能面で劣っていたクロスボウを1世紀近くも使い続けたのである。その理由は?

歴史家たちを何十年にもわたって悩ませてきたこの謎――「ロングボウパズル」――の答えを二人の経済学者が提示している。サイモン・フレーザー大学に籍を置くダグラス・アレン(Douglas Allen)と、ジョージ・メイソン大学に籍を置くピーター・リーソン(Peter Leeson)の二人が Journal of Law and Economics 誌に掲載された論文で、ロングボウパズルを解いているのだ。

フランスやスコットランドの王は、反乱を恐れるあまりに、兵にロングボウを持たせたがらなかったというのが二人の言い分だ。その一方で、イングランドは政情が比較的安定していたので、安心して兵にロングボウを持たせることができたというのだ。その結果として、イングランドは外敵との戦争で優位に立てたというのだ。

論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

ロングボウは、中世ヨーロッパにおける飛び道具界の無二の王の地位に一世紀以上にわたって君臨した。しかしながら、軍の主力武器として採用したのはイングランドだけだった。フランスやスコットランドの軍隊は、性能面で劣っていたクロスボウに固執したのである。何十年にもわたって歴史家たちを悩ませてきた謎である。本稿では、「制度によって制約された技術選択」理論の観点からこの謎に切り込む。ロングボウは、クロスボウとは違って、安価で作るのが簡単で、戦場で使うつもりであれば大勢の射手を養成する必要があった。ロングボウのこれらの特徴ゆえに、軍の主力武器として採用すると、王の座を狙う貴族がロングボウの扱いに慣れた大勢の兵を束ねて反乱を引き起こす可能性が生まれたのである。どの飛び道具を軍の主力武器として選ぶかをめぐって、王(支配者)はトレードオフに直面していたのだ。内乱を防ぐか、それとも国防を強化するかというトレードオフに。中世末期のヨーロッパで、飛び道具として最も優れていたロングボウを選んでも反乱が起こるのを心配する必要がないくらいに政情が安定していたのはイングランドだけだった。政情が不安定だったフランスやスコットランドでは、クロスボウがやむなく選ばれたのだ。

Gregory Mankiw 「野獣を飢えさせろ」(2008年6月16日)

Gregory Mankiw, “Starve the Beast”(Greg Mankiw's Blog, June 16, 2008)


ポール・クルーグマン(Paul Krugman)が本日のニューヨーク・タイムズ紙のコラムで述べているところによると、「野獣を飢えさせろ」理論は正しいらしい。減税すると、政府の規模が小さくなるというのだ。ただし、時間差があるという。

オバマは、マケインよりもずっと進歩的でもある。上位1%の税引き後所得を大幅に引き下げる一方で、下位80%の所得を引き上げるつもりだというのだ。しかしながら、どれだけの税収を確保するつもりなのかというと、7000億ドルにとどまっている。大金に聞こえるかもしれないが、国民皆保険を実現するためには足りないだろう。 

オバマが税金を集めるのに控え目なのはなぜなのか? ブッシュが税制に仕込んだポイズンピルに原因があるのだ。

・・・(中略)・・・

二人の候補者(オバマとマケイン)が税金についてせせこましい議論を繰り広げているのを眺めていると、ブッシュが税制に仕込んだポイズンピルが効果をちゃっかり発揮しているのがわかって、驚きもするしガッカリもしてしまう。 

言い換えると、ブッシュ減税のせいでオバマが大統領になっても政府の規模に縛りがかかるかもしれないというのだ。

似たようなことを語っているのが、ロバート・ライシュ(Robert Reich)だ。クリントン政権で労働長官を務めたライシュだが、当時を回想した滅茶苦茶面白い一冊である『Locked in the Cabinet』で、レーガンによる減税(および、その結果としての財政赤字の拡大)のせいでクリントン政権の手が縛られたと述べているのだ。ライシュが望んでいた支出プログラムを残らず実行することができなかったというのだ。

クルーグマンもライシュも悪い報せとして受け取っている。政府支出が拡大するのをよしとしているからだ。しかしながら、「小さな政府」をよしとする古典的自由主義者にとっては、良い報せだ。かの有名で悪罵を浴びせられることもある「野獣を餓えさせろ」理論を支持する報せなのだから。

2025年5月18日日曜日

Mark Thoma 「ケインズ経済学に関する『七つの神話』」(2013年5月7日)

Mark Thoma, “Seven Myths about Keynesian Economics”(The Fiscal Times, May 7, 2013)


ハーバード大学に籍を置く歴史学者のニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)がケインズについての発言で謝罪に追い込まれている。ファーガソンによると、ケインズはその独特な性的嗜好ゆえに子供がいなかったから、長期的な経済問題に関心が無かったというのだ。ケインズの性的嗜好云々については脇に置いておくとしても、経済が短期的な問題を抱えている時にケインジアンは長期的な側面に目をつぶりがちだと語られることはよくある。しかしながら、ケインジアンが長期的な問題に関心が無いという言い草は、ケインズ経済学に関する多くの「神話」のうちの一つなのだ。


【神話その1:ケインジアンは、長期的な経済問題への関心が疎かだ】

大間違いだ。ケインズ経済学を嫌っている保守派は、短期的な問題への関心が疎かで、短期的な問題――とりわけ、失業の問題――への対処を誤ると長期的な損害につながりかねないことへの注意が足りないのだ。例えば、景気後退が長引くと、労働市場から退出して二度と戻ってこない人が増えてしまって、経済の長期的な成長力(潜在成長率)が鈍ってしまうおそれがある。ケインジアンは、長期的な問題に大いに関心を持っているのだ。長期的な問題を解決するためには、短期的な問題を無視するに限るとは考えていないだけなのだ。 


【神話その2:ケインジアンは、経済成長にとんと興味が無い】

ケインジアンも経済成長の有難味(ありがたみ)は理解している。しかしながら、二酸化炭素の排出をはじめとした「外部性」を企業が考慮に入れるように望むだけでなく、経済成長の成果がどのように分配されるかにも関心を払う。近年のように、労働者の生産性が上昇しているのに所得上位層だけが潤っているようなら、そのことを問題視する。所得を増やそうとするなら経済成長は欠かせないが、少数のヨット(お金持ち)だけでなくすべてのボートが一緒に引き上げられねばならないのだ。海水を汚さないようにしなくてはならない(環境にも配慮しなくてはならない)のだ。


【神話その3:ケインジアンは、「大きな政府」の支持者だ】

ケインズ経済学に関する神話の中でもおそらく最も実態とかけ離れていて、最も広く流布している神話だ。景気が悪化したら政府支出を増やすか減税するかして景気の刺激を試みる一方で、景気がよくなったら逆のことをせよというのが、ケインジアンが説く安定化政策である。ケインジアンが説いているのは、政府支出なり税金なりの「一時的な」変更なのだ。景気が悪化した時に政府支出を増やしても、景気がよくなった後に政府支出を減らしたら、政府の規模は、景気が悪化する前と変わらない。しかしながら、景気がよくなった後に政府支出が減らされるのではなく増税が行われるようなら、政府の規模は、景気が悪化する前よりも大きくなるだろう。あるいは、景気が悪化した時に減税が実施されて、景気がよくなった後に政府支出が減らされるようなら、政府の規模は、景気が悪化する前よりも小さくなるだろう。しかしながら、ケインジアンが説くように、景気が悪化した時に政府支出を増やしたらその後(景気がよくなった後)に政府支出を減らすようにするか、景気が悪化した時に減税したらその後に増税するようにしたら、政府の規模は、景気が悪化する前と変わらないのだ。


【神話その4:ケインジアンは、公的債務のことなんて気にもかけていない】

ケインジアンとしても、政府が負う公的債務が状況によっては厄介な問題を引き起こす可能性があることはわかっているし、公的債務の長期的な持続可能性の問題に取り組む必要があることもわかっている。しかしながら、公的債務が原因で生じるコストだけを気にかけるのではなく、失業が原因で生じるコストと天秤にかけるのが肝心なのだ。深刻な景気後退に陥っていて、公的債務の残高が今くらいの水準のようなら、失業が原因で生じるコストの方が公的債務が原因で生じるコストよりもずっと大きい。その一方で、景気がよくなったら、二つのコストの大小関係が逆転するだろうから、財政赤字の削減に重きを置くべきだろう。しかしながら、今のところは、失業こそが最大の関心事であるべきなのだ。


【神話その5:ケインジアンは、インフレのことなんてどうでもいいと思っている】

ケインジアンが何よりも重視しているのは、労働者の雇用と所得を高い水準で安定させることだ。労働者の雇用と所得を高い水準で安定させようと試みている最中にインフレが加速するようなら、そのことを問題視するのは言うまでもない。インフレが原因で生じるコストを誇張して語る陣営に反対するのだ。失業が原因で生じるコストを矮小化して語る陣営に反対するのだ。すなわち、政府が経済に介入するのに何が何でも反対しようとする陣営の言い草に異を唱えるのだ。


【神話その6:ケインジアンは、金融政策を信用していない】

金融政策に景気を刺激する力が備わっていることについては、ケインジアンも否定しない。しかしながら、金融政策だけで深刻な景気後退から抜け出せるとは考えない。財政政策も必要なのだ。


【神話その7:ケインジアンが使っているモデルは、古くて時代遅れで劣っている】

危機に襲われて、現代のマクロ経済学のモデルが役に立たないことが明らかになると、経済学者の多くは、オールドケインジアンのモデルに助けを乞うた。今まさに我々が直面している類の問題に答えるために組み立てられたと言っても過言ではないようなモデルだったからである。現代のモデルが抱える欠陥が修正されるのを待っている余裕などなかった。その一方で、オールドケインジアンのモデルに関しては、その長所と短所を考慮に入れさえすれば、役に立つことが判明したのである。ケインジアンは、今回の危機のどの局面であれ、いつの時代に作られたものかなんて大して気にせずに、利用できる中から最善と思われるモデルを選んで使った。現代のモデルが役に立ったこともあれば、古いモデルが優れた洞察を与えてくれたこともあった。古かろうが新しかろうが、重要な疑問に答えるのに最善と思われるモデルに頼ったのである。今回の危機をきっかけに現代の「ニューケインジアン」モデルにも修正が加えられたが、修正されたニューケインジアンモデルが古いモデルから導き出される処方箋を支持する傾向にあるのは興味深い。


古いモデルだったり修正されたニューケインジアンモデルだったりが推奨する政策がもっと積極的に試みられていたとしたら、長期失業のような問題も今みたいにひどくはなっていなかったかもしれない。いや、今からでも遅くない。今からでもいいから、もっと積極的に試みる必要があるのだ。経験から学んでほしいところではあるが、これまでに触れてきた「七つの神話」が失業問題に効き目がある政策が試みられるのを邪魔し続けているのだ。

2025年5月17日土曜日

Robert Frank 「ミルトン・フリードマンの別の顔 ~社会福祉プログラムの改良案を提唱した保守派の守護聖人~」(2006年11月23日)

Robert H. Frank, “The Other Milton Friedman: A Conservative With a Social Welfare Program”(New York Times, November 23, 2006)


先週の16日(2006年11月16日)に94歳でこの世を去ったミルトン・フリードマンと言えば、「小さな政府」を旗印とする保守派の守護聖人として知られている。彼の名前を持ち出して、社会保障制度の民営化やあれこれのセーフティーネットの縮小を求める保守派たちが知ったら驚くかもしれないことがある。フリードマンは、これまでに考え出された中でも最も有望な社会福祉プログラムの発案者でもあるのだ。

市場は、多くの偉業を成し遂げられる力を秘めている。しかしながら、フリードマンも認識していたように、市場を通じて得た収入で、すべての国民が経済面での基本的なニーズを満たせるとは限らない。既存のあれやこれやの福祉プログラムに代えて、国民一人ひとりに現金――例えば、一人あたり最大で年間6,000ドル――を給付するプログラムへの一本化を求めたのが、フリードマンが「負の所得税」と名付けた提案である。例えば、収入が一切ない4人世帯の場合だと、内国歳入庁(IRS)から毎年24,000ドル(=6,000ドル×4)が支給されることになる。ただし、4人のうちの誰かが働いて収入を稼ぐようになると、支給される額は24,000ドルじゃなくなる。24,000ドルから、収入に一定の割合――例えば、50%――を掛けた額が差し引かれるのだ。例えば、4人が稼いだ収入の合計が12,000ドルだとすると、支給されるのは18,000ドルだ。24,000ドルから6,000ドル(=12,000ドル×0.5)が差し引かれるわけだ。4人が稼いだ収入が12,000ドルで、支給されるのが18,000ドル。合計で30,000ドルが懐に入るわけである。

フリードマンが「負の所得税」を提案したのは、最も恵まれない人たちのためを思ってというのも理由の一つだったのは間違いない。しかしながら、まず何よりもプラグマティストだった彼は、「負の所得税」が既存の福祉プログラムよりも実用性の面で優れていることを強調した。あまりにも収入が少ないというのが貧困者にとって主要な問題だとするなら、彼らにもっと多くの現金を渡すのが最もシンプルで最も安上がりな解決策だというのがフリードマンの考えだった。フードスタンプ、光熱費補助、デイケア補助、家賃補助。そんなあれこれのためにわざわざ大勢の役人(官僚)を雇うメリットなんてない、というのがフリードマンの考えだったのだ。 

彼のその他の提案にしてもそうだが、「負の所得税」もインセンティブの歪みをできるだけ小さくするように工夫されている。従来の福祉プログラムの立案者たちの間では、すっぽりと抜け落ちていた発想だ。それぞれのプログラムが別々の行政機関の管轄になっていて、対象世帯の収入が増えると、それに応じて給付(補助)の一部が減らされるというのが従来の福祉プログラムの特徴だ。収入が1ドル増えると給付(補助)の額が0.5ドル減らされるというのが典型的なケースで、4種類の福祉プログラムを受給している世帯で収入が1ドル増えたら、支給される給付(補助)の額が合計で2ドル減るのだ。働いたって得にならないのは、経済学の訓練を受けなくても誰にだってすぐわかる。それとは対照的に、フリードマンが提唱した「負の所得税」の場合は、働けば働くほど税引き後の収入が必ず増えるのだ。 

「負の所得税」は、これまでに一度も導入されていない。都会住みの4人家族が暮らしていけるくらいの現金が支給されるようになると、多くの人が働かなくなってしまうのではないかと懸念されたせいだ。例えば、一人あたり年間6,000ドルが支給されるとしたら、人口30人の田舎の小村では合計で毎年18万ドルが手に入ることになる。野菜を栽培したり、家畜を養ったりして暮らしを立てられるのにだ。血税で快適に暮らしている田舎の民たち。夜のニュースの格好のネタになること請け合いだ。そんなプログラムに支持を取り付けるのは難しいだろう。

その代わり、勤労所得税額控除(EITC)制度が導入されている。就労者だけが対象という点を除けば、「負の所得税」と本質的には同じ仕組みだ。アメリカ発の福祉プログラムで他の国でも取り入れられているいくつかのうちの一つだが、従来の福祉プログラムよりもずっと大きな成果を上げていることが判明している。フリードマンの見立て通りだ。しかしながら、EITCだけでは貧困問題の解決には至らないだろう。就労者だけが対象だからだ。

今月のはじめに行われた中間選挙で、セーフティーネットの強化を公約に掲げて出馬したポピュリストのジム・ウェッブ(Jim Webb)だったりジョン・テスター(Jon Tester)だったりが当選した。彼らが公約を本気で果たすつもりなら、フリードマンが気を配ったインセンティブの問題に真っ向から向き合う必要があるだろう。働くインセンティブを損なわずに失業者への支援を強化するためには、どうしたらいいのだろうか?

「公的な雇用」(政府による雇用)と「負の所得税」を組み合わせるというのが考え得る答えの一つだ。ただし、「負の所得税」を通じて支給される現金の額は低く抑える必要がある。支給される額だけでは生活できないくらいの水準に。EITC制度を通じて給付を受けてきた低所得層の多くは、これまで通りに民間で働くことになるだろう。民間での職にありつけない失業者に関しては、政府が「最後の雇用主」(employer of last resort)の役割を果たすことになる。監視役がついてきちんと訓練すれば、未熟なスキルの持ち主でもやれる公益性のある仕事というのはたくさんある。例えば、浸食された丘の斜面に苗木を植えたり、公園だとかの落書きを消したり、高齢者や障害者が移動するのを手伝ったり。「負の所得税」で低額の現金が支給されるのに加えて、民間で働くか政府によって雇用されるかして賃金も得られるようなら、誰もが貧困から抜け出せるようになる。働かない方が得になるようなインセンティブの歪みもない。

フリードマンが行政(官僚機構)の肥大化を歓迎するわけがないのは言うまでもない。しかしながら、彼なりに公共サービスの提供の実態を観察してよく理解していたように、「公的な雇用」を通じて働く機会を用意するにしても、支払う賃金を低く抑えれば、行政の肥大化につながるとは限らないだろう。「公的な雇用」プログラムの運営管理を代行する業者を入札で募れば、市場の力を利用してコストの節約につなげることもできる。

財政赤字が巨額に上っているというのに、財源はどうしたらいいのだろうか? フリードマンは、1943年の論文――“The Spendings Tax as a Wartime Fiscal Measure”――で、国家にとって重要な目的を果たすのに必要な財源を確保する格好の手段として、「累進消費税」を提案している。この案では、国民に年間の収入(所得)額だけでなく、年間の貯蓄額も申告してもらう必要がある。(申告された)収入額と(申告された)貯蓄額の差額――すなわち、年間の消費額――から一定の額を控除した上で累進税率を課すわけだ。富裕層の消費(消費額)に対して高い税率を課したとしても、それほど大きな犠牲を伴わずに税収を増やせるだろうというのがフリードマンの見立てだ。低・中所得層の生活の安定を確保するのが国家にとって重要な目的の一つであるようなら――多くの有権者はそう思っているようだが――、そのための財源を捻出する手段はあるのだ。

「寛大で、思いやりがある人」というのが、誰もが揃って口にするフリードマン評だ。弟子や信者の多くとは違って、人生において運が果たす役割にもよくよく気付いていた。フリードマンの功績から真摯に何かを学び取ろうとする者なら誰であれ、セーフティーネットの解体ではなく、セーフティーネットの改良を目指すことだろう。

Paul Krugman 「『流動性の罠』の下でのインフレ目標:日本経済に埋め込まれた排中律」(1999年2月)



噂によると、日本銀行がインフレ目標の採用を検討しているらしい。プラスのインフレ率を上限値にするんだとか。朗報だ。自分たちが置かれている状況をとうとう理解し始めたらしいことを意味しているわけだから。でも、本当にそうなんだろうか? 何とも言えないところだ。なぜなら、噂として聞こえてくるインフレ率の目標値があまりにも低過ぎるからだ。噂通りなんだとしたら、自分たちが置かれている状況をまだちゃんと理解していないんだろう。「流動性の罠」に嵌ってしまったら、かなり高めのプラスのインフレ率を目指すか、ノロノロ続くデフレを受け入れるかのどちらかを選ぶしかないのだ。中道なんてないのだ。

その理屈は単純なんだけれど、なかなか理解してもらえないみたいだ。均衡実質金利――完全雇用に達した場合に貯蓄と投資(海外純投資を含む)が等しくなる金利――がマイナスで(“Japan: still trapped”で説明したように、「流動性の罠」に嵌るというのは、均衡実質金利がマイナスになることなのだ)、失業が発生しても物価はすぐには下がらないとしよう。予想インフレ率が低過ぎて実質金利が均衡実質金利の水準にまで下がらないようなら――例えば、マイナス3%の実質金利が「必要」とされているのに、予想インフレ率がプラス1%でしかないようなら――、完全雇用が達成できずに緩やかなデフレが続くことになるだろう。そうなったら、インフレ目標の信用もすぐに地に落ちて、ふりだしに戻っちゃうだろう。

インフレ目標がうまくいく可能性があるのは、目標値がかなり高く設定されてそのことが信用される場合に限られるのだ。言い換えると、インフレが起きるくらいに景気が刺激される場合に限られるのだ。目標値が低過ぎるようなら、失敗する運命にあるのだ。

「調整インフレ」案を和らげたがる人――「物価安定を目指しちゃいけないのでしょうか? 例えば、1%のインフレ率を目指しちゃいけないのでしょうか?」とかいうふうに穏健にしたがる人――がいるけど、肝心なことがわかっていないのだ。“Japan's trap”でも述べたように、日本がデフレ圧力に晒されているのは、インフレが必要とされているからなのだ。そのために、今の物価水準を将来の期待物価水準よりも引き下げようとする力が働いているのだ。それと同時に景気が低迷しているのは、物価というのはなかなか下がらないし、その過程で痛みを伴わないわけにはいかないからだ。

これまでの話に抵抗を感じるのもよくわかる。政策当局者たちは、逆説的に聞こえる話には慣れていないし、どうにかして中道を歩もうと試みるのが彼らの本能だからだ。でも、日本経済に埋め込まれている排中律〔注1〕は、学者の頭の中にある抽象的な屁理屈なんかじゃない。筋道立った分析から導かれる避けられない結論なのだ。

最後に太字でまとめておこう。

目標値が十分に高くない限り、日本におけるインフレ目標は失敗に終わるだろう。

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〔注1〕かなり高めのプラスのインフレ率を目指すか、ノロノロ続くデフレを受け入れるかのどちらかを選ぶしかない(中道なんてない)、という意味。

2025年5月14日水曜日

David Beckworth 「不換紙幣から商品貨幣へ ~ソマリアのケース~」(2013年2月12日)

David Beckworth, “From Government Fiat Money to Private Commodity Money: the Case of Somalia”(Macro Musings Blog, February 12, 2013)


1991年に政権が崩壊して以降のソマリアでの「お金事情」について、ローレンス・ホワイト(Lawrence H. White)&ウィリアム・ルーサー(William Luther)の二人が興味深い研究を行っている(こちらこちら)。彼らの論文から一部を抜粋しておこう。

貨幣の供給をどのように管理すべきかについて、過去数十年にわたって数多くの研究がなされてきている。興味深いことに、1991年に政権が崩壊して以降のソマリアで、貨幣の供給を自生的に管理するメカニズムが粗いかたちながらも出現してきているようだ。市中に流通する紙幣の量を制限できる力を持つ政府が不在であるのに乗じて、海外の印刷業者と手を組んで偽札を輸入して儲けようとする勢力が現れた。しかしながら、国内での通常の取引では1991年以前に発行された紙幣しか受け取ってもらえないので、国内に持ち込まれる偽札の量に制限が課せられる格好になった。額面が大きい紙幣を偽造しても儲けられないからである。1000ソマリア・シリングの対ドルレートは1991年から2008年までの間に0.30ドルから0.03ドルに減価したが、その後はそのレートで安定した。1000ソマリア・シリング紙幣を一枚偽造するのに要する費用(およそ0.03ドル/3セント)と等しくなったからである。

つまりは、贋金つくりに手を染める連中でさえも合理的な計算を行っているわけだ。限界費用(一枚の紙幣を偽造するのに要する費用)が限界便益(一枚の紙幣を偽造することによって得られる儲け)と等しくなるところまで偽札の発行を続けたというわけだから。その結果として、ソマリア紙幣の価値は、偽札を作るために要する費用と等しくなる水準にまで低下した。一枚の偽札を作るためにかかる紙代、インク代、プリンター代、電気代、海外からの輸送費等々の合計と等しくなる水準にまで低下したのだ。私からすると、ソマリアで出回っている偽札は一種の商品貨幣のように見える。政府が機能していない破綻国家であるにもかかわらず、ソマリアの経済がほどほどの安定を保っているのはこの商品貨幣のおかげだ。ソマリアで進行中の貨幣をめぐる魅惑的な実験は、商品貨幣から不換紙幣へという貨幣史の定番の流れに逆行している。ソマリアでは、不換紙幣(政府が独占的に発行する不換紙幣)が商品貨幣(民間で自由に発行される商品貨幣)に取って代わられているのだ。ブログ界における貨幣史の第一人者であるコーニング(J. P. Koning)がソマリアで起こっていることからどんな教訓を引き出すか楽しみだ。



David Beckworth 「『ゼロ下限制約』に達しても『流動性の罠』に陥ることはそうそうない」(2011年5月6日)

David Beckworth, “Liquidity Traps Are Very Unlikely, Even at the Zero Bound: A Rejoinder to Matt Rognlie”(Macro Musings Blog, May 6, 2011)


マシュー・ログリー(Matthew Rognlie)がタイラー・コーエン(Tyler Cowen)を難詰している。「流動性の罠」なんて存在しないと語るコーエンに反論を加えているのだ。「流動性の罠」が存在することを滔々と述べ立てた後に、ログリーは以下のように締め括っている。

しかしながら、希望は少しも残されていないというわけじゃない。Fedにやれることはまだあるのだ。名目金利の今後の経路についての予想に働きかけるという手もある。通常とは違うかたちで債券を大量に購入して、ポートフォリオのリバランスを引き起こして満期が長めの金利の低下を促すという手もある。・・・(略)・・・ゼロ%は制約ではないと言い回るのだけはよしてもらいたい。悲しいかな、ゼロ%は制約なのだ。

政策金利がゼロ%という制約に達しても、「流動性の罠」に陥ることはそうそうない。皮肉なことに、上に太字で引用した部分こそがまさにその理由になっているのだ。このことを理解してもらうためには、「流動性の罠」というのがどういう状況なのかをまずは思い起こす必要がある。「流動性の罠」というのは、貨幣に対する需要が無限に弾力的になる状況のことである。すなわち、中央銀行がどんなことをしても、貨幣に対する需要に何の影響も及ぼせない状況なのだ。「流動性の罠」に陥ると貨幣に対する超過需要が生じて、そこから派生する問題を金融政策で解決することができなくなってしまうのである。

ログリーの言い分によると、中央銀行が操作対象にしている短期金利(政策金利)がゼロ%に達したら、「流動性の罠」に陥ることになるという。政策金利だけが貨幣に対する需要に影響を及ぼすと想定するなら、その通りだろう。しかしながら、かつてミルトン・フリードマン(Milton Friedman)が主張したように、貨幣に対する需要は、政策金利を含む金利のスペクトラム(満期の異なる様々な金利)によって影響されるのだ。そうだとすると、政策金利がゼロ%に達したとしても、Fedにやれることは依然としてたくさんあることになる。Fedが長期国債だとか社債だとかの利回り――これらの利回りも貨幣に対する需要に影響を及ぼす重要な要因というのがフリードマンの考えだった――を低下させることができたら、貨幣に対する需要にも影響を及ぼせるわけであり、「流動性の罠」に陥らずに済むことになるのだ。

たった今述べたことは、上に太字で引用した箇所でログリーが述べている「ポートフォリオのリバランス」を引き起こす背景になっている。Fedが長期国債を購入したらその利回り(長期金利)が低下する可能性があるが、そうなるとポートフォリオのリバランスが引き起こされることになる。民間の経済主体が株式だとか実物資本だとかの高リスク資産を購入するようになるのだ。それに伴い、貨幣に対する需要が低下することになる。すなわち、Fedが長期国債を購入したらポートフォリオのリバランスが引き起こされると主張するのは、政策金利がゼロ%という制約に達したとしても「流動性の罠」に陥ることはないと主張しているに等しいのだ。ポートフォリオのリバランスが引き起こされると語るログリーは、「流動性の罠」の存在に懐疑的なコーエンの肩を持っていることになるのだ。

ところで、貨幣に対する需要が金利のスペクトラムによって影響されることを示す証拠はあるのだろうか? 過去に目を向けてもその証拠をいくつか見出すことができるし(例えば、こちらこちらを参照)、最近についてもその証拠はある。以下の3つのグラフがそれだ。貨幣の流通速度(セントルイス連銀が発表しているMZMの流通速度)と各種の金利(3カ月物の短期国債の利回り、10年物国債の利回り、社債の利回り)との間に密接なつながり(相関)があることが示されている(決定係数の値はいずれも0.7を超えている)。 





政策金利がゼロ%に達したからと言って、「流動性の罠」に陥るとは限らないのだ。「流動性の罠」に陥るためには、貨幣に対する需要に限りが無くなる必要があるのだ。そうなれば、デフレが起きることになるのだ。さらには、政策金利がゼロ%に達して貨幣に対する需要に限りが無くなるようなことが仮にあったとしても、ピーター・アイルランド(Peter Ireland)がクルーグマンの「流動性の罠」モデルを使って示しているように(pdf)、人口が成長するようなら、マネーサプライが増えるのに伴って分配効果が生じて、そのおかげで「流動性の罠」に陥るのを避けられるのだ。

現状はどうなのかというと、貨幣に対する需要が高止まりしているせいで景気の足が引っ張られているのは確かだが、「流動性の罠」からは程遠い。すなわち、貨幣に対する超過需要が生じているせいで引き起こされている問題を解決するためにも、総需要(名目支出)を刺激するためにも、金融政策にできることは依然としてたくさんあるのだ。こちらの記事で私なりにそのための具体的な提案を行っているので、参照していただきたいと思う。

(追記1)ジョシュ・ヘンドリクソン(Josh Hendrickson)もログリーに反論している〔拙訳はこちら〕。

(追記2)しばらく前のブログエントリーになってしまうが、「流動性の罠」についてのスコット・サムナー(Scott Sumner)の見解もあわせて参照されたい。

Josh Hendrickson 「流動性の罠」(2011年5月9日)

Josh Hendrickson, “Liquidity Traps”(The Everyday Economist, May 9, 2011)

 
「流動性の罠」の有意義な定義としては、貨幣(現金残高)に対する需要に限りが無い状況というのくらいしか考えられない。貨幣(現金残高)に対する需要に限りが無いようなら、民間の経済主体は現金をいくらでも溜め込もうとするので、その必然的な結果として金融政策は無力になってしまうだろう。

例えば、中央銀行がFF金利(短期名目金利)に誘導目標を定めているとしよう。もしもFF金利がゼロ%に達したら、FF金利をそれ以上引き下げることはもはやできなくなってしまう。しかしながら、実質金利を引き下げる余地は残されている。標準的な貨幣理論によれば、中央銀行がマネーサプライを増やせばインフレ率が高まることになる。インフレ率が高まれば実質金利が低下して、総需要が刺激されることになる。

ところで、ポール・クルーグマン(Krugman 1998)(pdf)とラルス・スヴェンソン(Svensson 1999)(pdf)が提示しているモデルでは、名目金利がゼロ%に達すると、貨幣(現金残高)に対する需要に限りが無くなるようになっている。すなわち、名目金利がゼロ%の下限に達すると、マネーサプライを増やしても民間の経済主体によってそのまま溜め込まれてしまうのである。それゆえ、中央銀行は物価水準に影響を及ぼせなくなる。金融政策が無力になってしまうわけである(念の為に指摘しておくと、クルーグマンは金融政策がその力を取り戻す可能性についても言及している。中央銀行がインフレ期待を喚起することできるようなら、総需要を刺激できる可能性があるというのである。しかしながら、この点についてはしばらく脇に置いておくとしよう)。「流動性の罠」に嵌ることなんてあり得ないと無下に否定するわけにはいかないようだ。どういう条件が成り立てば「流動性の罠」に嵌るのかを真剣に検討する必要がありそうだ。

クルーグマンとスヴェンソンのモデルで「流動性の罠」に陥るのはどうしてかというと、貨幣が純資産(net wealth)ではないからである。貨幣が民間部門における純資産ではないせいで、マネーサプライが増えても実質残高効果(real balance effect)が生じないのだ。だからこそ、マネーサプライが増えても民間の経済主体によってそのまま溜め込まれてしまうのである。

ピーター・アイルランド(Ireland 2005)(pdf)によると、クルーグマンのモデルに人口の成長を組み込むと、実質残高効果が生じることになって、「流動性の罠」に陥るのを避けられるという。換言すると、人口が成長するようだと、貨幣を純資産に転換するような分配効果が生じるというのである。マネーサプライが増えると、民間部門における純資産が増えて、そのおかげで「流動性の罠」に陥るのを避けられるというのである。

これまでに触れてきたどのモデルも、政策金利がゼロ%の「ゼロ下限制約」に達した場合の金融政策の役割について理解する上で重要な示唆を投げかけている。その絡みで言うと、デビッド・ベックワース(David Beckworth)のこちらのブログエントリー〔拙訳はこちら〕を読んだ時には我が意を得たりと思ったものだ。「流動性の罠」に陥る可能性を認めながら、それと同時に金融政策がポートフォリオのリバランス(調整)を引き起こす可能性を説くのは矛盾しているというのがベックワースの言い分で、まさにその通りである。「流動性の罠」に陥っているなら、貨幣に対する需要に限りが無くなっているので、中央銀行による公開市場操作は何の効果も持たないだろう。中央銀行が債券を買い入れて市中に貨幣を注入しても、そのまま溜め込まれるだけだからだ――中央銀行がいかなる種類の債券を購入しようとも結果は変わらない――。「流動性の罠」に陥っている状況では、貨幣と他のあらゆる資産との間に違いがなくなる(完全に代替的になる)のだ。1968年にブルナー(Karl Brunner)&メルツァー(Allan H. Meltzer)の二人が指摘しているように(経済思想の歴史を学ぶことが重要なのはなぜなのかを物語っていると言えよう)。

ところで、マシュー・ログリー(Matthew Rognlie)がベックワースのエントリーのコメント欄に登場して反論を加えているが、それを読んで困惑してしまった。ログリー曰く、

まずはじめに強調しておきたいのは、言葉の定義には興味がないということです。中央銀行が金利に影響を与える手段を一切持ち合わせていない状況を指して「流動性の罠」と呼ぶのだとしたら、そういう意味での「流動性の罠」に嵌ることはないというが私の考えです。言葉の定義にこれ以上深入りするのを避けるためにも、私が言わんとすることを次のように言い換えるとしましょう。ゼロ下限制約に達すると、金融政策を通じて景気を刺激するのがずっとずっと難しくなる。ゼロ下限制約に達すると、金融政策の性質がそれまで(ゼロ下限制約に達する前)と根本的に変わる。

ログリーは、因果の向きを取り違えてしまっているようだ。私にしてもベックワースにしても、金融政策が無力であることを意味するように「流動性の罠」を「定義」しているわけじゃない。金融政策が無力になるというのは、「流動性の罠」の定義から必然的に導かれる結果なのだ。「貨幣に対する需要に限りが無くなっている」という定義に同意するか否かで、「流動性の罠」に陥る可能性を受け入れるかどうかも決まるのだ。「ゼロ下限制約に達すると、金融政策の性質がそれまで(ゼロ下限制約に達する前)と根本的に変わる」という主張は、「流動性の罠」に陥る可能性があるかどうかという話とは別物だ。「ゼロ下限制約」と「流動性の罠」を同一視すべきではないのだ(ベックワースも述べているように)。

ログリーはさらに次のように述べている。

あいにくなことに、量的緩和に起因するポートフォリオ・リバランス効果の大きさが些細ならざるものかどうかははっきりしません。エガートソン&ウッドフォード(Eggertsson&Woodford 2003)(pdf)は、一定の条件が成り立つようなら、量的緩和はポートフォリオのリバランスを一切引き起こさないという無関連命題を証明してさえいるのです。

確かにその通りである。ただし、エガートソン&ウッドフォードのモデルは、クルーグマンのモデルにいくらか手を加えた拡張版だということをおさえておくのは大事だ。クルーグマンのモデルと同じように、人口の成長が組み込まれていないので、分配効果が生じないようになっているのだ。つまりは、貨幣が純資産ではないことが仮定されていて、それゆえに実質残高効果が生じないのである。以下のように述べるログリーも実はそのことを密かに認めていることになるのだ。

エガートソン&ウッドフォードの無関連命題は、リカードの等価定理の変種の一つと言えるでしょう。公共部門のバランスシートのリスクを最終的に引き受けるのは民間の経済主体(消費者)なので、国債を所有しているのが民間部門から公共部門に変わっても何の違いも生じないのです。

同じようなアナロジーを持ち出している(「貨幣の超中立性」を「リカードの等価定理」の変種の一つと見なして分析を加えている)のがフィリップ・ウェイル(Weil 1991)(pdf)だが、ウェイルも指摘しているように、分配効果が生じないせいで貨幣が純資産ではないからこそ成り立つ結果なのだ。エガートソン&ウッドフォードのモデルでは、仮定によって分配効果が生じないようになっているのだ。

「流動性の罠」についてだけでなく、「流動性の罠」に陥るのはどういう条件が成り立つ場合なのかについても誤解があるようだ。「ゼロ下限制約」と「流動性の罠」を結びつけて論じるのが慣わしとなっているが、必ずしも同一視できないのだ。金融政策を論じる時には、「ゼロ下限制約」と「流動性の罠」の違いに気を配る(あるいは、言葉の定義にもっと注意を払う)のが大事なのだ。

2025年5月13日火曜日

Tyler Cowen 「ハインツ社のトマトケチャップがピッツバーグで根強い人気を誇っているのはなぜ?」(2009年4月22日)

Tyler Cowen, “Why is Heinz Ketchup still so popular in Pittsburgh?”(Marginal Revolution, April 22, 2009)


JPE(ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー)誌に掲載されているブロネンバーグ(Bart J. Bronnenberg)&ダール(Sanjay K. Dhar)&デューベ(Jean-Pierre Dubé)の共著論文より。

本稿では、アメリカ国内の計50の大都市で販売されている計34品の日用品のブランドを対象に、「先行者」の優位が持続することを示す証拠を提示する。それぞれのブランドの現時点の市場シェアは、発祥地に近い都市においてほど高い傾向にある。6つの業界についてはそれぞれの都市でトップブランドが販売を開始した順番がわかっていて、販売を開始した順番が早いブランドほどその都市での現時点の市場シェアが高いだけでなく消費者の評価も高い傾向にあることが見出されている。

草稿版はこちら(pdf)。具体的には、以下のような結果が見出されている。

1800年代後半ないしは1900年代初頭に販売を開始して今でも業界を引っ張っている計49のブランドに関して言うと、発祥地に近い都市での現時点での市場シェアは、全土における現時点での市場シェアよりも12パーセントポイント高い傾向にあることが見出されている。

先行者の優位というのはだいぶ長続きするようで、驚きだ。ミラー社のビールがシカゴで販売されたのは1856年に遡るが――シカゴが発祥の地というわけではないが、一番乗り――、他のどの都市においてよりもシカゴで優位な立場にあるのは今も変わらないのだ。ハインツ社のトマトケチャップがピッツバーグで販売されたのは1876年に遡るが、他のどの都市においてよりもピッツバーグでの市場シェアが今でも相変わらず高いのだ。

どういうメカニズムが働いているのだろうか? 小売店との密接な関係が長続きしているおかげなのだろうか? 地元(あるいは地元の近く)が発祥のブランドに対する愛着が育まれて、それが世代を超えて伝わるのだろうか? 発祥の地で暮らしていた住民と何らかの理由――人口構成だとか民族構成だとかのように、時が経過しても変わりにくい何らかの理由――でもともと相性がよかったのだろうか?

Neil Irwin 「ケチャップ発言を巡るミステリー 〜発言の主は噂通りの人物? それとも・・・?〜」(2013年5月12日)

Neil Irwin, “The mystery of Ben Bernanke and the Japanese ketchup is solved!”(Wonkblog, May 12, 2013)


中央銀行をテーマとした拙著で、「FRBの現議長、ケチャップ、日本銀行」が絡むちょっとしたミステリーについて言及している。そのミステリーは今や解かれた、というのが私の考えだ。

遡ること10年前の2000年代初頭。アメリカの政府高官や経済学者たちは、日本政府に対して――とりわけ、日本銀行に対して――、ひっきりなしに次のようなコメントを寄せていた。日本経済がデフレから脱却するために、あなた方はもっと積極果敢に行動する必要がある、と。当時FRBの理事だったベン・バーナンキ(Ben Bernanke)も、そのように訴えていた一人だった。

日本銀行の役員の間で長年にわたって語り継がれていて、リチャード・クー(Richard Koo)が自らの著書の中で取り上げている逸話がある。バーナンキが2003年の5月に訪日した時に、次のように主張したと言われているのだ。中央銀行は、いつだってインフレを起こすことができるはずだ。市中に貨幣を注入するために金融資産を購入するだけでは足りないようなら、何か他のものを買うことだってできる。それこそ、トマトケチャップを買うことだってできる。そうすれば、市中に流通する貨幣の量を増やせるし、物価を上昇させられるのだ。

ケチャップとは、何とも面白い例である。しかし、ここに問題が控えている。バーナンキ本人は、ケチャップを例に持ち出した覚えがないばかりか、本当に自分がそのように発言したのか極めて懐疑的なのである。先にも触れた拙著で日本がテーマの章を執筆している段階では、バーナンキの記憶違いなのか、日本銀行の役員の間で噂が広まるうちに話が事実とは違うかたちで伝わってしまったのか、確信が持てないでいた。かつて東京に滞在していた時に日銀の元スタッフ数人からこの逸話を耳にしたことはあったが、バーナンキのケチャップ発言を目の前で聞いたという人は一人もいなかった。そのため、拙著では、バーナンキがケチャップ(あるいは、それと似た何か)を例として持ち出したかどうかについては、真偽不明の未解決問題ということにしておいたのだった。

今や謎は解けたと言えるかもしれない。当時米財務省で勤務していたトニー・フラット(Tony Fratto)から、次のような話を聞いたのである。彼の記憶によると、ジョン・テイラー(John B. Taylor)と一緒に日本銀行を訪れたことがあるという。テイラーは、スタンフォード大学に籍を置く経済学者で、当時は財務次官(国際経済担当)を務めていた。新聞の切り抜きから判断すると、彼らが日銀を訪れたのは2002年10月のようだが、その時にテイラーがケチャップ発言をしたのを聞いたというのだ。

フラットは、メールで次のように答えている。「私たちが東京を訪れたのはなぜかというと、不良債権の処理をもっと速やかに進めるだけでなく、量的緩和をもっと積極的に実施するように、日本の政策当局者を鼓舞するためでした。あの時のジョンは、ややおどけた調子で意見を述べていましたが、ケチャップ発言も何気なく口を衝いて出た感じでした。ジョンは、日本銀行(金融研究所)の顧問を長年にわたって務めていて、そこで働いているみんなと懇意な間柄にありました。あの時のことは、よく覚えています」。

例として持ち出されたのは、抽象的な「ケチャップ」じゃなかったらしい。フラットの記憶によると、テイラーは、ケチャップの具体的な銘柄まで口にしたらしいのだ。

「ジョンも私もピッツバーグ出身で、日本への移動中はピッツバーグのあれこれについて情報交換し合ったり語り合ったりしていました。ジョンは、『ケチャップパケット』とだけ述べたんじゃありません。『ハインツのケチャップパケット』と述べたんです」。

どうやらこれが真相のようである。あの何とも愉快なケチャップ発言の主は、テイラーだったのだ。何度も語り継がれているうちに、テイラーと同じように高く評価されているアメリカ出身のマクロ経済学者で、同じく公職に転じ、ほぼ同じ時期に日本を訪れた別の人物の発言として入れ替わってしまったのだ。

テイラーによると、日本銀行を訪れた時にケチャップ発言をしたかどうかまでは詳しく覚えていないものの、大学の講義で学生に金融政策について説明する時にケチャップを例に持ち出すのが恒例になっているのは確かだという。テイラーは、メールで次のように答えている。「これまで長年に(何十年にも?)わたって、スタンフォード大学での経済学入門の講義で公開市場操作のエッセンスを説明する時に、ケチャップを例に持ち出してきました。『ケチャップが巷にたっぷり存在するようなら、Fedはケチャップを買うことだってできる』みたいな感じで。金融政策の働きについて学生たちが理解しやすくて記憶に残りやすいように配慮したジョークの一種としてですが」。

さて、もう一つのアイロニーがある。テイラーとバーナンキが日本を訪れて、もっと積極的な金融政策に打って出るように日本銀行に発破をかけてから10年以上が経過しているが、つい最近になってそのアドバイスが遂に聞き入れられた。安倍晋三首相率いる新政府と黒田東彦新総裁率いる日本銀行が、インフレ率を2%にまで引き上げるために必要なことは何でもすると誓ったのである。これまでのところは、口だけではないように見える。新たに刷った貨幣で国債が無制限に買い入れられているのだ。

しかしながら、巷間伝えられるところによると、日本銀行が新たに刷った大量の円でトマトケチャップ――ハインツのケチャップ、あるいは、その他の銘柄のケチャップ――を購入している様子はないようだ。

2025年5月12日月曜日

Gauti Eggertsson 「アベノミクスとフランクリン・ルーズベルト」(2013年4月4日)

Gauti B. Eggertsson, “Abenomics and FDR”(Economic Notes, April 4, 2013)


過去数ヶ月の間に経済政策の分野で起こった最も注目すべき出来事は、日本銀行と日本政府がデフレからの脱却に向けて金融政策と財政政策を「協調させる(コーディネートさせる)」決意をはっきりと固めたことだろう。新しい首相(安倍晋三)の名前にちなんで「アベノミクス」と呼ばれ出しているが、長年にわたって続いたデフレから脱却して年率およそ2%のインフレ率を達成することが目標として掲げられている。その目標を達成するための手段についてもあれこれと概要が伝えられている。

去る1月(2013年1月)に日本政府と日本銀行が共同で声明を出していて、デフレから脱却するために政策を協調(連携)させることが誓われている。その声明はこちら(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕。

本日(2013年4月4日)になって、日本銀行がさらなる行動(「量的・質的金融緩和」)に乗り出すことが発表された。その概要はこちら(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕。

何が意図されているかは明らかだ。インフレ期待を喚起して実質金利を引き下げるというのがまず第一だ。デフレではなくインフレが予想されるようになれば、実質金利が低下する。そうなると、お金を将来のためにとっておくよりも今すぐに使おう(支出しよう)という気になる。つまりは、インフレ期待が喚起されたら、通常の金融政策と同じような経路を通じて総需要が刺激されると予想されるのだ。次に、借り手が負う債務の負担を和らげるというのが第二だ。ほどほどのインフレになれば、借り手が負う債務の負担が和らいで、そのおかげでまたもや総需要が刺激されるかもしれない。景気が大きく落ち込んでいる中で過剰な債務が積み上がり、その圧縮(「デレバレッジ」)を余儀なくされている家計なり企業なりが少なくないケースにおいては特に。 

興味深いことに、アベノミクスと極めて似通った政策が1933年に米国の大統領に就任したばかりのフランクリン・D・ルーズベルトによって試みられている。政策レジームを構成する要素の大半がそっくり同じで、目標とするインフレ率が違うくらいだ。ルーズベルト大統領の方がアベノミクスよりも高めのインフレ率の達成を目標にしていたのだ――ルーズベルト大統領は、不況に陥る以前の水準にまで物価を引き上げる(リフレートする)ことを誓ったが、それはかなり高めのインフレ率を受け入れることを意味していた。この点については、2008年に書かれた拙論文(pdf)を参照していただきたい――。「ニューディール」政策の中でもこの要素は大きな成功を収めて、アメリカ経済が1933年から1937年にかけて急速な景気回復を成し遂げるのに貢献したというのが私の判断だ――しかしながら、うまくいった一連の政策も “Mistake of 1937”(pdf)(「1937年の過ち」)によって放棄されてしまい、アメリカ経済は再び不況に陥る羽目になってしまった――。これまでに日本政府が発表している政策も経済成長を加速させるのに同じように大いに役立つに違いないというのが私の判断だ。しかしながら、2%というインフレ率の目標値がちょいと低いのではないかというのが気がかりではある。どうなるかはこれからわかるだろう。ともあれ、私なりに何よりも肝心だと思うのは、日本政府がルーズベルト大統領と同じように「リフレーション」(“reflation”)を最優先課題に掲げて、リフレーションを達成するために必要なことなら何でもするつもりであることを前面に出していることだ。

ルーズベルト大統領が政策実験に乗り出した直後に放映された「インフレの宣伝」動画を以下に貼り付けておこう。講義で学生たちと一緒に視聴したこともある。インフレが総需要を刺激する二通りの経路については上でも述べたが、この動画でそのどちらについても触れられているのに気付くだろう――私がずっと前から取り組んでいる主要な研究テーマが第一の経路だ。例えば、こちらの論文(pdf)とか、マイケル・ウッドフォードとの共著論文(pdf)とかで分析を加えている。第二の経路(再分配経路)については、ポール・クルーグマンとの共著論文(pdf)で分析を加えている――。 



David Henderson 「ロナルド・コース 〜『黒板経済学』に異を唱えた男〜」(2013年9月4日)

David R. Henderson, “The Man Who Resisted ‘Blackboard Economics'”(Wall Street Journal, September 4, 2013)


つい先日のレイバーデー(Labor Day)に102歳で逝去したロナルド・コース(Ronald Coase)は、20世紀に活躍した経済学者の中でも誰よりも稀有な存在だった。取引費用が現実の経済に対してどのような影響を及ぼすかをめぐって鋭い分析を展開し、その洞察に対して1991年にノーベル経済学賞が授与されている。75年の学者人生を通じて彼が執筆した重要な論文は1ダース程度しかなく、論文で数学を使うこともほとんどあるいはまったくなかった。しかしながら、彼が経済学に及ぼした影響は深くて大きい。

20代前半の若かりしコースは、社会主義者だった。しかしながら、他の大半の社会主義者には欠けている特徴を持ち合わせていた。それは何かというと、現実の経済の働きに対する好奇心である。1931年から1932年にかけて、故郷のイギリスを離れてアメリカに旅行に出掛けた時のことだ。コースは、ノーマン・トーマス(Norman Thomas)――社会主義の政党(アメリカ社会党)から大統領選挙に出馬した泡沫候補の一人――のもとをひょっこり訪ねるだけでなく、フォードやゼネラルモーターズの工場にも立ち寄った。そのことをきっかけに、次のような疑問を抱くに至る。アメリカでは、幾つかの大企業がうまくやっているように見える。そうだというのに、ロシア経済を一つの大きな工場のように運営するのは可能だと考えているレーニンは間違っているというのが経済学者たちの言い分だ。どうなってるんだ?

この疑問に対するコースなりの回答が寄せられているのが、1937年に執筆されてその後数多く引用されることになる論文 “The Nature of the Firm”(「企業の本質」)である。企業は、(中央)計画経済と似ているところもあるが、違いもある。企業は、人々の自発的な選択を通じて形成される。どうしてそのような選択を行うのだろう? その理由は、「市場を利用することに伴うコスト」(“marketing costs”)が存在するためだ――あるいは、現代流に表現すれば、「取引費用」(“transaction costs”)が存在するためだ――というのがコースの答えだった。市場を利用するのにコストが一切かからないようなら、企業を作ったところで何の意味もないだろう。人々は、個々の独立した存在として、必要に応じてその都度取引を行うだろう。しかしながら、市場を利用するのにコストがかかるようなら、企業の内部で生産(取引)を組織化するのが最も効率的となる可能性がある。企業なるものが存在している理由についてコースが1937年の論文で与えている説明は、その後に大きく発展することになる研究領域を生み出すきっかけになったのだった。

コースが1960年に執筆した論文 “The Problem of Social Cost”(「社会的費用の問題」)も、その後に大きく発展することになる研究領域――「法と経済学」(“law and economics”)――を生み出すきっかけになった。コースのこの論文が登場するまでは、大半の経済学者は「外部性」の問題についてアーサー・ピグー(Arthur Pigou)の考えを受け入れていた。例えば、牧場で飼われている牛が隣接する農家に入り込んで、作物を踏み荒らしているとしよう。どうすべきだろうか? ピグー流の考えでは、政府が牧場主に牛の自由な放牧を禁ずるか、牛の放牧に対して税金を課すべきだということになる。そうでもしないと、牧場主としては牛が隣の農地を荒らさないように防ぐインセンティブがないので、農作物が牛に荒らされっ放しになってしまうだろうというのである。

コースは異を唱えた。重要な機会が見逃されているというのである。牧場主は、牛が農作物を荒らさないように手配するのと引き換えに、農家からお金を支払ってもらえばいいのだ。もしも取引費用がゼロであるようなら――コース自身は「取引費用がゼロ」という想定が現実に成り立つとは考えていなかったことを念押ししておこう――、農家も牧場主もどちらも得する合意に達することができる(どちらも得する取引を実現できる)のだ。

例えば、牛一頭から得られる金銭的な利益がネットで(飼育に要する費用を差し引いた上で)20ドルだとしたら、農家から牧場主に対して20ドルを超える支払いがなされるようなら、牧場主は牛をさらにもう一頭飼うのをやめるのに同意するだろう。その一方で、一頭の牛が農作物に及ぼす被害が30ドルだとしたら、牧場主が牛をさらにもう一頭飼うのをやめさせるために、農家としては30ドルまでなら喜んで支払うだろう。牛の放牧に対してピグー税を課すべきかというと、それほどはっきりと「イエス」とは言えなくなるわけである。

コースの1960年の論文に含まれている洞察の中でもとりわけ刺激的なのは「取引費用がゼロ」の場合に成り立つ結論であると考えたのが、ジョージ・スティグラー(George Stigler)――1982年のノーベル経済学賞受賞者――だ。「取引費用がゼロ」の場合に成り立つ結論に「コースの定理」(“Coase Theorem”)という名前を冠したのも、スティグラーだ。取引費用がゼロなら、(たとえ外部性が存在していても)政府が介入する必要は一切ないと説くのが「コースの定理」というわけだ。

その一方で、「取引費用がゼロ」の場合に成り立つ結論は取るに足りないと考えたのが、イリノイ州立大学シカゴ校に籍を置く経済学者のディアドラ・マクロスキー(Deirdre McCloskey)だ。マクロスキー女史の考えでは、コースの1960年の論文に含まれている洞察の中でもとりわけ興味深いのは、「取引費用がプラス」である現実の世界で成り立つ結論についてだった。取引費用がプラスなら、裁判所が賠償責任(liability)を誰(どの主体)に割り当てるかが重要な意味を持つことになる。例えば、牧場主と農家の先の例――牧場主にとっての牛の価値(20ドル)が、牛が農作物にもたらす損害額(30ドル)を下回っているケース――で、裁判所が牧場主に牛を飼う権利を認めたら、プラスの取引費用が存在するせいで効率的な解決策が阻まれる可能性があるのだ。

コース自身は、ピグーの考えだけでなく、(「取引費用がゼロ」のケースを重視した)スティグラーの考えも拒否して、どちらの考えも「黒板経済学」の典型だと嘲(あざけ)ったのだった。

コースが1974年に執筆した論文 “The Lighthouse in Economics”(「経済学における灯台」)も有名だ。経済学者は、灯台を「公共財」――政府だけが供給できる財――の例として持ち出すことがある。しかしながら、コースが歴史を詳細に調べてみたところ、19世紀のイギリスでは灯台(のサービス)が私的に供給されていて、港に立ち寄った船から(灯台のサービスを享受した見返りとして)代金が徴収されていたことが明らかになったのである。港に立ち寄らずにそのまま通り過ぎる船もあったが、灯台の運営・管理が商売として成り立つに足るだけの船が港に立ち寄って代金を支払っていたのだ。

コースによるこの発見は、経済学者がそれまで抱いていた見解に打撃を加えた。フリーライダー(ただ乗り)問題のせいで、灯台を私的に運営・管理するのは無理だと考えられていたのである。それに加えて、1974年の論文は、コースの持論を裏付けてもいる。経済学者は、黒板の上で問題を解いてよしとするのではなく、現実の経済(市場)を研究する必要があるという彼の持論を。

コースは、1959年に執筆した論文で、連邦通信委員会(Federal Communications Commission)は不要だと主張した。電磁スペクトルは、市場で自由に売り買いしたらいいというのである。周波数の稀少性だけを特別視すべき理由なんて一切ない。市場で取引されているどの財(経済財)にしても、同じく稀少なのだからというのである。当時は馬鹿にされた言い分だったが、今では経済学者の間でほぼ標準的な見解となっている。

コースは、1964年から1982年にかけてJournal of Law and Economics誌の編集者を務めた。その間の同誌には、政府による規制に批判的な論文が数多く掲載された。コースも強調しているが、政府による規制はうまくいきようがない(「市場の失敗」を解決できない)という意味で批判的なわけではなく、実際にうまくいっていない――同誌に掲載された論文で検討されているほぼすべてのケースで――という意味で批判的だったのである。政府による規制は、カルテルの形成を促したりその他のネガティブな結果をもたらしていたのだ。

コースは、政府による規制に信を置く知識人たちを苛立たせるような指摘を行っている。あなた方が信じておられるように、財市場に対する規制がそんなにうまくいくようなら、アイデア市場(言論の自由)に対する規制はなおさらうまくいくでしょう、というのである。

その理由は? 1997年のReason誌でのインタビューで、コースは次のように語っている。「消費者にとっては、アイデアの善し悪しを判断するよりも、モモの缶詰の善し悪しを判断する方が簡単でしょう」。多くの知識人は、コースがアイデア市場に対する規制を強化せよと訴えていると受け取った。しかしながら、コースにはそんな気はなかった。コースの真意としては、財市場に対する規制を是とする根拠の弱さを(政府による規制に無批判に信を置く)知識人たちに気付かせたかったのである。

Gregory Mankiw 「現金をどれくらい持ち歩くべきか?」(2007年9月4日)

Gregory Mankiw, “How much cash to hold”(Greg Mankiw's Blog, September 04, 2007)


ブライアン・カプラン(Bryan Caplan)が、財布にどれくらい現金を入れておくべきかを問うている。

大学(ジョージ・メイソン大学)でのランチの時間に、二人の経済学者(A氏&B氏)が財布にどれくらい現金を入れておくべきか(現金をどれくらい持ち歩くべきか)をめぐって意見を戦わせた。A氏が持ち歩いている現金は、ほんの少しだけ。クレジットカードで基本的に何でも買えるからというのがその理由だ。B氏はというと、現金をたくさん持ち歩いている。現金を手元に持っているせいで得られなくなる金利なんて無に等しいし、貴重な時間をできるだけ無駄にしたくない(現金を持ち歩いていたら時間を節約できる)というのがその理由だ。

あなたは、どちらに肩入れするだろうか? その理由は? 「時間の価値」および「現金を手元に持っているせいで得られなくなる金利」の具体的な計算結果もお待ちしている。

(追記)教科書に載っているような貨幣需要モデルは持ち出さないでもらいたい。知りたいのは、一般的な枠組みではなく、具体的な答えなのだ。

カプランは、教科書に載っているモデルをあまりにも安易に退けてしまっているようだ。現金管理に関するボーモル=トービンモデル――貨幣需要の在庫理論アプローチ――は、単なる「一般的な枠組み」というにとどまらない。「具体的な答え」も導き出せるのだ。拙著である中級マクロ経済学の教科書の18章の練習問題の一つで学生たちに現金をどう管理すべきかを問うているが、あれは簡単な数値例を使ったボーモル=トービンモデルの応用問題なのだ。

例えば、ジョージ・メイソン大学に籍を置く某経済学者が1日に使う現金は10ドルだとしよう。ATMまで足を運んでお金をおろすのに10分かかって、彼にとって1時間は60ドルの値打ちがあるとしよう。銀行にお金を1年間預けていたら、5%の利子が得られるとしよう。これだけの情報があれば、ボーモル=トービンモデルから具体的な予測を導き出すことができるのだ。某経済学者は、1年のうちにATMに3回足を運んで、そのたびに1200ドルを銀行口座から引き出すべきなのだ。言い換えると、1年を通じて財布の中に平均で600ドルが入っているようにすべきなのだ(この予測を裏付ける方程式の詳細については、拙著をご確認いただきたい)。

大半の人の財布には(1年を通じて平均で)600ドルも入っていない。ずっと少ない現金しか持ち歩いていない。1年のうちにATMに足を運ぶ回数も3回どころじゃない。もっとずっと多い。モデルから導かれる予測と違っているのは、なぜなのだろう? 謎だ。中級マクロ経済学の講義で格好の題材となるに違いない謎だ。モデルと現実が食い違っているのはなぜなのかをめぐって、実りある討論ができるだろう。 

現金を無くすのを心配しているから、というのが考え得る理由の一つだ。現金を紛失する(あるいは、盗まれる)確率が p だとすると、現金を保有する機会費用は(r+p)〔訳注;rは金利〕へと高まることになる。しかしながら、p に具体的な値を代入してみると、難があることにすぐ気付く。2週間に1回はATMに足を運ぶとかいう現実と合致する予測をモデルから導き出すためには、p の値をだいぶ大きくしないといけないのだ。現実にはあり得ないほど財布をしょっちゅう落とすと想定しないといけないのだ。

持ち歩いている現金の額がモデルから導き出される予測と大きく食い違っているのはどうしてなのかと学生たちに尋ねたら、お金を持ってたらつい使ってしまうかもしれないからだ、という答えがあちこちから返ってくることだろう。興味深い行動仮説だ。お金をポケットに入れておいたら焼け穴を作って出ていってしまう――お金を持っていたら、つい使ってしまいたくなる誘惑にとらわれる――おそれがあるが、銀行に預けておいたらその心配もないというわけだ。この仮説で私自身の行動がうまく説明できるとは思わないので、私としてはこの仮説にそこまで説得力を感じないが、多くの学生は共鳴するんじゃなかろうか。教師としてのこれまでの経験からそう言えそうだ。

2025年5月11日日曜日

Bradford DeLong 「J. S. ミル 対 ECB:ワルラスの法則で世界経済の現状を読み解く」(2010年7月29日)

J. Bradford DeLong, “John Stewart Mill vs. the European Central Bank”(Project Syndicate, July 29, 2010)


経済学の知られたくない秘密の一つは、「経済理論」と名乗れるようなものなんてどこにもないことだ。現実の経済現象に切り込む時に足場として頼れるような一揃いの根本原理なんてものがないのだ。財政緊縮を求める声が世界中でこだましているが、是非とも心に留めておいてもらいたいのは、このことだ。

例えば、生物学者であれば、細胞内でのタンパク質の合成は、DNAにコード化されていることを知っている。化学者であれば、ハイゼンベルグの不確定性原理とパウリの排他原理という二つの原理(それに加えて、空間の三次元性)に遡って、電子配置が安定しているのはなぜなのかを語る。 物理学者であれば、自然界の4つの力に遡ってあれやこれやの説明を試みる。

経済学者には、そのような足場がない。理論を支えていると称する「経済原理」なんてものは、まやかしなのだ。根本的な真理なんかではなく、「正しい」結論を導き出すために弄(いじ)ったり捻ったりできるドアノブみたいなものに過ぎないのだ。

「正しい」結論と言っても、その経済学者がどちらのタイプかによってその意味するところは違う。第一のタイプの経済学者は、まずはじめに政治的なスタンスを決める。どの陣営の味方になるかを決める。そして、自分が選んだ政治的なスタンスに合致する――自分の味方にとって都合がいい――結論が導かれるまで、理論の前提を弄ったり捻ったりする。第二のタイプの経済学者は、まずはじめに歴史の残骸を拾ってくる。次いでそれを鍋に投げ込んで、加熱して煮込む。骨だけになるまで煮込む。その骨から何らかの教訓が得られるかもしれないと願って。ユートピアの実現に向けてノロノロと徘徊する時に、有権者、官僚、政治家に指針を与える原理のヒントが得られるかもしれないと願って。

意外でも何でもないだろうが、第二のタイプの経済学者だけが傾聴に値する何かを語れるというのが私の考えだ。そこで、世界経済の当面の窮状について、歴史からどんな教訓が学べるか探ってみるとしよう。

1829年に、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は、彼が「全般的な供給過剰(“general gluts”)」と呼んだ現象にどう立ち向かえばいいかを明らかにした。そのおかげで知的な面で大いなる飛躍が成し遂げられたのだった。ミルは悟った。特定の金融資産に対する超過需要〔需要が供給を上回る状態〕が存在する裏には、生産物市場における財・サービスの超過供給〔供給が需要を上回る状態〕が存在するということを。生産物市場における財・サービスの超過供給は、労働市場における超過供給を生み出すということを。

そこからさらに一歩進めてどのようなことが言えるかも、明らかだった。すなわち、金融資産に対する超過需要を和らげることができたら、財・サービスの超過供給(つまりは、総需要の不足)も労働の超過供給(つまりは、失業)も和らぐのだ。

金融資産に対する超過需要を和らげる方法はたくさんある。

支払い手段として使われる流動的な資産――すなわち、「貨幣」――に対する超過需要が発生しているようなら、中央銀行が貨幣を発行して国債を買い取るのが正攻法である。その結果として、マネーストックが増えて(=「貨幣」の供給量が増加し)、「貨幣」の供給量(残高)と「貨幣」に対する需要量とがつり合うようになる。この方法は、「金融政策」と呼ばれている。

満期が長めの金融資産――現在から将来へと購買力を移転させる「価値の貯蔵手段」として機能する「債券」――に対する超過需要が発生しているようなら、正攻法は二通りある。第1の手段は、企業が借入を増やして(社債の発行を増やして)事業を拡大する方向にどうにかして持っていくことである。第2の手段は、政府が借入を増やして(国債の発行を増やして)政府支出の規模を拡大することである。その結果として、「債券」の供給量(残高)と「債券」に対する需要量とがつり合うようになる。第1の手段は「信頼回復」策と呼ばれていて、第2の手段は「財政政策」と呼ばれている。

安全資産――一時的にその場を離れて戻ってきても、預けた富を前の通りの姿でかくまっていてくれる安全な保管場所――に対する超過需要が発生しているようなら、(マーケットからの)信用度の高い(creditworthy)政府が民間の金融資産に対して政府保証を与えたり、民間の金融資産を国債と取り換えたりするというのが正攻法である。その結果として、リスク資産の供給量(残高)が減少して、安全資産の供給量(残高)が増えることになる。この方法は「資産転換政策」と呼ばれている。

言うまでもないが、現実の世界で試みられる政策は、上の理念型のどれか一つにぴったりと合致するわけじゃない。欧州中央銀行(ECB)は、財政刺激策をこれ以上続けたら逆効果になってしまうと懸念を露にしているが、ECBのその懸念を上の理念型を使って読み替えると、以下のようになるだろうか。「政府支出をさらに増やして、大規模な財政赤字を継続すれば、国債の供給量(残高)が増えることになるので、満期が長めの金融資産に対する超過需要が和らぐだろう。しかしながら、政府債務(国債)の残高が膨らんで政府の債務返済能力を上回るようなら、すべての国債が(安全資産から)リスク資産に変わってしまうだろう。 すなわち、財政刺激策をこれ以上続けたら、満期が長めの金融資産に対する超過需要は和らぐ一方で、安全資産が不足してしまうことになるのだ。そうなれば、状況は前よりも悪くなる」。

ECBの主張によると、北側の主要な国――ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、日本――は、今すぐにも財政緊縮策に方向転換する必要があるという。それらの国の債務(国債)の質に対する金融市場の信頼が揺らいでいて、その信頼がいつ崩壊するかもわからないというのだ。世の政策当局者たちも、ECBの主張に賛同しつつあるようだ。その例の一つが、米国行政管理予算局(OMB)長官であるピーター・オルザグ(Peter Orszag)が7月後半に口にした発言だ。オルザグによると、アメリカ政府が今後3年間にわたって取り組む予定の財政再建では、過去60年で最大規模の歳出削減が試みられるだろうというのだ。

しかし、私の目には、世界経済の現状は大きく違って見える。北側の主要な国の政府が発行する債務(国債)の質に対する金融市場の信頼が揺らいでいるようには見えない。その信頼が崩壊する瀬戸際にあるようには見えない。私の目に映るのは、生産能力を10%下回っていて、失業率が10%に迫ろうとしている世界の姿である。そして何よりも、主要な国の政府が発行する債務(国債)に対して投資家が大きな信頼を抱いている世界の姿である。投資家の多くにとって、政府債務(国債)こそが直近の嵐の中で唯一の安全な港になっているのだ。

ミルであればこのような状況でどのような政策を勧めたかは、あまりにはっきりしている。

2025年5月10日土曜日

David Beckworth 「モノプソニーとしてのFed」(2009年9月11日)

David Beckworth, “The Fed as a Monopsony”(Macro Musings Blog, September 11, 2009)


侮蔑を込めて「貨幣の独占的供給者」と呼ばれることもあるFedだが、新たな呼び名を頂戴しているようだ。マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場における「モノプソニー」(強大な支配力を持つ買い手)だ(あるいは、それに近い)というのだ。ライアン・グリム(Ryan Grim)がハフィントン・ポスト紙で報じているところによると、一流の学術誌でマクロ経済学についてどんな話題が率先して取り上げられるかにFedが並々ならぬ影響を及ぼしているという。Fedがそれだけの影響力を持っている理由は、(1) 大勢のマクロ経済学者を雇ったり客員研究員として受け入れていて、(2) スタッフたちが貨幣経済学やマクロ経済学の分野の一流の学術誌の編集陣に名を連ねていて、(3) Fedに同情的な元スタッフが大勢いて、(4) 今のところはFedと関わりがない経済学者たちももしかしたらFedとお近づきになれるかもしれない機会をみすみす潰さないように気を配っていて、(5) Fedがマクロ経済学の分野の多くの学術的なカンファレンスのスポンサーになっているからだという。グリムの言い分を引用しておこう。

本紙の調査によって明らかになったのは、コンサルタント、客員研究員、元スタッフ、現スタッフの膨大なネットワークを土台にして、Fedが経済学の世界を徹底的に牛耳っているということだ。中央銀行であるFedを正面から批判すると、経済学者としての将来のキャリアに暗雲が垂れ込めかねないのだ。 
大恐慌以来最悪の危機を予見できなかったFedを批判する声が経済学者たちの間からあまり上がらなかったのも、Fedのその強大な支配力ゆえなのだ。Fedの虜(とりこ)になっていたせいで、経済学者たちも同じ過ちを犯した(危機の予見に失敗した)のだ。 
・・・(中略)・・・ 
Fedの支配力の重要な源泉の一つが、その道の分野の「門番」とのつながりである。例えば、若くてこれからという経済学者にとっては避けては通れない学術誌の一つであるジャーナル・オブ・マネタリー・エコノミクス誌の編集陣の半数以上がFedの現スタッフなのだ。残りも元スタッフなのだ。

グリムの記事は興味深いが、Fedの影響力についてもう少し公平で学術的な批判を加えているのがローレンス・ホワイト(Lawrence H. White)である。2005年にEcon Journal Watch誌に掲載されたホワイトの論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

FRB(連邦準備制度)は、アメリカにおいて貨幣経済学の分野の研究を支えている重要なスポンサーの一つである。Fedがスポンサーになっている研究プログラムの規模(インプットおよびアウトプット)をいくつかの方法で計測し、貨幣経済学の分野における学術的な研究の内容に対してFedが及ぼしている直接的ないしは間接的な影響について検討するのが本稿の狙いである。Fedがスポンサーになっている研究は「現状維持バイアス」を抱えているかもしれないのだ。

ホワイトもグリムと同じ結論に達している。Fedは、マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場において「モノプソニー」に似た影響力を持っているというのである。もっともな批判だが、私としてはあの手この手でFedの政策に疑問を呈し続けるつもりだ。どれもこれも失敗に終わるようでも、まだこのブログがある。・・・いや、待て。何よりも先にテニュア(終身在職権)をとらなくちゃいけない。 

Garett Jones 「研究のインセンティブ 〜みすぼらしいパフォーマンスと高い世評〜」(2012年12月11日)

Garett Jones, “Research Incentives:Milton Friedman on the Fed”(EconLog, December 11, 2012)


カネ(金銭的なインセンティブ)は研究の結果に影響を及ぼすのだろうか? 医薬品の研究についてであればよく問われる問いだが、貨幣経済学(monetary economics)の研究にも間違いなく関わりのある問いなのだ。FRB、ECB、BOEのような中央銀行は、大勢のスタッフを雇っている。数多くのカンファレンスのスポンサーにもなっている。多額の謝金を払ってもいる。貨幣経済学の研究者たちが飼い主の手に噛みつくのにためらいを感じて批判を控える・・・なんていう可能性はないのだろうか?

私の同僚であるデイビッド・レヴィ(David Levy)がまさにこの件について切り込んでいる手紙をミルトン・フリードマン(Milton Friedman)から受け取ったことがある。その手紙のコピーが以下である。



大事な箇所を引用しておこう(手紙の日付は、1993年5月27日)。 

・・・(略)・・・私が知るところでは、FRBは貨幣について専門的に研究しているエコノミストのおよそ半数を直接雇用しています。・・・(略)・・・そのみすぼらしいパフォーマンスにもかかわらず、FRBの世評が高いのも主にそのために違いないと私は確信しています。

私の同僚であるローレンス・ホワイト(Lawrence White)がFRBの潜在的な影響力を測る別の指標に着目している。貨幣経済学の分野のトップジャーナルの編集者を対象にして、FRBと何らかのつながりを持っているかどうかを調査しているのである。どんな結果が判明したかというと、・・・皆まで言わなくてもおわかりだろう。ちなみに、Econ Journal Watch 誌に掲載されているホワイトのその論文はこちらだ。

ホワイトの論文は、以下のようにお見事な文章で締め括られている。

FRBがスポンサーになっている研究は、学術的に見ると概して高い水準を誇っている。だからといって、何のバイアスもかかっていないというわけでもなければ、その内容を吟味する必要なんて一切ないというわけでもないのだ。

Paul Krugman 「俗流ケインジアン」(1997年2月7日)

Paul Krugman, “Vulgar Keynesians”(Slate, February 7, 1997)


経済学の分野も、その他のあらゆる知的な営みと同様に、「学問版・収穫逓減の法則」の影響下にある。時折、偉大な革新者が颯爽と登場し、まるで詩人のような語り口で、自らのアイデアを披露する。そのアイデアは幾分粗が目立ち、先人(あるいは、主流派)のヴィジョンとの違いが誇張して語られるとしても、そのことは取り立てて問題とはならない。アイデアに磨きがかけられることで、やがて確固としたパースペクティブが形作られる可能性があるからだ。しかしながら、どうしても避けられない定めとして、その革新者の後には、表面上の字句には忠実でありながらも、アイデアの核となる精神を誤解した一群の信奉者が続くことになる――彼らの頑迷さは、主流派が自らの見解に対して見せるこだわりを凌駕するほどである――。革新者のアイデアが広まるにつれて、それはますます単純化されることになり、やがて常識(public consciousness)の一部――「誰もが知る」知識の一部――となるまでに流布した暁には、革新者によるアイデアは、粗っぽいまでに劇画化された姿に変容を遂げてしまうのだ。

これはまさに、ケインズ経済学が辿った道のりでもある。ジョン・メイナード・ケインズその人は、大変緻密で革新的なアイデアの持ち主だった。しかし、不運なことに――意図しないかたちで――、彼は自らの遺産の一つとして、今もなお経済問題を巡る論争に混乱をもたらし続けている思想を産み落としてしまったのである。ここではそれを「俗流ケインズ主義」と呼ぶことにしよう。

ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』を出版したのは1936年。それ以前の経済学の世界では、ミクロ経済学――個々の市場の機能を対象にして、稀少な資源があれこれの市場の間にどのように配分されるかを研究する分野――に関しては、精緻で洞察力のある理論が既に発展を遂げていた。その一方で、マクロ経済学の分野――インフレやデフレ、景気の過熱や不況といった一国レベルで発生する現象を研究する分野――は、発育停止とでも呼べる状況にあった。足許で進行中の「大恐慌」について何の説明も提供できずにいたのである。

いわゆる「古典派」のマクロ経済学によると、経済は(放っておいても)長期的には完全雇用に戻る傾向があると見なされていて、(完全雇用が実現している)「長期」だけが分析対象になっていた。「古典派」のマクロ経済学を支える理論的な支柱は2つあった。「貨幣数量説」と、「貸付資金(“loanable funds”)説」である。貨幣数量説というのは、物価がいかに決定されるかについての理論であり、一国の物価水準は、経済に流通する貨幣量に比例すると考えられた。その一方で、貸付資金説というのは、金利がいかに決定されるかについての理論であり、金利は、総貯蓄(一国全体の貯蓄)と総投資(一国全体の投資)の不一致を解消するように上下に変動すると考えられたのである。

ケインズとしても、十分に長いスパンをとってみた場合には、「古典派」のマクロ経済学を支える理論が妥当する可能性もあるかもしれないと認めるのにやぶさかではなかった。しかしながら、彼の有名な言葉をひくと、「長期的には、我々は皆死んでしまう」。そこで、ケインズは次のように主張した。短期において金利の水準を決定するのは、(貸付資金説が説くように)完全雇用下における総貯蓄と総投資のバランスではない。「流動性選好」(“liquidity preference”)――現金と比較して安全性や利便性の面で劣る資産への投資を促す上で(高い利回りのような)十分なインセンティブが提供されない限りは、現金を保有し続けようとする欲望――こそが、短期における金利の水準を決定するのだ、と。さらには、ケインズは次のようにも付け加えた。総貯蓄と総投資は、貸付資金説が妥当しないとしても、必ず等しくなる。とは言っても、(事前的な)総貯蓄が(事前的な)総投資を上回ると、(貸付資金説が説くように)金利が低下するのではなく、雇用量や産出量が減ることで総貯蓄と総投資が一致するようになるのだ、と。別の言い方をすると、何らかの理由――例えば、株価の急落など――で投資需要が減少すると、経済は(雇用量や産出量の落ち込みを伴う)全般的な不況に見舞われるということだ。

このようなヴィジョンは、経済の働きに関する従来の見解に見直しを迫るものだった。その見事なまでの洞察力もあって、当時の若くて優れた経済学徒の間ですぐさま受け入れられた。とはいえ、ケインズは現実を単純化し過ぎている面がある、と早いうちから指摘していた経済学者がいたことも事実である。特に、雇用量や産出量は、金利に対して反作用を及ぼすのが通常であり、このことは大きな違いを生む可能性がある。しかしながら、『一般理論』が出版されてから長年にわたって、多くの経済学者は、ケインズのヴィジョンから導き出される含意に魅惑されることになった。ケインズのヴィジョンは、(節倹という)美徳が罰せられ、浪費が報われる「不思議の国のアリス」のような世界に我々を誘うかのように思われたのだ。

例えば、「貯蓄(節約)のパラドックス」(“paradox of thrift”)について考えてみるとしよう。初期のケインジアンモデルによると、何らかの理由で貯蓄率――所得のうち支出(消費)に回されない割合――が上昇したとしたら、総貯蓄と総投資がともに減少するという結果になる。どうしてだろうか? その理由はこうである。貯蓄率が上昇する(事前的な総貯蓄が増加する)と、消費が減って不況になり、それに伴って所得が減ることになる。所得が減ると、所得の増加関数である総投資が減ることになる。総貯蓄と総投資は最終的には等しくならなければならないので、(減少した総投資と等しくなるように)総貯蓄は減らなければならない!

さらにもう一つ、賃金と雇用の関係をめぐる「寡婦の壺」(“widow's cruse”)理論――この名称は古い伝承にちなんで付けられた――についても取り上げておこう。名目賃金が引き上げられると、人件費が高くなるので労働への需要は減ると思うかもしれない。しかしながら、初期のケインジアンの幾人かは、次のような主張を展開した。名目賃金の上昇は、資本家から労働者への所得の再分配(資本家が受け取る利潤が減って、労働者が受け取る賃金が増えること)を意味する。労働者は、資本家と比べると、あまり貯蓄をしないので――これは事実に反しているのだが、それはまあよしとしておこう――、資本家から労働者へと所得が再分配されると、消費需要が増えて、その結果として産出量と雇用量が増える、と。

このようなパラドックスに思いを馳せることは楽しいし、入門レベルの教科書を開くと今でもその説明に出くわすことがある。

しかしながら、このようなパラドックスを真剣に受け止めている経済学者は、今ではほとんどいない。その理由はいくつかあるが、中でも最も重要な理由は、わずか2語で語ることができる。アラン・グリーンスパンAlan Greenspan)である。

シンプルなケインジアンが語るストーリーを深く掘り下げていくと、金利は、雇用量や産出量の水準から独立して決まると想定されていることがわかる。しかし、現実はそうなっていない。金利は、FRB(連邦準備制度理事会)によって積極的に操作されている。雇用が低調であると判断されると金利が引き下げられて、景気が過熱気味だと判断されると金利が引き上げられるのだ。FRB議長(グリーンスパン)の判断の是非についてあれこれ言いたい人――金融政策をもう少し緩和して景気の拡大を支えるべきだと考えたり――もいるかもしれないが、FRB議長に備わる力の大きさについて疑問を呈することができる人はそうそういないだろう。今後数年間のアメリカの失業率を予測できるシンプルなモデルをお探しのようなら、今ここでそれを紹介して差し上げよう。この先の失業率は、グリーンスパンが望む水準に落ち着くと考えてほぼ間違いないのだ(グリーンスパンも神ではないので、彼が望む水準から若干ずれる可能性も考慮する必要はあるけれど)。

グリーンスパン(FRB議長)の役割を考慮に入れると、マクロ経済の働きに関する「古典派」のヴィジョンの多くが息を吹き返すことになる。とは言っても、そっくりそのままというわけじゃない。「古典派」のヴィジョンでは、(市場の)「見えざる手」が経済を長期的には――とは言っても、具体的にどのくらいの長さの期間かとなると特定されることはないけれど――完全雇用に導くと見なされていたが、現実においては、FRBの「見える手」が経済を2〜3年のうちにNAIRU(非インフレ加速的失業率)に導く役割を果たすのである。そのためには、失業率がNAIRU(あるいは、目標とする失業率)に達した時に総貯蓄と総投資が等しくなるように金利を操作する必要があるが、FRBが金利をそのように操作するようなら、「貯蓄のパラドックス」や「寡婦の壺」理論をはじめとした初期のケインジアンの主張が妥当性を失うことになるのである。例えば、貯蓄率が上昇したら、(貯蓄のパラドックスが説くところとは反対に)総投資は増えるだろう。なぜなら、FRBが金利を下げるだろうからである。

何らかの理由で総需要が変化しても、FRBが金利を操作してそれを打ち消す――そのため、雇用量は変わらない傾向にある――というアイデアは、少なくとも私にとってはシンプルでもっともなものに思える。しかしながら、学術的な世界の外に目をやると、このアイデアを受け入れている人はごくわずかというのが実状のようだ。例えば、NAFTA(北米自由貿易協定)の是非を巡る議論では雇用への影響が焦点になったが、アメリカとメキシコ間の貿易収支がどうなろうとも、今後10年間のアメリカの失業率はFRBが望む水準に概ね落ち着くだろうと私は当然のように考えていたが、世間はそう考えていなかったのだ(こんなことがあった。1993年に開催されたとあるパネルディスカッションの席上でまったく同じことを口にしたら、それを聞いていたパネリストの一人――NAFTAの支持者だったみたいだ――が激昂して、「そんなことを言うから経済学者は嫌われるのだ!」と宣ったのだ)。

その代わり、世間――悲しいかな、自分のことを物知りだと任じている知識人の多くもその中に含まれる――の「常識」になっていたのは、劇画化されたケインズ主義の一種だった。その特徴は、「消費の減少(貯蓄の増加)は、いついかなる時も悪である」というアイデアを無批判に受け入れているところにある。アメリカではインフレや財政赤字の問題がここしばらくは後景に退いているが、その機に乗じるかのようにして、俗流ケインズ主義が劇的なかたちでカムバックを果たしたのだ。先月のコラムで取り上げたばかりのウィリアム・グレイダー(William Greider)の新著でも、「貯蓄のパラドックス」とか「寡婦の壺」理論とかが主要なテーマになっているし――とは言っても、グレイダーがそのアイデアの出所をわかっているかとなると疑わしい。「知的な面で誰からも影響を受けていないと信じ切っている実践的な人間も、今は亡き経済学者の奴隷であるのが普通である」とはケインズの言だ――、 ジョン・ジュディス(John B. Judis)がニュー・リパブリック誌で似たような主張を開陳している姿も目に入る。これくらいなら驚くほどじゃないかもしれないが、「貯蓄の増加は、経済成長を阻害する」というアイデアがビジネスウィーク誌でも真剣に扱われているとなると(“Looking for Growth in All the Wrong Places,” February 3, 1997)、俗流ケインズ主義が一つの文化現象になりつつあると考えざるを得ないだろう。

「貯蓄の増加は、経済成長を阻害する」という主張――「貯蓄は、経済が成長するために決定的に重要な要因だと語る人がいるが、そこまでじゃない」という主張はある程度理にかなっているが、「貯蓄の増加は、経済成長を阻害する」という主張とは別物だ――を正当化するためには、FRBは無力だということを説得的に示さなければならない。何らかの理由で(事前的な)貯蓄が増加したら、FRBが金利を引き下げても総投資は増えないということを論証せねばならないのだ。

金利は、総投資に影響を及ぼす数ある要因のうちの一つに過ぎないと語るだけでは十分じゃない。そのような反論は、アクセルペダルを踏み込む力の強さは、車のスピードに影響を及ぼす数ある要因の一つに過ぎないと語っているようなものだ。「それで?」としか思わない。アクセルペダルをどれだけ強く踏み込むかは、自分で自由に調節できる。何か異常がない限りは、ペダルを踏み込む強さを調節して、車のスピードを「これくらいなら安全に運転できるだろう」と自分なりに考える速度に制御できる。それと同様に、グリーンスパンは、お望み通りに金利を自由に調節できる(FRBが望みさえすれば、一日のうちにマネーサプライの規模を倍増させることだってできる)。何か異常がない限りは、金利を調節して、雇用量を「これくらいならインフレも加速しないだろう」と考える水準に持っていくことができるのだ。

「貯蓄の増加は、経済成長を阻害する」という主張を正当化するためには、次のどちらかが成り立つことを示さねばならない。金利が総需要に対して何の影響も持たないことを示すか――本気でそう信じているなら、全米ホームビルダー協会(NAHB)に伝えてみるといい――、貯蓄率があまりに高すぎて、FRBが金利をゼロ%近くにまで引き下げても総貯蓄と総投資のギャップを埋められないことを示さねばならないのだ。1930年代のアメリカだったり――当時のTビル(財務省短期証券)の利回りは0.1%を下回っていた――、現在の日本だったり――現在の日本では、金利は1%程度――のように、後者のケースが妥当する例もなくはない――とはいえ、日本銀行は日本経済を停滞から救い出せるだけの力を依然として持っていると思うし、日銀の消極的な態度はかなりの不正行為(malfeasance)にあたると思う。しかし、この件については、別の機会に取り上げるとしよう――。しかしながら、住宅ローンを借りている銀行から自宅に通知書が毎月送られてくるのだが、それを見ると金利はプラスで、下がる余地はまだかなりあるようだ。ありがたや。

ともあれ、そこまでこだわる必要もないかもしれない。というのも、「貯蓄の増加は、経済成長を阻害する」と語っている人たちは、FRBが無力だとは思っていないようだからだ。それどころか、これまでの長きにわたってアメリカ経済のパフォーマンスが低調だったのは、全部FRBのせいだと語っていたりするのだ。グリーンスパンが腰を上げさえすれば、今の苦境から抜け出すことができるのにと語っていたりするのだ。

2月3日付のビジネスウィーク誌から引用するとしよう。

「貯蓄が増えると、景気が減速する可能性が高い」と語る「つむじ曲がり」の経済学者もいる。貯蓄が増えると、投資が活発になるのではなくむしろ落ち込むというのがその理由だ。「投資を刺激する必要があります」と語るのは、テキサス大学のジェームス・ガルブレイス(James K. Galbraith)。ケインジアンを自任する経済学者だ。ガルブレイスによると、経済成長を促すには金利を引き下げるべきだという。

つまりは、こう主張していることになる。貯蓄が増えると、景気が悪化する。FRBが金利を引き下げても、総投資が増えないからだ。その代わり、FRBは、金利を引き下げて経済成長を促すべきだ。金利を引き下げれば、総投資が増えて経済成長が促されるだろうから。

・・・何か見過ごしてる?

2025年5月8日木曜日

Gauti Eggertsson 「コモディティー価格と『1937年の過ち』 ~現代の経済学者は同じ過ちを繰り返すか?~」(2011年6月1日)

Gauti Eggertsson, “Commodity Prices and the Mistake of 1937: Would Modern Economists Make the Same Mistake?Liberty Street Economics, FRB of New York, June 1, 2011)


(2011年6月時点の)アメリカ経済が置かれている現状は、政策上の重大なミスが犯されようとしていた1937年の状況と驚くほど似ている。例えば、以下の記述をご覧いただきたい。(1)不況がついに終わりそうな兆しが見え出していて、(2)何年にもわたってほぼゼロ%の水準にとどまっていた名目短期金利が上昇する(引き上げられる)のではないかとの観測が流れ、(3)インフレの過熱を心配する声がちらほらと聞こえてくる。(4)マネタリーベースが急増していて銀行部門に大量の超過準備(必要準備を上回る準備預金残高)が累積している事実がその心配の大きな理由になっていて、(5)コモディティー価格が近頃上昇していることも火に油を注ぐ格好になって、インフレが過熱して手に負えなくなってしまうのではないかと心配されている。

現状の要約としても通用するだろうが、実は1937年当時の状況を要約したものなのだ。私がベンジャミン・パグスレー(Benjamin Pugsley)と二人で執筆した論文――“The Mistake of 1937: A General Equilibrium Analysis”(pdf)――で要約した1937年当時の状況の説明を引っ張ってきたのだ。この論文で「1937年の過ち」(“the Mistake of 1937”)と呼んでいるのが、大まかに言うと、Fedと政府による一連の引き締め政策のことであり、そのせいで1933年から1937年にわたって続いた景気回復が頓挫させられて、1937年~1938年にそれまでの歴史で最も深刻な不況の一つに陥ることになったのだ。インフレに対する恐れが「1937年の過ち」の引き金になったのだが、コモディティー価格の上昇がインフレに対する恐れを引き起こした主たる原因だったという点は注目すべきである。コモディティー価格の急騰がインフレに対する恐れを掻き立てている今の状況と瓜二つなのだ。コモディティー価格の急騰を目にしてFF金利(政策短期金利)を引き上げよと求める声がちらほら上がっている今の状況と瓜二つなのだ。

ここで一つの問いを投げ掛けてみるとしよう。現代の経済学者が1937年に送り込まれて政策運営にあたったとしたら、同じように「1937年の過ち」を繰り返してしまうだろうか? 「繰り返さない」というのが私の答えである――そうなってほしいという願望が込められているのは否定できないが――。その理由は、現代の大半の経済学者は、消費者物価指数の一時的な変動と恒久的な変動を区別するようになっているからである。現代の大半の経済学者であれば、1936年~1937年に起きた物価の上昇は、コモディティー価格の変動による一時的なものであって、物価の基調が変化したことを反映したものではないと判断する可能性が高いのだ。


「1937年の過ち」とその結果

「1937年の過ち」は、景気回復の基盤が未だ脆弱な中で予防的な引き締めが試みられた結果として引き起こされた。もっと具体的に言うと、1933年に導入された「リフレーション」(“reflation”)政策が放棄された結果として起きたのだ。1929年~1933年の不況に伴って物価が下落したが、フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、 FDR)大統領率いる政権とFedは、不況が始まる以前の水準にまで物価を引き上げることにコミットした――1933年~1937年の景気回復をもたらした政策についての詳細は、American Economic Review 誌に掲載された拙論文 “Great Expectations and the End of the Depression”(pdf)を参照していただきたいと思う――。具体的には、「政府支出の積極的な拡大(財政赤字の放置)」/「金本位制の停止」/「金融緩和」が組み合わされて、リフレーションが目指されたのである。現代のマクロ経済モデルが説くところによると、リフレーションを実現するためのそのような政策の組み合わせは、名目短期金利がゼロ%の下限に達した状況――当時がまさにそうだった――で景気を大いに刺激する効果を持つ可能性がある。その理由は、名目金利がゼロ%で物価の下落ではなく物価の上昇が予想されるようになれば、総支出(総需要)の重要な決定因である「実質金利」がプラスの水準からマイナスの水準に低下することになるからである。実質金利がマイナスになれば、貨幣を退蔵するよりも支出した方が得になるからである。それに加えて、実質金利がマイナスになれば、過剰な債務を抱えている家計や企業のバランスシートが改善される可能性もある。この点については、ポール・クルーグマン(Paul Krugman)との共著論文である “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap”(pdf)で詳しく論じている。

「1937年の過ち」により、リフレーションの恩恵が放棄されて、あらゆる政策の方向性が反転させられることになった。Fedだったり政府の主要人物だったりが金利の引き上げをほのめかすだけでなく、財政緊縮を支持するようになった。お上の関心が、景気回復の継続よりもインフレーションの抑制に向くようになったのである。

リフレーション政策が反転された結果として物価や産出量にどんな効果が及んだかを表しているのが、以下の図である。1927年~1941年における消費者物価指数(CPI)と卸売物価指数(WPI)の推移を跡付けたのが1番目の図で、同じ期間(1921年~1941年)における鉱工業生産の推移を跡付けたのが2番目の図である。どちらの図にも3本の垂直線が引かれているが、一番左の垂直線は、ルーズベルトが大統領に就任してリフレーション政策の採用が宣言された時点を表している。左から2番目の垂直線は、「1937年の過ち」が犯された期間を表している。1番目の図を見ると、政府がインフレを警戒し出した1937年の時点では、物価が目標とする水準――不況が始まる前の水準――にまでまだ戻っていないことがわかる。リフレーション政策が反転されると、物価も鉱工業生産も落ち込むことになった。 “reversal of 1938”(「1938年の反転」)と名付けられた一番右の垂直線は、不況が始まる前の水準にまで物価を引き上げることに政府が再度コミットした時点を表している。2番目の図にはっきりと表れているように、「1938年の反転」(再度のコミットメント)後に鉱工業生産が堅調に伸びている事実は重要である。






コモディティー価格の役割

1937年に政策が引き締められた原因は、「インフレに対する恐れ」(inflation fears)にあった。それでは一体何が「インフレに対する恐れ」を引き起こしたのかというと、コモディティー価格の上昇がその主たる原因だった。以下の図に示されているように、色々な一次産品の価格がわずか1年の間に倍以上も上がったのである。パグスレーとの共著論文でも指摘しているが、コモディティー価格が急騰しているのを見て、多くの政策当局者がインフレの過熱を心配する声を上げるようになったのである。


現代の経済学者が1937年に送り込まれて政策運営にあたったとしたら、コモディティー価格の上昇に対して当時の政策当局者たちと同じような反応を見せる可能性は小さいだろう。現代の経済学者は、一般物価を測る指数がどのように変化しているかを脇に置いてコモディティー価格だけに注視するようなことはないのだ。1936年~1937年にコモディティー価格が上昇したのは、物価の基調が変化したせいではなく、コモディティー市場に生じた一時的な供給ショックにその原因の多くを求めることができそうだ。そのことを裏付けているのが、1936年から「1937年の過ち」が犯されるまでの間に、例えばトウモロコシのようにその価格が倍以上も上がった一次産品があった一方で、消費者物価指数の上昇ペースはそれよりも緩やかだったという事実だ(消費者物価指数の上昇率がピークに達したのは1937年5月。年率換算で4.8%の上昇率を記録した)。消費者物価指数に含まれていた一部の商品の価格が大幅に変動したにしても、消費者物価指数自体はそこまで大きくは変化しなかったのだ。

Fedで働いている現代の経済学者たちは、一時的な供給ショックにそれほど影響されない物価指数の動きに注目する傾向にある。その例としては、「コアCPI」がある(以下の図を参照)。通常のCPI(ヘッドラインCPI)から価格が変動しやすい食料やエネルギーを除いたのが、コアCPIだ。2008年に入ると、アメリカの景気は急激に悪化して危機へと突き進んでいった。先行きがどうなりそうかはっきりしてくるにつれて、経済学者たちはインフレではなくデフレに陥るのではないかと懸念するようになった。そのような懸念を受けて、政策金利が積極的に引き下げられた。最終的にゼロ%にまで引き下げられたのである。


しかしながら、上の図のヘッドラインCPIの動きからも読み取れるように、2008年の初期に石油価格が上昇すると、それにつられてコモディティー価格も一時的に上昇した。すると、インフレの過熱を警戒する声がちらほら上がるようになった。しかしながら、Fedで働いているか否かを問わず多くの経済学者たちは、ヘッドラインCPIで測ったインフレ率が上昇しているのは、個別の商品に特有の事情によるものであり、物価全般に上昇圧力がかかっているわけではないと判断した。2008年7月にヘッドラインCPIで測ったインフレ率が年率換算で5.5%の高さに達したにもかかわらず、Fedは、コモディティー価格の一時的な上昇をほとんど無視するようにして、コアCPIをはじめとしたその他の物価指数の動きに注目した。その判断は正しかったことが判明した。コモディティー価格は大幅に上昇していたが、一般物価水準は下落傾向にあったのである。

つまりは、現代の経済学者が1937年に送り込まれて政策運営にあたったとしたら、「1937年の過ち」を繰り返してしまう可能性は小さいのだ。あれほどの規模で予防的な引き締めに乗り出してしまう可能性は小さいのだ。現代の経済学者は、過去数十年にわたる一般均衡モデルの研究の蓄積もあって――この点については、例えば Eusepi&Hobjin&Tambalotti を参照されたい――、物価が変動しているのは一時的な撹乱要因によるのか(1937年のコモディティー価格の上昇がまさにそれ)、それとも物価の基調が変化したことを反映しているのかを区別する目がいくらか肥えているのだ。

Henry Farrell 「『経済政策に関するマーフィーの法則』は正しいか? ~経済学者が経済政策に及ぼす影響力が最大になるのはどんな時?~」(2011年3月17日)

Henry Farrell, “A simple model of disagreement among economistsCrooked Timber, March 17, 2011)


ライアン・アベント(Ryan Avent)マシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)によると、経済学者たちは言い争ってばかりいて意見が全く一致しないと思われているが、それは誤解だという。この件で私が真っ先に思い起こすのは、アラン・ブラインダー(Alan Blinder)が言うところの「経済政策に関するマーフィーの法則」である。ブラインダーは、『Hard Heads, Soft Hearts』(邦訳『ハードヘッド&ソフトハート』)の中で次のように述べている。

「経済学者たちが経済政策に及ぼす影響力が最小になるのは、研究が蓄積されていてお互いの意見が一致している時。経済学者たちが経済政策に及ぼす影響力が最大になるのは、研究が手薄で意見のバラツキが最も大きい時」。

わざわざ持ち出してきてなんだが、「経済政策に関するマーフィーの法則」は正しいのだろうか? はじめて目にした時からずっと疑わしく思っていたのだ。「経済政策に関するマーフィーの法則」が説いているのが、経済学者の間で「意見のバラツキが大きい」話題についてほど、公の討論の場での経済学者の「存在感が大きい」という相関関係なのだとしたら、異論はない。現実にそうなっているからだ。しかしながら、「存在感が大きい」というのは、「(経済政策に及ぼす)影響力が大きい」というのと同じじゃない。それに加えて、「存在感が大きい」からこそ「意見のバラツキが大きくなる」という可能性(逆の因果関係)も捨てきれない。以下にモデル(モデルといってもごくカジュアルな意味でそう呼ぶに過ぎない)の素描を試みるが、経済学者の間で意見のバラツキが大きい時に経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力はそこまで大きくないように思えるのだ。

(I) 政党だとか利益集団だとかがわかりやすい例だが、経済政策に対する好みがはっきりしているアクター(行為主体)が政治の世界には多数存在する。例えば、Aという政党は、自党の党員なり支持者なりが得するような規制を導入しようとするだろう。その規制を導入したら経済成長率が低下してしまうかもしれないとしてもだ。その一方で、その規制の導入に断固として反対する抵抗勢力が存在するものだ。例えば、Bという政党がA党に反対するだけでなく、自党の党員なり支持者なりが得するような別の規制の導入を求めるかもしれない。そうなれば、激しい政策論争が巻き起こるだろう。

(II) 経済政策に対してはっきりとした好みを持っていなくて、専門家によって説得される可能性を秘めているアクターも存在している。専門家が支持する政策に味方する可能性があるアクターだ。専門家の話に耳を傾けてくれるようならという条件は付くが、一般の有権者(the public)もその一例だ。

(III) 専門家である経済学者が手にしているツールから導き出せるのは、一般的な結論でしかない。ちょっとした裏の手(誰もがよく知る部分均衡モデルだとか、フォーク定理だとか)を使えば、どんな政策だって支持することができる――この点については、マクロスキー(Donald McCloskey)の “The Rhetoric of Economics”(pdf)を参照されたい――。ちょっとした裏の手を使えば、A党が導入しようとしている規制も支持できるし、B党が導入しようとしている規制も支持できるのだ。政治信条に忠実たろうとしてなのか、お金に釣られてなのか、どちらの理由も一緒になってなのか、A党ないしはB党が導入しようとしている規制に理論的なお墨付きを与えようとする経済学者も出てくるだろう。

(IV) A党ないしはB党は、あの手この手を使って御用学者を拵(こしら)えることができる。味方になってくれそうな経済学者を快適な場所に招いて学術的なセミナーを開いたり、金銭的な便宜を図ったりして、自らの陣営が導入しようと図っている規制にお墨付きを与えてもらうのだ。御用学者がお墨付きを与えてくれたら、経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターの一部も味方になってくる可能性がある。

断っておくが、以上のような大雑把なスケッチをそっくりそのまま受け入れるつもりはない。経済学のツールというのは、(III) で述べたよりも首尾一貫していて、どんな政策でも同じくらい苦も無く支持できるわけじゃないだろう。かなり無理をして議論を呼ばずには理論的に支持できないような政策もあるだろう。それに、学問の世界におけるアイデアというのは、何らかの政治的なイデオロギーを正当化するためだけの存在に過ぎないわけでもない。とは言え、このモデルを使えば、現実についての興味深い予測を無理なく導き出すことができるのだ。例えば、以下のような。

(1) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそらないようなら、経済学者たちは放っておかれるだろう。政治と無縁でいられるだろう。経済学者たちの間で取り沙汰される命題の中には、A党だったりB党だったりが興味をそそられない命題というのがたくさんある。A党なりB党なりが興味をそそられない理由は、自分たち(自党の党員や支持者)にとって毒にも薬にもならないからという場合もあれば、受け入れがたい(repugnant)からという場合もあるだろう。このようなケースでは、意見の対立を煽るような外部からの圧力が存在していないので、経済学者たちの間で「幸せな和合」が成り立つ可能性がある――ただし、経済学者に特有の「何かと衝突しがちな性向」が許す限りで――。

(2) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそると同時に、その話題について経済学者たちの間でコンセンサス(意見の一致)が得られているようなら、経済学者の影響力は最大になるだろう。そのコンセンサスがA党の利害に反するようなら、A党は耳を貸そうとしないだろうが、そのコンセンサスがB党にとって都合がいいようなら、B党が近寄ってきて自党が掲げる政策にお墨付きをもらおうとするだろう。経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターの中からも、経済学者に説得されて同調する勢力が出てくるだろう。しかしながら、経済学者たちにとっては幸せなこの状況も不安定に違いない。なぜなら、不利な立場に置かれているA党が黙っていないだろうからである。寝返ってくれそうな経済学者を見つけ出して、コンセンサスを突き崩そうとするだろうからである。その経済学者に支援の手を差し伸べて、コンセンサスに反論させる機会を設ける――例えば、A党が費用を負担してその経済学者を1週間にわたる無駄仕事(boondoggles)に連れ出して、あちこちでコンセンサスに反論させる――だろうからである。経済学者たちの影響力が無視できないようであれば、A党は黙っていずに、経済学者たちが言い争うようにあの手この手を使うだろう。そのようにして、自分たちの「味方」をしてくれる経済学者を発掘するのだ。そういうわけで、遅かれ早かれ以下の(3)へと移行することになるだろう。

(3) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそると同時に、その話題について経済学者たちの間で意見が割れているようなら、経済学者の影響力はそこまで大きくないだろう。A党もB党も自分たちの味方をしてくれる御用学者をそれぞれ抱えていて、自党が掲げる政策にモデルや実証研究でお墨付きを与えてもらえる。例外的なケースを除けば、この状況――「ジョン・ロット」(“John Lott”)均衡とでも呼べるかもしれない――は、(2)の状況とは違って、極めて安定しているだろう。

現実についてどんな予測が導かれるだろうか? 経済学者の間で「意見のバラツキが大きい」話題についてほど、公の討論の場での経済学者の「存在感が大きい」という相関関係が成り立つことを示唆しているというのがまず一つ目。経済学者たちの間でコンセンサスが得られていても、政治の世界のアクターたちにとってはどうでもいい(興味をそそられない)ような命題――「野菜を食べなさい」(“Eat your greens”)とかいう類の命題――は、政治の世界のアクターたちからことごとく無視されるという予測が二つ目。これら二つの予測は、読み替えられた「経済政策に関するマーフィーの法則」とも合致している。しかしながら、三つ目と四つ目の予測は、オリジナルの「経済政策に関するマーフィーの法則」と食い違う。経済学者たちの間で意見が割れているようなら、経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力はそこまで大きくないと予測されるのだ。政治の世界で対立している陣営(例えば、A党とB党)のどちら側も御用学者を抱えている可能性があって、経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターへの影響が相殺されるのだ。最後に四つ目の予測になるが、経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力が最大になるのは、政治の世界で政策論争の対象になっている話題について経済学者たちの間で意見が一致している(コンセンサスが得られている)時――非常に稀で不安定なケース――と予測されるのだ。

Tim Schilling 「制度と起業家精神 ~ジュジュ(精霊)に立ち向かう起業家~」(2010年11月19日)

Tim Schilling, “Institutions and Entrepreneurship”(MV=PQ: A Resource for Economic Educators, November 19, 2010)


このブログの定期的な読者であればご存知のように、私が興味を抱いている対象の一つが「経済制度」である。制度とは何かというと、「ゲームのルール」と定義されるのが通常である。もっと具体的に踏み込むと、インセンティブを形作ることによって一人ひとりの意思決定に影響を及ぼす一連のルールならびに組織――フォーマルなものであれ、インフォーマルなものであれ――の総体が制度だ。成文法も含まれるし、自発的に従われる行為規範も含まれる。文化的な信念(cultural beliefs)も含まれる。今回のエントリーの主題というのが、最後に触れた「文化的な信念」である。

本日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙で、ナイジェリアのバイクタクシーについて取り上げられている。具体的には、ナイジェリアのバイクタクシーがいかに危険であるかがテーマだ。バイクタクシー絡みの事故があまりにも多いので、バイクタクシーの事故で負傷した患者専用の病棟を用意している病院もあるくらいだという。

バイクタクシーの乗客にヘルメットを被ってもらおうとあれこれと手が打たれたが、うまくいかなかったという。その主たる理由は、迷信(文化的な信念)にある。ナイジェリアでは、ヘルメットが頭に直に触れると、邪悪なジュジュ(精霊)の呪いにかかってしまって、災難に巻き込まれるおそれがあると広く信じ込まれているのである。この世から突如として消え去ったり、脳を失ったり、運を吸い取られてしまうおそれがあると広く信じ込まれているのだ。ナイジェリアの人々がヘルメットを被らないという選択――しばしば悲劇的な結末を伴う選択――をしているのは、ヘルメットを被るコストが迷信のせいで高く感じられて、ヘルメットを被るおかげで得られると予想される便益を上回るからだ。すなわち、ナイジェリアの人々は、便益とコストを比較した上で、「論理的」な選択をしているのだ。

ここで登場するのが、一人の起業家である。ヘルメットと頭の間に挟むことができる布帽子を開発したのである。布帽子を被れば、頭がヘルメットに直に触れずに済むので、ジュジュ(精霊)の呪いに対する恐れが和らげられる――皆が皆というわけにはいかないだろうが――。衛生面の問題をはじめとして色々と課題はあるものの、重要なポイントは次の点にある。この起業家が新たなマーケットを発見して開拓するのに成功したのは、この地に特有の制度的要因を理解していたからこそなのだ。安価な競合品――例えば、ハンカチ――が数多く存在していることを考えると、彼がこれからどれくらい成功を収められそうかはわからない。ライバルが続々と参入してくる可能性もある。ともあれ、この事例は、制度と起業家精神との関わりをめぐる興味深いケースであることは間違いない。

Chris Dillow 「二つの正義」(2011年5月3日)

Chris Dillow, “Two justices”(Stumbling and Mumbling, May 03, 2011)


オサマ・ビン・ラディンが殺害されたが、「正義が成し遂げられた」(“justice has been done”)――こちらこちらを参照されたい――と言ってしまっていいのだろうか? この問題について掘り下げて考えると、ちょっとしたパラドックスが持ち上がってくる。

 大まかではあるが、「正義」についての立場は、「プロセスとしての正義」と「結果としての正義」の二つのタイプに分類することができる。「プロセスとしての正義」という観点からすると、正義は成し遂げられなかったことになろう。なぜなら、ビン・ラディンは、公正な(just)裁判を経た末に命を奪われたわけではないからである(原注1)。しかしながら、「結果としての正義」という観点からすると、正義は成し遂げられたと言えるかもしれない。犯した罪の重さゆえに死に値する人物がいるとするなら、ビン・ラディンこそまさしくその筆頭だからである(原注2)。

ここからが本題である。経済問題が争点になる時には、左派(リベラル派)は「結果としての正義」を重視しがちな一方で、右派(保守派)は「プロセスとしての正義」を重視しがちだ。左派の多く――全員とは言わない――は、経済面での格差がどのようなプロセスを経て生じたかにかかわらず、格差の大きさを問題にする傾向にある。これは、結果に照らして正義を判断する立場だ。その一方で、右派の多くは、プロセスに照らして正義を判断する傾向にある。ロバート・ノージックの有名な格言――「公正な手続きを経て生起した結果は、どれもこれも公正である」(“whatever arises by just means is itself just.”)――に要約されているように。ハイエクも以下のように述べている。

「市場メカニズムを通じて一人ひとりに割り振られる便益(benefits)と負担(burdens)が誰かに操作されているのだとしたら、大いに不公正と見做されねばならないだろう。しかしながら、実際のところはそうはなっていない。市場メカニズムを通じて一人ひとりに割り振られる便益と負担は、そうなるように誰かが意図したわけではない。最終的な着地点が誰にも予見できないプロセスの結果なのである」(Law, Legislation and Liberty vol II, p. 64)

経済問題に関しては、右派は「プロセスとしての正義」の立場に立つ一方で、左派は「結果としての正義」の立場に立つ。そのことを踏まえると、以下のような予想が成り立ちそうだ。ビン・ラディンの殺害について、右派は危惧の念を抱いていて、左派はあっけらかんとしている。ビン・ラディンは、適正な手続き(due process)を経ることなく殺害されたが、殺害という結果は「結果としての正義」に適っているからである。

しかしながら、どうもそうはなっていないようだ。ビン・ラディンの殺害について、右派の一部――全員ではない――は喜んでいて、左派の一部――全員ではない――は気が咎(とが)めているようなのだ。

予想と違った反応になっているのは、なぜなのだろうか? 経済問題を論じる時と犯罪絡みの問題を論じる時とでは、同じ「正義」という言葉を使っていても異なる意味が込められている、というのが考え得る理由の一つである(それはなぜなのか、という別の疑問が生じてくることになる)。別の可能性としては、正義についての我々の直観が混乱しているに過ぎないのかもしれない。あるいは、ビン・ラディンの殺害に関しては、正義はそもそも争点になっていないのかもしれない。


(原注1)ビン・ラディンは暗殺されたのか、それとも通常の軍事行動の最中に殺害されたのかという問題――この違いは重要だと考える人もいるだろう――は、とりあえず脇に置いておこう。
(原注2) 罪の重さゆえに死に値すると考えながらも、プロセスが不公正ゆえに死刑(あるいは、殺害)に反対するのも首尾一貫した立場として成り立ち得る。

Hans-Joachim Voth&Nico Voigtländer 「ナチス流の利益誘導 ~ナチスによるアウトバーンの建設は政権への支持を高めたか?~」(2014年5月22日)

Hans-Joachim Voth&Nico Voigtländer, “Nazi pork and popularity: How Hitler’s roads won German hearts and minds”(VOX, May 22, 2014)

 
ヒトラー率いるナチス政権は、国の全土に及ぶ高速道路網――アウトバーン――を世界で初めて整備した。本稿では、ナチスによる高速道路の建設が政権への支持にいかなる効果を持ったかを検証する。1933年から1934年までの間に行われた選挙なり国民投票なりで投票結果にどんな変化が起きたかに着目して分析を加えたところ、「利益誘導」を意図した財政支出が政権への不支持率を低下させる効果を持ったことが見出された。高速道路が横切らなかった郡(選挙区)と比べると、新たに高速道路が横切ることになった郡(選挙区)では、選挙なり国民投票なりで政権への反対票の減り方がより大きかったのである。少なくとも1934年以降に関しては、アウトバーンが政権の人気をいくらか支える役目を果たしたと言えそうである。


「少なくとも、彼(ヒトラー)はアウトバーン(高速道路)を建設した」。ナチスが国内であんなにも支持された理由として両親や祖父母の口から繰り返し語られるがゆえに、多くのドイツ人の記憶に刻み込まれている文句である。ナチス政権が積極果敢な対外侵攻からジェノサイドに至るまでの一連の政策を推し進めるためには、国民からの圧倒的な支持が欠かせなかった。高速道路網の整備は、ナチス政権の疑いもなく光の面に属する成果として民衆の記憶の中に保存され、1933年以降にナチス政権が熱狂的に支持されるようになったのはなぜなのかを難なく説明してくれる絶好の答えとしてしきりに持ち出される格好になっている。

インフラを整備するための公共投資は、人心(国民のココロとアタマ)を掴む(つかむ)ことが果たしてできるのだろうか? 「ナチスがあんなにも支持されたのは、高速道路網を整備したから」という上の世代がひょいと口にする説明は、単なる言い訳に過ぎないのだろうか? それとも、ナチスに支持が集まった重要な理由を的確に捉えているのだろうか? 公共投資をはじめとした財政支出の効果について実証的な検証を試みているこれまでの先行研究に照らすと、インフラを整備するための公共投資は時の政権(与党、現職)への支持を高めるとは言い切れないようである。その理由の一部は、時の政権(与党、現職)にとって必要度の高い地域に狙いを定めて国の予算が投じられがちだからである。すなわち、公共投資をはじめとして国の予算が投じられる先として、厳しい選挙戦が予想される(選挙で敗れるおそれのある)地域(選挙区)が選ばれがちなのである。Levitt&Snyder (1997) や Manacorda et al. (2011) のように、利益誘導を意図した財政支出が時の政権(与党、現職)への支持を高める効果を持ったことを見出している研究もいくつかある。アメリカ軍によって占領されていた最中のイラクを対象に分析を加えている Berman et al.(2011) によると、インフラを整備するために巨額の予算(復興予算)が投じられた地域では反乱が減ったという結果が得られている。しかしながら、経済学なり政治学なりの方面の学術的な研究では、利益誘導を意図した財政支出の効果について懐疑的な見方――利益誘導を意図した財政支出は、狙い通りの効果を上げているとは言えない(時の政権への支持を高めるのに役立っているとは言えない)という見方――が大勢(たいせい)を占めている(例えば、Stein&Bickers 1994, Feldman&Jondrow 1984)。

ナチス・ドイツにおける高速道路網の整備がどんな効果を持ったかを検証するのは、無駄じゃないだろう。独裁という政治体制下において利益誘導を意図した財政支出が狙い通りに時の政権への支持を高めるのに役立ったかどうかについては、これまでに系統的に検証された試し(ためし)がないからである(Voigtländer&Voth 2014)。それに加えて、ナチスに支持が集まった理由についてよくわかっていないところもあるからである。ヒトラー率いるナチスが既に政権を握っていた1933年3月に行われた総選挙(国会選挙)でも、ナチス(国家社会主義党)の得票率は「わずか」44%でしかなかった。しかしながら、数年もしないうちに、政権への支持率が著しく(いちじるしく)高まったことが反体制派の調査によっても親衛隊保安部(SD)の調査によっても指し示されている(Evans 2006)。ナチス政権への支持が瞬く間に高まったのは、いかにしてだったのだろうか?


アウトバーンの建設

高速道路の建設は、ナチス政権にとって最優先事項だった。ナチスが政権を握って数週間後に、自動車の購入を後押しするために補助金が導入され、国内の自動車産業のこれからについて野心的な構想が打ち出された。それから6か月後には、ドイツ全土に及ぶ高速道路網の建設を取り仕切る会社が設立された。そして、ナチスが政権を握ってから9か月後には、高速道路網の最初の区間の建設が開始された(Vahrenkamp 2010)。

よく耳にする話とは違って、ナチスによるアウトバーン計画にとって軍事的な意図は大して重要な役割を果たさなかった。アウトバーン計画は、1920年代に民間のシンクタンクと組織によって綿密に練り上げられていた構想――自動車道路研究会(STUFA)およびハンザ同盟=フランクフルト=バーゼル自動車道準備連合会(HaFraBa)による構想――を部分的に引き継いだものだった。ほぼほぼその構想に沿って建設が進められたが、構想とは違ったかたちで建設された区間も一部あった。

一区間ずつ完成させて都市圏を順々に繋いでいく(つないでいく)代わりに、同時に17区間の建設が開始された。全部で901ある郡のうち131郡を横切るかたちで、同時進行で建設が進められたわけである。そのせいもあって、最初の区間が開通するまでにはいくらか時間を要した。しかしながら、国内のあちこちでその進捗(しんちょく)を目にすることができた。計画段階でも建設段階でも、ナチスはアウトバーンを偉大な成果として喧伝するプロパガンダを流した 。ヒトラーは、首相に就任してから9カ月経つか経たないかという1933年9月に、最初の区間の着工を祝って鍬入れ式(くわいれしき)を行った。ヒトラーが鍬入れしている姿を収めた写真は、同年11月の総選挙で選挙ポスターとして転用された。 新しい区間が開通するたびに、大きな騒ぎになった。道路脇に大勢が列をなして集まって、党の指導者たちが得意げに運転する車が通過するのを見学したのである。1935年までに最初の区間が開通し、1938年までに距離にして3500キロメートル分が完成した(Vahrenkamp 2010)。

アウトバーン計画の1934年時点での進捗状況をまとめたのが以下の図1である。全土に高速道路網を張り巡らせてあちこちの人口密集地を残らずつなぎ、国内にあるすべての郡の半分近くをいずれかの区間が横切るようにするというのが当初の予定だった(点線)。しかしながら、1934年までに着工に踏み切られたのは、当初予定されていた区間のうちのわずか15%に過ぎなかった(黒色の実線)――二重線は、建設が承認されたものの、まだ着工されずにいた区間――。


図1. 1934年時点におけるアウトバーン計画の進捗状況


ナチス政権がどれだけ支持されていたかをどうやって測る?

高速道路が建設中だった郡(選挙区)でヒトラー率いるナチス政権への支持がいくらか高まったか? それが探るべき問いである。しかしながら、自由で公正な選挙が最早行われなくなってしまっていたというのに、その答えをどうやって知ったらいいのだろう? ナチスが政権を握って以降も、選挙はちょくちょく行われた。国民からどれだけ愛されているか(支持されているか)を見せつけるためにである。しかしながら、その選挙というのは、自由でもなければ公正でもなかった。投票ブースの前には突撃隊のメンバーが立っていて、有権者は監視されながら票を投じるように迫られた。誰にも見られずに票を投じるのも可能といえば可能だったが、冷ややかな目を差し向けられた。無効票が(政権への)賛成票としてカウントされるのもしばしばだった。高齢で体が弱い有権者も投票所まで連れて行かれた。いくつかの郡では、有権者に手渡す前に投票用紙に印(しるし)をつけておいて、誰がどんな票を投じたかが辿れるようになっていた。ナチス(国家社会主義党)の得票率は概して極めて高かったが、1933年11月の総選挙をはじめとしてその後の選挙での得票率通りに国民の9割以上が漏れ無く(もれなく)ナチス政権を本気で支持していたなんて語るのは馬鹿げているだろう。有権者のうちでどのくらいの割合がナチス政権を本気で支持していたかを(ナチスが政権を握って以降に行われた選挙での)ナチスの得票率から突き止めることなんてできないのだ。

そこで、ナチスがどれだけ支持されていたかではなく、どれだけ支持されていなかったかに目を向けてみるとしよう。具体的には、それぞれの郡ごとに政権への不支持率が時とともにどう変わったかに分析を加えてみるとしよう。いずれかの郡で政権への不支持率が国全体の趨勢を凌駕する勢いで減ったとしたら、その郡で政権への支持に変化が起きた証拠と見なすことができるだろう。このような角度から分析を加える理由は、選挙区ごとに重要な違いが見られるからである。例えば、ヒトラーが国家元首として権力を大幅に強めることにつながった1934年8月の国民投票では、アーヘン市の有権者の24%が(ヒトラーが首相に加えて大統領職も兼ねることに) 反対票を投じている。その一方で、ニュルンベルク市で反対票を投じた有権者の割合は4.6%に過ぎなかったのだ。

きちんと似たもの同士を比較する必要があるので、前後二回の投票――1933年11月の総選挙および1934年8月の国民投票――で政権への不支持率がどう変わったかを調べてみるとしよう。1933年11月に行われた総選挙では、国会での議席が争われた。出馬したのは、ナチス(国家社会主義党)に属する候補者のみだった。ヒンデンブルグ大統領の死去に伴って行われたのが、1934年8月の国民投票である。ヒトラーが首相と大統領を兼ねることに同意するかどうかが問われたのである。


高速道路の建設はいかなる効果を持ったか?

いずれかの区間(高速道路)が建設中だった郡と、新たに高速道路が建設されずにいた郡とでどういう違いが見られたか? 国全体をひっくるめた趨勢としても1933年11月から1934年8月までの間に政権への不支持率は低下したが、いずれかの区間が建設中だった郡ではその下げ幅がより大きかった。政権への不支持率の増減の分布をまとめたのが以下の図2である。いずれかの区間が建設中だった郡での結果(政権への不支持率の増減)の分布をまとめたのが点線、高速道路が建設されずにいた郡での結果の分布をまとめたのが実線である。一見してすぐわかるように、いずれかの区間が建設中だった郡の方が政権への不支持率の下落幅が大きい傾向にある。点線で描かれた曲線(分布曲線)の方が左側に位置しているのだ。


図2. 政権への不支持率の増減幅(1933年11月~1934年8月)


統計的な解析を試みたところ、1933年11月から1934年8月までの間に、政権への不支持率がかなりの勢いで下落していることが見出された。高速道路が建設されずにいた郡を平均すると、政権への不支持率の下落幅は1.5ポイント(1.5パーセントポイント)。それに対して、いずれかの区間が建設中だった郡を平均すると、政権への不支持率の下落幅は2.4ポイント(2.4パーセントポイント)。高速道路が建設されずにいた郡と比べると、いずれかの区間が建設中だった郡では、平均して6割増しの勢いで政権への不支持率が下落したのだ。

問題は、高速道路の建設が「原因」(政権への不支持率を下落させた原因)だったと言えるのかということである。もしかしたら、どういうわけだか政権寄りになりつつあった(政権への支持を強めつつあった)郡にご褒美(ほうび)のつもりで高速道路を建ててやったってだけなんじゃなかろうか? 忠実な僕(しもべ)に見返りとしてご褒美でもやるつもりで。そのあたりがどうだったかを探る(より厳密に因果関係を推定する)ために、二通りの検証を試みた。

  • 第一に、いずれかの区間が建設中だった選挙区で政権への不支持率の下落幅がより大きかったのは、1933年11月時点での政権への不支持率が異様に高かったせいかどうかを検証してみたが、そうじゃなかったという結果が得られた。
  • 第二に、1933年よりも前に練り上げられていた構想――自動車道路研究会(STUFA)による高速道路網構想――との異同に着目した。1933年以降にナチスによって建設が進められた区間と、1920年代に練り上げられていた構想に盛り込まれていた区間とを突き合わせてみたら、ナチスがご褒美のつもりで高速道路を建ててやった(政権寄りになりつつあった郡にご褒美のつもりで高速道路を建ててやった)かどうかを実証的に検証できるかもしれない。1920年代に練り上げられていた構想通りに(1933年以降になって)建設された区間に関しては、ナチスがご褒美のつもりで建ててやったという可能性は薄そうだ。その一方で、1920年代に練り上げられていた構想には盛り込まれていなかったのに1933年以降になって建設された区間に関しては、ナチスがご褒美のつもりで建ててやった可能性もあり得そうだ。


高速道路の建設がそれぞれの郡(選挙区)に及ぼした効果(政権への不支持率をどれだけ下落させたか)をまとめたのが以下の図3である。すべての郡(901郡)を二つのグループに分けて、1933年以降にいずれかの区間(高速道路)が建設中だった郡と、高速道路が建設されずにいた郡とで(1933年11月から1934年8月までの間に)政権への不支持率がそれぞれどのくらい下落したかを表しているのが、一番左の対(つい)になっている棒グラフである。いずれかの区間が建設中だった選挙区の方が1ポイント(1パーセントポイント)近い差で(政権への不支持率の下落幅がその差の分だけ大きいという意味で)有権者の「変心」が多くなっている。1920年代に練り上げられていた構想で高速道路が横切る予定になっていた郡(400郡)を対象に、同様の分析を加えた結果をまとめた――1933年以降に構想通りに高速道路の建設が進められた郡と、構想通りにいかなかった(高速道路が建設されなかった)郡とで、政権への不支持率がそれぞれどのくらい下落したかを表した――のが真ん中の対になっている棒グラフだが、すべての郡(901郡)を対象に分析を加えたケースとほぼ同じような結果が得られている。すなわち、1920年代に練り上げられていた構想で「技術的な理由に照らしても経済的な理由に照らしても、高速道路を建てるならこのあたりがいい」と白羽の矢が立てられた郡(400郡)同士を比べても、高速道路の建設に伴う効果の大きさ――高速道路が建設中かどうかによって、政権への不支持率の下落幅に生まれる差――は、すべての郡(901郡)が対象の先のケースと同じくらいなのである。1920年代に練り上げられていた構想では高速道路が横切る予定になっていなかった498郡を対象に、同様の分析を加えた結果をまとめたのが一番右の対になっている棒グラフである。「ナチスによるご褒美」仮説が成り立つようなら――政権寄りになりつつあった郡にご褒美のつもりでナチスが高速道路を建ててやったのだとしたら――、高速道路の建設に伴う効果が先の二つのいずれのケースよりも大きくなりそうなものだが、そうはなっていない。むしろ、(1920年代に練り上げられていた構想で高速道路が横切る予定になっていた400郡が分析対象の)真ん中のケースよりもその効果は小さいのだ。言い換えると、ナチスが独自の判断で建設に踏み切った区間が横切る郡では政権への支持がどこよりも高まったかというと、そうはなっていないのだ。結論をまとめると、すべての郡(901郡)が分析の対象になっている一番左のケースであのような結果になっている――高速道路が建設中かどうかによって、政権への不支持率の下落幅に差が生まれている――のは、ナチスがご褒美のつもりで高速道路をどこに建てるかを戦略的に決めたせいだとはどうも言えなさそうなのだ。



図3. 高速道路の建設が政権への不支持率に及ぼした効果


さらには、同じ郡の中でも建設中の区間が近くにあった(その区間との距離が近かった)選挙区ほど、政権への不支持率の下落幅が大きいことも見出されている。言い換えると、建設中の高速道路から距離的に隔たっていた選挙区ほど、「変心」する有権者が少なかったのである。


高速道路の建設が政権への支持を高めたのはなぜなのか?

ナチス政権は、景気刺激策として高速道路の建設を何よりも優先した。高速道路の建設によって60万人の雇用を生む目論見だったが、実際には最大で12万5千人の雇用が生み出されるにとどまった。最近の研究によると、高速道路の建設がマクロ経済(ドイツ経済全体の景気)に及ぼした効果は些細なものだったという結果が得られている(Ritschl 1998)。高速道路が建設されたおかげで交通の便がよくなって得をしたかというと、それも大したことはなかったようである。当時のドイツは、自家用車の所有率がヨーロッパで最下位だったからである(Evans 2006)。

とは言え、高速道路の建設が界隈の町や村をそれなりに潤した(うるおした)可能性はある。高速道路を建設するために雇われた作業員たちは、当初のうちは高速道路が建設されている周辺の町や村にある民家にお世話になったが、しばらくして付近にバラックが建てられるとそこに住まった。作業員たちは、その地にある宿屋や売店でお金を落とした。さらには、映画の鑑賞会を取り仕切りもした。そのおかげで、高速道路が建設されている周辺の町や村はちょっとした観光スポットになった。週末の旅行先として賑わったのである(Eichner-Ramm 2008)。

現代の民主主義国で選挙が近づくにつれて財政出動が試みられる(歳出が拡大されたり減税に踏み切られたりする)という「政治的予算循環」現象が引き起こされるのは、現職の政治家が己の力量を示さなくちゃという思いに駆られるせいかもしれない。それと同じように、アウトバーンの建設は、ナチス政権の力量を示す説得力のある証拠という役割を担ったと言えよう。ヒトラーがアウトバーン計画をぶち上げた演説で宣した(せんした)如く、新しい政権にはとめどないエネルギーと抜群の組織力が備わっていることをまざまざと見せつけようとしたのだ。アウトバーンの建設こそがドイツ経済の再生を引き起こした主因なのだと喧伝されたのに加えて、1933年以降に失業者が急速に減ったこともあり、アウトバーンの建設は「功を奏した」という思いが多くの国民によって共有された。「ワイマール時代の政府は、無能で右往左往してばかりいた」と苦々しく思っていた多くの国民は、高速道路がちゃっちゃと(素早く)建設される光景にびっくりして感動したに違いない。プロパガンダの流布に励んだ宣伝省は、国民の想像の中で高速道路とヒトラーとが一つに溶け合うようにあれこれと骨を折った。例えば、出来上がった道路を「総統の道」と名付けたりした。ヒトラーの人気に便乗してアウトバーンの評判を高めようとしただけでなく、同時にヒトラーの人気をさらに高めようともしたのだ。アウトバーンの建設というナチス政権の成果は、国中(くにじゅう)の有権者の投票行動に影響を及ぼしたろうが、新たに高速道路が建設されている最中の郡に住んでいてその様を目撃した有権者にとりわけ強い印象を与えたろう(Gennaioli&Shleifer 2010)。


結論

政権を握ったナチスが前例のない罪を犯さないでいるうちは、ドイツ国内でのその人気ぶりはそれはもう相当なものだった(Evans 2006)。多くの歴史家が指摘しているところによると、政権への支持を高める役割を果たした要因のうちの一つがアウトバーンの建設だったという。1933年から1934年までの間に行われた総選挙なり国民投票なりの結果を具に(つぶさに)調べたところ、そうかもしれない可能性が浮上してきた。アウトバーンの建設が有権者の投票行動に及ぼした効果を特定するために、ナチスによって建設された高速道路網の地理的な分布(どの区間がどこをどう横切ったか)に関する細かなデータを利用して、1933年11月から1934年8月までの9カ月の間に有権者の「変心」がどのくらい起きたかに分析を加えたところ、「総統の道」が横切ることになった郡(選挙区)で政権への不支持率がかなりの勢いで下落した――「総統の道」が横切らなかった郡(選挙区)と比べて、政権への不支持率の下落幅がずっと大きかった――ことが見出されたのである。

高速道路が建設されたおかげでその界隈が経済的に潤ったのも政権への支持を高める一因となった可能性はあるが、些細な一因というに過ぎなかったろう。それ以上に重要だったのは、新たに建設された高速道路が政権の力量を示す目に見える証拠となったことである。「ドイツを再起させる」という約束を果たせるだけの実行力が政権に備わっていることを示す目に見える証拠となったことである。ナチスが政権を握ってから数カ月しか経っていない段階で、壮大な高速道路網計画が実行に移された。100を超える郡を横切るかたちで、17の区間が国内のあちこちで同時進行で建設された。すなわち、高速道路の建設が着々と進んでいるのを目撃した多くの国民にまざまざと見せつけたのである。新しい政権には約束を果たせるだけの実行力が備わっていることを。

政権の手柄を吹聴する巧みなプロパガンダも加勢して、アウトバーンの建設は多くのドイツ国民のココロとアタマを掴むのに成功したのだった。いや、感銘を受けたのはドイツ国民だけじゃなかった。第二次世界大戦の終盤にドイツに足を踏み入れたアメリカ陸軍の士官の中にも、アウトバーンの利便性に心を打たれた人物がいた。ドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)である。 帰国してからしばらく経って(1953年に)大統領に就任したアイゼンハワーは、アメリカにも高速道路網(州間高速道路網)を整備するべく腰を上げたのである。


<参考文献>


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