2025年5月10日土曜日

David Beckworth 「モノプソニーとしてのFed」(2009年9月11日)

David Beckworth, “The Fed as a Monopsony”(Macro Musings Blog, September 11, 2009)


侮蔑を込めて「貨幣の独占的供給者」と呼ばれることもあるFedだが、新たな呼び名を頂戴しているようだ。マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場における「モノプソニー」(強大な支配力を持つ買い手)だ(あるいは、それに近い)というのだ。ライアン・グリム(Ryan Grim)がハフィントン・ポスト紙で報じているところによると、一流の学術誌でマクロ経済学についてどんな話題が率先して取り上げられるかにFedが並々ならぬ影響を及ぼしているという。Fedがそれだけの影響力を持っている理由は、(1) 大勢のマクロ経済学者を雇ったり客員研究員として受け入れていて、(2) スタッフたちが貨幣経済学やマクロ経済学の分野の一流の学術誌の編集陣に名を連ねていて、(3) Fedに同情的な元スタッフが大勢いて、(4) 今のところはFedと関わりがない経済学者たちももしかしたらFedとお近づきになれるかもしれない機会をみすみす潰さないように気を配っていて、(5) Fedがマクロ経済学の分野の多くの学術的なカンファレンスのスポンサーになっているからだという。グリムの言い分を引用しておこう。

本紙の調査によって明らかになったのは、コンサルタント、客員研究員、元スタッフ、現スタッフの膨大なネットワークを土台にして、Fedが経済学の世界を徹底的に牛耳っているということだ。中央銀行であるFedを正面から批判すると、経済学者としての将来のキャリアに暗雲が垂れ込めかねないのだ。 
大恐慌以来最悪の危機を予見できなかったFedを批判する声が経済学者たちの間からあまり上がらなかったのも、Fedのその強大な支配力ゆえなのだ。Fedの虜(とりこ)になっていたせいで、経済学者たちも同じ過ちを犯した(危機の予見に失敗した)のだ。 
・・・(中略)・・・ 
Fedの支配力の重要な源泉の一つが、その道の分野の「門番」とのつながりである。例えば、若くてこれからという経済学者にとっては避けては通れない学術誌の一つであるジャーナル・オブ・マネタリー・エコノミクス誌の編集陣の半数以上がFedの現スタッフなのだ。残りも元スタッフなのだ。

グリムの記事は興味深いが、Fedの影響力についてもう少し公平で学術的な批判を加えているのがローレンス・ホワイト(Lawrence H. White)である。2005年にEcon Journal Watch誌に掲載されたホワイトの論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

FRB(連邦準備制度)は、アメリカにおいて貨幣経済学の分野の研究を支えている重要なスポンサーの一つである。Fedがスポンサーになっている研究プログラムの規模(インプットおよびアウトプット)をいくつかの方法で計測し、貨幣経済学の分野における学術的な研究の内容に対してFedが及ぼしている直接的ないしは間接的な影響について検討するのが本稿の狙いである。Fedがスポンサーになっている研究は「現状維持バイアス」を抱えているかもしれないのだ。

ホワイトもグリムと同じ結論に達している。Fedは、マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場において「モノプソニー」に似た影響力を持っているというのである。もっともな批判だが、私としてはあの手この手でFedの政策に疑問を呈し続けるつもりだ。どれもこれも失敗に終わるようでも、まだこのブログがある。・・・いや、待て。何よりも先にテニュア(終身在職権)をとらなくちゃいけない。 

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