2010年11月25日木曜日

Mark Thoma 「QEⅡって何?」


Mark Thoma, "What is QEII?"(moneywatch.com, November 15, 2010)


最近よく耳にするQEⅡとは一体何なのであろうか? 日本語で量的緩和と訳されるQuantitative Easing(QEと略される)-かつてFedも一度実施したことがあり(1度目のQEということでQEIと呼ばれる)、近々再度実施にうつされる見込みである(2度目のQEということでQEIIと呼ばれる)-のメカニズムについては、イールドカーブ(利回り曲線)を用いて説明するのがわかりやすいだろう。イールドカーブというのは、金融資産の期待利回り(≒金利)が資産の満期の違いに応じてどのように変化するかを以下のように図示したものである。



横軸には各資産の満期までの長さがとられている。一番左端にはFF市場(コール市場)で取引されるオーバーナイト物(翌日物)の金融資産が、右端にはモーゲージのような30年物の金融資産が位置している。オーバーナイト物と30年物モーゲージとの間には、満期までの長さが短い順に、左から3ヶ月物、6カ月物、1年物、5年物、10年物、20年物といった金融資産が位置することになる。縦軸には満期の違いに応じた各資産ごとの期待利回りがとられている。一般的にはイールドカーブは右肩上がりの形状を持つことになる。手元の貨幣をより長い期間にわたって投資するよう投資家に促すためには満期までの長さが長くなるに応じて追加的に高い利回りが必要とされることになるからである。

住宅バブルが発生する以前の時期においては、Fedは財務省短期証券(TB)の売り買いを通じてイールドカーブ全体を上方あるいは下方にシフトさせることが可能であった。つまり、住宅バブル以前の時期においては、Fedは長期金利と短期金利のどちらもともにコントロールしていたわけである(下図参照)。



しかしながら、住宅バブル発生~住宅バブル崩壊以前の時期においては、Fedはイールドカーブのロングエンド(右端)に対するコントロールを失ったかのように見えた。つまり、FedによるTBの売り買いがもはや長期金利に対してそこまで大きな影響を及ぼすことがなくなったかのように見えたのである(下図参照)。



企業による(実物)投資の決定や家計による新規住宅の購入決定や車や冷蔵庫のような耐久消費財の購入決定は、主に長期金利の動向に影響を受けるので、この事実(=長期金利に対するFedの影響力の低下)はFedの政策担当者にとって心配の種となることになった。しかしながら、長期金利に対するFedの影響力がなぜ低下したのかその理由が完全に解明される前に金融危機が勃発し、そのために人々の注目はこの問題から逸らされることになってしまった。ただ、TBの売り買いを通じた長期金利への影響力が低下したとしても、Fedの手元には長期金利の水準を自らが望むような方向に変化させ得る他の手段が存在している。その手段というのは、長期国債-イールドカーブのロングエンドに位置する金融資産-の直接的な売り買いである。

まさにこれこそがQEⅡの本質である。QEⅡは、従来のように短期資産の売り買いを通じてではなく、長期資産の売り買いを通じてイールドカーブのロングエンドに働きかける政策であるが、イールドカーブのロングエンドに働きかけるという点では伝統的な金融政策と何ら変わるところはないのである。

しかしながら、現在、長期資産の直接的な売り買いを通じてイールドカーブのロングエンドに働きかける必要性が生じている理由は、危機勃発以前のようにTBの売り買いを通じた長期金利への影響力が低下してしまったからではなく-住宅バブルの破裂後にはTBの売り買いを通じた長期金利への影響力は回復した-、もはやFedはイールドカーブのショートエンド(左端)の金利を操作することができないからである。

目下のところ、Fedはイールドカーブのショートエンドに働きかけることはできない。というのも、Fedが政策的に誘導している短期金利-オーバーナイト物のFF金利-の水準は今やほぼゼロ%だからである。これ以上さらに短期金利を引き下げることはできないのであるから、イールドカーブのショートエンドへの働きかけは大して効果を生むことはないだろう。しかしながら、Fedは依然として(長期資産の購入を通じて)イールドカーブのロングエンドの金利を引き下げることは可能なのである(下図参照)。



今現在望まれていることは、イールドカーブのロングエンドに位置する資産の利回りが低下することで企業による新規の実物投資や家計による消費が刺激されるようになればいいが(為替レートの減価を通じた純輸出の増加という効果もあるが、どうやらFedにはQEⅡを通じて為替レートを変化させようとする意図はないらしい。詳しくはここを参照のこと)、ということである。

そこでQEⅡの登場である。イールドカーブに沿って機能するという意味でQEⅡは伝統的な金融政策そのものに他ならないのである。

Robert Barro 「QE2に関する私見」


Robert Barro, "Thoughts on QE2"(Free Exchange, November 23, 2010)


Fedが第2弾の量的緩和-QE2と呼ばれている-に踏み切ったことに対して、賛成と反対が入り乱れるかたちで盛んに議論がたたかわされている。しかしながら、率直に言って、賛成、反対、どちらの立場であれ、それらの議論の多くは、QE2に関する主要な争点を考えるための首尾一貫した分析枠組みを欠いているように見受けられる。この場を借りてそうした分析枠組みの提示を試みてみようと思う。

Fed、そしてその議長をもって擬人化させてもらえば、ベン・バーナンキは、景気回復の足取りの鈍さならびに中でも特に将来的なデフレーションの可能性を気にかけている。こういった懸念材料(=景気回復の足取りの鈍さ、将来的なデフレの可能性)に立ち向かうために、Fedは新たな金融緩和策を計画している。Fedによる新たな金融緩和策に関して私が達した主要な結論をまとめると以下のようになる。

〇短期名目金利が実質的にゼロ%であるような現下の状況においては、財務省短期証券(Treasury bills)の購入を通じた買いオペレーションは何の効果も持たないであろう(この点についてはFedも同意しているところである)

〇長期国債(long-term Treasury bonds)の購入を通じた買いオペレーション(QE2)は金融緩和(ないしは景気刺激)効果を持つ可能性がある。しかしながら、長期国債の購入を通じた買いオペレーションは、財務省による既発国債の満期構成の短期化(shortening the maturity of its outstanding debt)とその効果において変わるところはない。なぜ財務省ではなくあえてFedが国債管理政策(既発国債の満期構成の管理)を実施すべきであるのか、その理由は明らかではない。


Fedが大きく気にかけている争点の中でも最も重要な争点は、景気回復が軌道に乗り、名目短期金利がもはやゼロ%ではなくなった際にどのようにしてインフレーションを避けたらよいかという問題、つまりは出口戦略の問題である。伝統的な出口戦略は売りオペレーションを通じて実行されることになるが、売りオペレーションを実施すれば景気回復の腰が折られることになるのではないかと心配する声がある。この懸念に対して、Fedは、「Fedの手元には出口戦略を進める上で準備預金付利という追加的な手段があり、準備預金に対して支払う金利を引き上げることで、インフレーションを回避しつつ確固とした景気回復を後押しする手助けができる」と考えているようであるが、しかしながら、私が思うに、この見解は適当ではない。出口戦略に関する私の結論は以下である。

〇出口戦略という観点からすると、財務省短期証券(TB)の利回りの上昇に歩調を合わせるかたちでの準備預金金利の引き上げは、Fedのバランスシート上に保有されているTBの売却(バランスシート上で保有されるTBの減少)を通じて準備預金の量を縮小させる売りオペレーションとその効果において変わるところはない。それゆえ、準備預金金利の引き上げは通常の売りオペレーションに基づく出口戦略と同程度の金融引き締め(ないしは景気抑制)効果を持つ。

〇出口戦略の手段として準備預金金利の引き上げと比較されるべき代替的な手段は、Fedのバランスシート上に保有されている長期国債の売却(バランスシート上で保有される長期国債の減少)を通じて準備預金の量を縮小させるオペレーションである。このオペレーションは、上記の出口戦略(=準備預金金利の引き上げ or TBの売却を通じた売りオペ)の効果に加えて既発国債の満期構成の長期化の効果を伴うことになるであろう。既発国債の満期構成の長期化に関しては、財務省がFedからの助けなしにそれ(=満期構成の長期化)を達成することも回避することも可能である。



これまでの事態の推移に触れておくと、2008年8月以降、Fedはそのバランスシートの規模を約1兆ドル分だけ拡大させてきた。それに伴い、Fedがバランスシート上で保有する資産(そのうちのほとんどが不動産担保証券(mortgage-backed securitie)で占められている。この点についてはまた別の機会で論じることになろう)はおおよそ1兆ドルだけ増え、バランスシートの反対側である負債サイドではほぼゼロ%の金利支払いがなされる超過準備がおおよそ1兆ドルだけ増えることになった。景気が低調であったこともあり、民間の金融機関はすすんでこれほど大量の無利子資産(つまりは準備預金)を受け入れる(保有する)ことになったのである。特に、金融危機の勃発により低リスク資産-Fedに預けられた準備預金もその一つである-に対する需要が急激に増加したのであった。こうして低リスク資産に対する需要が増加したために、「貨幣」( "money" )の量が急増したにもかかわらずこれまでインフレ(あるいはインフレの加速)が生じることはなかったわけである。

Fedに準備預金を預けることのできる民間の金融機関にとっては、超過準備(準備預金)とTBとは本質的には同じ(=完全に代替的な)資産である。となれば、どちらの資産の保有に対してもほぼ同水準の金利支払いがなされる必要がある、ということになる。現在のところ、準備預金金利もTBの利回りもほぼゼロ%となっている。ここでFedが通常の買いオペレーション―市中からのTB購入に応じて準備預金の供給量を増やす―を行えば、民間部門が保有するTBの量が減少し、それと同額だけ(民間部門が保有する)準備預金の量が増加することになる。現在の状況(=ゼロ金利)の下では、民間の金融機関の目には準備預金もTBも同じ資産として映るだろうから、通常の買いオペは経済に対して何の効果も及ぼすことはないだろう。つまり、物価水準や実質GDPなどには何の効果も生じないであろう。

FedがQE2を実施することになれば、Fedは通常の買いオペに加えてTBの売却と対になった長期国債の購入にも乗り出すことになる。TBの利回りと長期国債の利回りとの間には差がある―現状でTBの利回りは0.1%であり、10年物国債の利回りは約3%である―事実が示すように、TBと長期国債とは同じ(=完全に代替的な)資産ではない。QE2に対しては以下のような政策効果が期待されている。Fedが長期国債を購入することによって市中に出回る(既発の)長期国債の量が減少することになれば、長期国債の価格に上昇圧力、同じことであるが、長期国債利回り(≒長期金利)に低下圧力が働くことになるだろう。そして長期金利が低下すれば総需要が刺激されることになるかもしれない、と。この推論は正しいかもしれないが、先にも触れたように、財務省が国債の満期構成を変化させること-政府の資金調達手段として、短期国債の発行を増やし、長期国債の発行を減らす-によってもこれ(=QE2)と同様の効果がもたらされることになるはずである。

経済の改善がすすみ、それを受けて民間の金融機関がこれまでのように低リスク資産でありゼロ金利である超過準備をすすんで受け入れたがらなくなる(保有したがらなくなる)時が到来すれば、その時こそ出口戦略発動の時である。Fedが準備預金金利をほぼゼロ%の水準に維持すると同時に通常の(TBの売却を通じた)売りオペレーションにも乗り出さなければ、1兆ドルの超過準備は経済に対して激しいインフレ圧力をもたらすことになるであろう。通常であれば、インフレーションを回避するために、「貨幣」の量を減らす(TBの売却を通じた)売りオペレーションが実施されることになるであろう。

Fedは(TBの売却を通じた)売りオペの代わりに準備預金金利の引き上げに訴えることで出口戦略を改善することができると考えているようである。例えば、TBの利回りが2%にまで上昇すれば、民間の金融機関が超過準備1兆ドルをそのままFedに預けておくよう促すために、Fedは準備預金金利を2%近くにまで引き上げることになるだろう。しかしながら、一度準備預金金利が2%近くにまで引き上げられることになれば(TBの利回りと準備預金金利とが等しくなれば)、準備預金とTBとの交換を伴う公開市場操作は再び問題とはならなくなるだろう。つまり、準備預金を1兆ドルだけ縮小させるためにFedがTBを1兆ドルだけ売却しても(FedがTBをこれだけ保有しているとすればだが)何の効果も生じないであろう。この理屈からすれば、TB利回りの上昇に歩調を合わせるかたちでの準備預金金利の引き上げはTBの売却を通じた通常の売りオペと変わらない、すなわち、どちらの手段も実体経済に対しては同様の効果を持つ、ということが示唆されよう。

実際問題としては、準備預金金利の引き上げと比較されるべきは、TBの大量売却ではなく(Fedはそれほど大量のTBを保有していない)、むしろ、2008年8月以降にFedのバランスシート上に蓄積されてきた大部分の資産の売却である。QE2実施以降には、出口戦略の過程で売却されることになるであろう資産の候補はほとんどが長期国債ということになるだろうが、不動産担保証券もその候補となり得るかもしれない。TBの売却のケースと比べると、長期国債の売却には通常の売りオペの効果に加えて先に触れたQE2のトランスミッションメカニズムとは正反対のメカニズム-市中における長期国債の量が増加→長期国債の価格が低下=長期国債利回りが上昇→景気抑制効果-が働くことになるであろう。しかしながら、ここでもまた、財務省が既発国債の満期構成を変化させる-政府の資金調達手段を長期国債からTBにシフトさせる-ことでこの効果(=長期国債の売却による長期金利の上昇)を打ち消すことが可能となるのである。

私の結論を述べよう。QE2は短期的な景気刺激効果をもつ可能性があり、それゆえデフレ懸念を和らげる可能性がある。しかしながら、財務省による既発国債の満期構成の変化によってもQE2と同様の効果をもたらすことができるのである。QE2が抱えるマイナス面は、出口戦略-その目的は、Fedの大規模な金融緩和がやがてもたらすことになるであろうインフレ圧力を回避することにある-の舵取りをさらに難しくさせるところにある。しかし、Fedは出口戦略の舵を取る自らの能力に対して自信過剰気味のようである。Fedのこの自信過剰な態度を支える見解、つまりは、準備預金金利の引き上げは痛みのない出口戦略を可能とする新しくかつより効果的な手段であるという見解は誤りなのである。

2010年11月24日水曜日

Nicholas Crafts and Peter Fearon 「記憶にとどめておくべきエピソード;1937~38年のアメリカの不況から得られる教訓」

Nicholas Crafts and Peter Fearon, "A recession to remember: Lessons from the US, 1937–1938"(VOX, November 23, 2010)
今般の世界的な経済危機と1930年代の大恐慌(Great Depression)を比較する言説はしばしば目にするが、「1937年の不況」についてはそれほど広範には論じられていない。本稿では、「1937年の不況」からどのような教訓が得られるかについて検討する。「1937年の不況」は、世の政策当局者たちに対して、①財政再建は先延ばしすべきではない、②財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というメッセージを送っているのだ
OECD諸国は、大恐慌以来最も深刻な不況と金融危機から回復しつつあるようだ。それに伴って、政策当局者にとっての課題が適当な出口戦略を練ることへと移行しつつある。景気刺激策から手を引くのが早すぎて再び景気後退を招いてしまう可能性が一方であり、景気刺激策から手を引くのが遅すぎてインフレの過熱を許してしまう可能性が一方である。

名目利子率がゼロ%ないしはその近辺にある中では、財政乗数の値はおそらく大きな値をとることだろう。しかしながら、中期的な観点からすると、銀行危機の影響で潜在GDPが落ち込んだせいで構造的財政赤字――GDPギャップがゼロである(完全雇用が達成されている)状況での財政赤字額――が拡大していることを考え合わせると、財政の持続可能性(fiscal sustainability)を確保する方向に転じる必要がある。

今のこのタイミングで、1937~38年にアメリカを襲った厳しい不況――大恐慌から快調に回復しつつあったアメリカ経済に突然襲いかかった不況――を振り返ってみるのは時宜を得ていると言えるだろう。このエピソードは、米国の外で活動する経済学者の大半にはあまり知られていないが、心にとどめておくべき教訓を投げかけているのだ――このエピソードについては、フランソワ・ヴェルデ(Francois Velde)のつい最近の論文(Velde 2009)も是非とも参照されたい。何があったかが巧みにまとめられているだけでなく、鋭い分析も加えられている――。

大不況からの回復

1933年以降に、アメリカ経済は堅調な景気回復を経験した。表1にあるように、実質GDPは1937年までにほぼピークの水準にまで戻り、大恐慌のどん底だった1933年初頭の(実質GDPの)水準を40%以上も上回ることになったのだ。このようなかたちで景気が勢いよく回復した主たる理由は、1933年3月に金本位制から離脱する決定が下されて新たな政策レジーム(policy regime)が採用されることになったからである、という点については経済学者の間で幅広い合意が得られている。クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)が指摘しているように(Romer 1991, 2009)、金本位制からの離脱後に、マネーサプライが非常に急速な勢いで伸びることになった。重要なポイントは、新しい政策レジームへの移行に伴ってインフレ期待がシフト(上昇)したことにある。そのことが「流動性の罠」から抜け出す上で重要な役割を演じたというのが、エッガートソン(Gauti Eggertsson)がDSGEモデルを使った分析を通じて得た結論だ(Eggertsson and Pugsley 2006, Eggertsson 2008)。ローマーもエッガートソンも共通して主張しているように、名目利子率がゼロ%近辺に張り付いていてもうそれ以上下がりようがなかったものの、ルーズベルト大統領が1920年代中頃の水準にまで物価水準を回復させる強い意志を見せたおかげで劇的にインフレ期待が高まり、結果的に実質利子率が大幅に下落することになったのである――インフレ期待の上昇に伴う実質利子率の低下は、アメリカ経済の景気回復を支えた中心的な波及経路の役割を果たした――。同時期に連邦財政支出も急激に増えたものの、経済史家にとっては周知のように、ニューディール政策は「穏やかな」財政刺激策どまりだった――穏やかとはいっても、インフレ期待のシフトに貢献した可能性はある――。当時の財政赤字の規模は対GDP比で3%あるいは4%程度だったが、赤字になったのは景気が低迷して税収が落ち込んだせいだったのである。

表1 四半期別の実質GDP
(1929年第3四半期(1929 Q3)の実質GDPを100とおく)


データの出所;Balke and Gordon (1986)

1937年初頭の段階では依然としてGDPギャップが存在していたが――Balke and Gordon(1986)の推計では、当時のGDPギャップは対GDP比で15%程度と見積もられている――、世間では「不況はもう終わった」との認識が広く抱かれていた。政策当局者はというと、インフレや財政赤字を気にかけるようになっていた。Fedはというと、銀行システムに積み上がった大量の超過準備に懸念を抱き、財務省はというと、政府債務残高の対GDP比が1929年から1937年にかけて16%から40%へと上昇した事実に懸念を抱いたのである。

1936年に所得税率が引き上げられ、1937年1月に社会保障税が導入されると、連邦財政収支は1938年にほぼ均衡するに至った。1936年に退役軍人に対するボーナスの支払いで一時的に歳出が急増したものの、それ以降は歳出の削減も進んだ。Larry Peppers(1973)の推計によると、これら一連の措置の結果として、裁量的な財政引き締め(discretionary fiscal tightening)――財政黒字――の規模は対GDP比で3%を上回るまでに達したのである。金融政策面での政策変更に目を移すと、1936年12月に金不胎化政策が採用され、1936年8月から1937年3月にかけて計3度にわたって預金準備率が引き上げられることになった(計3度にわたる引き上げの結果、預金準備率はそれまでの水準の2倍に達することになった)。Fedの高官の口からは、インフレの危険性を強調する発言が増え出している。ヴェルデの分析によると(Velde 2009)、1937年5月から1938年6月までの景気後退――この期間は、NBER(全米経済研究所)によって景気後退期と判定されている――は、これら財政・金融政策両面における(財政引き締め・金融引き締めに向けた)政策スタンスの変更によって十分に説明できるとのことだ。表1にあるように、この期間に実質GDPは約11%も急落した。鉱工業生産は30%以上も減少。実物投資は50%以上も減少。株価は40%以上も下落した。物価の上昇はストップし、逆に再び下落し始めることになった。「1937年の不況」は、それまでの景気回復傾向からの大逆行を意味しており、1930年代初頭に匹敵するほどの勢いで景気が落ち込むことになったのである。預金準備率が引き下げられ、金不胎化政策が停止され、20億ドルに上る財政出動が繰り出されて均衡財政政策が放棄されると、1937年5月からはじまった景気後退も終わりを迎えることになったのであった。

名目利子率が低い水準に張り付いている状況では、財政乗数はかなり高めの値をとり、クラウディングアウト効果が働く余地もそんなにないと考えてもよかろう――この点は、その方面の理論や実証を概観しているRobert Hall(2009)によっても確認されている――。おそらく1930年代後半もそうだったと思われる――ロバート・ゴードン(Robert Gordon)&ロバート・クレン(Robert Krenn)の二人による推計によると、1940年時点の財政乗数の値は1.8程度とのことだ (Gordon and Krenn 2010)――。となると、財政再建を試みたら景気に大きな下押し圧力がかかる可能性があるわけで、財政緊縮に伴うデフレ圧力を打ち消すために拡張的な金融政策(=金融緩和)が求められていた・・・はずだが、1930年代後半のアメリカ経済はダブルパンチ(財政引き締めと金融引き締め)を食らわされる羽目になってしまった。1936~1937年における政策スタンスの転換の何が致命的だったかというと、インフレ期待を低下させたことにある。ローマーも指摘しているように、インフレ期待が低下した結果として、実質利子率が急上昇することになったのだ。Eggertsson and Pugsley(2006)によると、名目利子率が極端に低い水準にある状況では、政策当局が何を目標にしているかについての世間一般の信念(public beliefs)にちょっとした変化が生じるだけでも、生産量(実質GDP)に重大な影響が及ぶことが見出されている。

「1937年の不況」の教訓

「1937年の不況」がその教訓として世の政策当局者に対して伝える主たるメッセージは、財政再建は先延ばしすべき・・・ということではない。そうではなくて、財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というのがそのメッセージだ。近年のOECD諸国でうまくいった財政再建の特徴の一つに金利の引き下げが伴っていた点があげられるが、先のメッセージはこの事実とも整合する。しかしながら、1930年代と同様に、今現在も名目利子率を引き下げる余地は残されていない。そこで、実質利子率を引き下げるためにも、物価が上昇するとの予想を醸成する(インフレ期待を高める)必要があろう。そのために、量的緩和をさらに進めるのもありだろうし、「インフレ目標」の代わりに一時的に「物価水準目標」を採用するというのも一考の価値ありだろう。

今般の危機の過程でアメリカをはじめとした各国の政策当局者が見せた積極的な行動は、1930年代初頭に政策当局者が犯した悲劇的なまでの過ちと比べると、大きな進歩を示していると言えよう。政策当局者が積極的に行動したおかげで、大恐慌(Great Depression)の再現ではなく、大不況(Great Recession)を経験する程度で済んだのだ。不況を阻止するにはどうしたらいいかという点に関しては、過去の歴史から重要な教訓がきちんと学ばれてきている。しかしながら、1930年代は、景気回復の扱い方をめぐっても、今でも有用な教訓を持ち合わせている。1930年代の教訓についてもっと知りたいようなら、我々が執筆したサーベイ論文(Crafts and Fearon 2010)――このサーベイ論文は、1930年代の教訓に関する専門的な研究成果を一般向けに紹介するために取りまとめられた論文集のイントロダクションとして書かれた――に目を通してもらえたら幸いだ。


<参考文献>

〇Balke, N and RJ Gordon (1986), “Appendix B: Historical Data”, in RJ Gordon (ed.), The American Business Cycle: Continuity and Change. Chicago: University of Chicago Press, 781-850.
〇Crafts, N and P Fearon (2010), “Lessons from the 1930s’ Great Depression”, Oxford Review of Economic Policy, 26:285-317.
〇Eggertsson, GB (2008), “Great Expectations and the End of the Depression(pdf)”, American Economic Review, 98:1476-1516.
〇Eggertsson, GB and B Pugsley (2006), “The Mistake of 1937: a General Equilibrium Analysis(pdf)”, Monetary and Economic Studies, December, 151-190.
〇Gordon, RJ and R Krenn (2010), “The End of the Great Depression, 1939-41: Policy Contributions and Fiscal Multipliers”, NBER Working Paper 16380.
〇Hall, RE (2009), “By How Much Does GDP Rise if the Government Buys More Output?(pdf)”, Brookings Papers on Economic Activity, Fall, 183-231.
〇Peppers, LC (1973), “Full-Employment Surplus Analysis and Structural Change: the 1930s”, Explorations in Economic History, 10:197-210.
〇Romer, CD (1992), “What Ended the Great Depression?”, Journal of Economic History, 52:757-784.
〇Romer, CD (2009), “The lessons of 1937”, The Economist, 18 June.
〇Velde, FR (2009), “The Recession of 1937 – a Cautionary Tale(pdf)”, Federal Reserve Bank of Chicago Economic Perspectives, Quarter 4, 16-37.

2010年11月19日金曜日

Paul Krugman 「債務、デレバレッジング、流動性の罠」

Paul Krugman, "Debt, deleveraging, and the liquidity trap"(November 18, 2010)

現在先進国経済でたたかわされている政策論議の中で大きな注目を集めているのは「債務」である。不況やデフレーションを避けるためには拡張的な財政政策が必要だと主張する論者がいる一方で、債務が原因で生じた問題を債務(政府債務)をさらに増やすことを通じて解決することなどできない話だと主張する論者もいる。本論説の目的は、債務ショックとそれに対する政策反応の検討を可能とするためについ最近になって考案されたエッガートソン=クルーグマンモデルのロジックの核となる部分を説明することである。モデルの中に異質なエージェント(経済主体)を導入することにより、エッガートソン=クルーグマンモデルは「貯蓄のパラドックス」を無理なく説明するばかりか、サプライサイドにおける新たなパラドックス-「精励のパラドックス」と「伸縮性のパラドックス」-の発見にも成功している。エッガートソン=クルーグマンモデルによれば、これまで大半の経済学者は現下のマクロ経済問題を間違って捉えてきており、アメリカやEUにおける現実の政策は間違った方向に向かっている、ということが示唆されることになるであろう。


現下のアメリカやヨーロッパを悩ましている経済問題を巡る議論の中で最も頻繁に登場する単語があるとすれば、それは「債務」(“debt”)という単語ということで間違いないだろう。2000年~2008年の間に、アメリカの家計債務の対可処分所得比は96%から128%に、イギリスのそれは105%から160%に、スペインのそれは69%から130%に、それぞれ上昇を見せることになった。急速に累積する債務が危機のお膳立てをし、過剰な債務が景気回復の足を引っ張り続けている、と広く語られているところである。


不足するフォーマルなモデル

現在債務に対して向けられている関心は、フィッシャー(Irving Fisher)の債務デフレ(デット・デフレ)理論(1931年)からここにきて再び注目されているミンスキー(Hyman Minsky)の金融不安定性仮説(1986年)、そしてクー(Richard Koo)のバランスシート不況モデル(2008年)にまでわたる経済分析上の長い伝統に立ち返るものであると言える。しかしながら、現下の経済的な困難に関する人気のある議論の中で債務に対して大きな注目が寄せられており、また景気の落ち込みをもたらす重要な要因として債務の役割に着目する経済学上の長い伝統が存在するにもかかわらず、政策論議の場で債務に対して向けられる強い関心に合致するような経済政策-特に財政政策と金融政策-に関するモデルは現在のところ驚くほど不足している。今もなお、多くの分析(私自身のものも含めて)は代表的個人モデル(representative-agent model)に基づいてなされているが、代表的個人モデルでは、モデルの性質上、ある経済主体が債務者であり、他の経済主体が債権者である、という事実がいかなる結果をもたらすことになるかを取り扱うことができないのである。

現在エッガートソン(Gauti Eggertsson)と共同で進めている研究(Eggertsson and Krugman 2010)において、我々はこの欠陥の修正を意図した単純な分析枠組みを構築しようと試みている。単純な枠組みではあるが、このモデルは現在世界経済が直面している問題に対して重要な洞察を提供することになるだろうと個人的には信じている。また、このモデルによれば、現実の政策に影響を与えている通念(conventional wisdom)の多くは現下のような状況においては誤った観念である、ということが示唆されることになるだろう。


モデルのコアとなる経済学的なロジック

我々のモデルは標準的なニューケインジアンモデルが描写する経済とほとんど同じ構造を有するものであるが、我々のモデルでは代表的な個人(representative agent)の代わりに2タイプのエージェント(経済主体)-「気長な」(“patient”)タイプと「気短な」(“impatient”)タイプ-の存在が想定されている(訳注)。我々のモデルでは「気短な」エージェントが「気長な」エージェントから借入れを行うことになる。ただし、個々のエージェントが借り入れ可能である債務の水準には上限-レバレッジの安全性(どの程度のレバレッジの水準であれば安全であるか)について一般的に抱かれている判断に基づいて暗黙のうちに設定される制限-が存在している。

異質な2タイプのエージェントを導入することにより、「デレバレッジングショック」(“deleveraging shock”;deleveraging=債務圧縮)の結果として今現実に世界経済が直面しているような危機をモデル化することが可能となる。具体的な理由はどうであれ、受け入れ可能な(=安全であるとみなされる)債務水準の上限が突然引き下げられる瞬間がやってくる-「ミンスキー・モーメント」(“Minsky moment”)の到来-。受け入れ可能な債務水準の上限が低下することによって債務者は(ショックによって低下した新たな債務水準の上限に向けて既存の債務を圧縮するために)支出の急速な切り詰めを強いられることになる。このような状況で経済が不況に陥ることを防ごうとするのであれば、他のエージェントが支出を増加させるような刺激―例えば金利の低下―が経済に対して提供される必要がある。しかしながら、デレバレッジングショックがあまりにも大規模であるために、金利がゼロ%にまで引き下げられてもなお不況を回避する上では十分ではないかもしれない。つまり、大規模なデレバレッジングショックの結果として経済が流動性の罠に陥ってしまう可能性がある-それも比較的容易にある-わけである。

この分析から直截的かつ自然なかたちでフィッシャー流のデット・デフレーションの過程が導き出されることになる。債務契約が名目単位(貨幣単位)で締結されており、デレバレッジングショックによって物価が下落するとすれば、結果として債務の実質的な負担が増加することになる。債務の実質的な負担が増加することによって債務者が直面する支出切り詰め圧力はさらに高まることになり、債務者が直面する支出切り詰め圧力がさらに高まることによって当初のショックが増幅されることになる。フィッシャー流のデット・デフレーション効果が有するインプリケーションの一つは、デレバレッジングショックの発生後には総需要曲線は右下がりではなくて右上がりの形状を持つ可能性がある、ということである。つまり、物価の下落によって財やサービスに対する総需要が減少する可能性がある、ということである。

さらに我々のモデルは、大規模なデレバレッジングショックの発生によって経済が真っ逆さまの世界(world of topsy-turvy)-これまで妥当であったルールの多くがもはや通用しなくなる世界-に誘われることも明らかにしている。この真っ逆さまの世界では、古い伝統を持つものの長らく無視されてきた「貯蓄のパラドックス(あるいは節約のパラドックス)」(paradox of thrift)-個々人がもっと貯蓄しようと試みることで全体としての総貯蓄が減少してしまう、というパラドックス-やサプライサイドにおける新たな2つのパラドックス、すなわち、「精励のパラドックス」(“paradox of toil”)―潜在GDPが上昇することで現実のGDPが減少してしまう、というパラドックス-と「伸縮性のパラドックス」(“paradox of flexibility”)-労働者が名目賃金のカットをこれまで以上に抵抗なく受け入れるようになることで現実の失業が増加してしまう、というパラドックス-とが成り立つのである。

しかしながら、我々のモデルが特に新しい洞察を提供するように思われるのは財政政策の分析においてである。


財政政策へのインプリケーション

現在の政策論議の場においては、債務はしばしば失業解消を目的とした拡張的な財政政策を薦める主張を撥ねつける際の論拠の一つとして引き合いに出される傾向にある。拡張的な財政政策に批判的な論者はこう主張する。「債務によって引き起こされた問題を債務をさらに増やすことによって解決することはできない」と。また、多くの人々はこう語る。「家計の借り入れは行き過ぎだった」と。「今度は政府に借り入れをもっと増やしてもらいたいとでも言うのかい?」というわけである。

以上の財政政策批判のどこがおかしいのであろうか? 先の財政政策批判においては、暗黙のうちに、「債務は債務である」、つまりは、誰がお金を借りているかは重要ではない、と想定されている。しかしながらそんなことはあり得ない。もし誰がお金を借りているかが重要ではないとしたら、そもそも債務が問題を生じさせることはないだろう。第一次近似としては、一国レベルでみると、債務というのは我々が我々自身から借り入れたお金である、ということは確かである。アメリカは中国その他の国に対して債務を負っているではないか、というのはもっともな意見だが、そのことは今問題にしている争点の核心となるものではない。海外から借り入れた債務を無視するか、あるいは、世界経済全体のレベルで見れば、全体的な債務の水準は全体的な純資産に対して影響を及ぼすものではない。ある人が借り入れた債務は他の人が保有する資産なのである。

となると、債務の水準が重要となることがあるとすれば、それは、債務の分配が重要となる限りにおいてであり、高水準の債務を抱える経済主体が直面する制約と低水準の債務を抱える経済主体が直面する制約とが異なる限りにおいてである、ということになる。このことは、すべての債務はまったく同じものとして創造されるわけではない、ということを意味している。そして、過去の(ある経済主体による)過剰な借り入れが原因で生じた問題を現在の(また別の経済主体による)借り入れによって解決し得るのは、すべての債務がまったく同じものではないからなのである。この点は我々のモデルが非常に明瞭に示しているところである。我々のモデルによれば、少なくとも原則としては、国債発行によって賄われた政府支出(deficit-financed government spending)は、高水準の債務を抱えた民間の経済主体がバランスシートの改善を進めている間にあっても、経済が失業の増加やデフレーションを経験せずにすますことを可能とするのである。また、我々のモデルによれば、政府はデレバレッジングの危機が過ぎ去ったのちに自らが抱える債務を返済し得ることが示されている。

本論説の内容を要約すると、債務の役割と債務者が直面する制約とを真剣に(あるいは明示的に)考慮に入れることで、現在世界経済が直面している問題とその(あり得る)解決策とに対するずっとクリアな見通しを得ることができる、ということである。そして、そう、我々の分析が示唆していることは、政策当局者に対して(政策的に何をなすべきかという点について)指針を提供している現在の通念はほぼ完璧に間違っている、ということである。


(訳注)参考文献にもあがっている本論説の基になった論文(Eggertsson and Krugman 2010)によれば、2タイプのエージェントはそれぞれが有する時間選好率の違いによって区別されることになる。「気長な」(“patient”)/「気短な」(“impatient”)、というエージェントの名前からも予測されるように、「気長な」タイプの方が「気短な」タイプよりも時間選好率が低いエージェントとして特徴づけられている。


<参考文献>

〇Eggertsson, Gauti and Krugman, Paul (2010), “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap(pdf)”, mimeo
〇Fisher, Irving, (1933), “The Debt-Deflation Theory of Great Depressions(pdf)”, Econometrica, Vol. 1, no. 4.
〇Koo, Richard (2008), The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from Japan’s Great Recession, Wiley.
〇Minsky, Hyman (1986), Stabilizing an Unstable Economy, New Haven: Yale University Press.

2010年11月5日金曜日

Barry Eichengreen 「大停滞と大不況;回顧と教訓(2)」


Barry Eichengreen , "The Great Recession and the Great Depression: Reflections and Lessons(pdf)"(Central Bank of Chile Working Papers No.543, September 2010;その(1)はこちら

ここで少し話題を変えることにしよう。ただし、歴史(歴史に関する分析)に依拠して最近の出来事を理解するというこれまでのスタイルはそのまま維持することにしよう。今次の大停滞は国際的な経済システムに生じた危機であったということもあり、この先グローバリゼーションの流れが逆行することになるのではないかとの声を耳にする機会が増えることになるかもしれない。ここで金融のグローバリゼーション(financial globalization)とそれ以外の側面におけるグローバリゼーションとを区別した上で、まずは金融のグローバリゼーションの今後について論じることにしよう。端的に結論めいたことを言えば、金融のグローバリゼーションの黄金時代はすでに過ぎ去った、と言い得るかもしれない。 Given the urgency attached to creating orderly resolution regimes for nondepository financial institutions (something that can be done at this stage only at the national level, given lack of international agreement on how to structure them), pressure will increase to ensure that the domain of such institutions coincides more closely with the domain of regulation. All this will mean that somewhat less capital will flow across national borders. (I emphasize the “somewhat” in that last sentence, to remind you that I am not getting carried away.)

On the recipient side, emerging markets are keenly aware that countries that relied most heavily on capital inflows suffered the greatest dislocations when the crisis hit and deleveraging occurred. Countries such as South Korea, where half of all domestic stock market capitalization was in the hands of foreign institutional investors, saw their markets crash, as these foreign investors liquidated holdings in a desperate effort to repair damaged balance sheets. In contrast, the countries that had internationalized their financial markets more slowly suffered less serious disruption. Governments are therefore likely to do more to limit inflows in the future. We have seen the Brazilian authorities impose a 2% tax on some forms of portfolio capital inflow. Korea’s Financial Supervisory Agency has announced it intends to impose additional capital charges on banks borrowing offshore. One can question the effectiveness of these measures: will Brazil’s measures be evaded via offshore markets or Korea’s via shifting transactions from bank to nonbank financial institutions, for example. To answer these questions, people will almost certainly return, yet again, to another historical episode, namely, Chile’s experience in the 1990s.6

The other thing needed to deal with capital flows – you will not be surprised to hear this from me – is exchange rate flexibility sufficient to create two-way bets. The absence of this flexibility is fueling the carry trade, which in turn is giving rise to frothy property and asset markets, especially in Asia. Given expectations that the dollar can only decline and that Asian currencies can only rise, there is an irresistible temptation to use dollar funding, at what are effectively negative real interest rates, to invest in Asia, where values can only rise with currency appreciation. Letting currencies adjust now, so that there is no longer the prospect of a one-way bet, would help to relieve this pressure. Latin America is by no means immune to the carry trade, but the fact that the major countries, not least this one, allow their currencies to fluctuate relatively freely means that this tendency has affected local markets less. To put it another way, the point is that US monetary conditions, which remain loose for good reason, are not appropriate for emerging markets, whose problems are, if anything, incipient inflationary pressure and strong economic growth. And capital flows are the vehicle through which pegging to the dollar causes these countries to import US monetary conditions.

I could cite various historical illustrations of the danger. The locus classicus again is the Great Depression. The carry trade contributed to the unstable equilibrium of the 1920s, as investors funded themselves at 3% in New York to lend to Germany at 8%. Then as now, the migration of capital from low- to high-interest-rate countries was predicated on the mirage of stable exchange rates.

Another example is the 1960s, when Germany was in the position China is in now. Everyone understood that the deutschemark would rise against the dollar. Everyone who could get their hands on dollars poured them into German assets, since exchange rate policy offered a one-way bet. As a result the Bundesbank was forced to wage a continuous battle against imported inflation. One might object: if this problem was so serious, why didn’t it result in a dangerous bubble followed by a devastating crash? The answer is that the German authorities limited the impact on the economy. They revalued in 1961 and 1969. And they imposed Brazilian-style capital controls in April of 1970 and May of 1971.7 But it was only when they allowed the deutschemark to float, first in 1971 but especially in 1973, that they finally got a handle on the problem.

* * * * *

Let me turn finally to other aspects of globalization. I want to argue that what is true of finance – that the golden age of globalization is past – is less obviously true of other aspects of globalization. There is little likelihood that we will see this rolled back. US appliance manufacturers continue to do assembly in Mexico, global credit crisis notwithstanding. German auto companies continue to source parts and components in Eastern Europe. East Asia is of course the prime case in point. Trade there, in parts and components, has been growing exponentially. China is effectively serving as a gigantic assembly platform, for the region and the world.

Moreover, the logic for these global supply chains and production networks remains intact. The cost of air transport has fallen by two-thirds since 1950. Ocean freight rates have fallen by a quarter as a result of containerization and other advances in logistics. And what is true of transportation is true of communication: the cost of satellite communications is barely 5% what it was in the 1970s. Then there is the cost of communicating via the Internet, a medium that didn’t exist four decades ago. The outsourcing of back office services, transcription, data entry, and now software engineering and financial analysis to developing economies reflects these same advances in communications technology, which are not going to be rolled back.

To be sure, one can imagine channels through which the backlash against financial globalization could spread. Trade grows more quickly when there is easy access to trade finance. At the height of the crisis the difficulty of securing letters of credit, which are important for financing export transactions and giving exporters confidence that they will be paid, had a profoundly depressing impact on export and import transactions. HSBC, a leading supplier of trade finance, reported in November 2008 that the cost of insuring letters of credit had doubled in little more than a month.8 In response, however, there were a variety of concerted interventions by multinationals and national import-export banks. In response, the volume of trade has recovered.

And even if financial de-globalization is permanent, it will still be possible for importers and exporters to obtain trade credit from national sources. That is, even if cross-border financial transactions remain more limited than in the past, it will still be possible for US exporters to get trade credit from US banks and for Korean exporters to get trade credit from Korean banks. When only a handful of countries had well developed financial markets and banking systems, this would have been a problem. It would no longer be a problem today.

There may also be a destructive interplay between the politics of domestic economic liberalization and the politics of globalization. Insofar as a legacy of the crisis is an extended period of high unemployment, the voting public may grow disenchanted with liberalization. The end-August 2009 Japanese elections are consistent with this view. The voting public may grow disaffected with globalization since it has failed to deliver the goods.

Here it will be important for our leaders to make the case for free and open trade. They will have to draw a firm distinction between financial and other aspects of globalization. It will be important for them to distinguish between the need for tighter regulation of financial markets, where the justification is clear on the grounds of consumer protection, market integrity and systemic stability, on one hand, and tighter regulation of other markets, on the other, where the need is less evident and the response should be on a case-by-case basis.

These distinctions were not drawn in the 1930s, when there was a backlash against both trade and finance and when governments intervened equally in domestic and international markets. Experience after World War II is more reassuring. In the third quarter of the 20th century, global trade expanded vigorously, despite the fact that international financial transactions remained heavily controlled. And notwithstanding enduring hostility to the deregulation of financial markets and liberalization of international financial flows, political consensus favoring trade liberalization was successfully maintained through successive GATT rounds, over fully half a century. This experience offers at least cautious grounds for hoping that the same will again be possible. I for one am hopeful.

2010年11月2日火曜日

Krugman and Obstfeld 「流動性の罠から抜け出すための一方策~スヴェンソンのFoolproof Way~(2)」


Paul Krugman and Maurice Obstfeld, “Fixing the Exchange Rate to Escape from a Liquidity Trap(pdf)”(in 『International Economics: Theory and Policy(8th)』, Ch.17, Online Appendix A(1)と(2)を一つにまとめたものをScribdにアップしておきます)

Figure 1 は、経済が流動性の罠に陥る可能性を考慮した場合にAA-DD図(訳注1)がどのように修正されることになるかを示したものである。DD曲線は先の章と同様の形状をとるが、AA曲線はAA1曲線のように低水準の生産量の範囲において水平な形状をとることになる。AA曲線の水平部分は、生産量が極めて低水準であることを反映して(それに伴い生産量=所得の増加関数である貨幣需要も小さくなる;訳者注)、貨幣市場の均衡をもたらす利子率がゼロ%(R=0)となる事実を表している。また、AA曲線の水平部分は、名目為替レートが Ee /(1 - R*)以上の水準に上昇し得ない(減価し得ない)ことも示している。 図にあるように、均衡点1においては、生産量は完全雇用を実現する生産量(Yf)以下の水準 Y1 にとどまることになる。


次に、この物珍しいゼロ金利の世界において買いオペを通じたマネーサプライの増加がどのような効果を持つことになるかを見てみることにしよう。Figure 1 ではマネーサプライ増加の効果について詳しく跡付けることはしていないが、マネーサプライを増加させればAA曲線が右方にシフトすることになるだろう。マネーサプライの増加によってAA曲線が右方にシフトするのは、任意に与えられた名目為替レートの下で(名目為替レートが一定の水準にある場合は名目利子率R も一定の水準にとどまることになる)、再び貨幣市場において均衡がもたらされるためには(マネーサプライの増加による貨幣の超過供給を埋め合わせるに十分なだけ)生産量(所得)Yが増加して貨幣需要が増加する必要があるからである。マネーサプライが増加する結果として、AA曲線の水平部分は右方に向けて長く伸びることになるだろう。AA曲線の水平部分が右方に長く伸びるということは、名目利子率がプラスの水準に復するまでに(そしてAA曲線の右下がり部分に沿って名目為替レートが増価するまでに)生産量ならびに(生産量の増加関数である)貨幣需要が増加する余地がこれまで以上に広がることを意味する。マネーサプライの増加がもたらす驚くべき結果は、経済は点1にとどまったまま動かないということである。金融緩和は生産量に対しても為替レートに対しても何の影響も及ぼさないわけであり、こういう意味で経済は罠に嵌ってしまった、ということになるわけである。

流動性の罠に関するここまでの議論においてキーとなる要素は、将来の期待名目為替レート(Ee)は不変であるという先に置いた仮定である。ここで、中央銀行がマネーサプライを永続的に(permanently)増加させることを信頼のおけるかたちで約束できるとしよう。この約束が信頼されれば、現時点におけるマネーサプライの増加とともに Ee が上昇することになる。 Ee の上昇を実現する信認のある永続的なマネーサプライの増加はAA曲線を右上方向へシフトさせることになり、その結果として生産量が増加するとともに名目為替レートが減価することになるだろう。しかしながら、これまで日本経済を観察してきた人々は、日本銀行の審議委員らは-1930年代初頭のセントラルバンカーの多くと同じように-為替の減価とインフレーションとを非常に恐れており、そのため日本銀行が永続的に為替を減価させると約束してもマーケットがその約束を信用することはないだろう、と主張してきた。そうだとすれば、マーケットは日銀が後になって為替を増価させようとする意図を持っているのではないかと疑うことになり、そのためいかなる金融緩和も一時的なものとみなされることになるであろう(原注1)。

ラルス・スヴェンソン(Lars E. O. Svensson)プリンストン大学教授は、日本経済のジャンプスタートを可能とするもっと確実な方法を提案している。彼は、マーケットの(将来の名目為替レートに関する)期待に対してもっと直接的なかたちで働きかけるための方法として、名目為替レートを現在マーケットで成立している水準よりも割安な(減価した)水準で固定させたらどうか、と提案している。このスヴェンソン提案の簡略化バージョンを図にしたものが Figure 2 である(原注2)。図に示されているように、名目為替レートを減価させた上で永続的に E0 の水準に固定すればAA曲線が AA1 から AA2 にシフトすることになり、その結果経済は即座に新たな均衡である点2―完全雇用を実現する生産水準―に向けて移動することになる。図によれば、均衡点2 は新たなAA曲線の右下がり部分に位置しているが、このことは点1から点2への移動に伴って名目利子率 R が上昇することを意味している。しかしながら、為替の減価によって世界の需要が日本製品に振り向けられることで結果として生産量は拡大することになる。新たな均衡において名目利子率が上昇するにもかかわらず、この政策は(為替の減価による純輸出の増加を通じて;訳者注)景気拡張的な効果を持つことになるわけである(原注3)。

果たして日本においてこの政策提案が実際に採用される見込みはあるだろうか? この政策が採用されない場合に待っている事態は、(スヴェンソン提案他によって実現する名目為替レートの減価と同等の程度の)実質為替レートの減価をもたらすことになる長期にわたるデフレーションということになるであろう。日本が抱える問題は経済的な問題であると同時に政治的な問題でもあるように見受けられる。そういうわけで、日本経済が、どのようなかたちで、そしていつの時点で、現下の流動性の罠から抜け出すことになるかを予測することは困難である。

<注>

(原注1) このような見解は以下の論文で述べられている。Paul R. Krugman, “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap(pdf)”(邦訳(山形浩生氏訳)はこちら(pdf)), Brookings Papers on Economic Activity 2: 1998, pp. 137-205.  また、以下の論文も参照せよ。Ronald McKinnon and Kenichi Ohno, “The Foreign Exchange Origins of Japan’s Economic Slump and Low Interest Liquidity Trap”(ワーキングペーパー版はこちら), World Economy 24 (March 2001), pp. 279-315.

(原注2) もっと詳しい説明については、スヴェンソンの以下の論文を参照せよ。 Lars E. O. Svensson, “Escaping from a Liquidity Trap and Deflation: The Foolproof Way and Others”, Journal of Economic Perspectives 17 (Fall 2003), pp. 145-166.

(原注3) 一般的には、通貨切り下げはマネーサプライの変化を伴うことになるだろう。為替レートが特定の水準に固定されるようになれば、マネーサプライの水準は(固定の為替レートが維持されるように)内生的に決定されることになるだろう。Figure 2 では政策の結果として名目利子率と生産量とが同時に上昇することになるので、新たな均衡点2においてマネーサプライが増加することになるのか減少することになるのかは一概には判断できない。マネーサプライが増加する場合には、AA曲線の水平部分の範囲が拡張することになり、マネーサプライが減少する場合にはAA曲線の水平部分の範囲が狭まることになる。

(訳注1) AA-DD図については、本書第3版の邦訳である『国際経済-理論と政策-〈2〉国際マクロ経済学』や第5版の邦訳である『国際経済学』でも説明がなされているので詳しくはそちらを参照のこと。
必要な範囲でAA-DD図について簡単に説明しておくと、AA-DD図は短期における財(生産物)市場と資産市場との同時均衡を描写したものであり、DD曲線は財市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、AA曲線は外国為替市場を含んだ資産市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、それぞれプロットしたものである。 DD曲線が右上がりである理由は、名目為替レートが減価することで総需要を構成する純輸出が増加し、それ(総需要の増加)に合わせて生産量が増加するからである(E↑→Y↑)。また、(通常の)AA曲線が右下がりである理由は、生産量(所得)Yの増加(Y↑)→貨幣需要の増加→(貨幣に対する超過需要の発生によって)名目利子率の上昇(→貨幣市場における均衡の回復)→(Ee、R*が所与の下での金利平価条件より)名目為替レートの増価(E↓)、となるからである(Y↑→E↓)。

2010年11月1日月曜日

Krugman and Obstfeld 「流動性の罠から抜け出すための一方策~スヴェンソンのFoolproof Way~(1)」


Paul Krugman and Maurice Obstfeld, “Fixing the Exchange Rate to Escape from a Liquidity Trap(pdf)”(in 『International Economics: Theory and Policy(8th)』, Ch.17, Online Appendix A


1930年代の長きにわたる大不況(Great Depression)期において、アメリカでは名目利子率はゼロ%に達し、アメリカ経済は経済学者が言うところの「流動性の罠」に陥ることになった。貨幣は資産のうちで最も流動的な資産である-貨幣は、財と容易に交換できる性質を備えたユニークな資産である-。流動性の罠が罠と呼ばれる理由は、一度名目利子率がゼロ%に達してしまうと、中央銀行がマネーサプライを増加させても(つまりは、経済の流動性を増加させても)名目利子率はもはやそれ以上(ゼロ%以下の水準に向けて)下落し得ないからである。どうしてだろうか? その理由は、名目利子率がマイナスの水準になると、人々は債券を保有するよりは貨幣の保有を強く望むようになり、その結果として債券市場が超過供給状態に陥ることになるだろうからである(訳注1)。ゼロ%の名目利子率はお金を借りる人にとってみれば喜ばしいことであろう。というのも、金利負担なしでお金を借りることができるからである。しかしながら一方で、ゼロ%の名目利子率はマクロ経済政策を実施する政策当局にとっては悩みの種となる。というのも、名目利子率がゼロ%に達するや、政策当局はもはや伝統的な金融政策によってはマクロ経済をコントロールし得なくなるかもしれない状況に嵌り込んでしまうからである。しかしながら、本付録で示すように、名目為替レートを現在マーケットで成立している水準と比べて十分に減価した割安な水準に固定することによって、経済を流動性の罠から脱出させることが可能となるのである。

経済学者は、流動性の罠はもはや過去のものであると考えていた-1990年代後半に日本経済が明らかに流動性の罠にはまることになるまでは。日本銀行-日本の中央銀行-による名目利子率の段階的な引き下げにもかかわらず、日本経済は十年以上にわたる停滞を経験することになった。1999年には、日本の短期名目利子率は実質的にゼロ%に達することになった。例えば、日本銀行が伝えるところでは、2004年9月にオーバーナイト金利はわずか0.001%の水準であった。

経済が流動性の罠に陥って停滞している状況下において中央銀行が直面することになるジレンマは、国内の名目利子率(R とおく)がゼロ%である場合(R = 0)の金利平価条件を検討することにより明らかとなる(訳注2)。


R = 0 = R* + (Ee - E)/ E

ここしばらくの間、将来の期待名目為替レート(Ee)は不変である(所与)と想定することにしよう。ここで、中央銀行が、一時的に為替レートを減価させることを意図して国内のマネーサプライを増加させたとしよう(つまり、現時点において E は上昇するが、その後しばらくして Ee の水準にまで下落する)。金利平価条件によれば、一度 R = 0 となれば E はこれ以上上昇し得ない(為替はこれ以上減価し得ない)ことがわかる。 E の上昇を実現するためには国内の名目利子率 R がマイナスにならなければならないからである。 R=0 が成り立っている状況では、マネーサプライの増加にもかかわらず、名目為替レートは以下の水準


E = Ee /(1 - R*)

に止まり続けることになるだろう。名目為替レート E はこの水準を超えて上昇し得ない(減価し得ない)わけである。

どういった次第でこのような結論になるのだろうか? マネーサプライを一時的に増加させれば名目利子率が下落する(ならびに名目為替レートも減価する)という通常の議論は、人々は(投資対象として)債券が貨幣と比べて魅力的でなくなる場合に限って自身のポートフォリオ上における貨幣の保有を増やすようになる、との前提に基づいている。しかしながら、利子率がゼロ%(R=0)であるような状況では、人々は貨幣を保有するか債券を保有するかに関して無差別となるかもしれない-貨幣の保有からも債券の保有からも同じ水準の利回り、つまりはゼロ%の利回りが得られることになる。このような状況で、中央銀行が買いオペレーションを通じて貨幣と引き換えに債券を購入しても市場が撹乱されることはないだろう。債券を手放して新たに貨幣を手にした人々は、増えた貨幣をそのままポートフォリオ上に保有することで満足し、そのために利子率は変化せず、それゆえ為替レートも変化することはないだろうからである。先の章で検討したケースとは反対に、(国内の名目利子率がゼロ%である状況においては)マネーサプライの増加は経済に対して何らの影響をも及ぼさないだろうことが予想されるわけである。市中に債券を売却(売りオペレーション)してマネーサプライを段階的に減少させれば最終的に名目利子率が上昇することになるだろうが-経済は幾ばくかの貨幣なしには機能しえないのである-、この可能性(=マネーサプライを縮小させ続ける結果として名目利子率が上昇する可能性)は、経済が停滞している状況においてはもちろん助けとなるものではない。

(続く;その(2)へ)


<注>

(訳注1) 債券市場が超過供給状態になれば、債券価格に下落圧力が働くことになる。債券価格の下落=債券利回り(=利子率)の上昇を意味しており、名目利子率はゼロ%以下の(マイナスの)水準から正の水準に向けて上昇することになるだろう 。

(訳注2)  R* は外国の名目利子率、E は自国通貨建ての名目為替レート(対ドル為替レートを考えれば、例えば「1ドル=80円」との表示方法が採用されることになる。よって、E の値が上昇すれば円安(減価)を、E の値が下落すれば円高(増価)を、意味することになる)、をそれぞれ表している。