2010年11月25日木曜日

Mark Thoma 「QEⅡって何?」(2010年11月15日)

Mark Thoma, “What is QEII?moneywatch.com, November 15, 2010)


最近よく耳にする「QEⅡ」って何なのだろうか? QEというのは、Quantitative Easing(量的緩和)の略だ。前にも試みられたことがあり(1度目のQEということで、「QE I」と呼ばれている)、これから再度試みられようとしているが(2度目のQEということで、「QE II」と呼ばれている)、そのメカニズムについてはイールドカーブ(利回り曲線)を用いて説明することができる。イールドカーブというのは、債券だとかの金融資産の期待利回り(≒金利)が満期(償還期間)の違いに応じてどのように変化するかを示したもので、図示すると以下のようになる。



横軸には、債券だとかが償還されるまでの期間がとられている。FF市場(コール市場)で取引されるオーバーナイト物(翌日物)の貸借のように満期が短い金融資産が左側に位置していて、満期が30年のモーゲージ(住宅ローン)のように満期が長い金融資産が右側に位置している。中間には、左から順に3ヶ月物、6カ月物、1年物、5年物、10年物、20年物だとかの金融資産が位置している。縦軸には、期待利回りがとられている。イールドカーブは右上がりの形状をしているのが一般的である。お金を手放して投資に回す期間が長くなるほど、見返りとして高い利回りが必要とされるからである。

住宅バブルが発生するまではどうだったかというと、Fedはイールドカーブ全体を上方あるいは下方にシフトさせることができた。財務省短期証券(TB)の売り買いを通じて、長期金利も短期金利もどちらもコントロールできていたのである(下図参照)。



しかしながら、住宅バブルが発生してから崩壊するまでの間に、Fedはイールドカーブの右側をコントロールできなくなったかのように見えた。FedがTBを売り買いしても、長期金利にそこまで影響を及ぼせなくなったのである(下図参照)。



企業による設備投資の決定だとか、家計によるあれこれの決定だとか――新築住宅の購入だとか、車や冷蔵庫のような耐久消費財の購入だとか――は、長期金利の変化によって左右される面が大きいので、長期金利にそこまで影響を及ぼせなくなってしまったという事実は、Fedにとって心配の種になった。Fedが長期金利にそこまで影響を及ぼせなくなった理由については完全には解明されなかった。金融危機が勃発してそれどころではなくなったからである。しかしながら、打つ手がないわけではない。イールドカーブの右側に位置する満期が長めの国債を売り買いすればいいのである。そうすれば、長期金利を望む方向に変化させられる可能性があるのだ。

「QEⅡ」でやろうとしているのがまさにそれなのだ。従来のように満期が短い金融資産を売り買いするのではなく、満期が長めの金融資産を売り買いしてイールドカーブの右側に直接働きかけようとしているわけで、それ以外の面では伝統的な金融政策と何ら変わらないのである。

しかしながら、イールドカーブの右側に直接働きかける必要性が生じているのは、金融危機が勃発する直前までのようにFedがTBを売り買いしても長期金利にそれほど影響を及ぼせないからというわけじゃない――住宅バブルが弾けると、TBの売り買いを通じて長期金利に再び影響を及ぼせるようになった――。イールドカーブの左側にある短期金利をもうこれ以上引き下げられなくなってしまったからなのだ。

Fedがイールドカーブの左側に働きかけることができないのは、Fedが操作対象にしている短期金利――オーバーナイト物のFF金利――の水準が現時点でほぼゼロ%だからである。もうこれ以上引き下げられないのだから、イールドカーブの左側に働きかけても大して効果は生まれないだろう。しかしながら、満期が長めの金融資産を買えば、長期金利を引き下げることは依然として可能なのだ(下図参照)。



長期金利が低下すれば、企業による設備投資や家計による消費が刺激されるかもしれない(為替レートが減価して純輸出が増える可能性もあるが、Fedとしては「QEⅡ」で為替レートを変化させるつもりはないらしい。詳しくはこちらを参照されたい)。

そこで、「QEⅡ」の登場である。イールドカーブに働きかけるという意味では、「QEⅡ」も伝統的な金融政策と何ら変わらないのだ。

Robert Barro 「QE2に関する私見」(2010年11月23日)

Robert Barro, “Thoughts on QE2”(Free Exchange, November 23, 2010)


Fedが第2弾の量的緩和――QE2と呼ばれている――に踏み切ったことに対して、賛否が入り乱れている。しかしながら、率直に言わせてもらうと、賛否どちらの立場であれ、その多くは主要な争点を考えるための首尾一貫した分析枠組みを欠いているようだ。この場を借りて、そのような分析枠組みを試しに提示してみようと思う。

Fed――議長をもって代表させるとすれば、ベン・バーナンキ――は、景気回復の足取りが鈍いのを気にかけているようだ。とりわけ、デフレーションに陥るのではないかと気に病んでいるようだ。そのような懸念材料を振り払うために、Fedが着手しようとしている新たな金融緩和策がいわゆるQE2である。私なりに達した主要な結論をまとめると、以下のようになる。

  • 短期金利がほぼゼロ%である今のような状況においては、財務省短期証券(Tビル)を購入対象とする買いオペレーションは何の効果も持たないだろう(この点についてはFedも同意している)。
  • 長期国債を購入対象とする買いオペ(QE2)は、景気を刺激する効果を持つかもしれない。しかしながら、長期国債を購入対象とする買いオペは、「既発国債の満期構成の短期化」とその効果において変わりがない。そのような国債管理政策もどきを財務省ではなくFedが担うべき理由となると、はっきりしないのだ。

Fedが今後の課題として最も意識しているのは、出口戦略の問題である。すなわち、景気が順調に回復して短期金利が上昇し出した場合にインフレが加速しないようにするためにはどうしたらいいかという問題である。売りオペをすればいいというのが標準的な答えだが、売りオペをしたら景気回復の腰が折られてしまうのではないかと心配する声がある。その一方で、準備預金への付利(IOR)という新たな手段のおかげで、景気回復の腰を折らずにインフレの加速を防ぐことができるというのがFedの考えのようだ。準備預金に対して支払われる金利を引き上げればいいというのである。しかしながら、それは間違っていると思う。出口戦略について私なりに達した結論は、以下の通りである。

  • 準備預金に対して支払われる金利を財務省短期証券(Tビル)の利回り(短期金利の一つ)が上昇するのに合わせて引き上げても、FedがTビルを売って準備預金の残高を減らすのとその効果において変わりがない。準備預金に対して支払われる金利を引き上げても、通常の売りオペとその効果において変わりがないのだ。
  • FedがTビルではなく長期国債を売却するという出口戦略も考えられる。そうしたら、準備預金の残高が減るだけでなく、既発国債の満期構成が長期化することにもなる。ただし、Fedの手を借りないでも財務省が単独でやれることでもあるし、Fedの邪魔をすることだってできるのだ。

これまでを振り返っておくと、Fedのバランスシートの規模は2008年8月以降に1兆ドル近く拡大している。すなわち、Fedが保有する資産が2008年8月以降に1兆ドル近く増えている一方で(そのうちのほとんどが不動産担保証券で占められている。この点については、また別の機会に論じるかもしれない)、バランスシートの反対側である負債サイドで超過準備が1兆ドル近く増えているわけである。超過準備はほとんど利子がつかない無利子資産と言っていいが、景気が低調だったこともあって、民間の金融機関はこれほど大量の無利子資産をすすんで受け入れた(準備預金をすすんで預け入れた)のである。とりわけ、金融危機が勃発すると、低リスクの資産に対する需要が急増した。準備預金もそのうちの一つだったわけである。低リスク資産に対する需要が急増したために、「貨幣」( “money” )の量が急増したにもかかわらずインフレが起きなかったのだ。

Fedに準備預金を預け入れる資格を持つ民間の金融機関にとっては、同じくらいの金利が支払われるようなら、超過準備(準備預金)を保有するのもTビルを保有するのも変わりがないだろう。実際のところはどうかというと、準備預金に対して支払われる金利もTビルの利回りもほぼゼロ%である。このような状況でFedが通常の買いオペを行えば――すなわち、市中からTビルを買い入れるのと引き換えに準備預金の供給量を増やしたら――、民間部門が保有するTビルの量が減って、それと同額だけ準備預金の残高が増えることになる。民間の金融機関からすると、準備預金とTビルは同じ資産のようなものなので、通常の買いオペは同じ資産を交換しているに過ぎずに何の効果も持たないだろう。つまりは、物価水準に対しても実質GDPに対しても何の影響も及ぼさないだろう。

長期国債を購入対象とする買いオペ(QE2)というのは、市中にあるTビルを増やす一方で、市中にある長期国債を減らすようなものである。Fedが長期国債を買い入れると、市中にある長期国債の量が減って、それと同額だけ準備預金の残高が増える。民間の金融機関からすると、準備預金とTビルは同じ資産のようなものなので、準備預金の残高が増えるというのは、Tビルの手持ちの量が増えるようなものなのだ。Tビルの利回りと長期国債の利回りには差がある――現時点でのTビルの利回りは0.1%である一方で、10年物国債の利回りはおよそ3%――事実が示しているように、Tビルと長期国債は異なる資産である。異なる資産が交換されるわけだから、QE2が試みられて市中に出回る長期国債の量が減ったら、長期国債の価格が上昇する――同じことだが、長期金利が低下する――可能性がある。長期金利が低下するようなら、総需要が刺激されるかもしれない。理屈としては筋が通っているかもしれないが、既に指摘したように、財務省が国債の満期構成を短期化させようとしても――Tビルの発行額を増やす一方で、長期国債の発行額を減らしても――効果に違いはないはずである。

景気が順調に回復して、民間の金融機関が低リスクで無利子の超過準備をこれまでのようにすすんで持ちたがらなくなったら、出口戦略の出番である。準備預金に対して支払われる金利がほぼゼロ%の水準に据え置かれるだけでなく、通常の売りオペも行われないようなら、1兆ドルの超過準備が火を噴いてインフレが加速するおそれがある。通常であれば、そうならないようにするために、Tビルを売って「貨幣」の量を減らす売りオペが試みられるだろう。

準備預金への付利を活用すれば、出口戦略を改良できるというのがFedの考えらしい。Tビルを売らずに、準備預金に対して支払われる金利を引き上げたらいいというのである。例えば、Tビルの利回りが2%にまで上昇したら、準備預金に対して支払われる金利も同じ水準(2%)にまで引き上げたらいいというのである。そうしたら、民間の金融機関が1兆ドルの超過準備をそのままFedに預けておくだろうというのだ。しかしながら、準備預金に対して支払われる金利が引き上げられてTビルの利回りと同じになったら、FedがTビルを売っても売る前と何も変わらないだろう。1兆ドルの超過準備を減らすために、Fedが1兆ドルのTビル――それだけの額のTビルを保有していたとしての話だが――を売ったとしても、同じ資産を交換しているだけに過ぎないから何の効果も起きないだろう。準備預金に対して支払われる金利をTビルの利回りが上昇するのに合わせて引き上げるという出口戦略は、Tビルを売る通常の売りオペとその効果において変わりがないのだ。

その代わりに試みるべきなのは、Tビルの売却ではなく(FedはTビルをそんなに保有していない)、2008年8月以降にFedのバランスシート上で蓄積されることになった資産の売却なのだ。QE2を試みた末に出口戦略に乗り出すとなったら、売却の対象になるのは長期国債ということになるだろうが、不動産担保証券も対象になるかもしれない。長期国債を売れば、長期国債を買う場合とは逆の効果が生じるかもしれない。Fedが長期国債の売りオペを試みて市中に出回る長期国債の量が増えると、長期国債の価格が低下する――同じことだが、長期金利が上昇する――可能性があって、そのおかげでインフレが抑制されるかもしれないのだ。しかしながら、財務省はその邪魔をできる。Tビルの発行額を増やす一方で長期国債の発行額を減らしたら(そのようにして既発国債の満期構成の長期化に抗したら)、Fedによる長期国債の売りオペの効果を相殺することができるのだ。

結論をまとめるとしよう。QE2は、短期的には景気を刺激する効果を持つかもしれないし、デフレ懸念を払拭するのに役立つかもしれない。しかしながら、財務省が既発国債の満期構成を変化(短期化)させてもQE2と同様の効果を生み出すことができる。QE2が抱えているマイナス面は、出口戦略の舵取りを難しくさせるところにある。大規模な金融緩和を試みた後にインフレが加速しないように防ぐという出口戦略の舵取りを難しくさせるのだ。しかしながら、Fedはというと、出口戦略の舵取りにだいぶ自信を持っているようだ。準備預金への付利という新たな手段をうまく活用すれば、無傷で出口に到達できると考えているようなのだ。しかしながら、それは間違っているのだ。

2010年11月24日水曜日

Nicholas Crafts&Peter Fearon 「記憶にとどめておくべきエピソード:1937~38年のアメリカの不況から得られる教訓」(2010年11月23日)

Nicholas Crafts&Peter Fearon, “A recession to remember: Lessons from the US, 1937–1938”(VOX, November 23, 2010)
 
今回の世界的な経済危機と1930年代の大恐慌(Great Depression)が比較されることは多いが、「1937年の不況」について論じられることは少ない。本稿では、「1937年の不況」からどのような教訓が得られるかについて検討する。「1937年の不況」が教訓として世の政策当局者に伝える主たるメッセージは以下の二つである。①財政再建を先延ばしするなかれ。②財政再建を試みるために財政刺激策から手を引くのであれば、金融緩和によって総需要を下支えせよ。

大恐慌以来最も深刻な不況と金融危機から回復しつつあるOECD諸国では、出口戦略で過ちを犯さないことが政策当局者にとっての関心事になっている。景気刺激策から手を引くのが早すぎると、再び景気後退に陥ってしまうおそれがある。その一方で、景気刺激策から手を引くのが遅すぎると、インフレの過熱を招いてしまうおそれがある。

金利(名目利子率)がゼロ%ないしはその近辺にある限りは、財政乗数の値はおそらく大きいだろう。しかしながら、中期的な観点からすると、財政の持続可能性(fiscal sustainability)の確保に努める必要がある。銀行危機の影響で潜在GDPが落ち込み、そのせいで構造的財政赤字――GDPギャップがゼロで完全雇用が達成されている状態での財政赤字額――が拡大しているからである。

今のこのタイミングで、1937~38年にアメリカを襲った厳しい不況を振り返ってみるのも時宜を得ているだろう。大恐慌から順調に回復していたアメリカ経済に突然襲いかかった1937~38年の不況は、米国外の経済学者の多くにはあまり知られていないが、心にとどめておくべき教訓を投げかけているのだ。フランソワ・ヴェルデの最近の論文(Velde 2009)で、1937~38年のアメリカで何があったかが巧みにまとめられているだけでなく、鋭い分析も加えられている。


大恐慌からの回復

アメリカ経済は、1933年以降に堅調な景気回復を経験した。表1にあるように、実質GDPが1937年までにほぼピークの水準にまで戻り、大恐慌のどん底だった1933年初頭の水準を40%以上も上回ったのだ。景気が勢いよく回復した主たる理由は、1933年3月に金本位制から離脱して新たな政策レジーム(policy regime)が採用されたからだというのが共通の理解である。クリスティーナ・ローマーが指摘しているように(Romer 1991, 2009)、金本位制から離脱した後にマネーサプライが非常に急速な勢いで増えた。重要なのは、新しい政策レジームへの移行に伴ってインフレ期待がシフトした――予想インフレ率が上昇した――ことである。そのことが「流動性の罠」から抜け出すのに重要な役割を演じたというのが、エガートソンがDSGEモデルを使って導き出している結論である(Eggertsson&Pugsley 2006, Eggertsson 2008)。ローマーもエガートソンも共通して指摘しているように、名目利子率がゼロ%近辺でそれ以上下がりようがなかったにもかかわらず、ルーズベルト大統領が1920年代中頃の水準にまで物価を引き戻す強い意志を見せたおかげでインフレ期待が劇的に高まって、実質利子率が大幅に下落することになったのである。そのおかげで景気が刺激されたのだ。連邦財政支出も急激に増えたが、経済史家にとっては周知のように、ニューディール政策は「穏やかな」財政刺激策というに過ぎなかった。とは言え、インフレ期待のシフトに貢献した可能性はある。当時の財政赤字の規模は対GDP比で3%あるいは4%程度だったが、赤字になったのは景気が低迷して税収が落ち込んだせいだったのである。



表1 四半期別の実質GDP
(1929年第3四半期(1929 Q3)の実質GDPを100とした場合)
データの出所:Balke&Gordon (1986)


1937年初頭の段階では依然としてGDPギャップが存在していたが――バルケ&ゴードン(Balke&Gordon 1986)によると、当時のGDPギャップは対GDP比で15%程度と見積もられている――、不況はもう終わったというのが世の中の認識だった。政策当局者はどうだったかというと、インフレや財政赤字を気にかけるようになっていた。Fedはというと、銀行システムに積み上がった大量の超過準備に懸念を抱き、財務省はというと、政府債務残高の対GDP比が1929年から1937年までの間に16%から40%に上昇したことに懸念を抱いたのである。 

1936年に所得税率が引き上げられて、1937年1月に社会保障税が導入されると、1938年に連邦財政収支がほぼ均衡するに至った。1936年に退役軍人に対するボーナスの支払いによって一時的に歳出が急増したものの、それ以降は歳出が削減された。結果的に裁量的な財政引き締め――財政黒字――の規模が対GDP比で3%を上回ったというのがラリー・ペッパーズ(Larry Peppers 1973)による推計である。金融政策に目を移すと、1936年12月に金不胎化政策が採用されて、1936年8月から1937年5月までの間に計3度にわたって預金準備率が引き上げられた(結果的にそれまでの倍に引き上げられた)。Fedの高官の口ぶりも変わって、インフレが加速するおそれが強調されるようになった。ヴェルデ(Velde 2009)によると、1937年5月から1938年6月までの景気の落ち込み――1937年5月から1938年6月までというのは、NBER(全米経済研究所)によって景気後退期と認定されている期間――は、財政・金融政策両面における政策変更によって説明し尽くせるという。表1にあるように、この間に実質GDPは約11%も減少した。鉱工業生産は30%以上も減少。設備投資は50%以上も減少。株価は40%以上も下落した。インフレもストップして、物価が再び下落し始めた。それまでの景気回復基調がひっくり返って、1930年代初頭に匹敵するほどの勢いで景気が落ち込んだのである。預金準備率が引き下げられて、金不胎化政策が停止されて、20億ドルに上る財政出動が繰り出されて均衡財政が放棄されると、景気後退も終わったのである。

名目利子率が低いようなら、財政乗数の値はかなり高くて、クラウディング・アウトもそんなに起きそうにない――その方面の理論的な分析や実証結果を概観しているロバート・ホール(Robert Hall 2009)によってもそのことが確認されている――。おそらく1930年代後半も財政乗数の値は高かっただろう。ロバート・ゴードン&ロバート・クレンの二人によると、1940年時点での財政乗数の値は1.8と推計されている (Gordon&Krenn 2010)。となると、財政再建を試みるのであれば、財政緊縮によるデフレ圧力を打ち消すために拡張的な金融政策(=金融緩和)が求められていたはずだが、待っていたのはダブルパンチ(財政緊縮&金融引き締め)だった。手痛かったのは、1936~1937年に政策スタンスが転換されたせいでインフレ期待が萎えたことである。ローマーも指摘しているように、インフレ期待が萎えたせいで実質利子率が急上昇したのだ。エガートソン&パグスレー(Eggertsson&Pugsley 2006)によると、名目利子率が極端に低いようなら、世間のインフレ期待がちょっと変わるだけでも産出量(実質GDP)に大きな影響が及ぶことが見出されている。


「1937年の不況」の教訓

「1937年の不況」が教訓として世の政策当局者に伝える主たるメッセージは、財政再建を先延ばしせよということではない。財政再建を試みるために財政刺激策から手を引くのであれば、金融緩和によって総需要を下支えせよというのが主たるメッセージなのだ。近年においてOECD諸国で試みられた財政再建の成功例に備わる特徴とも符合する。金利が引き下げられたのだ。しかしながら、今現在はどうかというと、1930年代と同様に、名目利子率を引き下げられる余地が残されていない。それゆえ、実質利子率を引き下げようと思ったら、物価が上昇するという予想を醸成する(予想インフレ率を高める)必要がある。そのために量的緩和をさらに進めるというのもありだろうし、「インフレ目標」の代わりに一時的に「物価水準目標」を採用するというのも一考の価値があるだろう。

今回の危機の最中にアメリカをはじめとした各国の政策当局者が見せた積極的な行動は、1930年代初頭に犯された悲劇的なまでの過ちと比べると、大きな進歩を示していると言えよう。そのおかげで、第二の大恐慌(Great Depression)に陥らずに済んだのだ。大不況(Great Recession)にとどめることができたのだ。不況を和らげるためにはどうしたらいいかについては、過去の歴史から重要な教訓がきちんと学び取られている。しかしながら、1930年代は、その他にも目下の状況に関わりのある教訓を投げかけている。例えば、出口戦略についても。1930年代の経験から得られる教訓についてもっと詳しく知りたいようなら、我々が執筆したサーベイ論文(Crafts&Fearon 2010)に目を通してもらえたら幸いだ――このサーベイ論文は、1930年代の経験から得られる教訓についての専門的な研究成果を一般読者に紹介するために編まれた論文集のイントロダクションとして書かれたものである――。


<参考文献>


●Balke, N and RJ Gordon (1986), “Appendix B: Historical Data”, in RJ Gordon (ed.), The American Business Cycle: Continuity and Change. Chicago: University of Chicago Press, 781-850.
●Crafts, N and P Fearon (2010), “Lessons from the 1930s’ Great Depression”, Oxford Review of Economic Policy, 26:285-317.
●Eggertsson, GB (2008), “Great Expectations and the End of the Depression”, American Economic Review, 98:1476-1516.
●Eggertsson, GB and B Pugsley (2006), “The Mistake of 1937: a General Equilibrium Analysis(pdf)”, Monetary and Economic Studies, December, 151-190.
●Gordon, RJ and R Krenn (2010), “The End of the Great Depression, 1939-41: Policy Contributions and Fiscal Multipliers”, NBER Working Paper 16380.
●Hall, RE (2009), “By How Much Does GDP Rise if the Government Buys More Output?(pdf)”, Brookings Papers on Economic Activity, Fall, 183-231.
●Peppers, LC (1973), “Full-Employment Surplus Analysis and Structural Change: the 1930s”, Explorations in Economic History, 10:197-210.
●Romer, CD (1992), “What Ended the Great Depression?”, Journal of Economic History, 52:757-784.
●Romer, CD (2009), “The lessons of 1937”, The Economist, 18 June.
●Velde, FR (2009), “The Recession of 1937 – a Cautionary Tale”, Federal Reserve Bank of Chicago Economic Perspectives, Quarter 4, 16-37.

2010年11月19日金曜日

Paul Krugman 「債務、デレバレッジング、流動性の罠」(2010年11月18日)

Paul Krugman, “Debt, deleveraging, and the liquidity trapVOX, November 18, 2010)

先進国で交わされている政策論議で主役を演じているのが「債務」である。不況やデフレーションを避けるために拡張的な財政政策を試みよと主張する論者がいる一方で、債務(家計による借り過ぎ)によって引き起こされた問題を債務(政府債務)をさらに増やして解決できるわけがないと主張する論者もいる。本稿では、債務ショックとそれへの政策対応について理論的に分析を加えることが可能な新たなモデルの核となるロジックを説明する。異質なエージェント(主体)を導入することによって、「貯蓄のパラドックス」だけでなく、サプライサイドにおける新たなパラドックス――「精励のパラドックス」&「伸縮性のパラドックス」――も成り立つことが見出されている。大半の経済学者が考え違いをしていて、そのせいでアメリカやEUにおいて政策が間違った方向に誘導されてしまう可能性があるのだ。   

アメリカやヨーロッパを悩ましている経済問題をめぐる議論で一番頻繁に登場する単語と言えば、「債務」(“debt”)で間違いないだろう。2000年から2008年までの間に、アメリカでは家計債務の対可処分所得比が96%から128%に上昇した。イギリスの場合は、105%から160%に上昇。スペインの場合は、69%から130%に上昇。急速に累積した債務が危機のお膳立てをしたとも言われているし、過剰な債務が景気の足を引っ張り続けているとも言われている。


フォーマルなモデルはいずこに?

「債務」に対して熱い注目が寄せられている昨今だが、経済学の世界における長い伝統を想起せずにはいられない。フィッシャー(Irving Fisher)のデット・デフレ理論(1931年)から、再注目されているミンスキー(Hyman Minsky)の金融不安定性仮説(1986年)を経て、クー(Richard Koo)のバランスシート不況論(2008年)へと至る伝統だ。世の中で繰り広げられている経済談義の中で「債務」に注目が寄せられていて、景気を落ち込ませる重要な要因として「債務」に着目する長い伝統があるにもかかわらず、どうしたことか見当たらないのだ。政策の現場では「債務」におびただしい関心が寄せられているというのに、「債務」と絡めて経済政策――とりわけ、財政政策および金融政策――について理論的な分析を加えられるモデルが見当たらないのだ。多くの分析(僕のも含めて)は、未だに代表的個人モデル(representative-agent model)を使っている。債務者もいれば債権者もいるという事実がどういう結果をもたらすかを扱いようがないというのに。

エガートソン(Gauti Eggertsson)と一緒に進めている研究(Eggertsson and Krugman 2010)で、そのあたりの欠陥を修正するシンプルなモデルを提供しようと試みている。徹底的にシンプルなモデルだが、世の中が今まさに直面している問題について重要な洞察を与えてくれるに違いないと思っている。そのモデルによると、現実の政策を支えている通念の多くは今みたいな状況では間違っていることが示唆されるのだ。


モデルの核となるロジック

我々のモデルは、標準的なニューケインジアンモデルと構造をほぼ共有しているが、代表的個人の代わりに、「気長な」(“patient”)タイプと「気短な」(“impatient”)タイプの2タイプの主体がいると想定している。「気短な」タイプが「気長な」タイプからお金を借りるのだ。ただし、借り入れ可能な額には上限がある。これくらいなら貸しても安全だろうという暗黙の認識によって上限が決まってくるのだ。

「デレバレッジ・ショック」の結果として、今まさに世の中が直面しているのとそっくりの危機が起こる。具体的な理由はどうであれ、借り入れ可能な額の上限が突如として引き下げられる――「ミンスキー・モーメント」(“Minsky moment”)の到来――。すると、過剰な(借り入れ可能な額の上限を超える)債務を負っている債務者は、支出の急激な切り詰めを強いられる。不況に陥るのを防ぐためには、別の主体が支出を増やさないといけない。そうなるように、例えば金利を下げないといけない。でも、デレバレッジ・ショックがあまりにも強烈なようだと、金利をゼロ%にまで下げても足りないかもしれない。デレバレッジ・ショックが強烈だと、いとも容易く「流動性の罠」に陥ってしまう可能性があるのだ。

それに続いてフィッシャー流のデット・デフレーションのメカニズムも発動するかもしれない。返さないといけない債務の額が名目単位(貨幣単位)で決められていて、デレバレッジ・ショックのせいで物価が下落するようなら、債務の実質的な負担が増すことになる。その結果として債務者はさらに支出を切り詰めないといけなくなって、そのせいで当初のショックが増幅されることになるのだ。フィッシャー流のデット・デフレーションのメカニズムが発動するようだと、総需要曲線は右下がりではなくて右上がりになる可能性がある。物価が下落すると、総需要が減る可能性があるのだ。

デレバレッジ・ショックが強烈なようだと、通常のルールの多くが通用しなくなる「真っ逆さまの世界」に誘われるというのが我々のモデルから得られる一般的なメッセージである。その名は知られているものの、長らく無視されてきた「貯蓄のパラドックス」が成り立つようになるのだ。一人ひとりが貯蓄を増やそうとすると、全体としての総貯蓄が減ってしまうのだ。それだけじゃない。潜在GDPが高まると現実のGDPが減ってしまうという「精励のパラドックス」(“paradox of toil”)も成り立つようになるし、労働者が名目賃金の引き下げをすんなり受け入れるようになると失業が増えてしまうという「伸縮性のパラドックス」(“paradox of flexibility”)も成り立つようになるのだ。

しかしながら、我々のモデルのおかげで靄(もや)が晴れるようになるのは、財政政策の分析においてこそだと思われるのだ。


財政政策に対するインプリケーション

失業を減らすために拡張的な財政政策を試みよと主張すると、債務のことを持ち出して反論してくる人がいる。債務によって引き起こされた問題を債務をさらに増やして解決できるわけがないというのだ。家計が借金し過ぎたのが問題の元凶だというのに、政府にもっと借金しろとでも?

どこが間違っているかというと、どの債務も同じと暗に想定しているところだ。お金を借りるのが誰かというのは重要じゃないと想定しているのだ。でも、そんなことはあり得ない。誰がお金を借りようが関係ないとしたら、そもそも債務が問題を引き起こすことはないだろう。マクロで見ると、債務というのは、我々が自分から借りているお金みたいなものだ。アメリカは中国だとかからお金を借りてるじゃないかというのはその通りだが、そのことは肝心じゃない。海外からの借り入れを無視するか、世界経済をひっくるめて考えれば、債務の総計は純資産の総計に何の影響も及ぼさない。誰かの債務は、他の誰かの資産だからだ。

債務の総計が重要になるとしたら、その理由はただ一つだけだ。誰が債務を負っているかによって違いが出てくるからだ。高額の債務を負っている主体が直面する制約と、低額の債務を負っている主体が直面する制約が違っているからだ。どの債務も同じじゃないのだ。だからこそ、誰かが過去に借り過ぎたのが原因で生じた問題を他の誰かが今から借り入れを増やして解決できる可能性があるのだ。我々のモデルでそのことが明瞭に示されているのだ。我々のモデルによると、高額の債務を負っている民間の主体がバランスシートの改善(デレバレッジ/債務の圧縮)に励んでいても、政府が国債を発行して歳出を増やすと、失業やデフレーションを避けることが少なくとも理論的に可能になるのだ。さらには、デレバレッジ・ショックが原因で起きた危機が過ぎ去ると、国債を償還する余裕が生まれることも示されているのだ。

つまりは、債務の役割と債務者が直面する制約を真摯に受け止めると、世の中が今まさに直面している問題についてだけでなく、あり得る解決策についても見晴らしがずっとよくなるのだ。最後にもう一つ。我々のモデルによると、政策当局者に何をすべきかを勧告している通念は、ひどく間違っている可能性があるのだ。


<参考文献>

●Eggertsson, Gauti and Krugman, Paul (2010), “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap(pdf)”, mimeo
●Fisher, Irving, (1933), “The Debt-Deflation Theory of Great Depressions(pdf)”, Econometrica, Vol. 1, no. 4.
●Koo, Richard (2008), The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from Japan’s Great Recession, Wiley.
●Minsky, Hyman (1986), Stabilizing an Unstable Economy, New Haven: Yale University Press.

2010年11月1日月曜日

Paul Krugman&Maurice Obstfeld&Marc J. Melitz 「『流動性の罠』と為替レート」(2010年)

Paul Krugman&Maurice Obstfeld&Marc J. Melitz, “Liquidity Trap”(in 『International Economics: Theory and Policy (9th)』, Ch. 17, pp. 451-454)


1930年代に長きにわたる大恐慌(Great Depression)に襲われたアメリカでは、名目利子率がゼロ%にまで下がった。経済学者によって「流動性の罠」と呼ばれている状況に陥ったのである。先の章でも述べたように、貨幣は、資産の中で流動性が最も高くて、どんな財とでも容易に交換できるというユニークな性質を備えている。「流動性の罠」が「罠」たるゆえんは、名目利子率がゼロ%にまで下がってしまうと、中央銀行がマネーサプライを増やしても――つまりは、経済に流動性を注入しても――名目利子率をそれ以上引き下げられなくなる(マイナスにできない)からである。そうなる理由は、名目利子率がマイナスになると、債券よりも貨幣を保有する方が断然得になって、債券の需給が一致しなくなる(債券の超過供給が発生する)からだ。名目金利がゼロ%になるというのは、借り手にとっては喜ばしいかもしれないが――お金を借りても金利を払わなくていいのだから――、マクロ経済政策を司る政策当局者にとっては悩みの種なのだ――標準的な金融緩和によって景気を上向かせるのが不可能になってしまうかもしれないのだから――。

「流動性の罠」は過去の遺物というのが経済学者の考えだった。1990年代の後半に日本経済が「流動性の罠」に陥るまでは。日本銀行によって名目利子率が劇的に引き下げられたものの、日本経済は少なくとも1990年代半ば以降から停滞に陥ったままで、デフレ(物価の下落)にも苦しめられた。1999年までに短期名目利子率が実質的にゼロ%に達した。2004年9月時点のオーバーナイト金利――金融政策によって直接的に影響を及ぼせる金利――は、わずか0.001%だったのだ。

日本銀行は2006年にゼロ金利政策を解除して、オーバーナイト金利を徐々に引き上げ始めた。景気回復の兆しが見られたからである。しかしながら、2008年後半に世界的な金融危機が勃発すると、オーバーナイト金利を再びゼロ%に引き下げた。金融危機によって激しく揺さぶられたアメリカでも政策金利がゼロ%にまで引き下げられた。世界中のあちこちの中央銀行も同じく政策金利を劇的に引き下げた。世界中が「流動性の罠」に陥ったのだ。

「流動性の罠」に陥っている状況で中央銀行が直面することになるジレンマについては、国内の名目利子率(R)がゼロ%である場合(R = 0)の金利平価条件を検討すれば一目瞭然となる〔訳注1〕。

R = 0 = R* + (Ee - E)/ E

将来の期待名目為替レート(Ee)は不変だと今のところはとりあえず想定するとしよう。一時的に為替レートを減価させようとして(つまりは、E を一時的に高めようとして)、中央銀行が国内のマネーサプライを増やしたとしたらどうなるだろうか? 金利平価条件に照らすと、R = 0 のようなら、為替レートを減価させられない(E を高められない)ことがわかる。為替レートを減価させるためには、国内の名目利子率(R) がマイナスにならないといけないのだ。 R=0 のようなら、マネーサプライを増やしても、名目為替レートは以下の水準から動かないのだ。

E = Ee /(1 - R*)

名目為替レート(E)はこの水準よりも高くならない(減価しない)のだ。

どういうわけでこんなことになるのだろうか? マネーサプライを一時的に増やすと名目利子率が下落する(ならびに、名目為替レートも減価する)という通常の議論が成り立つのは、債券を保有するのが貨幣を保有するよりも不利にならない限りは、市中に出回る貨幣が増えたらそのまま溜め込まれずに債券の需要が増えると想定されているからである。しかしながら、名目利子率がゼロ%(R=0)になると、貨幣を保有するのも債券を保有するのも変わりがなくなる。貨幣を保有しても債券を保有しても得られる金利は同じ(ゼロ%)だからだ。それゆえ、債券を買って市中に貨幣を注入する買いオペを中央銀行が試みても、市場が撹乱されないのだ。市中に出回る貨幣の量を増やしてもそのまま溜め込まれるので、名目利子率はゼロ%のままで変わらないし、それゆえに為替レートも変化しないのだ。先の章で検討したケースとは対照的に、マネーサプライを増やしても景気に何の影響も及ぼせないのだ。中央銀行が債券を売ってマネーサプライを徐々に減らせばそのうち名目利子率が上昇するだろうが――そうなるのは、貨幣に対する超過需要が発生するからだ。貨幣無しでは経済は回らないのだ――、景気が低迷している中でそんなことをしても助けになんかならないのだ。求められているのは、名目利子率が低下することなのだ。

「流動性の罠」に陥った場合に DD-AA図〔訳注2〕がどのように修正されるかを表しているのが Figure 1 である。DD曲線はこれまでと変わらないが、AA曲線は水平な部分を持つようになる。産出量があまりにも少ないようだと、貨幣の需給が一致する(貨幣市場が均衡する)名目利子率がゼロ%(R=0)になるのだ。AA曲線の水平な部分は、名目為替レートが Ee /(1 - R*)よりも高くなり得ない(減価し得ない)ことを表している。以下の図での均衡は、点1だ。完全雇用が達成される場合の産出量は Yf だが、均衡における産出量は Yf を下回っている。



この何とも奇妙な状況で中央銀行が買いオペを試みたらどうなるかを検討してみるとしよう。Figure 1 では詳しく跡付けていないが、マネーサプライが増えたらAA曲線が右方にシフトするだろう。マネーサプライが増えるとAA曲線が右方にシフトするのは、名目為替レートも名目利子率も変わらないままで貨幣の超過供給が解消されるためには、産出量(所得)が増加して貨幣に対する需要が高まる必要があるからだ。マネーサプライが増えると、AA曲線の水平な部分が右方に伸びることになるだろう。産出量が増えて貨幣に対する需要が増えても、名目利子率がなかなか上昇しないわけである(産出量が増え続けたら、いつかは名目利子率が上昇するだろう。名目利子率が上昇したら、名目為替レートが増価するだろう。AA曲線が右下がりになるわけだ)。驚くべきことに、マネーサプライが増えても均衡の位置は変わらない。点1のままなのだ。金融緩和は、産出量にも為替レートにも何の影響も及ぼさないのだ。「罠」に嵌ってしまっているのだ。

これまでの議論で鍵になるのは、将来の期待名目為替レート(Ee)が不変だという想定だ。中央銀行がマネーサプライを増やすとして、それが一時的な措置ではなく恒久的な措置であると見なされるようなら、現時点においてマネーサプライが増えると同時に Ee も上昇することになる。AA曲線が右上にシフトするのだ。その結果として、産出量が増えるだけでなく、名目為替レートが減価するのだ。しかしながら、これまで日本経済を観察してきたその道の専門家の意見によると、日本銀行の審議委員たちは――1930年代初頭の多くのセントラルバンカーたちと同じように――、円安とインフレを大層恐れていて、日本銀行は円安をいつまでも放置しておこうとはしないだろうというのがマーケットの見立てだという。日銀は一旦は円安を受け入れてもすぐに為替を増価させようとするつもりなんじゃないかと疑われていて、日銀があの手この手で金融政策を緩和しても一時的な措置に過ぎないと見なされているというのだ〔原注1〕。

2010年の今でもなお、ゼロ金利政策が続けられている。日本だけでなくアメリカでもだ。Fedもデフレになるのを防げずに、日本のようになってしまうのではないかと懸念する経済学者もいる。Fedも含めてあちこちの国の中央銀行が「非伝統的な金融政策」に乗り出している。これまでとは異なる資産を買いオペの対象にしているのだ。例えば、長期金利を低下させるために、長期国債を購入するというのもそのうちの一つだ。住宅ローンの金利にも大いに関わってくる。住宅ローンの金利が下がるようなら、住宅需要が盛り上がるだろう。「非伝統的な金融政策」の別の候補としては、外貨を購入するという手がある。次章で詳しく論じるとしよう。


〔原注1〕この点についての詳しい議論は、以下の論文を参照されたい。Paul R. Krugman, “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap”(Brookings Papers on Economic Activity 2: 1998, pp. 137-205)。以下の論文も参照せよ。Ronald McKinnon&Kenichi Ohno, “The Foreign Exchange Origins of Japan’s Economic Slump and Low Interest Liquidity Trap”(World Economy 24, March 2001, pp. 279-315)。

〔訳注1〕R* は外国の名目利子率。E は自国通貨建ての名目為替レート。ドル円の為替レートだと、例えば「1ドル=100円」のように表される。E の値が上昇すれば円安(減価)を意味していて、E の値が下落すれば円高(増価)を意味する。

〔訳注2〕DD-AA図について簡単に説明しておくと、DD-AA図は短期における財市場と資産市場の同時均衡を表している。DD曲線は、財市場が均衡する名目為替レートと産出量の組み合わせを表している。AA曲線は、外国為替市場を含んだ資産市場が均衡する名目為替レートと産出量の組み合わせを表している。DD曲線が右上がりになるのは、名目為替レートが減価すると、純輸出が増えるおかげで産出量が増加するからである(E↑→Y↑)。(通常の)AA曲線が右下がりになるのは、産出量(所得)が増えると、貨幣に対する需要が増えるからである。Yの増加(Y↑)→貨幣に対する需要の増加→名目利子率が上昇して(R↑)、貨幣の超過需要が解消→(Ee、R*が所与の場合の金利平価条件より)名目為替レートの増価(E↓)という調整が働くのである(Y↑→E↓)。