2012年8月11日土曜日

Barry Eichengreen and Douglas Irwin 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」

Barry Eichengreen and Douglas Irwin, “The protectionist temptation: Lessons from the Great Depression for today”(VOX, March 17, 2009)
大恐慌(Great Depression)下における保護主義の蔓延について、一体何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌は、経済危機下にある現状に対してどのような示唆を投げかけているのだろうか? 本稿では、大恐慌の経験から以下のような教訓を引き出している。すなわち、各国は、互いに財政・金融政策のコーディネーションを図るべきであり、もしそのコーディネーションがうまくいかないようであれば、通商(貿易)政策の面で1930年代のように最悪の結果がもたらされかねない

1930年代の大恐慌期には、保護主義が急速に台頭することになった。政策当局者が細心の注意を払って警戒しなければ、今日においてもまた、1930年代のように、保護主義があちこちで蔓延することになってしまうのではないかと多くの人々が恐れている。1930年代における保護主義の蔓延について、一体何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、今日に対してどのような示唆を投げかけているのだろうか?

大恐慌をめぐっては、その多くの側面について今でも議論が続けられている最中だが、当時各国が採用した貿易制限措置は破壊的で逆効果であり、現在の経済停滞下において同じような事態を繰り返す(保護主義的な手段に訴える)ような愚は、いかなるコストを払ってでも避けるべきであるという点に関しては、全面的といっても構わぬほどの合意がある。当時、各国の政府は、景気を下支えするための手段を欠いており、海外製品に対する支出(輸入需要)を自国製品に対する支出へと振り向けるために、必死の思いから、関税の引き上げや非関税障壁の導入に訴えたのであった。しかしながら、他の政府も同じような行動に乗り出したために、世界的な関税引き上げ競争が勃発することになった。その結果として、互いの政策が相殺し合って、意図した目的――海外製品に対する支出を自国製品に対する支出へと振り向ける――を達成できずに、貿易の崩壊がもたらされる結果となったのであった。大半の国では、1933年以降に景気が回復したにもかかわらず、30年代の終わりになっても貿易量は1929年のピークに及ばなかったのである(Figure 1を参照)。比較優位が活用されることに伴う便益――自由な貿易に伴う恩恵――が取り逃される結果になっただけでなく、近隣窮乏化的な通商(貿易)政策の応酬がネックになって、経済停滞から脱するための他の手段について各国間で合意(政策協調)を取り付けることが一層困難になってしまったのである。

Figure 1. 世界の貿易量と生産量(1926年-1938年)














大恐慌に関する同時代ならびに現代の説明に目を向けると、1930年代にはあらゆる国が貿易障壁の引き上げに乗り出しており、当時の通商政策は完全なる混沌状態に陥っていたかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、そのような印象は事実に沿ったものではない(Eichengreen and Irwin, 2009)。貿易制限措置が広範に導入されたのは確かだが、貿易制限措置に訴えた程度には国ごとにかなり大きな違いが見られたのである。以下のFigure 2は、当時の国別の関税率のデータを図示したものだが、30年代に入って関税率を大きく引き上げた国もあれば、そうではない国もあることが確認できるだろう。他の国々がデンマーク、スウェーデン、日本らと同じような行動を見せていたとすれば、1930年代の歴史はまったく違うものとなっていたことだろう。ここで、重要な問いが頭をよぎることになる。なぜ他の国々は、デンマーク、スウェーデン、日本のように行動しなかったのだろうか――言い換えれば、どうして他の国々は、関税率の引き上げに向かったのだろうか――?

Figure 2. 平均的な輸入関税率(1928年-1938年:単位は%)

















その答えは、当時それぞれの国が採用していた為替レートレジームの違い――および、為替レートレジームの違いに起因する政策の違い――にある。金本位制にとどまり、平価(金と自国通貨との交換比率)を維持し続けることになった国々ほど、貿易制限措置に訴える傾向が強かったのである。他の国が平価切り下げに乗り出したために、価格競争力の面で不利な立場に置かれた国(金本位制にとどまり平価を維持した国)では、国際収支(balance of payments)の悪化を食いとどめて金の流出を防ぐために、貿易制限措置が採用されることになったのである。また、金本位制にとどまって平価を維持した国では、深刻化する経済停滞に対処するための他の手段が欠けていたこともあって、自国製品向けに支出を振り向けて失業のさらなる増加を抑えるためにも、関税やそれに類する手段が用いられることになったのである。

それとは対照的に、金本位制から離脱して為替レートの減価を受け入れた国では、国際収支は改善(国際収支の赤字が縮小ないしは黒字が増加)し、金が流入することになった。それに加えて、金本位制からの離脱に伴って、失業問題に立ち向かうための他の手段を手にするに至った点も同様に重要である。つまりは、自国通貨と金(gold)との結び付きが断ち切られたことで、金融政策のフリーハンドを手にすることになったのである。もはや平価を維持する必要がなくなったことで、自由に金利を引き下げることが可能となったのだ。もはや金本位制のルールに縛られる必要がなくなったことで、中央銀行は最後の貸し手(lenders of last resort)として行動する余地を手にすることになったのだ。こうして、金本位制から離脱した国々の中央銀行は、大恐慌に立ち向かうための(貿易制限措置以外の)他の手段を獲得するに至ったわけである。Figure 3にあるように、金融政策のフリーハンドを手にした国々では、鉱工業生産が順調な伸びを記録することになった。景気の順調な回復もあって、金本位制から離脱した国の政府は貿易制限措置に頼らずに済んだのだ。

Figure 3. 国別グループごとの鉱工業生産の変化













以下のFigure 4に示されているように、金本位制から離脱して為替レートの減価を許容した国ほど、貿易制限措置に訴える程度(あるいは、その可能性)が小さい――あるいは、金本位制にとどまり平価を維持した国ほど、貿易制限措置に訴えがち――という関係は、広く一般的に成り立つ。ここではその詳細は取り上げないが、同様の関係は、関税率だけではなく、為替管理や輸入割当といった非関税障壁に関しても成り立つ点は指摘しておこう。

Figure 4. 為替レートの減価と輸入関税率の変化(1929年-1935年)
















以上の発見は、2009年現在において大不況(Great Recession)への対処を任されている政策当局者に対しても重要な示唆を投げかけている。大恐慌が教訓として投げかけているメッセージは、おそらくは「保護主義を避けるために、景気を刺激せよ」ということになろう。しかし、具体的にはどのようにして景気を刺激したらいいのだろうか? 1930年代においては、景気刺激策と言えば、金融刺激策(金融緩和策)を意味していた。当時は、景気を刺激するために財政政策を用いる可能性についてはまだよく理解されておらず、広く受け入れられていた手段というわけでもなかった。Eichengreen and Sachs(1985)で論じられているように、当時の状況においては、金融刺激策は、当該国(金融緩和に乗り出したその国自身)に関してはプラスに働き(景気を刺激する効果を持ち)、貿易相手国に対してはマイナスに働いた(景気を冷え込ませた)。この点に関してもう少し詳しく述べると、こういうことである。「チープマネー」政策(金融緩和策)は、隣国たる貿易相手国に対して相反する効果を持つ。金融緩和策を通じて当該国の景気が刺激されることになれば、それに伴い輸入需要が増加するために、貿易相手国の景気に対してもプラスに働く〔訳注;当該国に向けた輸出の増加を通じて、景気が刺激されることになる〕が、金利の引き下げに伴って当該国の通貨が減価することになれば、貿易相手国の景気に対してはマイナスに働くことになる〔訳注;価格競争力の面で不利な立場に立たされて純輸出が減少し、それに伴って景気が冷え込むことになる〕。そして、当該国だけが「単独」で金融緩和策を実施するようなら、後者のマイナスの効果が前者のプラスの効果を凌駕することになるのである。一国による単独の金融緩和策は、隣国の景気を冷え込ませることを通じて、その隣国を保護主義に向かわせる圧力となったのである。

1930年代当時と現在とで政策手段に違いがあることを反映して、両者が抱える問題にも違いが生じることになる。今のところ、各国は、大不況に対峙するために、金融刺激策に加えて、財政刺激策にも乗り出している。一国による単独の財政刺激策は、隣国に対してもプラスに働く。その理由はこうである。財政刺激策を通じて当該国(財政刺激策に乗り出した国)の景気が刺激されることになれば、それに伴って輸入需要が増加するために、隣国の景気に対してプラスに働く。財政刺激策の結果として世界金利に上昇圧力がかかるようなら、当該国・隣国双方の民間投資がクラウドアウトされて、隣国の景気に対してもマイナスに働くことになるが、今のところは後者のマイナスの効果はとるに足らないだろう。つまりは、ある一国が財政刺激策を採用すれば、隣国の(当該国に向けた)輸出が増加する可能性があるわけであり、ということは、隣国としては保護主義に訴えなくてもよくなるわけだ。

しかしながら、財政刺激策にも問題がないわけではない。財政刺激策の便益が「ただ乗りする」隣国に波及することに懸念が抱かれる可能性があるのだ。財政刺激策は、決してタダじゃない。財政刺激策に乗り出すということは、ゆくゆくは子や孫の世代によって返済されねばならない公的債務の増加を意味する。それゆえ、財政刺激策が輸入需要の増加を伴うようなら、財政刺激策の便益が他国に漏出することを防ぐために、財政刺激策に乗り出す国は、「バイアメリカ」(“Buy America”)条項に類した手段に訴えたくなる誘惑に駆られることになる。つまりは、保護主義の危険性は、消え去るわけではないのである。ただし、金融政策ではなく財政政策を通じて経済停滞への対応が図られる場合には、保護主義の誘惑に駆られるのは、事の成行きを静観する国(隣国)ではなく、積極的な政策対応に打って出る国(財政刺激策に乗り出す国)ということになるのだ〔訳注;その一方で、金融刺激策を通じて経済停滞への対応が図られた1930年代においては、保護主義の誘惑に駆られたのは隣国であった〕。

1930年代当時と現在とで抱える問題に細かいところで違いはあっても、答え(解決策)は同じだ。1930年代においてそうすべきであったように、各国は、互いに財政・金融政策をコーディネートする〔訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和策や財政出動に乗り出す〕必要がある。もしそのコーディネーションがうまくいかないようであれば〔訳注;例えば、一部の国だけが財政刺激策を採用したりするなど〕、通商(貿易)政策の面で1930年代のように最悪の結果がもたらされかねないのだ。


<参考文献>

○Barry Eichengreen and Douglas A. Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?", NBER Working Paper No 15142.
○Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s(JSTOR)”, Journal of Economic History 45, 925-946.