2013年8月30日金曜日

Tyler Cowen&Kevin Grier 「ムードに流される非合理的な投票者? ~カレッジフットボールの試合結果が大統領選挙の行方を左右する?~」

Tyler Cowen and Kevin Grier, “Will Ohio State’s Football Team Decide Who Wins the White House?”(Slate, October 24, 2012) 
「民主主義に対する最も説得的な反論を知りたければ、平均的な有権者と5分間ほど会話することをお勧めする。」( “ The best argument against democracy is a five-minute conversation with the average voter.”) -ウィンストン・チャーチル

2012年の大統領選挙は――選挙人団の投票、一般投票のどちらもともに――、どうやら接戦になりそうである。有権者の投票行動を理解しようと努めるのはいつであれ重要だが、選挙戦が緊迫している場合にはその重要性はなお増すことになろう。

有権者が挑戦者に希望を託して票を投じたり、現職に「ノー」を突きつける背後には、一体どんな要因が控えているのだろうか? 有権者は、失業率、GDP、インフレ率の水準やそれらの変化の方向性(訳注;失業率が改善しつつあるのか、それとも悪化しつつあるのか/GDPの成長ペースが加速気味か、それとも減速気味かetc)を考慮に入れて投票するのだろうか? 投票の行方は、各陣営が提示する政策方針書(position papers)や候補者のこれまでの履歴(personal history)に左右されるのだろうか? テレビで放映される候補者の選挙用CMや討論会でのパフォーマンスの出来は、有権者の行動に影響を及ぼすのだろうか?

有権者を突き動かすのは、もしかするとこれらのどれでもないかもしれない。最近の研究によると、有権者が抱える非合理性(voter irrationality)は、想像以上に恣意的であるようだ。紙一重のきわどい選挙においては、有権者の非合理的な振る舞いが最終的な結果に決定的な違いをもたらす可能性がある。それでは、有権者が抱える非合理性は、どんなかたちをとって表出するのだろうか? 最近の研究によれば、投票が実施されるその同じ州で直前に行われたカレッジフットボールの試合結果がホワイトハウスへの切符を賭けたレースの行方を決定づける可能性があるという。

そのことを実証的に明らかにしているのが、アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)&ニール・マルフォートラ(Neil Malhotra)&セシリア・モー(Cecilia Mo)が共同で執筆し、『米国科学アカデミー紀要』(Proceedings of the National Academy of Science)に掲載されている大変魅力的な論文である。この論文では、大統領選挙、上院議員選挙、州知事選挙の直前に行われたカレッジフットボールの試合結果が有権者の投票行動にどんな影響を及ぼしたかが検証されている。そして、投票日前の1週間内に行われたゲームで地元チームが勝利すると、現職の得票率がおよそ1.5ポイント(1.5パーセントポイント)だけ上昇するとの結果が見出されている。さらに、観客動員数トップ20のチーム――ミシガン大学、オクラホマ大学、南カリフォルニア大学といったビッグチーム――が投票日の直前に勝利すると、現職の得票率は3ポイント(3パーセントポイント)も上昇するという。かなりの票数であり、接戦の選挙戦を有利に戦う上で決して無視できない数だ。なお、以上の結果は、ごく限られたゲーム数や少数の選挙戦のデータから得られたわけではないことを指摘しておこう(彼らの実証分析では、1964年から2008年にかけて行われた全米62のトップチームの試合のデータが利用されている)。

スポーツには、我々を元気づけ、日々の生活に輝きを添えてくれる力が備わっている可能性があるわけで、このことは良い報せと言えるだろう(・・よね?)。応援するチームが勝利すると、そのチームのファンは、競技場においてだけでなく、競技場の外でも、幸せを感じる。満足感を覚える。幸せや気持ちの高ぶりを感じている時、人は現状に満足しがちになる。そして、現状への満足感が、現職の政治家を支持するというかたちをとって表れる――それがどんなに非合理的な振舞いであるとしても――。

ヒーリーらの論文では、経済面・人口統計学的な属性面・政治面の諸要因に対してコントロールが加えられている。それゆえ、先に言及した結果は、大雑把な相関よりもずっと精緻なものだと言える。また、人々の予想を考慮に入れた分析にも踏み込まれており、予想外の勝利には特に強い力が備わっていることが見出されている。地元チームが予想外の勝利を収めると、現職の得票率がおよそ2.5ポイント(2.5パーセントポイント)上昇する傾向にあるというのだ。

このような現象は、フットボールだけに限定して見られるわけじゃない。ヒーリーらの論文では、2009年度に行われた全米大学体育協会(NCAA)主催のバスケットボールトーナメントのケースも検討されており、(フットボールのケースと)ほぼ同様の結果が得られている。また、1948年~2009年の期間に実施された市長選挙を対象に、バスケットボール、フットボール、野球のプロの試合が市長選挙に及ぼした影響を検証している別の研究によると、地元チームがシーズンを通じて好調な成績を残すと、現職の得票率がいくらか上昇することがわかっている。

ただし、カレッジフットボールや野球の試合が選挙結果を決定づける「主要な」要因だとまで言い募るつもりはない。オクラホマ大学のスーナーズ(Sooners)が100連勝しても(現職の)オバマ大統領がオクラホマ州で勝てない可能性もあるし、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のフットボールチームがボロ負けを喫したのに(挑戦者の)ミット・ロムニーがカリフォルニア州で敗れる可能性もある。ESPNスポーツセンターが報じる試合のスコア以外の要因も大いに重要であることは言うまでもないのだ。

とは言え、これら一連の結果が驚くべきものであることに変わりはない。それというのも、ヒーリーらも指摘しているように、現職の政治家は、スポーツの試合の行方と何の関係も無いにもかかわらず、試合結果に対して称賛を受けたり責任を問われたりするというわけだから。我々がいかに気まぐれでムードに流されやすい存在かを示す証左であると言えよう。スポーツを含めたポップカルチャーが「投薬」された状態で日々の意思決定を行っているかもしれないと考えると、ちょっとゾッとする思いだ。スポーツのスコアがこんなにも重要な役割を果たしている可能性があることを踏まえると、果たして有権者は政治に関わる基本的な情報――経済のパフォーマンスに関するデータなど――を合理的に処理(解釈)しているのかどうかについても疑ってかかるべきかもしれない。

さて、ここで極端なシナリオを想定するとしよう。今のところは、現職のオバマ大統領が挑戦者のミット・ロムニーを若干リードしているようだが、今回の選挙は接戦になるだろうというのが大半の専門家の見立てだ。共和党陣営が勝利するためには、フロリダ州、オハイオ州、ヴァージニア州の3つの激戦州(swing states)がキーとなる可能性がある。

来る10月27日――投票日の1週間とちょっと前――に、オハイオ州とフロリダ州で2つの大きなフットボールゲームが実施される。オハイオ州では、地元のオハイオ州立大学のバッキーズ(Buckeyes)がペンシルベニア州立大学のニタニー・ライオンズ(Nittany Lions)を迎え撃つ。フロリダ州では、地元のフロリダ大学のゲイターズ(Gators)がジョージア大学のブルドッグス(Bulldogs)を迎え撃つ。大統領選がこのまま接戦のままのようであれば、これら2つの州での2つのフットボールゲームの行方がこれからの4年にわたって誰がホワイトハウスで指揮を執るかに影響を及ぼす可能性がある。夜遅くにバッキーズのヘッドコーチであるアーバン・マイヤーのもとにオバマ陣営から電話があって、ブリッツ(守備の戦術)についてアドバイスが送られる・・・なんてことがあったりするだろうか? ロムニー陣営からゲイターズに対して、ブルドッグスのラン・プレイを防ぐためのアドバイスが寄せられる・・・なんてことがあったりするだろうか? 大事なフォース(4th)ダウンでの決断――パントを選ぶか、タッチダウンを狙うか――は、フットボールチームのコーチ陣以外の人々の前途にも影響を及ぼす可能性があるのだ。

地元チームの勝利は、ビール・ゴーグル効果の選挙版みたいなものだ。地元チームの勝利のせいで判断が曇らされて、翌朝になって後悔するってわけだ。ビール・ゴーグル効果に屈した面々が朝ベットで目覚めて開口一番につぶやくセリフを借りると、「そんなはずはない(That just ain’t right)」というわけだ。

2013年8月28日水曜日

Bryan Caplan 「自然災害に対する有権者の破滅的な投票行動」

Bryan Caplan, “Disastrous Voting”(EconLog, July 15, 2008)

アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)は実証的政治経済学の分野における新世代を代表する一人であり、私がお気に入りの学者の一人だが、そんな彼がつい最近の論文(pdf)で大胆な主張を展開している。自然災害は「神の仕業」(=不可抗力)であるとの考えが一般的かもしれないが、アメリカの有権者(投票者)も自然災害の共謀者なのだ、とヒーリーは語る。論文のアブストラクト(要約)から一部引用しよう。
自然災害、政府支出ならびに有権者の投票行動に関する包括的なデータの分析から明らかになることは、有権者は災害復旧(disaster relief)向けの政府支出に対しては投票で報いる一方で、災害予防(disaster prevention)向けの政府支出に対してはそうではない、ということである。有権者のこのような投票行動は政府(与党)が直面するインセンティブに大きな歪みをもたらすことになる。なぜなら、災害予防向けの政府支出は将来の損害(将来起こり得る自然災害に伴って生じる被害)の大幅な抑制につながることがデータによって示されているからである。
論文の最後のページには、与党の得票率の変化を災害復旧向けの政府支出(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)の関数としてそれぞれ表した気の利いたグラフが2つ掲げられている。そのグラフによると、得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との関係を示すグラフの傾きはプラスの大きな勾配を持っており(訳注;災害復旧向けの政府支出が増加すると与党の得票率が増加する関係にある、ということ)、得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との関係を示すグラフの傾きはフラット(水平)であること(訳注;災害予防向けの政府支出が増加しても与党の得票率にはこれと言って変化はない、ということ)がわかる。有権者のこのような投票行動を前提とすると、政治家が災害予防事業(有権者の投票を引きつけることのない事業)と比べて15倍もの多くの予算を災害復旧事業(有権者の投票を引きつける事業)に投じているとしてもほとんど驚くことはないだろう。

確かに、災害予防向けの政府支出が役立たずだ(効果が無い)とすれば、このことは非常に好ましい結果だと言えるだろう。しかしながら、災害予防向けの政府支出は大きなリターンをもたらす(訳注;自然災害に伴って生じる被害の大きな抑制につながる、ということ)のである。ヒーリーは次のような証拠を提示している。
有権者は政府による災害予防の取り組みには効果が無いと判断しているのかもしれない。その可能性を考慮するために、ここで災害予防向けの政府支出の有効性について推計を試みることにしよう。・・・(省略)・・・ 
1年あたりの災害予防向けの政府支出の平均が1億9500万ドルであり、1年あたりの災害被害額の平均が165億ドルであることを前提とした場合、回帰分析の結果によると、災害予防向けの政府支出が1ドル増加すると災害被害額が8.30ドルだけ減少するとの推計が得られることになる。この推計結果は2000年から2004年にわたる5年の間に生じた便益だけしか考慮していないことを注意しておこう。
この論文に文句をつけたいところがあるとすれば、「有権者は賢明なる災害予防に対して投票で報いることはない」という原則への例外に関する議論で論文が締め括られている点である。そういった例外は将来的な研究課題として貴重なトピックかもしれないが、論文をそのような議論で締め括ることは主要なメッセージを薄めるようで惜しいことだ。主要なメッセージとはつまりはこういうことである。政府支出が効率を大きく改善し得る場合でさえも、その機会は見過ごされてしまう。政府が合理的な投票者のコントロール下にあるとすれば、政府は公共財の問題に対する万能薬(strong medicine)であると言えるだろう。しかしながら、政府が現実の投票者のコントロール下にある場合には、政府は通常はどでかいインチキ薬(snake oil)みたいなものなのだ。

Bill Petti 「無能さの効能 ~信頼性のシグナルとしての無能さ~」

Bill Petti, “The Individual Utility of Incompetence”(Signal/Noise, October 19, 2010)

組織(政府組織や企業組織など)が機能不全に陥り、停滞に至る理由は数多く考えられるが、その中でも主要な理由の一つは能力の劣る人物が昇進(出世)したり、現在の地位に居座り続けるからだろう。このメカニズムに焦点を当てた研究は数多い(例えば、ピーターの法則(Peter Principle)が有名である。ピーターの法則の概要は次のようになる。組織のメンバーは彼/彼女が有能であり続ける限りは(その能力が新たな役職に見合う限りは)昇進の階段を上り続けることになるが、やがてはその能力を超える役職を任せられるに至り、最終的に落ち着いた役職に照らすとその人物は無能ということになる)。しかしながら、無能な人物が昇進したり同じ地位にとどまり続けることは組織の利益に反するように思われる。どうしてそのような現象が広く見られるのだろうか? どうして能力の劣る人物が現在の地位に居座り続けることができ、場合によっては昇進までできたりするのだろうか?

考えられる理由の一つは、彼らの「無能さ」という性質それ自体に価値が置かれているから、というものである。「無能さ」はその人物の信頼性を示すコストのかかるシグナル(costly signal)として機能している可能性がある。自らの勢力基盤を固めようと企む上司が一人一人の部下の信頼性(「こいつは信頼できる(そう簡単には裏切らない)人物かどうか」)を見分ける際のシグナルとして機能している可能性があるのだ。

ディエゴ・ガンベッタ(Diego Gambetta)と言えばシグナリングの研究の第一人者として知られている社会学者だが、彼が2007年に上梓した著書『Codes of the Underworld: How Criminals Communicate』では、信頼とシグナリング、そしてコミュニケーションとの絡み合いを把握するために、犯罪者の間での協調の問題がテーマとして取り上げられている。マフィアは信頼に関わるシグナリング理論にとっての「ハードケース」(厄介な事例)(訳注;ハードケースには「ならず者」という意味もあり、ここではその意味もかけていると思われる)と見なし得るだろう。というのも、犯罪者は嘘をつく(裏切る)強いインセンティブを持っており、犯罪者であるというまさにその事実のために「信頼できる人間」という人物像からほど遠い存在だからである。それにもかかわらず、犯罪者たちはどのようにして互いの行動をコーディネートし、お互いに信頼できる相手かどうかを確認しているのだろうか? 犯罪者がいかにして自らの信頼性(「私は信頼に値する人間だ」ということ)をシグナルしているかを理解することができれば、それほど過酷ではないもっと一般的な状況において普通の人々がどのように自らの信頼性をシグナルしているかについても何らかの示唆を得ることができるだろう。

ガンベッタによると、犯罪者が自らの信頼性を相手(同じく犯罪者)に対してシグナルし得る方法の一つは・・・そう、自らの「無能さ」を示すことを通じてだという。
暴力団(ギャング)の下っ端連中-しばしば、フィクション作品の中でエネルギュメーヌ(énergumène;変人)として誇張して描かれる存在-がこの極端なケースの典型である。彼らがあまりにも賢いようだと、その組織のボスにとって脅威となることだろう。ここでは白痴(Idiocy)であることがその人物の信頼性を仄めかすことになるのである。・・・(省略)・・・「私にとって金儲けをする最大のチャンスは「義賊」(‘honourable thief’;高潔な泥棒)として振舞うことにあるんです」と他者を納得させる(訳注;「私と一緒に手を組んで泥棒に入りませんか? 絶対に裏切りませんから。」と他者を説得する、という意味)方法の一つは、それ以上に(訳注;泥棒として活動する以上に)優れた選択肢がないことを示すことにある。・・・(省略)・・・「無能さ」(無能であること)は他者に対して次のように伝えているようなものである。「私は頼りになる存在です。だって、万一あなたを騙そうと(裏切ろうと)企んだところで、(無能な)私にはそんなことはできないんですから。」
犯罪組織の下っ端は一人でやっていけるだけのスキルも知性も備えておらず、組織のボスに経済的に頼らざるを得ない。まさにそのために、犯罪組織の下っ端は自らの「無能さ」を示すことで自分が信頼に値する人物だということをボスにシグナルすることが可能となるわけだ。このロジックに従うと、犯罪組織は大抵の場合無能な人物をそのメンバーとして迎え入れる可能性が高く、犯罪組織のボスは次第に自分よりも能力の劣る人物で脇を固めていく傾向にあると言えるだろう。

これと同様のロジックが企業や学校、政府といった組織でも働いていることを見て取ることは難しくない。組織がパフォーマンスの向上よりも組織への忠誠に重きを置くようになると、その組織内では無能なメンバーの数が増すことになるだろう。さらには、「スポンサー」(自分のことを贔屓してくれている上司)が昇進するにつれて、無能な部下もまたその後を追って昇進することになるだろう。

よう、アレン。上司にペコペコこびへつらってばかりいる人間の気持ちってどんなもんなんだろうね?」「別に。どうってことないけど。
ところで、逆に聞いてみたいんだけど、出世の見込みなんて一切ない人間の気持ちってどんなもんなんだろうね?」「別に。どうってことないね。
生まれつきそんな感じなの? それとも出世とは無縁の人生を過ごそうって決めたのかい?」「どうだろうね。ママに聞いてみるよ。でも、僕が思うに親の育て方が悪かったんじゃないかな。

2013年8月24日土曜日

Katherine Mangu-Ward 「私の妻を買ってください! ~妻売りの経済学~」

Katherine Mangu-Ward, “Take Buy My Wife. Please!”(Hit&Run blog, June 20, 2011) 

ジョージ・メイソン大学の経済学者であるピーター・リーソン(Peter Leeson)――彼は海賊試罪法の研究でも有名である――とピーター・ベッキー(Peter Boettke)、ジェイマ・レムケ(Jayme S. Lemke)が18~19世紀のイギリスで広く見られた妻売り(wife sales)の慣行に対して経済学の観点から弁護を行っている。当時のイギリスでは離婚の手続きがかなり厄介であり、妻は夫の所有物と見なされていた。この経済学者トリオは次のように説明している。「妻売りは産業革命期のイギリスの法律によって生み出された風変わりな所有権の実態に対する制度的な反応であり、それも効率改善的な反応であったと言える」。

以下、彼らの論文から一部引用しよう。
18世紀のイギリスで生活をともにしている夫婦の例について考えてみることにしよう。妻の名はハティ(Hattie)、夫の名はホーレス(Horace)である。ホーレスはハティを愛しており、妻としてのハティには5ポンドの価値があると評価している。一方で、ハティはホーレスのことが嫌でたまらず、夫としてのホーレスにはマイナス7ポンドの価値しかないと感じている。この2人の結婚は非効率的である。ハティは離婚したがっているが、そのためにはホーレスの同意が必要である。ホーレスとしてはハティが5ポンド以上支払ってくれるのであれば離婚に同意してもよいと考えており、ハティも離婚の同意を得るためならば5ポンド以上を支払う気でいる。しかしながら、結婚後のハティは財産に対する所有権を一切持ち合わせておらず、それゆえ離婚の同意を得るための手段を欠いている。(当時の法律によると;訳者挿入)ハティの財産はすべてホーレスの所有物なのである(そのため、ハティが離婚の同意を得るために支払う(5ポンド以上の)現金もホーレスのものである)。2人の間での直接的なコース流の交渉(Coasean bargain)は不可能なのだ。 
しかし、間接的なコース流の交渉の可能性は残されている。ここで第3の人物ハーランド(Harland)に登場願おう。彼は未だ独身であり、ホーレス&ハティ夫婦の隣人である。ハーランドはハティのことをホーレス以上に強く愛しており、妻としてのハティには6ポンドの価値があると評価している。また、ハティはハーランドのことをホーレス以上に強く愛しており、夫としてのハーランドには1ポンドの価値があると評価している。 
ホーレスがこの事実を理解している場合、彼はハティとハーランドに対して次のような提案を持ちかけることだろう。「ハーランド君に提案なんだが、もし君が私に5.5ポンドを支払っても構わないと言うのであれば、それと引き換えに君に私の妻ハティをお譲りしようと思うのだが、どうだろうか?」、と。ハティの財産はすべてホーレスのものであったが、ハーランドの財産はホーレスのものではなくハーランドのものである。そのため、この交渉は実行可能である。ハティとハーランドはホーレスの提案を受け入れることだろう。提案通りに事が進めば、ホーレスは0.5ポンド分だけ、ハーランドは0.5ポンド分だけ、ハティは8ポンド分だけの便益をそれぞれ獲得することになる(訳注1)。妻売りを通じて関係するすべての人物の厚生が改善するのだ。
論文はこちら(pdf)である。


【訳注】

(訳注1)ホーレスはハティと離婚することで5ポンドの損失を被るが(妻としてのハティを5ポンドと評価しているため)、離婚と引き換えにハーランドから5.5ポンドの支払いを受けることになる。よって、両者を差し引きすると、ホーレスは妻売りによって0.5ポンド(=5.5-5)だけの便益を得ることになる。/ハーランドはハティを買うための対価としてホーレスに5.5ポンドを支払うが、それと引き替えにハティとともに過ごすことが可能となる。ハーランドはハティを妻として迎えることに6ポンドの評価を与えているため、ハティを買うことから差し引きして0.5ポンド(=6-5.5)だけの便益を得ることになる。/ハティはホーレスと離婚することで7ポンドの便益を得るとともに(夫としてのハティをマイナス7ポンドと評価しているため)、ハーランドと一緒になることで1ポンドの便益を得ることになる。両者を加えると、ハティはホーレスからハーランドのもとへ売られることによって8ポンド(=7+1)だけの便益を得ることになる。

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Katherine Mangu-Ward, “Buy My Wife. Please!”(Reason, November 2011

今回インタビューを受けてくれたピーター・リーソンはジョージ・メイソン大学において資本主義研究のためのBB&T教授(BB&T Professor for the Study of Capitalism)の地位にある経済学者である。これまでに忍者やUFO、魔女裁判などをテーマとした論文を多数執筆しており、プリンストン大学出版局より出版された著書 The Invisible Hook(邦訳『海賊の経済学』)では経済学の原理を用いて海賊の行動の説明を試みている。同じくジョージ・メイソン大学の経済学者であるピーター・ベッキーとジェイマ・レムケと共同で執筆したつい最近の論文では、妻売りに対して経済学の観点から弁護を行っている。妻売りは18~19世紀のイギリスで広く見られた慣行であった。当時のイギリスでは離婚の手続きがかなり厄介であり、結婚した女性は財産に対する所有権を認められていなかったという。インタビューは今年(2011年)の8月に行われた。インタビュワーはReason誌のシニア・エディターであるキャサリン・マング-ウォードである。


Q: 妻売りをテーマに論文を執筆しようと思ったきっかけは何なのでしょうか?

A: 海賊に関する研究に取り組んでいた最中に18世紀に発行された新聞を調べていたんです。その中にとある広告を見つけたんです。それは妻売りの広告だったんですが、当時の新聞では普通によく見かける光景だったようです。はじめてそれを目にした時は度肝を抜かれて、何て馬鹿げているんだろうと思いました。でも、もっと細かく調査を進めていくうちに理にかなっているなと思うようになりました。

Q: 妻売りを取り巻く状況はどのようなものだったのでしょうか?

A: 18~19世紀のイギリスで妻売りが一つの慣行として形成されるに至る背景には、財産や結婚、離婚に関するひどく厳格で馬鹿げた当時の法律がありました。当時の婚姻法では、婚姻関係が続く間は妻は自らの財産に対する所有権をすべて――自分自身の身体に対する所有権でさえも――夫に譲り渡すことが基本となっていました。

そのため、妻が結婚生活に満足がいかず、婚姻関係を解消したいと考えた場合は、最終的に夫から離婚の同意を取り付ける必要がありました。通常のコースの定理のロジックからすると、このことは取り立てて問題とはならないはずです。というのも、結婚生活に不満な妻は――夫が結婚生活に不満な場合と同じように――(何らかの対価を支払って)配偶者から離婚の権利を買い取ればいいだけだからです。しかしながら、当時のイギリスの婚姻法の下では妻は財産を何も手にしていなかったので、妻が自ら夫に対価を支払って満足のいかない結婚生活を解消する(夫から離婚の権利を買い取る)という手段に訴えることはできなかったのです。

でも、その妻を現在の夫よりも高く評価し、かつ、その妻が現在の夫よりも高く評価するような男性が他にいるかもしれません。妻の財産は夫のものですが、その男性の財産は夫のものではありません。その男性は自分の財産の中から対価を支払って妻の代わりに現在の婚姻関係を解消する権利を買い取ることができます。妻売りというのは本質的にはこういうものだったと理解できるわけです。

Q: 実際に妻を買ったのはどのような人物だったのでしょうか?

A: 妻の愛人というケースがかなり多かったようです。それも納得のいく話です。というのも、夫としては妻をできるだけ高い価格で売り渡したいと考えるでしょうし、それも妻を最も高く評価するとともに、妻が一緒にいることを望むような人物に売り渡したいと考えるでしょうから。妻の愛人――愛人がいればの話ですが――はこのような条件をいとも容易く満たす人物です。妻を自分のものとするために最も高い価格を支払う用意があるのは妻の愛人と言っていいでしょう。既に関係を築いていることもあって、彼女を最も高く評価しているのは愛人である彼だと考えられるからです。また、妻が現在の夫よりも高く評価する人物もその愛人ということになるでしょう。妻は、恋人としてだけではなく、夫として見た場合もその愛人を現在の夫よりも高く評価していることでしょう。

そういうわけですので、多くのケースで妻の愛人が妻の買い手であったとしても納得がいくわけです。しかし、常にそうであったというわけではありません。妻が現在の夫を好きではないものの、今のところ妻には特定の愛人がいるわけではないといったケースが考えられます。妻は結婚してもいいと思えるような人物がどこかにいるのではないかと思いを巡らせたり、そのような人物を見つけたいと考えるかもしれません。夫は夫で、妻を手放してもよいと思えるほどに彼女のことを十分高く評価する人物がいるかどうかを確かめたいと考えるかもしれません。そのようなケースにおいては、妻売りに備わる公開オークションの側面が重要になってきます。公開オークションはその種の情報を顕示させる仕組みに他ならないからです。

ただし、ここで強調しておかねばならないことは、あくまでも妻売りは妻の同意の上でなされたものだった、ということです。彼女らは無理矢理(自らの意に反して)売られたわけではありません。自ら売られたがっていたのです。

2013年8月21日水曜日

Nicholas Crafts 「イギリス経済は『流動性の罠』からいかにして抜け出したのか ~1930年代のイギリスの経験に学ぶ~」

Nicholas Crafts, “Escaping liquidity traps: Lessons from the UK’s 1930s escape”(VOX, May 12, 2013)
1930年代にイギリス経済は「流動性の罠」に陥ったものの、そこから無事に抜け出して力強い景気回復を経験することになった。イギリス経済が力強い景気回復を成し遂げた背後には一体どのような要因が控えていたのであろうか? 本論説では、イングランド銀行ではなくイギリス財務省(大蔵省)によって主導された「非伝統的な」(‘unconventional’)金融政策こそが当時の景気回復を牽引した要因であった、との主張を展開する。当時財務相を務めていたネヴィル・チェンバレンは「アベノミクス」の先駆者であった、というわけだ。また、当時のイギリスの経験を踏まえると、次のような疑問が持ち上がることになる。独立した中央銀行によるインフレ目標政策は、名目金利が極めて低い水準にある状況において適切な金融政策の枠組みであると言えるのだろうか?
1932年半ばのイギリス経済の様子を振り返ると次のようになる。まず何よりも、深刻な景気後退に陥っていたことである。その深刻さはこの度の(2008年から2009年にかけての)景気後退に引けを取らないものであった。また、財政再建に向けて構造的財政赤字の大幅な削減-対GDP比で4%にも及んだ-が断行された。そして、短期名目金利はゼロ%近くの水準にあり、景気は二番底の真っ只中に置かれていた(Crafts and Fearon 2013)。しかしながら、1933年から1936年にかけてイギリス経済は非常に力強い景気回復を経験することになった。1933~1936年におけるイギリスの経済成長率はどの年も年率4%を上回る数字を記録したのである。この景気回復を主導した人物は、当時財務相(The Chancellor of the Exchequer)を務めていたネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)であった(彼は1931年11月から1937年5月まで財務相を務めた)。1930年代当時においてチェンバレンが直面していた状況と現在ジョージ・オズボーン(George Osborne)が直面している状況とは似通っているが、前任者が採用した政策からオズボーンが学び取れることは何かあるだろうか?

1930年代のイギリスで経済政策が景気回復を後押しした面があったとすれば、1935年までに関しては金融刺激策(金融緩和策)がその主たる手段であったと言えるだろう。再軍備(軍事増強)に向けた一連のプログラムは事実上のケインズ政策(財政出動)と見なすことができ、1938年までの累計でGDPの4%程度の引き上げに貢献したと考えられるのは確かだが、1933~1936年の期間に関しては経済活動に対してほとんど何らの影響も持たなかった。また、景気が大きく低迷していたにもかかわらず、当時の財政支出乗数の値はおそらく1を下回っていたと考えられる。その理由としては、(第一次世界大戦の後遺症として)対GDP比で見た政府債務残高がかなり高い水準に達していたことを挙げることができるだろう。


1930年代のイギリスで採用された政策枠組み

1932年半ば以降にイギリスで採用された政策枠組みは、いわゆる「流動性の罠から抜け出すための絶対確実な方法」(Svensson, 2003)や現在日本で進行中の「アベノミクス」とかなり類似していると言える。
  • 1931年9月にイギリスは金本位制からの離脱を余儀なくされたが、その後の1932年半ばにイギリス財務省はいわゆる「チープ・マネー政策」(‘cheap-money policy’)に乗り出した。

「チープ・マネー政策」は大きく3つの要素から成っていた。まず第1に、「チープ・マネー政策」の結果として短期名目金利が0.6%程度にまで低下し、1930年代の残りの期間を通じて短期名目金利はその水準にとどまることになった(表1を参照)。
  • 第2に、1932年7月にチェンバレンが物価水準目標の宣言を行った。その目的は、デフレーションを終息させ、物価を1929年の水準にまで引き戻すことにあった。
  • 第3に、イギリス財務省はポンドの大幅な減価を伴う為替レートターゲットに乗り出した。まずはじめにドルとのペッグ(ドルとの交換レートは1ポンド=3.40ドルに設定された)、次いでフランとのペッグ(フランとの交換レートは1ポンド=77フランに設定された)に踏み切られることになった(Howson 1980)。為替市場への介入は1932年の夏に創設された為替平衡勘定(Exchange Equalisation Account)を通じて行われた(表2を参照)。

このような一連の「チープ・マネー政策」によって実質金利は劇的かつ速やかに低下し、イギリスが保有する金準備は1年でほぼ倍増することになった。また、1932年初頭から1936年の終わりにかけてマネーサプライは34%もの増加を見せることになったのであった(Howson 1975)。

「ゼロ下限制約下において実質金利の低下をもたらすためにはどうしたらよいか?」という問題に対して、「チープ・マネー政策」は教科書通りのアプローチで立ち向かうこととなった。すなわち、「チープ・マネー政策」はインフレ期待の喚起(予想インフレ率の引き上げ)を通じて実質金利の低下をもたらしたのである。この点に関しては、金本位制離脱後のイギリスで金融政策を取り仕切ったのはモンタギュー・ノーマン(Montagu Norman)率いるイングランド銀行ではなくチェンバレン率いる財務省であった、という事実が重要な意味合いを持っている。その理由はこうである。かねてより指摘されているように、「流動性の罠から抜け出すための絶対確実な方法」はコミットメント-それも特に中央銀行によるコミットメント-の信頼性に関わる問題を抱えている。すなわち、景気が一度回復軌道に乗った後もなお中央銀行は信頼のおけるかたちでインフレ率の上昇(あるいは高めのインフレ率の容認)にコミットすることができるかどうか、という問題である。しかしながら、(イングランド銀行とは違って)当時のイギリス財務省は(高めのインフレ率の達成に対する)コミットメントの信頼性を勝ち得る上で都合のよい立場にあった。なぜなら財政の持続可能性の問題を抱えていたからである。実質金利が実質GDP成長率よりも低い水準に抑えられることで実質GDP成長率と実質金利との間に差(実質GDP成長率-実質金利>0)が生まれれば、それを利用して対GDP比で見た政府債務残高の縮小につなげることが可能である。つまりは、当時のイギリス財務省は、実質金利を実質GDP成長率よりも低い水準に抑え、財政の持続可能性を担保するための戦略の一環として緩やかなインフレをしばらく受け入れるつもりだ、とマーケットを説得し得る都合のよい立場にあったわけである。いわゆる「金融抑圧」(‘financial repression’)を通じた政府債務の圧縮ということになるが、ともかくも(高めのインフレ率の達成に対する)コミットメントの信頼性を勝ち得たことで、それほど大きなプライマリーバランスの黒字を生み出す必要性に迫られることもなく、また、財政に対するケインズ流のアプローチに訴えずとも「自滅的な財政緊縮」(財政赤字ならびに政府債務残高の縮小を目指して財政緊縮に乗り出したものの、(さらなる景気の落ち込みをもたらすことで)かえって財政赤字や政府債務残高が増大する結果となってしまうこと;訳注)の恐れを和らげることが可能となったのである。

表3は財政の持続可能性に関わるデータを掲げたものである。この表からイギリス財務省による(高めのインフレ率の達成に対する)コミットメントが信頼できるものであったことを見て取ることができるだろう。イギリス経済がデフレに陥っていた1930年代初頭においては、対GDP比で見た政府債務残高の増大を阻止する上で莫大な規模のプライマリーバランスの黒字を生み出す必要があったが、1934~35年以降になると実質GDP成長率が実質金利を上回るようになり、プライマリーバランスが若干赤字であっても財政の持続可能性と矛盾しない状況であったことがわかる。


「チープ・マネー政策」の波及メカニズム;住宅建設

「チープ・マネー政策」が効果を発揮するためには、その政策を通じて総需要が刺激される必要があることは言うまでもない。つまりは、「チープ・マネー政策」が実体経済に対して影響を及ぼす経路(波及メカニズム)が必要である。その波及メカニズムの中でも特に検討してみる価値があるのは、「チープ・マネー政策」が住宅建設に及ぼした影響である。民間部門における住宅建設戸数は1931~32年においては13万3000件であったが、その後になって増加傾向を示すことになり、1934~35年においては29万3000件、1935~36年においては27万9000件を記録した-この間に建設された住宅の多くは、1930年代にロンドンをはじめとした南イングランド一帯で人気を集めたセミデタッチハウス(semi-detached house;二戸建て住宅)であった-。住宅建設は1934年までに5500万ポンドの直接的な経済効果をもたらし、雇用の増加に伴う間接的な効果も含めると合計で8000万ポンドあるいは1932年から1934年の間におけるGDPの増加分の3分の1の規模にのぼる経済効果をもたらすことになったと考えられる。住宅の建設は金利の低下に反応して増加することになったが、土地の開発業者らの間で「建設コストは底入れした」との認識が広がったこともまた住宅の建設を促すことになった。住宅建設を刺激したこれらどちらの要因もともに「チープ・マネー政策」の結果としてもたらされたものであった(Howson 1975)。

1930年代に住宅建設は大きな反応を見せたわけだが、その理由は何なのだろうか? その理由として2つの要因を挙げることができるだろう。

  • 第一の要因は、(住宅金融を専門とする組合組織の成長を背景とした;訳注)住宅ローンの供給の急激な伸びである。また、住宅ローン貸出の抑制につながるような金融危機が発生しなかったこともあり、好条件で住宅ローンを借り入れることが可能であった。
住宅金融組合(Building society)による住宅ローンの貸出残高は、1930年時点では72万人の借り手に対して計3億1600万ポンドにのぼったが、1937年に入ると139万2000人の借り手に対して計6億3600万ポンドを記録するまでになった。なお、1937年の時点においては、非農業部門雇用世帯の18%が持ち家を購入予定か既に所有している状態であった。また、組合に預け入れる必要のある預金額(住宅金融組合から住宅ローンを借りる場合は土地の購入価格の一定割合を組合に預金として預け入れる必要があった;訳注)が引き下げられ(預け入れる必要のある預金が土地の購入代金のわずか5%というケースもあった)、住宅ローンの返済期限がそれまでのおよそ20年から25年に(場合によっては30年に)延長されることで週ごとのローン返済額が15%ポイント削減されたのであった(Scott 2008)。

  • 第二の要因は、住宅を安価で購入できたことである。 
新築住宅の85%は当時の価格で750ポンド(現在の価格に換算すると、45,000ポンド)よりも安くで売られていた。また、1930年代中頃のロンドンではテラスハウスを395ポンドで購入することができた(当時の平均年収はおよそ165ポンドであった)。住宅の価格が安かったのは、住宅用の土地の供給が極めて弾力的であったためである。そのためもあって、開発業者らは広大な土地を自ら抱え込むインセンティブを持つことはなかったのであった。なぜ住宅用の土地がそれほど広く利用可能であったかというと、土地利用計画に関わる規制が当時はまだほとんど存在していなかったからである。1932年時点では規制対象となっていた土地はわずか7万5000エーカー程度であった。土地の厳格な利用規制を含む都市・農村計画法(Town and Country Planning Act)が制定されるのは1947年のことである。


今日への教訓

それではジョージ・オズボーンは1930年代のイギリスの経験からどのような教訓を引き出すことができるだろうか?

  • 【第一の-そして最も明白な-教訓】 経済がゼロ下限制約下に置かれている状況では、独立した中央銀行によるインフレ目標政策は適切な金融政策の枠組みではないかもしれない。
ここのところ中央銀行の政策目標を巡る議論が盛んである。中央銀行はもっと高めのインフレ率を目標に据えるべきだ、いや名目GDPを政策目標とすべきだ、といったように政策目標を巡って熱い議論がたたかわされているわけだが、この第一の教訓はそういった議論を超えたもの(あるいはそういった議論とは次元を異にするもの)である。1930年代のイギリスは中央銀行が独立していなかったことから便益を受ける格好となったのであり、中央銀行の独立性は必ずしも金融政策を運営する上で最善の方法であるとは限らない-特に今現在においては最善の方法ではないかもしれない-と思われるのである。

  • 【第二の教訓】 1930年代の住宅建設ブームが今また再現されることは好ましいことだと言えるだろう。
今すぐに住宅建設ブームが起こりそうかというとそうとは言えないのは確かだ。というのも、住宅ローンの利用可能性と土地利用計画に関わるルール(法律)が1930年代と現在とでは大きく異なるからである。そのことを踏まえると、住宅建設ブームを後押しする上では特に都市計画法の規制を緩和することが望ましいと言えるのかもしれない。最近の研究で示されているように、土地利用を巡る法規制は住宅市場に大きな歪みをもたらしており、仮に規制の一部が取り除かれた場合には、経済が新たな均衡に移行する過程で数多くの住宅が建設されることになる可能性がある(Hilber and Vermeulen 2012)。しかしながら、その種の政策変更を実現することは政治的に見てかなりの難題であり、その実現可能性は低いと思われる。


表1 各種金利指標(単位は%)
(注記)実質金利は事後的な実質金利(=名目金利-実際のインフレ率)である。実質長期金利(Real long rates)はコンソル債の利回りから過去3年間のインフレ率の加重平均を差し引いて導出している。詳細はChadha and Dimsdale(1999)を参照のこと。今回データを提供してくれた Jagjit Chadha には感謝の意を表したい。
(データの出所)Bank Rate(政策金利)、Treasury Bill Rate(短期国債の利回り)、Yield on Consols(コンソル債の利回り)に関するデータの出所は Dimsdale(1981)、Real interest rates(実質金利)に関するデータの出所は Chadha and Dimsdale(1999)。

表2 名目為替レート(1929年時点の為替レートを100とおく)
(注記)Average exchange rate(平均為替レート)はポンドとその他のあらゆる通貨との間の(2国間)為替レートの加重平均であり、製造業の輸出シェアをウェイトとして用いている。 
(データの出所) Dimsdale(1981)

表3 「財政の持続可能性」に関わるデータ(1925年-1938年)
(注記)b*は、(change in d) = 0 との条件を満たす上で(対GDP比で見た政府債務残高が変化せずに一定の値にとどまる上で;訳注)必要となるプライマリーバランスの黒字の値(対GDP比)を表している。また、(change in d) = -b +d(i -π - g) である。bは対GDP比で見たプライマリーバランス(bがプラスの値をとる場合はプライマリーバランスの黒字が発生)、iは政府債務(国債)の平均的な名目金利、dは対GDP比で見た政府債務残高をそれぞれ表している。b、i、dのいずれに関してもMiddleton(2010)のデータを利用している。πはGDPデフレーターで測ったインフレ率であり、Feinstein(1972)のデータを利用している。gは第4四半期の実質GDP成長率であり、Mitchell et al.(2012)のデータを利用している。


<参考文献>

○Chadha, J S and Dimsdale, N H (1999), “A Long View of Real Rates(Oxford Journals)”, Oxford Review of Economic Policy 15(2), 17-45.
○Crafts, N and Fearon, P (2013), “The 1930s: Understanding the Lessons”, in N Crafts and P Fearon (eds.) The Great Depression of the 1930s: Lessons for Today, Oxford, Oxford University Press, 45-73.
○Dimsdale, N H (1981), “British Monetary Policy and the Exchange Rate, 1920-1938(JSTOR)”, Oxford Economic Papers 33(2), supplement, 306-349.
○Feinstein, C H (1972), National Income, Expenditure and Output of the United Kingdom, 1855-1965, Cambridge, Cambridge University Press.
○Hilber, C A L and Vermeulen, W (2012), “The Impact of Supply Constraints on House Prices in England(pdf)”, London School of Economics Spatial Economics Research Centre Discussion Paper No. 119.
○Howson, S (1975), Domestic Monetary Management in Britain, 1919-1938, Cambridge, Cambridge University Press.
○Howson, S (1980), “The Management of Sterling, 1932-1939(JSTOR)”, Journal of Economic History 40, 53-60.
○Middleton, R (2010), “British Monetary and Fiscal Policy in the 1930s(Oxford Journals)”, Oxford Review of Economic Policy 26, 414-441.
○Mitchell, J, Solomou, S and Weale, M (2012), “Monthly GDP Estimates for Interwar Britain(ScienceDirect)”, Explorations in Economic History 49, 543-556.
○Scott, P (2008), “Marketing Mass Home Ownership and the Creation of the Modern Working-Class Consumer in Interwar Britain(Taylor&Francis Online)”, Business History 50, 4-25.
○Svensson, L E O (2003), “Escaping from a Liquidity Trap and Deflation: the Foolproof Way and Others”, Journal of Economic Perspectives 17(4), 145-166.

2013年8月18日日曜日

Eli Dourado 「人身供犠の経済学」

Eli Dourado, “What Can We Learn from Human Sacrifice?”(The Ümlaut, February 20, 2013)

人身供犠(human sacrifice)に関する歴史的な記述は現代人の心をゾッとさせずにはおかない。ピーター・リーソン(Peter Leeson)がつい最近の論文(pdf)でインド東部のコンド族(Konds)の間で執り行われていた人身供犠をテーマに取り上げているが、その中には次のような記述がある。
いくつかのケースでは、生贄の動きを封じるために腕や足の骨が折られることもあった。そして最後の祈りが唱えられるや、神官(priest)の言葉を合図に「儀式に参加していた民衆が一斉に生贄に飛び掛かり、頭と腸には一切触れることなしに肉と骨の切り離し(皮剥ぎ)に取り掛かるのであった」。供犠に際して生贄を切り刻むことはどの地域でも共通して見られたものであったが、コンド族の間では時に生贄に対してそれ以外の処置――いずれも派手であり(派手=その様子が広範囲の人々の目にとまる;訳注)、見た目に残酷なものであった――が施されることもあった。例えば、生贄の体を細かく切り刻む前に、生贄を豚の血で満たされた穴の中に投げ込んで溺死させたり、生贄の命が絶えるまで真鍮の腕輪で殴り続けるといった処置が施されたのである。
すべては豊饒と草木の女神――人々の災いを願っているかのように見える地母神――であるタリ・ペヌー(Tari Penu)の気持ちを安らげるために執り行われたのであった。

人身供犠などというのは極めて非合理的であり、社会的に見て有害な行いでしかない、と思われることだろう。しかしながら、「いや、そうではない」、とリーソンは語る。リーソンによると、コンド族は人身供犠の儀式を自分たちの所有権を保護するためのテクノロジーの一種として利用していた、というのである。人身供犠という 「見せびらかしの破壊」(“conspicuous destruction”)に乗り出した集団はその分だけ貧しい状況に置かれる(富を失う)ことになるが、人身供犠の様子を目撃したりその事実を知った隣接する周囲の(同じコンド族に属する)集団は人身供犠を執り行った集団を襲撃したところで得にはならない(略奪に及ぶことで得られる便益が略奪に要するコストに見合わない;訳注)、と判断することだろう。つまりは、人身供犠はそれに伴うコスト(富の破壊)を他者の目にも明らかにすることで、(同じコンド族に属する)他の集団による略奪行為を未然に防ぐ機能を果たしていたわけである。生贄-コンド族の間ではメリアー(meriahs)と呼ばれていた-は外部(コンド族以外)のコミュニティーから高値で購入される習わしとなっていたことに加えて、人身供犠は偽装が困難という特徴も備えていた。「見せびらかしの破壊」の手段としては収穫した大量の作物を一箇所に積み上げてそれを燃やすという方法も考えられるが、作物の山を燃やす場合はその表面を葉っぱで覆い尽くすことで中身の偽装(葉っぱの覆いの下に作物ではなく何か別のものを潜ませる;訳注)が可能である。一方で、人体の解体を偽装することは困難である(それゆえ、人身供犠は作物を燃やす場合と比べて富の破壊が偽りではなく本物であることを示す一層信頼のおけるシグナルとして機能した;訳注)。

リーソンの件の論文は次のこと、すなわち、少なくともいくつかの状況においては、人身供犠が合理的であり、社会的に見て有益な役割を果たしていたことを理論的・歴史的な観点から説得的に論証していると言えよう。人身供犠を通じて同族間での略奪行為が抑制されることで、そうではない場合――人身供犠が一切執り行われず、そのために同族間での略奪行為が頻発する場合――と比べてコンド族の人々は全体としてより平穏で恵まれた生活を送ることが可能となったと考えられるわけである。

それでは、我々もまたコンド族を真似して人身供犠を執り行うべきなのであろうか? その答えは明らかに「ノー」である。しかしながら、コンド族による人身供犠から学べることはたくさんある。リーソンは論文の冒頭でジョージ・スティグラー(George Stigler)の次の言葉を引用している。
「長きにわたって存続している社会制度や社会慣行はいずれも効率的である」(“[E]very durable social institution or practice is efficient.”) 
コンド族による人身供犠は太古の昔より続く習わしであったと伝えられており、それゆえ人身供犠は長きにわたって存続した社会制度であったわけである。リーソンの一連の研究は、ちょっと風変わりではあるが合理的で効率的な過去の社会慣行の例で満ち溢れている。呪い(Cursing)はどうなのかって? リーソンによれば(pdf)、合理的である。決闘裁判(Trial by battle)は? リーソンによれば(pdf)、効率的である。中世ヨーロッパで行われていた試罪法(ordeals)は? リーソンによれば(pdf)、有罪と無罪を正確に見分ける有効な手段であった。虫や動物を被告とした裁判は? リーソンによれば(pdf)、十分の一税の納付の増大に貢献したという意味でカトリック教会にとって好ましいものであった。それなら妻売り(Wife sales)は? リーソン(ベッキー(Boettke)とレムケ(Lemke)との共同研究)によれば(pdf)、女性(妻)にとって好ましい慣行であった。

人身供犠に関するリーソンの研究は、リベラル派あるいはリベラルな立場に共感を抱く人々に対して次のような重要な教訓を投げ掛けている。その教訓とは、長きにわたって続く慣行や長きにわたって抱き続けられている信念を愚かだとか非合理的だと軽んじるべきではなく、現存する制度や慣行のことは何であれ理解し尽くしているなどと軽々しくも考えるべきではない、ということである。人身供犠を宗教上の制度(慣行)――確かにそうであった――としてだけ捉えてしまうと、同時に所有権を保護するための制度でもあった-確かにそうであった-という事実が易々と見過ごされてしまう結果になるだろう。仮に外部からの呪術的な干渉(magical intervention)を通じてコンド族の間での人身供犠を取りやめさせることが可能となったとしても、そのためにコンド族の人々は略奪のための闘争に明け暮れる結果となってしまうかもしれず、人身供犠が続いた場合よりも多くの人命と富が失われてしまう恐れがあるのである。また、かつてイギリスはリベラルな教育や暴力の脅しを通じてコンド族の間での人身供犠に終止符を打とうと試みたが、結局のところその試みは失敗に終わった。同様に、長きにわたって存続するリベラルとは言えない社会慣行を取りやめさせようとする試み(干渉)はしばしば失敗に終わることになるであろう。

人身供犠に関するリーソンの研究は、保守派あるいは保守的な立場に共感を抱く人々に対しても教訓を投げ掛けている。人身供犠はコンド族が直面していた特定の状況においては効率的な制度であった。イギリスがコンド族に対して所有権の保護や紛争解決のサービスを提供し始めるや、コンド族の人々は快く人身供犠の習わしから手を引くことになった――おそらく、(コンド族の)年配者の中には若者の不信心な態度に怒り心頭であった人々もいただろうが――。環境が劇的に変化すると、それまで長きにわたって存続し効率的であった社会制度ももはや効率的ではなくなり、そのために存続できなくなるわけである。スティグラーが主張しているように、効率的な制度の存続を支えるのと同じ力が非効率的な制度の淘汰をもたらすのである。また、社会制度が存続したり変化する真の理由を理解することはリベラルな人々だけではなく保守派の人々にとっても困難なようだ。そのためなのか、実のところは新しいテクノロジーの導入に対する効率的な反応であるにもかかわらず、保守派の人々は社会的な変化の原因をしばしば道徳の頽廃に求める傾向にあるのである。

我々はテクノロジーの急激な変化の時代に生きている、とはよく言われるところであるし、事実そうであろう。目下のところテクノロジーが急激に変化するだけではなく、(結婚や出産、終末期医療、労働市場、大学などなどを巡る)数多くの社会制度もまた急激な変化を被っているが、何も驚くことはない。というのも、 社会的な変化はテクノロジーの変化の結果に過ぎないからだ。リベラルな人々は、古くから続く制度を現状の温存を後押しするものと捉える一方で、社会的な変化を進歩と見なすことだろう。保守派の人々は、古くから続く制度や慣行を内面化しており、そのために社会的な変化を頽廃と見なすことだろう。しかしながら、社会的な変化は道徳的な進歩を意味するものでも道徳的な頽廃を意味するものでもない。法や経済学、そして迷信に関するリーソンの一連の研究は、一見風変わりな数多くの社会制度――コンド族に限らず我々自身の社会制度も含めて――は我々が抱える問題や我々の目の前に立ちはだかる制約に対する合理的な反応の結果だ、ということを愉快かつ啓蒙的なかたちで教えてくれているのである。

2013年8月13日火曜日

Tim Schilling 「制度と起業家精神 ~ジュジュに立ち向かう起業家~」

Tim Schilling, “Institutions and Entrepreneurship”(MV=PQ: A Resource for Economic Educators, November 19, 2010)

このブログの定期的な読者はご存知のように、私は経済制度といったアイデアに興味を抱いている。これまで経済学の分野では、「制度とは『ゲームのルール』のことである」、と定義されてきた。もっと具体的には、制度とは、個々の行動に関するインセンティブを形作ることを通じて人々の意思決定に影響を与える一連のルールならびに組織(organizations)-フォーマルなものであれインフォーマルなものであれ-のことを指している。そこには、成文化された法律や自生的に生成された行為規範、そして文化的な信念(cultural beliefs)までもが含まれる。本日のエントリーの主題は最後にあげた文化的な信念である。

本日のウォール・ストリート・ジャーナルでナイジェリアのバイクタクシーの話題が取り上げられている。具体的には、ナイジェリアのバイクタクシーがいかに危険であるかが主題である。ナイジェリアではバイクタクシーの事故があまりにも多いために、各病院にはバイクタクシー事故での負傷者向けに専用の病棟が用意されているほどだという。

これまでにも事故を防ぐために(あるいは事故に遭った際の負傷の程度を抑えるために)バイクタクシーの乗客にヘルメットを被ってもらうよう何度か試みられたが、うまくいかなかった。その主たる理由は迷信(文化的な信念)にある。ナイジェリアの多くの人々の間では、ヘルメットと自分の頭が接触することで(自分の前の乗客がヘルメットに込めたかもしれない)邪悪な「ジュジュ(精霊)」("juju")の呪いにかかり、そのために恐ろしい出来事に巻き込まれてしまう、と信じられているのである。邪悪なジュジュの呪いにかかると、この世から突如として消え去ったり、脳を失ったり、運を吸い取られてしまう恐れがある、と広く信じられているのである。人々がしばしば悲劇的な結末をもたらす選択を行う(訳注:ヘルメットを被らない)のは、(迷信を通して)「認識された」コスト(訳注;ヘルメットを被ることに伴うコスト)が(迷信を通して)「認識された」便益(訳注;ヘルメットを被ることに伴う便益)を上回るからである。邪悪なジュジュの呪いを巡る迷信の下で人々は「論理的な」("logical" )選択をしているわけである。

ここでとある起業家の登場である。この起業家はヘルメットと頭の間に敷くことができる布帽子を開発したのであった。布帽子を被ればヘルメットと頭が直接接触することはなく、その結果、文化的な恐れ(ジュジュの呪いに対する恐れ)が和らげられることになる-皆が皆そうというわけではないだろうが-。衛生面の問題など他にも色々と問題はあるものの、重要なポイントは次の点にある。その地域に特有の制度的要因(訳注;ここでは邪悪なジュジュの呪いを巡る迷信)の理解を通じて、新たなマーケットを発見し開拓することが可能となった、ということである。数多くの安価な競合品の存在-例えば、ハンカチ-を考えると、彼が今後どれだけの成功を収めることになるかはわからない。今後ライバル企業が続々と参入してくる可能性もある。ともあれ、この事例は、制度と起業家精神との関わりを巡る興味深いケースであることだけは間違いない。

Peter Leeson 「迷信と経済発展」

Peter T. Leeson, “Superstition and Development”(Aid Watch, August 23, 2010)

ジプシー(ロマ)の間では次のような迷信が信じられている。人間の下半身は気付かぬうちに穢される恐れがあり、超自然的な力の働きによって超自然的な穢れが人から人へと伝染していくことがある。そして、ジプシー以外の人々は内面的に毒されている、と。

このような一連の迷信は決して非合理的なわけではなく、ジプシー社会の秩序を維持する上で中心的な役割を果たしている。ジプシーは仲間うちでの協調を支えるために政府によって作り上げられた法制度(訳注;以下では、「公的でフォーマルな制度」と訳すことにする)に頼ることができない状況に置かれており、彼らの間でなされる経済的・社会的なやり取りは公的な法律の範囲の外にあるものとしてあるいは違法なものとして取り扱われている。しかしながら、法と秩序に対する欲求の強さに関してはジプシーもそれ以外の人々に少しも劣るところはない。

そこでジプシーは仲間内での秩序を維持するために迷信の力を借りることになる(原注1)。冒頭で触れた迷信、すなわち、ジプシー以外の人々は内面的に毒されており、超自然的な穢れは人づてに伝染する、という信念について考えてみることにしよう。ジプシーは(経済的・社会的な)やり取りの相手側(ただし、自分と同じジプシー)の裏切り行為を抑えるために政府に頼ることはできない。そのため、ジプシーは社会的に見て破壊的な(非生産的な)行為を抑えるために村八分(ostracism)の脅し(訳注;裏切り行為に手を染めればジプシー社会から永久に追放するぞ(ジプシー社会の人間はもう誰もお前とはこの先取引することはないぞ)、との脅し)に訴えざるを得ないことになる。

しかしながら、ここに問題がある。それは、ジプシー社会はジプシー以外の人々からなる大海の上に浮かぶ小島のようなものだということである(訳注;ジプシー以外の人々と容易に接触できる状況にある、ということ)。裏切り行為を犯して追放されたジプシーが外部の大きな社会に溶け込み、その社会の人々(ジプシー以外の人々)と接触することができるようであれば、村八分は大した罰とは言えなくなる。そこでジプシーは、村八分の脅しに実効性をもたせるために、ジプシー以外の人々は内面的に毒されており、彼らの内面における毒は伝染性があり、彼らと接触すれば超自然的な力の働きによって自らも毒されて(穢されて)しまう、との強固な信念を生み出すに至ったのである。

このような迷信が信じられている状況では、村八分の脅しは真実味を帯びたものとなる。というのも、裏切り行為はジプシー社会・非ジプシー社会を問わず全ての社会からの追放を意味することになるからである(訳注;裏切り行為を行うとその後は非ジプシー社会の人々とのみ付き合わざるを得なくなるが、非ジプシーの人々と付き合うと自らも穢れてしまうと信じられているために、非ジプシーの人々と付き合うわけにもいかない)。村八分の脅しと迷信の力が相まって、ジプシー社会では社会的に見て破壊的な行為が防がれているわけである。おそらく意図しないかたちでではあろうが、ジプシーの間で信じられている迷信は(ジプシーの仲間うちの間での)法と秩序の維持に貢献しているわけである。

私たちはジプシーのような「他者」が信じる迷信をつい見下してしまいがちだが、ヨーロッパの歴史もまた迷信の宝庫であることがわかる。そして、かつてヨーロッパで信じられていた迷信の中には社会的に有益な役割を果たしていたものも存在していた可能性がある。例えば、中世ヨーロッパの裁判では、犯罪の被告人が有罪か無罪かがはっきりしない場合、被告人に対して試罪法(ordeal)が執り行われた(原注2)。例えば、熱湯を用いた試罪法では、被告人はぐつぐつとお湯が沸き立つ大釜の中に手を突っ込むよう求められる。熱湯に手を突っ込んでから3日後に被告人の腕にひどいやけどや感染症の症状が確認されると、被告人は有罪を宣告されることになる。一方で、被告人の腕に何の異常も表れない場合には、被告人には無罪が言い渡されることになる。こういった試罪法はとある迷信の上に成り立っている。その迷信というのは、被告人が無実であれば、神がその被告人に対して奇跡をもたらし、厳しい試練を無傷のままで潜り抜けることを可能とする、というものである。

ジプシーのケースと同様に、この迷信は一見すると非合理的な信念のように思われるが、じっくりと検討してみると社会的に見て有益な働きをしていることが判明する。仮に被告人に罪の覚えがある場合、自らの腕を熱湯にさらさねばならない恐怖を前にして、彼/彼女は試罪法の受け入れを必ずや拒否することだろう。それというのも、中世のヨーロッパでは、罪の覚えが無い被告人は神によって救われて無罪放免となり、一方で罪の覚えがある被告人は試罪法を通じて罪を犯したことが明らかになる、との迷信が人々に信じられており、そのため罪の覚えがある被告人は試罪法を受ければ腕にやけどを負い、そして有罪を宣告されるはずだ、と考えるからである。罪の覚えがある被告人は、腕にやけどを負うよりは、自ら罪を白状するか告発者と示談に持ち込む方が得策だ、と考えることだろう。

それとは対照的に、罪の覚えが無い被告人は必ずや試罪法の執行を受け入れることだろう。彼らもまた先の迷信-罪を犯していない被告人が試罪法に身を任せた場合、神が彼らの腕をやけどから守り、そのため無罪が証明されるはずだ、との迷信-を信じており、そのために試罪法に対して何らの恐れも抱くことが無いからである。罪の覚えが無い被告人はすすんで試罪法の執行を受け入れることになるだろう。

罪の覚えがある被告人だけが試罪法の受け入れを拒否し、罪の覚えが無い被告人だけがそれをすすんで受け入れるために、被告人が試罪法に対してどういった反応を見せるかを観察することで、彼/彼女が有罪か無罪かを知ることができたわけである。中世ヨーロッパで広く信じられていた迷信は刑事裁判の進行を手助けする働きをなしており、そうすることで法と秩序の維持に貢献していたわけである。

ただし、あらゆる迷信が法と秩序の維持を促すと主張したいわけではない。決してそうではないだろう。しかしながら、滑稽で科学的な裏付けのない信念の中には、公的でフォーマルな制度が不在であったり、そういった制度がうまく機能していない状況において、公的でフォーマルな制度の代わりとなって社会的な協調を促す働きを現に果たしているものが存在する可能性を退けるべきではない、と思われるのである。そこで疑問となるのは、発展途上国で信じられている迷信のうちでどれがそういったカテゴリーに含まれるだろうか?、ということである。


<原注>

(原注1) ジプシー社会の迷信に対して経済学的な観点から包括的な分析を加えているものとしては、次の私の論文がある。参照あれ。Leeson, Peter T. 2013. “Gypsy law(pdf)”, Public Choice, vol.155, issue 3-4, pp. 273-292.

(原注2) 中世ヨーロッパで実施されていた試罪法による裁判に対して経済学的な観点から包括的な分析を加えているものとしては、次の私の論文がある。参照あれ。Leeson, Peter T. 2012. “Ordeals(pdf)”, Journal of Law and Economics, vol.55, issue 3, pp. 691-714.

2013年8月12日月曜日

Mungowitz 「生き別れの兄弟?」

Mungowitz, “Peter Leeson, Peewee Pirate!”(Kids Prefer Cheese, August 8, 2013)

おっと、これはなんてことだ!

以下に掲げる写真は一流の経済学者ピーター・リーソン(Peter Leeson)である。彼の処女作である『The Invisible Hook』(邦訳『海賊の経済学―見えざるフックの秘密』)は私も経済学入門の講義で毎年使わせてもらっているが、学生もお気に入りの一冊であり、申し分なく優れた内容だ。彼に対しては称賛しかない。愛してるよ、ピーター。心の底から愛してる。



さて、次に掲げる写真はピーウィー・ハーマン(Peewee Herman)である。・・・何と言ったらいいんだろうか。ピーター、もしかして「テキーラ」(Tequila!)は好きかい?


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<訳者による追記>

「何でこんなの訳したの?」と思われるかもしれない。正直なところ、自分でもそう思う。一時的な気まぐれ・・・な面もなくはないけれど、今後ちょこちょことPeter Leesonの研究に関連する記事を訳そうと思い立ち、その導入のつもりで訳してみた次第。今年の夏は「リーソンの夏」にするぞ!(勿論リーソンに関連する記事以外も訳すつもりではあるし、怠けて何も訳さない可能性もゼロではない)

ちなみに、このエントリーの原著者であるMungowitzはMichael Munger

2013年8月11日日曜日

Stephen Hansen&Michael McMahon 「遅れてやってくるハトっぽさ ~マーク・カーニーの今後の振る舞いを占う~」

Stephen Hansen and Michael McMahon, “Mark Carney and first impressions in monetary policy”(VOX, August 11, 2013)
マーク・カーニーがイングランド銀行の新しい総裁に就任したばかりだが、カーニーの「タカ派度」を探るヒントを求めて、市場関係者たちは彼の一言一句を慎重に吟味することだろう。我々の研究によると、金融政策委員会のメンバーは、経験を積むにつれて――例えば、金融政策決定会合に18回以上参加すると――ハト派色を強める傾向にあるようだ。それに加えて、真の選好がハト派寄りのメンバーほど、着任して間もない頃にタカ派寄りのスタンスをとろうする――本音に反する振る舞いをする――傾向が強いようだ。

現代の金融政策では、「インフレ期待の管理」に重点が置かれている。中央銀行の独立性を確保したり、インフレ目標を採用したり、フォワード・ガイダンスに訴えたりというのも、インフレ期待を管理することの重要性を反映したものであると言える。中央銀行の上層部の刷新――例えば、新たな議長や新たな総裁の任命――は、インフレ期待の安定化を実現する上でとりわけ重要な出来事となる場合が多い。新たな議長・総裁(ないしは、政策委員)がどんな選好の持ち主なのかよくわからないために、彼/彼女がどんな政策スタンスをとりそうかをめぐって――加えて、人事の刷新に伴ってインフレ期待にどんな影響が及びそうかをめぐって――、多くの憶測が飛び交うことになる。例えば、Cottle (2012) は、「イングランド銀行の新しい総裁であるマーク・カーニーは、『タカ派』(‘hawk’)なのだろうか、それとも『ハト派』(‘dove’)なのだろうか?」と問い掛けている。

イングランド銀行ではカーニー新体制が始動したわけだが、カーニー総裁の今後の振舞いに関してどんな予測を立てることができるだろうか? 彼が5年間の任期の後半において採用する政策を前もって予測するための適当な指針を得ることはできるだろうか? カーニー総裁が着任してから最初の数カ月の言動をもとにして、「カーニーはハト派だ」、「いや、彼はタカ派だ」との声がマーケットでささやかれ始めることは間違いないが、カーニー総裁が本音のところでどんな政策スタンスを望ましいと考えているか――カーニー総裁の真の選好――が実際の行動を通じて明らかになるまでには、かなりの時間を要する可能性がある。それはなぜかというと、経済学の分野で「シグナリング」と呼ばれるアイデアが関わっている。

着任して間もないセントラルバンカーがインフレ期待に影響を与えるために、どんな戦略的な振る舞いに及ぶ可能性があるかを「シグナリング」のアイデアを使って分析している学術的なな研究は、かなりの数にのぼる――例えば、Backus and Driffill (1985a, 1985b)、Barro (1986)、 Cukierman and Meltzer (1986)、Vickers (1986)、Faust and Svensson (2001)、Sibert (2002, 2003, 2009)、King, Lu, and Pasten (2008) を参照――。先行研究を通じてどんなことが明らかになっているかというと、着任したばかりのセントラルバンカーは、自らの本音――以下では、政策に関する真の選好と呼ぶことにしよう――よりもタカ派寄りのスタンスをとる(インフレに対してタフな態度で臨む)傾向にあるようだ。その理由は、正真正銘のインフレファイターであるとの評判を国民から勝ち取るためだという。しかしながら、着任して間もない頃にタフさを誇示した後は軟化して、次第に自らの本音(真の選好)に沿ったスタンスに転じるようになるという。

金融政策委員会に関する最新の研究

先行研究では、政策に関する真の選好がハト派寄りのセントラルバンカーほど、インフレに対するタフさをシグナルしようとするインセンティブが強いとされているが、我々の最新の研究 (Hansen and McMahon 2013)では、セントラルバンカーの真の選好が国民に知られていない場合にセントラルバンカーがどう振る舞いそうかを細かく検討している。具体的にどういう結果が得られているかというと、中央銀行にインフレ期待を低く抑えることが求められている場合には、真の選好がどうであれ、着任して間もないセントラルバンカーは真の選好よりもタカ派寄りのスタンスをとる(インフレに対してタフな態度で臨む)傾向にあるが、時が経つにつれてハト派色を強めていくことになる。この結果を簡潔に表現すると、「遅れてやってくるハトっぽさ」(“delayed dovishness”)――「先んじてやってくるタカっぽさ」(“early hawkishness”)とも表現できる――と形容することができるだろう。どんな選好の持ち主であれ、着任して間もない頃は真の選好よりもタカ派寄りのスタンスをとろうとする――本音に反する振る舞いをする――インセンティブを持つわけだが、真の選好がハト派寄りの(産出ギャップを埋めることに重きを置く)セントラルバンカーほど、そのインセンティブは強いようだ。

「シグナリング」のアイデアを使って金融政策を分析する学術的な研究の歴史は何十年にも及ぶが、「シグナリング」モデルの妥当性を裏付ける実証的な証拠を提示しているのは、我々の研究が初である。我々の研究では、イングランド銀行に設置されている金融政策委員会(Monetary Policy Committee;MPC)――その議長を新たに務めるのが、マーク・カーニーということになる――のメンバーの振る舞いが対象になっているが、MPCのメンバーは、経験を積むにつれて(具体的には、MPCの会合に18回以上参加すると)、ハト派色を強める傾向にあることが見出されている。さらには、真の選好がハト派寄りのメンバーほど、着任して間もない頃にタカ派寄りのスタンスをとろうする傾向が強いことも見出されている。

我々の研究からどんなことが示唆されるかというと、カーニー総裁の真の選好が仮にハト派寄りで、彼がタフなインフレファイターであるとの評判を確立したいと望んでいるようなら、カーニー総裁は当初のうちはマーケットに対してタカっぽさをシグナルしようと試みるだろう。つまりは、イングランド銀行の総裁に着任して間もないうちは、カーニー総裁は真の選好よりも強めにタカ派色を押し出す可能性があるわけだ。

ところで、先行研究では、インフレが過度の高まりを見せている状況が想定されている。つまりは、過度なインフレを抑えてインフレ期待を安定させるためにこそ、セントラルバンカーはインフレに対してタフであろうとすると想定されているのである。1997年にMPCが設立されて以降の大半の期間に関しては、そのように想定しても特に問題はなかっただろう。しかしながら、景気が弱々しかったり、「流動性の罠」に陥ったり、政策当局者がインフレ期待を高めるのを目標にしたり・・・なんていうケースもあるかもしれない。そういうケースでは、セントラルバンカーの振る舞いに関して、先ほどまでとは正反対の予測が導かれるだろう。つまりは、MPCのメンバーは、着任して間もない頃は真の選好よりもハト派寄りのスタンスをとり、経験を積むにつれてタカ派色を強めると予測されるのだ。着任して間もない頃に真の選好よりもハト派寄りのスタンスをとろうとするのは、そうすることでインフレ期待が高まるからである。インフレ期待が高まれば、実質金利(期待実質金利)が低下することになる。実質金利が低下すれば、投資(実物投資)――The Economist (2013)でも論じられているように、イギリスでは投資の勢いが弱い――や消費が刺激されることになる。日本では、黒田東彦氏が新たな日本銀行総裁に任命されたが、だいぶハト派寄りと目されていて、積極的な金融緩和に対するコミットメントを明らかにしている。黒田新総裁の振る舞いも「シグナリング」モデルを使ってうまく説明できるかもしれない。

イギリス経済が置かれている困難な現状と、インフレファイターとして認知されたいと願うセントラルバンカーに備わる本能とは、着任当初におけるイングランド銀行総裁の振る舞いに関してそれぞれ正反対の予測を導くことになる。そのため、カーニー総裁がタカ派なのかハト派なのかを判別するのは相当に難易度が高い作業になるだろうし、カーニーを総裁に選んだのが正しかったのかどうかを判断するのに通常よりもずっと長い時間が必要となることだろう。カーニー総裁には、インフレ目標の達成が求められているだけではなく、マクロプルーデンス政策や金融規制の面でこれまでの総裁以上に大きな権限が委ねられている。カーニー総裁の真の選好を見極めるのはタフな作業になるだろうが、カーニー総裁にはそれ以上にタフな作業が待ち構えている。あちらこちらで上がる数え切れないほどの火の手を鎮火しなければいけないのだから。


<参考文献>

○Backus, D and J Driffill (1985a): “Inflation and Reputation(JSTOR),” The American Economic Review, 75(3), 530-38.
○Backus, D and J Driffill (1985b), “Rational Expectations and Policy Credibility Following a Change in Regime(JSTOR),” Review of Economic Studies, 52(2), 211-21.
○Barro, R J (1986), “Reputation in a model of monetary policy with incomplete information(ScienceDirect),” Journal of Monetary Economics, 17(1), 3-20.
○Cottle, D (2012), “So, Mr. Carney, Hawk or Dove”, 27 November 2012, last accessed 04 April 2013.
○Cukierman, A and A H Meltzer (1986), “A Theory of Ambiguity, Credibility, and Inflation under Discretion and Asymmetric Information(JSTOR),” Econometrica, 54(5), 1099-1128.
○Faust, J and L E O Svensson (2001), “Transparency and Credibility: Monetary Policy with Unobservable Goals(JSTOR),” International Economic Review, 42(2), 369-97.
○Hansen, S and M McMahon (2013), “First Impressions Matter: Signalling as a source of policy dynamics(pdf)”, mimeograph.
○King, R G, Y K Lu and E S Pastén (2008), “Managing Expectations(Wiley online library),” Journal of Money, Credit and Banking, 40(8), 1625-1666.
○Sibert, A (2002), “Monetary policy with uncertain central bank preferences(ScienceDirect),” European Economic Review, 46(6), 1093-1109.
○Sibert, A (2003), “Monetary Policy Committees: Individual and Collective Reputations(JSTOR),” Review of Economic Studies, 70(3), 649-665.
○Sibert, A (2009), “Is Transparency about Central Bank Plans Desirable?(Wiley online library),” Journal of the European Economic Association, 7, 831-857.
The Economist (2013), “On a wing and a credit card” July 6th 2013.
○Vickers, J (1986), “Signalling in a Model of Monetary Policy with Incomplete Information(JSTOR),” Oxford Economic Papers, 38(3), 443-55.

2013年8月10日土曜日

Andy Harless 「タフでマッチョなハト派? タカのようなハト?」

Andy Harless, “Why Doves Are Really Hawks”(Employment, Interest, and Money, February 13, 2013) 

マッチョ(Machismo)はコミットメント・メカニズムの一種である。

仮にあなたが徹底的なまでに合理的なオタク(perfectly rational nerd)であるとしよう。その場合、周囲の人々はあなたが合理的な振る舞いをするはずだと常に予想することだろう。そのため、あなたは信じるに足る脅し(credible threats)を行うことはできないだろう。というのも、あなたの脅しが周囲の人々から信頼されるのはその脅しを実行することがあなたにとって合理的な場合に限られるが、脅しをそのまま実行に移すことが合理的であるケースなどほとんどないだろうからである。(「ケツを蹴っ飛ばしてやるぞ」と脅しておいて実際にも)他人のケツを蹴飛ばす(whoop someone’s ass)ことが合理的な状況が一体どのくらいあると言うのだろうか?

一方で、仮にあなたがタフでマッチョなごろつき(badass)であるとしよう。その場合、周囲の人々はあなたがタフでマッチョでたちの悪い振る舞いをするはずだと常に予想することだろう。そのため、あなたはいつでも信じるに足る脅しを行うことができることだろう。というのも、脅しをそのまま実行することは、タフでマッチョでたちの悪い行いに他ならないからである。こうしてあなたの脅しは周囲の人々から信じるに足るものと見なされることになるが、まさにそれがために脅しが実行に移される機会は滅多に訪れることはないだろう。

以上の議論は金融政策のよく知られた話題(訳注;時間不整合性(time inconsistency)の問題)に対しても応用することができる。仮にあなたの国のセントラルバンカーが徹底的なまでに合理的なオタクであるとしよう。その場合、あなたの国ではインフレが非常に高い水準に達することになるだろう。というのも、セントラルバンカーが「(インフレを抑制するために;訳者挿入)不況を起こすぞ」と脅したところでそれが信じるに足るものと見なされることはないだろうからである。大抵のケースにおいてそのような脅しを実行することは合理的ではなく、そのために人々はセントラルバンカーが脅しを実行するとは予想だにしないことだろう。不況を起こすことが合理的な状況が一体どのくらいあると言うのだろうか?

一方で、あなたの国のセントラルバンカーがタフでマッチョなごろつきであるとしよう。その場合、あなたの国ではインフレが高止まりすることはないだろう。というのも、セントラルバンカーが「不況を起こすぞ」と脅した場合それは信じるに足るものと見なされるだろうからである。不況を起こすことは(そのセントラルバンカーにとって)タフでマッチョでたちの悪い行いであり、そのために人々はセントラルバンカーがその脅しを実行するはずだと予想することだろう。セントラルバンカーの「不況を起こすぞ」との脅しが信じるに足るものであるために、人々は価格の設定に慎重になる(価格の抑制に向かう)だろうが、まさにそれがためにセントラルバンカーが脅しを実行する必要はないことになろう(確かに、実際のメカニズムはもう少し複雑だが、あらましとしてはこうなる)。

さて、そこで質問である。インフレの高止まりをどうしても避けたいと願う場合、どのようなタイプの人間がセントラルバンカーの座に就くことが望ましいだろうか? その答えは言うまでもなく明らかだろう。タフでマッチョなごろつきである。ディナー用の食材を獲得するために自らのかぎづめで喜び勇んで小動物を掴み上げるようなタイプの(タカのような;訳者挿入)セントラルバンカーである。反対に、こぎれいな見た目でくうくう鳴きながらそこら一帯を喜び勇んで飛び回るようなタイプの(ハトのような;訳者挿入)セントラルバンカーは御免被りたいことだろう。

このような理論は1980年代においてはかなり筋の通ったものであったが、それ以降現実の世界は変化を遂げることになった。過去20年間においてインフレ率はそれほど高い水準にはなく、今現在我々は穏やかな不況の真っただ中に置かれている。この穏やかな不況から抜け出すための手段の一つは、「インフレを起こすぞ」と脅すことにある。「機会さえあれば、現金の購買力を毀損させる(インフレを引き起こす)つもりだ」と脅しをかけることで、人々に対して手持ちの現金や金融資産を使って何か有益なことをはじめた方が得策だ、と思わせるわけである。確かにやがて時が来ようものなら(訳注;実際にインフレが高まりを見せることになれば)、「インフレを起こすぞ」との脅しを実行することは合理的ではないことになろう。それゆえ、仮にセントラルバンカーが徹底的なまでに合理的なオタクであれば、その脅しは信じるには足らないものとなるだろう。

さて、そこで質問である。現在我々が直面している不況からどうしても抜け出したいと願う場合、どのようなタイプの人間がセントラルバンカーの座に就くことが望ましいだろうか? その答えは言うまでもなく明らかだろう。タフでマッチョなごろつきである。ディナー用の食材を獲得するために自らのかぎづめで喜び勇んで小動物を掴み上げるようなタイプのセントラルバンカーである。ところで、言うまでもなく私は鳥類学の専門家ではないが、このようなタイプのセントラルバンカーを「ハト(派)」(“dove”)と呼ぶのは適切ではないように思われるのである。

2013年8月9日金曜日

James Zuccollo 「9・11テロの副次的な効果」

James Zuccollo, “Side effects of 9/11”(TVHE, August 9, 2013)

人間は限定合理的な(boundedly rational)存在であって、毎度毎度最適な選択肢を探し求めるよりはヒューリスティック(heuristics)に頼って意思決定を行う傾向にある。しかしながら、ヒューリスティックに頼って行動した結果がいつでも自らのためになるとは限らない
2001年のテロ事件発生以降の数カ月において、アメリカの主要な航空会社の乗客マイルは12%~20%ほどの減少を記録し、その一方で道路の利用(車での移動)は大きく増加することになった。 
(省略) 
リスクの問題を専門的に研究しているゲルト・ギーゲレンツァー(Gerd Gigerenzer)教授は、9・11テロ以降の1年間で(車での移動が増えた結果として)追加的に1595人のアメリカ人が自動車事故で命を失うことになったとの推計結果を明らかにしている。この1595人は9・11テロの悲劇の間接的な犠牲者だと言えよう。 
(省略) 
このようにして生じた(1595人の)追加的な死の原因は人々の貧弱なリスク理解にあるとギゲレンツァー教授は語る。「人々はフライパンから火の中へと飛び込んだわけです。」 
「我々人類は、一度に多くの人々が命を失う状況を恐れるような進化的な傾向を備えています。このような傾向はおそらくは我々の先祖が小さなグループでまとまって生活していた頃の名残だと思われます。小さなグループでまとまって過ごしている状況においては、グループの一部のメンバーの死によってそれ以外のすべてのメンバーの命まで危険な状態に晒される恐れがあります。」 
「今や私たちはもはや小さなグループでまとまって生活しているわけではありません。しかしながら、死者の数自体は同じであっても、それが一度の事件・事故での結果である場合と1年間の累計の結果である場合とで人々が感じる恐れには違いがあるのです。」

2013年8月3日土曜日

Timothy Taylor 「FOMC版(笑)指数」

Timothy Taylor, “The Fed Laughter Index”(Conversable Economist, August 2, 2013)

2007年から2009年にかけてアメリカ経済は非常に激しい金融・経済ショックに襲われたが、これまで本ブログでは折に触れてそのショックの深刻さを例示するために数々の図やデータを紹介してきた。例えば、こちらこちらのエントリーで取り上げたように、金利スプレッドや金融部門による純貸出、住宅価格のバブル、海外からアメリカへの資本流入(国際的な資本移動の動向)などのデータを紹介してきたわけだが、今回はちょっと風変わりな指標を紹介してみようと思う。その指標というのはFOMC版(笑)指数とでも呼べるものであり、FOMC(連邦公開市場委員会)――アメリカにおける金融政策の最高意思決定機関――のトランスクリプト(会合の場で各参加者が行った発言を文字に起こしたもの)における(笑)([Laughter])の数――会合中に参加者の間で笑い声が漏れた回数――をカウントしたものである。


FOMC版(笑)指数をまとめた上の図によると、グリーンスパン議長時代の終わり頃には、各会合ごとの(笑)の数は概ね10~30の範囲に収まっていることがわかる(FOMCの参加者の間で笑いの種となるユーモアというのは、一室に集った金融政策オタクたちだけがくすぐられる類のものだ、という点ははっきりさせておこう)。バーナンキがFRB議長に就任して以降は(笑)の数は増加傾向を示しており、ピーク時には各会合ごとの(笑)の数は70~80の水準にまで達している。しかし、2007年後半にアメリカ経済が金融危機の第一波に襲われてからというもの、(笑)の数がゼロである会合もいくつか観察されるようになっている。

FOMCの議事録が公表されるまでには会合が終了してから5年間待たねばならないという事情もあって、上の図では2008年初頭のデータまでしか示されていない点には注意してほしい。最後にこの図の出所を明らかにしておこう。この図は、スタンフォード大学経済政策研究所(Stanford Institute for Economic Policy Research)が昨年春に開催した「サミット」の報告書から引用したものであり、Bianco Researchが収集したデータに依拠して作成されたものである。