David Beckworth, “Liquidity Traps Are Very Unlikely, Even at the Zero Bound: A Rejoinder to Matt Rognlie”(Macro Musings Blog, May 6, 2011)
マシュー・ログリー(Matthew Rognlie)がタイラー・コーエン(Tyler Cowen)を難詰している。「流動性の罠」なんて存在しないと語るコーエンに反論を加えているのだ。「流動性の罠」が存在することを滔々と述べ立てた後に、ログリーは以下のように締め括っている。
しかしながら、希望は少しも残されていないというわけじゃない。Fedにやれることはまだあるのだ。名目金利の今後の経路についての予想に働きかけるという手もある。通常とは違うかたちで債券を大量に購入して、ポートフォリオのリバランスを引き起こして満期が長めの金利の低下を促すという手もある。・・・(略)・・・ゼロ%は制約ではないと言い回るのだけはよしてもらいたい。悲しいかな、ゼロ%は制約なのだ。
政策金利がゼロ%という制約に達しても、「流動性の罠」に陥ることはそうそうない。皮肉なことに、上に太字で引用した部分こそがまさにその理由になっているのだ。このことを理解してもらうためには、「流動性の罠」というのがどういう状況なのかをまずは思い起こす必要がある。「流動性の罠」というのは、貨幣に対する需要が無限に弾力的になる状況のことである。すなわち、中央銀行がどんなことをしても、貨幣に対する需要に何の影響も及ぼせない状況なのだ。「流動性の罠」に陥ると貨幣に対する超過需要が生じて、そこから派生する問題を金融政策で解決することができなくなってしまうのである。
ログリーの言い分によると、中央銀行が操作対象にしている短期金利(政策金利)がゼロ%に達したら、「流動性の罠」に陥ることになるという。政策金利だけが貨幣に対する需要に影響を及ぼすと想定するなら、その通りだろう。しかしながら、かつてミルトン・フリードマン(Milton Friedman)が主張したように、貨幣に対する需要は、政策金利を含む金利のスペクトラム(満期の異なる様々な金利)によって影響されるのだ。そうだとすると、政策金利がゼロ%に達したとしても、Fedにやれることは依然としてたくさんあることになる。Fedが長期国債だとか社債だとかの利回り――これらの利回りも貨幣に対する需要に影響を及ぼす重要な要因というのがフリードマンの考えだった――を低下させることができたら、貨幣に対する需要にも影響を及ぼせるわけであり、「流動性の罠」に陥らずに済むことになるのだ。
たった今述べたことは、上に太字で引用した箇所でログリーが述べている「ポートフォリオのリバランス」を引き起こす背景になっている。Fedが長期国債を購入したらその利回り(長期金利)が低下する可能性があるが、そうなるとポートフォリオのリバランスが引き起こされることになる。民間の経済主体が株式だとか実物資本だとかの高リスク資産を購入するようになるのだ。それに伴い、貨幣に対する需要が低下することになる。すなわち、Fedが長期国債を購入したらポートフォリオのリバランスが引き起こされると主張するのは、政策金利がゼロ%という制約に達したとしても「流動性の罠」に陥ることはないと主張しているに等しいのだ。ポートフォリオのリバランスが引き起こされると語るログリーは、「流動性の罠」の存在に懐疑的なコーエンの肩を持っていることになるのだ。
ところで、貨幣に対する需要が金利のスペクトラムによって影響されることを示す証拠はあるのだろうか? 過去に目を向けてもその証拠をいくつか見出すことができるし(例えば、こちらやこちらを参照)、最近についてもその証拠はある。以下の3つのグラフがそれだ。貨幣の流通速度(セントルイス連銀が発表しているMZMの流通速度)と各種の金利(3カ月物の短期国債の利回り、10年物国債の利回り、社債の利回り)との間に密接なつながり(相関)があることが示されている(決定係数の値はいずれも0.7を超えている)。
政策金利がゼロ%に達したからと言って、「流動性の罠」に陥るとは限らないのだ。「流動性の罠」に陥るためには、貨幣に対する需要に限りが無くなる必要があるのだ。そうなれば、デフレが起きることになるのだ。さらには、政策金利がゼロ%に達して貨幣に対する需要に限りが無くなるようなことが仮にあったとしても、ピーター・アイルランド(Peter Ireland)がクルーグマンの「流動性の罠」モデルを使って示しているように(pdf)、人口が成長するようなら、マネーサプライが増えるのに伴って分配効果が生じて、そのおかげで「流動性の罠」に陥るのを避けられるのだ。
現状はどうなのかというと、貨幣に対する需要が高止まりしているせいで景気の足が引っ張られているのは確かだが、「流動性の罠」からは程遠い。すなわち、貨幣に対する超過需要が生じているせいで引き起こされている問題を解決するためにも、総需要(名目支出)を刺激するためにも、金融政策にできることは依然としてたくさんあるのだ。こちらの記事で私なりにそのための具体的な提案を行っているので、参照していただきたいと思う。
(追記2)しばらく前のブログエントリーになってしまうが、「流動性の罠」についてのスコット・サムナー(Scott Sumner)の見解もあわせて参照されたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿