2013年10月14日月曜日

David Henderson 「カーリー効果 ~都市は落ちぶれど、支持は高まる?~」(2012年5月4日)

David Henderson, “Curley Effect in California”(EconLog, May 4, 2012)

 

ボストン市長を4期務めたジェームズ・マイケル・カーリー(James Michael Curley)は、貧しいアイルランド系の住民を利するために無駄の多い再分配政策に着手する一方で、扇情的なレトリックを弄して(アングロサクソン系の)裕福な住民がボストン市から出ていくように仕向けた。その結果として、ボストン市の有権者の構成がカーリーにとって有利になる方向に変わったのである。ボストン市は停滞したが、カーリーは市長選で勝ち続けたのだ。

エドワード・グレイザー(Edward L. Glaeser)&アンドレイ・シュレイファー(Andrei Shleifer)の共著論文――“The Curley Effect”(pdf)――からの引用だ。

引用を続けるとしよう。

このような戦略――「富を減少させる歪んだ政策を通じて、自らの政治的な支持基盤を拡大させる戦略――を「カーリー効果」と名付けるとしよう。とはいっても、カーリーだけの専売特許というわけではない。同じような例――政治的な敵の退出を促す政策を推し進めて、選挙区を荒廃させると同時に自らの政治的な立場を強化しようと試みた例――は、他にも見出せるのだ。アメリカの他の市長だけではなく、世界中の政治家の間でも。例えば、24年間にわたってデトロイト市長を務めたコールマン・ヤング(Coleman Young)は、白人(および、白人が経営する企業)がデトロイトから出ていくように仕向けた。「ヤングが市長を務めている間に、デトロイトは、黒人が多数派のシティ(city)の一つに変貌したというにとどまらない。デトロイトは、黒人のメトロポリス、合衆国の中にある第三世界のシティ(Third World city in the United States)のはしりともなったのである。そのことを象徴する証拠は、至る所にある。ショーケース・プロジェクト、黒い拳のモニュメント、仮想外敵、熱狂的な個人崇拝」(Chafets 1990, p. 177)。 独立を果たした後のジンバブエでは、同国の大統領を務めたロバート・ムガベ(Robert Mugabe)が白人の農民たちに対して強権を発動した。ジンバブエ経済に甚大なダメージが加わるのも構わずに、白人の農民たちが国を離れる(他国に移住する)ように公然と強いたのである。 

カリフォルニアでも似たような事態が進行しているのではなかろうか。カリフォルニアは、民主党によって牛耳られている州の一つ――州議会では民主党が多数派を占めていて、州知事は民主党出身――で、大いに無駄なプロジェクトが進められている最中だ。高速(ハイスピード)鉄道計画がそれだが、「ハイ」スピードは実現できそうにない一方で、「ハイ」コストになりそうなのは間違いない。所得税の最高限界税率が引き上げられるのも――カリフォルニア州の最高税率は、全米で一番高いにもかかわらず――間違いなさそうだ。そうなったら、生産性の高い住民の多くが別の州に移住するだろうし、もう既に移住しているにもかかわらず、民主党陣営はそのことを心配していないようだ。高速鉄道計画には、彼らなりのイデオロギーが関わっているという意見もあるかもしれない。そういった面も確かにあるだろう。しかしながら、民主党陣営の目的の一つは、民主党に反対する可能性のある有権者の数を減らして(別の州への自主的な退出を促して)、州内において民主党支持者が多数派を占めるように図ることにあると思われるのだ。

民主党の支持者の多くは損害を被るだろうか? もちろんだ。民主党を支持する有権者の境遇と、民主党の政治家の境遇を区別しなくてはいけないのだ。高速(ハイスピード)鉄道計画が実施されても、州議会の議員には高給が払われるし、議員としての特権も相変わらず享受できるのだ。選挙で敗れたり選挙区の区割りが変更されたせいであぶれたりしても、州政府で高給の閑職に就けるのだ。

2013年9月11日水曜日

C.W. 「死に体のノーベル経済学賞受賞者?」(2013年8月13日)

C.W., “Lame duck laureates”(Free exchange, August 13, 2013)


経済学の研究者は、自分の論文が引用されることを強く望む。有名大学でポストを得たり、政府に対してアドバイスを送る立場に就けたら、論文の引用数が増える可能性がある。それでは、経済学界で最も名誉ある賞を受賞したら、論文の引用数にどんな影響が及ぶだろうか? ノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)の授与が開始されたのは1969年。ノーベル経済学賞を受賞したら、論文の引用数がうなぎ登りに増えるに違いないと思うかもしれない。しかしながら、オックスフォード大学とウプサラ大学に籍を置く三人の研究者の共著論文によると、どうもそういうわけではないようだ。

デジタルライブラリーである JSTOR が提供するサービスを利用して、ノーベル経済学賞の受賞者各人ごとに論文の引用数をカウント。ノーベル経済学賞を受賞する前と後とで論文の引用数にどんな変化が見られるかが分析されている。対象となっている期間は1930年から2005年までだが、ちょっとした問題がある。1年の間に公表される論文の数が時代が下るにつれて増えているのである。1930年に公表された論文の数よりも、2005年に公表された論文の数の方がずっと多いのだ。そこで、1年間に何回引用されたかを単純に数えるのではなく、その年に公表された論文の総数を基にした指標を作成。その指標の単位は「アロー」(“Arrows”)。1972年にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー(Kenneth Arrow)にちなんでいる。
 
ノーベル経済学賞を受賞する前と後とで論文の引用数はどのように変化しているのだろうか? 受賞者全体の平均でそのことを跡付けたのが以下の図である。Bassモデルという名で知られている複雑な数学モデルを用いて、ノーベル経済学賞受賞者の(論文の引用数で測った)影響力の変遷が辿られている。


受賞者全体の大まかな傾向としては、キャリアがほぼピークに達したあたりで賞を受賞していることがわかる。受賞者の選考を行うスウェーデン王立科学アカデミーは、安全策をとっているわけだ。ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数は一時的に増えるが、その後は徐々に減っていく傾向にあることも見て取れる。

どうなっているかを個別に見てみるのも面白いだろう。例えば、1976年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の場合はどうかというと、受賞者全体の平均的(標準的)なパターンとほとんど同じ変遷を辿っている。ただし、ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数が大きく落ち込むという結果にはなっていない。


アマルティア・セン(Amartya Sen)やフリードリヒ・フォン・ハイエク(Friedrich Von Hayek)は、平均的(標準的)なパターンを辿っていないようだ。アマルティア・センがノーベル経済学賞を受賞したのは1998年だが、その後も革新的な研究成果――その多くは、経済学以外の分野――を発表し続けた。そのことが論文の引用数の変遷にも反映されている。


ハイエクはどうかというと、ノーベル経済学賞を受賞した1974年までの間に、論文の引用数は減少傾向にあった。 しかしながら、ノーベル経済学賞のおかげで待ちに待ったブーストがかかった。イギリスの首相だったマーガレット・サッチャーがハイエクの考えに心酔していたことも手伝って、ハイエクの名は世間にも広く知れ渡ることになった。ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数は増え続けたのである。



これらのことが何を意味しているのかとなると、よくわからないというのが論文の執筆者たちの結論である。ノーベル経済学賞を受賞すると、それまでのように論文が引用されなくなってしまうのは、あまりに有名になり過ぎて誰もわざわざ参照しようとしないせいなのかもしれない。個人的な意見を言わせてもらうと、経済学が気紛れな学問であることを表しているのではないかと思う。経済学の世界では、一度流行ったアイデアはすぐに忘れ去られてしまうのかもしれない。経済学の世界で影響力を保ち続けるのは、ノーベル経済学賞という最も名誉ある賞の受賞者でさえも困難なのだ。

2013年8月30日金曜日

Tyler Cowen&Kevin Grier 「ムードに流される非合理的な有権者? ~カレッジフットボールの試合結果が大統領選挙の行方を左右する?~」(2012年10月24日)

Tyler Cowen&Kevin Grier, “Will Ohio State’s Football Team Decide Who Wins the White House?”(Slate, October 24, 2012) 

「民主主義の最大の弱みを知りたければ、平均的な有権者と5分間話してみるといい」( “The best argument against democracy is a five-minute conversation with the average voter.”) -ウィンストン・チャーチル

2012年の大統領選挙は、選挙人団の投票も一般投票のどちらもともに、接戦になりそうだ。有権者の投票行動を理解しようと努めるのはいつだって重要だが、選挙戦が緊迫している場合にはその重要性が一層増すことになろう。

有権者が挑戦者に希望を託して票を投じたり、現職に「ノー」を突きつけたりするのは、何が根拠になっているのだろうか? 有権者は、失業率、GDP、インフレ率のような経済変数を考慮に入れて誰に投票するかを決めているのだろうか? 失業率、GDP、インフレ率が改善しているのか悪化しているのかに応じて投票先を決めているのだろうか? それとも、各陣営が提示する政策方針書(position papers)の中身や候補者のこれまでの経歴(personal history)が鍵を握っているのだろうか? テレビで放映される候補者の選挙用CMや討論会でのパフォーマンスの出来は、有権者の行動に影響を及ぼすのだろうか?

そのどれでもないかもしれない。最近の研究によると、有権者が抱える非合理性(voter irrationality)は、思っている以上に恣意的なようだ。紙一重のきわどい選挙では、有権者がそこまで極端に非合理的でなくても最終的な結果が左右される可能性がある。それでは、有権者はどのくらい非合理的なのだろうか? 最近の研究の一つによると、投票が実施されるその同じ州で直前に行われたカレッジフットボールの試合結果がホワイトハウスへの切符を賭けたレースの行方を決定づける可能性があるという。

そのことを実証的に明らかにしているのが、アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)&ニール・マルフォートラ(Neil Malhotra)&セシリア・モー(Cecilia Mo)の三人である。『米国科学アカデミー紀要』(Proceedings of the National Academy of Science)に掲載されている彼らの大変魅力的な論文で、大統領選挙、上院議員選挙、州知事選挙の直前に行われたカレッジフットボールの試合結果が有権者の投票行動にどんな影響を及ぼしたかが検証されている。どんな結果が見出されているかというと、投票日の直前(1週間以内)に行われたゲームで地元チームが勝利すると、現職の得票率がおよそ1.5ポイント(1.5パーセントポイント)上昇する傾向にあるという。観客動員数トップ20のチーム――ミシガン大学、オクラホマ大学、南カリフォルニア大学といったビッグチーム――が投票日の直前に勝利したとしたら、現職の得票率は3ポイント(3パーセントポイント)も上昇する傾向にあるというのだ。かなりの票数であり、接戦の選挙戦で勝利を掴む上で決して無視できない数だ。なお、以上の結果は、1964年から2008年にかけて行われたビッグマッチ62戦分のデータに実証分析を加えて見出されたものであることを断っておこう。ごく限られた試合や少数の選挙戦のデータが根拠になっているわけではないのだ。

スポーツのおかげで元気づけられて、日々を晴れ晴れと過ごせるようになるというのは、良い報せに違いないだろう。応援するチームが勝利すると、そのチームのファンは、競技場においてだけでなく、競技場の外でも幸せを感じる。満足感を覚える。幸せだったり気持ちが高ぶっていたりすると、現状に満足しがちになる。そして、現状への満足感が、現職の政治家を支持するというかたちをとって表れるわけだ。それがどんなに非合理的であろうとも。

ヒーリーらの論文では、あれやこれやの要因(経済的、人口統計学的、政治的な諸要因)にコントロールが加えられているので、先に言及した結果は大雑把な相関よりもずっと精緻なものだと言える。さらには、「予想」を考慮に入れた分析も試みられていて、地元チームが予想外の勝利を収めると、現職の得票率がおよそ2.5ポイント(2.5パーセントポイント)上昇する傾向にあることが見出されている。

フットボールだけじゃない。ヒーリーらの論文では、2009年度に行われた全米大学体育協会(NCAA)主催のバスケットボールトーナメントの試合結果が有権者の投票行動に及ぼした影響についても検討されていて、フットボールのケースとほぼ同様の結果が得られている。1948年~2009年の期間に実施された市長選挙を対象にして、プロバスケットボール(NBA)、プロフットボール(NFL)、プロ野球(メジャーリーグ)の試合結果が選挙に及ぼした影響を検証している別の研究によると、地元チームがシーズンで好調な成績を残すと、現職に追い風になることが見出されている。

ただし、カレッジフットボールだとかプロ野球だとかの試合内容が選挙の結果を決定づける「主要な」要因だとまで言うつもりはない。オクラホマ大学のスーナーズ(Sooners)が100連勝したとしても(現職の)オバマ大統領がオクラホマ州で勝てない可能性もあるし、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のフットボールチームがボロ負けを喫したのに(挑戦者の)ミット・ロムニーがカリフォルニア州で敗れる可能性もある。ESPNスポーツセンターが報じる試合のスコア以外の要因も大いに重要なことは言うまでもないのだ。

とは言え、驚くべき結果であることに変わりはない。ヒーリーらも指摘しているように、現職の政治家たちは、自分とは何の関係もない試合結果に対して称賛を受けたり責任を問われたりするというわけだから。我々がいかに気まぐれでムードに流されやすいかを示す証左であると言えよう。スポーツを含めたポップカルチャーが「投薬」された状態で日々の選択を行っているのかもしれないと考えると、ちょっとゾッとしてしまう。スポーツの試合結果がこんなにも重要な影響を及ぼす可能性があることを思うと、有権者が政治に関わる基本的な情報――経済のパフォーマンスに関するデータなど――を合理的に処理しているのかどうかについても疑ってかかるべきかもしれない。

さて、ここで極端なシナリオを想定してみるとしよう。今のところは、現職のオバマ大統領が挑戦者のミット・ロムニーを若干リードしているようだが、今回の選挙は接戦になるだろうというのが大半の専門家の見立てだ。共和党陣営が勝利するためには、フロリダ州、オハイオ州、ヴァージニア州の3つの激戦州(swing states)が鍵を握る可能性がある。

来る10月27日――投票日の1週間とちょっと前――に、オハイオ州で地元のオハイオ州立大学のバッキーズ(Buckeyes)がペンシルベニア州立大学のニタニー・ライオンズ(Nittany Lions)を迎え撃ち、フロリダ州で地元のフロリダ大学のゲイターズ(Gators)がジョージア大学のブルドッグス(Bulldogs)を迎え撃つ。大統領選が今後も接戦のまま進むようなら、これら2つの州で行われるフットボールゲームの試合結果がこれからの4年間にわたって誰がホワイトハウスで指揮を執るかを左右する可能性がある。夜遅くにオバマ陣営からバッキーズのヘッドコーチであるアーバン・マイヤーに電話があって、ブリッツ(守備の戦術)についてアドバイスが送られたり、ロムニー陣営からゲイターズに電話があって、ブルドッグスのラン・プレイを防ぐためのアドバイスが送られたり、・・・なんてことがあったりするだろうか? 大事なフォース(4th)ダウンでパントを選ぶかタッチダウンを狙うかによって、コーチ陣だけでなくそれ以外の面々の前途も変わってしまう可能性があるのだ。

地元チームの勝利は、ビール・ゴーグル効果の選挙版と言えそうだ。地元チームが勝ったせいで判断が曇らされて、翌朝になって後悔するわけだ。「そんなはずない」(“That just ain’t right”)と。

2013年8月28日水曜日

Bryan Caplan 「自然災害への政府の対応を歪ませる有権者の破滅的な投票行動」(2008年7月15日)

Bryan Caplan, “Disastrous Voting”(EconLog, July 15, 2008)


アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)――実証的政治経済学の分野における新世代を代表する一人であり、私のお気に入りの学者の一人――が最新の論文で大胆な主張を展開している。自然災害は「神の仕業」(=不可抗力)という考えが一般的かもしれないが、アメリカの有権者(投票者)も(自然災害の)共謀者なのだというのがヒーリーの言い分だ。論文のアブストラクト(要旨)の一部を引用しておこう。

自然災害、政府支出、有権者の投票行動に関する包括的なデータの分析から明らかになることは、有権者は災害復旧(disaster relief)向けの政府支出に対しては票を投じて報いる一方で、災害予防(disaster prevention)向けの政府支出に対してはそうじゃないということである。有権者のこのような投票行動は、政府(現職)が直面するインセンティブに大きな歪みをもたらす。というのも、災害予防向けの政府支出は、将来の損害(将来起こり得る自然災害に伴って生じる被害)の大幅な抑制につながることがデータによって示されているからである。

本文で掲げられている二つの散布図――現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図と、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図――によると、現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との間には正の相関が成り立つ一方で〔訳注;災害復旧向けの政府支出が増えると、現職の得票率が高まる傾向にある、という意味〕、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との間にはこれといった関係が見出されないことがわかる。有権者のこのような投票行動を踏まえると、現職の政治家が災害復旧事業(票になる事業)に災害予防事業(票にならない事業)の15倍もの予算を投じているのも何ら驚くようなことじゃない。

災害予防向けの政府支出が役立たずで効果が無いようなら、憂(うれ)えるような話じゃないだろう。しかしながら、ヒーリーも証拠を挙げているように、災害予防向けの政府支出はリターンが大きい(大きな効果が期待できる)のだ。

有権者は、政府による災害予防には効果が無いと判断しているのかもしれない。その可能性を検証するために、災害予防向けの政府支出の効果の推計を試みるとしよう。
・・・(中略)・・・
災害予防向けに平均で年間1億9500万ドルの予算が投じられて、災害の被害額の平均が165億ドルと想定するなら、災害予防向けの政府支出が1ドル増えると、災害の被害額が8.30ドル減るというのが回帰分析から得られる結果である。この推計結果は、2000年から2004年までの5年の間に生じる効果しか考慮していないことに注意されたい。

文句をつけたいところもなくはない。「有権者は、災害予防という賢明な策に対して投票で報いることはない」という原則への例外に関する議論で論文が締め括られているのが気に食わないのだ。今後の研究課題としては貴重なトピックかもしれないが、そういうかたちで締め括ってしまうと、主要なメッセージが薄められてしまって惜しくてならないのだ。政府支出が大きな効果を生む(効率を大幅に改善する)可能性があったとしても、その機会はみすみす見過ごされてしまうという主要なメッセージが。合理的な有権者が政府をコントロールしているようなら、政府は公共財の問題だったりを解決するのに役立つ妙薬になり得る。しかしながら、合理的とは言えない有権者――この世に生きる現実の有権者――が政府をコントロールしているようなら、政府はバカでかいインチキ薬になりがちなのだ。

Bill Petti 「無能さの効能」(2010年10月19日)

Bill Petti, “The Individual Utility of Incompetence”(Signal/Noise, October 19, 2010)


組織(政府や企業など)が機能不全に陥って低空飛行を続ける理由は、たくさんある。その中でも主たる理由の一つは、能力の低い人物が昇進したり、同じ地位に居座り続けたりするからだ。この面に焦点を当てた研究は数多い――例えば、ピーターの法則(Peter Principle)が有名だ。出世の階段を上っているうちに、やがては能力に見合わない役目を任される羽目になるというのだ――。しかしながら、無能な人物が昇進したり同じ地位にとどまり続けたりするのは、組織の利益に反するように思える。それなのに、そうなっているのはどうしてなのだろうか? 能力の低い人物が同じ地位に居座り続けられるのは、どうしてなのだろう? 昇進までできたりすることがあるのは、どうしてなのだろう?  

「無能さ」それ自体に価値があるから、というのが考えられる理由の一つだ。「無能さ」は、信憑性の高い「コストのかかるシグナル」(costly signal)として機能している可能性がある。組織内での勢力基盤を固めようと企んでいる上司が信頼できる部下を見分けるためのシグナルとして機能している可能性があるのだ。

社会学者のディエゴ・ガンベッタ(Diego Gambetta)と言えば、シグナリング研究の第一人者として知られている。彼が2007年に上梓した『Codes of the Underworld:How Criminals Communicate』では、「信頼、シグナリング、コミュニケーション」の絡み合いを解きほぐすために、犯罪者同士の協調という極端な例に目が向けられている。ギャングは、「信頼のシグナリング理論」にとっての「ハードケース」(厄介な事例)と見なせる。なぜなら、犯罪者は嘘をつく(裏切る)強いインセンティブを持っていて、犯罪者であるというまさにその事実ゆえに信頼できない相手だからである。犯罪者たちは、どうやって連携し合っているのだろう? 相手が信頼できるかどうかをどうやって確認し合っているのだろう?  そのあたりのことが理解できたら、それほど過酷ではないありふれた場面ではどうなっているかについても何かしらを学べるだろう。 

自分が信頼できる人間だということを相手に伝えるためには、どうしたらいいか? ガンベッタによると、犯罪者がそのために使える方法の一つが「無能さ」だという。

ギャングの下っ端――フィクションの中で、エネルギュメーヌ(énergumène;変人)として誇張して描かれることが多い存在――が、極端なケースの典型である。彼があまりにも賢いようだと、そのギャングのボスにとって脅威になるだろう。白痴(Idiocy)であることが、信頼できる部下であることの仄めかしになるのだ。・・・(省略)・・・お金を儲けるためには「義賊」(‘honourable thief’;高潔な泥棒)として振る舞うのがこちらにとって最善の手であることを相手に納得させる方法の一つは、他にマシな選択肢がないことを伝えることにある。・・・(省略)・・・「無能さ」は、相手に次のように伝える方法の一つである。「私は頼りになりますよ。だって、あなたを裏切ろうにも、無能な私にはそんなことできっこないんですから」。
 
ギャングの下っ端は、一人でやっていけるだけのスキルも知性も備えていない。お金を稼ぐためには、ボスに頼らざるを得ない。まさにそれゆえにこそ、自分が信頼できる人間だということをボスにシグナルできるのだ。このことからどんなことが言えるか? ギャングは、無能なゴロツキをメンバーとして迎え入れる可能性が高い。ギャングのボスの周りには、(自分よりも能力の低い)無能な補佐役が集まりがち。 

同様のメカニズムがその他の組織――企業、学校、政府など――でも働いているのを見て取ることは難しくない。パフォーマンスの良し悪しよりも、忠誠心に重きが置かれるようになると、組織内における無能なメンバーの比率が高まるだろう。さらには、「スポンサー」(自分に目をかけてくれている上司)が昇進すると、無能な部下もその後を追って一緒に昇進することになるだろう。

「よう、アレン。上司にペコペコこびへつらってばかりいる人間の気持ちってどんなもんなんだろうね?」「別に。どうってことないけど。」
「ところで、逆に聞いてみたいんだけど、出世の見込みなんて一切ない人間の気持ちってどんなもんなんだろうね?」「別に。どうってことないね。」
「生まれつきそんな感じなの? それとも出世とは無縁の人生を過ごそうって決めたのかい?」「どうだろうね。ママに聞いてみるよ。でも、僕が思うに親の育て方が悪かったんじゃないかな。」

2013年8月24日土曜日

Katherine Mangu-Ward 「私の妻を買ってください! ~妻売りの経済学~」(2011年6月20日)

Katherine Mangu-Ward, “Take Buy My Wife. Please!”(Hit&Run blog, June 20, 2011) /“Buy My Wife. Please!”(Reason, November 2011)


ジョージ・メイソン大学に籍を置く経済学者のピーター・リーソン(Peter Leeson)――海賊や神判の研究で名を知られているあのリーソン――が、ピーター・ベッキー(Peter Boettke)とジェイマ・レムケ(Jayme S. Lemke)との共同研究で、18~19世紀のイギリスで見られた「妻売り」の慣行を経済学的な観点から弁護している。当時のイギリスでは、離婚の手続きが面倒で、妻は夫の所有物と見なされていた。「妻売りは、産業革命期のイギリスの法律によって生み出された所有権の歪みに対する制度的な反応であり、効率性を高めるのに貢献した」というのが三人の言い分だ。

論文の一部を引用しておこう。

18世紀のイギリスで生活をともにしている夫婦の一例について考えてみるとしよう。妻の名はハティで、夫の名はホーレス。ホーレスは、ハティを愛している。妻として評価すると、その価値は5ポンド。その一方で、ハティは、ホーレスを嫌っている。夫として評価すると、その価値はマイナス7ポンド。この2人の結婚は、(それぞれが相手に下している評価を足し合わせるとマイナスになるので)非効率的である。ハティは、離婚したいと思っているが、離婚するためにはホーレスから同意を取り付ける必要がある。ホーレスとしては、ハティが5ポンド以上を払ってくれるのであれば離婚に同意してもいいと思っている。ハティとしても、離婚に同意してもらえるなら5ポンド以上を払ってもいいと思っている。しかしながら、当時の法律によると、夫婦の財産はすべて夫のものなので、ハティはびた一文払えない。2人で直接交渉して離婚に漕ぎ着けるのは不可能なのだ。

しかしながら、迂回してなら可能である。ホーレス&ハティ夫婦の隣人で独身のハーランドは、ハティをホーレス以上に愛している。妻として評価すると、6ポンドの価値があると考えている。ハティはどうかというと、ハーランドをホーレスよりも好いている。夫として評価すると、1ポンドの価値があると考えている。 
ホーレスもそのことを知っている。そこで、ハーランドに次のような提案を持ちかける。君が5.5ポンドを払ってくれるなら、妻のハティを譲ってもいいと思うがどうする? ハティとは違って、ハーランドの財産は、ハーランドのものである。ホーレスのものではない。それゆえ、実行可能な取引である。ハティとハーランドは、ホーレスの提案を受け入れる。ホーレスは0.5ポンド得をする〔訳注1〕。ハーランドは0.5ポンド得をする〔訳注2〕。ハティは8ポンド得をする〔訳注3〕。妻が売られるおかげで、三人がともに得をするのだ。

論文はこちら(pdf)。


<訳注>

〔訳注1〕ホーレスは、ハティと離婚すると5ポンドの損失を被るが(妻としてのハティを5ポンドと評価しているため)、ハーランドから5.5ポンドを支払ってもらえるので、差し引きすると0.5ポンド(=5.5-5)得することになる。

〔訳注2〕ハーランドは、ハティを譲り受けるために5.5ポンドを支払うが、妻として6ポンドの価値があると考えているハティと一緒に暮らせるようになるので、差し引きすると0.5ポンド(=6-5.5)得することになる。

〔訳注3〕ハティは、ホーレスと離婚すると7ポンドの得をして(夫としてのホーレスをマイナス7ポンドと評価しているため)、ハーランドと一緒になると1ポンドの得をする(夫としてのハーランドを1ポンドと評価しているため)。合計で8ポンド(=7+1)得することになる。

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ピーター・リーソンは、ジョージ・メイソン大学に籍を置く経済学者。肩書は「資本主義研究のためのBB&T教授」。忍者、UFO、魔女裁判についての論文を書いていて、経済学の原理を応用して海賊について分析を加えている『The Invisible Hook』(邦訳『海賊の経済学』)をプリンストン大学出版局から上梓している。同僚のピーター・ベッキーとジェイマ・レムケと共同で執筆している最近の論文では、「妻売り」を経済学的な観点から弁護している。18~19世紀のイギリスでは、妻が売られるのが珍しくなかったのである。当時のイギリスでは、離婚の手続きが面倒で、結婚した女性は財産を一切持てなかった。本誌のシニア・エディターであるキャサリン・マング=ウォードが今年(2011年)の8月にリーソンに行ったインタビューを文字に起こしたのが以下である。


Q:妻売りをテーマにしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

A:海賊についての研究に取り組んでいた最中に18世紀に発行された新聞を調べていたら、とある広告を見つけたんです。妻売りの広告だったんですが、当時の新聞ではよくあることだったらしいです。はじめて目にした時は度肝を抜かれて、何て馬鹿げてるんだろうと思いました。でも、じっくり検討してみたら、理に適(かな)っていると思うようになったんです。

Q:妻売りを取り巻く当時の状況はどんな感じだったのでしょうか?

A:18~19世紀のイギリスでは、財産、結婚、離婚についての法律がやけに厳格で馬鹿げたところがありました。当時の婚姻法では、婚姻関係が続いている間は、妻は自らの財産に対する所有権をすべて夫に譲り渡す決まりになっていました。自分の身体に対する所有権でさえもです。

そのため、妻が結婚生活に不満を抱いて離婚しようと思ったら、夫から同意を取り付けないといけませんでした。経済学の世界で「コースの定理」と呼ばれている説によると、だからといって取り立てて問題にはならないはずです。お金を払って離婚の権利を買い取ればいいからです。でも、当時のイギリスでは、妻は財産を一切持てなかったので、お金を払って離婚の権利を夫から買い取るということができなかったのです。

でも、その女性を今の夫よりも高く評価している男性がいるかもしれません。その女性もその男性を今の夫よりも高く評価しているかもしれません。妻の財産は夫のものですが、その男性の財産は夫のものじゃありません。その男性は、代わりに夫から離婚の権利を買い取ることができるわけです。妻売りというのは、そういうものだったんです。

Q:どういう人が妻を買ったのでしょうか?

A:妻の愛人というケースが多かったみたいです。それも納得がいきます。夫としては、妻をできるだけ高値で売り渡したいと考えるでしょうからね。妻を最も高く評価していて、妻が一緒にいたいと望んでいる相手に売り渡したいと考えるでしょうからね。妻に愛人がいれば、うってつけです。妻を一番高値で買い取ってくれるのは愛人である可能性が高いですからね。既に関係を築いていますから、妻を最も高く評価しています。妻もその愛人を今の夫よりも高く評価しているでしょう。未来の伴侶としても。

そういうわけで、妻の愛人が買い手になることが多かったとしても納得がいくわけです。でも、常にそうだったわけじゃありません。愛人がいなくても、今の夫が嫌いで離婚したいと思うというケースはあり得ます。結婚してもいいと思えるような相手がどこかにいるかもしれませんし、これから見つけるつもりかもしれません。夫は夫で、奪い取りたいと思うほどに妻のことを高く評価している人物がどこかにいないか確かめたいでしょう。そこで、妻を売りに出すわけです。競売のようなもので、誰が妻を高く評価しているかがあぶり出されるのです。

妻の同意を得た上での話だったということは強調しておかないといけないでしょう。彼女たちは無理矢理売られたわけじゃありません。売られたがっていたのです。

2013年8月21日水曜日

Nicholas Crafts 「イギリス経済は『流動性の罠』からいかにして抜け出したのか ~1930年代のイギリスの経験から得られる教訓~」(2013年5月12日)

Nicholas Crafts, “Escaping liquidity traps: Lessons from the UK’s 1930s escape”(VOX, May 12, 2013)
 
1930年代にイギリス経済は「流動性の罠」から抜け出して、力強い景気回復を成し遂げた。その立役者は、イングランド銀行ではなく、イギリス財務省(大蔵省)が主導した「非伝統的」な金融政策だった。当時財務大臣を務めていたネヴィル・チェンバレンは、「アベノミクス」の先駆者だったのだ。当時のイギリスの経験を踏まえると、一つの疑問が持ち上がってくる。中央銀行が「独立」していて「インフレ目標」の達成を目指すというのは、名目金利が極めて低い状況において適切な枠組みなのだろうか?

1932年半ばのイギリスは、深刻な景気後退に陥っていた――その深刻さは、2008年から2009年にかけての世界的な経済危機に引けを取らないほどだった――。大規模な財政再建が試みられて、構造的財政赤字が対GDP比で4%も減った。短期名目金利がゼロ%近くで、景気は二番底の真っ只中だった(Crafts&Fearon 2013)。しかしながら、1933年から1936年にかけて非常に力強い景気回復が成し遂げられた。どの年も成長率が4%を上回ったのである。景気回復を主導した立役者が、1931年11月から1937年5月まで財務大臣を務めたネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)だった。現財務大臣であるジョージ・オズボーン(George Osborne)は、今と似たような状況に直面していた先輩が採用した政策から何かしらを学び取れるだろうか?

1930年代のイギリスで景気回復を後押しした経済政策と言えば、1935年までに関しては金融刺激策(金融緩和策)が主要な役割を果たした。事実上のケインズ政策(財政出動)として機能したのが再軍備(軍事増強)に向けた一連の措置で、その効果は1938年までの累計でGDPの4%程度に上る可能性があるが、1933年から1936年までに関してはほとんど見るべき効果を持たなかった。景気が大きく落ち込んでいたものの、財政乗数の値はおそらく1を下回っていたと考えられる。それはどうしてかというと、(第一次世界大戦の遺産として)政府債務残高の対GDP比がかなり高い水準に達していたのも関わっているかもしれない。


1930年代のイギリスで採用された政策枠組み

1932年半ばにイギリスで採用された政策枠組みは、スヴェンソンが言うところの「流動性の罠から抜け出すための『絶対確実な方法』」(Svensson 2003)に酷似している。日本で試みられている最中の「アベノミクス」とも酷似している。

  • 1931年9月に金本位制からの離脱を余儀なくされたが、1932年半ばにイギリス財務省がいわゆる「チープ・マネー政策」(‘cheap-money policy’)に乗り出した。

まず第1に、短期名目金利が0.6%近辺にまで引き下げられた。1930年代の残りの期間を通じて、短期名目金利はその水準にとどまり続けた(表1を参照)。

  • 第2に、1932年7月にチェンバレンが「物価水準目標」を宣言した。デフレーションを終わらせて、物価を1929年の水準にまで引き戻すことが誓われたのである。
  • 第3に、イギリス財務省がポンドの大幅な減価を伴う「為替レートターゲット」に乗り出した。まずはじめにドルとの交換レートが1ポンド=3.40ドルに固定されて、次いでフランとの交換レートが1ポンド=77フランに固定された(Howson 1980)。1932年の夏に創設された為替平衡勘定(Exchange Equalisation Account)を通じて為替市場への介入が行われた(表2を参照)。

「チープ・マネー政策」のおかげで、実質金利が急速な勢いで劇的に低下した。イギリスが保有する金準備も1年でほぼ倍増した。1932年の初頭から1936年の終わりまでの間に、マネーサプライが34%も増えた(Howson 1975)。

「チープ・マネー政策」は、ゼロ下限制約を乗り越えるための教科書通りのやり方に従うかのように、インフレ期待を喚起して実質金利を低下させた。とりわけ重要だったのは、金本位制から離脱した後のイギリスで金融政策を取り仕切ったのが、モンタギュー・ノーマン(Montagu Norman)率いるイングランド銀行ではなく、チェンバレン率いる財務省だったことである。「流動性の罠から抜け出すための『絶対確実な方法』」は、景気が回復軌道に乗った後でも中央銀行が高めのインフレ率を容認することに信頼のおけるかたちでコミットできるかどうかという問題を抱えている。ところで、当時のイギリス財務省は、「財政の持続可能性」の問題を抱えていたおかげで、高めのインフレ率を容認するに違いないと信じてもらいやすい立場にあった。実質金利を実質GDP成長率よりも低くすることができたら、政府債務残高の対GDP比を低下させることができたからである。「金融抑圧」(‘financial repression’)に頼れたおかげで、プライマリーバランスをそこまで黒字にしなくても済んだし、財政緊縮が自滅的な結果に終わるのを恐れずに済んだのである。

「財政の持続可能性」に関わる変数の推移をまとめた表3を見ると、イギリス財務省が高めのインフレ率を容認するに違いないと信じてもらいやすい立場にあったことが確認できる。デフレに陥っていた1930年代初頭の時点では、政府債務残高の対GDP比が高まるのを防ぐためには、プライマリーバランスを大幅に黒字にする必要があった。しかしながら、1934~35年までに実質GDP成長率が実質金利を上回るようになり、プライマリーバランスが若干の赤字であっても「財政の持続可能性」と矛盾しなくなったのである。


「チープ・マネー政策」の波及メカニズム:住宅建設

言うまでもないが、「チープ・マネー政策」が効果を発揮するためには、総需要を刺激する必要がある。つまりは、「チープ・マネー政策」が実体経済に影響を及ぼした経路(波及メカニズム)があったはずである。特に検討してみる価値があるのは、住宅建設に及ぼした影響である。民間部門における住宅建設戸数は、1931~32年の時点では13万3000戸。1934~35年の時点では29万3000戸。1935~36年の時点では27万9000戸――その多くは、1930年代にロンドンをはじめとした南イングランド一帯で人気を集めたセミデタッチドハウス(semi-detached house;二戸建て住宅)だった――。住宅の建設が増えたおかげで1934年までに生み出された直接的な経済効果は、5500万ポンド。雇用の増加に伴う間接的な波及効果も含めると、合計で8000万ポンド――1932年から1934年までの間に増えたGDPの3分の1――の経済効果を生んだと考えられる。住宅の建設が促されたのは、金利が低下したおかげでもあったが、建設コストが底を打ったという認識が土地の開発業者の間で広がったことも加勢した。金利が低下したのも、建設コストが底を打ったのも、「チープ・マネー政策」のおかげだったのだ(Howson 1975)。

住宅の建設が「チープ・マネー政策」に敏感に反応したのはなぜなのだろうか? 2つの要因を挙げることができる。

  • 第一の要因は、住宅金融を専門とする組合組織の成長を背景として、住宅ローンの供給が急激に増えたことである。金融危機が起きなかったこともあって、好条件で住宅ローンを借り入れることが可能だった。

住宅金融組合(Building society)による住宅ローンの貸出残高は、1930年の時点では72万人の借り手に対して合計で3億1600万ポンドに上ったが、1937年の時点では139万2000人の借り手に対して合計で6億3600万ポンドにまで増えた。1937年の時点では、農業以外の部門で働く世帯の18%が持ち家を購入予定か既に購入済みだった。さらには、組合に預け入れないといけない預金の額が土地の購入代金の5%にまで引き下げられたこともあったし、住宅ローンの返済期限が20年から25年に(場合によっては、30年に)延長されたりもした――それに伴って、返済しないといけないローンの額が週あたりで15%少なくなった――(Scott 2008)。

  • 第二の要因は、住宅の価格がお手頃だったことである。 

新築住宅の85%は、当時の価格で750ポンド(現在の価格に換算すると、45,000ポンド)よりも安くで売られていた。平均年収がおよそ165ポンドだった1930年代中頃のロンドンでは、テラスハウスを395ポンドで買えたのである。住宅の価格がお手頃だったのは、住宅用に使える土地が豊富だったので、開発業者が広大な土地を抱え込もうとするインセンティブを持たなかったからである。当時は、土地の利用に関わる規制が無かったに等しかったのだ。1932年の時点で規制の対象になっていた土地は、わずか7万5000エーカー程度だった。都市・農村計画法(Town and Country Planning Act)が制定されたのは、1947年のことなのだ。


今日への教訓

ジョージ・オズボーンは、1930年代のイギリスの経験からどんな教訓を引き出せるだろうか?

  • 中央銀行が「独立」していて「インフレ目標」の達成を目指すというのは、ゼロ下限制約に直面している状況(名目金利が極めて低い状況)においては適切な枠組みではないかもしれないというのが第一の教訓である。

中央銀行にどんな目標を課すべきか――インフレ率の目標値を引き上げるべきか否か、「インフレ目標」から「名目GDP目標」に切り替えるべきか否か――という議論に収まりきらない教訓である。1930年代のイギリスは、中央銀行が独立していなかったおかげで得をした。中央銀行に「独立性」を付与するのはどんな時でも最善だとは限らない――もしかしたら今も最善とは言えない――可能性があるのだ。

  • 1930年代の住宅建設ブームの再現を目指すべしというのが第二の教訓である。

今すぐに住宅建設ブームが起こりそうかというと、難しそうだ。住宅ローンを借りるのが1930年代ほど簡単じゃないし、土地の利用に関わるルール(法律)が1930年代とは大違いだからである。都市計画法の規制を緩和するべきかもしれない。最近の研究でも明らかにされているように(Hilber&Vermeulen 2012)、土地の利用をめぐる法規制は、住宅市場に大きな歪みをもたらしている。規制の一部が取り除かれたら、住宅の建設が盛んになるかもしれない。しかしながら、土地の利用に関わる法律を見直すというのは、政治的なハードルが高い難題であり、実現される見込みは低そうだ。


表1 各種の金利(単位は%)


(注記)実質金利は、事後的な実質金利(=名目金利-実際のインフレ率)。実質長期金利(Real long rates)は、コンソル債の利回りから過去3年間のインフレ率の加重平均を差し引いたもの。詳細は、Chadha&Dimsdale (1999) を参照されたい。データを提供してくれた Jagjit Chadha に感謝。

(データの出所)Bank Rate(政策金利)、Treasury Bill Rate(短期国債の利回り)、Yield on Consols(コンソル債の利回り)のデータの出所は、Dimsdale (1981)。Real interest rates(実質金利)のデータの出所は、Chadha&Dimsdale (1999)。


表2 名目為替レート(1929年時点の為替レートを100とおく)


(注記)Average exchange rate(平均為替レート)は、ポンドとその他のあらゆる通貨の交換レートの加重平均。製造業の輸出シェアをウェイトとして用いている。 

(データの出所) Dimsdale (1981)


表3 「財政の持続可能性」に関わる変数の推移(1925年~1938年)


(注記)b*は、Δd= 0 という条件を満たすために必要なプライマリーバランスの黒字額(対GDP比)――言い換えると、政府債務残高の対GDP比を一定の値にとどめるために必要なプライマリーバランスの黒字額(対GDP比)――を表している。なお、Δd =-b +d ( i-π-g) という関係が成り立つ。b は、プライマリーバランスの対GDP比(b がプラスの値だと、プライマリーバランスの黒字が発生)。i は、国債の平均的な名目金利。d は、政府債務残高の対GDP比。b、i、d についてはMiddleton (2010) のデータを利用している。π は、GDPデフレーターで測ったインフレ率で、Feinstein (1972) のデータを利用している。g は、第4四半期の実質GDP成長率で、Mitchell et al. (2012) のデータを利用している。


<参考文献>


●Chadha, J S and Dimsdale, N H (1999), “A Long View of Real Rates”, Oxford Review of Economic Policy 15(2), 17-45.
●Crafts, N and Fearon, P (2013), “The 1930s: Understanding the Lessons”, in N Crafts and P Fearon (eds.) The Great Depression of the 1930s: Lessons for Today, Oxford, Oxford University Press, 45-73.
●Dimsdale, N H (1981), “British Monetary Policy and the Exchange Rate, 1920-1938”, Oxford Economic Papers 33(2), supplement, 306-349.
●Feinstein, C H (1972), National Income, Expenditure and Output of the United Kingdom, 1855-1965, Cambridge, Cambridge University Press.
●Hilber, C A L and Vermeulen, W (2012), “The Impact of Supply Constraints on House Prices in England(pdf)”, London School of Economics Spatial Economics Research Centre Discussion Paper No. 119.
●Howson, S (1975), Domestic Monetary Management in Britain, 1919-1938, Cambridge, Cambridge University Press.
●Howson, S (1980), “The Management of Sterling, 1932-1939”, Journal of Economic History 40, 53-60.
●Middleton, R (2010), “British Monetary and Fiscal Policy in the 1930s”, Oxford Review of Economic Policy 26, 414-441.
●Mitchell, J, Solomou, S and Weale, M (2012), “Monthly GDP Estimates for Interwar Britain”, Explorations in Economic History 49, 543-556.
●Scott, P (2008), “Marketing Mass Home Ownership and the Creation of the Modern Working-Class Consumer in Interwar Britain”, Business History 50, 4-25.
●Svensson, L E O (2003), “Escaping from a Liquidity Trap and Deflation: the Foolproof Way and Others”, Journal of Economic Perspectives 17(4), 145-166.