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2014年9月25日木曜日

Barry Eichengreen&Peter Temin 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」(2010年7月30日)

Barry Eichengreen&Peter Temin, “Fetters of gold and paper”(VOX, July 30, 2010)

固定相場制――具体的には、①ユーロ、②ドルにペッグしている人民元――に端を発する緊張が世界経済を包んでいる。金本位制の経験を踏まえて言えることは、国際通貨制度というのは、為替レートを通じて多くの国々が結び付けられているシステムであり、どの国の政策も周囲に波及するということである。1930年代と同じように、経常収支の黒字を抱えている国が支出を増やそうとしないせいで、経常収支が赤字である国が景気の悪化を受け入れざるを得なくなっている。ケインズは、大恐慌の経験を踏まえて、慢性的に経常収支の黒字を抱える国に対して課税や制裁のような措置を講じる必要性を訴えた。大恐慌から60年と少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。

「1930年代の教訓」をテーマにした言説が論壇を賑わせている――例えば、Mason&Mitchener (2010), Fishback (2010), Helbling (2009) を参照されたい――。「金融危機を拡散させる上で固定相場制が果たす役割」と「金本位制の経験から得られる教訓」の二点に焦点を絞って、我々もその輪に加わらせてもらうとしよう。

1930年代の世界的な経済危機においては、金本位制が重要な役割を演じた。そのことについては、我々のどちらもがそれぞれに一家言を持っている(Temin 1989, Eichengreen 1992)。当時の金本位制は、以下のような特徴を備えていた。金(ゴールド)が国境を越えて自由に移動。金と自国通貨の交換比率(平価)を固定していた国同士の為替レートが固定。国家間の調整を図る国際機関の不在。

以上のような特徴を備えていたがゆえに、経常収支が赤字だった国と黒字だった国との間に「非対称性」が持ち込まれた。金準備が減少していて平価を維持するのが困難な国(経常収支が赤字の国)は、ペナルティ(一種の罰)を受け入れざるを得なかった。その一方で、金準備を溜め込んだ国(経常収支が黒字の国)は、(金の代わりに他の資産に投資していたら得られたであろう金利収入を除くと)何のペナルティも被らなかったのである。金準備が減少していて経常収支が赤字の国は、平価の切り下げ(為替レートの減価)を選ばずに、通常はデフレ(国内物価の下落)というペナルティを受け入れたのである。

その結果として1920年代を通じてどんなことが起きたかというと、経常収支が赤字だった国から黒字だった国へと大量の金や外貨準備が移動した。経常収支が黒字だったアメリカやフランスは金準備が増えたからといって金融緩和を強要されなかった一方で、経常収支が赤字だったドイツやイギリスは金準備が減ったせいで金融政策を引き締めざるを得なかったのである。


イデオロギーとしての金本位制

金本位制は、通貨制度というだけではなかった。イデオロギーでもあったのだ。金本位制を維持することが繁栄を実現するための前提条件だと政策当局者によって信じ込まれていたのだ。それゆえ、産出量や雇用量を安定させることよりも、金本位制を維持することが優先された。金本位制を維持しさえすれば雇用もそのうち回復するに違いないというのがセントラルバンカーたちの考えで、何らかの措置を講じて雇用を増やそうと試みても失敗するに違いないと信じ込まれていた。しかしながら、金本位制を維持していたら起こるはずがないと思われていた出来事が1930年代の初頭に起こってしまった。産出量が落ち込んだのだ。物価が下落したのだ。銀行が閉鎖されて貯金が失われたのだ。

予想と現実の食い違いを前にして、どうにかして辻褄を合わせる必要が出てきた。起きるはずがない異常事態を慣れ親しんだ枠組みの中で解釈する必要に迫られたのである。「金本位心性」(gold-standard mentalité)に逆らった政策当局者に批判の矛先が向けられたのだ。FRBやイングランド銀行が「管理通貨」という誘惑に負けたせいだというのだ。金本位制のルールを守らずに、貨幣を濫発して、金の不胎化に乗り出したせいだというのだ。FRBやイングランド銀行が金本位制のルールを守っていたら、金融市場も自ずと安定を取り戻して、価格やコストの調整もスムーズに進んでいたに違いないというのだ。

しかしながら、デフレに晒されていた当時の状況においては、そのような批判は見当違いも甚だしかったのだ。

21世紀版の金本位制と言えば、ユーロと人民元(ドルにペッグしている人民元)ということになろう。金本位制と全く一緒とは言えないが、いくつか似た面があるのは確かである。


ユーロ:金本位制よりも厳しいコミットメントを伴う通貨制度

ユーロを導入するというのは、金本位制を採用するよりもずっと厳しいコミットメントを負うことを意味する。金本位制であれば、危機に陥った場合に投資家の怒りを買わずに離脱するのも可能だったが、ユーロを一旦導入してしまうと、そうはいかないのだ〔訳注1〕――ギリシャに対してユーロからの一時的な離脱を勧める提案(Feldstein 2010)もあるようだが、無理があるのだ――(Eichengreen 2007, Blejer&Levy-Yeyatia 2010)。

ユーロは、金本位制の後継というだけではなく、ブレトンウッズ体制の後継でもある。あえてこのことを指摘するのは、ブレトンウッズ体制が誕生するまでの交渉に重要な意味が控えているからである。その交渉に参加した中心人物の一人であるケインズは、戦間期の体験を通じて金本位制の有害な影響に気付いた。既にデフレが定着している中で、金準備が減少している国(経常収支の赤字国)でなおも金融政策が引き締められるのは、その国にとってだけでなく、周辺の国々にとっても有害であることを見抜いていたのだ。

戦後(第二次世界大戦後)に同じような事態に陥らないようにするためにケインズが練り上げた案(「清算同盟案」)では、経常収支の赤字国だけでなく黒字国も経常収支の不均衡を是正する責務を負う格好になっていた。しかしながら、イギリスとアメリカとの間で意見が対立したこともあって、ケインズの案は実現されなかった。問題は解決されずに棚上げというかたちになったわけだが、だからといって忘れてしまっていいわけでは勿論ない。


人民元:イデオロギーとしてのドルペッグ制

もう一つの重要な固定相場制である「ドルにペッグしている人民元」は、中国の開発戦略を支えるイデオロギーの中心的な要素の一つとして理解すべきだろう。人民元をドルにペッグしているのはなぜかというと、以下の3つの役割が託されているのだ。

  • 製造業の輸出を促進する
  • 海外からの直接投資を促進する
  • 国内企業の利益を蓄積して、それをインフラ投資に振り向ける

固定為替レートによって結び付けられていると、いずれか一方の側の政策が他方の側へも影響を及ぼすことになる。そのことについてはうっすらと気付かれてはいるが、何らかの手を打とうとする気はそんなにないようだ。1920年代とそっくりだ。例えば、2006年にIMF(国際通貨基金)が導入した多国間協議では、それぞれの国の政策が国境を越えて波及する問題に対処するのが狙いとして掲げられている。米中戦略・経済対話も毎年開催されている。IMFは、定期的に多国間サーベイランスを実施している。しかしながら、具体的に何らかの手が打たれたかというと、ほとんど実を結んでいないのだ。

経常収支が赤字である国に手を差し伸べよと言いたいわけではない。金本位制下のドイツにしても、ユーロ圏のギリシャにしても、今のアメリカにしても、予算制約を無視した結果なのだ。収入以上の暮らしをした(支出が収入を上回った)からこそ、財政収支も経常収支も赤字になって、海外から借り入れをしないといけなくなったのだ。 

しかしながら、経常収支が赤字の国だけではなく、コインのもう一方の側である黒字の国の政策も問題がある。1920年代~1930年代初頭にドイツをはじめとした中央ヨーロッパ諸国が陥った苦境は、アメリカとフランスによる「金の不胎化」によって大いに増幅された。アメリカとフランスが経常収支の黒字を計上したので、他の国々は経常収支の赤字を計上しなければならなかった。アメリカとフランスが支出を増やそうとしなかったので、他の国々は支出を切り詰めざるを得なかった。アメリカとフランスが緊急の資金援助を拒んだので、経常収支が赤字だった国で景気の悪化が加速した。その結果として、政治的に悲惨な事態が引き起こされたのだ。

似たような展開が進行中だ。経常収支の大幅な黒字を計上しているドイツが支出を増やすのに難色を示しているせいで、ドイツと貿易面で深くつながっているギリシャがデフレを選ぶしかない瀬戸際に追い込まれているのだ。資金繰りに苦しんでいるギリシャが対GDP比で10%にも上る支出の削減を短期間で成し遂げられるかどうかはわからない。現在のギリシャが抱えている問題は、1930年代初頭にドイツが抱えていた問題と似ている。賃金をはじめとしてコストの削減を試みたとしても、債務の負担がさらに重くなるだけに終わってしまうかもしれないのだ。


フーヴァー・モラトリアムの再現はあるか?

1931年にあのフーヴァー大統領〔アメリカ合衆国第31代大統領〕でさえもがドイツに対して債務の支払い猶予(モラトリアム)を認めざるを得なかったのもそのため〔訳注;コストの削減を試みたとしても債務の負担がさらに重くなるだけに終わるからこそ〕なのだ。「内的減価」〔訳注;デフレによって実質為替レートを減価させること〕――通貨の切り下げを実現するためにギリシャに残された最後の手段――には、債務の再編が伴う必要があるのだ。フーヴァー・モラトリアムを実現するためには、アメリカによる政策変更が必要だった。それと同じように、ギリシャの債務再編に漕ぎ着けるためには、EUとIMFが方向転換を図る必要があるだろう。

中国をはじめとした経常収支の黒字国が支出を増やさないだけでなく、ドルに対して自国通貨を切り上げるのを拒むようなら、アメリカが国内の雇用を増やすために打てる手は一つしか残されていない。輸出品の競争力を高めるしかない。アメリカ国内で完全雇用を実現するために、今後5年間で輸出量を倍に増やすというのがオバマ大統領が掲げている目標である。しかしながら、経常収支の黒字を抱えているアジア諸国が支出を増やすなり名目為替レートの増価を受け入れるなり高めのインフレ率を受け入れるなりしない限りは――言い換えると、実質為替レートがアメリカに有利になるように調整されない限りは――、輸出量を倍増するという目標を叶えるためには、アメリカ国内の(賃金をはじめとした)コストを削減するか、生産性を大幅に高めるしかない。その努力も水の泡に終わるようなら、保護主義へと舵が切られるだろう。


結論

国際通貨制度というのは、為替レートを通じて結び付けられているすべての国の行動如何でその運行がスムーズにいくかどうかが左右される「システム」である。経済収支が赤字の国の行動だけではなく、黒字の国の行動もシステム全体に影響を及ぼす。不均衡を是正する責任のすべてを経常収支が赤字の国だけに押し付けるわけにはいかないのだ。

ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓でもある。だからこそ、第二次世界大戦中に考案した「清算同盟案」で、慢性的に経常収支の黒字を抱える国に対して課税や制裁のような措置を講じる必要性を訴えたのだ。大恐慌から60年と少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。



〔訳注1〕いずれかの国がユーロから一時的に離脱しようとしても、非常に手間のかかる交渉を経なければならず――ユーロから離脱するためには、EUから離脱する必要がある。EUから離脱するためには、全加盟国の承認が必要――、その間に金融危機が発生する可能性が高いという意味。


<参考文献>


●Blejer, Mario I and Eduardo Levy-Yeyati (2010), “Leaving the euro: What’s in the box?”, VoxEU.org, 21 July.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Eichengreen, Barry (2007), “The euro: love it or leave it?”, VoxEU.org, 17 November.
●Fishback, Price (2010), “US monetary and fiscal policy in the 1930s – and now”, VoxEU.org, 30 April.
●Feldstein, Martin (2010), “Let Greece Take a Euro-Holiday”, Financial Times, 16 February, www.ft.com.
●Helbling, Thomas (2009), “How similar is the current crisis to the Great Depression?”, VoxEU.org, 29 April.
●Mason, Joseph and Kris James Mitchener (2010), “Exit strategies for central banks: Lessons from the 1930s”, VoxEU.org, 15 June.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.

2013年11月19日火曜日

Alan de Bromhead&Barry Eichengreen&Kevin O’Rourke 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」(2012年2月27日)

Alan de Bromhead&Barry Eichengreen&Kevin O’Rourke, “Right-wing political extremism in the Great Depression”(VOX, February 27, 2012)
 
世界中を巻き込む経済危機が長引くにつれて、1930年代と同じように、政治的な過激主義が勢いを増すのではないかとの恐れが広がりつつある。①民主主義を採用してからの歴史が浅く、②極右政党が既に議会でいくつか議席を得ており、③新政党が議会で議席を獲得するハードルが低い仕組みの選挙制度が採用されているようだと、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性が高まる傾向にあるが、④景気の低迷が長く続く――不況が長期化する――ようだと、とりわけその危険性が高くなるようだ。

世界中を巻き込む格好になった今般の経済危機は、単に経済の次元にとどまらないインパクトを及ぼしている。例えば、次のような事例を挙げることができるだろう。
  • 代議制、大統領制のいずれの民主主義国家においても、政権与党が選挙で敗北を喫した。
  • 厳しい経済状況が一因となって、ナショナリストや右翼政党――その中には、現状の政治制度への敵意を包み隠さず露にしている勢力も含まれている――に対する支持が高まっている。
このまま厳しい経済状況が続くようなら、1930年代と同じように、政治的な過激主義が勢いを増すことになるのではないか。そんな恐れも広がりつつある。

1930年代の記憶は、現下の経済論議に対してだけではなく、現下の政治議論に対しても多くの示唆を与えている――例えば、Mian et al(2010)Giuliano and Spilimbergo(2009)〔拙訳はこちら〕を参照せよ――。しかしながら、戦間期に発生した大恐慌が当時の政治情勢(とりわけ、右翼の反体制派の台頭)にいかなる影響を及ぼしたかについては、これまでのところ系統的に検証されていないようだ。

そこで、今回我々は、第一次世界大戦が終結してから第二次世界大戦が勃発するまでの戦間期に行われた選挙の分析に乗り出し、反体制派の政党――我々の論文では、既存の政治制度の転覆を目的に掲げている政党を指して、「反体制派の政党」と定義している――への支持の変遷を追った(de Bromhead et al 2012(pdf))。反体制派の政党の中でも右翼の政党に焦点を合わせているが、その理由は、1930年代に行われた選挙ではっきりとしたかたちで躍進したのが右翼の側の反体制派だったからである。それは今も同じようだ。今般の経済危機下で最も躍進を遂げているのは、またもや右翼の過激派政党(極右政党)なのだ(Fukuyama 2012)。


1930年代に極右勢力が台頭したのはなぜか?

1930年代に政治的な過激主義が勢いを増した理由を探っている理論を分類すると、大きく5つのカテゴリーに分けることができる。
  • 第一のカテゴリー;過激派政党への支持が高まり、民主主義体制が動揺した原因を厳しい経済状況(景気の低迷)に求める理論(Frey and Weck 1983, Payne 1996)
二つ目のカテゴリーでは、社会内部における亀裂に強調が置かれている。
  • 第二のカテゴリー;民族、宗教、階級間の亀裂(cleavage)が社会全体でのコンセンサスの形成を困難にし、経済危機に対して社会全体が一丸となって立ち向かうのを妨げたとする理論(Gerrits and Wolffram 2005, Luebbert 1987)
第二のカテゴリーに沿った議論は、第一次世界大戦後のヨーロッパ情勢をテーマとする文献の中でよく顔を出す。第一次世界大戦後のヨーロッパでは、民族や宗教の違いが大して顧慮されずに、新たな国家が建設されたのだった。
  • 第三のカテゴリー;戦間期の政治情勢を形作った要因として、第一次世界大戦の遺産に注目する理論(Holzer 2002)
  • 第四のカテゴリー;政治制度や憲法の構造に着目する理論。政治制度や憲法の構造の違いによって、反体制派の政党が影響力を得やすいかどうかも違ってくるとする理論。
例えば、レイプハルトによると(Lijphart 1994)、小規模政党や新政党(新しく作られたばかりの政党)に対してその国の政治制度がどれくらい開かれているか――政治制度の開放度は、選挙に比例代表制が導入されているかどうか、選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率(閾値)がどれくらいかなどに基づいて測られる――が過激派政党の浮沈を決定づける重要な要因になるという。
  • 第五のカテゴリー;政治制度の安定性(耐久性)を決定づける重要な要因として、政治文化の役割に着目する理論(Almond and Verba 1989)
第五のカテゴリーに沿った議論では、民主主義の安定性を支える重要な要素として、「シビック・カルチャー(市民文化)」(‘civic culture’)に注目が寄せられる。シビック・カルチャーは、家庭/学校/コミュニティーを通じて世代を超えて伝播することになるが、民主主義それ自体に触れることによっても伝播が促されることになる。ペルソン&タベリーニの二人(Persson and Tabellini 2009)が主張するところによると、民主主義を採用してからの歴史が長い国ほど「デモクラティック・キャピタル」(democratic capital)の蓄積が進んでおり、そのおかげで国民が既存の政治制度を引き続き支持する可能性が高まることになるという。以上の議論からは、過激派勢力が大恐慌に乗じて勢いづきやすいのは、民主主義を採用してからの歴史が浅くて、デモクラティック・キャピタルの蓄積が貧弱な国においてということが示唆されよう。


我々の研究から得られた結果

我々の研究では、1919年から1939年までの間に28カ国で行われた計171の選挙が分析の対象になっている。対象国はヨーロッパに偏っているが、それは戦間期に行われた選挙がヨーロッパに集中していたためである。しかしながら、情報を得られた範囲で、北アメリカ、ラテンアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの選挙データも分析対象に含んでいる。我々の研究では、サルトーリ(Sartori 1976)に倣って、反体制政党(反体制派の政党)を「政権の交代ではなく、既存の政治制度の転換(転覆)を目指す政党」と定義している。反体制派として括られる右翼政党の例としては、ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP;ナチス)は言うまでもなく、ハンガリーの矢十字党(Arrow Cross)、ルーマニアの鉄衛団(Iron Guard)なんかを挙げることができよう。

我々の一番の関心事は、大恐慌が投票パターンにいかなるインパクトを及ぼしたかにある。すなわち、1929年以降に各政党の得票率がどのような変遷を辿ったかにある。我々なりに計量分析を試みてみたところ、大恐慌は、ファシストにとって追い風になったとの結果が得られた。さらには、大恐慌に喘(あえ)いだ国の中でも、1914年までに民主主義を採用していなかった国、1929年までにファシスト政党が議会でいくつか議席を得ていた国、 第一次世界大戦の敗戦国、1918年以降に国境線が書き換えられた国で、ファシスト政党の得票率の伸びが特に大きかった。

当時のドイツは、今挙げた特徴をすべて備えていて、ファシスト政党(ナチス)の得票率も大きく伸びたわけだが、我々が得た結果は、ドイツの経験に引きずられているのではないかと訝(いぶか)る人もいるかもしれない。ここでは細かいところまで触れられないが、「そんなことはない」とだけ答えておこう。

特筆しておくべきことがある。過激派勢力の浮沈を左右したのは、選挙が行われた年の経済のパフォーマンス――1年間の実質GDPの成長率――ではなく、数年にわたる経済のパフォーマンス――数年にわたる実質GDP成長率の累計――だったのだ。もっと適当な言い方をすると、景気の落ち込みの大きさ(深さ)こそが肝心な役割を果たしたのだ。景気の低迷が1年続いたぐらいでは、過激主義の台頭を招くには不十分だった。言い換えると、数年にわたって続いた不況――長期化した不況――こそが過激主義を大きく台頭させたのだ。

あれこれのコントロール変数――期間ダミー、都市化変数、閾値〔訳注;選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率〕など――を置いて回帰分析を行っても、異なる手法で計量分析を行っても、結果に変わりはないことが判明している。別の手法で行った回帰分析でも、景気の低迷が過激主義の台頭を招く効果は、ファシスト政党が1929年以前に既に議会で議席を得ていたり、民主主義を採用してからの歴史が浅い国で特に大きかった。我々が得た結果は、政治文化の役割を強調するアーモンド&ヴァーバの主張(Almond and Verba 1989)やデモクラティック・キャピタルの役割を強調するペルソン&タベリーニの主張(Persson and Tabellini 2009)――民主主義を採用してからの歴史が長い国ほどデモクラティック・キャピタルの蓄積が進んでおり、そのおかげで既存の政治制度に対する脅威を撥(は)ね付けられる可能性が高い――とも整合的だと言えよう。

最後になるが、反体制派の右翼政党が選挙で躍進できたかどうかは、その国の選挙制度の特徴によって左右されたことも見出されている。選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率(閾値)が高くなるほど、泡沫政党が議席を得るのは難しくなるので、ファシスト政党が選挙で躍進できる可能性も低くなるのだ。


結論

我々の研究によると、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性は、それぞれの国が備えている特徴によって異なることが示唆されている。具体的には、
  • 民主主義を採用してからの歴史が比較的浅くて、
  • 極右政党が議会で既にいくつか議席を得ていて、
  • 新政党が議会で議席を獲得するハードルが低い仕組みの選挙制度が採用されている
ようだと、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性が高まる傾向にあるが、
  • 景気の低迷が長く続く――不況が長期化する――
ようだと、とりわけその危険性が高くなるようだ。


<参考文献>

 ●Almond, GA and Verba, S (1989, first edition 1963), The Civic Culture: Political Attitudes and Democracy in Five Nations (邦訳 『現代市民の政治文化-五カ国における政治的態度と民主主義』), London: Sage.
●de Bromhead, A, B Eichengreen and KH O’Rourke (2012), “Right Wing Political Extremism in the Great Depression”, Discussion Papers in Economic and Social History, Number 95, University of Oxford.
●Frey, BS and Weck, H (1983), “A Statistical Study of the Effect of the Great Depression on Elections: The Weimar Republic, 1930–1933(JSTOR)”, Political Behavior 5: 403–20.
●Fukuyama, F (2012), “The Future of History”, Foreign Affairs 91: 53–61.
●Gerrits, A and Wolffram, DJ (2005), Political Democracy and Ethnic Diversity in Modern European History, Stanford: Stanford University Press.
●Giuliano, P and A Spilimbergo (2009), “The long-lasting effects of the economic crisis”, VoxEU.org, 25 September.
●Greene, W (2004), “Fixed Effects and Bias due to the Incidental Parameters Problem in the Tobit Model(Taylor & Francis Online)”, Econometric Reviews 23: 125-47.
●Holzer, J (2002), “The Heritage of the First World War,” in Berg-Schlosser, D and J Mitchell eds, Authoritarianism and Democracy in Europe, 1919–1939: Comparative Analyses, New York: Palgrave Macmillan, 7–38.
●Honoré, B (1992), “Trimmed Lad and Least Squares Estimation of Truncated and Censored Regression Models with Fixed Effects(JSTOR)”, Econometrica 60: 533–65.
●Lijpart, A (1994), Electoral Systems and Party Systems: A Study of Twenty-Seven Democracies, 1945–1990, New York: Oxford University Press.
●Luebbert, GM (1987), “Social Foundations of Political Order in Interwar Europe(JSTOR)”, World Politics 39: 449–78.
●Mian, A, A Sufi and F Trebbi (2012), “Political constraints in the aftermath of financial crises”, VoxEU.org, 21 February.
●Payne, SG (1996), A History of Fascism: 1914–1945, London: Routledge.
●Persson, T and G Tabellini (2009), “Democratic Capital: The Nexus of Political and Economic Change”, American Economic Journal: Macroeconomics 1: 88–126.
●Sartori, G (1976), Parties and Party Systems (邦訳 『現代政党学-政党システム論の分析枠組み』), Cambridge: Cambridge University Press.

2012年8月11日土曜日

Barry Eichengreen&Douglas Irwin 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日)

Barry Eichengreen&Douglas Irwin, “The protectionist temptation: Lessons from the Great Depression for today”(VOX, March 17, 2009)
 
1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか? 各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせるべきである。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。

1930年代の大恐慌期には、保護主義が急速に台頭した。政策当局者が細心の注意を払って警戒しなければ、1930年代のように保護主義が蔓延してしまうのではないかと多くの人に恐れられている。1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか?

大恐慌の多くの側面について今でも議論が続けられているが、全面的といっても構わないほど合意が得られていることもある。1930年代に採用された貿易制限措置は破壊的で逆効果だったというのがそれで、今のような停滞下に同じような真似をする(保護主義に身を委ねる)ことだけは絶対に避けるべきなのだ。1930年代に関税が引き上げられたり非関税障壁が導入されたりしたのは、景気を下支えするための他の手段が欠けていたからだった。海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとした苦肉の策だったのだ。しかしながら、他の国の政府も同じような行動に出てあちこちで関税が引き上げられたので、意図した目的――海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向ける――を達成できずに、貿易の崩壊という結果を招いただけだった。1933年以降に大半の国で景気が回復したにもかかわらず、貿易量は30年代の終わりになっても1929年の水準に及ばなかったのである(図1を参照)。比較優位の恩恵が得られなかっただけではない。近隣窮乏化的な通商政策の応酬がネックになって、停滞から抜け出すための他の手段を互いにすり合わせるのが難しくなってしまったのである。



図1 世界の貿易量と産出量(1926年~1938年)


大恐慌についての同時代の説明なり現代の説明なりに目を向けると、1930年代にはあらゆる国が貿易障壁を設けていて、完全なる混沌に陥っていたかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、そのような印象は事実に反する(Eichengreen&Irwin, 2009)。貿易制限措置があちこちで導入されたのは確かだが、国によってその度合いにかなり大きな違いが見られたのである。当時の国別の関税率をまとめた図2をご覧いただきたい。30年代に入って関税率を大きく引き上げた国もあれば、そうではない国もある。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本と同じように振る舞っていたとしたら、1930年代の歴史はまったく違っていただろう。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本のように振る舞わなかったのはなぜなのだろうか?



図2 平均的な輸入関税率(1928年~1938年:単位は%)


採用していた為替相場制度が違っていたからというのが答えだ。金本位制にとどまって、平価(金と自国通貨との交換比率)を固定し続けた国ほど、貿易制限措置に訴えがちだったのだ。他の国が平価を切り下げたせいで価格競争力の面で不利な立場に置かれてしまい、国際収支(balance of payments)の悪化を食いとどめて金の流出を防ぐためにも貿易制限措置を採用せざるを得なかったのだ。景気の悪化に対処するための他の手段が欠けていたので、海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとして、関税やそれに類する手段を用いたのである。

それとは対照的に、金本位制から離脱して為替レートの減価を受け入れた国では、国際収支が改善して、金が流入した。それに加えて、金本位制から離脱したおかげで、失業問題に立ち向かうための他の手段が手に入ったことも重要である。自国通貨と金(gold)の結び付きが断ち切られたおかげで、金融政策に対する縛りがなくなったのだ。平価を維持する必要がなくなったので、金利を自由に引き下げられるようになったのだ。金本位制のルールに縛られる必要がなくなったので、中央銀行が「最後の貸し手」として振る舞えるようになったのだ。金本位制から離脱したおかげで、大恐慌に立ち向かうための(貿易制限措置以外の)他の手段が手に入ったのだ。その結果が図3に示されている。鉱工業生産が順調に伸びたのだ。景気が順調に回復したおかげで、貿易制限措置に訴えずに済んだのだ。



図3 鉱工業生産の変化


金本位制から離脱して為替レートの減価を許容した国ほど、貿易制限措置に訴える度合いが低かったのだ。その一例が図4に示されているが、関税率だけではなく、為替管理や輸入割当のような非関税障壁についても同様の関係が成り立つのだ。



図4 為替レートの変化と輸入関税率の変化(1929年~1935年)


これまでに紹介してきた発見は、今現在のいわゆる大不況(Great Recession)への対処を任されている政策当局者に対しても重要な教訓を投げかけている。「保護主義を避けるために、景気を刺激せよ」というのがそれだ。しかしながら、景気を刺激するにはどうしたらいいのだろうか? 1930年代においては、景気刺激策と言えば、金融刺激策(金融緩和)を意味していた。財政政策を使って景気を刺激するという選択肢についてはよく理解されていなかったし、広く受け入れられてもいなかった。アイケングリーン&サックス(Eichengreen&Sachs 1985)が詳しく論じているように、金融刺激策は、当該国(金融緩和に乗り出した国)の景気を浮揚させた一方で、貿易相手国の景気を冷え込ませた。金利を引き下げる「チープマネー」政策は、貿易相手国に対して相反する効果を及ぼした。金融緩和のおかげで当該国の景気が上向いて輸入需要(海外製品に対する需要)が増えると、貿易相手国の景気にプラスに働くが、金利が引き下げられて当該国の通貨が減価すると、貿易相手国の景気にマイナスに働く。当該国だけが「単独」で金融緩和に踏み切ると、後者のマイナスの効果が前者のプラスの効果を凌駕したのだ。一国による単独の金融緩和は、貿易相手国の景気を冷え込ませて、その国を保護主義に向かわせたのだ。

1930年代と今とでは利用可能な政策手段に違いがあるのを反映して、抱える問題にも違いが出てくる。今はどうなっているかというと、大不況に立ち向かうために、金融刺激策に加えて、財政刺激策も試みられている。一国による単独の財政刺激策は、貿易相手国に対してもプラスに働く。財政刺激策のおかげで当該国(財政刺激策に乗り出した国)の景気が上向くと、それに伴って輸入需要(海外製品に対する需要)が増えるからである。財政刺激策が試みられるせいで世界金利が上昇するようなら、当該国でも貿易相手国でも民間投資が減る可能性があるが、今のところはその心配はなさそうだ。つまりは、いずれかの国が単独で財政刺激策に乗り出せば、貿易相手国の輸出が増える可能性があるので、貿易相手国が保護主義に訴える理由がなくなるのだ。

しかしながら、問題もある。財政刺激策の恩恵が「ただ乗りする」貿易相手国に波及することが問題視される可能性があるのだ。財政刺激策にはコストが伴う。子や孫の世代によって返済されなければならない公的債務が増えるのだ。それゆえ、財政刺激策が海外製品に対する需要(輸入需要)も増やすようなら、「バイアメリカ」(“Buy America”)条項に類した手段に訴えて、財政刺激策の恩恵が他の国に漏出するのを防ぎたくなるかもしれない。保護主義の誘惑は依然としてあるのだ。ただし、金融刺激策ではなく財政刺激策が試みられる場合に保護主義の誘惑に駆られるのは、事の成行きを静観している側(貿易相手国)ではなく、積極的な行動に打って出る側(財政刺激策に乗り出す国)なのだ。

1930年代と今とで抱える問題に細かいところで違いはあっても、答え(解決策)は同じだ。1930年代においてそうすべきだったように、各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせる〔訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和なり財政出動なりに乗り出す〕必要がある。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。


<参考文献>


●Barry Eichengreen and Douglas A. Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?", NBER Working Paper No 15142.
●Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s(JSTOR)”, Journal of Economic History 45, 925-946.