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2025年5月10日土曜日

David Beckworth 「モノプソニーとしてのFed」(2009年9月11日)

David Beckworth, “The Fed as a Monopsony”(Macro Musings Blog, September 11, 2009)


侮蔑を込めて「貨幣の独占的供給者」と呼ばれることもあるFedだが、新たな呼び名を頂戴しているようだ。マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場における「モノプソニー」(強大な支配力を持つ買い手)だ(あるいは、それに近い)というのだ。ライアン・グリム(Ryan Grim)がハフィントン・ポスト紙で報じているところによると、一流の学術誌でマクロ経済学についてどんな話題が率先して取り上げられるかにFedが並々ならぬ影響を及ぼしているという。Fedがそれだけの影響力を持っている理由は、(1) 大勢のマクロ経済学者を雇ったり客員研究員として受け入れていて、(2) スタッフたちが貨幣経済学やマクロ経済学の分野の一流の学術誌の編集陣に名を連ねていて、(3) Fedに同情的な元スタッフが大勢いて、(4) 今のところはFedと関わりがない経済学者たちももしかしたらFedとお近づきになれるかもしれない機会をみすみす潰さないように気を配っていて、(5) Fedがマクロ経済学の分野の多くの学術的なカンファレンスのスポンサーになっているからだという。グリムの言い分を引用しておこう。

本紙の調査によって明らかになったのは、コンサルタント、客員研究員、元スタッフ、現スタッフの膨大なネットワークを土台にして、Fedが経済学の世界を徹底的に牛耳っているということだ。中央銀行であるFedを正面から批判すると、経済学者としての将来のキャリアに暗雲が垂れ込めかねないのだ。 
大恐慌以来最悪の危機を予見できなかったFedを批判する声が経済学者たちの間からあまり上がらなかったのも、Fedのその強大な支配力ゆえなのだ。Fedの虜(とりこ)になっていたせいで、経済学者たちも同じ過ちを犯した(危機の予見に失敗した)のだ。 
・・・(中略)・・・ 
Fedの支配力の重要な源泉の一つが、その道の分野の「門番」とのつながりである。例えば、若くてこれからという経済学者にとっては避けては通れない学術誌の一つであるジャーナル・オブ・マネタリー・エコノミクス誌の編集陣の半数以上がFedの現スタッフなのだ。残りも元スタッフなのだ。

グリムの記事は興味深いが、Fedの影響力についてもう少し公平で学術的な批判を加えているのがローレンス・ホワイト(Lawrence H. White)である。2005年にEcon Journal Watch誌に掲載されたホワイトの論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

FRB(連邦準備制度)は、アメリカにおいて貨幣経済学の分野の研究を支えている重要なスポンサーの一つである。Fedがスポンサーになっている研究プログラムの規模(インプットおよびアウトプット)をいくつかの方法で計測し、貨幣経済学の分野における学術的な研究の内容に対してFedが及ぼしている直接的ないしは間接的な影響について検討するのが本稿の狙いである。Fedがスポンサーになっている研究は「現状維持バイアス」を抱えているかもしれないのだ。

ホワイトもグリムと同じ結論に達している。Fedは、マクロ経済学者が出入りする労働市場や思想市場において「モノプソニー」に似た影響力を持っているというのである。もっともな批判だが、私としてはあの手この手でFedの政策に疑問を呈し続けるつもりだ。どれもこれも失敗に終わるようでも、まだこのブログがある。・・・いや、待て。何よりも先にテニュア(終身在職権)をとらなくちゃいけない。 

Garett Jones 「研究のインセンティブ 〜みすぼらしいパフォーマンスと高い世評〜」(2012年12月11日)

Garett Jones, “Research Incentives:Milton Friedman on the Fed”(EconLog, December 11, 2012)


カネ(金銭的なインセンティブ)は研究の結果に影響を及ぼすのだろうか? 医薬品の研究についてであればよく問われる問いだが、貨幣経済学(monetary economics)の研究にも間違いなく関わりのある問いなのだ。FRB、ECB、BOEのような中央銀行は、大勢のスタッフを雇っている。数多くのカンファレンスのスポンサーにもなっている。多額の謝金を払ってもいる。貨幣経済学の研究者たちが飼い主の手に噛みつくのにためらいを感じて批判を控える・・・なんていう可能性はないのだろうか?

私の同僚であるデイビッド・レヴィ(David Levy)がまさにこの件について切り込んでいる手紙をミルトン・フリードマン(Milton Friedman)から受け取ったことがある。その手紙のコピーが以下である。



大事な箇所を引用しておこう(手紙の日付は、1993年5月27日)。 

・・・(略)・・・私が知るところでは、FRBは貨幣について専門的に研究しているエコノミストのおよそ半数を直接雇用しています。・・・(略)・・・そのみすぼらしいパフォーマンスにもかかわらず、FRBの世評が高いのも主にそのために違いないと私は確信しています。

私の同僚であるローレンス・ホワイト(Lawrence White)がFRBの潜在的な影響力を測る別の指標に着目している。貨幣経済学の分野のトップジャーナルの編集者を対象にして、FRBと何らかのつながりを持っているかどうかを調査しているのである。どんな結果が判明したかというと、・・・皆まで言わなくてもおわかりだろう。ちなみに、Econ Journal Watch 誌に掲載されているホワイトのその論文はこちらだ。

ホワイトの論文は、以下のようにお見事な文章で締め括られている。

FRBがスポンサーになっている研究は、学術的に見ると概して高い水準を誇っている。だからといって、何のバイアスもかかっていないというわけでもなければ、その内容を吟味する必要なんて一切ないというわけでもないのだ。

2025年5月8日木曜日

Henry Farrell 「『経済政策に関するマーフィーの法則』は正しいか? ~経済学者が経済政策に及ぼす影響力が最大になるのはどんな時?~」(2011年3月17日)

Henry Farrell, “A simple model of disagreement among economistsCrooked Timber, March 17, 2011)


ライアン・アベント(Ryan Avent)マシュー・イグレシアス(Matthew Yglesias)によると、経済学者たちは言い争ってばかりいて意見が全く一致しないと思われているが、それは誤解だという。この件で私が真っ先に思い起こすのは、アラン・ブラインダー(Alan Blinder)が言うところの「経済政策に関するマーフィーの法則」である。ブラインダーは、『Hard Heads, Soft Hearts』(邦訳『ハードヘッド&ソフトハート』)の中で次のように述べている。

「経済学者たちが経済政策に及ぼす影響力が最小になるのは、研究が蓄積されていてお互いの意見が一致している時。経済学者たちが経済政策に及ぼす影響力が最大になるのは、研究が手薄で意見のバラツキが最も大きい時」。

わざわざ持ち出してきてなんだが、「経済政策に関するマーフィーの法則」は正しいのだろうか? はじめて目にした時からずっと疑わしく思っていたのだ。「経済政策に関するマーフィーの法則」が説いているのが、経済学者の間で「意見のバラツキが大きい」話題についてほど、公の討論の場での経済学者の「存在感が大きい」という相関関係なのだとしたら、異論はない。現実にそうなっているからだ。しかしながら、「存在感が大きい」というのは、「(経済政策に及ぼす)影響力が大きい」というのと同じじゃない。それに加えて、「存在感が大きい」からこそ「意見のバラツキが大きくなる」という可能性(逆の因果関係)も捨てきれない。以下にモデル(モデルといってもごくカジュアルな意味でそう呼ぶに過ぎない)の素描を試みるが、経済学者の間で意見のバラツキが大きい時に経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力はそこまで大きくないように思えるのだ。

(I) 政党だとか利益集団だとかがわかりやすい例だが、経済政策に対する好みがはっきりしているアクター(行為主体)が政治の世界には多数存在する。例えば、Aという政党は、自党の党員なり支持者なりが得するような規制を導入しようとするだろう。その規制を導入したら経済成長率が低下してしまうかもしれないとしてもだ。その一方で、その規制の導入に断固として反対する抵抗勢力が存在するものだ。例えば、Bという政党がA党に反対するだけでなく、自党の党員なり支持者なりが得するような別の規制の導入を求めるかもしれない。そうなれば、激しい政策論争が巻き起こるだろう。

(II) 経済政策に対してはっきりとした好みを持っていなくて、専門家によって説得される可能性を秘めているアクターも存在している。専門家が支持する政策に味方する可能性があるアクターだ。専門家の話に耳を傾けてくれるようならという条件は付くが、一般の有権者(the public)もその一例だ。

(III) 専門家である経済学者が手にしているツールから導き出せるのは、一般的な結論でしかない。ちょっとした裏の手(誰もがよく知る部分均衡モデルだとか、フォーク定理だとか)を使えば、どんな政策だって支持することができる――この点については、マクロスキー(Donald McCloskey)の “The Rhetoric of Economics”(pdf)を参照されたい――。ちょっとした裏の手を使えば、A党が導入しようとしている規制も支持できるし、B党が導入しようとしている規制も支持できるのだ。政治信条に忠実たろうとしてなのか、お金に釣られてなのか、どちらの理由も一緒になってなのか、A党ないしはB党が導入しようとしている規制に理論的なお墨付きを与えようとする経済学者も出てくるだろう。

(IV) A党ないしはB党は、あの手この手を使って御用学者を拵(こしら)えることができる。味方になってくれそうな経済学者を快適な場所に招いて学術的なセミナーを開いたり、金銭的な便宜を図ったりして、自らの陣営が導入しようと図っている規制にお墨付きを与えてもらうのだ。御用学者がお墨付きを与えてくれたら、経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターの一部も味方になってくる可能性がある。

断っておくが、以上のような大雑把なスケッチをそっくりそのまま受け入れるつもりはない。経済学のツールというのは、(III) で述べたよりも首尾一貫していて、どんな政策でも同じくらい苦も無く支持できるわけじゃないだろう。かなり無理をして議論を呼ばずには理論的に支持できないような政策もあるだろう。それに、学問の世界におけるアイデアというのは、何らかの政治的なイデオロギーを正当化するためだけの存在に過ぎないわけでもない。とは言え、このモデルを使えば、現実についての興味深い予測を無理なく導き出すことができるのだ。例えば、以下のような。

(1) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそらないようなら、経済学者たちは放っておかれるだろう。政治と無縁でいられるだろう。経済学者たちの間で取り沙汰される命題の中には、A党だったりB党だったりが興味をそそられない命題というのがたくさんある。A党なりB党なりが興味をそそられない理由は、自分たち(自党の党員や支持者)にとって毒にも薬にもならないからという場合もあれば、受け入れがたい(repugnant)からという場合もあるだろう。このようなケースでは、意見の対立を煽るような外部からの圧力が存在していないので、経済学者たちの間で「幸せな和合」が成り立つ可能性がある――ただし、経済学者に特有の「何かと衝突しがちな性向」が許す限りで――。

(2) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそると同時に、その話題について経済学者たちの間でコンセンサス(意見の一致)が得られているようなら、経済学者の影響力は最大になるだろう。そのコンセンサスがA党の利害に反するようなら、A党は耳を貸そうとしないだろうが、そのコンセンサスがB党にとって都合がいいようなら、B党が近寄ってきて自党が掲げる政策にお墨付きをもらおうとするだろう。経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターの中からも、経済学者に説得されて同調する勢力が出てくるだろう。しかしながら、経済学者たちにとっては幸せなこの状況も不安定に違いない。なぜなら、不利な立場に置かれているA党が黙っていないだろうからである。寝返ってくれそうな経済学者を見つけ出して、コンセンサスを突き崩そうとするだろうからである。その経済学者に支援の手を差し伸べて、コンセンサスに反論させる機会を設ける――例えば、A党が費用を負担してその経済学者を1週間にわたる無駄仕事(boondoggles)に連れ出して、あちこちでコンセンサスに反論させる――だろうからである。経済学者たちの影響力が無視できないようであれば、A党は黙っていずに、経済学者たちが言い争うようにあの手この手を使うだろう。そのようにして、自分たちの「味方」をしてくれる経済学者を発掘するのだ。そういうわけで、遅かれ早かれ以下の(3)へと移行することになるだろう。

(3) 経済学者たちの間で取り沙汰されている話題がA党だったりB党だったりの興味をそそると同時に、その話題について経済学者たちの間で意見が割れているようなら、経済学者の影響力はそこまで大きくないだろう。A党もB党も自分たちの味方をしてくれる御用学者をそれぞれ抱えていて、自党が掲げる政策にモデルや実証研究でお墨付きを与えてもらえる。例外的なケースを除けば、この状況――「ジョン・ロット」(“John Lott”)均衡とでも呼べるかもしれない――は、(2)の状況とは違って、極めて安定しているだろう。

現実についてどんな予測が導かれるだろうか? 経済学者の間で「意見のバラツキが大きい」話題についてほど、公の討論の場での経済学者の「存在感が大きい」という相関関係が成り立つことを示唆しているというのがまず一つ目。経済学者たちの間でコンセンサスが得られていても、政治の世界のアクターたちにとってはどうでもいい(興味をそそられない)ような命題――「野菜を食べなさい」(“Eat your greens”)とかいう類の命題――は、政治の世界のアクターたちからことごとく無視されるという予測が二つ目。これら二つの予測は、読み替えられた「経済政策に関するマーフィーの法則」とも合致している。しかしながら、三つ目と四つ目の予測は、オリジナルの「経済政策に関するマーフィーの法則」と食い違う。経済学者たちの間で意見が割れているようなら、経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力はそこまで大きくないと予測されるのだ。政治の世界で対立している陣営(例えば、A党とB党)のどちら側も御用学者を抱えている可能性があって、経済政策に対してはっきりとした好みを持っていないアクターへの影響が相殺されるのだ。最後に四つ目の予測になるが、経済学者の(経済政策に及ぼす)影響力が最大になるのは、政治の世界で政策論争の対象になっている話題について経済学者たちの間で意見が一致している(コンセンサスが得られている)時――非常に稀で不安定なケース――と予測されるのだ。

Chris Dillow 「二つの正義」(2011年5月3日)

Chris Dillow, “Two justices”(Stumbling and Mumbling, May 03, 2011)


オサマ・ビン・ラディンが殺害されたが、「正義が成し遂げられた」(“justice has been done”)――こちらこちらを参照されたい――と言ってしまっていいのだろうか? この問題について掘り下げて考えると、ちょっとしたパラドックスが持ち上がってくる。

 大まかではあるが、「正義」についての立場は、「プロセスとしての正義」と「結果としての正義」の二つのタイプに分類することができる。「プロセスとしての正義」という観点からすると、正義は成し遂げられなかったことになろう。なぜなら、ビン・ラディンは、公正な(just)裁判を経た末に命を奪われたわけではないからである(原注1)。しかしながら、「結果としての正義」という観点からすると、正義は成し遂げられたと言えるかもしれない。犯した罪の重さゆえに死に値する人物がいるとするなら、ビン・ラディンこそまさしくその筆頭だからである(原注2)。

ここからが本題である。経済問題が争点になる時には、左派(リベラル派)は「結果としての正義」を重視しがちな一方で、右派(保守派)は「プロセスとしての正義」を重視しがちだ。左派の多く――全員とは言わない――は、経済面での格差がどのようなプロセスを経て生じたかにかかわらず、格差の大きさを問題にする傾向にある。これは、結果に照らして正義を判断する立場だ。その一方で、右派の多くは、プロセスに照らして正義を判断する傾向にある。ロバート・ノージックの有名な格言――「公正な手続きを経て生起した結果は、どれもこれも公正である」(“whatever arises by just means is itself just.”)――に要約されているように。ハイエクも以下のように述べている。

「市場メカニズムを通じて一人ひとりに割り振られる便益(benefits)と負担(burdens)が誰かに操作されているのだとしたら、大いに不公正と見做されねばならないだろう。しかしながら、実際のところはそうはなっていない。市場メカニズムを通じて一人ひとりに割り振られる便益と負担は、そうなるように誰かが意図したわけではない。最終的な着地点が誰にも予見できないプロセスの結果なのである」(Law, Legislation and Liberty vol II, p. 64)

経済問題に関しては、右派は「プロセスとしての正義」の立場に立つ一方で、左派は「結果としての正義」の立場に立つ。そのことを踏まえると、以下のような予想が成り立ちそうだ。ビン・ラディンの殺害について、右派は危惧の念を抱いていて、左派はあっけらかんとしている。ビン・ラディンは、適正な手続き(due process)を経ることなく殺害されたが、殺害という結果は「結果としての正義」に適っているからである。

しかしながら、どうもそうはなっていないようだ。ビン・ラディンの殺害について、右派の一部――全員ではない――は喜んでいて、左派の一部――全員ではない――は気が咎(とが)めているようなのだ。

予想と違った反応になっているのは、なぜなのだろうか? 経済問題を論じる時と犯罪絡みの問題を論じる時とでは、同じ「正義」という言葉を使っていても異なる意味が込められている、というのが考え得る理由の一つである(それはなぜなのか、という別の疑問が生じてくることになる)。別の可能性としては、正義についての我々の直観が混乱しているに過ぎないのかもしれない。あるいは、ビン・ラディンの殺害に関しては、正義はそもそも争点になっていないのかもしれない。


(原注1)ビン・ラディンは暗殺されたのか、それとも通常の軍事行動の最中に殺害されたのかという問題――この違いは重要だと考える人もいるだろう――は、とりあえず脇に置いておこう。
(原注2) 罪の重さゆえに死に値すると考えながらも、プロセスが不公正ゆえに死刑(あるいは、殺害)に反対するのも首尾一貫した立場として成り立ち得る。

Hans-Joachim Voth&Nico Voigtländer 「ナチス流の利益誘導 ~ナチスによるアウトバーンの建設は政権への支持を高めたか?~」(2014年5月22日)

Hans-Joachim Voth&Nico Voigtländer, “Nazi pork and popularity: How Hitler’s roads won German hearts and minds”(VOX, May 22, 2014)

 
ヒトラー率いるナチス政権は、国の全土に及ぶ高速道路網――アウトバーン――を世界で初めて整備した。本稿では、ナチスによる高速道路の建設が政権への支持にいかなる効果を持ったかを検証する。1933年から1934年までの間に行われた選挙なり国民投票なりで投票結果にどんな変化が起きたかに着目して分析を加えたところ、「利益誘導」を意図した財政支出が政権への不支持率を低下させる効果を持ったことが見出された。高速道路が横切らなかった郡(選挙区)と比べると、新たに高速道路が横切ることになった郡(選挙区)では、選挙なり国民投票なりで政権への反対票の減り方がより大きかったのである。少なくとも1934年以降に関しては、アウトバーンが政権の人気をいくらか支える役目を果たしたと言えそうである。


「少なくとも、彼(ヒトラー)はアウトバーン(高速道路)を建設した」。ナチスが国内であんなにも支持された理由として両親や祖父母の口から繰り返し語られるがゆえに、多くのドイツ人の記憶に刻み込まれている文句である。ナチス政権が積極果敢な対外侵攻からジェノサイドに至るまでの一連の政策を推し進めるためには、国民からの圧倒的な支持が欠かせなかった。高速道路網の整備は、ナチス政権の疑いもなく光の面に属する成果として民衆の記憶の中に保存され、1933年以降にナチス政権が熱狂的に支持されるようになったのはなぜなのかを難なく説明してくれる絶好の答えとしてしきりに持ち出される格好になっている。

インフラを整備するための公共投資は、人心(国民のココロとアタマ)を掴む(つかむ)ことが果たしてできるのだろうか? 「ナチスがあんなにも支持されたのは、高速道路網を整備したから」という上の世代がひょいと口にする説明は、単なる言い訳に過ぎないのだろうか? それとも、ナチスに支持が集まった重要な理由を的確に捉えているのだろうか? 公共投資をはじめとした財政支出の効果について実証的な検証を試みているこれまでの先行研究に照らすと、インフラを整備するための公共投資は時の政権(与党、現職)への支持を高めるとは言い切れないようである。その理由の一部は、時の政権(与党、現職)にとって必要度の高い地域に狙いを定めて国の予算が投じられがちだからである。すなわち、公共投資をはじめとして国の予算が投じられる先として、厳しい選挙戦が予想される(選挙で敗れるおそれのある)地域(選挙区)が選ばれがちなのである。Levitt&Snyder (1997) や Manacorda et al. (2011) のように、利益誘導を意図した財政支出が時の政権(与党、現職)への支持を高める効果を持ったことを見出している研究もいくつかある。アメリカ軍によって占領されていた最中のイラクを対象に分析を加えている Berman et al.(2011) によると、インフラを整備するために巨額の予算(復興予算)が投じられた地域では反乱が減ったという結果が得られている。しかしながら、経済学なり政治学なりの方面の学術的な研究では、利益誘導を意図した財政支出の効果について懐疑的な見方――利益誘導を意図した財政支出は、狙い通りの効果を上げているとは言えない(時の政権への支持を高めるのに役立っているとは言えない)という見方――が大勢(たいせい)を占めている(例えば、Stein&Bickers 1994, Feldman&Jondrow 1984)。

ナチス・ドイツにおける高速道路網の整備がどんな効果を持ったかを検証するのは、無駄じゃないだろう。独裁という政治体制下において利益誘導を意図した財政支出が狙い通りに時の政権への支持を高めるのに役立ったかどうかについては、これまでに系統的に検証された試し(ためし)がないからである(Voigtländer&Voth 2014)。それに加えて、ナチスに支持が集まった理由についてよくわかっていないところもあるからである。ヒトラー率いるナチスが既に政権を握っていた1933年3月に行われた総選挙(国会選挙)でも、ナチス(国家社会主義党)の得票率は「わずか」44%でしかなかった。しかしながら、数年もしないうちに、政権への支持率が著しく(いちじるしく)高まったことが反体制派の調査によっても親衛隊保安部(SD)の調査によっても指し示されている(Evans 2006)。ナチス政権への支持が瞬く間に高まったのは、いかにしてだったのだろうか?


アウトバーンの建設

高速道路の建設は、ナチス政権にとって最優先事項だった。ナチスが政権を握って数週間後に、自動車の購入を後押しするために補助金が導入され、国内の自動車産業のこれからについて野心的な構想が打ち出された。それから6か月後には、ドイツ全土に及ぶ高速道路網の建設を取り仕切る会社が設立された。そして、ナチスが政権を握ってから9か月後には、高速道路網の最初の区間の建設が開始された(Vahrenkamp 2010)。

よく耳にする話とは違って、ナチスによるアウトバーン計画にとって軍事的な意図は大して重要な役割を果たさなかった。アウトバーン計画は、1920年代に民間のシンクタンクと組織によって綿密に練り上げられていた構想――自動車道路研究会(STUFA)およびハンザ同盟=フランクフルト=バーゼル自動車道準備連合会(HaFraBa)による構想――を部分的に引き継いだものだった。ほぼほぼその構想に沿って建設が進められたが、構想とは違ったかたちで建設された区間も一部あった。

一区間ずつ完成させて都市圏を順々に繋いでいく(つないでいく)代わりに、同時に17区間の建設が開始された。全部で901ある郡のうち131郡を横切るかたちで、同時進行で建設が進められたわけである。そのせいもあって、最初の区間が開通するまでにはいくらか時間を要した。しかしながら、国内のあちこちでその進捗(しんちょく)を目にすることができた。計画段階でも建設段階でも、ナチスはアウトバーンを偉大な成果として喧伝するプロパガンダを流した 。ヒトラーは、首相に就任してから9カ月経つか経たないかという1933年9月に、最初の区間の着工を祝って鍬入れ式(くわいれしき)を行った。ヒトラーが鍬入れしている姿を収めた写真は、同年11月の総選挙で選挙ポスターとして転用された。 新しい区間が開通するたびに、大きな騒ぎになった。道路脇に大勢が列をなして集まって、党の指導者たちが得意げに運転する車が通過するのを見学したのである。1935年までに最初の区間が開通し、1938年までに距離にして3500キロメートル分が完成した(Vahrenkamp 2010)。

アウトバーン計画の1934年時点での進捗状況をまとめたのが以下の図1である。全土に高速道路網を張り巡らせてあちこちの人口密集地を残らずつなぎ、国内にあるすべての郡の半分近くをいずれかの区間が横切るようにするというのが当初の予定だった(点線)。しかしながら、1934年までに着工に踏み切られたのは、当初予定されていた区間のうちのわずか15%に過ぎなかった(黒色の実線)――二重線は、建設が承認されたものの、まだ着工されずにいた区間――。


図1. 1934年時点におけるアウトバーン計画の進捗状況


ナチス政権がどれだけ支持されていたかをどうやって測る?

高速道路が建設中だった郡(選挙区)でヒトラー率いるナチス政権への支持がいくらか高まったか? それが探るべき問いである。しかしながら、自由で公正な選挙が最早行われなくなってしまっていたというのに、その答えをどうやって知ったらいいのだろう? ナチスが政権を握って以降も、選挙はちょくちょく行われた。国民からどれだけ愛されているか(支持されているか)を見せつけるためにである。しかしながら、その選挙というのは、自由でもなければ公正でもなかった。投票ブースの前には突撃隊のメンバーが立っていて、有権者は監視されながら票を投じるように迫られた。誰にも見られずに票を投じるのも可能といえば可能だったが、冷ややかな目を差し向けられた。無効票が(政権への)賛成票としてカウントされるのもしばしばだった。高齢で体が弱い有権者も投票所まで連れて行かれた。いくつかの郡では、有権者に手渡す前に投票用紙に印(しるし)をつけておいて、誰がどんな票を投じたかが辿れるようになっていた。ナチス(国家社会主義党)の得票率は概して極めて高かったが、1933年11月の総選挙をはじめとしてその後の選挙での得票率通りに国民の9割以上が漏れ無く(もれなく)ナチス政権を本気で支持していたなんて語るのは馬鹿げているだろう。有権者のうちでどのくらいの割合がナチス政権を本気で支持していたかを(ナチスが政権を握って以降に行われた選挙での)ナチスの得票率から突き止めることなんてできないのだ。

そこで、ナチスがどれだけ支持されていたかではなく、どれだけ支持されていなかったかに目を向けてみるとしよう。具体的には、それぞれの郡ごとに政権への不支持率が時とともにどう変わったかに分析を加えてみるとしよう。いずれかの郡で政権への不支持率が国全体の趨勢を凌駕する勢いで減ったとしたら、その郡で政権への支持に変化が起きた証拠と見なすことができるだろう。このような角度から分析を加える理由は、選挙区ごとに重要な違いが見られるからである。例えば、ヒトラーが国家元首として権力を大幅に強めることにつながった1934年8月の国民投票では、アーヘン市の有権者の24%が(ヒトラーが首相に加えて大統領職も兼ねることに) 反対票を投じている。その一方で、ニュルンベルク市で反対票を投じた有権者の割合は4.6%に過ぎなかったのだ。

きちんと似たもの同士を比較する必要があるので、前後二回の投票――1933年11月の総選挙および1934年8月の国民投票――で政権への不支持率がどう変わったかを調べてみるとしよう。1933年11月に行われた総選挙では、国会での議席が争われた。出馬したのは、ナチス(国家社会主義党)に属する候補者のみだった。ヒンデンブルグ大統領の死去に伴って行われたのが、1934年8月の国民投票である。ヒトラーが首相と大統領を兼ねることに同意するかどうかが問われたのである。


高速道路の建設はいかなる効果を持ったか?

いずれかの区間(高速道路)が建設中だった郡と、新たに高速道路が建設されずにいた郡とでどういう違いが見られたか? 国全体をひっくるめた趨勢としても1933年11月から1934年8月までの間に政権への不支持率は低下したが、いずれかの区間が建設中だった郡ではその下げ幅がより大きかった。政権への不支持率の増減の分布をまとめたのが以下の図2である。いずれかの区間が建設中だった郡での結果(政権への不支持率の増減)の分布をまとめたのが点線、高速道路が建設されずにいた郡での結果の分布をまとめたのが実線である。一見してすぐわかるように、いずれかの区間が建設中だった郡の方が政権への不支持率の下落幅が大きい傾向にある。点線で描かれた曲線(分布曲線)の方が左側に位置しているのだ。


図2. 政権への不支持率の増減幅(1933年11月~1934年8月)


統計的な解析を試みたところ、1933年11月から1934年8月までの間に、政権への不支持率がかなりの勢いで下落していることが見出された。高速道路が建設されずにいた郡を平均すると、政権への不支持率の下落幅は1.5ポイント(1.5パーセントポイント)。それに対して、いずれかの区間が建設中だった郡を平均すると、政権への不支持率の下落幅は2.4ポイント(2.4パーセントポイント)。高速道路が建設されずにいた郡と比べると、いずれかの区間が建設中だった郡では、平均して6割増しの勢いで政権への不支持率が下落したのだ。

問題は、高速道路の建設が「原因」(政権への不支持率を下落させた原因)だったと言えるのかということである。もしかしたら、どういうわけだか政権寄りになりつつあった(政権への支持を強めつつあった)郡にご褒美(ほうび)のつもりで高速道路を建ててやったってだけなんじゃなかろうか? 忠実な僕(しもべ)に見返りとしてご褒美でもやるつもりで。そのあたりがどうだったかを探る(より厳密に因果関係を推定する)ために、二通りの検証を試みた。

  • 第一に、いずれかの区間が建設中だった選挙区で政権への不支持率の下落幅がより大きかったのは、1933年11月時点での政権への不支持率が異様に高かったせいかどうかを検証してみたが、そうじゃなかったという結果が得られた。
  • 第二に、1933年よりも前に練り上げられていた構想――自動車道路研究会(STUFA)による高速道路網構想――との異同に着目した。1933年以降にナチスによって建設が進められた区間と、1920年代に練り上げられていた構想に盛り込まれていた区間とを突き合わせてみたら、ナチスがご褒美のつもりで高速道路を建ててやった(政権寄りになりつつあった郡にご褒美のつもりで高速道路を建ててやった)かどうかを実証的に検証できるかもしれない。1920年代に練り上げられていた構想通りに(1933年以降になって)建設された区間に関しては、ナチスがご褒美のつもりで建ててやったという可能性は薄そうだ。その一方で、1920年代に練り上げられていた構想には盛り込まれていなかったのに1933年以降になって建設された区間に関しては、ナチスがご褒美のつもりで建ててやった可能性もあり得そうだ。


高速道路の建設がそれぞれの郡(選挙区)に及ぼした効果(政権への不支持率をどれだけ下落させたか)をまとめたのが以下の図3である。すべての郡(901郡)を二つのグループに分けて、1933年以降にいずれかの区間(高速道路)が建設中だった郡と、高速道路が建設されずにいた郡とで(1933年11月から1934年8月までの間に)政権への不支持率がそれぞれどのくらい下落したかを表しているのが、一番左の対(つい)になっている棒グラフである。いずれかの区間が建設中だった選挙区の方が1ポイント(1パーセントポイント)近い差で(政権への不支持率の下落幅がその差の分だけ大きいという意味で)有権者の「変心」が多くなっている。1920年代に練り上げられていた構想で高速道路が横切る予定になっていた郡(400郡)を対象に、同様の分析を加えた結果をまとめた――1933年以降に構想通りに高速道路の建設が進められた郡と、構想通りにいかなかった(高速道路が建設されなかった)郡とで、政権への不支持率がそれぞれどのくらい下落したかを表した――のが真ん中の対になっている棒グラフだが、すべての郡(901郡)を対象に分析を加えたケースとほぼ同じような結果が得られている。すなわち、1920年代に練り上げられていた構想で「技術的な理由に照らしても経済的な理由に照らしても、高速道路を建てるならこのあたりがいい」と白羽の矢が立てられた郡(400郡)同士を比べても、高速道路の建設に伴う効果の大きさ――高速道路が建設中かどうかによって、政権への不支持率の下落幅に生まれる差――は、すべての郡(901郡)が対象の先のケースと同じくらいなのである。1920年代に練り上げられていた構想では高速道路が横切る予定になっていなかった498郡を対象に、同様の分析を加えた結果をまとめたのが一番右の対になっている棒グラフである。「ナチスによるご褒美」仮説が成り立つようなら――政権寄りになりつつあった郡にご褒美のつもりでナチスが高速道路を建ててやったのだとしたら――、高速道路の建設に伴う効果が先の二つのいずれのケースよりも大きくなりそうなものだが、そうはなっていない。むしろ、(1920年代に練り上げられていた構想で高速道路が横切る予定になっていた400郡が分析対象の)真ん中のケースよりもその効果は小さいのだ。言い換えると、ナチスが独自の判断で建設に踏み切った区間が横切る郡では政権への支持がどこよりも高まったかというと、そうはなっていないのだ。結論をまとめると、すべての郡(901郡)が分析の対象になっている一番左のケースであのような結果になっている――高速道路が建設中かどうかによって、政権への不支持率の下落幅に差が生まれている――のは、ナチスがご褒美のつもりで高速道路をどこに建てるかを戦略的に決めたせいだとはどうも言えなさそうなのだ。



図3. 高速道路の建設が政権への不支持率に及ぼした効果


さらには、同じ郡の中でも建設中の区間が近くにあった(その区間との距離が近かった)選挙区ほど、政権への不支持率の下落幅が大きいことも見出されている。言い換えると、建設中の高速道路から距離的に隔たっていた選挙区ほど、「変心」する有権者が少なかったのである。


高速道路の建設が政権への支持を高めたのはなぜなのか?

ナチス政権は、景気刺激策として高速道路の建設を何よりも優先した。高速道路の建設によって60万人の雇用を生む目論見だったが、実際には最大で12万5千人の雇用が生み出されるにとどまった。最近の研究によると、高速道路の建設がマクロ経済(ドイツ経済全体の景気)に及ぼした効果は些細なものだったという結果が得られている(Ritschl 1998)。高速道路が建設されたおかげで交通の便がよくなって得をしたかというと、それも大したことはなかったようである。当時のドイツは、自家用車の所有率がヨーロッパで最下位だったからである(Evans 2006)。

とは言え、高速道路の建設が界隈の町や村をそれなりに潤した(うるおした)可能性はある。高速道路を建設するために雇われた作業員たちは、当初のうちは高速道路が建設されている周辺の町や村にある民家にお世話になったが、しばらくして付近にバラックが建てられるとそこに住まった。作業員たちは、その地にある宿屋や売店でお金を落とした。さらには、映画の鑑賞会を取り仕切りもした。そのおかげで、高速道路が建設されている周辺の町や村はちょっとした観光スポットになった。週末の旅行先として賑わったのである(Eichner-Ramm 2008)。

現代の民主主義国で選挙が近づくにつれて財政出動が試みられる(歳出が拡大されたり減税に踏み切られたりする)という「政治的予算循環」現象が引き起こされるのは、現職の政治家が己の力量を示さなくちゃという思いに駆られるせいかもしれない。それと同じように、アウトバーンの建設は、ナチス政権の力量を示す説得力のある証拠という役割を担ったと言えよう。ヒトラーがアウトバーン計画をぶち上げた演説で宣した(せんした)如く、新しい政権にはとめどないエネルギーと抜群の組織力が備わっていることをまざまざと見せつけようとしたのだ。アウトバーンの建設こそがドイツ経済の再生を引き起こした主因なのだと喧伝されたのに加えて、1933年以降に失業者が急速に減ったこともあり、アウトバーンの建設は「功を奏した」という思いが多くの国民によって共有された。「ワイマール時代の政府は、無能で右往左往してばかりいた」と苦々しく思っていた多くの国民は、高速道路がちゃっちゃと(素早く)建設される光景にびっくりして感動したに違いない。プロパガンダの流布に励んだ宣伝省は、国民の想像の中で高速道路とヒトラーとが一つに溶け合うようにあれこれと骨を折った。例えば、出来上がった道路を「総統の道」と名付けたりした。ヒトラーの人気に便乗してアウトバーンの評判を高めようとしただけでなく、同時にヒトラーの人気をさらに高めようともしたのだ。アウトバーンの建設というナチス政権の成果は、国中(くにじゅう)の有権者の投票行動に影響を及ぼしたろうが、新たに高速道路が建設されている最中の郡に住んでいてその様を目撃した有権者にとりわけ強い印象を与えたろう(Gennaioli&Shleifer 2010)。


結論

政権を握ったナチスが前例のない罪を犯さないでいるうちは、ドイツ国内でのその人気ぶりはそれはもう相当なものだった(Evans 2006)。多くの歴史家が指摘しているところによると、政権への支持を高める役割を果たした要因のうちの一つがアウトバーンの建設だったという。1933年から1934年までの間に行われた総選挙なり国民投票なりの結果を具に(つぶさに)調べたところ、そうかもしれない可能性が浮上してきた。アウトバーンの建設が有権者の投票行動に及ぼした効果を特定するために、ナチスによって建設された高速道路網の地理的な分布(どの区間がどこをどう横切ったか)に関する細かなデータを利用して、1933年11月から1934年8月までの9カ月の間に有権者の「変心」がどのくらい起きたかに分析を加えたところ、「総統の道」が横切ることになった郡(選挙区)で政権への不支持率がかなりの勢いで下落した――「総統の道」が横切らなかった郡(選挙区)と比べて、政権への不支持率の下落幅がずっと大きかった――ことが見出されたのである。

高速道路が建設されたおかげでその界隈が経済的に潤ったのも政権への支持を高める一因となった可能性はあるが、些細な一因というに過ぎなかったろう。それ以上に重要だったのは、新たに建設された高速道路が政権の力量を示す目に見える証拠となったことである。「ドイツを再起させる」という約束を果たせるだけの実行力が政権に備わっていることを示す目に見える証拠となったことである。ナチスが政権を握ってから数カ月しか経っていない段階で、壮大な高速道路網計画が実行に移された。100を超える郡を横切るかたちで、17の区間が国内のあちこちで同時進行で建設された。すなわち、高速道路の建設が着々と進んでいるのを目撃した多くの国民にまざまざと見せつけたのである。新しい政権には約束を果たせるだけの実行力が備わっていることを。

政権の手柄を吹聴する巧みなプロパガンダも加勢して、アウトバーンの建設は多くのドイツ国民のココロとアタマを掴むのに成功したのだった。いや、感銘を受けたのはドイツ国民だけじゃなかった。第二次世界大戦の終盤にドイツに足を踏み入れたアメリカ陸軍の士官の中にも、アウトバーンの利便性に心を打たれた人物がいた。ドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)である。 帰国してからしばらく経って(1953年に)大統領に就任したアイゼンハワーは、アメリカにも高速道路網(州間高速道路網)を整備するべく腰を上げたのである。


<参考文献>


●Berman, Eli, Jacob N. Shapiro, and Joseph H. Felter (2011), “Can Hearts and Minds Be Bought? The Economics of Counterinsurgency in Iraq”, Journal of Political Economy 119 (4): 766–819.
●Eichner-Ramm, Britta (2008), 70 Jahre Autobahn Göttingen – Kassel: Zeitzeugen berichten. Göttinger Tageblatt-Verlag.
●Evans, Richard J. (2006), The Third Reich in Power. Penguin.
●Feldman, Paul, and James Jondrow (1984), “Congressional Elections and Local Federal Spending”, American Journal of Political Science 28: 147–64.
●Gennaioli, Nicola, and Andrei Shleifer (2010), “What Comes to Mind”, The Quarterly Journal of Economics 125 (4): 1399–1433.
●Levitt, Steven D., and James M. Snyder (1997), “The Impact of Federal Spending on House Election Outcomes”, The Journal of Political Economy 105 (1): 30–53.
●Manacorda, Marco, Edward Andrew Miguel, and Andrea Vigorito (2011), “Government Transfers and Political Support”, American Economic Journal: Applied Economics 3 (3): 1–28.
●Ritschl, Albrecht (1998), “Reparation Transfers, the Borchardt Hypothesis and the Great Depression in Germany, 1929–32: A Guided Tour for Hard-Headed Keynesians”, European Review of Economic History 2 (1): 49–72.
●Stein, Robert, and Kenneth N. Bickers (1994), “Congressional Elections and the Pork Barrel”, Journal of Politics 56: 377–99.
●Vahrenkamp, Richard (2010), The German Autobahn 1920-1945: Hafraba Visions and Mega Projects. BoD – Books on Demand.
●Voigtländer, Nico, and Hans-Joachim Voth (2012), “Persecution Perpetuated: The Medieval Origins of Anti-Semitic Violence in Nazi Germany”, The Quarterly Journal of Economics 127 (3): 1339–92.
●Voigtländer, Nico, and Hans-Joachim Voth (2014), “Highway to Hitler”, CEPR Discussion Paper No. 9983.

2022年11月1日火曜日

Sascha O. Becker&Ludger Woessmann「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日)

Sascha O. Becker&Ludger Woessmann, “Religion matters, in life and death”(VOX, January 15, 2012)

 
宗教は、自殺という重大な決断に何らかの影響を及ぼすだろうか? 19世紀のプロイセンのデータを用いて検証したところ、プロテスタント教徒の割合が高い地区(郡)では、カトリック教徒の割合が高い地区(郡)においてよりも自殺率がずっと高い傾向にあり、プロテスタンティズムこそが自殺率を高めている原因であるとの結果が得られた。経済学的なモデル(合理的選択理論)の助けを借りれば、プロテスタンティズムがなぜ自殺率を高めることになるのかを理解する手掛かりを得ることができる。

フランスの社会学者であるエミール・デュルケームが1897年(!)に物した古典の一つである『自殺論』を紐解くと、プロテスタンティズムと自殺との間に強いつながりがあることを示唆する一連の統計数字が提示されている。プロテスタントの国ではカトリックの国においてよりも自殺率が高いというデュルケームの指摘は「社会学の分野における数少ない法則の候補として広く受け入れられるまでになっている」(Pope and Danigelis 1981)。

カトリックの国々と比べると、プロテスタントの国々では、自殺率が随分と高い傾向にあるというのは現在においても依然として当てはまる話であり、宗教と自殺との間にどのような関係が見られるかを探ることは、今もなお極めて重要なトピックだと言えるだろう。毎年世界中でおよそ百万人もの人々が自ら命を絶っており、若者の間では自殺が死因のトップであることを考えると、なおさらそうである(World Health Organisation 2008)。あちこちで頻発する自殺は、人々の感情に対してだけではなく、社会全体や経済全体に対しても広範な影響を及ぼしており、政府も自殺の予防に向けて数々の対応に追われているのが現状である。


自殺に関する経済学的なモデル

自殺の問題に経済学的な観点から切り込んだ研究は既にいくつもあるが(例えば、Hamermesh and Soss(1974)や Becker and Posner(2004)を参照せよ)、そういった一連の研究においては、自殺は生と死との間の選択問題の一つとして定式化されている。今後も生き続けることで得られる(と期待される)効用と、人生に終止符を打つ(命を絶つ)ことで得られる(と期待される)効用〔訳注;「命を絶つことで得られる効用って何だ?」と疑問に思われるかもしれないが、ここでは死後の世界の存在が想定されている。死んだ後に運良く天国に送られて、そこで喜びに満ち溢れた生活を過ごすことができるかもしれないと信じられている場合、人生に終止符を打つ(命を絶つ)ことで得られる(と期待される)効用は、その人にとってプラスの値をとることになる〕とを比較して、前者が後者を下回るようであれば、自殺を選ぶことが(その人にとって)「最適な」選択であるという話になるわけだ。

我々の最新の研究(Becker and Woessmann 2011)でもそのような(自殺に関する経済学的なモデルの)従来の枠組みを踏襲しているが、それに加えて三つのメカニズムを考慮に入れることで、プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い(自殺率が高い)との理論的な予測を導き出している。一つ目のメカニズムは、デュルケームも指摘しているものだが、プロテスタントとカトリックとの間の宗教組織としての構造の違いに由来するものである。具体的には、プロテスタントの方がカトリックよりも宗教組織として見た場合に個人主義的な色彩が強い。生きていく中で困難にぶつかったとしても、カトリック教徒は凝集性が相対的に高い(結束が強い)組織(ないしは宗教コミュニティー)に頼ることができ、そのためもあって(何らかの困難にぶつかったとしても)魂がこの世にとどまる(自殺せずに生き続けることを選ぶ)可能性もそれだけ高まることになると考えられるのだ。

我々の研究では、デュルケームも指摘している上記の社会学的なメカニズムに加えて、プロテスタントとカトリックとの宗教上の教義の違いにも着目しているが、この違いもプロテスタント教徒の自殺傾向をカトリック教徒よりも高める方向に働くことになる。まずは二つ目のメカニズムから取り上げることにしよう。プロテスタントの教義では、ある人物が救済されるか否かは神の恩寵だけによって決められ、その人物がこの世でどれだけ善行を積んだかによっては左右されない点が強調されるが、カトリックの教義では、ある人物の救済をめぐる神の判断が、その人物がこの世でどのような行いをし、どのような罪を犯したかによって影響される余地が残されている。自殺という大罪を犯せば、救済の可能性は遠ざかり、死後に天国で過ごす道が閉ざされることになってしまうのではないか。カトリック教徒は、そのように考えて、自殺を思いとどまることになるかもしれない〔訳注;カトリック教徒にとっては、自殺という行為は、人生に終止符を打つ(命を絶つ)ことで得られる(と期待される)効用を低下させる効果を持っている。自殺という大罪を犯すことで、死後に天国に行ける可能性が低下するかもしれないからである。その一方で、プロテスタント教徒の場合は、自殺という大罪を犯しても、人生に終止符を打つ(命を絶つ)ことで得られる(と期待される)効用に変化が生じることはない。自分が天国に行けるかどうかは、自殺したかどうかによって影響されないと考えられているからである〕。

最後に三つ目のメカニズムである。カトリックの教義では、罪の告白(懺悔)は(七つの)秘跡(サクラメント)の一つに数え上げられているが、プロテスタントの教義ではそうなっていない。当然のことながら、自殺は数ある罪の中でも、生きているうちに告白のしようがない唯一の罪である。そのため、絶望のどん底に陥ったカトリック教徒は、(生前に告白のしようがない罪である)自殺に踏み切る代わりに、(酒浸りの生活を送ったり、犯罪に手を染めたりといった)その他の(告白して赦しを得られるかもしれない)罪を犯すことを選ぶかもしれない(罪の告白が持つ代替効果)〔訳注;罪の告白によって天国に行ける可能性がある程度左右されるとすれば、カトリック教徒にとっては、(何らかの罪を犯すのであれば)告白の可能性が残されている罪を犯そうとするインセンティブがあることになる。告白のしようがない自殺という大罪を犯すよりも、告白の可能性が残されている罪を犯した方が、人生に終止符を打つ(命を絶つ)ことで得られる(と期待される)効用の低下が軽微で済むからである〕。

まとめよう。宗教が自殺をめぐる選択にどのような影響を及ぼすかを理解する手掛かりを得るために、「合理的選択」理論に助けを求めたわけだが、①プロテスタントとカトリックとの間の宗教組織としての構造の違い(凝集性の違い)、②人間のこの世での行いが神の恩寵に及ぼす影響に関する教義上の見解の違い、③自殺という罪を告白することは不可能だという事実、という三点をモデルに組み込んだところ、プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺に踏み切る可能性が高いとの理論的な予測が導き出されることになったのである。


19世紀のプロイセンのデータは何を物語っているか?

次に、実際のデータを用いて理論的な予測の妥当性を検証する必要があるが、我々の研究では、19世紀のプロイセン(王国)のデータに目を向けている。なぜ19世紀のデータに目をつけたかというと、デュルケームが『自殺論』の中でカバーしている時期が19世紀だからというのもあるが、当時は宗教が今よりも(ほぼすべての人がいずれかの宗派に属しており、宗教が生活のあらゆる面に浸透していたという意味で)広く普及していたからでもある。なぜ19世紀のプロイセンを選んだかというと、当時のプロイセンでは、プロテスタントもカトリックもいずれも少数派ではなかったことに加えて、それぞれの教徒が政治制度や裁判制度、言語や文化を同じくする州で共存して生活を営んでいたからでもある。

我々は、当時のプロイセン王国の公文書が保管されているアーカイブに足を運んだが、そこにはプロイセン統計局が収集し、それぞれの地区の警察当局が厳重に管理していた1869年から1871年までのデータが残されていた。452の郡すべて〔訳注;当時のプロイセンでは、最大の行政単位としてまず州(全部で11州)があり、それに次いで県(全部で35県)、そして最後に郡(全部で452郡)が続くという格好になっていた〕のデータが揃っており、その中には自殺の発生件数のデータも含まれている。さらには、1871年に実施された国勢調査のデータも残されていたが、その中には、(それぞれの教徒が人口に占める割合をはじめとした)宗教に関する情報だけではなく、識字率や経済発展の度合い等に関する情報も含まれている。

プロテスタンティズムが自殺に対してどのような効果を持つかを実証的に跡付ける上では、厄介な困難が控えている。自殺傾向が高い性格の持ち主がプロテスタント教徒になることを選んだという可能性があるのだ〔訳注;プロテスタント教徒の自殺率が高いという事実(あるいは、プロテスタント教徒が多く住む地域ほど自殺率が高いという相関関係)が仮に見られるとしても、プロテスタンティズムには自殺傾向を高める効果がある(プロテスタンティズムが自殺率を高めている原因だ)とは必ずしも言えない。例えば、元々自殺傾向が高い人がプロテスタンティズムに引き寄せられてプロテスタント教徒になっている可能性があるからである。この研究では、操作変数法と呼ばれる手法を使って因果の向き(プロテスタンティズムが自殺率を高めている原因だとの因果関係)の推定が試みられている〕。しかしながら、今回のケースに関しては、この点はそれほど問題とはならないだろう。というのは、当時のプロイセンでは、個人が宗派を変える例はほとんど見られなかったし、郡ごとの宗派の違いは、何世紀も前にその界隈を統括していた統治者の決定に遡ることができるからである。とは言え、何の手も打っていないわけではない。因果の向きをできるだけ正確に特定するために、我々の論文では、宗教改革後にプロテスタンティズムが(マルティン・ルターが活躍した町である)ヴィッテンベルクを中心として同心円状に広がっていったという歴史的な事実に目をつけている。それぞれの郡とヴィッテンベルク間の距離を操作変数として用いることで、因果の向きをできるだけ正確に特定しようと試みたのである。

宗教改革の波は、ヴィッテンベルクを中心として同心円状に広がっていったわけだが、その事実を反映して、ヴィッテンベルクに(距離的に)近い郡ほどプロテスタント教徒が住民全体に占める割合は高くなっている。さらには、ヴィッテンベルクに近い郡ほど、自殺率も高くなっている(図1を参照)。図2をご覧いただきたいが、プロテスタント教徒が占める割合が高い郡ほど、自殺率も高いというはっきりとした傾向が確認できる。住民すべてがプロテスタント教徒である郡の自殺率の平均をとると、住民すべてがカトリック教徒である郡のそれを大幅に上回っている。宗派ごとの自殺率の違いは量的に見てかなりのものである。プロテスタント教徒の自殺率(年平均値)は、人口10万人あたり18人となっており、カトリック教徒の自殺率のおよそ3倍も高い数値となっているのだ。

図1 プロイセンにおける郡ごとの自殺率の分布(1869年~1871年までの期間における自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)の年平均値)

出典:Becker and Woessmann (2011)


図2 プロテスタンティズムと自殺率との関係(1871年時点での郡ごとのプロテスタント教徒の割合と1869年~1871年までの期間における自殺率の年平均値)

出典:Becker and Woessmann (2011)


以上のような結果は、郡ごとの経済発展の度合いの違いや識字率の違い、天候条件の違い、メンタル面の健康に問題を抱えている住民の割合の違い等々といった要因を考慮しても、揺るがずに成り立つことが見出されている。過小報告の可能性〔訳注;実際は自殺で命を失っているにもかかわらず、死因が(例えば事故死と)偽って報告される可能性〕や特定の宗派の集中度(それぞれの郡で異なる教徒がどれだけ混在しているか)の違いが持つ効果、生態学的誤謬の可能性を考慮しても、どうやら結果は左右されないようである。さらには、1816年のデータでも同様の検証を試してみたが、やはり同様の結果が得られている。


プロテスタンティズムがプロテスタント教徒の福利に及ぼす多様な効果

今回新たに判明した結果によると、プロテスタンティズムは(自殺率を高める可能性があるという意味で)好ましくない効果を持つ可能性があるわけだが、その一方で、プロテスタンティズムには好ましい効果が備わっている可能性もある。我々二人のかつての共著論文(Becker and Woessmann 2009)で示されているように、プロテスタンティズムは、人的資本の蓄積を促すことで、大多数の教徒(プロテスタント教徒)の収入を増やす(生活水準を高める)効果を持っている可能性があるのだ。その一方で、今回新たに判明した結果によると、プロテスタンティズムは、不幸極まりない境遇に置かれた一部の教徒(プロテスタント教徒)の自殺傾向を高める可能性を持っているわけだ〔訳注;プロテスタンティズムは、(今後も生き続けることで得られる(と期待される)効用を低下させる効果を持つという意味で)人を不幸にするという意味ではないことに注意されたい。何らかの原因(失業や失恋、親しい人との死別等々)で、今後も生き続けることで得られる(と期待される)効用が大幅に低下した場合に、プロテスタント教徒はカトリック教徒に比べると自殺を選ぶ可能性が高いという意味である〕。プロテスタンティズムに備わるこのような相反する二つの側面は、ひょっとすると、いわゆる「ダークコントラスト・パラドックス」(“dark-contrasts paradox”)――幸福度が高いにもかかわらず自殺率も高い地域が数多く見られることはよく知られているが、そのような逆説的な現象の背後には、他者との比較を通じて自らの境遇を判断する人間の特性が潜んでいる可能性がある(Daly et al 2011)――とも関係してくるかもしれない。ともあれ、宗教は、生と死のどちらの面でも重要な役割を果たしていることだけは明らかだと言ってよいだろう。


<参考文献>


●Becker, Gary S, and Richard A Posner (2004), “Suicide: An economic approach“(pdf), Mimeo, University of Chicago.
●Becker, Sascha O, and Ludger Woessmann (2009), “Was Weber wrong? A human capital theory of Protestant economic history“, Quarterly Journal of Economics, 124(2): 531-596.
●Becker, Sascha O, and Ludger Woessmann (2011), “Knocking on Heaven’s Door? Protestantism and Suicide”, CEPR Discussion Paper 8448, Centre for Economic Policy Research.
●Daly, Mary C, Andrew J Oswald, Daniel J Wilson, and Stephen Wu (2011), “Dark contrasts: The paradox of high rates of suicide in happy places“, Journal of Economic Behavior and Organization, 80(3): 435-442.
●Durkheim, Émile (1897), Le suicide: étude de sociologie, Félix Alcan (Suicide: A study in sociology, translated by John A Spaulding and George Simpson, Glencoe, The Free Press, 1951)(宮島 喬(訳)『自殺論』).
●Hamermesh, Daniel S, and Neal M Soss (1974), “An economic theory of suicide“, Journal of Political Economy, 82(1): 83-98.
●Pope, Whitney, and Nick Danigelis (1981), “Sociology’s “one law”“, Social Forces, 60(2): 495-516.
●World Health Organization (2008), Preventing suicide: A resource for media professionals, World Health Organization and International Association for Suicide Prevention.

2015年2月5日木曜日

Jonathan Portes 「『ケインジアン』ってどういう意味?」(2012年2月7日)

Jonathan Portes, “Fiscal policy: What does ‘Keynesian’ mean?”(VOX, February 7, 2012)

「ケインジアン」ってどういう意味なのだろうか? 経済学のその他の用語と同様に、「ケインジアン」という用語も政争の具にされてしまっている。そのせいで政策論争がいたずらに紛糾していて、何百万もの雇用が失われる羽目になってしまっているのだ。

少しばかり私の個人的な経歴に触れさせてもらうとしよう。1987年にイギリスの大蔵省で職を得た後、経済学を学ぶために一時的にプリンストン大学の門を叩いた。そこではロゴフ(Kenneth Rogoff)やキャンベル(John Campbell)から教えを受けたが、その後は再びイギリスに戻った。2008年に金融危機が勃発した時には、内閣府で首相に経済政策についてアドバイスを送る任務に就いていた。これまでを振り返ると、自分のことを「ケインジアン」と考えたことが一度もなかったことに気付く。ケインジアンかどうかを問うことに、そもそも意味がなかったのだ。物理学者に対してニュートン主義者かどうかを問うようなものだったのだ。ケインズは偉大な存在であり(20世紀のイギリスを代表する最も偉大な経済学者の一人であることは間違いない)、彼の洞察を理解せずしてマクロ経済学を理解することはできなかったのである。しかしながら、常にそうだったわけではない。

2008年に金融危機が勃発するまでのイギリス大蔵省では、財政政策の重要性は否定されてはいなかったものの、総需要を管理するために財政政策を微調整するのは――実行面でのいくつかの困難もあって――賢明ではないという意見が大勢だった。金融政策の方が小回りが利くし、透明性も高いし、政治的な圧力によって歪みが生じるおそれが小さいと考えられていた。このような見解に対して理論的な後ろ盾を与えたのが、ナイジェル・ローソン(Nigel Lawson)が1984年に行ったかの有名なメイズ講演である。当の私もこの見解を全面的に支持していた。

しかしながら、2008年に金融危機が勃発して以降は、事情が少々複雑になっている。そこで、問わなくてはいけない。「ケインジアン」ってどういう意味なのだろうか? いくつかの定義を考えることができそうだ。


定義<その1>

時計の針を1930年代まで戻すと、ケインズは、いわゆる「大蔵省見解」(“Treasury View”)に決然と異を唱えた――「大蔵省見解」は、「供給はそれ自らの需要を生み出す」と説く「セイの法則」と同一視されることがあるが、それは些(いささ)か不正確だ。「大蔵省見解」をめぐる過去の論争の概要については、Quiggin(2011)を参照されたい――。 「大蔵省見解」によると、財政政策は、「会計上の恒等式」の制約ゆえに、総需要に影響を及ぼせないとされる。政府が支出を増やすためには、税金を徴収するか国債を発行するかして市中に出回っているお金を調達しなければならず、政府が支出に回せるお金が増えると民間部門でそれと同額だけ支出に回せるお金が減るというのである。さて、「ケインジアン」の定義<その1>のお出ましである。「財政政策は『会計上の恒等式』の制約ゆえに総需要に影響を及ぼせない」という言い分を受け入れないのが「ケインジアン」というわけである。シカゴ大学のジョン・コクラン(John Cochrane)が以下のように書いているが、この「ケインジアン」の定義が念頭にあるようだ(Cochrane 2009)。

まず第一に、お金が新たに発行されないようなら、市中に出回っているお金をどこかから調達してこなければならない。政府があなたから1ドルを借り入れたとすれば、その1ドルは消費に回されることもなければ、設備投資を行うための資金として企業に貸し出されることもない。つまりは、政府支出が増えるのと同じ額だけ民間部門で支出が減らねばならないのだ。政府支出が増えたおかげで新たに雇用が生まれたとしても、民間部門で支出が減るせいで別のところで雇用が失われることになるのだ。公共事業で道路を建設しても、民間部門で工場の建設が取り止めになる。財政刺激策によって道路も工場もどちらも建設することはできないのだ。このようにして「クラウディング・アウト」が発生するのは、会計上の必然的な帰結なのであり、経済主体の行動についてどんな想定を置いても結論は変わらないのだ。

読者もよくご存知だろうが、コクランのこの主張をきっかけにクルーグマン(Paul Krugman)やデロング(Brad Delong)を中心にしてネット上で激しい論争が巻き起こった。例えば、サイモン・レン=ルイス(Simon Wren-Lewis)は、「学部レベルの間違いを犯している」とコクランに対して手厳しい批判を加えている(Wren-Lewis 2012a)。デロングらが指摘しているように、しばらくしてコクランは当初の意見をいくらか引っ込めたようである(Cochrane 2012, Delong 2012)。アメリカでの学者間での論争はともかくとして、定義<その1>を「ケインジアン」の定義として採用するなら、私は紛れもなく「ケインジアン」である。しかしながら、この定義を採用するなら、誰もが皆「ケインジアン」ということになるだろう。現在のイギリス大蔵省も含めてだ。財政政策が「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼせないと本気で信じている人は、誰一人として――誇張でも何でもなく本当に誰一人として――いないのだ。


定義<その2>

もう少しもっともらしくて標準的な定義としては、財政政策が(理論的な可能性にとどまらずに)「実証的にも」(現実問題として)総需要にかなり大きな影響を及ぼすと信じているのが「ケインジアン」ということになろう(定義<その2>)。それとは対照的なのが、「リカードの等価定理」(“Ricardian equivalence”)を信奉する立場の人々である。「リカードの等価定理」によると、政府支出なり政府の借り入れなりが変化しても民間部門においてその変化を打ち消すような行動が引き起こされるので、総需要はほとんどないしは全く(まったく)影響を受けないとされる。最近になって唱えられ出した「拡張的な財政緊縮」(“expansionary fiscal contraction”)と呼ばれる考えはさらに踏み込んでいて、(財政再建を見据えた)財政緊縮策は総需要を刺激したり経済成長を加速させたりする可能性があるという。そうなるのは、為替レートが減価したり、民間部門における信頼感が改善したりするおかげだという。この説を流布するのに特に貢献したのが2009年に発表されたアレシナ&アルダーニャ論文(Alesina and Ardagna 2009)であり、その影響は(些細で一時的なものに過ぎないが)イギリス大蔵省にも及んでいる。例えば、2010年の緊急予算の中に次のような記述が見られる(HM Treasury 2010)。

財政再建を見据えた財政緊縮策は、総需要を刺激して、経済パフォーマンスの改善に寄与する可能性がある。ポジティブな効果がネガティブな効果を上回る可能性が大いにあるのだ。

私が知る限りでは、イギリス大蔵省がこのような見解を表明したのはこれ一度きりのようだ。それも頷(うなず)けるところである。というのも、これまでの実証研究によると、「拡張的な財政緊縮」説が説くのとは正反対の結果が得られているからだ。アレシナ&アルダーニャ論文に対しては多くの学者から疑問が呈されていて、IMF(国際通貨基金)の研究も異を唱えている。さらには何より重要なことに、「拡張的な財政緊縮」説を支持するような実証的な証拠がほとんど見当たらないのである。IMFがこの件についての通説を代表する立場だと言えるが、IMFは2010年10月の時点で次のように結論付けている。

財政再建は、短期的に経済成長を減速させる傾向にある。新たなデータを用いて検証したところ、対GDP比で1%に相当する規模の財政緊縮(財政赤字の縮小)が試みられると、それ以降の2年間に産出量(実質GDP)がおよそ0.5%落ち込み、失業率が3分の1パーセントポイント上昇する傾向にあることが見出された。

その後のIMFは、この結論をさらに強調するようになっている。例えば、つい先月のことだが、IMFのチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)は、次のように語っている。

「財政再建が総需要の足かせになるのは明らかだ。ということは、経済成長の足かせにもなるということだ。」(Blanchard 2012

定義<その2>を採用するにしても、私はやはり「ケインジアン」である。しかしながら、この定義によるなら、IMFの専務理事やチーフエコノミストも同じく「ケインジアン」である。イギリス大蔵省もだし、イングランド銀行もだし、イギリス予算責任局もだ。これらの機関のどのマクロ計量モデルにも財政乗数が組み込まれているし、これらの機関で働く上級職員の中で財政再建がイギリス経済の成長を鈍化させたことを公の文書で否定する者がいるとは思えない。例えば、2011年11月に開催されたイングランド銀行の金融政策決定会合の議事要旨(pdf)に目をやると、次のように述べられている。

GDPの伸びは一年を通じて弱々しかったが、その理由は、家計の実質所得が落ち込んでいること、資金の借り入れが困難な状況が続いていること、財政再建が長引いていることに求められるものと思われる。

定義<その3>

定義<その1>と定義<その2>のどちらを採用するにしても、私は間違いなく「ケインジアン」である。しかしながら、真面目に取り合うべき人たちのほぼすべても「ケインジアン」ということになるだろう。目下の政策論争の場において「ケインジアン」とそれ以外を区別するために用いられている定義は、これまでの2つに比べると「政治的」な色合いがずっと濃いようだ。「イギリス経済(あるいアメリカ経済)が置かれている現状を踏まえると、財政再建のペースを遅らせることが好ましい」と考えるのが「ケインジアン」だというのである(定義<その3>)。しかしながら、この定義は二つの理由で問題を抱えていると思う。まず第一に、「ケインジアン」という用語に何らかの意味を持たせるのであれば、特定の時期に特定の国で議論の対象になっている特定の政策についての立場を指し示すのではなく、もっと普遍的な意味を持たせるべきだろう。独自の哲学なり理論的な世界観なり――少なくとも、実証的な証拠を解釈する枠組みを提供する視座――を指し示す用語であるべきなのだ。

二つ目の理由はもっと重要である。「拡張的な財政緊縮」説の妥当性に疑問符が付いている今となっては、「財政再建のペースを遅らせるべきだ」と唱える陣営にしても、それに反対する陣営(「財政再建のペースを遅らせるのは、大きな危険を伴う過ちだ」と唱える陣営)にしても、財政再建のペースを遅らせたからといって景気に冷水が浴びせられるとは考えていない。財政再建のペースを遅らせると、政府に対するマーケットの「信頼」が損なわれて長期金利が跳ね上がるかどうかというのが争点になっているのだ。長期金利が急騰するリスクを避けるために、景気に冷水を浴びせてまで急いで財政再建に取り組むべきかどうかが争点になっているのだ。

長期金利が跳ね上がるリスクはかなり誇張されていると思うし、財政再建のペースを遅らせたとしたら社会なり経済なりにどんな損害が及ぶのかについて綿密に検討されているようにも思えないが(この点について詳しくは、Portes(2011a)およびPortes(2011b)を参照されたい)、どちらの陣営が正しいのかというのは今はどうでもいいのだ。両陣営の争いは、「ケインジアン」かどうかという区別とは全く(まったく)関係がないのだ。両陣営の争いには数々の問題が絡んでいるが――マーケットが合理性を欠いた振る舞いをしたらどう対処したらいいか、格付け機関の役割についてどう考えたらいいか、複数均衡の問題にどう対処したらいいか等々――、それらの問題について何らかの立場をとったからといって、「ケインジアン」に区別されるわけでもなければ、「反ケインジアン」に区別されるわけでもないのだ。

最後になるが、イギリス大蔵省に勤めていた時に身をもって学んだこととの絡みで指摘しておきたいことがある。私が勤めていた時もそうだったのだが、総需要が極めて低調であるようなら財政政策ではなく金融政策で対応すべきというのが、今でも大蔵省で広く支持されている見解である。この件については、ネット上でも盛んに議論になっている(とっかかりとしては、Economist(2012)をご覧になるといいだろう)。財政政策の役割についての私なりの態度は変わった。過去20年間にわたって大蔵省を支配していた見解――総需要を管理する上で財政政策に出る幕はないという見解――には、最早与(くみ)していないのだ。とは言え、財政政策に真っ先にご登場願うべきとは考えていないけれど――この点については、サイモン・レン=ルイスが優れた議論を展開しているので(特に最後から2番目のパラグラフ)、あわせて参照されたい(Wren-Lewis 2012b)――。

金融政策の方が総需要を管理するのに適しているという見解も理論的な裏付けがあったわけではなく、一種のプラグマティズム(pragmatism)にその根拠を持っていたが、私が態度を変えたのもそれと同じ事情ゆえである。総需要を刺激するのに金融政策だけで十分なのだとしたら、イギリス経済は今のような状況に陥っていないだろう。失業率が自然失業率の推計値を大きく上回っていて、近いうちに雇用情勢が改善される見込みが薄い今のような状況に陥っていないだろう。別の機会にも触れたが(Portes 2012)、今のような状況をもたらしている総需要管理策に合格点をあげることなど到底できないのだ。

私が態度を変えたのは、イデオロギー上の理由からではない。現実の世界(およびマクロ経済)が思っていた以上にずっと複雑であることを認識した結果なのだ。ブランシャールも同じ仲間のようだ。ブランシャール曰く(Blanchard 2011)、

金融危機後の世界は、まったく新しい世界である。政策決定者の目の前には、これまでとは大違いの光景が広がっている。この現実をまずは受け入れねばならない。・・・(中略)・・・マクロ経済政策(とりわけ財政政策と金融政策)が追い求めるべき目標の数は、一つではない。複数あるのだ。使える手段も一つではない。複数あるのだ。

プラグマティックであること。何事も疑ってかかること。現実の証拠という裏付けを求めること。マクロ経済政策のあるべき姿を探る時に心に留めておきたい戒め(いましめ)である。ケインズが今も生きていたら、同意してくれるだろう。


<参考文献>

●Alesina, Alberto F and Silvia Ardagna (2009), “Large Changes in Fiscal Policy: Taxes Versus Spending”, NBER Working Paper No. 15438, October.
●Blanchard, O (2011), “The future of macroeconomic policy”, blogpost, March.
●Blanchard, O (2012), “Driving the Global Economy with the brakes on”, blogpost, January.
●Cochrane, J (2009), “Fiscal Stimulus, Fiscal Inflation, or Fiscal Fallacies?”, University of Chicago webpage, version 2.5, 27 February.
●Cochrane, J (2012), “Stimulus and etiquette”, blogpost, January.
●Delong, B (2012), “John Cochrane says John Cochrane used to be a bullshit artist”, blogpost, January.
●Economist (2012), “The zero lower bound in our minds”, 7 January.
●Guajardo, J, D Leigh, and A Pescatori (2011), “Expansionary Austerity: New International Evidence”, IMF Working Paper 11/158, Research Department, International Monetary Fund.
●HM Treasury (2010), “Emergency Budget”.
●Lawson, N (1984), Mais Lecture.
●Leigh, D, P Devries, C Freedman, J Guajardo, D Laxton, and A Pescatori (2010), “Will it hurt? Macroeconomic effects of fiscal consolidation(pdf)”, World Economic Outlook, October, International Monetary Fund.
●Monetary Policy Committee (2011), Minutes(pdf), Bank of England.
●Portes, J (2011a) “The Coalition’s Confidence Trick”, New Statesman, August.
●Portes, J (2011b), “Against Austerity”, Spectator, October.
●Portes, J (2012), “The largest and longest unemployment gap since World War 2”, blogpost, January.
●Quiggin, J (2011), “Blogging the Zombies: Expansionary Austerity – Birth”, blogpost, November.
●Wren-Lewis, S (2012a), “Mistakes and ideology in macroeconomics”, blogpost, 10 January.
●Wren-Lewis, S (2012b), “The return of Schools-of-thought macro”, blogpost, 27 January.

2014年9月19日金曜日

Z. G. 「経済学者は世論に影響を及ぼせるか?」(2014年8月20日)

Z. G., “Economics for the masses”(Free exchange, August 20, 2014) 


堅物と思われていた経済学者たちが世間に顔を晒すようになっている。データジャーナリズムの隆盛も一因となって、「陰鬱な科学」の専門家たちが公共圏に進出してきているのだ。しかしながら、経済学者と世間とでは、その考えにしばしば大きなギャップがある。経済学者は、世人のハートを掴めるのだろうか? 世論を変えることができるのだろうか? それとも、世間に出回っている通念を正当化したり補強したりするために都合よく利用されるだけの存在に過ぎないのだろうか?

デューク大学に籍を置く二人の政治学者の共著論文(pdf)によると、経済学者は世論に影響を及ぼせるという。ただし、それもテクニカルな話題に限っての話だという。政治的に議論を呼びそうなホットな話題となると、経済学者は世論にそれほど影響を及ぼせないというのだ。この論文では、世間の人々が経済学者という専門家集団に対してどのようなイメージを抱いているかだけでなく、経済学者の間でコンセンサスが得られている問題――例えば、移民の受け入れだとか、金本位制への移行の是非だとか――について世間の人々がどのように考えているかが調査されている。さらには、「専門家のコンセンサス」の効果も探られている。世間の人々が「専門家のコンセンサス」を知ると自分の意見を変えるかどうかについてだけでなく、経済学者(という専門家集団)に対するイメージを見直すかどうかについても検証されているのだ。

その結果やいかに? まずは、悪い報せから取り上げるとしよう。経済学者の間でコンセンサスが得られている問題について意見を求めたところ、どの問題についても回答者の過半数――「わからない」と答えた人は除く――が経済学者と異なる意見を述べたという。さらには、経済政策が争点である場合に経済学者の意見を信頼すると答えたのは、回答者のうちのわずか59%。それも、その大半は「少しは信頼する」というに過ぎなかった。経済学者(という専門家集団)に対する不信感は、属性の如何を問わずどのグループにも広まっているが、その中でも経済学者(という専門家集団)を一番信頼していないのは、政治的に右寄りの意見の持ち主たちだったという。

しかしながら、良い報せもある。経済学者の間でのコンセンサス(「専門家のコンセンサス」)を知らされると、世間の人々はそれ(「専門家のコンセンサス」)に同調しがちになるというのだ。しかしながら、「専門家のコンセンサス」が持つ効果は、どんな問題について意見が問われるかによって違っている。 金本位制への移行の是非だったり今後の税収予測だったりのようなテクニカルな問題については、「専門家のコンセンサス」は世論を変える(世人の意見を変える)力を持っているが、中国との貿易問題だったり移民受け入れのメリットだったりのような政治的にホットな問題になると、「専門家のコンセンサス」が世論を変える可能性はずっと小さいという。そればかりではない。政治的にホットな問題について自分の意見が「専門家のコンセンサス」と食い違っているのを知ると、その人が経済学者に対して寄せる信頼の度合いが大きく低下する傾向にあったというのだ。その一方で、テクニカルな問題については、そのような結果は観察されなかった。テクニカルな問題について自分の意見と「専門家のコンセンサス」が食い違っているのを知っても、その人が経済学者に対して寄せる信頼の度合いは変わらない傾向にあったのである。政治的にホットでヒートアップしやすい問題については、経済学者は世間から都合よく利用されているだけなのかもしれない。世間の偏見にお墨付きを与えられるようなら意見を聞き入れてもらえるが、そうでなければ「信頼できない奴ら」という烙印を押されかねないのだ。

経済学者が公共政策に影響を及ぼす――望むらくは、公共政策を改善する――ためには、世論を納得させられるかどうかが肝心になってくる。どうすればいいだろう? どうすれば少しでもうまくいきそうだろうか? テクニカルな問題に絞って口を出すように自制するというのは得策でもないし、守れそうにもない。政治的にホットになりがちで、経済学者が有益なアドバイスを送れる問題というのは、それはもうたくさんあるからだ。しかしながら、政治的にホットな問題に口を出すにしても、テクニカルな面を強調して語るようにするといいかもしれない。例えば、「移民を受け入れよ!」と結論だけを述べるのではなく、移民を受け入れた場合に生じる便益の大きさを計測してその結果を伝えるようにしたら、世間から意見を聞き入れてもらえる可能性も高まるかもしれない。

2013年11月19日火曜日

Alan de Bromhead&Barry Eichengreen&Kevin O’Rourke 「1930年代の大恐慌下において極右勢力の台頭を支えた要因は何か?」(2012年2月27日)

Alan de Bromhead&Barry Eichengreen&Kevin O’Rourke, “Right-wing political extremism in the Great Depression”(VOX, February 27, 2012)
 
世界中を巻き込む経済危機が長引くにつれて、1930年代と同じように、政治的な過激主義が勢いを増すのではないかとの恐れが広がりつつある。①民主主義を採用してからの歴史が浅く、②極右政党が既に議会でいくつか議席を得ており、③新政党が議会で議席を獲得するハードルが低い仕組みの選挙制度が採用されているようだと、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性が高まる傾向にあるが、④景気の低迷が長く続く――不況が長期化する――ようだと、とりわけその危険性が高くなるようだ。

世界中を巻き込む格好になった今般の経済危機は、単に経済の次元にとどまらないインパクトを及ぼしている。例えば、次のような事例を挙げることができるだろう。
  • 代議制、大統領制のいずれの民主主義国家においても、政権与党が選挙で敗北を喫した。
  • 厳しい経済状況が一因となって、ナショナリストや右翼政党――その中には、現状の政治制度への敵意を包み隠さず露にしている勢力も含まれている――に対する支持が高まっている。
このまま厳しい経済状況が続くようなら、1930年代と同じように、政治的な過激主義が勢いを増すことになるのではないか。そんな恐れも広がりつつある。

1930年代の記憶は、現下の経済論議に対してだけではなく、現下の政治議論に対しても多くの示唆を与えている――例えば、Mian et al(2010)Giuliano and Spilimbergo(2009)〔拙訳はこちら〕を参照せよ――。しかしながら、戦間期に発生した大恐慌が当時の政治情勢(とりわけ、右翼の反体制派の台頭)にいかなる影響を及ぼしたかについては、これまでのところ系統的に検証されていないようだ。

そこで、今回我々は、第一次世界大戦が終結してから第二次世界大戦が勃発するまでの戦間期に行われた選挙の分析に乗り出し、反体制派の政党――我々の論文では、既存の政治制度の転覆を目的に掲げている政党を指して、「反体制派の政党」と定義している――への支持の変遷を追った(de Bromhead et al 2012(pdf))。反体制派の政党の中でも右翼の政党に焦点を合わせているが、その理由は、1930年代に行われた選挙ではっきりとしたかたちで躍進したのが右翼の側の反体制派だったからである。それは今も同じようだ。今般の経済危機下で最も躍進を遂げているのは、またもや右翼の過激派政党(極右政党)なのだ(Fukuyama 2012)。


1930年代に極右勢力が台頭したのはなぜか?

1930年代に政治的な過激主義が勢いを増した理由を探っている理論を分類すると、大きく5つのカテゴリーに分けることができる。
  • 第一のカテゴリー;過激派政党への支持が高まり、民主主義体制が動揺した原因を厳しい経済状況(景気の低迷)に求める理論(Frey and Weck 1983, Payne 1996)
二つ目のカテゴリーでは、社会内部における亀裂に強調が置かれている。
  • 第二のカテゴリー;民族、宗教、階級間の亀裂(cleavage)が社会全体でのコンセンサスの形成を困難にし、経済危機に対して社会全体が一丸となって立ち向かうのを妨げたとする理論(Gerrits and Wolffram 2005, Luebbert 1987)
第二のカテゴリーに沿った議論は、第一次世界大戦後のヨーロッパ情勢をテーマとする文献の中でよく顔を出す。第一次世界大戦後のヨーロッパでは、民族や宗教の違いが大して顧慮されずに、新たな国家が建設されたのだった。
  • 第三のカテゴリー;戦間期の政治情勢を形作った要因として、第一次世界大戦の遺産に注目する理論(Holzer 2002)
  • 第四のカテゴリー;政治制度や憲法の構造に着目する理論。政治制度や憲法の構造の違いによって、反体制派の政党が影響力を得やすいかどうかも違ってくるとする理論。
例えば、レイプハルトによると(Lijphart 1994)、小規模政党や新政党(新しく作られたばかりの政党)に対してその国の政治制度がどれくらい開かれているか――政治制度の開放度は、選挙に比例代表制が導入されているかどうか、選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率(閾値)がどれくらいかなどに基づいて測られる――が過激派政党の浮沈を決定づける重要な要因になるという。
  • 第五のカテゴリー;政治制度の安定性(耐久性)を決定づける重要な要因として、政治文化の役割に着目する理論(Almond and Verba 1989)
第五のカテゴリーに沿った議論では、民主主義の安定性を支える重要な要素として、「シビック・カルチャー(市民文化)」(‘civic culture’)に注目が寄せられる。シビック・カルチャーは、家庭/学校/コミュニティーを通じて世代を超えて伝播することになるが、民主主義それ自体に触れることによっても伝播が促されることになる。ペルソン&タベリーニの二人(Persson and Tabellini 2009)が主張するところによると、民主主義を採用してからの歴史が長い国ほど「デモクラティック・キャピタル」(democratic capital)の蓄積が進んでおり、そのおかげで国民が既存の政治制度を引き続き支持する可能性が高まることになるという。以上の議論からは、過激派勢力が大恐慌に乗じて勢いづきやすいのは、民主主義を採用してからの歴史が浅くて、デモクラティック・キャピタルの蓄積が貧弱な国においてということが示唆されよう。


我々の研究から得られた結果

我々の研究では、1919年から1939年までの間に28カ国で行われた計171の選挙が分析の対象になっている。対象国はヨーロッパに偏っているが、それは戦間期に行われた選挙がヨーロッパに集中していたためである。しかしながら、情報を得られた範囲で、北アメリカ、ラテンアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの選挙データも分析対象に含んでいる。我々の研究では、サルトーリ(Sartori 1976)に倣って、反体制政党(反体制派の政党)を「政権の交代ではなく、既存の政治制度の転換(転覆)を目指す政党」と定義している。反体制派として括られる右翼政党の例としては、ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP;ナチス)は言うまでもなく、ハンガリーの矢十字党(Arrow Cross)、ルーマニアの鉄衛団(Iron Guard)なんかを挙げることができよう。

我々の一番の関心事は、大恐慌が投票パターンにいかなるインパクトを及ぼしたかにある。すなわち、1929年以降に各政党の得票率がどのような変遷を辿ったかにある。我々なりに計量分析を試みてみたところ、大恐慌は、ファシストにとって追い風になったとの結果が得られた。さらには、大恐慌に喘(あえ)いだ国の中でも、1914年までに民主主義を採用していなかった国、1929年までにファシスト政党が議会でいくつか議席を得ていた国、 第一次世界大戦の敗戦国、1918年以降に国境線が書き換えられた国で、ファシスト政党の得票率の伸びが特に大きかった。

当時のドイツは、今挙げた特徴をすべて備えていて、ファシスト政党(ナチス)の得票率も大きく伸びたわけだが、我々が得た結果は、ドイツの経験に引きずられているのではないかと訝(いぶか)る人もいるかもしれない。ここでは細かいところまで触れられないが、「そんなことはない」とだけ答えておこう。

特筆しておくべきことがある。過激派勢力の浮沈を左右したのは、選挙が行われた年の経済のパフォーマンス――1年間の実質GDPの成長率――ではなく、数年にわたる経済のパフォーマンス――数年にわたる実質GDP成長率の累計――だったのだ。もっと適当な言い方をすると、景気の落ち込みの大きさ(深さ)こそが肝心な役割を果たしたのだ。景気の低迷が1年続いたぐらいでは、過激主義の台頭を招くには不十分だった。言い換えると、数年にわたって続いた不況――長期化した不況――こそが過激主義を大きく台頭させたのだ。

あれこれのコントロール変数――期間ダミー、都市化変数、閾値〔訳注;選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率〕など――を置いて回帰分析を行っても、異なる手法で計量分析を行っても、結果に変わりはないことが判明している。別の手法で行った回帰分析でも、景気の低迷が過激主義の台頭を招く効果は、ファシスト政党が1929年以前に既に議会で議席を得ていたり、民主主義を採用してからの歴史が浅い国で特に大きかった。我々が得た結果は、政治文化の役割を強調するアーモンド&ヴァーバの主張(Almond and Verba 1989)やデモクラティック・キャピタルの役割を強調するペルソン&タベリーニの主張(Persson and Tabellini 2009)――民主主義を採用してからの歴史が長い国ほどデモクラティック・キャピタルの蓄積が進んでおり、そのおかげで既存の政治制度に対する脅威を撥(は)ね付けられる可能性が高い――とも整合的だと言えよう。

最後になるが、反体制派の右翼政党が選挙で躍進できたかどうかは、その国の選挙制度の特徴によって左右されたことも見出されている。選挙で議席を獲得する上で最低限必要な得票率(閾値)が高くなるほど、泡沫政党が議席を得るのは難しくなるので、ファシスト政党が選挙で躍進できる可能性も低くなるのだ。


結論

我々の研究によると、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性は、それぞれの国が備えている特徴によって異なることが示唆されている。具体的には、
  • 民主主義を採用してからの歴史が比較的浅くて、
  • 極右政党が議会で既にいくつか議席を得ていて、
  • 新政党が議会で議席を獲得するハードルが低い仕組みの選挙制度が採用されている
ようだと、政治的な分裂が生じたり過激主義が台頭したりする危険性が高まる傾向にあるが、
  • 景気の低迷が長く続く――不況が長期化する――
ようだと、とりわけその危険性が高くなるようだ。


<参考文献>

 ●Almond, GA and Verba, S (1989, first edition 1963), The Civic Culture: Political Attitudes and Democracy in Five Nations (邦訳 『現代市民の政治文化-五カ国における政治的態度と民主主義』), London: Sage.
●de Bromhead, A, B Eichengreen and KH O’Rourke (2012), “Right Wing Political Extremism in the Great Depression”, Discussion Papers in Economic and Social History, Number 95, University of Oxford.
●Frey, BS and Weck, H (1983), “A Statistical Study of the Effect of the Great Depression on Elections: The Weimar Republic, 1930–1933(JSTOR)”, Political Behavior 5: 403–20.
●Fukuyama, F (2012), “The Future of History”, Foreign Affairs 91: 53–61.
●Gerrits, A and Wolffram, DJ (2005), Political Democracy and Ethnic Diversity in Modern European History, Stanford: Stanford University Press.
●Giuliano, P and A Spilimbergo (2009), “The long-lasting effects of the economic crisis”, VoxEU.org, 25 September.
●Greene, W (2004), “Fixed Effects and Bias due to the Incidental Parameters Problem in the Tobit Model(Taylor & Francis Online)”, Econometric Reviews 23: 125-47.
●Holzer, J (2002), “The Heritage of the First World War,” in Berg-Schlosser, D and J Mitchell eds, Authoritarianism and Democracy in Europe, 1919–1939: Comparative Analyses, New York: Palgrave Macmillan, 7–38.
●Honoré, B (1992), “Trimmed Lad and Least Squares Estimation of Truncated and Censored Regression Models with Fixed Effects(JSTOR)”, Econometrica 60: 533–65.
●Lijpart, A (1994), Electoral Systems and Party Systems: A Study of Twenty-Seven Democracies, 1945–1990, New York: Oxford University Press.
●Luebbert, GM (1987), “Social Foundations of Political Order in Interwar Europe(JSTOR)”, World Politics 39: 449–78.
●Mian, A, A Sufi and F Trebbi (2012), “Political constraints in the aftermath of financial crises”, VoxEU.org, 21 February.
●Payne, SG (1996), A History of Fascism: 1914–1945, London: Routledge.
●Persson, T and G Tabellini (2009), “Democratic Capital: The Nexus of Political and Economic Change”, American Economic Journal: Macroeconomics 1: 88–126.
●Sartori, G (1976), Parties and Party Systems (邦訳 『現代政党学-政党システム論の分析枠組み』), Cambridge: Cambridge University Press.

2013年10月14日月曜日

David Henderson 「カーリー効果 ~都市は落ちぶれど、支持は高まる?~」(2012年5月4日)

David Henderson, “Curley Effect in California”(EconLog, May 4, 2012)

 

ボストン市長を4期務めたジェームズ・マイケル・カーリー(James Michael Curley)は、貧しいアイルランド系の住民を利するために無駄の多い再分配政策に着手する一方で、扇情的なレトリックを弄して(アングロサクソン系の)裕福な住民がボストン市から出ていくように仕向けた。その結果として、ボストン市の有権者の構成がカーリーにとって有利になる方向に変わったのである。ボストン市は停滞したが、カーリーは市長選で勝ち続けたのだ。

エドワード・グレイザー(Edward L. Glaeser)&アンドレイ・シュレイファー(Andrei Shleifer)の共著論文――“The Curley Effect”(pdf)――からの引用だ。

引用を続けるとしよう。

このような戦略――「富を減少させる歪んだ政策を通じて、自らの政治的な支持基盤を拡大させる戦略――を「カーリー効果」と名付けるとしよう。とはいっても、カーリーだけの専売特許というわけではない。同じような例――政治的な敵の退出を促す政策を推し進めて、選挙区を荒廃させると同時に自らの政治的な立場を強化しようと試みた例――は、他にも見出せるのだ。アメリカの他の市長だけではなく、世界中の政治家の間でも。例えば、24年間にわたってデトロイト市長を務めたコールマン・ヤング(Coleman Young)は、白人(および、白人が経営する企業)がデトロイトから出ていくように仕向けた。「ヤングが市長を務めている間に、デトロイトは、黒人が多数派のシティ(city)の一つに変貌したというにとどまらない。デトロイトは、黒人のメトロポリス、合衆国の中にある第三世界のシティ(Third World city in the United States)のはしりともなったのである。そのことを象徴する証拠は、至る所にある。ショーケース・プロジェクト、黒い拳のモニュメント、仮想外敵、熱狂的な個人崇拝」(Chafets 1990, p. 177)。 独立を果たした後のジンバブエでは、同国の大統領を務めたロバート・ムガベ(Robert Mugabe)が白人の農民たちに対して強権を発動した。ジンバブエ経済に甚大なダメージが加わるのも構わずに、白人の農民たちが国を離れる(他国に移住する)ように公然と強いたのである。 

カリフォルニアでも似たような事態が進行しているのではなかろうか。カリフォルニアは、民主党によって牛耳られている州の一つ――州議会では民主党が多数派を占めていて、州知事は民主党出身――で、大いに無駄なプロジェクトが進められている最中だ。高速(ハイスピード)鉄道計画がそれだが、「ハイ」スピードは実現できそうにない一方で、「ハイ」コストになりそうなのは間違いない。所得税の最高限界税率が引き上げられるのも――カリフォルニア州の最高税率は、全米で一番高いにもかかわらず――間違いなさそうだ。そうなったら、生産性の高い住民の多くが別の州に移住するだろうし、もう既に移住しているにもかかわらず、民主党陣営はそのことを心配していないようだ。高速鉄道計画には、彼らなりのイデオロギーが関わっているという意見もあるかもしれない。そういった面も確かにあるだろう。しかしながら、民主党陣営の目的の一つは、民主党に反対する可能性のある有権者の数を減らして(別の州への自主的な退出を促して)、州内において民主党支持者が多数派を占めるように図ることにあると思われるのだ。

民主党の支持者の多くは損害を被るだろうか? もちろんだ。民主党を支持する有権者の境遇と、民主党の政治家の境遇を区別しなくてはいけないのだ。高速(ハイスピード)鉄道計画が実施されても、州議会の議員には高給が払われるし、議員としての特権も相変わらず享受できるのだ。選挙で敗れたり選挙区の区割りが変更されたせいであぶれたりしても、州政府で高給の閑職に就けるのだ。

2013年8月30日金曜日

Tyler Cowen&Kevin Grier 「ムードに流される非合理的な有権者? ~カレッジフットボールの試合結果が大統領選挙の行方を左右する?~」(2012年10月24日)

Tyler Cowen&Kevin Grier, “Will Ohio State’s Football Team Decide Who Wins the White House?”(Slate, October 24, 2012) 

「民主主義の最大の弱みを知りたければ、平均的な有権者と5分間話してみるといい」( “The best argument against democracy is a five-minute conversation with the average voter.”) -ウィンストン・チャーチル

2012年の大統領選挙は、選挙人団の投票も一般投票のどちらもともに、接戦になりそうだ。有権者の投票行動を理解しようと努めるのはいつだって重要だが、選挙戦が緊迫している場合にはその重要性が一層増すことになろう。

有権者が挑戦者に希望を託して票を投じたり、現職に「ノー」を突きつけたりするのは、何が根拠になっているのだろうか? 有権者は、失業率、GDP、インフレ率のような経済変数を考慮に入れて誰に投票するかを決めているのだろうか? 失業率、GDP、インフレ率が改善しているのか悪化しているのかに応じて投票先を決めているのだろうか? それとも、各陣営が提示する政策方針書(position papers)の中身や候補者のこれまでの経歴(personal history)が鍵を握っているのだろうか? テレビで放映される候補者の選挙用CMや討論会でのパフォーマンスの出来は、有権者の行動に影響を及ぼすのだろうか?

そのどれでもないかもしれない。最近の研究によると、有権者が抱える非合理性(voter irrationality)は、思っている以上に恣意的なようだ。紙一重のきわどい選挙では、有権者がそこまで極端に非合理的でなくても最終的な結果が左右される可能性がある。それでは、有権者はどのくらい非合理的なのだろうか? 最近の研究の一つによると、投票が実施されるその同じ州で直前に行われたカレッジフットボールの試合結果がホワイトハウスへの切符を賭けたレースの行方を決定づける可能性があるという。

そのことを実証的に明らかにしているのが、アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)&ニール・マルフォートラ(Neil Malhotra)&セシリア・モー(Cecilia Mo)の三人である。『米国科学アカデミー紀要』(Proceedings of the National Academy of Science)に掲載されている彼らの大変魅力的な論文で、大統領選挙、上院議員選挙、州知事選挙の直前に行われたカレッジフットボールの試合結果が有権者の投票行動にどんな影響を及ぼしたかが検証されている。どんな結果が見出されているかというと、投票日の直前(1週間以内)に行われたゲームで地元チームが勝利すると、現職の得票率がおよそ1.5ポイント(1.5パーセントポイント)上昇する傾向にあるという。観客動員数トップ20のチーム――ミシガン大学、オクラホマ大学、南カリフォルニア大学といったビッグチーム――が投票日の直前に勝利したとしたら、現職の得票率は3ポイント(3パーセントポイント)も上昇する傾向にあるというのだ。かなりの票数であり、接戦の選挙戦で勝利を掴む上で決して無視できない数だ。なお、以上の結果は、1964年から2008年にかけて行われたビッグマッチ62戦分のデータに実証分析を加えて見出されたものであることを断っておこう。ごく限られた試合や少数の選挙戦のデータが根拠になっているわけではないのだ。

スポーツのおかげで元気づけられて、日々を晴れ晴れと過ごせるようになるというのは、良い報せに違いないだろう。応援するチームが勝利すると、そのチームのファンは、競技場においてだけでなく、競技場の外でも幸せを感じる。満足感を覚える。幸せだったり気持ちが高ぶっていたりすると、現状に満足しがちになる。そして、現状への満足感が、現職の政治家を支持するというかたちをとって表れるわけだ。それがどんなに非合理的であろうとも。

ヒーリーらの論文では、あれやこれやの要因(経済的、人口統計学的、政治的な諸要因)にコントロールが加えられているので、先に言及した結果は大雑把な相関よりもずっと精緻なものだと言える。さらには、「予想」を考慮に入れた分析も試みられていて、地元チームが予想外の勝利を収めると、現職の得票率がおよそ2.5ポイント(2.5パーセントポイント)上昇する傾向にあることが見出されている。

フットボールだけじゃない。ヒーリーらの論文では、2009年度に行われた全米大学体育協会(NCAA)主催のバスケットボールトーナメントの試合結果が有権者の投票行動に及ぼした影響についても検討されていて、フットボールのケースとほぼ同様の結果が得られている。1948年~2009年の期間に実施された市長選挙を対象にして、プロバスケットボール(NBA)、プロフットボール(NFL)、プロ野球(メジャーリーグ)の試合結果が選挙に及ぼした影響を検証している別の研究によると、地元チームがシーズンで好調な成績を残すと、現職に追い風になることが見出されている。

ただし、カレッジフットボールだとかプロ野球だとかの試合内容が選挙の結果を決定づける「主要な」要因だとまで言うつもりはない。オクラホマ大学のスーナーズ(Sooners)が100連勝したとしても(現職の)オバマ大統領がオクラホマ州で勝てない可能性もあるし、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)のフットボールチームがボロ負けを喫したのに(挑戦者の)ミット・ロムニーがカリフォルニア州で敗れる可能性もある。ESPNスポーツセンターが報じる試合のスコア以外の要因も大いに重要なことは言うまでもないのだ。

とは言え、驚くべき結果であることに変わりはない。ヒーリーらも指摘しているように、現職の政治家たちは、自分とは何の関係もない試合結果に対して称賛を受けたり責任を問われたりするというわけだから。我々がいかに気まぐれでムードに流されやすいかを示す証左であると言えよう。スポーツを含めたポップカルチャーが「投薬」された状態で日々の選択を行っているのかもしれないと考えると、ちょっとゾッとしてしまう。スポーツの試合結果がこんなにも重要な影響を及ぼす可能性があることを思うと、有権者が政治に関わる基本的な情報――経済のパフォーマンスに関するデータなど――を合理的に処理しているのかどうかについても疑ってかかるべきかもしれない。

さて、ここで極端なシナリオを想定してみるとしよう。今のところは、現職のオバマ大統領が挑戦者のミット・ロムニーを若干リードしているようだが、今回の選挙は接戦になるだろうというのが大半の専門家の見立てだ。共和党陣営が勝利するためには、フロリダ州、オハイオ州、ヴァージニア州の3つの激戦州(swing states)が鍵を握る可能性がある。

来る10月27日――投票日の1週間とちょっと前――に、オハイオ州で地元のオハイオ州立大学のバッキーズ(Buckeyes)がペンシルベニア州立大学のニタニー・ライオンズ(Nittany Lions)を迎え撃ち、フロリダ州で地元のフロリダ大学のゲイターズ(Gators)がジョージア大学のブルドッグス(Bulldogs)を迎え撃つ。大統領選が今後も接戦のまま進むようなら、これら2つの州で行われるフットボールゲームの試合結果がこれからの4年間にわたって誰がホワイトハウスで指揮を執るかを左右する可能性がある。夜遅くにオバマ陣営からバッキーズのヘッドコーチであるアーバン・マイヤーに電話があって、ブリッツ(守備の戦術)についてアドバイスが送られたり、ロムニー陣営からゲイターズに電話があって、ブルドッグスのラン・プレイを防ぐためのアドバイスが送られたり、・・・なんてことがあったりするだろうか? 大事なフォース(4th)ダウンでパントを選ぶかタッチダウンを狙うかによって、コーチ陣だけでなくそれ以外の面々の前途も変わってしまう可能性があるのだ。

地元チームの勝利は、ビール・ゴーグル効果の選挙版と言えそうだ。地元チームが勝ったせいで判断が曇らされて、翌朝になって後悔するわけだ。「そんなはずない」(“That just ain’t right”)と。

2013年8月28日水曜日

Bryan Caplan 「自然災害への政府の対応を歪ませる有権者の破滅的な投票行動」(2008年7月15日)

Bryan Caplan, “Disastrous Voting”(EconLog, July 15, 2008)


アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)――実証的政治経済学の分野における新世代を代表する一人であり、私のお気に入りの学者の一人――が最新の論文で大胆な主張を展開している。自然災害は「神の仕業」(=不可抗力)という考えが一般的かもしれないが、アメリカの有権者(投票者)も(自然災害の)共謀者なのだというのがヒーリーの言い分だ。論文のアブストラクト(要旨)の一部を引用しておこう。

自然災害、政府支出、有権者の投票行動に関する包括的なデータの分析から明らかになることは、有権者は災害復旧(disaster relief)向けの政府支出に対しては票を投じて報いる一方で、災害予防(disaster prevention)向けの政府支出に対してはそうじゃないということである。有権者のこのような投票行動は、政府(現職)が直面するインセンティブに大きな歪みをもたらす。というのも、災害予防向けの政府支出は、将来の損害(将来起こり得る自然災害に伴って生じる被害)の大幅な抑制につながることがデータによって示されているからである。

本文で掲げられている二つの散布図――現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図と、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図――によると、現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との間には正の相関が成り立つ一方で〔訳注;災害復旧向けの政府支出が増えると、現職の得票率が高まる傾向にある、という意味〕、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との間にはこれといった関係が見出されないことがわかる。有権者のこのような投票行動を踏まえると、現職の政治家が災害復旧事業(票になる事業)に災害予防事業(票にならない事業)の15倍もの予算を投じているのも何ら驚くようなことじゃない。

災害予防向けの政府支出が役立たずで効果が無いようなら、憂(うれ)えるような話じゃないだろう。しかしながら、ヒーリーも証拠を挙げているように、災害予防向けの政府支出はリターンが大きい(大きな効果が期待できる)のだ。

有権者は、政府による災害予防には効果が無いと判断しているのかもしれない。その可能性を検証するために、災害予防向けの政府支出の効果の推計を試みるとしよう。
・・・(中略)・・・
災害予防向けに平均で年間1億9500万ドルの予算が投じられて、災害の被害額の平均が165億ドルと想定するなら、災害予防向けの政府支出が1ドル増えると、災害の被害額が8.30ドル減るというのが回帰分析から得られる結果である。この推計結果は、2000年から2004年までの5年の間に生じる効果しか考慮していないことに注意されたい。

文句をつけたいところもなくはない。「有権者は、災害予防という賢明な策に対して投票で報いることはない」という原則への例外に関する議論で論文が締め括られているのが気に食わないのだ。今後の研究課題としては貴重なトピックかもしれないが、そういうかたちで締め括ってしまうと、主要なメッセージが薄められてしまって惜しくてならないのだ。政府支出が大きな効果を生む(効率を大幅に改善する)可能性があったとしても、その機会はみすみす見過ごされてしまうという主要なメッセージが。合理的な有権者が政府をコントロールしているようなら、政府は公共財の問題だったりを解決するのに役立つ妙薬になり得る。しかしながら、合理的とは言えない有権者――この世に生きる現実の有権者――が政府をコントロールしているようなら、政府はバカでかいインチキ薬になりがちなのだ。

2013年3月7日木曜日

The Economist 「メディア・バイアスの経済学 ~ニュースにバイアスが生じるのはなぜ?~」(2008年10月30日)

The Economist, “A biased market”(October 30, 2008)
 
偏向報道は、メディアが機能不全に陥っている印(しるし)と見なされているが、実のところは健全な競争が働いている印なのかもしれない。

バラク・オバマがニューヨーク・タイムズ・マガジンのライターについ最近語っているところによると、右派系の放送局であるフォックス・ニュースが存在しなければ、来る大統領選挙で自分の得票率が2~3ポイント(パーセントポイント)は上昇するかもしれないという。その一方で、共和党の副大統領候補であるサラ・ペイリンも「リベラルなメディア」が抱えるバイアスを取り上げて激しい口撃を加えている。メディアの偏向報道を問題視する声がアメリカの政界のあちこちで上がっているが、ニュースの報道の仕方に違いが生じるのはなぜなのかを立ち止まって考える人はあまりいないようだ。

サプライサイド(ニュースの送り手の側)に原因があるというのが一つの可能性だ。テレビ局なり新聞社なりの経営者や従業員が抱いているイデオロギーがニュースの報道に歪みを生じさせるという可能性である。しかしながら、読者や視聴者が情報の正確さを重視するようなら成り立ちそうにない可能性だ。読者や視聴者が情報の正確さを重視するようなら、メディア間での競争によって、右寄りか左寄りかのどちらかに一貫して歪んだ情報を伝える報道機関は、読者や視聴者からそっぽを向かれて経営的に痛手を被ることになるはずだからである。アメリカのメディア市場では自由な競争が行われているにもかかわらず偏向報道が横行しているらしいとすると、何か別の要因が関わっていそうだ。

競争が激しいメディア市場で偏向報道が蔓延る理由を理解するためには、ディマンドサイド(ニュースの受け手の側)が何を欲しているかについてもっと掘り下げて考えてみるのが大事かもしれない。ともにハーバード大学に籍を置く経済学者のセンディル・ムッライナタン(Sendhil Mullainathan)とアンドレイ・シュライファー(Andrei Shleifer)のよく知られている共著論文――“The Market for News”(pdf)――によると、ニュースの受け手が情報の正確さだけを気にかけると想定するのはナイーブかもしれないという。その代わりに、彼らの共著論文では、新聞の読者が(情報の正確さを気にかけるだけでなく、それに加えて)確証バイアスを抱えていて、自分が既に持っている考え(信念)が記事を読んで正当化されるのを欲すると想定してその帰結がモデルを使って分析されている。ムッライナタン&シュライファーのモデルによると、読者がそれぞれ異なる考え(信念)を持っているとしたら、メディア間での競争は、歪んだニュースを報じる新聞社を市場から駆逐するのではなく、偏向報道を蔓延らせる可能性がある。それぞれの新聞社が偏った考え(右寄りないしは左寄りの考え)の持ち主(読者)のニーズに応えようとするからである。ムッライナタン&シュライファーのモデルが現実に当てはまるかどうかを検証しているのが、ともにシカゴ大学のビジネススクールに籍を置く経済学者のマシュー・ジェンツコウ(Matthew Gentzkow)とジェシー・シャピロ(Jesse Shapiro)の共著論文――“What Drives Media Slant? Evidence from U.S. Daily Newspapers”(pdf)――である。

検証を行うためには、まず何よりも報道内容が政治的にどれくらい偏向しているかを測定する必要があるが、ジェンツコウ&シャピロの二人は想像力に富んだ方法でその厄介な問題を処理している。議会での討論をコンピュータープログラムを使って分析し、共和党の議員と民主党の議員がそれぞれ頻繁に口にするフレーズを特定したのである。例えば、民主党の議員は、“estate tax”(相続税)という語を口にしがちな一方で、共和党の議員は同じ問題を論じる時に “death tax”(相続税)という語を口にしがちだという(これは単なる偶然ではない。ジェンツコウ&シャピロの二人が匿名の共和党スタッフの言葉として引用しているところによると、党の指導部は議員に “death tax” という語を使うように指導しているという。なぜかというと、「“estate tax” だと富裕層だけが対象であるかのように響くが、“death tax” だと誰もが対象であるかのように響くから」だというのだ)。党派色のあるフレーズを特定したジェンツコウ&シャピロの二人が次に何をしたかというと、アメリカで発行されている400紙以上の新聞を対象にして、党派色のあるフレーズが記事の中でどれくらい頻繁に使われているかを調査したのだった。党派色のあるフレーズがどれくらい頻繁に使われているかを基にして、それぞれの新聞が抱える「偏向度」を正確に測定する指標を作り上げたのだ。

次にやるべきことは、それぞれの新聞の読者の政治的な傾向を評価することである。ジェンツコウ&シャピロの二人は、それぞれの新聞が流通している地域の住民であり読者の政治的な傾向を探るために、2004年の大統領選挙でのジョージ・ブッシュ(共和党の候補)の地域別の得票率のデータに加えて、それぞれの地域が民主党寄りか共和党寄りかを判別するのに使えそうなデータに目を向けて分析を加えている。かくして、「新聞の発行部数」、「新聞の偏向度」、「読者の政治的な傾向」の関係を探るための準備が整ったわけである。

まずはじめに、「新聞の発行部数」が「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレに応じてどのように変化するかが検証されているが、「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレが小さいほど、「新聞の発行部数」が多くなる傾向にあることが見出されている。「共和党寄り」の新聞は、「共和党寄り」の地域でよく読まれるというわけだ。このことはさして驚くような発見じゃないが、「新聞の発行部数」が「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレに応じてどれくらい増減するかを計測することによって、もっと興味深い比較を行えるようになった。どういうことかというと、それぞれの地域の「政治的な傾向」がわかっているので、それぞれの地域でどれくらい偏向すれば利潤が最大化できるかが計算できるのだ。それぞれの地域ごとに利潤を最大化する「理想的な偏向度」を求めることができるのだ。そのおかげで、利潤の最大化につながる「理想的な偏向度」とそれぞれの新聞の「偏向度」を比較することができるようになったのだ。 

その比較の結果はというと、驚くほど一致していることが見出された。全般的な傾向として、利潤を最大化するのにちょうどいい程度に偏向していることが見出されたのだ。そうなるのも納得がいく。ジェンツコウ&シャピロの二人の分析結果によると、「理想的な偏向度」からほんの少しズレるだけでも発行部数が大きく落ち込むことになるからだ。


私が歪んでいるのは、あなたのため

新聞が政治的に偏向しているのは経済的に見て合理的だから(儲けられるから)ということが示されたからといって、ニュースにバイアスが生じる原因がサプライサイド(ニュースの送り手の側)にあるのか、それともディマンドサイド(ニュースの受け手の側)にあるのかという疑問への答えが得られるわけでは必ずしもない。そこで、ジェンツコウ&シャピロの二人は、メディア関係の大手企業が複数の新聞を発行している事実に着目した。経営者が同じである複数の新聞が「政治的な傾向」が異なる地域で発行されていることも珍しくない。経営者が同じである新聞同士の方がランダムに選ばれた二紙よりも「偏向度」が似通っているかどうかを検証したところ、否定的な結果が得られた。経営者は、自社の新聞の「偏向度」にほんの些細な影響しか及ぼしていないというのだ。メディア関係の大手企業が発行している新聞の「偏向度」の5分の1は「読者の政治的な傾向」によって説明可能で、経営者は「偏向度」に何の影響も及ぼしていないに等しいというのだ。

ありのままの真実を追い求める人にとっては、何の足しにもならない発見だろう。正確な情報を追い求める注意深い人は、バランスをとるためにいくつもの新聞に目を通さねばならないことになろう。しかしながら、メディア市場における競争は、多様性を促すことにもなる。報道機関がディマンドサイドの多様なニーズに応じようとして、あれやこれやの異なる考えを代弁することになるからである。ともあれ、ペイリンがフォックス・ニュースを批判することもなければ、オバマがニューヨーク・タイムズ紙に不満を垂れることもなさそうだ。

2012年7月30日月曜日

Richard Ebeling 「ヴィンセント・オストローム ~自由と連邦主義の擁護者~」(2012年7月1日)

Richard M. Ebeling, “Vincent Ostrom (1919-2012): Political Philosopher of Freedom and Federalism”(In Defense of Capitalism & Human Progress, July 1, 2012)


2012年6月29日の金曜日に、政治学者であるヴィンセント・オストローム(Vincent Ostrom)が亡くなった。享年92歳。オストロームは、アメリカ憲法に体現されている連邦主義の構造とその特徴についてのその道の指導的な専門家の一人だった。1919年生まれで、1950年にUCLAで政治学の博士号を取得。1964年にインディアナ大学に移って、妻であるエリノア・オストローム(Elinor Ostrom)――2009年のノーベル経済学賞の受賞者で、夫が亡くなるおよそ3週間前に78歳で亡くなった――と共同で「政治理論と政策分析に関するワークショップ」を立ち上げている。

アメリカ憲法の秩序が解剖されている『The Political Theory of a Compound Republic』(1971年発行。第2版は1987年に発行)は、学術的な釈義として並外れた傑作である。 「フェデラリスト・ペーパー」の念入りな注釈を通じて、「自己統治」(“self-governing”)という概念の理解とそのユニークな特徴の解釈が試みられている。このテーマについては、『The Meaning of American Federalism:Constituting a Self-Governing Society』(1991年発行)に収録されたエッセイでさらなる検討が加えられて、様々な方向に拡張されている。

彼の真の代表作は 『The Meaning of Democracy and the Vulnerability of Democracies:A Response to Tocqueville’s Challenge』(1997年発行)だというのが私の考えだ。政治哲学、経済学、社会学、歴史、社会言語学が見事に融合された学際的な業績である。この本によると、自由な社会が存続するためには、「需要と供給の彼方」(by ヴィルヘルム・レプケ)にまで踏み出す必要があるという。

自由な民主主義社会は、選挙、立法手続き、成文憲法さえ揃っていれば何の問題もなく存立できるかというと、そうではない。オストロームが好んで引用したアレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)の表現を借りると、「心の習慣」(“habits of the heart”)や「精神の特徴」(“character of the mind”)によって支えられねばならないのだ。つまりは、社会の成員によって「共有された意味の構造」(“structures of shared meaning”)の広大なネットワークに支えられねばならないのだ。社会の秩序のあり方は、社会を構成する個々の成員が自分自身や他者をどう捉えるかに依存しているのだ。自己統治に立脚する社会秩序を打ち立てるためには、人間の価値の意味が社会の成員によって共有され、一人ひとりの尊厳が社会の成員によって認められねばならないのだ。一人ひとりが持つ夢、願望、望みが尊重されて、一人ひとりの価値観の違いが受け入れられねばならないのだ。

とりわけ重要なのは、暴力、抑圧、操作、欺瞞、腐敗――日常生活や政治的な討論の場で使われる言語の腐敗(転化)も含まれる――に頼らなくても、共同の目的のために平穏にみんなで力を合わせて協力する術を見つけ出すことは可能だし望ましくもあるということが社会の成員によって共有されねばならないことである。そのような「理念(信念)」が社会の成員によって共有されねばならないのだ――オストロームが強調しているように、信じ込まれるだけでなく、日常的に使われる言語の中に埋め込まれなければならない。言語の中に埋め込まれてこそ、社会の成員が自分自身や他者をどう捉えるかに影響が及ぶからである――。

オストロームが強調しているように、自己統治や「民主主義の精神」は、政治の世界だけに関わりがあるわけではない。いわゆる民主政治は、あくまでも全体の一部でしかないのだ。民主政治の性格やその良し悪しは、自由な個人が自発的に交じり合う自由な社会という理念――あるいは、協働的な自己統治という理念――が世の中にどれだけ広く深く行き渡っているかによって変わってくるのだ。

自己統治に立脚する社会秩序が抱える脆弱性の一つは、次の世代に受け継げるような「自己統治の遺伝子」なるものが存在しないことである。新たな世代ごとに学んで適応していかなければいけないのだ。自己統治に立脚する社会秩序を支えるために必要な「心の習慣」や「精神の特徴」が世代ごとに学び直されて更新されないようなら、弱体化してしまう可能性があるのだ。失われてしまう可能性があるのだ。

エドワード・シルズ(Edward Shils)が『Tradition』(1981年発行)で指摘しているように、社会の伝統なり慣習なりが保存され得るのは、三世代――子供と親と祖父母――が重なり合う場合だけに限られる。経験と内省を通じてのみ得られる知恵、洞察、理解、信念が若い世代に受け継がれるのは、三世代が重なり合う場合だけに限られるというのだ。

伝統にしても慣習にしても永遠に「不変」というわけではない。世代ごとに変化するし、修正されていく。しかしながら、「心の習慣」や「精神の特徴」が世代を超えて共有されていく中でそうなるのだ。

オストロームが懸念していたのは、自己統治に立脚する社会秩序を支える「心の習慣」や「精神の特徴」が失われつつあるのではないかということだった。その理由は、政府による介入が増えて福祉国家の規模が大きくなるにつれて、パターナリズムや社会工学を支持するメンタリティが世の中に広まったせいだ。

「自由の言語」が失われつつあるのだ。自由な個人による自己統治を支える言語が失われつつあるのだ。我々は、言語を通じて自分自身について考えるのだ。言語を通じて他者との関係について考えるのだ。言語を通じて社会のあり方について考えるのだ。

ナチスの時代を生き延びたユダヤ系ドイツ人であるヴィクトール・クレムペラー(Victor Klemperer)が戦後に一冊の本を執筆している。『The Language of the Third Reich』(邦訳『第三帝国の言語:ある言語学者のノート』)がそれである。クレムペラーによると、国家社会主義者と自任していたかどうかにかかわらず、ナチス・ドイツにおいては誰も彼もがナチスだったという。ユダヤ系ドイツ人をはじめとして、体制から虐げられた犠牲者の多くも含めて。

なぜなのか? ナチスの指導者たちが流布したアイデアやイデオロギーに感染したからである。思考が囚われてしまって、人生やモラルについて違った考えをするのに困難を感じたのである。人間、「人種」、社会についてのナチス流の考えを反映している言語やフレーズから独立した考えを持てずにいたのである。クレムペラーも示唆しているように、自分で自分を統治できる存在ではなくなっていたのだ。ヒトラー流の国家社会主義の言葉遣いやロジックで考えて行動しているうちに、体制の奴隷と化していたのだ。

オストロームが手遅れになってしまわないうちに警告しようとしていたことは、「他者による統治」に陥ってしまうなかれということだった。ところが、今やあまりにも多くの市民がそうなってしまいつつある。「給付」(“entitlement”)、「不労所得」(“unearned income”)、「社会正義」(“social justice”)とかいう類の言葉が氾濫していて、それらに思考が囚われつつあるのだ。

集産主義的なパターナリズムに屈するのか、それとも「自由の言語」や「自由の理念」が守り抜かれるのかによって、アメリカを舞台とする「自己統治」をめぐる偉大な実験――1830年代にアメリカを訪れたトクヴィルに強い印象を与えた実験――が今後も続行されるかどうかが決まるのだ。

ヴィンセント・オストロームの研究は、アメリカを舞台とする「自己統治」をめぐる実験の性質やそのロジックを説明しているだけにとどまらない。政治権力の分割と連邦制を通じて自由を確保しようとするアメリカの実験が人類の歴史に占めるユニークさを知らしめてもいる。その実験が途中で放棄されてしまったら、その損失たるやいかばかりか。 

ヴィンセント・オストロームは、「自由」を支える政治制度と理念に対する優れた分析を通じて、「自由の哲学」を深化させる知的遺産を後世に伝えているのだ。

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<訳者による追記>
 
ヴィンセント・オストロームの思想の全体像を知るには、R. ワグナーの以下の論文が参考になるかもしれない。
 
● Richard E. Wagner (2005), Self-governance, polycentrism, and federalism: recurring themes in Vincent Ostrom's scholarly oeuvre”(Journal of Economic Behavior & Organization, Vol. 57 (2), pp. 173-188;こちら(pdf)で閲覧できたり・・・

2012年7月19日木曜日

Mark Pennington 「『左派』と公共選択論」(2012年1月30日)

Mark Pennington, “‘The Left’ and Public Choice Theory”(Pileus, January 30, 2012)


「公共選択論」のことを「左派」に話すと、色んな反応が返ってくるだろう。

まずは、「無知」だ。公共選択論という学問の存在自体を知らないわけだ。私が学者に成り立ての時のことだが、講義で1時間にわたって「規制の虜」理論――規制当局が規制対象である企業の言いなりになってしまう現象――について説明したら、社会主義労働者党と関わりを持っていた学生から講義終了後に次のように尋ねられたことがある。「先生はいつマルクス主義者になられたのでしょうか?」。ラディカルな「反マルキスト」を自任している身としては、正直言って面食らってしまったものだ。この学生の反応は、アカデミズムの世界に蔓延っている態度の一つを例証している。すなわち、企業が権力を振るって儲けているのに関心を持つような人間は、左派ないしは社会主義にシンパシーを抱いているに違いないと当然視する態度である。世の中の「権力関係」に古典的自由主義(classical liberal)あるいは自由市場を支持する立場から切り込んで分析を加える――公共選択論もそのうちの一つ――のも可能だとは思いも寄らないらしいのだ。 

「忌避」という反応もある。公共選択論の分野でどんなことが言われているかはそれとなく知っているが、公共選択論を脅威に感じて「忌避」するわけだ。どうして脅威に感じるかというと、公共選択論の方がネオマルクス主義よりも世の中の「権力関係」についてうまく説明できるからというのが理由の一つなんじゃないかと思う。公共選択論は、権力の配分についてのナイーブな多元主義的な見解を退ける。どの集団も同等の権力を持っているとは見なさないのだ。「資本家」(ブルジョア)と「賃金労働者」(プロレタリアート)という「階級」間で権力闘争が行われるとは想定せずに、一人ひとりの個人が直面しているインセンティブが集団として結束する能力だったり集団としての権力の大きさだったりにどんな影響を及ぼすかに注目する。企業が大きな権力を持ち得るのは確かだが、その理由は「企業だから」というわけでもなければ、「資本主義社会だから」というわけでもない。少数の大企業が市場を支配しているような部門であればという条件がつくが、「納税者」だとか「消費者」だとかという他の集団に比べて、「集合行為問題」ないしは「ただ乗り問題」を克服しやすいからなのだ。その一方で、競合他社の数が多くて市場での競争が激しい部門では、なかなかそうはいかない。むしろ、「労働組合」だとか「官僚」だとかの方が政治的に大きな影響力を持つ場合さえある。公共選択論では、企業(あるいは資本家)だとか労働者だとかを一緒くたに扱わない。政治的に大きな影響力を持つ企業もあればそうじゃない企業もあるし、政治的に大きな影響力を持つ労働者もいればそうじゃない労働者もいると見なす。集団の成員一人ひとりが直面しているインセンティブや組織編制の問題が成否を分けると見なすのだ。現実の世界では、多様な特殊利益が政策に反映されている。「階級支配」という単純な理論よりも公共選択論の方がそのような現実をうまく説明できるのだ。

左派の多くが公共選択論を脅威に感じて「忌避」するのは、特殊利益の力を削ぐにはどうしたらいいかという問題も関わっているんじゃないかと思う。政府が市場に介入しようとすると企業の言いなりになってしまうことが多いとすると――左派の多くはそう考えているようだが――、政府に裁量権をもっと与えるという「解決策」は特殊利益の力を削ぐのに役立ちそうにない。市場への介入が増えることになるわけだから。「私有財産を廃止して、何らかの公共団体に意思決定権を集中させるしかない」というのがマルキストが代わりに提示する「解決策」だろうが、説得的とは思えない。公共選択論の立場からすると、政府の手を縛るのが一番の特効薬ということになろう。現代の社会民主主義的な政府が市場に介入して、競争を制限しようとするのが元凶なのだから。この「解決策」が求めているのは、格差が一切ない夢のような平等な世界の実現ではない。「小さな政府」の実現である。優れた成果や創意工夫ゆえに格差が生じるのは歓迎する一方で、政治的なコネを持っているがゆえに生じる格差を最小限に抑えるような枠組みの実現なのだ。

最後に、「否定」という反応もある。政治というのは、企業/労働組合/官僚がそれぞれ政府に働きかけて公益を犠牲にして私腹を肥やそうとするゲームのようなものだと聞かされると、政治というのはそういうものじゃないと「否定」するわけだ。政治を突き動かしているのは、「利害」ではなく「価値」(あるいは、観念や理念)なのであり、お前ら(公共選択論が専門の経済学者たち)はそのことを見過ごしている、と言い返すわけである。私としては、大いにシンパシーを感じる反論だ。世の中で実施されているどの公共政策にしても、背後に特殊利益が控えていると言い募る――「右派のマルキスト」の一派はそうだと主張するかもしれないが――のは、あまりにも単純過ぎるように思えるからだ。しかしながら、そのように「否定」する代償として、左派は一つの問題を抱え込むことになる。同調者を獲得するための戦術としてしばしば使ってきた陰謀論めいた言い分の多くに頼れなくなるのだ。中央銀行が金融政策を緩和したのはなぜなのか? 金融規制当局が貸付基準を緩和したのはなぜなのか? 民間の金融機関の言いなりになってそうしたのだろうか? それとも、「正しい」と考えてそうしたのだろうか? 政治が「価値」や「観念」によって突き動かされるのだとしたら、「トップ1%」(所得上位1%)の不正行為ではなく、「誤った理論」に目を向けねばならないだろう。(ケインズ主義やマネタリズムのような)「誤った理論」が「政府の失敗」を引き起こしている原因なのかもしれないからだ。

公共選択論は、「左派」にいくつかの難問を突き付けている。政治を突き動かしているのは「利害」なのだとしよう。そうだとすると、多様な特殊利益が政策に反映されている現実をうまく説明できるのは公共選択論の方だし、特殊利益がもたらす弊害を和らげるための説得的な解決策を提示できるのも公共選択論の方だ。その一方で、政治においては「利害」よりも「観念」の方が重要なのだとしよう。そうだとすると、左派が同調者を獲得するための戦術として重宝してきた手の一つが使えなくなる。「敵」と「味方」に分けて、何もかもを「敵」のせいすることができなくなるのだ。

2010年4月30日金曜日

Alberto Alesina&Richard Holden 「選挙における過激さと曖昧さ」(2008年9月22日)

Alberto Alesina&Richard Holden, “Why do candidates move along the political spectrum?”(VOX, September 22, 2008)
 
大統領選挙の候補者たちは、政治的スペクトル上の真ん中にいる中位投票者を説得しようとして似たり寄ったりの政策を掲げて、その内容を可能な限り正確に伝えようと試みるはずだというのが政治学の分野で最も知られている定理が説くところである。しかしながら、現実はどうなっているかというと、候補者たちは、中位投票者に歩み寄ろうとしないし、曖昧であろうとしがちである。金権政治(money-politics)が候補者たちを政治的スペクトル上の真ん中(中位投票者)から離反させるだけでなく、候補者たちの曖昧さを助長している可能性があるのだ。

政治学の分野で最も知られている定理――ダウンズ・モデルから導かれる中位投票者定理――によると(Downs 1957)、2人の候補者が選挙で争うようなら、どちらの候補者も政治的スペクトル上の真ん中に向かって歩み寄って、似たり寄ったりの政策を掲げるはずだとされる。もっと正確に表現するなら、どちらの候補者もともに中位投票者(median voter)が好む政策を掲げるはずだとされる。さらには、選挙に勝つためにはどんな政策を掲げるのが最善なのかが決まってしまえば、どちらの候補者も有権者に対してその内容を可能な限り正確に伝えようと試みるはずである。掲げる政策に不明瞭なところがないように尽くすはずである。

現実の選挙はどうかというと、だいぶ様子が違っているようだ。2つの政党が争う選挙の多くでは、左右で激しくて対立して、政治的スペクトル上の真ん中に位置する有権者がすっかり無視されるのも珍しくない。アメリカで間近に迫っている大統領選挙がいい例だ。共和、民主両党の候補者は、外交についても、中絶問題についても、医療問題についても、税金の問題についても、他にもあれやこれやについても意見を異にしている。過去2回の大統領選挙はどうだったかというと、もっと激しくぶつかり合っていた。フランス、イタリア、スペインで実施されたばかりの選挙でも、二大勢力が掲げた政策は大きく対立していた。

現実の選挙で候補者たちは政策の内容を可能な限り明確に伝えて不明瞭なところをなくそうと尽くしているかというと、これまた全く違っているようだ。選挙期間中の政治家たちは、自分の立場を明確にするのを避けようとして、どっちつかずの言葉で語ることで有名だ。「曖昧」であろうとするわけだが、それは二通りのかたちをとる。政策の内容を不明瞭なままにしておくこともあれば、聴衆ごとに話す内容を微妙に変えることもあるのだ。

2政党間競争についての古典的なダウンズ・モデルの予測と現実との乖離(かいり)を埋めるためにはどうしたらいいのだろうか? 我々二人が最近の論文で論じているように (Alesina and Holden 2008)、2つの政党が争う選挙では両党を「接近させる力」と「離反させる力」の相反する二つの力が作用している。「接近させる力」というのはダウンズ・モデルでも作用する通常の力であり、両党を政治的スペクトル上の真ん中に向かって歩み寄らせる力である――その理由は、左派の政党も右派の政党も穏健な立場(左派の政党にとっては政治的スペクトル上で自らの立ち位置よりも右側、右派の政党にとっては政治的スペクトル上で自らの立ち位置よりも左側)の有権者から支持を得ようとするからである―――。その一方で、「離反させる力」――左派の政党を政治的スペクトル上の左側へ、右派の政党を政治的スペクトル上の右側へと向かわせる力――も作用している。政治家(政党)への金銭(政治献金)の供与、ロビイストをはじめとした活動家(activists)の運動、労働組合によるストライキなどを含む「選挙協力」がもたらす効果である。

「選挙協力」のためにカネを出したり汗をかいて応援してくれがちなのは、急進派の団体である。急進派の「選挙協力」を得られたら、中道の有権者の一部を引きつけることができるかもしれない。例えば、保守系の団体からの献金を使ってTVでCMをバンバン流したら、中道の有権者の一部が右派の政党に票を投じるようになるかもしれない。あるいは、左派の活動家が選挙の応援のために汗をかいてくれたら、接戦の地区で左派の政党に投じられる票が増えるかもしれない。そういうわけで、例えば右派の政党から出馬する候補者は、相反する二つの力のバランスを取らなければいけない。政治的スペクトル上の右側へと動けば、保守系の有権者から票も「選挙協力」も得ることができて、保守系の団体の「選挙協力」のおかげで中道の有権者の一部からも票を得られる可能性がある。その一方で、政治的スペクトル上の真ん中に向かって歩み寄れば、保守系の団体から「選挙協力」が得られなくなる代わりに、中道の有権者から得られる票が増える可能性がある。これら相反する二つの力のバランスを取ろうとして掲げられる政策は、中位投票者の好みに合致するものじゃないだろう。左派の政党から出馬する候補者にしても同じことが言えるので、「分断均衡」に落ち着くことになる。右派の候補者は政治的スペクトル上で真ん中よりも右寄りの政策を掲げる一方で、左派の候補者は政治的スペクトル上で真ん中よりも左寄りの政策を掲げることになるのだ。

相反する二つの力のバランスを取ろうとする結果として、曖昧さが助長されることにもなる。候補者たちは、二兎を追いたがるものだ。そのために、立場を鮮明にするよりも、掲げる政策に幅を持たせようとするかもしれない。候補者が当選したとしたら、選挙に協力する急進派の団体は、幅のある中から自分たちの好みに一番近くて急進的な政策が実行されることを望むだろう。その一方で、中道の有権者は、幅のある中から自分たちの好みに一番近くて穏健な政策が実行されることを望むだろう。掲げる政策に幅を持たせて曖昧なところを残しておけば、立場を鮮明にするよりも、急進派から選挙に協力してもらえる可能性が高いだけでなく、中道の有権者から得られる票が多くなる可能性があるのだ。一般の有権者も「選挙協力」する急進派も候補者のそのような魂胆を見抜くかもしれないが、候補者が本音(政策に対する真の好み)を隠し通すことができる限りは、一般の有権者も「選挙協力」する急進派もともに徹底的に合理的でリスク回避的であったとしても、掲げる政策に曖昧なところを残す方が候補者たちにとって得になる可能性があるのだ。

これまでの議論は、2つの政党(あるいは、2人の候補者)が争う選挙であればどんなケースであっても妥当する。アメリカの大統領選挙では、予備選挙が曖昧さをさらに助長する働きをする。いずれの候補者も自らが掲げる政策のオプション価値(option value)を本選(一般投票)まで維持したがるだろう。例えば、共和党の予備選挙に出馬する候補者たちは、自らが掲げる政策に曖昧なところを残しておけば、民主党の予備選挙で誰が勝つかに応じて本選での戦い方を調整できる。民主党の予備選挙で誰が勝つかもその勝者がどんな政策を掲げるかも事前にはわからないので、共和党の予備選挙に出馬する候補者たちは、できるだけ曖昧であろうとするのだ。民主党の予備選挙に出馬する候補者たちにしても同じことが言えるので、予備選挙が終わって本選で戦う相手が誰であるかが決まっても、相手の本音(政策に対する真の好み)は完全にはわからないだろう。予備選挙で自分の立場を鮮明にすると、本選で身動きが取れなくなってしまう(相手が掲げる政策に応じて自分の立場を調整できる余地が少なくなってしまう)おそれがある。その一方で、リスク回避的な有権者は、予備選挙で候補者が掲げる政策があまりに曖昧であるようだとそっぽを向く(票を投じない)だろう。予備選挙における曖昧さの程度は、これら相反する力が釣り合うところに決まる。2つの政党が争う選挙において曖昧さが助長されるのは先に述べた通りだが、アメリカの大統領選挙では、予備選挙が曖昧さをさらに助長する要因として加わるのだ。

熾烈な予備選挙が争われている最中においては、曖昧さが滑稽なかたちをとってあらわれることがある。例えば、直近の共和党の予備選挙で、J.マケイン(John McCain)が中絶問題について対立候補のM.ロムニー(Mitt Romney)に批判を加えた。中絶問題について2年ごとに意見を変えているじゃないかというのである。ロムニーはどう応じたかというと、意見を変えたのはクローンの研究で新しい発見があったからだと答えたのだ。


<参考文献>

●Alesina and R. Holden (2008) , “Ambiguity and Extremism in Elections”, NBER Working Paper.
●Downs, Anthony (1957), An Economic Theory of Democracy, Harper and Row, New York, NY.