ジョージ・メイソン大学の経済学者であるピーター・リーソン(Peter Leeson)――彼は海賊や試罪法の研究でも有名である――とピーター・ベッキー(Peter Boettke)、ジェイマ・レムケ(Jayme S. Lemke)が18~19世紀のイギリスで広く見られた妻売り(wife sales)の慣行に対して経済学の観点から弁護を行っている。当時のイギリスでは離婚の手続きがかなり厄介であり、妻は夫の所有物と見なされていた。この経済学者トリオは次のように説明している。「妻売りは産業革命期のイギリスの法律によって生み出された風変わりな所有権の実態に対する制度的な反応であり、それも効率改善的な反応であったと言える」。
以下、彼らの論文から一部引用しよう。
18世紀のイギリスで生活をともにしている夫婦の例について考えてみることにしよう。妻の名はハティ(Hattie)、夫の名はホーレス(Horace)である。ホーレスはハティを愛しており、妻としてのハティには5ポンドの価値があると評価している。一方で、ハティはホーレスのことが嫌でたまらず、夫としてのホーレスにはマイナス7ポンドの価値しかないと感じている。この2人の結婚は非効率的である。ハティは離婚したがっているが、そのためにはホーレスの同意が必要である。ホーレスとしてはハティが5ポンド以上支払ってくれるのであれば離婚に同意してもよいと考えており、ハティも離婚の同意を得るためならば5ポンド以上を支払う気でいる。しかしながら、結婚後のハティは財産に対する所有権を一切持ち合わせておらず、それゆえ離婚の同意を得るための手段を欠いている。(当時の法律によると;訳者挿入)ハティの財産はすべてホーレスの所有物なのである(そのため、ハティが離婚の同意を得るために支払う(5ポンド以上の)現金もホーレスのものである)。2人の間での直接的なコース流の交渉(Coasean bargain)は不可能なのだ。
しかし、間接的なコース流の交渉の可能性は残されている。ここで第3の人物ハーランド(Harland)に登場願おう。彼は未だ独身であり、ホーレス&ハティ夫婦の隣人である。ハーランドはハティのことをホーレス以上に強く愛しており、妻としてのハティには6ポンドの価値があると評価している。また、ハティはハーランドのことをホーレス以上に強く愛しており、夫としてのハーランドには1ポンドの価値があると評価している。
ホーレスがこの事実を理解している場合、彼はハティとハーランドに対して次のような提案を持ちかけることだろう。「ハーランド君に提案なんだが、もし君が私に5.5ポンドを支払っても構わないと言うのであれば、それと引き換えに君に私の妻ハティをお譲りしようと思うのだが、どうだろうか?」、と。ハティの財産はすべてホーレスのものであったが、ハーランドの財産はホーレスのものではなくハーランドのものである。そのため、この交渉は実行可能である。ハティとハーランドはホーレスの提案を受け入れることだろう。提案通りに事が進めば、ホーレスは0.5ポンド分だけ、ハーランドは0.5ポンド分だけ、ハティは8ポンド分だけの便益をそれぞれ獲得することになる(訳注1)。妻売りを通じて関係するすべての人物の厚生が改善するのだ。論文はこちら(pdf)である。
【訳注】
(訳注1)ホーレスはハティと離婚することで5ポンドの損失を被るが(妻としてのハティを5ポンドと評価しているため)、離婚と引き換えにハーランドから5.5ポンドの支払いを受けることになる。よって、両者を差し引きすると、ホーレスは妻売りによって0.5ポンド(=5.5-5)だけの便益を得ることになる。/ハーランドはハティを買うための対価としてホーレスに5.5ポンドを支払うが、それと引き替えにハティとともに過ごすことが可能となる。ハーランドはハティを妻として迎えることに6ポンドの評価を与えているため、ハティを買うことから差し引きして0.5ポンド(=6-5.5)だけの便益を得ることになる。/ハティはホーレスと離婚することで7ポンドの便益を得るとともに(夫としてのハティをマイナス7ポンドと評価しているため)、ハーランドと一緒になることで1ポンドの便益を得ることになる。両者を加えると、ハティはホーレスからハーランドのもとへ売られることによって8ポンド(=7+1)だけの便益を得ることになる。
----------------------------------------------------
Katherine Mangu-Ward, “Buy My Wife. Please!”(Reason, November 2011)
今回インタビューを受けてくれたピーター・リーソンはジョージ・メイソン大学において資本主義研究のためのBB&T教授(BB&T Professor for the Study of Capitalism)の地位にある経済学者である。これまでに忍者やUFO、魔女裁判などをテーマとした論文を多数執筆しており、プリンストン大学出版局より出版された著書 The Invisible Hook(邦訳『海賊の経済学』)では経済学の原理を用いて海賊の行動の説明を試みている。同じくジョージ・メイソン大学の経済学者であるピーター・ベッキーとジェイマ・レムケと共同で執筆したつい最近の論文では、妻売りに対して経済学の観点から弁護を行っている。妻売りは18~19世紀のイギリスで広く見られた慣行であった。当時のイギリスでは離婚の手続きがかなり厄介であり、結婚した女性は財産に対する所有権を認められていなかったという。インタビューは今年(2011年)の8月に行われた。インタビュワーはReason誌のシニア・エディターであるキャサリン・マング-ウォードである。
Q: 妻売りをテーマに論文を執筆しようと思ったきっかけは何なのでしょうか?
A: 海賊に関する研究に取り組んでいた最中に18世紀に発行された新聞を調べていたんです。その中にとある広告を見つけたんです。それは妻売りの広告だったんですが、当時の新聞では普通によく見かける光景だったようです。はじめてそれを目にした時は度肝を抜かれて、何て馬鹿げているんだろうと思いました。でも、もっと細かく調査を進めていくうちに理にかなっているなと思うようになりました。
Q: 妻売りを取り巻く状況はどのようなものだったのでしょうか?
A: 18~19世紀のイギリスで妻売りが一つの慣行として形成されるに至る背景には、財産や結婚、離婚に関するひどく厳格で馬鹿げた当時の法律がありました。当時の婚姻法では、婚姻関係が続く間は妻は自らの財産に対する所有権をすべて――自分自身の身体に対する所有権でさえも――夫に譲り渡すことが基本となっていました。
そのため、妻が結婚生活に満足がいかず、婚姻関係を解消したいと考えた場合は、最終的に夫から離婚の同意を取り付ける必要がありました。通常のコースの定理のロジックからすると、このことは取り立てて問題とはならないはずです。というのも、結婚生活に不満な妻は――夫が結婚生活に不満な場合と同じように――(何らかの対価を支払って)配偶者から離婚の権利を買い取ればいいだけだからです。しかしながら、当時のイギリスの婚姻法の下では妻は財産を何も手にしていなかったので、妻が自ら夫に対価を支払って満足のいかない結婚生活を解消する(夫から離婚の権利を買い取る)という手段に訴えることはできなかったのです。
でも、その妻を現在の夫よりも高く評価し、かつ、その妻が現在の夫よりも高く評価するような男性が他にいるかもしれません。妻の財産は夫のものですが、その男性の財産は夫のものではありません。その男性は自分の財産の中から対価を支払って妻の代わりに現在の婚姻関係を解消する権利を買い取ることができます。妻売りというのは本質的にはこういうものだったと理解できるわけです。
Q: 実際に妻を買ったのはどのような人物だったのでしょうか?
A: 妻の愛人というケースがかなり多かったようです。それも納得のいく話です。というのも、夫としては妻をできるだけ高い価格で売り渡したいと考えるでしょうし、それも妻を最も高く評価するとともに、妻が一緒にいることを望むような人物に売り渡したいと考えるでしょうから。妻の愛人――愛人がいればの話ですが――はこのような条件をいとも容易く満たす人物です。妻を自分のものとするために最も高い価格を支払う用意があるのは妻の愛人と言っていいでしょう。既に関係を築いていることもあって、彼女を最も高く評価しているのは愛人である彼だと考えられるからです。また、妻が現在の夫よりも高く評価する人物もその愛人ということになるでしょう。妻は、恋人としてだけではなく、夫として見た場合もその愛人を現在の夫よりも高く評価していることでしょう。
そういうわけですので、多くのケースで妻の愛人が妻の買い手であったとしても納得がいくわけです。しかし、常にそうであったというわけではありません。妻が現在の夫を好きではないものの、今のところ妻には特定の愛人がいるわけではないといったケースが考えられます。妻は結婚してもいいと思えるような人物がどこかにいるのではないかと思いを巡らせたり、そのような人物を見つけたいと考えるかもしれません。夫は夫で、妻を手放してもよいと思えるほどに彼女のことを十分高く評価する人物がいるかどうかを確かめたいと考えるかもしれません。そのようなケースにおいては、妻売りに備わる公開オークションの側面が重要になってきます。公開オークションはその種の情報を顕示させる仕組みに他ならないからです。
ただし、ここで強調しておかねばならないことは、あくまでも妻売りは妻の同意の上でなされたものだった、ということです。彼女らは無理矢理(自らの意に反して)売られたわけではありません。自ら売られたがっていたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿