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2025年6月5日木曜日

Aaron Steelman 「輸入を称えて」(2003年)

Aaron Steelman, “In Praise of Imports”(Econ Focus, Federal Reserve Bank of Richmond, Winter 2003)


アメリカの歴史を振り返ると、輸入の制限を求める声が絶えない。貿易が自由になると、国内が海外の製品で埋め尽くされて、自国の企業が育たないという意見もある。貿易を制限して戦時において重要になる産業を保護するのは、国防の観点からして国益にかなうという意見もある。

保護主義を求める言い草のどれにも共通しているのは、「完全無欠な世界」とでも呼べるものが想定されていることである。例えば、次のように語られる。「他の国も関税を引き下げるのであれば、我が国が関税を引き下げるのに賛成してもいい」。他にもある。隣国が特定の産業に補助金を与えるのをやめるようなら、自由に貿易するのも結構なことに違いないだろうけど。あるいは、世界中で賃金が同一であるようなら云々。しかしながら、そのような条件は満たされそうにないので、貿易を制限する措置を撤廃するわけにいかないというのである。

「完全無欠な世界」が実現されそうにないからという理由で保護主義を擁護する議論のどこが問題かというと、そもそもどうして貿易を行うのかを誤解しているところだ。消費するためなのだ。「輸入」こそが国際貿易による真の恩恵を生むのだ。 

19世紀のアメリカがどうだったかを振り返ってみるとしよう。当時は、輸入が輸出を上回りがちだった。言い換えると、貿易赤字を抱えがちで、赤字が巨額に上ることもしばしばだった。そのせいでアメリカ経済は打撃を被ったかというと、逆だ。急速に成長したのである。その背後で輸入が重要な役割を果たしたのである。1993年にノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノース(Douglass North)によると、1800年代に「消費財を作るために使われていた生産要素(労働や資本)の多くが運河や鉄道の建設に転用された。海外から消費財が大量に輸入されたおかげで、国内での消費財の生産の落ち込みがある程度相殺された。1850年代になると、鉄道を建設するために使われる鉄が大量に輸入された。・・・(略)・・・海外の資本のおかげで輸入の超過が賄われたし、綿花の生産を増やしたり交通のインフラを整えたりするために資源を振り向けるのが可能になったのである」。

それは今でも同じで、世界中の貧しい国々が海外の製品に国境を開いたら生活水準を高められる可能性がある。貿易が発展途上国にどのような恩恵をもたらすかをワシントン大学に籍を置く経済学者のラッセル・ロバーツ(Russell Roberts)が架空の例を使って説明している。

セントルイスの住民が地元(セントルイス)で生産された品物しか買えなくなったとしたらどうなるかを考えてみるとしよう。農産物を育てる土地を確保するために、あちこちの家を取り壊わさなくてはいけなくなるだろう。生きるために欠かせない品物の生産に注力するために、多くの住民が職を変えないといけなくなるだろう。ロバーツによると、「あれやこれやの変化が相次ぐだろうが、どの変化も生活を貧しくするだろう。これとそっくりなのが最貧国なのだ。国内で自給自足しようとすると、ものすごく高くつくのだ。貿易をすれば、罠から抜けられる。貿易をすると、搾取されるのではなく、自給自足ゆえの貧困から抜けられるのだ」。

1950年代から1980年代にかけて真逆の進路を選んだのが、ラテンアメリカの発展途上国の多くである。工業化を促すために、「輸入代替」政策を採用したのである。そのおかげで国内に工業部門が育ったのは確かである。しかしながら、その代償は大きかった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に籍を置く経済学者のセバスチャン・エドワーズ(Sebastian Edwards)によると、「輸出が落ち込み、為替レートが割高になり、雇用が伸び悩み、保護されている部門における大量の資源――有能な人材も含む――がロビー活動に振り向けられた」。

輸入を制限したせいで「輸出が落ち込んだ」というエドワーズの指摘は、腑に落ちないかもしれない。輸入障壁を高くしても、海外への輸出は増えないまでもこれまでと変わらないんじゃないかと思うかもしれない。しかしながら、なかなかそうはならないのだ。1930年代にそのことに気付いたのがアバ・ラーナー(Abba Lerner)である。ラーナーも主張しているように、 輸入に税金を課すのは、輸出に税金を課すも同然なのだ。

チリとブラジルがその例証になる。チリは、1970年代にラテンアメリカ諸国の中で貿易の自由化を試みた数少ない例の一つである。チリでは、その後の25年の間に輸入も輸出も対GDP比で測って急増した。 その一方で、保護主義的な政策が続けられたブラジルでは、輸入も輸出も停滞したままだったのだ。

教訓として何が言えるかというと、輸入を制限するのは万能薬なんかではないということだ。輸入を制限すると、国が貧しくなる。輸入を制限しても、経常収支(貿易収支)はほとんど(あるいは、まったく)改善されない。ミルトン&ローザのフリードマン夫婦が語っているように、アメリカは世界中の国々に向かって次のように提案するべきなのだ。「貿易を自由化しろと強要することはできない。しかしながら、誰もが同じ条件で全面的に協力する機会を作ることならできる。関税もその他の制限措置も撤廃して、市場を開放するのだ。売れる商品を売ってもらうのだ。売りたい商品を売ってもらうのだ。買える商品を買ってもらうのだ。買いたい商品を買ってもらうのだ。 そうすれば、一人ひとりが世界規模で自由に協力できるようになるのだ」。

2014年9月25日木曜日

Barry Eichengreen&Peter Temin 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」(2010年7月30日)

Barry Eichengreen&Peter Temin, “Fetters of gold and paper”(VOX, July 30, 2010)

固定相場制――具体的には、①ユーロ、②ドルにペッグしている人民元――に端を発する緊張が世界経済を包んでいる。金本位制の経験を踏まえて言えることは、国際通貨制度というのは、為替レートを通じて多くの国々が結び付けられているシステムであり、どの国の政策も周囲に波及するということである。1930年代と同じように、経常収支の黒字を抱えている国が支出を増やそうとしないせいで、経常収支が赤字である国が景気の悪化を受け入れざるを得なくなっている。ケインズは、大恐慌の経験を踏まえて、慢性的に経常収支の黒字を抱える国に対して課税や制裁のような措置を講じる必要性を訴えた。大恐慌から60年と少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。

「1930年代の教訓」をテーマにした言説が論壇を賑わせている――例えば、Mason&Mitchener (2010), Fishback (2010), Helbling (2009) を参照されたい――。「金融危機を拡散させる上で固定相場制が果たす役割」と「金本位制の経験から得られる教訓」の二点に焦点を絞って、我々もその輪に加わらせてもらうとしよう。

1930年代の世界的な経済危機においては、金本位制が重要な役割を演じた。そのことについては、我々のどちらもがそれぞれに一家言を持っている(Temin 1989, Eichengreen 1992)。当時の金本位制は、以下のような特徴を備えていた。金(ゴールド)が国境を越えて自由に移動。金と自国通貨の交換比率(平価)を固定していた国同士の為替レートが固定。国家間の調整を図る国際機関の不在。

以上のような特徴を備えていたがゆえに、経常収支が赤字だった国と黒字だった国との間に「非対称性」が持ち込まれた。金準備が減少していて平価を維持するのが困難な国(経常収支が赤字の国)は、ペナルティ(一種の罰)を受け入れざるを得なかった。その一方で、金準備を溜め込んだ国(経常収支が黒字の国)は、(金の代わりに他の資産に投資していたら得られたであろう金利収入を除くと)何のペナルティも被らなかったのである。金準備が減少していて経常収支が赤字の国は、平価の切り下げ(為替レートの減価)を選ばずに、通常はデフレ(国内物価の下落)というペナルティを受け入れたのである。

その結果として1920年代を通じてどんなことが起きたかというと、経常収支が赤字だった国から黒字だった国へと大量の金や外貨準備が移動した。経常収支が黒字だったアメリカやフランスは金準備が増えたからといって金融緩和を強要されなかった一方で、経常収支が赤字だったドイツやイギリスは金準備が減ったせいで金融政策を引き締めざるを得なかったのである。


イデオロギーとしての金本位制

金本位制は、通貨制度というだけではなかった。イデオロギーでもあったのだ。金本位制を維持することが繁栄を実現するための前提条件だと政策当局者によって信じ込まれていたのだ。それゆえ、産出量や雇用量を安定させることよりも、金本位制を維持することが優先された。金本位制を維持しさえすれば雇用もそのうち回復するに違いないというのがセントラルバンカーたちの考えで、何らかの措置を講じて雇用を増やそうと試みても失敗するに違いないと信じ込まれていた。しかしながら、金本位制を維持していたら起こるはずがないと思われていた出来事が1930年代の初頭に起こってしまった。産出量が落ち込んだのだ。物価が下落したのだ。銀行が閉鎖されて貯金が失われたのだ。

予想と現実の食い違いを前にして、どうにかして辻褄を合わせる必要が出てきた。起きるはずがない異常事態を慣れ親しんだ枠組みの中で解釈する必要に迫られたのである。「金本位心性」(gold-standard mentalité)に逆らった政策当局者に批判の矛先が向けられたのだ。FRBやイングランド銀行が「管理通貨」という誘惑に負けたせいだというのだ。金本位制のルールを守らずに、貨幣を濫発して、金の不胎化に乗り出したせいだというのだ。FRBやイングランド銀行が金本位制のルールを守っていたら、金融市場も自ずと安定を取り戻して、価格やコストの調整もスムーズに進んでいたに違いないというのだ。

しかしながら、デフレに晒されていた当時の状況においては、そのような批判は見当違いも甚だしかったのだ。

21世紀版の金本位制と言えば、ユーロと人民元(ドルにペッグしている人民元)ということになろう。金本位制と全く一緒とは言えないが、いくつか似た面があるのは確かである。


ユーロ:金本位制よりも厳しいコミットメントを伴う通貨制度

ユーロを導入するというのは、金本位制を採用するよりもずっと厳しいコミットメントを負うことを意味する。金本位制であれば、危機に陥った場合に投資家の怒りを買わずに離脱するのも可能だったが、ユーロを一旦導入してしまうと、そうはいかないのだ〔訳注1〕――ギリシャに対してユーロからの一時的な離脱を勧める提案(Feldstein 2010)もあるようだが、無理があるのだ――(Eichengreen 2007, Blejer&Levy-Yeyatia 2010)。

ユーロは、金本位制の後継というだけではなく、ブレトンウッズ体制の後継でもある。あえてこのことを指摘するのは、ブレトンウッズ体制が誕生するまでの交渉に重要な意味が控えているからである。その交渉に参加した中心人物の一人であるケインズは、戦間期の体験を通じて金本位制の有害な影響に気付いた。既にデフレが定着している中で、金準備が減少している国(経常収支の赤字国)でなおも金融政策が引き締められるのは、その国にとってだけでなく、周辺の国々にとっても有害であることを見抜いていたのだ。

戦後(第二次世界大戦後)に同じような事態に陥らないようにするためにケインズが練り上げた案(「清算同盟案」)では、経常収支の赤字国だけでなく黒字国も経常収支の不均衡を是正する責務を負う格好になっていた。しかしながら、イギリスとアメリカとの間で意見が対立したこともあって、ケインズの案は実現されなかった。問題は解決されずに棚上げというかたちになったわけだが、だからといって忘れてしまっていいわけでは勿論ない。


人民元:イデオロギーとしてのドルペッグ制

もう一つの重要な固定相場制である「ドルにペッグしている人民元」は、中国の開発戦略を支えるイデオロギーの中心的な要素の一つとして理解すべきだろう。人民元をドルにペッグしているのはなぜかというと、以下の3つの役割が託されているのだ。

  • 製造業の輸出を促進する
  • 海外からの直接投資を促進する
  • 国内企業の利益を蓄積して、それをインフラ投資に振り向ける

固定為替レートによって結び付けられていると、いずれか一方の側の政策が他方の側へも影響を及ぼすことになる。そのことについてはうっすらと気付かれてはいるが、何らかの手を打とうとする気はそんなにないようだ。1920年代とそっくりだ。例えば、2006年にIMF(国際通貨基金)が導入した多国間協議では、それぞれの国の政策が国境を越えて波及する問題に対処するのが狙いとして掲げられている。米中戦略・経済対話も毎年開催されている。IMFは、定期的に多国間サーベイランスを実施している。しかしながら、具体的に何らかの手が打たれたかというと、ほとんど実を結んでいないのだ。

経常収支が赤字である国に手を差し伸べよと言いたいわけではない。金本位制下のドイツにしても、ユーロ圏のギリシャにしても、今のアメリカにしても、予算制約を無視した結果なのだ。収入以上の暮らしをした(支出が収入を上回った)からこそ、財政収支も経常収支も赤字になって、海外から借り入れをしないといけなくなったのだ。 

しかしながら、経常収支が赤字の国だけではなく、コインのもう一方の側である黒字の国の政策も問題がある。1920年代~1930年代初頭にドイツをはじめとした中央ヨーロッパ諸国が陥った苦境は、アメリカとフランスによる「金の不胎化」によって大いに増幅された。アメリカとフランスが経常収支の黒字を計上したので、他の国々は経常収支の赤字を計上しなければならなかった。アメリカとフランスが支出を増やそうとしなかったので、他の国々は支出を切り詰めざるを得なかった。アメリカとフランスが緊急の資金援助を拒んだので、経常収支が赤字だった国で景気の悪化が加速した。その結果として、政治的に悲惨な事態が引き起こされたのだ。

似たような展開が進行中だ。経常収支の大幅な黒字を計上しているドイツが支出を増やすのに難色を示しているせいで、ドイツと貿易面で深くつながっているギリシャがデフレを選ぶしかない瀬戸際に追い込まれているのだ。資金繰りに苦しんでいるギリシャが対GDP比で10%にも上る支出の削減を短期間で成し遂げられるかどうかはわからない。現在のギリシャが抱えている問題は、1930年代初頭にドイツが抱えていた問題と似ている。賃金をはじめとしてコストの削減を試みたとしても、債務の負担がさらに重くなるだけに終わってしまうかもしれないのだ。


フーヴァー・モラトリアムの再現はあるか?

1931年にあのフーヴァー大統領〔アメリカ合衆国第31代大統領〕でさえもがドイツに対して債務の支払い猶予(モラトリアム)を認めざるを得なかったのもそのため〔訳注;コストの削減を試みたとしても債務の負担がさらに重くなるだけに終わるからこそ〕なのだ。「内的減価」〔訳注;デフレによって実質為替レートを減価させること〕――通貨の切り下げを実現するためにギリシャに残された最後の手段――には、債務の再編が伴う必要があるのだ。フーヴァー・モラトリアムを実現するためには、アメリカによる政策変更が必要だった。それと同じように、ギリシャの債務再編に漕ぎ着けるためには、EUとIMFが方向転換を図る必要があるだろう。

中国をはじめとした経常収支の黒字国が支出を増やさないだけでなく、ドルに対して自国通貨を切り上げるのを拒むようなら、アメリカが国内の雇用を増やすために打てる手は一つしか残されていない。輸出品の競争力を高めるしかない。アメリカ国内で完全雇用を実現するために、今後5年間で輸出量を倍に増やすというのがオバマ大統領が掲げている目標である。しかしながら、経常収支の黒字を抱えているアジア諸国が支出を増やすなり名目為替レートの増価を受け入れるなり高めのインフレ率を受け入れるなりしない限りは――言い換えると、実質為替レートがアメリカに有利になるように調整されない限りは――、輸出量を倍増するという目標を叶えるためには、アメリカ国内の(賃金をはじめとした)コストを削減するか、生産性を大幅に高めるしかない。その努力も水の泡に終わるようなら、保護主義へと舵が切られるだろう。


結論

国際通貨制度というのは、為替レートを通じて結び付けられているすべての国の行動如何でその運行がスムーズにいくかどうかが左右される「システム」である。経済収支が赤字の国の行動だけではなく、黒字の国の行動もシステム全体に影響を及ぼす。不均衡を是正する責任のすべてを経常収支が赤字の国だけに押し付けるわけにはいかないのだ。

ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓でもある。だからこそ、第二次世界大戦中に考案した「清算同盟案」で、慢性的に経常収支の黒字を抱える国に対して課税や制裁のような措置を講じる必要性を訴えたのだ。大恐慌から60年と少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。



〔訳注1〕いずれかの国がユーロから一時的に離脱しようとしても、非常に手間のかかる交渉を経なければならず――ユーロから離脱するためには、EUから離脱する必要がある。EUから離脱するためには、全加盟国の承認が必要――、その間に金融危機が発生する可能性が高いという意味。


<参考文献>


●Blejer, Mario I and Eduardo Levy-Yeyati (2010), “Leaving the euro: What’s in the box?”, VoxEU.org, 21 July.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Eichengreen, Barry (2007), “The euro: love it or leave it?”, VoxEU.org, 17 November.
●Fishback, Price (2010), “US monetary and fiscal policy in the 1930s – and now”, VoxEU.org, 30 April.
●Feldstein, Martin (2010), “Let Greece Take a Euro-Holiday”, Financial Times, 16 February, www.ft.com.
●Helbling, Thomas (2009), “How similar is the current crisis to the Great Depression?”, VoxEU.org, 29 April.
●Mason, Joseph and Kris James Mitchener (2010), “Exit strategies for central banks: Lessons from the 1930s”, VoxEU.org, 15 June.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.

2012年8月11日土曜日

Barry Eichengreen&Douglas Irwin 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日)

Barry Eichengreen&Douglas Irwin, “The protectionist temptation: Lessons from the Great Depression for today”(VOX, March 17, 2009)
 
1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか? 各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせるべきである。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。

1930年代の大恐慌期には、保護主義が急速に台頭した。政策当局者が細心の注意を払って警戒しなければ、1930年代のように保護主義が蔓延してしまうのではないかと多くの人に恐れられている。1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか?

大恐慌の多くの側面について今でも議論が続けられているが、全面的といっても構わないほど合意が得られていることもある。1930年代に採用された貿易制限措置は破壊的で逆効果だったというのがそれで、今のような停滞下に同じような真似をする(保護主義に身を委ねる)ことだけは絶対に避けるべきなのだ。1930年代に関税が引き上げられたり非関税障壁が導入されたりしたのは、景気を下支えするための他の手段が欠けていたからだった。海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとした苦肉の策だったのだ。しかしながら、他の国の政府も同じような行動に出てあちこちで関税が引き上げられたので、意図した目的――海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向ける――を達成できずに、貿易の崩壊という結果を招いただけだった。1933年以降に大半の国で景気が回復したにもかかわらず、貿易量は30年代の終わりになっても1929年の水準に及ばなかったのである(図1を参照)。比較優位の恩恵が得られなかっただけではない。近隣窮乏化的な通商政策の応酬がネックになって、停滞から抜け出すための他の手段を互いにすり合わせるのが難しくなってしまったのである。



図1 世界の貿易量と産出量(1926年~1938年)


大恐慌についての同時代の説明なり現代の説明なりに目を向けると、1930年代にはあらゆる国が貿易障壁を設けていて、完全なる混沌に陥っていたかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、そのような印象は事実に反する(Eichengreen&Irwin, 2009)。貿易制限措置があちこちで導入されたのは確かだが、国によってその度合いにかなり大きな違いが見られたのである。当時の国別の関税率をまとめた図2をご覧いただきたい。30年代に入って関税率を大きく引き上げた国もあれば、そうではない国もある。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本と同じように振る舞っていたとしたら、1930年代の歴史はまったく違っていただろう。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本のように振る舞わなかったのはなぜなのだろうか?



図2 平均的な輸入関税率(1928年~1938年:単位は%)


採用していた為替相場制度が違っていたからというのが答えだ。金本位制にとどまって、平価(金と自国通貨との交換比率)を固定し続けた国ほど、貿易制限措置に訴えがちだったのだ。他の国が平価を切り下げたせいで価格競争力の面で不利な立場に置かれてしまい、国際収支(balance of payments)の悪化を食いとどめて金の流出を防ぐためにも貿易制限措置を採用せざるを得なかったのだ。景気の悪化に対処するための他の手段が欠けていたので、海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとして、関税やそれに類する手段を用いたのである。

それとは対照的に、金本位制から離脱して為替レートの減価を受け入れた国では、国際収支が改善して、金が流入した。それに加えて、金本位制から離脱したおかげで、失業問題に立ち向かうための他の手段が手に入ったことも重要である。自国通貨と金(gold)の結び付きが断ち切られたおかげで、金融政策に対する縛りがなくなったのだ。平価を維持する必要がなくなったので、金利を自由に引き下げられるようになったのだ。金本位制のルールに縛られる必要がなくなったので、中央銀行が「最後の貸し手」として振る舞えるようになったのだ。金本位制から離脱したおかげで、大恐慌に立ち向かうための(貿易制限措置以外の)他の手段が手に入ったのだ。その結果が図3に示されている。鉱工業生産が順調に伸びたのだ。景気が順調に回復したおかげで、貿易制限措置に訴えずに済んだのだ。



図3 鉱工業生産の変化


金本位制から離脱して為替レートの減価を許容した国ほど、貿易制限措置に訴える度合いが低かったのだ。その一例が図4に示されているが、関税率だけではなく、為替管理や輸入割当のような非関税障壁についても同様の関係が成り立つのだ。



図4 為替レートの変化と輸入関税率の変化(1929年~1935年)


これまでに紹介してきた発見は、今現在のいわゆる大不況(Great Recession)への対処を任されている政策当局者に対しても重要な教訓を投げかけている。「保護主義を避けるために、景気を刺激せよ」というのがそれだ。しかしながら、景気を刺激するにはどうしたらいいのだろうか? 1930年代においては、景気刺激策と言えば、金融刺激策(金融緩和)を意味していた。財政政策を使って景気を刺激するという選択肢についてはよく理解されていなかったし、広く受け入れられてもいなかった。アイケングリーン&サックス(Eichengreen&Sachs 1985)が詳しく論じているように、金融刺激策は、当該国(金融緩和に乗り出した国)の景気を浮揚させた一方で、貿易相手国の景気を冷え込ませた。金利を引き下げる「チープマネー」政策は、貿易相手国に対して相反する効果を及ぼした。金融緩和のおかげで当該国の景気が上向いて輸入需要(海外製品に対する需要)が増えると、貿易相手国の景気にプラスに働くが、金利が引き下げられて当該国の通貨が減価すると、貿易相手国の景気にマイナスに働く。当該国だけが「単独」で金融緩和に踏み切ると、後者のマイナスの効果が前者のプラスの効果を凌駕したのだ。一国による単独の金融緩和は、貿易相手国の景気を冷え込ませて、その国を保護主義に向かわせたのだ。

1930年代と今とでは利用可能な政策手段に違いがあるのを反映して、抱える問題にも違いが出てくる。今はどうなっているかというと、大不況に立ち向かうために、金融刺激策に加えて、財政刺激策も試みられている。一国による単独の財政刺激策は、貿易相手国に対してもプラスに働く。財政刺激策のおかげで当該国(財政刺激策に乗り出した国)の景気が上向くと、それに伴って輸入需要(海外製品に対する需要)が増えるからである。財政刺激策が試みられるせいで世界金利が上昇するようなら、当該国でも貿易相手国でも民間投資が減る可能性があるが、今のところはその心配はなさそうだ。つまりは、いずれかの国が単独で財政刺激策に乗り出せば、貿易相手国の輸出が増える可能性があるので、貿易相手国が保護主義に訴える理由がなくなるのだ。

しかしながら、問題もある。財政刺激策の恩恵が「ただ乗りする」貿易相手国に波及することが問題視される可能性があるのだ。財政刺激策にはコストが伴う。子や孫の世代によって返済されなければならない公的債務が増えるのだ。それゆえ、財政刺激策が海外製品に対する需要(輸入需要)も増やすようなら、「バイアメリカ」(“Buy America”)条項に類した手段に訴えて、財政刺激策の恩恵が他の国に漏出するのを防ぎたくなるかもしれない。保護主義の誘惑は依然としてあるのだ。ただし、金融刺激策ではなく財政刺激策が試みられる場合に保護主義の誘惑に駆られるのは、事の成行きを静観している側(貿易相手国)ではなく、積極的な行動に打って出る側(財政刺激策に乗り出す国)なのだ。

1930年代と今とで抱える問題に細かいところで違いはあっても、答え(解決策)は同じだ。1930年代においてそうすべきだったように、各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせる〔訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和なり財政出動なりに乗り出す〕必要がある。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。


<参考文献>


●Barry Eichengreen and Douglas A. Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?", NBER Working Paper No 15142.
●Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s(JSTOR)”, Journal of Economic History 45, 925-946.

2011年3月6日日曜日

Anna Maria Mayda&Kevin H. O’Rourke 「大きな政府とグローバリゼーション:政府と市場の補完的な関係」(2007年11月12日)

Anna Maria Mayda&Kevin H. O’Rourke, “Big governments and globalisation are complementary”(VOX, November 12, 2007)

自由な貿易は勝者と敗者を生むが、勝者は敗者が被る痛み以上の得をする。政府は、勝者と敗者がお互いの得失を分かち合う仕組みを前もって用意して、自由貿易に対する世間の支持を醸成するべきである。政府がそのような仕組みを用意したら、自由貿易に対する世間の支持が高まることを示す証拠があるのだ
 
経済学者は、2世紀以上の長きにわたって、自由貿易の利点を説いて回っている。しかしながら、世間の大多数は、今もなお強硬な保護主義者のままである。1995年~1997年の期間に47カ国の計6万人以上を対象にして、自由貿易と輸入規制の強化のどちらを望むかが問われたが、回答者のうちの約60%が輸入規制の強化を望んだのである〔原注1〕。中国やインドが将来的に経済大国の地位に上り詰めるようなら、ヨーロッパやアメリカで保護主義を支持する声が今以上にさらに広がることだろう。自由貿易に対する世間の恐れを和らげるために、政府に打てる手というのはあるのだろうか? 保護主義を求める声をはねつけるか、保護主義を求める声に屈するかのどちらかを選ぶしかないのだろうか? 

貿易が自由化されると経済的なリスク(economic insecurity)が高まるというのが、グローバリゼーションに対して世間が抱く主たる不満の一つである。海外の生産者(あるいは、海外の労働者)との競争にさらされることによって、国内の労働者が職を失うリスクが高まって、将来の生活を予測するのが難しくなるわけである。グローバリゼーションが経済的なリスクを高めるようなら、政府が国内の労働者のために保険を提供するというのがあり得る対応の一つだろう。予想外の失職に備えて公的なセーフティーネットを整えるわけである。ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)の有名な論文〔原注2〕でも述べられているように、他国に対して開かれている国ほど(貿易の自由度が高い国ほど)、政府の規模が大きい傾向にあるのもそのためなのだ。政府と市場は、代替的な関係にあるのではなく、補完的な関係にあるのだ。自由貿易に対する世間の支持を醸成する上で、政府のプログラムはきわめて重要な役割を果たすのだ。

過去の歴史に目をやると、政府と市場が補完的な関係にあることを裏付ける顕著な証拠を見出すことができる。現代の福祉国家の礎が築かれたのは、グローバリゼーションの第一回目の絶頂期――第一次世界大戦に先立つ数十年の期間――だったのだ。当時のヨーロッパでは、社会主義的な政党が一連の社会保険プログラム――年金、傷害保険、失業保険――の導入と引き換えに、貿易の自由化に賛成した。社会保険プログラムの導入という面で改革が最も進められたのは、他国に対して最も開かれた国だった。グローバリゼーションの第一回目の絶頂期は、底辺への競争(race to the bottom)が繰り広げられた時期ではなく、ヨーロッパにおいて自由貿易と社会政策が手を取り合って互いを高め合った時期だったのだ。最近の研究が明らかにしているように、政府が自由貿易に対する世間の支持を醸成できたのは、社会保険プログラムが導入されたからこそなのだ〔原注3〕。別の例も挙げると、市場の開放と国内経済の安定のどちらにも目配りした第2次世界大戦後のブレトンウッズ・ガット体制は、戦間期における自給自足経済への傾斜が悲惨な結果を招いたことへの反省と、市場の開放が景気の回復を支えたという認識の上に築かれたと見なすことができるが、経済的なリスクの高まりに備えるために政府が積極的に介入しなければ、市場を開放しても長続きしないだろうと考えられていたのだ。

政治学者のリチャード・シノット(Richard Sinnott)も加えた三人での共同研究の成果を論文としてまとめたばかりなのだが、政府支出が自由貿易に対する世間の支持を高める可能性があることを支持する証拠が得られている〔原注4〕。ヨーロッパとアジアの18カ国が対象になっているサーベイデータを利用して検証を行っているが、リスク回避的な人ほど、自由貿易に反対しがちという関係性が見出されている。しかしながら、その関係性は、政府支出の対GDP比が高い国においてほど弱まるのだ。

計量経済モデルを用いた統計的推定の一つによると、スウェーデン人に関しては、リスク回避の度合いを測る変数が最大値にまで上昇すると、極端な保護主義に同意する確率が約6.5%ポイント高まる傾向にある。その一方で、インドネシア人に関しては、その確率が約16%ポイント高まる傾向にある。スウェーデンのケースの倍以上だ。スウェーデンとインドネシアの重要な違いは、政府最終消費支出の対GDP比にある。スウェーデンでは、その値(政府最終消費支出の対GDP比)は26.6%。インドネシアでは、わずか6.5%なのだ。スウェーデンでは、経済的なリスクに備える保険が政府によって提供されているのだ。その一方で、インドネシアでは、自助に委ねられている部分が多くて、労働者やその家族が経済的なリスクに自力で立ち向かわないといけないのだ。同じくらいリスクを嫌っていても、スウェーデン人の方が自由貿易への抵抗が少ないとしても、特段驚くようなことでもないだろう。

自由貿易に反対する理由は、人それぞれだろう。例えば、我々が利用したサーベイデータによると、経済とは関係のない理由だったり愛国主義的な理由だったりを根拠にして、海外との経済的な結びつきが強まることに反対する人もいる。ヨーロッパに話を限定すると、親ヨーロッパ的な感情と、自由貿易に対する好意的な感情との間には、明確なつながり(正の相関)があることが見出されている。ヨーロッパが統合されるまでの歴史を顧みたら、それほど驚くような結果でもないだろう。ともあれ、豊かな国々の政府は、経済的なリスクの高まりに備える政策を導入することによって、自由貿易に対する世間の支持を取り付けることができるのだ。市場が開放されるのに伴って労働者やその家族に過度のリスクが押し付けられないように保証する政策を導入すれば、自由貿易に対する世間の支持を取り付けることができるのだ。そうなることは、貧しい国々が輸出を通じて成長を続けるためにも不可欠なのだ。


〔原注1〕World Values Survey, 1995-1997. 詳しくは、以下のリンクを参照されたい。http://www.worldvaluessurvey.org/

〔原注2〕Rodrik, D., 1998. “Why Do More Open Economies Have Bigger Governments?”, Journal of Political Economy 106, pp. 997-1032.

〔原注3〕Huberman, M. and W. Lewchuk, 2003. “European Economic Integration and the Labour Compact, 1850-1913”, European Review of Economic History 7, pp. 3-41.

〔原注4〕A.M. Mayda, K.H. O’Rourke and R. Sinnott, 2007. “Risk, Government and Globalization: International Survey Evidence”.