ラベル Gregory Mankiw の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Gregory Mankiw の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年5月23日金曜日

Gregory Mankiw 「景気循環の影響は尾を引く?」(2006年5月25日)

Gregory Mankiw, “Goolsbee on the Business Cycle”(Greg Mankiw’s Blog, May 25, 2006)


シカゴ大学に籍を置く経済学者のオースタン・グールズビー(Austan Goolsbee)が本日のニューヨーク・タイムズ紙に素晴らしい記事を寄稿している。学生たちが社会に出る時の景気の状態が彼らのその後のキャリアに及ぼす影響について調査している最新の研究結果が紹介されている。一部を引用しておこう。

スタンフォード大学経営大学院に籍を置く経済学者のポール・オイヤー(Paul Oyer)が最近の論文――“The Making of an Investment Banker: Macroeconomic Shocks, Career Choice and Lifetime Income”(NBER Working Paper 12059, February 2006)――で見出している証拠を取り上げるとしよう。オイヤーは、1960年から1997年までの間にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちのその後の経歴を辿っている。

どういう結果が見出されているかというと、学生たちが大学院に入学してから2年間の株式市場のパフォーマンスが卒業後に投資銀行部門に就職できるかどうかだけでなく、卒業後の平均賃金にも重要な影響を及ぼしているという。投資銀行部門というのは給与も高額だから、特段驚くような結果ではない。衝撃的なのは、卒業した年度の違いによる平均賃金の差が20年後になっても埋まらないということだ。

例えば、1988年度にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちは、1987年の株価大暴落(ブラックマンデー)の直後に就職戦線に入ることになった。民間の銀行は、新卒採用に消極的だった。そのためもあって、1988年度の卒業生の初年度の平均賃金は、1987年度の卒業生の初年度の平均賃金を下回るだけでなく、株式市場が回復した後に卒業した学生の初年度の平均賃金も下回ったのだった。卒業してから10年以上が経過した後でも、1988年度の卒業生の平均賃金は、それ以外の年度の卒業生の卒業後10年以上が経過した後の平均賃金を大きく下回ったままなのだ。1988年度の卒業生たちは、社会人としてスタートした時点で割りのいい仕事を取り逃がしてしまい、その後も失地を挽回できなかったのだ。

過去20年間を対象に同様の調査を行っている他の経済学者によると、MBA(経営学修士号)を取得してウォール街で働くような若者だけに当てはまる現象ではないことが見出されている。学部の卒業生(大卒者)にも当てはまるというのだ。フィリップ・オレオプロス(Philip Oreopoulos)&ティル・フォン・ワッチャー(Till Von Wachter)&アンドリュー・ヘイス(Andrew Heisz)の三人の最近の共著論文――“The Short- and Long-Term Career Effects of Graduating in a Recession”(NBER Working Paper 12159, April 2006)――によると、不況期に就職した大卒者は、社会に出てから10年間は収入面での躓き(つまずき)を挽回できないというのだ。

標準的なマクロ経済理論と食い違っているようだが、辻褄を合わせるにはどうしたらいいだろう? この記事を読みながら頭に浮かんだ疑問だ。標準的な理論によると、自然産出量や自然失業率から一時的に乖離するのが景気循環という現象なのだ。マクロ経済ショックが起きてから数年後には、すべてが正常に戻ると想定されているのだ。それとは対照的に、グールズビーが紹介している証拠によると、マクロ経済ショックが一人ひとりの機会に及ぼす影響はだいぶ尾を引くというのだ。

GDPが過去の値(履歴)に強く影響を受ける――「単位根」を持つ――ことを示唆する時系列分析の分野の発見と関わってくる証拠なのかもしれない。景気循環の社会的コストについて見直しを迫る証拠なのかもしれない。

グールズビーが紹介しているミクロの証拠と標準的なマクロ理論との食い違いを埋めるために、優れた研究論文がそのうち何本か書かれるんじゃなかろうか。

2025年5月20日火曜日

Gregory Mankiw 「リセッションとデプレッション」(2008年10月10日)

Gregory Mankiw, “Recession or Depression?”(Greg Mankiw's Blog, October 10, 2008)


学生から質問された。

どうなればリセッション(recession)がデプレッション(depression)になる決まりになっているのでしょうか?
 
デプレッションの公式の定義というのはない。私も委員を務めたことがあるNBER(全米経済研究所)の景気循環日付委員会では、景気循環の転換点を認定している。景気が拡大局面から後退局面(あるいは、後退局面から拡大局面)に転換したのはいつかを後知恵で決めているわけだ。緩やかな景気後退をリセッションと呼んで、深刻な景気後退をデプレッションと呼ぶのが習わしみたいになっているが、リセッションとデプレッションを区別する公式の定義というのはないのだ。 

この上なく明快な定義は、おそらく以下だろう。

リセッションというのは、あなたの隣人が仕事を失う時のこと。デプレッションというのは、あなたが仕事を失う時のこと。

Gregory Mankiw 「野獣を飢えさせろ」(2008年6月16日)

Gregory Mankiw, “Starve the Beast”(Greg Mankiw's Blog, June 16, 2008)


ポール・クルーグマン(Paul Krugman)が本日のニューヨーク・タイムズ紙のコラムで述べているところによると、「野獣を飢えさせろ」理論は正しいらしい。減税すると、政府の規模が小さくなるというのだ。ただし、時間差があるという。

オバマは、マケインよりもずっと進歩的でもある。上位1%の税引き後所得を大幅に引き下げる一方で、下位80%の所得を引き上げるつもりだというのだ。しかしながら、どれだけの税収を確保するつもりなのかというと、7000億ドルにとどまっている。大金に聞こえるかもしれないが、国民皆保険を実現するためには足りないだろう。 

オバマが税金を集めるのに控え目なのはなぜなのか? ブッシュが税制に仕込んだポイズンピルに原因があるのだ。

・・・(中略)・・・

二人の候補者(オバマとマケイン)が税金についてせせこましい議論を繰り広げているのを眺めていると、ブッシュが税制に仕込んだポイズンピルが効果をちゃっかり発揮しているのがわかって、驚きもするしガッカリもしてしまう。 

言い換えると、ブッシュ減税のせいでオバマが大統領になっても政府の規模に縛りがかかるかもしれないというのだ。

似たようなことを語っているのが、ロバート・ライシュ(Robert Reich)だ。クリントン政権で労働長官を務めたライシュだが、当時を回想した滅茶苦茶面白い一冊である『Locked in the Cabinet』で、レーガンによる減税(および、その結果としての財政赤字の拡大)のせいでクリントン政権の手が縛られたと述べているのだ。ライシュが望んでいた支出プログラムを残らず実行することができなかったというのだ。

クルーグマンもライシュも悪い報せとして受け取っている。政府支出が拡大するのをよしとしているからだ。しかしながら、「小さな政府」をよしとする古典的自由主義者にとっては、良い報せだ。かの有名で悪罵を浴びせられることもある「野獣を餓えさせろ」理論を支持する報せなのだから。

2025年5月12日月曜日

Gregory Mankiw 「現金をどれくらい持ち歩くべきか?」(2007年9月4日)

Gregory Mankiw, “How much cash to hold”(Greg Mankiw's Blog, September 04, 2007)


ブライアン・カプラン(Bryan Caplan)が、財布にどれくらい現金を入れておくべきかを問うている。

大学(ジョージ・メイソン大学)でのランチの時間に、二人の経済学者(A氏&B氏)が財布にどれくらい現金を入れておくべきか(現金をどれくらい持ち歩くべきか)をめぐって意見を戦わせた。A氏が持ち歩いている現金は、ほんの少しだけ。クレジットカードで基本的に何でも買えるからというのがその理由だ。B氏はというと、現金をたくさん持ち歩いている。現金を手元に持っているせいで得られなくなる金利なんて無に等しいし、貴重な時間をできるだけ無駄にしたくない(現金を持ち歩いていたら時間を節約できる)というのがその理由だ。

あなたは、どちらに肩入れするだろうか? その理由は? 「時間の価値」および「現金を手元に持っているせいで得られなくなる金利」の具体的な計算結果もお待ちしている。

(追記)教科書に載っているような貨幣需要モデルは持ち出さないでもらいたい。知りたいのは、一般的な枠組みではなく、具体的な答えなのだ。

カプランは、教科書に載っているモデルをあまりにも安易に退けてしまっているようだ。現金管理に関するボーモル=トービンモデル――貨幣需要の在庫理論アプローチ――は、単なる「一般的な枠組み」というにとどまらない。「具体的な答え」も導き出せるのだ。拙著である中級マクロ経済学の教科書の18章の練習問題の一つで学生たちに現金をどう管理すべきかを問うているが、あれは簡単な数値例を使ったボーモル=トービンモデルの応用問題なのだ。

例えば、ジョージ・メイソン大学に籍を置く某経済学者が1日に使う現金は10ドルだとしよう。ATMまで足を運んでお金をおろすのに10分かかって、彼にとって1時間は60ドルの値打ちがあるとしよう。銀行にお金を1年間預けていたら、5%の利子が得られるとしよう。これだけの情報があれば、ボーモル=トービンモデルから具体的な予測を導き出すことができるのだ。某経済学者は、1年のうちにATMに3回足を運んで、そのたびに1200ドルを銀行口座から引き出すべきなのだ。言い換えると、1年を通じて財布の中に平均で600ドルが入っているようにすべきなのだ(この予測を裏付ける方程式の詳細については、拙著をご確認いただきたい)。

大半の人の財布には(1年を通じて平均で)600ドルも入っていない。ずっと少ない現金しか持ち歩いていない。1年のうちにATMに足を運ぶ回数も3回どころじゃない。もっとずっと多い。モデルから導かれる予測と違っているのは、なぜなのだろう? 謎だ。中級マクロ経済学の講義で格好の題材となるに違いない謎だ。モデルと現実が食い違っているのはなぜなのかをめぐって、実りある討論ができるだろう。 

現金を無くすのを心配しているから、というのが考え得る理由の一つだ。現金を紛失する(あるいは、盗まれる)確率が p だとすると、現金を保有する機会費用は(r+p)〔訳注;rは金利〕へと高まることになる。しかしながら、p に具体的な値を代入してみると、難があることにすぐ気付く。2週間に1回はATMに足を運ぶとかいう現実と合致する予測をモデルから導き出すためには、p の値をだいぶ大きくしないといけないのだ。現実にはあり得ないほど財布をしょっちゅう落とすと想定しないといけないのだ。

持ち歩いている現金の額がモデルから導き出される予測と大きく食い違っているのはどうしてなのかと学生たちに尋ねたら、お金を持ってたらつい使ってしまうかもしれないからだ、という答えがあちこちから返ってくることだろう。興味深い行動仮説だ。お金をポケットに入れておいたら焼け穴を作って出ていってしまう――お金を持っていたら、つい使ってしまいたくなる誘惑にとらわれる――おそれがあるが、銀行に預けておいたらその心配もないというわけだ。この仮説で私自身の行動がうまく説明できるとは思わないので、私としてはこの仮説にそこまで説得力を感じないが、多くの学生は共鳴するんじゃなかろうか。教師としてのこれまでの経験からそう言えそうだ。

2013年2月18日月曜日

Gregory Mankiw 「金融政策の分権化に向けて」(2006年7月21日)

Gregory Mankiw, “How to Decentralize Monetary Policy”(Greg Mankiw's Blog, July 21, 2006)


本日付(2006年7月21日付)のウォール・ストリート・ジャーナル紙で次のように報じられている。

FOMCの議事要旨によると、Fedが6月(先月)に政策金利を引き上げたのは、マーケットが政策金利の引き上げを予想していたからというのも理由の一つのようだ。マーケットの予想に反して政策金利を引き上げなければ、インフレファイターとしての評判に傷がつくと恐れたようなのだ。

ビビりだなあと思う人もいるかもしれない。リーダーシップをとってマーケットを引っ張るわけではなく、マーケットの御機嫌を取っているというわけだから。しかしながら、考えようによっては「金融政策の分権化」に向けて一歩踏み出すことができるかもしれない。

どういうことかというと、Fedが例えば2%のインフレ目標を採用すると同時に、以下のようなルールに従うようにすればいいのだ。

マーケットが政策金利とインフレ率の今後についてどのように予想しているかをチェックする。将来的にインフレ率が2%を上回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも高めに政策金利を設定する。それとは反対に、将来的にインフレ率が2%を下回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも低めに政策金利を設定する。インフレ率が今後も2%にとどまるというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定する。

循環しているように見えるかもしれない。Fedはマーケットに反応し、マーケットはFedに反応するというわけだから。しかしながら、どこにも問題はない。経済学者は、同時性(simultaneity)の問題に慣れっこなのだ。

言うまでもなく、マーケットはFedの反応を織り込んで予想を立てるだろう。しかしながら、何の問題もない。そうなることが理想なのだ。最終的には、インフレ率が今後も2%にとどまるとマーケットが予想するような不動点(fixed-point)に達するだろう。あとは、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定すればいい。そうすればインフレ目標を達成できるのだ。

2012年7月5日木曜日

Gregory Mankiw 「流動性の罠」(2002年)

Gregory Mankiw, “The Liquidity Trap”(in 『Macroeconomics (5th)』, Ch. 11, pp. 303)


1990年代の日本と1930年代のアメリカでは、名目利子率が極めて低い水準に達した。表11-2 に示されているように、1930年代後半のアメリカでは、名目利子率が1%を大きく下回っていた。1990年代後半の日本についても同じことが当てはまる。日本の名目短期利子率は、1999年の時点でおよそ0.1%にまで低下したのだ。
 
このような状況を指して「流動性の罠」と形容する経済学者もいる。IS-LMモデルによると、金融政策が緩和されると、名目利子率が低下して設備投資が刺激されることになる。しかしながら、名目利子率が既にゼロ%近くにまで下がっていたら、金融政策は役立たずになってしまうかもしれない。名目利子率はゼロ%以下になり得ないのだ。その理由は、名目利子率がマイナスになったら、お金を誰かに貸すよりも手元に持っておく方が得になるだろうからだ。名目利子率が既にゼロ%近くにまで下がっていたら、金融政策を緩和して市中に流動性を注入しても、名目利子率はもう下がりようがないので、景気は一切刺激されないかもしれないのだ。総需要も産出量も雇用量も落ち込んだままの「罠」に嵌ってしまうかもしれないのだ。

異を唱える経済学者もいる。金融政策を緩和したら、予想インフレ率が高まるかもしれないというのである。名目利子率は下げられなくても、予想インフレ率が高まれば、実質利子率がマイナスになって、設備投資が刺激される可能性があるというのである。それに加えて、金融政策を緩和したら、為替レートが減価するかもしれないともいう。為替レートが減価したら、輸出品が海外で安くなるので輸出が増えるだろうというのである。本章で用いた閉鎖経済版のIS-LMモデルだと手に余るが、次章で論じる予定の開放経済版のIS-LMモデルに照らすと、もっとも言い分だ。

金融政策を司る中央銀行は、「流動性の罠」について気を揉む必要があるのだろうか? 金融政策が無力になってしまうことはあるのだろうか? 答えは人によってまちまちだ。「流動性の罠」なんて気にする必要ないという意見もあれば、「流動性の罠」に陥る可能性を考慮するとゼロ%以上のインフレ率を目標にすべきだという意見もある。インフレ率がゼロ%だと、名目利子率と同じように、実質利子率もゼロ%以下になり得ない。しかしながら、インフレ率が3%なら、実質利子率をマイナスにできる。名目利子率をゼロ%にまで引き下げたら、実質利子率はマイナス3%になる。緩やかなインフレは、景気を刺激する必要に迫られた時に中央銀行が打てる手を増やして、「流動性の罠」に陥るリスクを減らすのだ。

2012年6月18日月曜日

Gregory Mankiw 「ニューケインジアンの経済学」

N. Gregory Mankiw, “New Keynesian Economics”(The Concise Encyclopedia of Economics, Library of Economics and Liberty)


ニューケインジアンのマクロ経済学(New Keynesian economics)は、ジョン・メイナード・ケインズの思想を引き継ぐ現代マクロ経済学の一学派である。ケインズは1930年代に『雇用、利子および貨幣の一般理論』を出版したが、ケインズの影響力は、1960年代を通じて、経済学者や政策当局者の間で高まっていくことになった。しかしながら、1970年代に入ると、R. ルーカスやT. サージェント、R. バローらを代表とする新しい古典派(New Classical)のマクロ経済学者が、ケインズ革命がもたらした多くの教訓に疑問を投げかけることになった。1980年代に入って、新しい古典派からの批判にさらされたケインズ経済学の教義の立て直しを図ろうと登場してきたのが「ニューケインジアン」を自称する一連の経済学者らであった。

新しい古典派とニューケインジアンとの間における主要な意見の不一致は、名目賃金や名目価格の調整速度(名目賃金や名目価格がどれだけ素早く調整されるか)に関する想定の違いに基づいている。新しい古典派は、名目賃金や名目価格は伸縮的であるとの仮定の下に理論を構築しており、価格は市場を清算するように-需要と供給とが等しくなるように-素早く調整されると想定しているのである。一方で、ニューケインジアンは、(新しい古典派が想定するような)市場均衡モデルは短期的な景気変動を説明することはできないと考え、短期的な景気変動を説明するためには、名目賃金や名目価格は粘着的(“sticky”)であるとの仮定の下に理論を構築するべきだ、と主張する。ニューケインジアンは、名目賃金と名目価格の粘着性に基づいて、非自発的失業が存在する理由や金融政策が経済活動に強い影響を及ぼし得る理由を説明しようとするのである。

(ケインズ経済学とマネタリズムとの両者のパースペクティブをともに含む)マクロ経済学における長い伝統(A long tradition in macroeconomics)においては、金融政策が短期的に雇用量や生産量に影響を与えることができるのは、マネーサプライの変化に対する名目価格の調整が緩やかであるからだ、とみなされている。この伝統的な見解によれば、マネーサプライの変化は以下のようなメカニズムを通じて生産や雇用に影響を与えることになると考えられている。例えば、マネーサプライが減少すると、人々はお金の支出を減らし、その結果財に対する需要が減少することになる。しかしながら、名目価格や名目賃金の調整は緩やかであり、それゆえ名目価格や名目賃金は需要の減少に応じて即座には下落しないために、(マネーサプライの減少に端を発する)需要の減少は生産の落ち込みと労働者の首切りをもたらすことになるだろう、と。新しい古典派はこの伝統的な見解を批判する。緩やかな価格調整という仮定は理論的に首尾一貫した説明を欠くアドホックな仮定だ、というのである。ニューケインジアンの研究の多くは、マクロ経済学における長い伝統に含まれているこの欠陥を修正すること、つまりは、緩やかな価格調整という仮定に対して理論的に首尾一貫したミクロ的基礎を提供することに向けられたのである。


Menu Costs and Aggregate-Demand Externalities (メニューコストと総需要外部性)

名目価格が市場を均衡させるように素早く調整されない理由の一つは、価格調整にコストがかかるからである。価格(値付け)の変更に伴って企業は顧客に対して新たなカタログを送付しなければならないかもしれず、商品の販売スタッフに対して新たな値付けのリストを配布しなければならないかもしれない。また、レストランでは新たなメニューを作り直さなければならないかもしれない。このような価格調整に伴うコスト-「メニューコスト」と呼ばれる-が存在するために、企業は需要の変化に応じてその都度柔軟に価格を変更する代わりに断続的に価格を変更することを選ぶのである。

メニューコストの存在が短期的な景気変動を説明する助けとなるかどうかという点に関しては経済学者の間で意見の不一致がある。(メニューコストの存在によっては短期的な景気変動を説明できないとの立場に立つ)懐疑的な経済学者は、メニューコストは大体において極めて小さいものであり、そのように小さなメニューコストが景気後退のような社会的に大きなコストを生み出す現象を説明することはできないのではないか、と主張する。一方で擁護の立場に立つ経済学者は、「小さい」("small")ということは「とるに足らない(重要でない)」("inconsequential")ということと同じではない、と反論する。メニューコストは個々の企業にとっては小さなものであったとしても、経済全体に対しては大きな効果を持ちうるかもしれない、というのである。

メニューコストの存在に基づいて短期的な景気変動を説明することができると考える経済学者は以下のように議論を展開する。価格がなぜ緩やかにしか変化しないのかを理解するためには、ある特定企業による価格の変更は外部性-当該の(自社製品の価格を変更しようとしている)企業や顧客以外にも効果が及ぶこと-を有していることを認識しなければならない。例えば、ある企業による製品価格の引き下げは次のように他の企業に対しても便益をもたらすことになる。ある企業が価格を引き下げると、同時に経済全体の平均価格も若干ではあるが下落することになり、その結果経済全体の実質所得は増加することになる(名目所得はマネーサプライの量によって決定される)。この実質所得の増加はすべての企業の製品に対する需要の増加というかたちをとることになるだろう。一企業の価格調整が他のすべての企業の製品に対する需要に及ぼすこのマクロ経済的な効果は「総需要外部性」(“aggregate-demand externality”)と呼ばれている。

総需要外部性が存在する状況下では、個々の企業の製品価格を粘着的にする小さなメニューコストは社会全体に対して大きなコストをもたらすことになる。例えば、GMがある新車の価格を発表した直後にFRBがマネーサプライを減少させたとしよう。FRBのこの行動を受けて、GMは発表したばかりの新車の価格を引き下げるべきかどうかを決定しなければならない。もしGMが価格を引き下げたとすれば、車の購入者の実質所得は増加することになり、車の購入者は他の企業の製品を(GMの新車価格が引き下げられなかった場合と比べると)より多く購入することになるだろう。しかし、新車の価格を引き下げるべきかどうか思案しているGMは自車の価格引き下げが他の企業にどのような便益を及ぼすことになるかを考慮に入れることはない。それゆえ、場合によっては、GMは、価格を引き下げることが社会的に見て望ましいとしても、メニューコストの存在により価格引き下げを断念する(訳注1)ということもあり得るだろう。このGMの例が示しているように、粘着的な価格(価格を据え置くこと)が個々の企業にとっては合理的である(最適である)としても、経済全体で見ると非合理的な(望ましくない)結果につながることがあり得るのである。


The Staggering of Prices (価格設定の時間的ズレ)

ニューケインジアンが価格の粘着性を説明しようと試みる際には、すべての企業が同時に価格を設定するわけではなく、その代わりに、企業ごとの価格設定には時間的なズレが存在する点が強調されることもある。それぞれの企業が価格を設定するタイミングにズレが存在するとなると、個別企業による価格設定は複雑な様相を呈することになる。というのも、企業ごとの価格設定に時間的なズレがあると、各企業は価格設定をする際に自社製品の価格と他社製品の価格との相対的な関係(=相対価格)にも注意を払わなければならなくなるからである。企業ごとの価格設定に時間的なズレが存在する場合には、個々の企業が頻繁に価格を改定したとしても、経済全体の物価水準は緩やかにしか変化しないことになる。

以下例を用いてこの点を説明してみよう。まずは、すべての企業が同時に価格設定を行う場合について考えてみることにしよう。すべての企業は月初めごとに価格設定を行うものとする。もし5月10日にマネーサプライが増やされ、その結果として総需要が増加したとすれば、5月10日から6月1日にかけて生産量は(マネーサプライが増やされなかった場合と比べて)増加することになるだろう。というのも、5月10日から6月1日にかけては(仮定により価格の変更は月初めにのみ行われるので)価格が変更されることはないからである。しかし、6月1日になれば、すべての企業は需要の増加に応じて各々の製品価格を引き上げることになるだろう。こうして(5月10日から6月1日にかけての)3週間にわたるブームは終了することになる。

次に、価格設定には企業ごとに時間的なズレがある場合について考えてみよう。経済全体の半数の企業は月初めごとに価格設定を行い、残る半数の企業は月の真中である毎月の15日に価格設定を行うものとする。もし5月10日にマネーサプライが増やされたとすれば、経済全体の半数の企業は5月15日に自社製品の価格を引き上げることが可能である。しかし、残る半数の(月初めごとに価格設定を行う)企業は5月15日に価格を変更することはないので、5月15日に価格を引き上げるとその企業の製品の相対価格は上昇することになり、(価格が据え置かれた製品(月初めごとに価格設定を行う企業の製品)に顧客が流れてしまうことで)結果として顧客を失ってしまうかもしれない(この事例とは対照的に、もしすべての企業が同時に価格を設定するとすれば、すべての企業が各々の製品価格を同時に引き上げるために相対価格は変化しない可能性がある)。(顧客を失うことを恐れて)5月15日に価格設定を行う企業は(価格を引き上げるとしても)おそらくそこまで製品価格を引き上げることないだろう。もし5月15日に価格設定を行う企業が価格を据え置く判断をすれば、月初めに価格設定を行う企業も6月1日には自社製品の価格を据え置く判断をするだろう。というのも、 6月1日に価格を引き上げるべきかどうか思案している企業もまた相対価格を変化させたくないと考えるからである。6月1日以降もこれと同様のロジックが働くことだろう。こうして月初めと毎月15日において個々の製品価格は徐々にしか上昇せず、そのために経済全体の物価水準も緩やかにしか上昇しないということになるだろう。どの企業も他の企業の製品と比べて自らの製品の価格が上昇することを望まないがために、価格設定に時間的なズレがあることで経済全体の物価水準は緩やかにしか変化しないということになるのである。


Coordination Failure (調整の失敗)

ニューケインジアンの中には、景気後退は調整の失敗(コーディネーションの失敗)にその原因がある、と主張する経済学者もいる。コーディネーションの問題は、経済主体が互いに他の経済主体による価格設定に関する意思決定を予想し合うような状況においても生じ得ると考えられる。賃金交渉に臨む労働組合のトップは他の労働組合が使用者側から勝ち取る譲歩に関心を有するだろうし、新たな価格設定に臨む企業は他の企業による価格設定に注意を寄せることだろう。

景気後退がいかにして調整の失敗の結果として生じるかを理解するために、以下の「お話」を見てみることにしよう。経済は2つの企業から構成されているとしよう。中央銀行がマネーサプライを減少させたことを受けて、それぞれの企業は自社製品の価格を引き下げるべきかどうかを思案している。どちらの企業もともに利潤の最大化を目指しているが、利潤は自社製品の価格設定に依存するばかりではなく、相手の企業による価格設定にも依存しているとしよう。

もしどちらの企業もともに製品価格を引き下げなければ、実質貨幣量(マネーサプライを物価水準で割ったもの)は低水準に落ち込み、それを受けて経済は景気後退に陥ることになる。この時両企業はそれぞれ15ドルの利潤しか得られないとしよう。

もしどちらの企業もともに製品価格を引き下げれば、実質貨幣量は高水準に維持され、経済は景気後退を回避することが可能となる。この時両企業はそれぞれ30ドルの利潤を得るとしよう。両企業ともに景気後退を回避することを望んでいるが、自らの行動(自社製品の価格設定)だけでは景気後退を回避することはできない、つまりは、一方の企業だけが製品価格を引き下げ、もう一方の企業は製品価格を据え置くとすれば、景気後退が生じることになるとしよう。この時製品価格を引き下げた企業は5ドルの利潤しか獲得することができず、製品価格を据え置いた企業は15ドルの利潤を獲得することになるとしよう。

この「お話」のポイントは、一方の企業の意思決定は他方の企業が利用可能な結果(機会)に影響を与えるということである。一方の企業(企業A)が製品価格を引き下げれば、他方の企業(企業B)が利用可能な機会は改善することになる。なぜなら、企業Bは自らの製品価格を引き下げることで景気後退を回避することができるようになるからである。企業Aによる製品価格の引き下げが企業Bが直面する利潤機会を改善することになるのは、総需要外部性が働く結果であると考えることができるだろう。

この経済は最終的にはどのような結果に落ち着くことになるであろうか? 一つの可能性は、どちらの企業もともに相手側が製品価格を引き下げると予想し、その結果両企業ともに実際にも製品価格を引き下げるということになるかもしれない。この時、経済は景気後退を回避し、両企業ともに30ドルずつの利潤を獲得することになる。もう一つの可能性は、どちらの企業もともに相手側が製品価格を据え置くと予想し、その結果両企業ともに実際にも製品価格を据え置くということになるかもしれない。この時、経済は景気後退に陥り、両企業ともに15ドルずつの利潤を獲得することになる。これら2つの可能性のどちらもともに実現可能である。つまりは、この経済は複数均衡を有する経済なのである。

どちらの企業もともに15ドルずつの利潤を獲得する(景気後退を伴う)劣位な均衡は調整の失敗の一例となっている。両企業が行動をコーディネートすることが可能であれば、両企業ともに製品価格を引き下げて(景気後退を回避する)優位な均衡を実現することができたであろう。この「お話」とは異なり、価格設定の意思決定に臨んでいる企業の数がもっと多い現実の世界においては、経済主体間のコーディネーションを達成することはしばしば困難となる。以上の「お話」の教訓は、誰一人として粘着的な価格に利害を有していないとしても、ただ単に各々の価格設定者の間で「価格は粘着的になるだろう」との予想が共有されるだけでも実際に価格が粘着的になり得る、ということである。


Efficiency Wages (効率賃金)

ニューケインジアンのマクロ経済学が発展させた重要な理論として失業の理論も見逃すことはできない。持続する失業の存在は経済理論にとって一つのパズルである。通常の経済分析が予測するところでは、労働の超過供給は賃金に対する低下圧力となり、賃金の下落は労働需要の喚起を通じて失業を減少させることになる、ということになるだろう。つまりは、通常の経済理論によれば、失業は自己矯正的な問題(訳注2)なのである。

ニューケインジアンの経済学者は、失業を解消する自己矯正的なメカニズムが機能しない理由を説明するためにしばしば効率賃金仮説と呼ばれる理論を持ち出す。効率賃金仮説によれば、高賃金は労働者の生産性を高めることになると考えられている。労働の超過供給が存在するにもかかわらず、企業が賃金のカットに乗り出さない理由は、賃金が労働者の効率性に影響を与える可能性があるからかもしれない。賃金をカットすることで企業は人件費を節約することができるかもしれないが、効率賃金仮説が正しいとすれば、賃金のカットは(人件費の節約につながると)同時に労働者の生産性を低下させることで逆に企業の利潤を減らす結果となってしまうかもしれないのである。

賃金が労働者の効率性に影響を与える理由としてはいくつかの説明が提示されている。第一の説明では、高賃金の支払いが労働者の転職を抑制することを通じて労働者の効率性に影響を与える可能性に着目する。労働者は様々な理由に基づいて現在の職を離れることになるだろう。他の企業においてもっと魅力的な職を見つけたり、あるいはキャリアの変更を考えたり、あるいは居住地の変更に伴ってなどなど様々な理由に基づいて、労働者は現在の職を離れることになる。しかしながら、労働者が現在の職場にとどまろうとするインセンティブは、企業が労働者に支払う賃金水準が高ければ高いほど、大きくなると考えられる。高賃金を支払うことによって、企業は労働者の転職を抑制し、その結果として新規に労働者を募集したり、新規労働者に訓練を施したりするための時間や手間といった諸々のコストを節約することが可能となるかもしれない。

第二の説明では、賃金が職場における労働者の平均的な能力の質に影響を及ぼす可能性に注目が寄せられる。企業が賃金をカットすると、おそらくは能力のある(生産性の高い)労働者から先に(他に機会を求めて)職場を離れていくことになるだろう。そして、職場には他に行くあてのない能力の劣る(生産性の低い)労働者が残る、ということになるだろう。均衡賃金(労働市場で需給が一致する賃金の水準)を上回る賃金を支払うことにより、企業は以上の逆選択(adverse selection)メカニズムが働くことを回避し、職場における労働者の平均的な能力の質を改善することができるかもしれない。職場における労働者の平均的な能力の質が改善されれば、企業全体の生産性は向上することになるであろう。

第三の説明では、高賃金が労働者の努力水準を高める可能性に注目する。労働者がどれだけ努力しているかを完璧にモニターすることができない場合には、労働者がどれだけ努力するかはある程度労働者自身の裁量に任されることになるだろう。労働者は一生懸命努力して仕事に励むこともできるし、上司に発見されれば首を切られるかもしれないとの危険を負いながらも手を抜いて仕事に臨むことも可能である。この時、企業は高賃金を支払うことによって労働者の努力水準を高めることができる。というのも、支払われる賃金が高ければ高いほど、労働者にとって首を切られることのコストはそれだけ大きくなるからである。高賃金を支払うことによって、企業は労働者が手抜きすることを抑制し、その結果労働者の生産性を高めることが可能となるかもしれない。


A New Synthesis (新しい総合)

1990年代に入ると、新しい古典派とニューケインジアンとの論争は「新しい総合」(new synthesis)の出現を促すこととなった。つまりは、短期的な景気変動を説明するための最善の方法や金融政策/財政政策の役割といった話題に関してマクロ経済学者の間で「新しい総合」に向けた可能性が探られることになったのである。この「新しい総合」は、対立するそれぞれの学派の長所を取り入れることを通じて学派間の総合を図ろうと試みている。「新しい総合」は、新しい古典派陣営から、家計や企業の異時点間にわたる意思決定に関するモデル構築上の様々なツールを取り入れるとともに、ニューケインジアン陣営からは価格硬直性のモデルを取り入れることを通じて短期的な貨幣の非中立性(訳注3)を説明しようと試みている。「新しい総合」に共通したアプローチの特徴は、独占的競争モデル-独占的競争下にある企業(各企業は市場支配力を持ってはいるものの他企業との競争にも直面している)は、市場の動向に応じて頻繁に価格を変更することはなく、間隔をおいて断続的に価格の改定を行う-を採用しているところにある。

「新しい総合」の核心は、経済を動学的な一般均衡システム(dynamic general equilibrium system)として捉える見方、それも価格粘着性やそれ以外の様々な市場の不完全性(market imperfections)のために短期的には効率的な資源配分の状況から逸脱することもあり得る動学的な一般均衡システムとして捉える見方にある。今やこの「新しい総合」は、多くの面において、FRBやその他の中央銀行の金融政策を分析する際の知的な基礎(intellectual foundation)を提供するに至っている。


Policy Implications (政策的なインプリケーション)

ニューケインジアンのマクロ経済学はあくまでもマクロ経済「理論」における一学派であり、それゆえ、ニューケインジアンを自称する経済学者間で経済「政策」に関して共有された単一の見解があるわけでは必ずしもない。大まかに言うと、ニューケインジアンのマクロ経済学においては、新しい古典派のいくつかの理論とは対照的に、景気後退=市場が効率的に機能するような通常時から逸脱した状態、と見なされている。ニューケインジアンのマクロ経済学の構成要素-メニューコストや価格設定における時間的なズレ、調整の失敗、効率賃金-は、古典派経済学が立脚している様々な仮定-経済学者が自由放任(レッセフェール)を正当化する際の知的根拠となるもの-からの大きな逸脱を示すものである。ニューケインジアンの理論においては、景気後退はマクロ経済レベルでの市場の失敗によって引き起こされるわけであり、それゆえ、ニューケインジアンのマクロ経済学は市場への政府介入-金融政策や財政政策を通じた経済の安定化-に対して「理論」的な根拠を提供しているとみなすことができるであろうし、ニューケインジアンのマクロ経済学におけるこの側面は先に述べた「新しい総合」の中にも組み込まれている。しかしながら、政府が実際にも市場に介入すべきかどうかという問題は、経済的な判断だけではなく政治的な判断も伴うものであり、「理論」的な結論をそのまま「実践」に移すことができるほど簡単な問題ではないのである。


------------------------------------------
Further Reading (もっと深く学びたい人向けの文献紹介)

○Clarida, Richard, Jordi Gali, and Mark Gertler. “The Science of Monetary Policy: A New Keynesian Perspective(pdf)”, Journal of Economic Literature 37 (1999): pp.1661–1707.
○Goodfriend, Marvin, and Robert King. “The New Neoclassical Synthesis and the Role of Monetary Policy(pdf)”, in Ben S. Bernanke and Julio Rotemberg, eds., NBER Macroeconomics Annual 1997. Cambridge: MIT Press, 1997. pp. 231–283.
○Mankiw, N. Gregory, and David Romer, eds. New Keynesian Economics. 2 vols. Cambridge: MIT Press, 1991.

-------------------------------------------
訳注

(訳注1)価格引き下げによる車の売り上げの増加が価格引き下げに伴うメニューコストを下回る場合には、GMにとっては価格を据え置くことが(できるだけ多くの利潤を確保する上では)合理的となる。
(訳注2)価格(名目賃金)の調整を通じて市場が自動的に解決する問題
(訳注3)金融政策は短期的には生産量や雇用量といった実質変数に影響を与えることができる、ということ。

-------------------------------------------

サイドバーに「The Concise Encyclopedia of Economics(Library of Economics and Liberty)の訳」欄を新たに設置。