2013年8月18日日曜日

Eli Dourado 「人身御供の経済学」(2013年2月20日)

Eli Dourado, “What Can We Learn from Human Sacrifice?”(The Ümlaut, February 20, 2013)


人身御供(ひとみごくう)についての描写は、現代人の心をゾッとさせずにはおかない。インド東部のコンド族によって執り行われていた人身御供についての以下の記述をご覧いただきたい。ピーター・リーソン(Peter Leeson)の最近の論文(pdf)からの引用だ。

生贄が動かないようにするために、腕や足の骨が折られることもあった。最後の祈りが唱えられると、神官の言葉を合図に「儀式に参加していた民衆が一斉に生贄に飛び掛かり、頭と腸には一切触れずに、肉を引き剝がし始めた」。生贄を切り刻むというのはどこでもよくあったが、コンド族の間では、派手で残酷な別の処置が追加されることもあった。例えば、豚の血で満たされた穴の中に生贄を投げ込んで溺死させることもあれば、生贄の命が絶えるまで真鍮の腕輪で殴り続けることもあった。その後で生贄の体を細かく切り刻むのだ。

豊饒と草木の女神――執念深い地母神――であるタリ・ペヌー(Tari Penu)の気持ちをなだめるために。

まったくもって非合理的で、何の得にもならない滅茶苦茶な行為だと思うかもしれない。「いや、違う」というのがリーソンの言い分である。コンド族は、同族の隣接する集落から襲撃されるのを防ぐための術として人身御供という儀式を利用していたというのである。人身御供という 「見せびらかしの破壊」を行って、近くの集落に知らせていたというのだ。富を破壊してしまって貧しくなった我々を襲っても得にならないということを。人身御供が略奪を防ぐのに効果を発揮したのは、富が破壊されているのが誰の目にも明らかだったからである。生贄――メリアー(meriahs)と呼ばれていた――は、別の部族から高値で購入する習わしになっていた。大量の作物を燃やして富を破壊しているのを見せびらかす場合とは違って、人体を切り刻んでいるのを偽装するのは困難だ――本当は作物を燃やしていないのに、表面を葉っぱで覆ってしまえば作物を燃やしていると言い張ることができるが、人体を解体する場合はそうはいかない――。人身御供という 「見せびらかしの破壊」では、高価な富が破壊されているのが誰の目にも明らかだったのだ。

人身御供が合理的で、社会的に有用な役割を果たしたケースもあることを理論的・歴史的な観点から説得的に論証しているのがリーソンの論文なのだ。人身御供が一切執り行われていなければ、同族内での略奪が頻繁に起きていたかもしれない。人身御供は、コンド族のためになっていたのだ。

コンド族を真似て、人身御供を執り行うべきなのだろうか? その答えは、明らかに「ノー」だ。しかしながら、コンド族のケースから学べることはたくさんある。リーソンは、論文の冒頭でジョージ・スティグラー(George Stigler)の次の言葉を引用している。

「長きにわたって存続している社会制度も慣行も例外なく効率的である」

言い伝えによると、コンド族による人身御供は太古の昔からずっと続いていたらしい。長きにわたって存続した社会制度だったわけである。リーソンのこれまでの研究を振り返ると、風変わりではあるが合理的で効率的な歴史上の慣行の例で満ち溢れている。呪いはどうなのか? リーソンによれば(pdf)、合理的である。決闘裁判は? リーソンによれば(pdf)、効率的である。中世ヨーロッパの裁判で執り行われていた神判は? リーソンによれば(pdf)、無実かそうでないかを正確に見分けるのに役立った。動物裁判は? リーソンによれば(pdf)、カトリック教会による賢明な策だった(十分の一税の納付を促す役割をした)。妻売りは? リーソン&ベッキー(Peter Boettke)&レムケ(Jayme Lemke)によれば(pdf)、女性のためになった。

人身御供についてのリーソンの研究がリベラル派(あるいは、リベラル寄りな人たち)に対して突き付けている重要な教訓がある。長きにわたって続いている慣行(あるいは、長きにわたって流布している信念)を愚かだとか非合理的だとかと安直に断じるなかれという教訓がそれである。現存する制度なり慣行なりについて何もかも理解し尽くしているかのような気になってはいけないのだ。人身御供を宗教上の制度――そうだったのは確か――としてだけ捉えてしまうと、略奪を防ぐための制度でもあった――そうだったのは確か――ことが易々と見過ごされてしまうだろう。何らかの呪術的な干渉によってコンド族に人身御供を取りやめさせることができたとしても、その結果として同族内での略奪が盛んになるかもしれない。人身御供が続けられる場合よりも、多くの人命と富が失われてしまうおそれがあるのだ。イギリス政府がリベラルな教育を施したり暴力で脅したりしてコンド族に人身御供を取りやめさせようとしたが、結局のところは失敗に終わった。それと同様に、長きにわたって存続しているリベラルとは言えない慣行を取りやめさせようとしても、失敗に終わることが多いだろう。

保守派(あるいは、保守寄りの人たち)もコンド族のケースから学べることがある。人身御供は、コンド族が置かれていた状況においては効率的な制度だった。イギリス政府がコンド族のために所有権の保護や紛争解決のサービスを提供し始めると、コンド族の人たちは人身御供を快く取りやめた――若者世代の不信心な態度に怒り心頭だった年配者もいただろうと想像される――。環境が劇的に変化すると、それまで長きにわたって存続してきて効率的だった社会制度も効率的ではなくなって、存続できなくなるわけである。スティグラーが主張しているように、効率的な制度の存続を支えるのと同じ力が非効率的な制度を淘汰するのである。リベラル派だけでなく保守派も社会制度が存続したり変化したりする真の理由を理解するのが難しいようで、新しいテクノロジーの登場に対する効率的な反応として社会制度が変化しているのに、保守派はそうは考えない。社会制度が変化しているのは道徳が頽廃しているからと考えがちなのだ。

テクノロジーが急激に変化する時代に我々は生きているとよく言われるし、事実その通りだ。結婚、出産、終末期医療、労働市場、大学など社会制度の多くも急激に変化しているが、驚くにはあたらない。社会制度の変化は、テクノロジーの変化の結果に過ぎないからだ。古くから続く制度を現状の温存に加担するものとしか考えないリベラル派は、社会制度が変化するのを進歩と見なすことだろう。旧習を内面化している保守派は、社会制度が変化するのを頽廃と見なすことだろう。しかしながら、社会制度の変化は、道徳面での進歩を意味しているわけでもなければ、道徳面での頽廃を意味しているわけでもないのだ。法、経済学、迷信についてのリーソンの一連の研究は、風変わりな多くの社会制度――コンド族に限らず、我々のも含めて――がいかにして形成されるかを愉快かつ啓発的なかたちで明らかにしている。それぞれの社会が直面している問題や制約に対する合理的な反応の結果なのだ。

2013年8月13日火曜日

Peter Leeson 「迷信と経済発展」(2010年8月23日)

Peter T. Leeson, “Superstition and Development”(Aid Watch, August 23, 2010)


ジプシーたちの間で信じ込まれている説によると、ジプシーではない人間の下半身は気付かぬうちに穢れてしまっているという。超自然的な力によって穢れが人づてに伝染するというのだ。そのせいで、ジプシーではない人間の魂は毒されているというのである。

これらの迷信は、非合理的なわけでは決してない。ジプシーたちの共同体の秩序を維持するのに中心的な役割を果たしているのだ。ジプシーたちは、仲間うちでの協調を図るために、公的な法制度に頼るということができない。彼らの間での経済的・社会的なやり取りの多くは、法律の対象外であるか、違法行為にあたる。しかしながら、法と秩序に対する欲求の強さは、ジプシーたちも人後に落ちない。

そこで、仲間内での秩序を維持するために迷信の力が借りられるのだ〔原注1〕。ジプシーではない人間の魂は毒されていて、超自然的な力によって穢れが人づてに伝染するという迷信がどんな役割を果たしているかを検討してみるとしよう。ジプシーたちは、仲間内の誰かが裏切らないようにするために、政府に頼ることができない。村八分(ostracism)の脅しに頼る〔訳注;裏切り行為を働いたら、共同体から追い出してもう二度と関わりを持たないと脅す〕しかない。 

問題なのは、ジプシーたちの共同体は大海に浮かぶ小島のようなものだということである。ジプシーではない人間がすぐ近くにうようよいるのだ。裏切り行為を働いて追放されたジプシーが外の社会に溶け込んで、そこで暮らす人たちと接触できるようなら、追い出すというのは大した罰ではなくなる。村八分の脅しに効力を持たせるために、あの迷信が生まれたのだ。ジプシーではない人間の魂は毒されていて、その毒は伝染するというあの迷信が。ジプシーではない人間と接触したら、超自然的な力によって同じく毒されてしまうというあの迷信が。

あの迷信のおかげで、村八分の脅しが真実味を帯びるようになる。裏切り行為を働くと、あらゆる社会から追放されることを意味するようになるからである。ジプシーたちとだけでなく、外の社会の人間たちとも接触できなくなることを意味するのだ。村八分の脅しと迷信の力が相まって、裏切り行為が防がれているわけなのだ。ジプシーたちの間で信じられている迷信は、おそらくは意図せずして法と秩序の維持に貢献しているのだ。

ジプシーのような「他者」が信じている迷信を見下してしまいがちな風潮があるが、ヨーロッパの歴史を振り返ると、迷信の宝庫であることがわかる。そして、その中のいくつかは社会的に有用な働きをしていた可能性があるのだ。例えば、中世ヨーロッパの裁判では、被告人が有罪か無罪かがはっきりしない場合に神判(ordeal)が執り行われた〔原注2〕。例えば、熱湯を用いる神判では、被告人はお湯がグツグツと沸き立っている大釜の中に腕を突っ込むように求められる。熱湯に腕を突っ込んでから3日後にひどいやけどや感染症の症状が確認されると、有罪が宣告される。その一方で、腕に何の異常も表れないようなら、無罪が言い渡される。このような神判を支えているのは、無実の被告人のために神が奇跡をもたらすという迷信なのだ。被告人が無実であれば、神のおかげで厳しい試練も無傷で潜り抜けられるという迷信なのだ。

ジプシーのケースと同じように、この迷信も一見すると非合理的な信念のように思えるが、じっくり検討してみると、社会的に有用な働きをしていることが判明する。被告人が身に覚えがあるようなら、腕を熱湯に突っ込むのを拒否するに決まっているだろう。なぜなら、無実の被告人は神のご加護によって救われる一方で、身に覚えがある被告人には神のご加護がないと信じ込まれているからである。すなわち、身に覚えがある被告人は、腕を熱湯に突っ込めばやけどを負うに違いないと予想するのだ。腕を熱湯に突っ込むのに同意したら、やけどを負って有罪を宣告されるに違いないと予想するのだ。腕にやけどを負うよりは、罪を白状するか原告と示談する方が得策と考えるのだ。

それとは対照的に、無実の被告人は、必ずや神判を受けようとするだろう。無実の被告人には神のご加護があるという迷信を信じているからである。腕を熱湯に突っ込んでも神のおかげでやけどを負わずに済むと信じているからである。神判を受けたら無罪が証明されるに違いないと信じているからである。無実の被告人は、神判を受けるのに少しも恐れを抱かない。神判をすすんで受けようとするのだ。

身に覚えがある被告人は神判を受けようとせず、無実の被告人は神判をすすんで受けようとする。被告人が神判をすすんで受けようとするかどうかを観察すれば、その被告人が有罪か無罪かを見分けられるのだ。中世ヨーロッパで信じられていた迷信は、刑事裁判で正義が下されるのを手助けする働きをしていたのだ。そのようにして法と秩序の維持に貢献していたのだ。

とは言え、あらゆる迷信が法と秩序の維持に貢献するというわけではない。決してそうじゃないだろう。しかしながら、科学的な根拠がなくて滑稽な迷信であっても、公的な制度の代役を果たしている場合があるかもしれないのだ。公的な制度が存在していなかったり公的な制度がうまく機能していない状況で、社会的な協調を支える役割を代わりに果たしているかもしれないのだ。その可能性を否定すべきじゃないだろう。発展途上国で信じ込まれている迷信のうちで、そういう役割を果たしているものはあるだろうか?


<原注>

〔原注1〕ジプシーたちの間で広まっている迷信に経済学的な観点から包括的な分析を加えているのが、次の拙論文である。Peter T. Leeson (2013), “Gypsy law(pdf)”(Public Choice, vol. 155, issue 3-4, pp. 273-292)

〔原注2〕中世ヨーロッパの裁判で執り行われていた「神判」に経済学的な観点から包括的な分析を加えているのが、次の拙論文である。Peter T. Leeson (2012), “Ordeals(pdf)”(Journal of Law and Economics, vol. 55, issue 3, pp. 691-714)

2013年8月11日日曜日

Stephen Hansen&Michael McMahon 「遅れてやってくるハトっぽさ ~マーク・カーニーの今後の振る舞いを占う~」(2013年8月11日)

Stephen Hansen&Michael McMahon, “Mark Carney and first impressions in monetary policy”(VOX, August 11, 2013)
 
イングランド銀行の新しい総裁に就任したばかりのマーク・カーニーの「タカ派度」を探るヒントを求めて、カーニーの一言一句に注目が集まるだろう。我々の研究によると、金融政策委員会のメンバーは、着任して間もない頃はタカ派色を強めがちで、経験を積むにつれて――例えば、金融政策決定会合に18回以上参加すると――ハト派色を強めがちになるようだ。真の選好がハト派寄りであるほど、その傾向が強いようだ。

現代の金融政策では、「インフレ期待の管理」に重きが置かれている。中央銀行の独立性を確保するのもそう。インフレ目標を採用するのもそう。フォワード・ガイダンスに訴えるのもそう。いずれもインフレ期待を管理することの重要性を反映しているのだ。中央銀行の上層部の刷新――例えば、新たな議長や新たな総裁の任命――は、インフレ期待を安定化させる上でとりわけ重要な出来事になりがちだ。新任の議長・総裁(ないしは、政策委員)がどんな選好の持ち主なのかよくわからないために、どういう政策スタンスが採用されそうかをめぐって――それに加えて、インフレ期待にどんな影響が及びそうかをめぐって――多くの憶測が飛び交う。イングランド銀行の新しい総裁に就任したばかりのマーク・カーニーが「タカ派」(‘hawk’)なのか、「ハト派」(‘dove’)なのかという議論(Cottle 2012)もその一例だ。

イングランド銀行の新しい総裁になったカーニーの今後の振る舞いについてどんな予測を立てられるだろうか? 彼が5年間の任期の後半に採用する政策を前もって予測するための頼りになる指針を得ることはできるだろうか? これからの数カ月の言動に照らして、カーニー総裁をハト派と断じたり、反対にタカ派だと言い放つ声が聞かれるようになるのは間違いないが、カーニー総裁の本音――カーニー総裁の真の選好――が実際の行動を通じて明らかになるまでにはかなりの時間を要するかもしれない。それはどうしてかというと、経済学の分野で「シグナリング」と呼ばれているアイデアが関わってくる。

着任して間もないセントラルバンカーがインフレ期待に影響を与えるために戦略的に振る舞う可能性があることを「シグナリング」のアイデアを使って分析している学術的な研究は、かなりの数にのぼる――例えば、Backus&Driffill (1985a, 1985b)、Barro (1986)、 Cukierman&Meltzer (1986)、Vickers (1986)、Faust&Svensson (2001)、Sibert (2002, 2003, 2009)、King&Lu&Pasten (2008) を参照されたい――。どんなことが明らかになっているかというと、着任したばかりのセントラルバンカーは、自らの本音――以下では、真の選好と呼ぶことにしよう――よりもタカ派色を強めてインフレに対してタフな態度で臨む傾向にあるという。その理由は、正真正銘のインフレファイターであるという評判を勝ち取るためだという。しかしながら、タフさを誇示した後は軟化して、真の選好に沿ったスタンスに転じるようになるというのだ。


金融政策委員会を対象にした最新の研究

真の選好がハト派寄りであるほど、インフレに対するタフさを誇示しようとしがちというのがこれまでの先行研究で強調されていることだが、セントラルバンカーの真の選好が国民に知られていない場合にセントラルバンカーがどのように振る舞いそうかを検討しているのが我々の最新の研究 (Hansen&McMahon 2013)である。どんなことが明らかになっているかというと、インフレ期待が高まるのを防ぐことが課題になっているようなら、真の選好がハト派寄りであろうとタカ派寄りであろうと、着任して間もないセントラルバンカーは真の選好よりもタカ派色を強めてインフレに対してタフな態度で臨む傾向にあって、時が経つにつれてハト派色を強めていくことが見出されている。「遅れてやってくるハトっぽさ」(“delayed dovishness”)――あるいは、「先んじてやってくるタカっぽさ」(“early hawkishness”)――とでも形容できる結果が見出されているのだ。どんな選好の持ち主であっても、着任したばかりだと真の選好よりもタカ派色を強めようとするのは変わらないが、真の選好がハト派寄りであるほど、タカ派色を強めようとするインセンティブが強いようだ。 

「シグナリング」のアイデアを使って金融政策に分析を加える学術的な研究の歴史は何十年にも及ぶが、イングランド銀行に設置されている金融政策委員会(Monetary Policy Committee;MPC)――その議長を新たに務めるのが、マーク・カーニー――のメンバーの振る舞いを対象にして「シグナリング」モデルの実証的な妥当性を裏付けているのは我々の研究がはじめてである。MPCのメンバーは、経験を積むにつれて(具体的には、MPCの会合に18回以上参加すると)、ハト派色を強める傾向にあることが見出されている。さらには、真の選好がハト派寄りであるほど、着任して間もない頃にタカ派色を強めがちであることも見出されている。

カーニー総裁の真の選好がハト派寄りで、それでいてタフなインフレファイターであるという評判を確立したいと望んでいるようなら、当初のうちはタカっぽさを誇示しようとするだろうというのが我々が見出した結果から示唆されることである。つまりは、イングランド銀行の総裁に着任したばかりのカーニーは、真の選好よりもタカ派色を強める可能性があるわけだ。

ところで、これまでの先行研究では、セントラルバンカーがインフレに対するタフさを誇示するのは、インフレが過熱しないようにするためであると想定されている。インフレに対するタフさを誇示して、インフレ期待が高まらないようにしていると想定されているのだ。1997年にMPCが設立されて以降の大半の期間に関しては、そのように想定しても特に問題はなかっただろう。しかしながら、景気が弱々しかったり、「流動性の罠」に陥ったり、政策当局者がインフレ期待を高めたいと望んでいたりするケースもあるかもしれない。そういうケースでは、セントラルバンカーの振る舞いについて正反対の予測が導かれるだろう。MPCのメンバーは、着任して間もない頃に真の選好よりもハト派色を強めて、経験を積むにつれてタカ派色を強めると予測されるのだ。そうすればインフレ期待が高まって、実質金利(期待実質金利)が低下するからである。実質金利が低下すれば、投資(設備投資)――The Economist (2013) でも論じられているように、イギリスでは投資の勢いが弱い――や消費が刺激される。日本銀行総裁に任命されたばかりの黒田東彦は、だいぶハト派寄りと目されていて、積極的な金融緩和に対するコミットメントを明らかにしている。黒田新総裁の振る舞いも「シグナリング」モデルを使ってうまく説明できるかもしれない。

着任して間もないイングランド銀行総裁の振る舞いについて、イギリス経済が置かれている困難な現状に照らして導かれる予測と、インフレファイターとしての評判を確立したいと願うセントラルバンカー特有の本能に照らして導かれる予測は、大きく食い違う。カーニー総裁がタカ派なのかハト派なのかを判別するのは相当に難度が高くなりそうだし、カーニーを総裁に選んだのが正しかったのかどうかを判断するにはだいぶ長い時間がかかるだろう。カーニー総裁の前途には、前任の総裁たちが担ったよりも厄介な仕事が待ち構えている。インフレ目標の達成が求められているだけでなく、マクロプルーデンス政策や金融規制の面でもやらないといけない仕事がたくさんあるのだ。カーニー総裁の真の選好を見極めるのはタフな仕事になるだろうが、カーニー総裁の前途に待ち構えているのはそれ以上にタフな仕事だ。あちらこちらで上がる数え切れないほどの火の手を鎮火しないといけないのだから。 


<参考文献>


●Backus, D and J Driffill (1985a): “Inflation and Reputation”, The American Economic Review, 75(3), 530-38.
●Backus, D and J Driffill (1985b), “Rational Expectations and Policy Credibility Following a Change in Regime”, Review of Economic Studies, 52(2), 211-21.
●Barro, R J (1986), “Reputation in a model of monetary policy with incomplete information”, Journal of Monetary Economics, 17(1), 3-20.
●Cottle, D (2012), “So, Mr. Carney, Hawk or Dove”, 27 November 2012, last accessed 04 April 2013.
●Cukierman, A and A H Meltzer (1986), “A Theory of Ambiguity, Credibility, and Inflation under Discretion and Asymmetric Information”, Econometrica, 54(5), 1099-1128.
●Faust, J and L E O Svensson (2001), “Transparency and Credibility: Monetary Policy with Unobservable Goals”, International Economic Review, 42(2), 369-97.
●Hansen, S and M McMahon (2013), “First Impressions Matter: Signalling as a source of policy dynamics(pdf)”, mimeograph.
●King, R G, Y K Lu and E S Pastén (2008), “Managing Expectations”, Journal of Money, Credit and Banking, 40(8), 1625-1666.
●Sibert, A (2002), “Monetary policy with uncertain central bank preferences”, European Economic Review, 46(6), 1093-1109.
●Sibert, A (2003), “Monetary Policy Committees: Individual and Collective Reputations”, Review of Economic Studies, 70(3), 649-665.
●Sibert, A (2009), “Is Transparency about Central Bank Plans Desirable?”, Journal of the European Economic Association, 7, 831-857.
The Economist (2013), “On a wing and a credit card” July 6th 2013.
●Vickers, J (1986), “Signalling in a Model of Monetary Policy with Incomplete Information”, Oxford Economic Papers, 38(3), 443-55.

2013年8月10日土曜日

Andy Harless 「タフでマッチョなハト派?」(2013年2月13日)

Andy Harless, “Why Doves Are Really Hawks”(Employment, Interest, and Money, February 13, 2013) 


マッチョ(Machismo)は、コミットメント・メカニズムの一種である。

あなたが徹底的なまでに合理的なオタク(perfectly rational nerd)だとしたら、周囲はあなたがいつだって合理的に振る舞うはずだと予想するだろう。そのため、あなたが脅しても信じてもらえないだろう。その脅しを実行するのが合理的なようなら信じてもらえるだろうが、そんなことはほとんどないだろうからだ。「ケツを蹴っ飛ばすぞ」と脅しておいて、その通りに他人のケツを蹴飛ばすのが合理的なケースなんてそうそうないだろう。

その一方で、あなたがタフでマッチョなごろつき(badass)だとしたら、周囲はあなたがいつだってタフでマッチョでたちの悪い振る舞いをするはずだと予想するだろう。そのため、あなたが脅すといつだって信じてもらえるだろう。脅しを実行するのは、タフでマッチョでたちの悪い行いに他ならないからである。あなたが脅すと周囲がそれを真面目に受け取るので、脅しを実行しなくちゃいけない機会は滅多に訪れないだろう。

同じことが金融政策についても言える。あなたの国のセントラルバンカーが徹底的なまでに合理的なオタクだとしたら、あなたの国ではインフレ率が高止まりするだろう。そのセントラルバンカーが「インフレを抑制するために不況を起こすぞ」と脅しても、誰からも信じてもらえないからである。その脅しを実行するのが合理的なようなら信じてもらえるだろうが、そんなことは滅多にないので口先だけだと思われるのである。不況を起こすのが合理的なケースなんてそうそうないだろう。

その一方で、あなたの国のセントラルバンカーがタフでマッチョなごろつきだとしたら、あなたの国でインフレ率が高止まりするようなことはないだろう。そのセントラルバンカーが「インフレを抑制するために不況を起こすぞ」と脅したら、誰もが信じるからである。不況を起こすというのはタフでマッチョでたちの悪い行いに他ならないので、そのセントラルバンカーが本気で脅しを実行するに違いないと周囲は予想するのである。セントラルバンカーの脅しを真面目に受け取った商売人たちが先んじて値下げに動くので、セントラルバンカーは脅しを実行する必要がなくなるのである(単純化し過ぎている面はあるが、あらましとしてはそうなる)。 

インフレ率が高止まりしないようにしたければ、どんな人物をセントラルバンカーに据えたらいいだろうか? その答えは、言うまでもなく明らかだろう。タフでマッチョなごろつきである。己のかぎづめでディナー用の小動物を仕留めるのに喜びを見出す「タカ」みたいな人物である。こぎれいな見た目でクウクウ鳴きながらそこら一帯を飛び回るのに喜びを見出す「ハト」みたいな人物は御免被りたいことだろう。

1980年代においてはそう言えたかもしれないが、世の中は変わってしまった。過去20年を通じてインフレ率はそれほど高くなかった。今はというと、緩やかな不況の真っ只中にある。今のこの状況から抜け出すにはどうしたらいいのだろうか? 「インフレを起こすぞ」と脅すというのが一つの手だ。これからインフレを起こすつもりだから、お金の購買力が失われてしまう前にさっさと何かを買っておいた方が得策だと思わせるわけである。みんながお金を使うようになれば、脅しを実行するのは合理的じゃなくなるだろう。それゆえ、セントラルバンカーが徹底的なまでに合理的なオタクだとしたら、「インフレを起こすぞ」と脅しても信じてもらえないだろう。

今のこの緩やかな不況から抜け出したければ、どんな人物をセントラルバンカーに据えたらいいだろうか? その答えは、言うまでもなく明らかだろう。タフでマッチョなごろつきである。己のかぎづめでディナー用の小動物を仕留めるのに喜びを見出すような人物である。ところで、私は鳥類学の専門家ではないが、そんな人物を「ハト(派)」と呼ぶのは適切ではないように思われるのだ。

2013年8月9日金曜日

James Zuccollo 「9・11テロの副次的な効果」(2013年8月9日)

James Zuccollo, “Side effects of 9/11”(TVHE, August 9, 2013)


人間というのは、限定合理的な(boundedly rational)存在だ。何らかの意思決定を下す時に、その都度最適な選択肢を探すよりも、ヒューリスティック(heuristics)に頼ろうとするのだ。しかしながら、ヒューリスティックがその人のためになるとは限らない
2001年のテロ事件が発生して以降の数カ月間に、アメリカの主要な航空会社の旅客マイル(旅客数×飛行距離)は12%~20%減少した一方で、車での移動が大幅に増えたという。
・・・(中略)・・・
ドイツでリスクについて専門的に研究しているゲルト・ギーゲレンツァー(Gerd Gigerenzer)教授の推計結果によると、9・11テロ以降の1年間に、車での移動が増えたせいで1595人のアメリカ人が自動車事故で命を失うことになったという。9・11テロという悲劇の間接的な犠牲者と言えよう。 
・・・(中略)・・・ 
リスクに対する貧弱な理解が原因で失われた命だとギーゲレンツァー教授は語る。「フライパンから火の中へと飛び込んだわけです」。 
ギーゲレンツァー教授は続ける。「私たちは、一度に大勢が命を失う状況を恐れるような傾向を備えています。私たちの祖先が小さな集団でまとまって生活していた時代の名残だと思われます。一部のメンバーの死がそれ以外のみんなの命も危険に晒してしまいかねない時代のですね。今ではそうじゃなくなっているわけですが、死者の数は同じであっても、それが一度で失われるか1年間の累計で失われるかで感じる恐れが違ってくるのです」。

2013年8月3日土曜日

Timothy Taylor 「FOMC版(笑)指数」(2013年8月2日)

Timothy Taylor, “The Fed Laughter Index”(Conversable Economist, August 2, 2013)


2007年から2009年にかけて、我が国(アメリカ)は金融面・経済面で大きなショックに襲われた。本ブログでは、そのショックの深刻さを可視化するのに役立つような図表を折に触れて紹介してきた。例えば、こちらこちらで取り上げたように、金利スプレッド、金融部門による純貸出、住宅バブル、海外からアメリカへの資本流入などについて紹介してきたわけだが、今回はちょっと風変わりな指標を紹介するとしよう。「FOMC版(笑)指数」とでも呼べる指標であり、アメリカにおける金融政策の最高意思決定機関であるFOMC(連邦公開市場委員会)のトランスクリプト(出席者の発言を文字に起こしたもの)にある「(笑)の数」――会合中に出席者の間で笑い声が漏れた回数――がカウントされている。


上の図によると、グリーンスパン議長時代の終わり頃には、会合ごとの「(笑)の数」は10回~30回というのが定番だったようだ(はっきりさせておかないといけないことがある。金融政策のオタクたちが一室に集まっているわけで、そんな彼らだけが笑える類のユーモアが交わされたに違いないということだ)。バーナンキがFRB議長に就任して以降は、「(笑)の数」が増えている。ピーク時には、会合ごとの「(笑)の数」が70回~80回にも達している。しかしながら、2007年後半に金融危機の第一波に襲われてからというもの、「(笑)の数」がほぼゼロという会合もちらほらある。

データが2008年初頭までしかないのは、会合が終了してから議事録が公開されるまでに5年待たないといけないからだ。最後に図の出所を明らかにしておくと、スタンフォード大学経済政策研究所が昨年(2012年)の春に開催した「サミット」の報告書からの転載だ。Bianco Researchが収集したデータを基にして作成した図だという。

2013年6月11日火曜日

Benjamin Mandel&Geoffrey Barnes 「予想インフレ率を測るための新たな指標 ~日本の予想インフレ率を探る~」(2013年4月22日)

Benjamin R. Mandel&Geoffrey Barnes, “Japanese Inflation Expectations, Revisited”(Liberty Street Economics, April 22, 2013


金融政策の成否を測る重要な指標の一つは、予想インフレ率を安定させられるかどうかである。予想インフレ率は実際のインフレ率にも影響を及ぼすし、それゆえにインフレ目標を達成できるかどうかを左右するのだ。このことが特別な意義を持ってくるのが、日本経済である。日本では、CPI(消費者物価指数)で測ったインフレ率が1994年以降に何度かマイナスを記録していて、予想インフレ率が一貫してマイナスにとどまっている(すなわち、デフレの継続が予想されている)と広く信じられているのだ。このエントリーでは、日本における予想インフレ率を測るための新たな指標について説明を加えて、その頑健性をチェックする。購買力平価説に依拠したその指標によると、ここ最近の日本の予想インフレ率は過去3年間におけるピークを大きく上回っているのだ。

背景情報を伝えておくと、日本銀行の政策で最近になって変わったところは、インフレ期待(予想インフレ率)にスポットライトが当てられるようになったことである。去る4月4日に、量的・質的緩和(Quantitative and Qualitative Monetary Easing ;QQE)と呼ばれるプログラム(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕が導入された。マネタリーベースを拡大させるために資産の買い入れ額を劇的に増やすと同時に、満期が長めの資産の買い入れを進めることが誓われたのである。日本国債の利回り(名目金利)はもう既に極めて低いので、量的・質的緩和プログラムの成否は、予想インフレ率が2%――日銀が掲げる「物価安定の目標」――に近いところまで上昇して実質金利が低下するかどうかによって判断されることになるだろう。


予想インフレ率をいかにして測るか:予想インフレ率を測るための既存の指標

日本の予想インフレ率を測るためには、どうしたらいいのだろうか? この件についてはコンセンサスがある。日本の予想インフレ率を測るために頼りになる指標は存在しないというのがそれだ。アメリカの予想インフレ率を測るためによく使われる市場データとしては、普通国債と物価連動国債(TIPS)の利回りの差がある。いわゆるブレーク・イーブン・インフレ率と呼ばれているやつである。他には、インフレスワップと呼ばれる店頭デリバティブのデータも利用されている。その一方で、日本の物価連動国債(JGBi)は、取引量が極めて少なくて、発行残高の大半が近年になって財務省によって買い戻されている。それゆえに、物価連動国債の利回りから日本の予想インフレ率について頼りになる情報が得られるかというと、疑わしい。インフレスワップについても市場の厚みの面で物価連動国債と同様の問題を抱えている。 

予想インフレ率を測るための別の指標としては、 家計、投資家、経済予測の専門家らに対するアンケート調査がある。しかしながら、アンケート調査での回答はバックワードになりやすい(過去に引きずられやすい)かもしれない。回答が将来的なインフレ予測(将来的にインフレがどうなりそうか)を反映するよりも、実際のインフレ(最近のインフレがどうだったか)に強く影響される可能性があるのである。ちなみに、市場データに基づく指標――ブレーク・イーブン・インフレ率(紫色の実線)&インフレスワップ(赤色の実線)――と、アンケート調査に基づく指標――日経クイックサーベイ(青色の実線)&日銀による生活意識に関するアンケート調査(緑色の実線)――の推移を表しているのが以下のチャートである。ここ最近になって、5年先、10年先の予想インフレ率を測る指標がいずれも1%近辺に集まっていることがわかる。しかしながら、既に指摘したように、多くのアナリストは、これらの指標から予想インフレ率の符号の向きですら正確に知れるかどうかについて覚束なく感じているのである。




購買力平価説に依拠した予想インフレ率の指標:予想インフレ率を測るための新たな指標

そんなわけで、市場データに基づく別の指標にスポットを当てることにしよう。アメリカの予想インフレ率――日本に比べると、アメリカでは物価連動国債(TIPS)もインフレスワップも活発に取引されている――と購買力平価説を組み合わせて、日本の予想インフレ率を導き出すのだ。我々が知る範囲では、そのようにして日本の予想インフレ率が推計されることは滅多にないようだが、物価連動国債(JGBi)やインフレスワップに代わる有益な情報源になる可能性がある。例外として、ゴールドマン・サックスによる調査(“The Market Consequences of Exiting Japan’s Liquidity Trap,” Global Economics Weekly 13/05, February 2013)を挙げておこう。ドル円の先物為替レート(30年先)を使って、日本の予想インフレ率が推計されている。

我々が提示する指標は、購買力平価(Purchasing Power Parity;PPP)説に依拠している。購買力平価説によると、任意の二国間の名目為替レートは、その二国の物価水準の比と等しくなると考えられている。これまでの研究によると、購買力平価説は、名目為替レートの長期的な変動をかなりうまく説明できて、とりわけ変化率で見る(相対的PPP)とあてはまりがいいことがわかっている。すなわち、日本における物価水準の期待変化率(≒予想インフレ率)は、アメリカにおける物価水準の期待変化率に名目為替レート(ドル円レート)の期待変化率を加えたものに等しくなる〔日本の予想インフレ率=アメリカの予想インフレ率+名目為替レートの期待減価率〕わけである。アメリカの予想インフレ率を測る指標としてアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて、名目為替レートの期待減価率を測る指標としてドル円の先物為替レートを用いるとしよう。

購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の推移を表したのが以下のチャートである。日次データを利用していて、2010年1月以降が対象である。5年先の予想インフレ率が赤色の実線、7年先の予想インフレ率が緑色の実線、10年先の予想インフレ率が紫色の実線で表されている。予想インフレ率にシフトが生じているタイミングを見ると、政策面での変化と関わりがありそうなことが示唆される。過去3年のうちで予想インフレ率がピークに達したのは、政策面でイノベーション(新たな行動)に踏み切られた後だからである。2010年10月に日本銀行は「包括的金融緩和」(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕に乗り出したが、その後に予想インフレ率が高まっていることが見て取れる。しかしながら、予想インフレ率は2011年の半ば頃までに包括的金融緩和が導入される前の水準にまで戻った。2012年2月に日本銀行は「1%の物価安定の目途」(pdf)〔日本語はこちら(pdf)〕を発表したが、その後に再び予想インフレ率が高まった――包括的金融緩和が導入された後に比べると、軽微な上昇にとどまった――。しかしながら、その数ヶ月後には予想インフレ率は再び元の水準(「1%の物価安定の目途」が発表される前の水準)にまで低下した。最近はどうかというと、2012年9月に安倍晋三が自民党の総裁に選ばれて、同年の12月に新首相の座に就いて「アベノミクス」と呼ばれる政策レジームが始動すると、予想インフレ率が跳ね上がった。以下のチャートによると、「アベノミクス」後の予想インフレ率は、先程触れた過去2回のピークを大きく上回っているのだ。




頑健性のチェック

国のペアを変えて同じ理屈を当てはめてみたら、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標が頑健かどうかをチェックできるだろう。購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の変動がアメリカと日本の金融市場に特有の事情によって突き動かされているわけではないようなら、ドル円以外の先物為替レートやアメリカ以外のブレーク・イーブン・インフレ率を用いても似たような結果が得られるはずである。アメリカ以外の別の国として真っ先に候補になるのはイギリスだろう。イギリスの物価連動国債の市場は、流動性が比較的高いからである。先のケースと同じように、ポンド円の先物為替レートとイギリスのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて日本の予想インフレ率を導き出した結果をまとめたのが以下のチャートである。「日本×イギリス」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.K.-PPP;緑色の実線)に加えて、「日本×アメリカ」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.S.-PPP;赤色の実線)も並記してある。その水準は必ずしも完全に一致しているわけではないが、両者(U.K.-PPP&U.S.-PPP)の相関はかなり高い――相関係数は0.66――。




イギリスのブレーク・イーブン・インフレ率とドルポンドの先物為替レートを用いてアメリカの予想インフレ率を導き出して、それとアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を比較するという手もある。以下のチャートがそれである。購買力平価説から示唆されるアメリカの予想インフレ率が緑色の実線、アメリカのブレーク・イーブン・インフレ率が赤色の実線で表されている。2012年後半の数日を例外として、この2つの指標も相関がかなり高い――相関係数は0.64――。購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、物価連動国債(TIPS)から算出される予想インフレ率の良い近似になっていると言えよう。




要約しよう。購買力平価説に依拠すれば、日本の予想インフレ率を測るための市場データに基づく新たな指標が得られる。その指標は、日本銀行による最近の金融政策面でのイノベーションに極めて敏感に反応しているようである。異なる期間(5年先、7年先、10年先の予想インフレ率)や異なる国のペア(アメリカと日本、イギリスと日本、アメリカとイギリス)でも似たような結果が得られることから判断すると、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、予想インフレ率を測るための頑健で頼りになる指標と言えそうなのだ。