Stephan Klasen, “Missing women in South Asia and China: Biology or discrimination?”(VOX, August 28, 2008)
発展途上の国々では、1億人を超える女性が「消えて」しまっている。その原因は「B型肝炎」にあるとの説がここにきて大きな注目を集めている。発展途上の国々――とりわけ、中国――で出生性比が高い(男児が相対的に多く生まれている)原因は、両親がB型肝炎のキャリアだからだというのだ。本稿では、「B型肝炎原因説」に寄せられた数多くの反論を要約する。B型肝炎ではなく、性差別こそが「消えた女性」の原因なのだ。
20年ほど近く前になるが、アマルティア・セン(Amartya Sen)が「消えた女性」問題を提起して広く話題を呼ぶことになった。セン曰く、南アジア、東アジア、中東、北アフリカといった地域では女性の死亡率が相対的に高くて、そのために1億人を超える女性が「消えて」しまっているというのだ〔原注;Sen(1989, 1990)〕。「消えた女性」の数(規模)についてはその後の研究で修正が加えられたものの、センの主張の妥当性は高く支持されている――詳しくは、Coale(1991)や Klasen(1994)を参照されたい――。これらの地域で女性が「消えて」しまった原因は、医療サービスや食事へのアクセスの面で女性が差別されていることに加えて、男女の産み分けを可能とする中絶手術が普及したこと〔訳注;妊婦のお腹の中にいる赤ちゃんが女の子だとわかると、中絶が選ばれる、という意味〕に求められるというのが通説となっている。
「消えた女性」の原因はB型肝炎にあり?
2005年に『ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー』誌に掲載された論文で、通説とは大きく異なる主張が唱えられた。論文の著者であるエミリー・オスター(Emily Oster)によると、多くの女性が「消えた」とされている地域ではB型肝炎ウイルスの感染者が多く、両親がB型肝炎ウイルスのキャリアだと出生児の男女比(出生性比〔訳注;出生性比というのは、新生女児100人あたりの新生男児数のこと。例えば、出生性比が1.05だと、女児100人に対して男児が105人生まれる計算になる。出生性比の値が高くなるほど、新生児全体に占める男児の割合が増えることになる〕)が高くなる(男児が生まれやすくなる)傾向にあるという。そのこと踏まえると、「消えた」とされている女性のうちの47%~70%はそもそもこの世に生まれていなかった可能性があるというのである。 つまりは、南アジアや東アジアで女性が「消えて」しまった原因の多くは、「性差別」ではなく、「生物学的な要因」(B型肝炎)に求められるというわけだ。女性が「消えた」原因を見直す必要性にとりわけ迫られたのは、中国だった。中国は、B型肝炎ウイルスの感染率が特に高い地域だったからである。中国における「消えた女性」のうちの75%~86%がB型肝炎によるものというのがオスターの下した結論だった。
オスターの主張が仮に正しいとすると、性差別の問題がこれまで思われていたほど酷いものではなかったことが示唆されるという意味で、良い報せということになろう。しかしながら、それと同時に、(オスターは言及していない)悪い報せもいくつかある。女性が「消えた」地域――中国、インド、台湾など――では、1980年代から1990年代にかけてB型肝炎の予防接種が開始されたが、オスターの主張が正しければ、この間に(予防接種のおかげでB型肝炎のキャリアが減るのに伴って)出生性比(ひいては、人口性比〔訳注;人口性比(人口全体の男女比)というのは、女性100人あたりの男性数のこと。例えば、人口性比が1.05だと、女性100人に対して男性が105人いる計算になる。人口性比の値が高くなるほど、人口全体に占める男性の割合が増えることになる〕)が急低下して、「消えた女性」の数も大きく減ることになったはずである。実際のところは、どうだったか? 南アジアのいくつかの国では確かに出生性比が低下したが、とても「急低下」と呼べるようなものではなかった。オスターの主張が正しいとすると、出生性比が緩やかにしか低下しなかったのは、(B型肝炎のキャリアが減ることに伴う恩恵を打ち消すようにして)この間に性差別がさらに酷くなったためではないかという可能性が浮かび上がってくることになる。
オスターの論文が発表されると、彼女の主張を高く評価する声と彼女の主張に異議を唱える声とが入り乱れるかたちで、激しい論争が繰り広げられることになった〔原注;Das Gupta(2005, 2006)、Ebenstein(2008)、Lin and Luoh(2008)、Abrevaya(2005)、Klasen(2008)を参照されたい〕。オスター自身もこの問題に取り組み続けた。そして、他の研究者による強力な反論に加えて、自らの継続調査の結果も踏まえて、最終的には持説を撤回するに至ったのであった。つまりは、B型肝炎は、中国(ひいては、南アジア)における歪んだ人口性比〔訳注;人口全体に占める男性の割合が高くなっている事実〕や「消えた女性」の謎を解く鍵ではないとの結論に至ったのである。
オスター論文への反論;B型肝炎は「消えた女性」の謎を解く鍵ではない
「消えた女性」の謎を解く鍵をB型肝炎に求めたオスターは、どのような証拠を携えていたのだろうか? その一方で、オスターの主張に異議を唱えた論者は、どのような反証を挙げたのだろうか? 双方の証拠をどのように解釈したらいいのだろうか?
オスターは、「消えた女性」の謎を解く鍵をB型肝炎に求めるにあたって、主に4つの証拠を頼りにしている。まず1つ目の証拠は、男女の産み分けを可能とする中絶手術が普及する前からずっと一貫して、中国における出生性比も、アメリカに移住した中国人の出生性比も、標準値よりも飛びぬけて高かったという事実である。2つ目の証拠は、(中国や南アジアの国々を除いた)世界各地のミクロデータの分析を通じて得られたもので、両親がB型肝炎のキャリアだと、そうでない場合と比べて、出生性比が高くなる(男児が生まれやすくなる)傾向にあることが見出されたという。3つ目の証拠は、アラスカの原住民と台湾人を対象にしたB型肝炎の予防接種の効果を追跡した時系列データの分析を通じて得られたもので、B型肝炎の予防接種が実施された後に出生性比が低下傾向を辿っていることが見出されたという。最後に4つ目の証拠は、クロスカントリー分析(国際比較分析)を通じて得られたもので、B型肝炎ウイルスの感染率が高い地域ほど、出生性比が高いという関係が見出されたという。一見すると、多岐にわたる数々の証拠がオスターの主張を支持しているように思える。
しかしながら、その後の論争の過程で、オスターの主張を支えているか見える証拠に重大な問題が潜んでいることが指摘されると同時に、オスターの主張を覆すような証拠も徐々に明らかになってきた――論争の詳細については、Klasen(2008)を参照されたい――。 国際比較分析を通じて得られた証拠(4つ目の証拠)に関して言うと、データの信頼性に若干問題があり、南アジアや東アジアの中でも性差別が原因で――女児が生まれると役所にその旨が届け出られなかったり、生まれたばかりの女児が間引れたり、女児のネグレクト(育児放棄)が広く見られたり、女児が中絶されたりといった理由で――出生性比が高くなっている可能性がある国々のデータに分析結果が強く影響されている可能性が指摘されている。ミクロデータの分析を通じて得られた証拠(2つ目の証拠)に関しては、ある程度妥当性が認められているものの、サンプルサイズが小さいのに加えて、南アジアや東アジアの国々のデータが含まれておらず、広まっているB型肝炎ウイルスの種類が地域ごとにまちまちであることも指摘されている。中国では出生性比が飛びぬけて高かったという証拠(1つ目の証拠)に関しては、(少なくとも中絶手術が普及する1990年代までに限ると)こと第1子に関しては出生性比が標準値と変わらない地域が国内にいくつもあったことが判明している。さらには、Abrevaya(2008)によると、アメリカに移住した中国人の出生性比が高い理由は、両親がB型肝炎に感染していたためではなく、女児の中絶が選ばれたためである可能性が高いという。時系列データの分析を通じて得られた証拠(3つ目の証拠)に関しては、ある程度妥当性が認められているものの、統計解析の面で若干の問題を抱えていて、決定的な証拠とまでは言えないようだ。
おそらく最も致命的と言える反論を寄せているのが、林明仁(Ming-Jen Lin)&駱明慶(Ming-Ching Luoh)の二人による最近の論文である(Lin&Luoh, 2008)。彼らは、台湾における300万件を超える出生児のデータを分析し、母親がB型肝炎のキャリアであっても出生性比にはこれといって大した影響は生じないとの結論を得ている。彼らの推計によると、中国における「消えた女性」のうちでB型肝炎によって説明できるのは2%にも満たないとのことだ。となると、残りの98%は性差別によるものではないかとの可能性が浮かび上がってくることになる。とは言え、彼らの分析にも問題は無くはない。彼らの分析で対象になっているのは中国ではなく台湾であり、母親がB型肝炎のキャリアであるケースだけしか考慮されていない。ここで再び登場するのが、オスターだ(Oster&Chen&Yu&Lin, 2008)。オスターは、共同研究者の協力を得て、母親だけではなく父親の側がB型肝炎のキャリアであるケースも含めて、中国におけるB型肝炎のキャリアに関する大規模なデータを収集して、それに詳細な分析を加えている。そして、母親だけではなく父親がB型肝炎のキャリアであっても出生性比にはこれといって大した影響は生じないとの結論を得ている。かくして、中国(そして、おそらくは南アジア)における歪んだ人口性比や「消えた女性」の謎を解く鍵を(B型肝炎という)生物学的な要因に求めることはできなくなり、性差別こそがその大きな原因である可能性が再び持ち上がってくる格好となったのである。
悪い報せと良い報せ
オスター論文をきっかけとして巻き起こった論争から、一体何が得られたのだろうか? まずは、悪い報せから指摘しておこう。中国や南アジアにおける「消えた女性」の47%~70%を説明できるような生物学的な要因というのは、どうやら幻だったようだ。ということは翻って、Sen(1989, 1990)、Coale(1991)、Klasen&Wink(2002, 2003)の言い分がやはり正しくて、女児の中絶やネグレクト(育児放棄)が原因で、女性の死亡率が依然として相対的に高いままという可能性があることになる。 しかしながら、悪い報せの中にも良い報せがいくつかある。1980年代から1990年代にかけてB型肝炎の予防接種が開始されたのに伴って、南アジアのいくつかの国では出生性比が若干ながら低下する傾向が見られたわけだが、オスターの主張が正しいと仮定した場合は、この間に性差別がさらに酷くなったとの解釈が成り立つことは先に見た通りである。しかしながら、オスターの当初の主張に疑義が生じた今となっては、Klasen&Wink(2002, 2003)による解釈が妥当するように思われる。すなわち、「消えた女性」問題を抱える大半の地域では、1980年代から1990年代にかけて性差別が若干ながら薄らいだ可能性があるのだ。とは言え、中国は例外である。一人っ子政策〔拙訳はこちら〕に加えて、男女の産み分けを可能とする中絶手術が普及した結果として、中国では性差別の問題が悪化の一途を辿り、女性が生き残るのがなおさら難しくなる格好となったのである。
<参考文献>
●Abrevaya, J. 2009. “Are there missing girls in the United States?”, American Economic Review: Applied Economics 1(2): 1-34.
●Blumberg, B. and E. Oster. 2007. “Hepatitis B and sex ratios at birth: Fathers or Mothers?(pdf)”, Mimeograph, University of Chicago.
●Chahnazarian, A. 1986. “Determinants of the sex ratio at birth”, Ph.D. dissertation, Princeton University.
●Chahnazarian, A. B. Blumberg, and W. Th. London. 1988. “Hepatitis B and the sex ratio at birth: A comparative study of four populations”, Journal of Biosocial Sciences 20: 357-370.
●Coale, A. 1991. “Excess female mortality and the balance of the sexes: An estimate of the number of missing females”, Population and Development Review 17: 517-523.
●Das Gupta, M. 2005. “Explaining Asia’s Missing Women: A new look at the data”, Population and Development Review 31(3): 539-535.
●Das Gupta, M. 2006. “Cultural versus biological factors in explaining Asia’s Missing Women: Response to Oster”, Population and Development Review 32: 328-332.
●Ebenstein, Avraham. 2007. “Fertility choices and sex selection in Asia: Analysis and Policy”, Mimeograph, University of Berkeley.
●Klasen, S. 1994. “Missing Women Reconsidered”, World Development 22: 1061-71.
●Klasen, S. 2008. “Missing Women: Some Recent Controversies on Levels and Trends in Gender Bias in Mortality(pdf)”, Ibero America Institute Discussion Paper No. 168. In Basu, K. and R. Kanbur (eds.) Arguments for a better world: Essays in honour of Amartya Sen. Oxford: Oxford University Press, 280-299.
●Klasen, S. and C. Wink. 2002. “A turning point in gender bias in mortality: An update on the number of missing women”, Population and Development Review 28(2): 285-312.
●Klasen, S. and C. Wink. 2003. “Missing Women: Revisiting the Debate”, Feminist Economics 9: 263-299.
●Klasen, S. 2003. “Sex Selection”, In P. Demeny, and G. McNicoll (eds.) Encyclopaedia of Population. New York: Macmillan, 878-881.
●Lin, M-J. and M-C. Luoh. 2008. “Can Hepatitis B mothers account for the number of missing women? Evidence from 3 million newborns in Taiwan”, American Economic Review 98(5): 2259-73.
●Oster, E. (2006). “Hepatitis B and the Case of Missing Women(pdf)”, Journal of Political Economy 113(6): 1163-1216.
●Oster, E. G. Chen, X. Yu and W. Lin. 2008. “Hepatitis B does not explain male-biased sex ratio in China(pdf)”, Mimeographed, University of Chicago.
●Sen, A. 1989. “Women’s Survival as a Development Problem”, Bulletin of the American Academy of Arts and Sciences 43(2): 14-29.
●Sen, A. 1990. “More than 100 million women are missing”, New York Review of Books, 20 December.
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