2010年4月11日日曜日

Olivier Blanchard他 「マクロ経済政策を再考する」


Olivier Blanchard, Giovanni Dell'Ariccia and Paolo Mauro, “Rethinking macro policy”(VOX, February 16, 2010)

このたびの世界金融危機は、マクロ経済政策のあるべき姿に関するこれまでのコンセンサスに沿わないかたちでの対応を各国の政策当局者に強いることになった。本稿では、(i) マクロ経済政策のあるべき姿に関するこれまでのコンセンサスの主要な要素を展望し、(ii) これまでのコンセンサスのうちでどれが誤りであったかを特定し、(iii) 今後のマクロ経済政策の新たな枠組みの輪郭を描き出す。

「大平穏期」(Great Moderation)(Gali and Gambetti 2009) と呼ばれるマクロ経済の安定期の到来は、マクロ経済政策のノウハウを知悉するに至ったとの信念をマクロ経済学者や政策当局者の間に植え付けることになった。しかしながら、このたび世界経済を襲った経済危機は、そのような信念の妥当性に疑問を投げかけている。我々は、つい最近公にしたばかりのIMFスタッフレポートで(Blanchard, Dell’Ariccia and Mauro 2010,;詳しい参考文献については、このレポートを参照されたい)、マクロ経済政策のあるべき姿に関するこれまでのコンセンサスの主要な要素を展望している。それに加えて、これまでのコンセンサスのうちでどれが誤っていて、どれが依然として(危機を経てもなお)通用するかを特定しようと試みている。さらには、今後のマクロ経済政策の新たな枠組みの輪郭も描き出している。

(i) これまでのコンセンサス(What we thought we knew)

マクロ経済政策のあるべき姿に関するこれまでのコンセンサスをいくらか誇張して要約すると、以下のようになる。

金融政策は、単一の手段――政策金利――を頼りにして、単一の目標――低率で安定したインフレーション――の達成を目指すべきである。インフレ率が安定しているようなら産出ギャップも小幅で安定しているはずだから、インフレ率が安定している限りは、金融政策はやるべき仕事を果たしていると言える。財政政策は、あくまで二次的な役割を果たすに過ぎない。というのも、財政政策は、政治的な制約によってその有効性に限りがあるからである。金融規制? 金融規制は、マクロ経済政策の枠組みの範囲外の問題だ。

上で簡潔に要約したコンセンサスは、どちらかというと、学者の間で広く深く共有されていたろう。政策当局者は、学者と比べると、もう少しプラグマティックだった。とは言え、これまでのコンセンサスが現実の政策や制度を形作る上で重要な役割を果たしたことは確かである。

単一の目標:低率で安定したインフレーション

これまでのコンセンサスでは、低率で安定したインフレーション(stable and low inflation)の達成が中央銀行に課せられるべき第一義的な――排他的な、とまではいかなくても――法的責務と見なされていた。その理由は、中央銀行がインフレファイターとしての評判を確立する必要があったことに加えて、ニューケインジアンモデルによる知的な面からのサポートが与えられたからである。標準的なニューケインジアンモデルによると、インフレ率がある一定の水準で安定すると、それと同時に産出ギャップも解消される(産出ギャップがゼロになる)ことになる――いわゆる「神聖なる一致」(“divine coincidence”)――。経済に存在する様々な不完全性を考慮すると、インフレ率がある一定の水準で安定するようなら、考え得る限りで最善の結果が得られることになる。つまりは、中央銀行が実体経済の動向を気にかけているとしても、インフレ率をある一定の水準に安定させることが中央銀行にできる最大の貢献ということになる。「ある一定の水準」というのはどのくらいかというと、できるだけ低い水準であるべきという点でコンセンサスが得られていた(大半の中央銀行は、2%のインフレ率をターゲットに据えるところとなった)。

単一の手段:政策金利

これまでのコンセンサスでは、金融政策の手段として一つの手段にだけ注目が寄せられていた。政策金利がそれである。これまでのコンセンサスでは、金融政策は、現在の短期金利と将来の期待短期金利に影響を及ぼすことができればそれでよいと見なされていた。現在の短期金利と将来の期待短期金利に影響を及ぼすことができたら、その他の諸々の金利(満期がより長めの金利など)や価格にも影響を及ぼすことができると考えられていたのである。金融仲介の詳細については、大して重要ではないと軽んじられる傾向にあった。ただし、例外として、金融政策の波及経路としての「クレジット・チャネル」(“credit channel”)との絡みで、商業銀行(commercial bank)に対しては注意が向けられた。さらには、銀行取り付けの可能性を考慮して、預金保険制度や中央銀行の「最後の貸し手」機能が正当化された。そして、預金保険制度等の導入に伴って生じる(商業銀行が直面する)インセンティブの歪みに対処するために、銀行の規制や監督が擁護された。しかしながら、マクロ経済との絡みで、金融システムのその他の面に対して注意が向けられることはほとんどなかった。

財政政策の限定的な役割

1950年代および1960年代のケインジアンの栄光時代、1970年代の高インフレの時代を経て、その後の20~30年間にわたり、財政政策には二次的な役割しか与えられなかった。その理由はいくつかある。「リカードの等価定理」を根拠にして、財政政策の効果に疑いの目が向けられるようになったというのが一つ。財政政策が立案・実施されるまでには時間がかかる――財政政策は、機動性を欠いている――ことが認識されるようになったというのが一つ。財政政策の中身が政治的な利害関係によって左右される可能性が認識されるようになったというのが一つ。政府債務が累積していることも理由の一つに挙げることができるだろう。政府債務残高がこれ以上増えないようにするか減らすかする必要があると認識されるようになったのである。ただし、「財政の持続可能性」を脅かさない範囲でではあったが、財政の自動安定化装置(automatic stabilizers)に関してはその役割が認められていた。

金融規制:Not マクロ経済政策

これまでのコンセンサスでは、金融規制や金融監督がマクロ経済に及ぼす影響は等閑視されていた。個別の金融機関や個別の市場に及ぼす影響にだけ目が向けられていたのである。具体的に言うと、金融規制の目的は、個別の金融機関の健全性を維持して、非対称情報や(株式会社形態に伴う)有限責任に起因する「市場の失敗」を是正することにあったのである。金融自由化に対する熱狂が続いている中では、金融規制を景気の安定化のためにも用いようとする発想は、信用市場の円滑な機能を阻害しかねないとして、不適切な発想と見なされたのだった。

大平穏期(The Great Moderation)

実質GDPおよびインフレ率の変動幅が縮小するのに伴って――「大平穏期」が到来するのに伴って――、首尾一貫したマクロ経済政策の枠組みが遂に完成したのだとの強い確信が生まれることになった。さらには、1987年の株式市場の暴落、LTCMの破綻、ITバブルの崩壊等々を難なく切り抜けたことで、金融政策はバブルの崩壊にも首尾よく対処できるのだとの見方が強まることにもなった。かくして、2000年代の中頃までには、巧みなマクロ経済政策のおかげでマクロ経済のさらなる安定を実現することは可能だし、実際にも実現してきたと考えることは不合理でもなんでもなくなっていた。そんな中、今回の危機がやってきたのである。

(ii) 危機の教訓(What we have learned from the crisis)

今回の危機から我々が学んだことを列挙すると、以下のようになる。
  • インフレ率が安定していても、マクロ経済面で脆弱性が積み上がることがある
危機が勃発する直前まで、コアインフレ率は大半の先進国で安定していた。コアインフレ率はインフレを測る正確な指標ではなく、石油価格や不動産価格の変動も考慮に入れるべきだと訴える声も当時からちらほらと上がってはいた。しかしながら、インフレをどのようにして測るのであれ、単一の指標にすべてを託すわけにはいかないだろう。さらには、コアインフレ率が安定していても、産出ギャップが変動するという可能性もある。インフレ率の「変動」と産出ギャップの「変動」との間にはトレードオフが存在するかもしれないのだ。また、危機が勃発するまでの2000年代においてもそうだったが、インフレ率も産出ギャップもともに安定しているのに、いくつかの資産価格だったり信用総量〔訳注;credit aggregates;金融機関による貸出残高、あるいは、その(フローで測った)変化〕だったり産出量の構成〔訳注;composition of output;産業レベルでの産出量の変動〕だったりに望ましくない変化が生じている可能性もある。
  • 低インフレは、デフレ不況に立ち向かう上で金融政策にできることを狭めることになる
2008年に入って危機が本格化し、総需要が大きく落ち込むと、大半の中央銀行は、政策金利を即座にゼロ%近くにまで引き下げた。もしも可能であったら、世の中央銀行は、さらなる利下げに訴えて、政策金利をゼロ%以下(マイナスの水準)にまで引き下げていたことだろう。しかしながら、名目金利に対するゼロ下限制約がそうすることを阻んだのだった。危機が勃発するまでの時期にインフレ率がもう少し高かったら(それに伴って、政策金利がもう少し高い水準に留まっていたら)、利下げの余地(名目金利および実質金利を引き下げる余地)も広がっていたことだろう。
  • 金融仲介は、マクロ経済面でも重要な役割を演じる
金融市場は、取引される金融商品ごとに細かく分断されていて、市場ごとにそこでの取引に特化した投資家がいる。分断されている市場は、投資家による裁定行為を通じて、大抵の場合は互いに密接に結び付けられている。しかしながら、何らかの理由によって(金融取引以外の面で損失を被ったり、必要な資金を調達できない等の理由で)投資家が一斉に資金を引き揚げると、金融商品の価格に大きな影響が及ぶ可能性がある。それと同時に、投資家が裁定行為から手を引いてしまうために、各種の金利の結び付きが弱まることになる。そうなると、政策金利という単一の手段を操作しさえすれば、各種の金利や資産価格に影響を及ぼせるとは到底言えなくなる。異なる資産の価格に影響を及ぼそうとするなら、資産を担保に資金を貸し出したり、資産を直接買い切ったりして、中央銀行が各種の金融市場に介入する必要が出てくることになろう(そうすれば、政策金利を操作しなくても異なる資産の価格に影響を及ぼせるだろう)。分断された市場が投資家による裁定行為を通じて結び付けられなくなると、市場を通じた短期での資金調達(wholesale funding)と要求払い預金の区別がなくなり、銀行だけでなく投資家一般も流動性を追い求めることになるのである。
  • 財政政策は、景気を安定させるための重要な道具の一つである
今回の危機は、財政政策をマクロ経済政策の主要な一員として舞台の中央に呼び戻すことになった。その理由は、2つある。1つ目の理由は、金融緩和が限界に達したからである。2つ目の理由は、危機に突入したばかりの段階で既に不況が長期化しそうだと予測されていたからである。財政政策が実行に移されるまでには長い時間を要するとしても、これから続くであろう不況の長さを考えると、財政政策が効果を表すまでに十分に時間の余裕があったのである。長期化する不況という例外的な状況ゆえに積極的な財政出動が正当化されたわけだが、その裏返しとして、「通常の」景気循環の過程で裁量的な財政政策に訴えることに伴う欠点――特に、適切な財政政策を立案・決定・実行することに伴うラグ――が再度浮き彫りになった。また、今回の危機は、「財政面での余地」(“fiscal space” )を確保する重要性も明らかにしている。危機に突入した段階で膨大な政府債務残高を抱えていた国は、財政政策を使える余地が限られていたのである。
  • 金融規制は、マクロ経済に対して非中立的な影響を及ぼす
金融規制は、アメリカで生じた住宅価格の下落を世界全体を巻き込む経済危機へと増幅させる役割を果たした。民間の銀行は、規制の網を潜り抜けるようにして、プルーデンシャル規制の適用を避けてレバレッジを高めるために、オフバランス化に乗り出した。こうした規制間の裁定(Regulatory arbitrage)の結果として、いくつかの金融機関に他の金融機関が従っているのとは異なるルールの下で活動するのを許してしまうことになった。また、ひとたび危機が勃発するや、個別の金融機関の健全性を維持することを目的として設計されたルールが、金融システム全体の安定性を脅かす方向に作用することになった。資産の時価評価を求めるルールとあらかじめ定められた自己資本比率の達成を求めるルールが組み合わさって、金融機関による投げ売りとデレバレッジング(債務の圧縮)を誘発することになったのである。

「大平穏期」を再解釈する

マクロ経済政策の運営を背後で支える概念枠組みに大きな欠陥があったとするなら、マクロ経済面でこんなにも長きにわたってかくも良好なパフォーマンス――「大平穏期」――が続いたのはどうしてなのだろうか? その理由の一つとして考えられるのは、「大平穏期」に発生したショックのどれに対しても政策面でどう対応したらいいかがよく理解されていたからかもしれない。例えば、1970年代のサプライショックの経験から学んだ教訓――インフレ予想を安定させることの重要性――のおかげで、2000年代に再び生じた石油価格の高騰にどう対処したらいいかも熟知されていた。ところで、マクロ経済の安定化に成功した事実それ自体が今回の危機の種を播く結果になってしまった面もあるかもしれない。「大平穏期」は、多くの人々――政策当局者や規制当局者も含む――のリスク評価を歪ませて、マクロ経済リスクの過小評価やテールリスクの無視を招いた。その結果として、規制の緩和が後押しされもし、後になってどれだけ大きなリスクを抱えていたかが露呈するような投資上のポジションをとらせることにもなったのである。

(iii) マクロ経済政策の新たな枠組みの輪郭(Implications for policy design)

マクロ経済政策は、単一の目標ではなく、数多くの目標を追い求めるべきというのが今回の危機が露にしている悪いニュースである。その一方で、マクロ経済政策の手段は、数多くある――「風変わりな」(“exotic” )金融政策、財政政策、規制政策――というのが今回の危機が思い出させてくれている良いニュースである。どの手段をどの目標の達成に割り当てたらいいかという問いに答えが出るまでにはしばらく時間がかかるだろうし、かなりの研究が必要となるだろう。

マクロ経済政策の新たな枠組みの輪郭を描くにあたってまず何よりも先に指摘しておくべきなのは、産湯と一緒に赤子を流すべからず、ということだ。これまでのコンセンサスのうちの大半は、危機を経た後もなお依然として通用するのだ。その例をいくつか挙げると、産出ギャップとインフレ率を安定させることはマクロ経済政策が追い求める目標であり続けるべきだ。自然失業率仮説を少なくとも現実の大まかな近似として今後も受け入れるべきであり、それゆえ、インフレーションと失業率の間に長期的なトレードオフが成り立つなんて想定すべきではない。低率で安定したインフレーションは、今後も金融政策の主要な目標であり続けなければならない。財政の持続可能性を確保することは、長期的な観点からだけではなく、予想に及ぼす影響との絡みで短期的な観点からも重要となってくる。

以下に掲げるのは、マクロ経済政策の新たな枠組みの輪郭を描くにあたって、経済学者が精力を注いで取り組むべき重要な問いである。

インフレ率の目標値はどのくらいの水準に設定されるべきか?

今回の危機は、大規模なネガティブショックが現実に起き得ることを明らかにした。中央銀行は、今回のような大規模なネガティブショックに対応できる余地(政策金利の引き下げ余地)を確保するために、平時におけるインフレ率の目標値を今よりも高めに設定すべきだろうか? 4%のインフレ率に伴う(コストから便益を差し引いた)純コストは、2%のインフレ率――目下のところ、大半の中央銀行が目標にしているインフレ率――に伴う純コストよりも大きいだろうか? インフレ率の目標値を2%から4%に引き上げると、インフレ予想を安定させるのが難しくなるだろうか? 「中央銀行の独立性」を確保することを通じて低率のインフレを達成した事実は、歴史的な偉業であったと言える。それゆえ、先の一連の質問に安易に答えを出すわけにはいかない。先の一連の質問に答えるにあたっては、インフレの便益とコストを注意深く再検討する必要があろう。これまでの議論とも関連するが、インフレ率が極めて低いようなら、デフレに陥る可能性を最小化するために、金融緩和の行き過ぎも辞さないでいるべきかどうか――その対価として、総需要が予想以上に刺激されてインフレが加速するリスクがあるとしても――という問題もある。この問題は、2000年代初期にFOMC(米連邦公開市場委員会)のメンバーの頭の中を支配していた問題であり、その他の面々もいつの日か立ち戻らねばならない問題である。

金融政策と規制政策をどう組み合わせるべきか?

危機が勃発する前においても、政策金利を決定するルール(政策反応関数)――明白なルールであれ、暗黙的なルールであれ――の中に(インフレ率や産出ギャップの他に)資産価格も組み込むべきかどうか――資産価格の動向に応じて、政策金利を上げ下げすべきか――をめぐって議論がたたかわされていた。今回の危機をきっかけにして、政策金利を決定するルールの中に、資産価格の他にも、レバレッジ比率やシステミック・リスクを測る指標も組み込むべきではないかとの声が上がっている。しかしながら、そのような声は見当違いであるように思える。政策金利は、過剰なレバレッジなりリスクテイキングなりバブル(資産価格のファンダメンタルズからの乖離)なりに対処するには不向きなのだ。仮に不向きじゃないとしても(例えば、政策金利を引き上げたら、過剰なレバレッジを抑制できるとしても)、政策金利を引き上げるのと引き換えに産出ギャップが拡大してしまうことになるだろう。

政策当局者が手にしている道具箱の中に収まっているのは、政策金利だけじゃない。「循環的な規制ツール」とでも呼べる手段も収まっているのだ。「循環的な規制ツール」の使用法を例示すると、以下のようになろうか。

レバレッジが過剰なように見えたら、法定の自己資本比率を引き上げる。バランスシート上の流動性が低下しているように見えたら、法定の流動性比率を導入して、必要ならその比率を引き上げる。住宅価格の高騰を抑制したければ、借入金比率〔訳注;LTV比率=借入金額÷担保となる資産の価値〕を引き下げればいい。株価の高騰を抑制したければ、証拠金率を引き上げればいい。

こんな感じで金融政策と「循環的な規制ツール」が組み合わせて用いられるようになったら、金融規制やプルーデンシャル規制の枠組みをマクロ経済に及ぼすインパクトを踏まえた上で設計する必要が出てくることになろう。さらには、金融政策当局と金融規制当局の間でいかにして政策協調を実現したらいいかという別の問題も生じることになろう。金融政策と金融規制・金融監督業務を分離するというのがこれまでのトレンドだが、そのトレンドが反転させられて、単一の機関が金融政策も金融規制(その中でも、マクロプルーデンス規制)もどちらも担うことになるかもしれない。マクロプルーデンス規制を担う機関としては、中央銀行が第1の候補ということになろう。

中央銀行による流動性の供給を平時においても認めるべきか?

今回の危機は、中央銀行の伝統的な役割の一つである「最後の貸し手」機能の拡充――範囲と規模の両面における拡充――を招いた。中央銀行は、非預金取扱金融機関に対しても潤沢に流動性を供給したし、広範囲に及ぶ資産市場に直接的――資産の買い切りというかたちで――ないしは間接的に――資産を担保として引き受けるのと引き替えに、資金を貸し出すというかたちで――介入した。中央銀行は、このようなかたちでの流動性の供給を(危機時における例外的な措置というにとどまらず)平時にも行うべきだとの提案は、説得力があるように思える。市場で流動性が不足している原因が、豊富な資金を持つ投資家が特定の市場から手を引いたせいであったり、(伝統的な銀行取り付けのケースのように)小口投資家の間で「協調の失敗」が生じているせいであったりするようなら、そこに介入できるのは権威ある公的な存在をおいて他にないだろう。

平時において「財政面での余地」を確保するにはどうしたらいいか?

今回の危機から得られる重要な教訓の一つは、必要に迫られた時に大規模な財政出動に打って出られるように「財政面での余地」をあらかじめ確保しておくことの望ましさである。高齢化が突きつけるいくつもの挑戦(例えば、年金問題や医療問題)に抗いつつ、政府債務残高を削減せねばならないとすれば、景気回復がしっかりと定着した後の話になるとは言え、「財政面での余地」を確保するのはそう簡単じゃないだろう。しかしながら、政府債務残高の水準は、危機が勃発する前までに積み上がっていた水準よりも低く抑えるべきというのが今回の危機が伝える教訓なのだ。今回の危機がこれから10年、20年先の財政運営のあり方について投げかけている指針をまとめると、以下のようになろう。

経済情勢が許すようなら、「財政面での余地」を確保するために果断な措置に打って出ることが必要である。経済成長が急速に進んで税収が大いに伸びるようなら、歳入面で生まれた余裕を、政府支出を賄ったり減税のために使うのではなく、政府債務残高の対GDP比を縮小するためにこそ使うべきである。

好景気に乗じて財政の好転を狙うというのは目新しくも何ともない手だが、その重要性は今回の危機をきっかけとして一層高まっている。中期的な財政健全化計画を練ったり、政府債務残高の対GDP比の削減に向けた信頼のおけるコミットメントを設けたり、(不況期における例外規定を盛り込んだ)財政規則を作成したり、財政データの透明性を高めたりすれば、「財政面での余地」を確保する助けになるだろう。

財政の自動安定化装置の機能を高めるにはどうしたらいいか?

裁量的な財政政策は、実行に移されるまでに長い時間を要することもあって、通常の不況時に使うには向いてない。そこで、財政の自動安定化装置に期待が寄せられることになるわけだが、財政の自動安定化装置の機能を高める(改善する)ことは可能だろうか? この問いに取り組むにあたって、自動安定化装置を、真正の自動安定化装置(以下、自動安定化装置<パート1>と呼ぶことにする)――所得の上昇(あるいは、景気の拡大)に伴って、移転支出が自動的に減る一方で、税収が自動的に増えるような財政上の仕組み――と、ルール型の自動安定化装置 (以下、自動安定化装置<パート2>と呼ぶことにする)――あらかじめルールを作成しておいて、そのルールで想定されている状況になったらルールの規定通りに移転支出や税金を変動させる――の二つのタイプに区別するとしよう。

自動安定化装置<パート1>は、①硬直的な歳出体系〔訳注;歳出の規模が名目GDPの値から独立して決められる〕と税収の弾性値がおよそ1〔訳注;名目GDPが1%増加すると、税収がおよそ1%増加する〕の税体系の組み合わせを通じてか、②失業保険等の社会保険制度を通じてか、③累進構造を持つ所得税体系を通じてかして、その機能を発揮する。政府の規模が大きくなったり、所得税の累進度が強化されたり、社会保障制度が拡充されたりすると、自動安定化装置<パート1>がマクロ経済に及ぼす効果は高まることになる。しかしながら、政府の規模を大きくするのであれ、所得税の累進度を強化するのであれ、社会保障制度を拡充するのであれ、結果的に自動安定化装置<パート1>の機能が高まるからよしとするのではなく、公平性や効率性といった観点からもその是非が判断されねばならないだろう。

どちらかというと、自動安定化装置<パート2>の方が見込みがありそうである。自動安定化装置<パート2>の税サイドの仕組みとしては、低所得層を対象にした時限的な減税――一律の給付付き税額控除、税負担額の何%かを減額――だったり、企業を対象にした景気連動型の投資税額控除なんかを考えることができる。自動安定化装置<パート2>の支出サイドの仕組みとしては、低所得層あるいは流動性制約下に置かれている(借り入れが困難な)家計を対象にした時限的な移転支出を考えることができる。時限的な税制措置や時限的な移転支出は、何らかのマクロ経済指標〔訳注;名目GDP成長率や失業率など〕があらかじめ定められた閾値(threshold)をまたぐと発動されることになる〔訳注;例えば、名目GDP成長率が2%を下回ると(あるいは、失業率が4%を超えると)、あらかじめ定められたルールの規定に従って時限措置が実行に移される〕。


<参考文献>

〇Blanchard, Olivier, Giovanni Dell’Ariccia and Paolo Mauro (2010). “Rethinking Macroeconomic Policy”, IMF Staff Position Note, SPN/10/03, February 12.
〇Gali, Jordi and Luca Gambetti (2009). “On the Sources of the Great Moderation(pdf)", American Economic Journal: Macroeconomics, 1(1): 26–57.


<訳者による補足>

本論説は、参考文献にも挙がっている Olivier Blanchard, Giovanni Dell’Ariccia and Paolo Mauro (2010),〝Rethinking Macroeconomic Policy(pdf)”(IMF Staff Position Note, SPN/10/03, February 12)の簡略版である。なお、IMFスタッフレポート版に関しては邦訳が存在する。IMFスタッフレポートでは、本論説で取り上げられている話題がもっと詳しく掘り下げて議論されているので、興味のある向きは以下の邦訳も是非とも参照されたい。

〇soulcageさん/night_in_tunisiaさん(共同訳)〝マクロ経済政策再考”(リフレーションに関連する海外記事および論文集

0 件のコメント:

コメントを投稿