本論説は、ポール・サミュエルソン(Paul Samuelson)の生涯と業績に関する回顧記事である。
ハリネズミがいて、キツネがいて、そして・・・ポール・サミュエルソンがいる。
ご存知だとは思うが、ここで私は、アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)が思想家を類別するために使った、かの有名なたとえ話を持ち出しているのである。キツネは多くのことを知っている(foxes who know many things)。一方で、ハリネズミはたった一つのことしか知らない、ただし、非常に重要なアイデア(=ビッグ・アイデア)を一つ(hedgehogs who know one big thing)・・・というお馴染みのアレである。経済思想家としてのサミュエルソンを、人類史上にわたって比類なき経済学者たらしめているのは、彼が非常に重要なアイデアを数多く知っていた(he knew many big things)――そして、我々にそれらのことを教えてくれた――という事実にこそある。サミュエルソンほどに数多くの独創的なアイデアに恵まれた経済学者は、他には見当たらないのだ。
1.顕示選好(Revealed preference):1930年代に、消費者理論の分野で一つの革命〔訳注;おそらく、ヒックス=アレン等が先鞭をつけた、基数的効用から序数的効用に基づく消費者理論の書き換えのことを指していると思われる〕が起こった。この革命の過程において、経済学者らは、消費者選択の問題には、限界効用逓減の法則以上に豊かな世界が広がっていることを認識するようになった。しかしながら、(1930年代の消費者理論における革命の後に)サミュエルソンは、彼が唱えた単純な命題――すなわち、彼なり彼女なりが実際に選択したものは、彼(彼女)が選び得たにもかかわらず、実際には選ばなかったものよりも、その人自身の選好に沿うもの(=より大きな満足を与えるもの)である――から、いかに多くの含意を導き出すことができるかを我々に教えてくれたのであった。
2.厚生経済学(Welfare economics): ある経済状態(economic outcome)が、別の経済状態と比べて、より望ましい、との主張によって意味されていることは一体何なのだろうか? サミュエルソンが厚生経済学の分野に進出する以前の段階においては、この主張が何を意味するのかに関しては、曖昧なままに放っておかれており、また、所得分配を巡る議論は大きな混乱に包まれていた。サミュエルソンは、「倫理的な観察者(ethical observer)による再分配(redistribution)」という発想を導入することを通じて、社会厚生(social welfare)という概念についてどのように考えればいいのか、一つの道筋を示した。それと同時に、倫理的な観察者などが存在せず、「倫理的な観察者による再分配」が(通常であれば)生じることのない現実の世界においては、社会厚生という概念は限界を抱えていることも示したのであった。
3.貿易の利益(Gains from trade): 国際貿易は有益(beneficial)である、との主張によって意味されていることは一体何なのだろうか? また、この主張はどのような限界(あるいは留保条件)を抱えているのだろうか? 「貿易の利益」に関するサミュエルソンの分析――この分析においては、顕示選好の方法と、経済厚生分析との両者が応用されている――は、これらの問いに取り組む上での出発点となっている。「市場の歪み」に関するバグワティ(Bhagwati)やジョンソン(Johnson)〔訳注;おそらく、ハリー・ジョンソン〕の分析から、一般化された比較優位(generalised comparative advantage)に関するデアドロフ(Deardorff)の分析までに至る(貿易の利益に関する)一切の研究業績は、サミュエルソンの洞察の上に立脚しているのだ。
4.公共財(Public goods): ある特定の財やサービスが政府によって供給されねばならないのは、なぜなのだろうか? また、ある財――それも、限られた数の財――の生産を市場に委ねるべきであるとすれば、一体どのような事情ゆえにそうなるのだろうか? すべての答えは、サミュエルソンの1954年論文「公共支出の純粋理論」(“Pure theory of public expenditure”)にある。
5.生産要素の賦存比率と国際貿易(Factor-proportions trade theory):生産要素の賦存状態と比較優位との関係について語る時、国際貿易が所得分配に与える影響について頭を悩ましながら語る時、我々は、(知ってか知らずか)1940年代と1950年代におけるサミュエルソンの研究成果に立ち返っていることになる。サミュエルソンは、オリーン(Ohlin)とヘクシャー(Heckscher)による曖昧でやや混乱気味のアイデアをもとにして、切れ味鋭いモデルを組み立てたのであった。サミュエルソンによって定式化されたヘクシャー=オリーンモデルは、その後の一世代にわたって、国際貿易理論における支配的な地位を占めることになったし、現代の貿易理論の重要な構成要素の一つであり続けている。
6.為替レートと国際収支(Exchange rates and the balance of payments):ここでちょっと個人的な話をさせてもらいたい。国際貿易論を研究している学者の大半は、ひとたび為替レートや国際収支の問題に議論が及ぶや、話の筋を見失ってしまいがちになる。これまでにも何度か指摘したことがあるが、(実体経済を対象とする学としての)国際貿易の研究に従事している学者は、(貨幣経済学としての)国際マクロ経済学をブードゥー(voodoo)経済学と見なす一方で、国際マクロ経済学の研究に従事している学者は、国際貿易論を退屈で現実との関連が薄い学問と見なす傾向にある (私の機嫌が悪い時には、どちらの主張もともに正しい、と言ってやることにしている)。しかしながら、リカードの貿易理論に関するドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソン論文(1977年)(Dornbusch, Fischer, and Samuelson(1977))を読んでからというもの、私個人は、国際貿易論と国際マクロ経済学との対立から逃れることができるようになった。ドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソン論文の中では、国際貿易とマクロ経済とが、為替レートと国際収支とが、そして、貿易の利益が発生する可能性と(輸入品と競合する国内の産業で生じる;訳者注)失業の可能性とが、それぞれ自然なかたちで相互に関連付けられている(=統一的に分析されている)のである。
サミュエルソンにとっても、国際貿易論と国際マクロ経済学とをいかにして関連付けたらよいか、という課題を明確に理解するにあたって、ドーンブッシュ=フィッシャー=サミュエルソン(1977年論文)による整然とした定式化が大きな助けとなったらしいが、サミュエルソンがこの課題にぶつかったのは時期的にずっと前に遡るようだ。ここで、1964年に公刊されたサミュエルソンの論文「貿易問題に関する理論的覚書」(”Theoretical notes on trade problems”(pdf))の中から、関連する箇所を引用してみることにしよう。「雇用の水準が完全雇用水準以下であり、国民純生産(Net National Product)が準最適な(suboptimal)水準にとどまっている(最適な水準には達していない)ようなケースでは、通常であれば馬鹿げている重商主義者(mercantilist)の議論のどれもこれもが妥当性を持つようになる」。そして、これに続けてサミュエルソンは、自らが執筆したテキストである『経済学』の(当時の)最新版の付録(appendix)の中で、「通貨の過大評価(overvaluation)によって引き起こされる問題――自由貿易擁護論にとって真に厄介な問題――を指摘した」事実に言及している。ここでサミュエルソンが、問題解決の方法(訳者注;完全雇用を達成し、国民純生産を最適な水準に復帰させる方法)として提示したのは、貿易の制限ではなく、通貨の過大評価をストップさせること(=為替安(通貨の減価)への誘導;訳者注)であった。つまりは、サミュエルソンは、まっとうなマクロ経済政策(good macroeconomic policies)は、まっとうなミクロ経済政策(good microeconomic policies)の前提条件である(訳者注;まっとうなマクロ経済政策なくして、まっとうなミクロ経済政策はありえない)、と理解していたわけである。この点については、また少し後で触れることにしよう。
7.世代重複モデル(Overlapping generations):サミュエルソンが1958年の論文で発明した世代重複モデルは、社会保障から家計債務の問題にまで及ぶ、幅広い問題を考えるにあたっての基礎的な枠組みを提供している。世代重複モデルなしに、今日あるマクロ経済学の発展を想像することは困難だ。
8.ランダムウォーク仮説(Random-walk finance):フォワードルッキングな(将来を見据えて判断を下す)投資家(investors)の行動は資産価格のランダムな変動を生む、というサミュエルソンの論証は、現代における大半のファイナンス理論の出発点となっている。
先にも述べたように、サミュエルソンが発案したビッグ・アイデアは、以上の8つにとどまるものではなく、探せばきっともっとたくさん見つかることだろう。しかし、以上8つのアイデアのうち、どれ1つを取り上げても、それ単独で、サミュエルソンの名を偉大な経済学者として歴史に刻むに十分な貢献であるとみなされたことだろう。今日までに、これほど多くのビッグ・アイデアを思いついた経済学者は、サミュエルソン以外に誰一人として――誇張でも何でもなく、本当に誰一人として――いなかったのである。
サミュエルソンは、いかにしてこんなにも多くのビッグ・アイデアを思いついたのだろうか? もちろん、他の誰よりも頭が良かった、というのもあるだろう。しかしながら、ここで私は、サミュエルソンの学問上の探究を支えた要素(知的属性)として、(頭の良さに加えて)さらに2点指摘したいと思う。
まず第1の要素は、彼の茶目っけたっぷり(playfulness)の態度である。サミュエルソンの文章を読む人の脳裏には、非常に堅苦しい論文を書き上げるために机の前に座している男の姿ではなく、楽しみながらアイデアを紡ぎだしている男の姿が浮かび上がってくることだろう。茶目っけは、時に、洗練されたおふざけ(inspired silliness)のかたちをとって表れることがある。例えば、先にも触れた1958年の世代重複モデル論文の注9を見てみるといい。そこには、こうある。「確かに(Surely)、“確かに”(’surely’)という言葉で始まる文の最後がクエッションマークで終わることは、普通であればあり得ないことである? しかしながら、一つの論文においては、一つのパラドックスで十分であって・・・」(“Surely, no sentence beginning with the word ‘surely’ can validly contain a question mark at its end? However, one paradox is enough for one article …”)。サミュエルソンの茶目っけたっぷりな態度は、彼の想像力(imagination)を解放すると同時に、創造力(creativity)の刺激にもつながったに違いないと思われるのである。
そして第2の要素は、現実に根をおろそうと常に心掛ける態度である。サミュエルソンは、大学という象牙の塔に閉じこもるような学者然とした人物ではなかった。彼は、現実の出来事や政策に深く興味を示し続け、加えて、株式投資に手を出したりもした。さらには、理論が現実から遊離しないように心掛けてもいた。
最後に、サミュエルソンが政策形成の方面において果たした偉大な貢献、いわゆる「ケインジアン総合」(訳者注;あるいは、「新古典派総合」)について触れることにしたい。サミュエルソンは、知的な観点からして、大恐慌の赤ん坊(Depression baby)であった。というのも、彼が経済学の教育を受けたのは、大量失業が発生した大恐慌期の真っ只中だったからである。彼が執筆したテキストである『経済学』は、ケインジアンの思考法を広く一般の人々に知らしめることになった。サミュエルソンは、市場は時に手が負えないほどの機能障害に陥る可能性があることを、生涯を通じて決して忘れることはなかったが、もしそうである(=市場が機能障害に陥ることがある;訳者注)とすれば、市場の利点を説く経済理論をいかにして現実世界に適用したらよいのだろうか?
サミュエルソンが上の問いに対して寄せた回答は、まずはまっとうなマクロ経済政策ありき、ということであった。まず何よりも、金融・財政政策を通じて完全雇用を維持する必要があり(私自身色々なところで指摘してきたが、サミュエルソンは、今日の状況をあたかも予見していたかのような仕方で、金融政策の限界を認識していた)、為替レートの調整を通じて(訳者注;完全雇用の達成に十分なだけの)価格競争力を維持する必要がある。市場の利点が発揮され得るのはその後の話、というわけである。
以上のサミュエルソンの「ものの見方」は、現代の経済学者の多く(あまりにも多く)が、見た目に美しい完全市場モデルの数理的な操作に没頭する中で忘れ去ってきた教訓であった。サミュエルソンによるその現実主義的な「ものの見方」――市場は大いなる偉業を達成する仕組みではあるが、(市場は)時に政府による積極主義(government activism)によってサポートされる必要がある、という発想――が、今日ほど適当に思える時期は他にないであろう。
比類なき経済学者、ポール・アンソニー・サミュエルソンをここに称えるとしよう。今日までに彼に比肩し得るような経済学者は現れることはなかったし、おそらく今後も決して現れることはないであろう。
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