2013年8月28日水曜日

Bryan Caplan 「自然災害への政府の対応を歪ませる有権者の破滅的な投票行動」(2008年7月15日)

Bryan Caplan, “Disastrous Voting”(EconLog, July 15, 2008)


アンドリュー・ヒーリー(Andrew Healy)――実証的政治経済学の分野における新世代を代表する一人であり、私のお気に入りの学者の一人――が最新の論文で大胆な主張を展開している。自然災害は「神の仕業」(=不可抗力)という考えが一般的かもしれないが、アメリカの有権者(投票者)も(自然災害の)共謀者なのだというのがヒーリーの言い分だ。論文のアブストラクト(要旨)の一部を引用しておこう。

自然災害、政府支出、有権者の投票行動に関する包括的なデータの分析から明らかになることは、有権者は災害復旧(disaster relief)向けの政府支出に対しては票を投じて報いる一方で、災害予防(disaster prevention)向けの政府支出に対してはそうじゃないということである。有権者のこのような投票行動は、政府(現職)が直面するインセンティブに大きな歪みをもたらす。というのも、災害予防向けの政府支出は、将来の損害(将来起こり得る自然災害に伴って生じる被害)の大幅な抑制につながることがデータによって示されているからである。

本文で掲げられている二つの散布図――現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図と、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との関係を可視化した散布図――によると、現職の得票率(の変化)と災害復旧向けの政府支出(の変化)との間には正の相関が成り立つ一方で〔訳注;災害復旧向けの政府支出が増えると、現職の得票率が高まる傾向にある、という意味〕、現職の得票率(の変化)と災害予防向けの政府支出(の変化)との間にはこれといった関係が見出されないことがわかる。有権者のこのような投票行動を踏まえると、現職の政治家が災害復旧事業(票になる事業)に災害予防事業(票にならない事業)の15倍もの予算を投じているのも何ら驚くようなことじゃない。

災害予防向けの政府支出が役立たずで効果が無いようなら、憂(うれ)えるような話じゃないだろう。しかしながら、ヒーリーも証拠を挙げているように、災害予防向けの政府支出はリターンが大きい(大きな効果が期待できる)のだ。

有権者は、政府による災害予防には効果が無いと判断しているのかもしれない。その可能性を検証するために、災害予防向けの政府支出の効果の推計を試みるとしよう。
・・・(中略)・・・
災害予防向けに平均で年間1億9500万ドルの予算が投じられて、災害の被害額の平均が165億ドルと想定するなら、災害予防向けの政府支出が1ドル増えると、災害の被害額が8.30ドル減るというのが回帰分析から得られる結果である。この推計結果は、2000年から2004年までの5年の間に生じる効果しか考慮していないことに注意されたい。

文句をつけたいところもなくはない。「有権者は、災害予防という賢明な策に対して投票で報いることはない」という原則への例外に関する議論で論文が締め括られているのが気に食わないのだ。今後の研究課題としては貴重なトピックかもしれないが、そういうかたちで締め括ってしまうと、主要なメッセージが薄められてしまって惜しくてならないのだ。政府支出が大きな効果を生む(効率を大幅に改善する)可能性があったとしても、その機会はみすみす見過ごされてしまうという主要なメッセージが。合理的な有権者が政府をコントロールしているようなら、政府は公共財の問題だったりを解決するのに役立つ妙薬になり得る。しかしながら、合理的とは言えない有権者――この世に生きる現実の有権者――が政府をコントロールしているようなら、政府はバカでかいインチキ薬になりがちなのだ。

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