2013年2月18日月曜日

Gregory Mankiw 「金融政策の分権化に向けて」(2006年7月21日)

Gregory Mankiw, “How to Decentralize Monetary Policy”(Greg Mankiw's Blog, July 21, 2006)


本日付(2006年7月21日付)のウォール・ストリート・ジャーナル紙で次のように報じられている。

FOMCの議事要旨によると、Fedが6月(先月)に政策金利を引き上げたのは、マーケットが政策金利の引き上げを予想していたからというのも理由の一つのようだ。マーケットの予想に反して政策金利を引き上げなければ、インフレファイターとしての評判に傷がつくと恐れたようなのだ。

ビビりだなあと思う人もいるかもしれない。リーダーシップをとってマーケットを引っ張るわけではなく、マーケットの御機嫌を取っているというわけだから。しかしながら、考えようによっては「金融政策の分権化」に向けて一歩踏み出すことができるかもしれない。

どういうことかというと、Fedが例えば2%のインフレ目標を採用すると同時に、以下のようなルールに従うようにすればいいのだ。

マーケットが政策金利とインフレ率の今後についてどのように予想しているかをチェックする。将来的にインフレ率が2%を上回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも高めに政策金利を設定する。それとは反対に、将来的にインフレ率が2%を下回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも低めに政策金利を設定する。インフレ率が今後も2%にとどまるというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定する。

循環しているように見えるかもしれない。Fedはマーケットに反応し、マーケットはFedに反応するというわけだから。しかしながら、どこにも問題はない。経済学者は、同時性(simultaneity)の問題に慣れっこなのだ。

言うまでもなく、マーケットはFedの反応を織り込んで予想を立てるだろう。しかしながら、何の問題もない。そうなることが理想なのだ。最終的には、インフレ率が今後も2%にとどまるとマーケットが予想するような不動点(fixed-point)に達するだろう。あとは、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定すればいい。そうすればインフレ目標を達成できるのだ。

2012年12月17日月曜日

Garett Jones 「『債務』という名の最も粘着的な価格」(2012年9月11日)

Garett Jones, “Debt: The Stickiest Price of All”(EconLog, September 11, 2012)


名目支出(総需要)が減るせいで実体経済に害が及ぶとしたらいかにしてか? そのことについて経済学者はぺちゃくちゃと喋りまくる。いや、喋らざるを得ないのだ。名目支出が減ると、産出量(実質GDP)が減るというのは当たり前ではないからだ。「一般的な供給過剰」(general gluts)の存在を前提するわけにはいかないからだ。

窓の外に目をやれば供給過剰の証拠なんてすぐに見つかるというのが世間の考えだというのに、供給過剰を生んでいる根本原因を解き明かすためにわざわざ頭を悩ます必要なんてあるんだろうか? あるのだ。供給過剰の存在は、経済学者がこれまでに育んできた偉大なアイデアの一つと抵触するのだ。売れ残りが出るようなら――労働者が職にあぶれていたり、住宅が売れ残っていたり、車が売れずに駐車場で錆びついていたりするようなら――、価格が低下して、売り捌かれるはずなのだ。

売れ残りが出ると、供給過剰を解消するようなプロセスが始動するはずなのだ。その実例を知りたければ、終了まで残り30分のガレージセールを眺めるといい。

価格の力に刃向かって供給過剰が解消されるのを妨げる「摩擦」(“frictions”)というのがあるとすれば、相当強力じゃないといけないはずで、誰の目にもすぐに目につくはずだ。しかしながら、経済学者が持ち出す「摩擦」というと、「粘着価格」(“sticky prices”)だとか、「粘着賃金」(“sticky wages”)だとか、文化規範だとか、公共部門の労働組合だとかというのが通例だ。どれも強力だし、その存在も疑おうとは思わない。しかしながら、需要と供給の力を上回るくらい強力だろうか? 何年も持続するくらい強力だろうか?

ここで、私のお気に入りの「摩擦」にご登場願おう。社会心理学的な理由によってではなく、契約の力によって生じる「摩擦」である。その名は、「債務」(debt)。家計が負う債務。企業が負う債務。政府が負う債務。債務の破壊力に着目した経済学者と言えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)だ。1933年にエコノメトリカ誌の第1号に掲載された大変優れた論文(pdf)で、債務が景気を収縮させることを説いたのだ。フィッシャーの不況理論(デット・デフレ理論)は、ケインズの『一般理論』の中のどの説明よりも優れているというのが私の考えだ。

債務が存在するようだと、売り上げがちょっと落ち込むだけでも破産するおそれがある。収入が大きく落ち込むと、資産の投げ売りが誘発される。借り入れている額が大きいほど、自由にできるお金も少なくなる。債務の返済に充てないといけないからだ。クレジットカードの滞納が何度か続くと、これまでとは別の社会階級に仲間入りしないといけなくなる。住宅ローンが返済できないと、警察がやって来て我が家から追い出される。クレジットカードの支払いにしろ、住宅ローンの返済にしろ、粘着的な価格なのだ。

実質値で測った小売売上高が危機以前のトレンドをおよそ15%も下回った理由の一部は、債務が粘着的な価格だからだろう。大きく落ち込んだ売上高の中から債務を返済して、警察が我が家にやって来るのを防がなくてはいけないのだ。

個人的にこれという答えが出せないでいる問いがある。民間部門の債務は、大きな「負の外部性」を生むのだろうか? 名目所得(名目GDP)が不安定なようなら、その答えは「おそらくイエス」というのがフィッシャーの教えなのだ。

2012年11月26日月曜日

Christina Romer 「為替レートについて率直に話しましょうよ」(2011年5月21日)

Christina D. Romer, “Needed: Plain Talk About the Dollar”(New York Times, May 21, 2011)


先日のカンファレンスで、最近のドル安傾向についてどう思うか尋ねられたベン・バーナンキ(Ben Bernanke)――FRBの議長――は、為替レートは財務省の管轄ですのでとだけ答えていなした。そして、アメリカは強いドルを歓迎していますと付け加えたのだった。

その発言を耳にした瞬間に私の脳裏に蘇ったのは、オバマ政権のアドバイザーを務めて間もない時に味わった体験だった。2008年の11月に、元財務長官でオバマ大統領のアドバイザーだったラリー・サマーズ(Larry Summers)と一緒にシカゴの町を走るタクシーに乗っていた時のことである。これから何度となく訪れるインタビューやヒアリングの機会に備えて、サマーズと想定問答をしていた。サマーズにいくつか質問を投げかけてもらって、私の回答におかしなところがないかチェックしてもらっていたのである。

為替レートについて問われたので、「為替レートは、価格の一つです。あれやこれやの価格と違いはありません。その値は、市場で決まります」と答えた。

すると、サマーズから突っ込みが入った。「おっと、それは間違いだ。『為替レートは、財務省の管轄です。アメリカは強いドルを歓迎しています』が正解だね」。

率直に言わせてもらうと、私の回答の方がはるかに筋が通っていた。為替レートは、価格の一つに過ぎないのだ。他の国の通貨で測ったドルの価格なのだ。誰かによってコントロールされているわけでもない。ドルの価格が高くて「強い」のは、いつだって望ましいわけでもないのだ。

自国通貨の価格を固定している国もある。例えば、中国がそうだ。アメリカも1970年代の初頭まではそうだったが、今は違う。外国為替市場でのドルの需要と供給が変化するのに応じて、ドルの価格も変動する。エネルギー省がガソリンの価格を決めていないのと同じように、財務省はドルの価格を決めていないのだ。どちらの省もいくらか準備を保有している。市場が動揺した場合に対処できるようにだ。しかしながら、どちらの省にしても、市場で決まる均衡値から価格を長らく遠ざけておけるだけの資源も権限も持ち合わせていないのだ。

「為替レートは、財務省の管轄です」というので意味されているのは、政府の高官で為替レートについて語る資格があるのは財務長官だけ(財務長官でさえも、ベラベラ喋るわけじゃない)ということなのだろう。残念なことである。政府の高官が為替レートについて率直に話せるようになれば、為替レートが絡んでくる問題についての理解も深まるだろうし、議論の質も高まるだろうからだ。

つまりは、経済学の基礎を踏まえた議論が可能になるのだ。例えば、以下のような感じで。

外国為替市場が存在するのはなぜかというと、他の国と取引したいと思うからである。他の国に投資したいと思うからである。スペインに旅行するためには、ユーロが要る。ドイツ国債を買うためには、ユーロが要る。ドルとユーロを交換する術が必要になるのだ。

外国為替市場でドルを供給するのは、外国から何か(財、サービス、資産)を買いたいと思っているアメリカ人である。その一方で、外国為替市場でドルを需要するのは、アメリカから何か(財、サービス、資産)を買いたいと思っている外国人である。

ドルの需要が増えるなりドルの供給が減るなりしたら、ドルの価格が上がる。それとは反対に、ドルの需要が減るなりドルの供給が増えるなりしたら、ドルの価格が下がる。
 
例を使って考えてみるとしよう。まずは一つ目の例として、アメリカ国内の起業家によって外国人が欲しがるような新製品が次々と開発されたとしよう。外国人が投資したがるような会社の設立も国内で相次いだとしよう。すると、外国為替市場でドルの需要が増えて、ドルの価格が上がるだろう。アメリカ人も国内で開発された新製品を買いたがるだろうし、外国人に人気の国内の会社に投資したがるだろう。そのために、海外の製品なり資産なりを買うのを控えようとするだろう。すると、外国為替市場でドルの供給が減って、ドルの価格はさらに上がるだろう。イノベーションが起きてドルが強かった1990年後半のアメリカの状況そのものだ。

次に二つ目の例として、アメリカ政府が抱える財政赤字が膨らんで、アメリカ国内の金利が上昇したとしよう。すると、外国人もアメリカ人もドル建ての債券を買おうとする一方で、外貨建ての債券を買うのを控えようとするだろう。すると、外国為替市場でドルの需要が増えて、ドルの供給が減るだろう。その結果として、ドルの価格が上がるだろう。レーガン政権による減税と軍事費の拡大ゆえに巨額の財政赤字が発生した1980年代初頭のアメリカの状況そのものだ。財政赤字が巨額に上っただけでなく、ヴォルカー(Paul A. Volcker)議長率いるFedが反インフレ政策に乗り出したこともあって、アメリカ国内の金利は急騰した。ドルもかなり強かったのだ。

どちらの例でも――アメリカ国内で輝かしいイノベーションが起きても、アメリカ政府が厄介な財政赤字を抱えても――ドルが強くなる。しかしながら、イノベーションはアメリカ経済にとって明らかに好ましいが、巨額の財政赤字は好ましくない。ドルの価格が上がるにせよ下がるにせよ、どうなると良くてどうなると悪いかを一概には決められないのだ。為替レートの変動が望ましいかどうかは、どういう理由で変動したかによるのだ。

それに加えて、経済情勢にもよる。完全雇用が達成されているようなら、ドルが強くなるのは望ましい。ドルが高くて強いというのは、同じ額のドルで買える外国製品(輸入品)の量が増えることを意味するからである。

しかしながら、景気が低迷しているようなら、ドルが強くなるのは望ましいと言い切れなくなる。ドルが弱くなると、米国製品が外国製品に比べて安くなる。そうなると、米国から海外への輸出が増えて輸入が減る。純輸出(=輸出-輸入)が増えたら、アメリカ国内の産出量と雇用量が増える。ドルが弱くなったら、外国からの輸入品が高くなるというマイナスの効果が生じる一方で、アメリカ国内での雇用量が増えるというプラスの効果が生じる。景気が低迷していて雇用を確保するのが切実に求められているようなら、ドルがしばらく弱くなればプラスの効果がマイナスの効果を上回るだろう。

Fedは、アメリカ国内のインフレと失業率に配慮してどういう措置を講じるかを決めている。バーナンキ議長が為替レートについて公然と語れるようになったら、金融政策を緩和すると景気が刺激される理由の一つは、ドルが弱くなるからだと口にすることだろう。経済学入門の講義で必ず教えられていることなのに、今のFedはそうではないかのように振る舞わざるを得ないのだ。

財政政策も国内の事情に配慮してその内容が決められている。財政赤字を減らすために財政を引き締めたら(そのうちそうしないといけなくなるだろうが)、やはりドルが弱くなるだろう。ドルが弱くなったら、財政引き締めが雇用量や産出量に及ぼす短期的なマイナスの効果が和らげられるだろう。

不思議なことがある。どの政治家も例外なく、ドルが人民元(中国の通貨)に対して弱くなる(ドル安元高になる)のは望ましいと理解しているようなのだ。人民元に対してドルが弱くならないように、中国政府は長年にわたってアメリカ国債を買い続けている。中国政府がドルの価格が下がるのを受け入れたら、アメリカから中国への輸出が増えてアメリカ国内の景気にプラスに働くだろう。アメリカ議会は報復する可能性をちらつかせて、中国政府がドルを弱くするために必要な措置を講じるように迫っている。

そうかと思うと、次の瞬間には強いドルの重要性を訴える声が議場にこだまするのだ。人民元に対してドルが弱くなるのが好ましいのであれば、その他の多くの国の通貨に対してもドルが弱くなれば、なおさら好ましいだろう。

こんな感じで率直に語ると、過激派だとか非国民だとかという烙印を押されかねない。しかしながら、もっと成熟して率直に意見を交わすべきなんじゃなかろうか。為替レートを管轄しているのは、財務省でもなければ、強いドルの信奉者でもない。市場なのだ。

2012年10月11日木曜日

Paul Krugman 「デレバレッジ・ショックと財政乗数」(2012年10月9日)

Paul Krugman, “Deleveraging Shocks and the Multiplier (Sort of Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, October 9, 2012)


IMFが財政乗数の推計について懺悔していて、ジョナサン・ポルテス(Jonathan Portes)――1週間後にロンドンで財政政策について討論する予定になっていて、彼とは共同戦線を張ることになりそうだ――がそのことについてコメントを加えている。世界中の多くの政策当局者は、財政乗数の値が1を大きく下回るという前提で行動してきたが、経験に照らすなら財政乗数の値は1よりも大きいようだというのだ。

あえて指摘しておかないといけないと思うことがある。財政乗数の値が大きくなる理屈と、危機が起こる理屈との間には非常に密接なつながりがあるのだ。信用バブルが崩落した後には、財政乗数の値が大きくなると予想されるのだ。それだからこそ、信用バブルが崩落した後にどうにでもなれとあきらめてしまうと――もっとまずいことには、財政緊縮に乗り出してしまうと――、ひどい害が招かれてしまうのだ。

今みたいな混乱に陥ることになってしまったのは、どうしてなんだろう? 借り入れに対して過度に強気な姿勢が続いていたかと思ったらある日突然目が覚めたというのが、シンプルだけど概ね正しい筋書きだ。家計が負う債務が急速に膨れ上がって、ある時突如として借り過ぎだと悟られたのだ。




マクロ経済学的な観点からすると見逃せないのは、借り入れとデレバレッジ(債務の圧縮)が景気に及ぼす効果が非対称ということだ。他の事情が一定で変わらないようなら、借り入れが増えると総需要も増える。でも、そのようにして総需要が増えても中央銀行がその気になれば相殺できるし、その気になって相殺するのが通常だ。金利を引き上げるのはいつだって可能だからだ。その一方で、デレバレッジが景気に及ぼす効果を相殺するのは、借り入れが景気に及ぼす効果を相殺するのと同じくらい造作ないかというと、そうじゃない。金利を引き下げて応じるという手があるが、ゼロ%までしか下げられない。非伝統的な金融政策で応じるという手もあるが、非伝統的な金融政策については異論もあって、その効果も不確かなところがある(だからといって、非伝統的な金融政策には手を付けるなかれと言いたいわけじゃない)。

つまりは、借り入れが急速に膨張していたのが一転して、誰も彼もがデレバレッジ(債務の圧縮)に勤(いそ)しむようになると、総需要の不足が長引いてしまう可能性があるのだ。通常の金融政策によってはそのことを解決できない可能性があるのだ。僕が言うところの「不況の経済学」が当てはまる状況に陥ってしまうのだ。

信用バブルが崩落した後に財政乗数の値が通常よりも大きくなるのも同じ事情が絡んでいる。通常であれば、拡張的な財政政策は、金融引き締め(金利の引き上げ)によって相殺される一方で、緊縮的な財政政策は、金融緩和(金利の引き下げ)によって相殺される。通常の経験に基づいて導き出された財政乗数の推計値が小さいのもそのためなのだ。しかしながら、誰も彼もがデレバレッジに勤しむせいで「流動性の罠」に陥ってしまうと、金融政策によって財政政策の効果を打ち消すことができなくなる。

「流動性の罠」に陥ってしまったとしたら、財政乗数の値はどれくらいになると予想されるだろうか? 答. 1より大きい。

その理由を探るために、まずは摩擦の無い世界を想定してみるとしよう。つまりは、消費者が将来のことを完全に見通すことができて(完全予見の仮定)、誰もが資本市場に自由にアクセスできる(資本市場の完全性の仮定)と想定するとしよう。摩擦の無い世界では、財政乗数の値は1になるはずだ。政府支出が変化しても、消費支出は増えも減りもしないはずだ。それゆえ、政府支出が増えるのと同額だけGDPが増えるはずだ。その理由は? 政府支出が増えると、今の時点で所得が増えるけど、それと同時に将来における税負担も増えるからだ。それら2つの効果がちょうど打ち消し合うことになるのだ。

現実に近付けて摩擦を付け加えてみるとしよう。家計は流動性制約下にあるか、今の所得がどれくらいかに照らして消費のために使う金額を決めるような経験則(rules of thumb)に従っているとしよう――ところで、エガートソン(Gauti Eggertsson)との共著論文でも指摘したが、債務ないしはデレバレッジを組み込んだモデルを使うというのは、多くの家計が流動性制約下にあると想定していることを意味するのだ――。そのような摩擦が存在するようなら、政府支出が増える結果として今の時点で所得が増えたら、消費支出も同じようにいくらか増えるだろう。反対に、政府支出が減る結果として今の時点で所得が減ったら、消費支出も同じようにいくらか減るだろう。つまりは、財政乗数の値が1よりも大きくなるのだ。

マーケットからの「信頼」がどうのこうのという意見があるかもしれない。政府支出が変化したとして、それが将来における政府支出のもっと大きな変化の前触れであるとみんなが信じるようなら、先の結論もひっくり返るかもしれない。でも、財政刺激策が試みられたとして、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、そんなことは到底ありそうにない。これまでを振り返ると、財政刺激策はあくまでも一時的な措置でしかなかったからだ。財政危機に陥って慌てて財政緊縮策に乗り出す場合にしても、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、かなり疑わしい。

そんなわけで、財政乗数の値が大きいからといって驚くべき理由なんてないのだ。今のような危機に陥ったら、そうなるはずと予測できたことなのだ。財政乗数の値が1を大きく下回るなんていう正当化し得ない想定が受け入れられたせいで、危機の深刻化に拍車がかかってしまったのだ。

Antonio Fatas 「過小評価された財政乗数」(2012年10月8日)

Antonio Fatas, “Underestimating Fiscal Policy Multipliers”(Antonio Fatas on the Global Economy, October 8, 2012)


IMFの世界経済見通し(IMF World Economic Outlook)の最新版(2012年10月)が公表されたが、世界経済の成長が鈍化するリスクについて強く警戒されている(報告書の全文はこちら)。第1章に目を向けると、これまでの成長予測において財政乗数の大きさが過小評価されていた可能性について優れた分析が加えられている。一部を引用しよう。

多くの国々が財政再建に取り組む中で、財政乗数の大きさについて激しい議論が繰り広げられた。財政乗数の値が小さければ小さいほど、財政再建に伴うコストも小さくなる。実際のところはどうだったか? 財政再建に着手した国々のパフォーマンスは、期待を裏切るものだった。そこで当然問われるべきは、財政乗数の値が過小評価されていたのではないかということである。財政引き締めが景気に及ぼす短期的なマイナスの効果が予想を上回ったのは、財政乗数の値が過小評価されていたからではないかということである。

そうなのだ。財政乗数の値は過小評価されていたのだ。

これまでの経緯を私なりに振り返ってみるとしよう。11年くらい前に試みられた一連の学術的な研究によると、財政乗数の値は1〜1.5の範囲にあると推計されていた。言い換えると、政府支出が1%増えると、GDPが1〜1.5%増えると推計されていたのである。2001年にイリアン・ミホフ(Ilian Mihov)と一緒に書いた論文――その論文はこちら(pdf)――で私なりに達した結論でもあり、ほぼ同じ時期に書かれたオリヴィエ・ブランシャール(Oliver Blanchard)とロベルト・ペロッティ(Roberto Perotti)の共著論文――その論文はこちら(pdf)――でも同じ結論が得られている。この件についてはその後に大量の研究が積み重ねられた。数多くの論文が(財政乗数の値が1〜1.5の範囲にあるという)先の推計結果を追認したが、疑問を投げ掛ける論文もあった。例えば、戦争のようなイベントに着目した研究では、財政乗数の推計値は小さくなりがちだった。財政政策が絡んでくる問題だけに、論争はいつまで経っても鎮まらなかった。乗数の値はゼロに近い、いやマイナスだ――政府支出が増えると、それと同じ額かそれ以上に民間の支出が減る――と語る研究者も出てくる始末だった。 

論争はあったものの、2008年に危機が勃発するまでに得られていた研究成果を私なりに振り返ると、乗数の値は1くらいか1を少し上回るというのが大方の見立てだったと言っていいと思う。

2008年に危機が勃発すると、財政乗数の値がどれくらいかという問題は、学術的な論争の対象から、緊急を要する政策課題の争点になった。財政刺激策はどれくらいのインパクトを持つのだろう? オバマ政権は、財政刺激策の必要性を正当化するために、財政乗数の値が1.5くらいであることを示唆する報告書――執筆者の一人は、クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)――を発表した。この報告書に批判を加えたのは、深刻な危機に陥っていようが総需要を管理しようなんて以ての外だと信じている人たちだった。財政乗数の値をめぐる論争は、イデオロギー闘争の様相を強めていった。その一方で、我々が今まさに直面しているような特殊な状況――金融政策がゼロ下限制約に直面していて、債務の圧縮に伴って民間の需要が落ち込んで深刻な景気後退に陥っている状況――では、乗数の値が11年前の推計値よりも大きくなる可能性を示唆する学術的な研究がちらほらと表れ出した。

しかしながら、その新しい研究成果も従来の研究成果ともども無視された。財政刺激策が試みられた後の2008年〜2009年に繰り広げられたイデオロギー色が濃い論争の結果として導き出されたのは、財政刺激策は効果がなかったし、財政緊縮に邁進することこそが求められているという結論だった。過去2年の間に多くの政府が足並みを揃えて財政緊縮に乗り出したが、乗数の値が大きい可能性を見過ごしてGDPの成長率が予測されたのだった。

IMFが最新の世界経済見通しの中で自己批判を込めて分析しているが、世界経済の成長率を予測するために使っていたモデルに検討を加えたところ、財政再建のインパクトを予測するにあたって乗数の値が0.5くらいであると暗黙のうちに想定されていたことがわかったという。GDPの成長率の実績値が予測を下回ったことを踏まえると、乗数の値は0.5を上回るのではないかというのがIMFの考えで、乗数の値は0.9〜1.7の範囲にあるかもしれないと示唆している。11年前の推計結果とほとんど同じであり、最新の推計結果とも合致する。今のような特殊な状況に置かれたら乗数の値がどうなりそうかをモデルを使って理論的に予測する試みもあるが、その大半の結果ともそれほどかけ離れていないのだ。

2012年8月11日土曜日

Barry Eichengreen&Douglas Irwin 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日)

Barry Eichengreen&Douglas Irwin, “The protectionist temptation: Lessons from the Great Depression for today”(VOX, March 17, 2009)
 
1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか? 各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせるべきである。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。

1930年代の大恐慌期には、保護主義が急速に台頭した。政策当局者が細心の注意を払って警戒しなければ、1930年代のように保護主義が蔓延してしまうのではないかと多くの人に恐れられている。1930年代における保護主義の蔓延について何がわかっているのだろうか? 保護主義に彩られた大恐慌の経験は、どんな教訓を投げかけているのだろうか?

大恐慌の多くの側面について今でも議論が続けられているが、全面的といっても構わないほど合意が得られていることもある。1930年代に採用された貿易制限措置は破壊的で逆効果だったというのがそれで、今のような停滞下に同じような真似をする(保護主義に身を委ねる)ことだけは絶対に避けるべきなのだ。1930年代に関税が引き上げられたり非関税障壁が導入されたりしたのは、景気を下支えするための他の手段が欠けていたからだった。海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとした苦肉の策だったのだ。しかしながら、他の国の政府も同じような行動に出てあちこちで関税が引き上げられたので、意図した目的――海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向ける――を達成できずに、貿易の崩壊という結果を招いただけだった。1933年以降に大半の国で景気が回復したにもかかわらず、貿易量は30年代の終わりになっても1929年の水準に及ばなかったのである(図1を参照)。比較優位の恩恵が得られなかっただけではない。近隣窮乏化的な通商政策の応酬がネックになって、停滞から抜け出すための他の手段を互いにすり合わせるのが難しくなってしまったのである。



図1 世界の貿易量と産出量(1926年~1938年)


大恐慌についての同時代の説明なり現代の説明なりに目を向けると、1930年代にはあらゆる国が貿易障壁を設けていて、完全なる混沌に陥っていたかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、そのような印象は事実に反する(Eichengreen&Irwin, 2009)。貿易制限措置があちこちで導入されたのは確かだが、国によってその度合いにかなり大きな違いが見られたのである。当時の国別の関税率をまとめた図2をご覧いただきたい。30年代に入って関税率を大きく引き上げた国もあれば、そうではない国もある。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本と同じように振る舞っていたとしたら、1930年代の歴史はまったく違っていただろう。あらゆる国がデンマーク、スウェーデン、日本のように振る舞わなかったのはなぜなのだろうか?



図2 平均的な輸入関税率(1928年~1938年:単位は%)


採用していた為替相場制度が違っていたからというのが答えだ。金本位制にとどまって、平価(金と自国通貨との交換比率)を固定し続けた国ほど、貿易制限措置に訴えがちだったのだ。他の国が平価を切り下げたせいで価格競争力の面で不利な立場に置かれてしまい、国際収支(balance of payments)の悪化を食いとどめて金の流出を防ぐためにも貿易制限措置を採用せざるを得なかったのだ。景気の悪化に対処するための他の手段が欠けていたので、海外製品に対する支出を自国製品に対する支出に振り向けようとして、関税やそれに類する手段を用いたのである。

それとは対照的に、金本位制から離脱して為替レートの減価を受け入れた国では、国際収支が改善して、金が流入した。それに加えて、金本位制から離脱したおかげで、失業問題に立ち向かうための他の手段が手に入ったことも重要である。自国通貨と金(gold)の結び付きが断ち切られたおかげで、金融政策に対する縛りがなくなったのだ。平価を維持する必要がなくなったので、金利を自由に引き下げられるようになったのだ。金本位制のルールに縛られる必要がなくなったので、中央銀行が「最後の貸し手」として振る舞えるようになったのだ。金本位制から離脱したおかげで、大恐慌に立ち向かうための(貿易制限措置以外の)他の手段が手に入ったのだ。その結果が図3に示されている。鉱工業生産が順調に伸びたのだ。景気が順調に回復したおかげで、貿易制限措置に訴えずに済んだのだ。



図3 鉱工業生産の変化


金本位制から離脱して為替レートの減価を許容した国ほど、貿易制限措置に訴える度合いが低かったのだ。その一例が図4に示されているが、関税率だけではなく、為替管理や輸入割当のような非関税障壁についても同様の関係が成り立つのだ。



図4 為替レートの変化と輸入関税率の変化(1929年~1935年)


これまでに紹介してきた発見は、今現在のいわゆる大不況(Great Recession)への対処を任されている政策当局者に対しても重要な教訓を投げかけている。「保護主義を避けるために、景気を刺激せよ」というのがそれだ。しかしながら、景気を刺激するにはどうしたらいいのだろうか? 1930年代においては、景気刺激策と言えば、金融刺激策(金融緩和)を意味していた。財政政策を使って景気を刺激するという選択肢についてはよく理解されていなかったし、広く受け入れられてもいなかった。アイケングリーン&サックス(Eichengreen&Sachs 1985)が詳しく論じているように、金融刺激策は、当該国(金融緩和に乗り出した国)の景気を浮揚させた一方で、貿易相手国の景気を冷え込ませた。金利を引き下げる「チープマネー」政策は、貿易相手国に対して相反する効果を及ぼした。金融緩和のおかげで当該国の景気が上向いて輸入需要(海外製品に対する需要)が増えると、貿易相手国の景気にプラスに働くが、金利が引き下げられて当該国の通貨が減価すると、貿易相手国の景気にマイナスに働く。当該国だけが「単独」で金融緩和に踏み切ると、後者のマイナスの効果が前者のプラスの効果を凌駕したのだ。一国による単独の金融緩和は、貿易相手国の景気を冷え込ませて、その国を保護主義に向かわせたのだ。

1930年代と今とでは利用可能な政策手段に違いがあるのを反映して、抱える問題にも違いが出てくる。今はどうなっているかというと、大不況に立ち向かうために、金融刺激策に加えて、財政刺激策も試みられている。一国による単独の財政刺激策は、貿易相手国に対してもプラスに働く。財政刺激策のおかげで当該国(財政刺激策に乗り出した国)の景気が上向くと、それに伴って輸入需要(海外製品に対する需要)が増えるからである。財政刺激策が試みられるせいで世界金利が上昇するようなら、当該国でも貿易相手国でも民間投資が減る可能性があるが、今のところはその心配はなさそうだ。つまりは、いずれかの国が単独で財政刺激策に乗り出せば、貿易相手国の輸出が増える可能性があるので、貿易相手国が保護主義に訴える理由がなくなるのだ。

しかしながら、問題もある。財政刺激策の恩恵が「ただ乗りする」貿易相手国に波及することが問題視される可能性があるのだ。財政刺激策にはコストが伴う。子や孫の世代によって返済されなければならない公的債務が増えるのだ。それゆえ、財政刺激策が海外製品に対する需要(輸入需要)も増やすようなら、「バイアメリカ」(“Buy America”)条項に類した手段に訴えて、財政刺激策の恩恵が他の国に漏出するのを防ぎたくなるかもしれない。保護主義の誘惑は依然としてあるのだ。ただし、金融刺激策ではなく財政刺激策が試みられる場合に保護主義の誘惑に駆られるのは、事の成行きを静観している側(貿易相手国)ではなく、積極的な行動に打って出る側(財政刺激策に乗り出す国)なのだ。

1930年代と今とで抱える問題に細かいところで違いはあっても、答え(解決策)は同じだ。1930年代においてそうすべきだったように、各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせる〔訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和なり財政出動なりに乗り出す〕必要がある。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商政策の面で1930年代と同じ過ちが繰り返されて最悪の結果になってしまうかもしれないのだ。


<参考文献>


●Barry Eichengreen and Douglas A. Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?", NBER Working Paper No 15142.
●Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s(JSTOR)”, Journal of Economic History 45, 925-946.

2012年7月30日月曜日

Richard Ebeling 「ヴィンセント・オストローム ~自由と連邦主義の擁護者~」(2012年7月1日)

Richard M. Ebeling, “Vincent Ostrom (1919-2012): Political Philosopher of Freedom and Federalism”(In Defense of Capitalism & Human Progress, July 1, 2012)


2012年6月29日の金曜日に、政治学者であるヴィンセント・オストローム(Vincent Ostrom)が亡くなった。享年92歳。オストロームは、アメリカ憲法に体現されている連邦主義の構造とその特徴についてのその道の指導的な専門家の一人だった。1919年生まれで、1950年にUCLAで政治学の博士号を取得。1964年にインディアナ大学に移って、妻であるエリノア・オストローム(Elinor Ostrom)――2009年のノーベル経済学賞の受賞者で、夫が亡くなるおよそ3週間前に78歳で亡くなった――と共同で「政治理論と政策分析に関するワークショップ」を立ち上げている。

アメリカ憲法の秩序が解剖されている『The Political Theory of a Compound Republic』(1971年発行。第2版は1987年に発行)は、学術的な釈義として並外れた傑作である。 「フェデラリスト・ペーパー」の念入りな注釈を通じて、「自己統治」(“self-governing”)という概念の理解とそのユニークな特徴の解釈が試みられている。このテーマについては、『The Meaning of American Federalism:Constituting a Self-Governing Society』(1991年発行)に収録されたエッセイでさらなる検討が加えられて、様々な方向に拡張されている。

彼の真の代表作は 『The Meaning of Democracy and the Vulnerability of Democracies:A Response to Tocqueville’s Challenge』(1997年発行)だというのが私の考えだ。政治哲学、経済学、社会学、歴史、社会言語学が見事に融合された学際的な業績である。この本によると、自由な社会が存続するためには、「需要と供給の彼方」(by ヴィルヘルム・レプケ)にまで踏み出す必要があるという。

自由な民主主義社会は、選挙、立法手続き、成文憲法さえ揃っていれば何の問題もなく存立できるかというと、そうではない。オストロームが好んで引用したアレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)の表現を借りると、「心の習慣」(“habits of the heart”)や「精神の特徴」(“character of the mind”)によって支えられねばならないのだ。つまりは、社会の成員によって「共有された意味の構造」(“structures of shared meaning”)の広大なネットワークに支えられねばならないのだ。社会の秩序のあり方は、社会を構成する個々の成員が自分自身や他者をどう捉えるかに依存しているのだ。自己統治に立脚する社会秩序を打ち立てるためには、人間の価値の意味が社会の成員によって共有され、一人ひとりの尊厳が社会の成員によって認められねばならないのだ。一人ひとりが持つ夢、願望、望みが尊重されて、一人ひとりの価値観の違いが受け入れられねばならないのだ。

とりわけ重要なのは、暴力、抑圧、操作、欺瞞、腐敗――日常生活や政治的な討論の場で使われる言語の腐敗(転化)も含まれる――に頼らなくても、共同の目的のために平穏にみんなで力を合わせて協力する術を見つけ出すことは可能だし望ましくもあるということが社会の成員によって共有されねばならないことである。そのような「理念(信念)」が社会の成員によって共有されねばならないのだ――オストロームが強調しているように、信じ込まれるだけでなく、日常的に使われる言語の中に埋め込まれなければならない。言語の中に埋め込まれてこそ、社会の成員が自分自身や他者をどう捉えるかに影響が及ぶからである――。

オストロームが強調しているように、自己統治や「民主主義の精神」は、政治の世界だけに関わりがあるわけではない。いわゆる民主政治は、あくまでも全体の一部でしかないのだ。民主政治の性格やその良し悪しは、自由な個人が自発的に交じり合う自由な社会という理念――あるいは、協働的な自己統治という理念――が世の中にどれだけ広く深く行き渡っているかによって変わってくるのだ。

自己統治に立脚する社会秩序が抱える脆弱性の一つは、次の世代に受け継げるような「自己統治の遺伝子」なるものが存在しないことである。新たな世代ごとに学んで適応していかなければいけないのだ。自己統治に立脚する社会秩序を支えるために必要な「心の習慣」や「精神の特徴」が世代ごとに学び直されて更新されないようなら、弱体化してしまう可能性があるのだ。失われてしまう可能性があるのだ。

エドワード・シルズ(Edward Shils)が『Tradition』(1981年発行)で指摘しているように、社会の伝統なり慣習なりが保存され得るのは、三世代――子供と親と祖父母――が重なり合う場合だけに限られる。経験と内省を通じてのみ得られる知恵、洞察、理解、信念が若い世代に受け継がれるのは、三世代が重なり合う場合だけに限られるというのだ。

伝統にしても慣習にしても永遠に「不変」というわけではない。世代ごとに変化するし、修正されていく。しかしながら、「心の習慣」や「精神の特徴」が世代を超えて共有されていく中でそうなるのだ。

オストロームが懸念していたのは、自己統治に立脚する社会秩序を支える「心の習慣」や「精神の特徴」が失われつつあるのではないかということだった。その理由は、政府による介入が増えて福祉国家の規模が大きくなるにつれて、パターナリズムや社会工学を支持するメンタリティが世の中に広まったせいだ。

「自由の言語」が失われつつあるのだ。自由な個人による自己統治を支える言語が失われつつあるのだ。我々は、言語を通じて自分自身について考えるのだ。言語を通じて他者との関係について考えるのだ。言語を通じて社会のあり方について考えるのだ。

ナチスの時代を生き延びたユダヤ系ドイツ人であるヴィクトール・クレムペラー(Victor Klemperer)が戦後に一冊の本を執筆している。『The Language of the Third Reich』(邦訳『第三帝国の言語:ある言語学者のノート』)がそれである。クレムペラーによると、国家社会主義者と自任していたかどうかにかかわらず、ナチス・ドイツにおいては誰も彼もがナチスだったという。ユダヤ系ドイツ人をはじめとして、体制から虐げられた犠牲者の多くも含めて。

なぜなのか? ナチスの指導者たちが流布したアイデアやイデオロギーに感染したからである。思考が囚われてしまって、人生やモラルについて違った考えをするのに困難を感じたのである。人間、「人種」、社会についてのナチス流の考えを反映している言語やフレーズから独立した考えを持てずにいたのである。クレムペラーも示唆しているように、自分で自分を統治できる存在ではなくなっていたのだ。ヒトラー流の国家社会主義の言葉遣いやロジックで考えて行動しているうちに、体制の奴隷と化していたのだ。

オストロームが手遅れになってしまわないうちに警告しようとしていたことは、「他者による統治」に陥ってしまうなかれということだった。ところが、今やあまりにも多くの市民がそうなってしまいつつある。「給付」(“entitlement”)、「不労所得」(“unearned income”)、「社会正義」(“social justice”)とかいう類の言葉が氾濫していて、それらに思考が囚われつつあるのだ。

集産主義的なパターナリズムに屈するのか、それとも「自由の言語」や「自由の理念」が守り抜かれるのかによって、アメリカを舞台とする「自己統治」をめぐる偉大な実験――1830年代にアメリカを訪れたトクヴィルに強い印象を与えた実験――が今後も続行されるかどうかが決まるのだ。

ヴィンセント・オストロームの研究は、アメリカを舞台とする「自己統治」をめぐる実験の性質やそのロジックを説明しているだけにとどまらない。政治権力の分割と連邦制を通じて自由を確保しようとするアメリカの実験が人類の歴史に占めるユニークさを知らしめてもいる。その実験が途中で放棄されてしまったら、その損失たるやいかばかりか。 

ヴィンセント・オストロームは、「自由」を支える政治制度と理念に対する優れた分析を通じて、「自由の哲学」を深化させる知的遺産を後世に伝えているのだ。

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<訳者による追記>
 
ヴィンセント・オストロームの思想の全体像を知るには、R. ワグナーの以下の論文が参考になるかもしれない。
 
● Richard E. Wagner (2005), Self-governance, polycentrism, and federalism: recurring themes in Vincent Ostrom's scholarly oeuvre”(Journal of Economic Behavior & Organization, Vol. 57 (2), pp. 173-188;こちら(pdf)で閲覧できたり・・・