2013年6月11日火曜日

Benjamin Mandel&Geoffrey Barnes 「予想インフレ率を測るための新たな指標 ~日本の予想インフレ率を探る~」(2013年4月22日)

Benjamin R. Mandel&Geoffrey Barnes, “Japanese Inflation Expectations, Revisited”(Liberty Street Economics, April 22, 2013


金融政策の成否を測る重要な指標の一つは、予想インフレ率を安定させられるかどうかである。予想インフレ率は実際のインフレ率にも影響を及ぼすし、それゆえにインフレ目標を達成できるかどうかを左右するのだ。このことが特別な意義を持ってくるのが、日本経済である。日本では、CPI(消費者物価指数)で測ったインフレ率が1994年以降に何度かマイナスを記録していて、予想インフレ率が一貫してマイナスにとどまっている(すなわち、デフレの継続が予想されている)と広く信じられているのだ。このエントリーでは、日本における予想インフレ率を測るための新たな指標について説明を加えて、その頑健性をチェックする。購買力平価説に依拠したその指標によると、ここ最近の日本の予想インフレ率は過去3年間におけるピークを大きく上回っているのだ。

背景情報を伝えておくと、日本銀行の政策で最近になって変わったところは、インフレ期待(予想インフレ率)にスポットライトが当てられるようになったことである。去る4月4日に、量的・質的緩和(Quantitative and Qualitative Monetary Easing ;QQE)と呼ばれるプログラム(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕が導入された。マネタリーベースを拡大させるために資産の買い入れ額を劇的に増やすと同時に、満期が長めの資産の買い入れを進めることが誓われたのである。日本国債の利回り(名目金利)はもう既に極めて低いので、量的・質的緩和プログラムの成否は、予想インフレ率が2%――日銀が掲げる「物価安定の目標」――に近いところまで上昇して実質金利が低下するかどうかによって判断されることになるだろう。


予想インフレ率をいかにして測るか:予想インフレ率を測るための既存の指標

日本の予想インフレ率を測るためには、どうしたらいいのだろうか? この件についてはコンセンサスがある。日本の予想インフレ率を測るために頼りになる指標は存在しないというのがそれだ。アメリカの予想インフレ率を測るためによく使われる市場データとしては、普通国債と物価連動国債(TIPS)の利回りの差がある。いわゆるブレーク・イーブン・インフレ率と呼ばれているやつである。他には、インフレスワップと呼ばれる店頭デリバティブのデータも利用されている。その一方で、日本の物価連動国債(JGBi)は、取引量が極めて少なくて、発行残高の大半が近年になって財務省によって買い戻されている。それゆえに、物価連動国債の利回りから日本の予想インフレ率について頼りになる情報が得られるかというと、疑わしい。インフレスワップについても市場の厚みの面で物価連動国債と同様の問題を抱えている。 

予想インフレ率を測るための別の指標としては、 家計、投資家、経済予測の専門家らに対するアンケート調査がある。しかしながら、アンケート調査での回答はバックワードになりやすい(過去に引きずられやすい)かもしれない。回答が将来的なインフレ予測(将来的にインフレがどうなりそうか)を反映するよりも、実際のインフレ(最近のインフレがどうだったか)に強く影響される可能性があるのである。ちなみに、市場データに基づく指標――ブレーク・イーブン・インフレ率(紫色の実線)&インフレスワップ(赤色の実線)――と、アンケート調査に基づく指標――日経クイックサーベイ(青色の実線)&日銀による生活意識に関するアンケート調査(緑色の実線)――の推移を表しているのが以下のチャートである。ここ最近になって、5年先、10年先の予想インフレ率を測る指標がいずれも1%近辺に集まっていることがわかる。しかしながら、既に指摘したように、多くのアナリストは、これらの指標から予想インフレ率の符号の向きですら正確に知れるかどうかについて覚束なく感じているのである。




購買力平価説に依拠した予想インフレ率の指標:予想インフレ率を測るための新たな指標

そんなわけで、市場データに基づく別の指標にスポットを当てることにしよう。アメリカの予想インフレ率――日本に比べると、アメリカでは物価連動国債(TIPS)もインフレスワップも活発に取引されている――と購買力平価説を組み合わせて、日本の予想インフレ率を導き出すのだ。我々が知る範囲では、そのようにして日本の予想インフレ率が推計されることは滅多にないようだが、物価連動国債(JGBi)やインフレスワップに代わる有益な情報源になる可能性がある。例外として、ゴールドマン・サックスによる調査(“The Market Consequences of Exiting Japan’s Liquidity Trap,” Global Economics Weekly 13/05, February 2013)を挙げておこう。ドル円の先物為替レート(30年先)を使って、日本の予想インフレ率が推計されている。

我々が提示する指標は、購買力平価(Purchasing Power Parity;PPP)説に依拠している。購買力平価説によると、任意の二国間の名目為替レートは、その二国の物価水準の比と等しくなると考えられている。これまでの研究によると、購買力平価説は、名目為替レートの長期的な変動をかなりうまく説明できて、とりわけ変化率で見る(相対的PPP)とあてはまりがいいことがわかっている。すなわち、日本における物価水準の期待変化率(≒予想インフレ率)は、アメリカにおける物価水準の期待変化率に名目為替レート(ドル円レート)の期待変化率を加えたものに等しくなる〔日本の予想インフレ率=アメリカの予想インフレ率+名目為替レートの期待減価率〕わけである。アメリカの予想インフレ率を測る指標としてアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて、名目為替レートの期待減価率を測る指標としてドル円の先物為替レートを用いるとしよう。

購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の推移を表したのが以下のチャートである。日次データを利用していて、2010年1月以降が対象である。5年先の予想インフレ率が赤色の実線、7年先の予想インフレ率が緑色の実線、10年先の予想インフレ率が紫色の実線で表されている。予想インフレ率にシフトが生じているタイミングを見ると、政策面での変化と関わりがありそうなことが示唆される。過去3年のうちで予想インフレ率がピークに達したのは、政策面でイノベーション(新たな行動)に踏み切られた後だからである。2010年10月に日本銀行は「包括的金融緩和」(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕に乗り出したが、その後に予想インフレ率が高まっていることが見て取れる。しかしながら、予想インフレ率は2011年の半ば頃までに包括的金融緩和が導入される前の水準にまで戻った。2012年2月に日本銀行は「1%の物価安定の目途」(pdf)〔日本語はこちら(pdf)〕を発表したが、その後に再び予想インフレ率が高まった――包括的金融緩和が導入された後に比べると、軽微な上昇にとどまった――。しかしながら、その数ヶ月後には予想インフレ率は再び元の水準(「1%の物価安定の目途」が発表される前の水準)にまで低下した。最近はどうかというと、2012年9月に安倍晋三が自民党の総裁に選ばれて、同年の12月に新首相の座に就いて「アベノミクス」と呼ばれる政策レジームが始動すると、予想インフレ率が跳ね上がった。以下のチャートによると、「アベノミクス」後の予想インフレ率は、先程触れた過去2回のピークを大きく上回っているのだ。




頑健性のチェック

国のペアを変えて同じ理屈を当てはめてみたら、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標が頑健かどうかをチェックできるだろう。購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の変動がアメリカと日本の金融市場に特有の事情によって突き動かされているわけではないようなら、ドル円以外の先物為替レートやアメリカ以外のブレーク・イーブン・インフレ率を用いても似たような結果が得られるはずである。アメリカ以外の別の国として真っ先に候補になるのはイギリスだろう。イギリスの物価連動国債の市場は、流動性が比較的高いからである。先のケースと同じように、ポンド円の先物為替レートとイギリスのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて日本の予想インフレ率を導き出した結果をまとめたのが以下のチャートである。「日本×イギリス」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.K.-PPP;緑色の実線)に加えて、「日本×アメリカ」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.S.-PPP;赤色の実線)も並記してある。その水準は必ずしも完全に一致しているわけではないが、両者(U.K.-PPP&U.S.-PPP)の相関はかなり高い――相関係数は0.66――。




イギリスのブレーク・イーブン・インフレ率とドルポンドの先物為替レートを用いてアメリカの予想インフレ率を導き出して、それとアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を比較するという手もある。以下のチャートがそれである。購買力平価説から示唆されるアメリカの予想インフレ率が緑色の実線、アメリカのブレーク・イーブン・インフレ率が赤色の実線で表されている。2012年後半の数日を例外として、この2つの指標も相関がかなり高い――相関係数は0.64――。購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、物価連動国債(TIPS)から算出される予想インフレ率の良い近似になっていると言えよう。




要約しよう。購買力平価説に依拠すれば、日本の予想インフレ率を測るための市場データに基づく新たな指標が得られる。その指標は、日本銀行による最近の金融政策面でのイノベーションに極めて敏感に反応しているようである。異なる期間(5年先、7年先、10年先の予想インフレ率)や異なる国のペア(アメリカと日本、イギリスと日本、アメリカとイギリス)でも似たような結果が得られることから判断すると、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、予想インフレ率を測るための頑健で頼りになる指標と言えそうなのだ。

2013年3月7日木曜日

The Economist 「メディア・バイアスの経済学 ~ニュースにバイアスが生じるのはなぜ?~」(2008年10月30日)

The Economist, “A biased market”(October 30, 2008)
 
偏向報道は、メディアが機能不全に陥っている印(しるし)と見なされているが、実のところは健全な競争が働いている印なのかもしれない。

バラク・オバマがニューヨーク・タイムズ・マガジンのライターについ最近語っているところによると、右派系の放送局であるフォックス・ニュースが存在しなければ、来る大統領選挙で自分の得票率が2~3ポイント(パーセントポイント)は上昇するかもしれないという。その一方で、共和党の副大統領候補であるサラ・ペイリンも「リベラルなメディア」が抱えるバイアスを取り上げて激しい口撃を加えている。メディアの偏向報道を問題視する声がアメリカの政界のあちこちで上がっているが、ニュースの報道の仕方に違いが生じるのはなぜなのかを立ち止まって考える人はあまりいないようだ。

サプライサイド(ニュースの送り手の側)に原因があるというのが一つの可能性だ。テレビ局なり新聞社なりの経営者や従業員が抱いているイデオロギーがニュースの報道に歪みを生じさせるという可能性である。しかしながら、読者や視聴者が情報の正確さを重視するようなら成り立ちそうにない可能性だ。読者や視聴者が情報の正確さを重視するようなら、メディア間での競争によって、右寄りか左寄りかのどちらかに一貫して歪んだ情報を伝える報道機関は、読者や視聴者からそっぽを向かれて経営的に痛手を被ることになるはずだからである。アメリカのメディア市場では自由な競争が行われているにもかかわらず偏向報道が横行しているらしいとすると、何か別の要因が関わっていそうだ。

競争が激しいメディア市場で偏向報道が蔓延る理由を理解するためには、ディマンドサイド(ニュースの受け手の側)が何を欲しているかについてもっと掘り下げて考えてみるのが大事かもしれない。ともにハーバード大学に籍を置く経済学者のセンディル・ムッライナタン(Sendhil Mullainathan)とアンドレイ・シュライファー(Andrei Shleifer)のよく知られている共著論文――“The Market for News”(pdf)――によると、ニュースの受け手が情報の正確さだけを気にかけると想定するのはナイーブかもしれないという。その代わりに、彼らの共著論文では、新聞の読者が(情報の正確さを気にかけるだけでなく、それに加えて)確証バイアスを抱えていて、自分が既に持っている考え(信念)が記事を読んで正当化されるのを欲すると想定してその帰結がモデルを使って分析されている。ムッライナタン&シュライファーのモデルによると、読者がそれぞれ異なる考え(信念)を持っているとしたら、メディア間での競争は、歪んだニュースを報じる新聞社を市場から駆逐するのではなく、偏向報道を蔓延らせる可能性がある。それぞれの新聞社が偏った考え(右寄りないしは左寄りの考え)の持ち主(読者)のニーズに応えようとするからである。ムッライナタン&シュライファーのモデルが現実に当てはまるかどうかを検証しているのが、ともにシカゴ大学のビジネススクールに籍を置く経済学者のマシュー・ジェンツコウ(Matthew Gentzkow)とジェシー・シャピロ(Jesse Shapiro)の共著論文――“What Drives Media Slant? Evidence from U.S. Daily Newspapers”(pdf)――である。

検証を行うためには、まず何よりも報道内容が政治的にどれくらい偏向しているかを測定する必要があるが、ジェンツコウ&シャピロの二人は想像力に富んだ方法でその厄介な問題を処理している。議会での討論をコンピュータープログラムを使って分析し、共和党の議員と民主党の議員がそれぞれ頻繁に口にするフレーズを特定したのである。例えば、民主党の議員は、“estate tax”(相続税)という語を口にしがちな一方で、共和党の議員は同じ問題を論じる時に “death tax”(相続税)という語を口にしがちだという(これは単なる偶然ではない。ジェンツコウ&シャピロの二人が匿名の共和党スタッフの言葉として引用しているところによると、党の指導部は議員に “death tax” という語を使うように指導しているという。なぜかというと、「“estate tax” だと富裕層だけが対象であるかのように響くが、“death tax” だと誰もが対象であるかのように響くから」だというのだ)。党派色のあるフレーズを特定したジェンツコウ&シャピロの二人が次に何をしたかというと、アメリカで発行されている400紙以上の新聞を対象にして、党派色のあるフレーズが記事の中でどれくらい頻繁に使われているかを調査したのだった。党派色のあるフレーズがどれくらい頻繁に使われているかを基にして、それぞれの新聞が抱える「偏向度」を正確に測定する指標を作り上げたのだ。

次にやるべきことは、それぞれの新聞の読者の政治的な傾向を評価することである。ジェンツコウ&シャピロの二人は、それぞれの新聞が流通している地域の住民であり読者の政治的な傾向を探るために、2004年の大統領選挙でのジョージ・ブッシュ(共和党の候補)の地域別の得票率のデータに加えて、それぞれの地域が民主党寄りか共和党寄りかを判別するのに使えそうなデータに目を向けて分析を加えている。かくして、「新聞の発行部数」、「新聞の偏向度」、「読者の政治的な傾向」の関係を探るための準備が整ったわけである。

まずはじめに、「新聞の発行部数」が「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレに応じてどのように変化するかが検証されているが、「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレが小さいほど、「新聞の発行部数」が多くなる傾向にあることが見出されている。「共和党寄り」の新聞は、「共和党寄り」の地域でよく読まれるというわけだ。このことはさして驚くような発見じゃないが、「新聞の発行部数」が「新聞の偏向度」と「読者の政治的な傾向」のズレに応じてどれくらい増減するかを計測することによって、もっと興味深い比較を行えるようになった。どういうことかというと、それぞれの地域の「政治的な傾向」がわかっているので、それぞれの地域でどれくらい偏向すれば利潤が最大化できるかが計算できるのだ。それぞれの地域ごとに利潤を最大化する「理想的な偏向度」を求めることができるのだ。そのおかげで、利潤の最大化につながる「理想的な偏向度」とそれぞれの新聞の「偏向度」を比較することができるようになったのだ。 

その比較の結果はというと、驚くほど一致していることが見出された。全般的な傾向として、利潤を最大化するのにちょうどいい程度に偏向していることが見出されたのだ。そうなるのも納得がいく。ジェンツコウ&シャピロの二人の分析結果によると、「理想的な偏向度」からほんの少しズレるだけでも発行部数が大きく落ち込むことになるからだ。


私が歪んでいるのは、あなたのため

新聞が政治的に偏向しているのは経済的に見て合理的だから(儲けられるから)ということが示されたからといって、ニュースにバイアスが生じる原因がサプライサイド(ニュースの送り手の側)にあるのか、それともディマンドサイド(ニュースの受け手の側)にあるのかという疑問への答えが得られるわけでは必ずしもない。そこで、ジェンツコウ&シャピロの二人は、メディア関係の大手企業が複数の新聞を発行している事実に着目した。経営者が同じである複数の新聞が「政治的な傾向」が異なる地域で発行されていることも珍しくない。経営者が同じである新聞同士の方がランダムに選ばれた二紙よりも「偏向度」が似通っているかどうかを検証したところ、否定的な結果が得られた。経営者は、自社の新聞の「偏向度」にほんの些細な影響しか及ぼしていないというのだ。メディア関係の大手企業が発行している新聞の「偏向度」の5分の1は「読者の政治的な傾向」によって説明可能で、経営者は「偏向度」に何の影響も及ぼしていないに等しいというのだ。

ありのままの真実を追い求める人にとっては、何の足しにもならない発見だろう。正確な情報を追い求める注意深い人は、バランスをとるためにいくつもの新聞に目を通さねばならないことになろう。しかしながら、メディア市場における競争は、多様性を促すことにもなる。報道機関がディマンドサイドの多様なニーズに応じようとして、あれやこれやの異なる考えを代弁することになるからである。ともあれ、ペイリンがフォックス・ニュースを批判することもなければ、オバマがニューヨーク・タイムズ紙に不満を垂れることもなさそうだ。

2013年2月18日月曜日

Gregory Mankiw 「金融政策の分権化に向けて」(2006年7月21日)

Gregory Mankiw, “How to Decentralize Monetary Policy”(Greg Mankiw's Blog, July 21, 2006)


本日付(2006年7月21日付)のウォール・ストリート・ジャーナル紙で次のように報じられている。

FOMCの議事要旨によると、Fedが6月(先月)に政策金利を引き上げたのは、マーケットが政策金利の引き上げを予想していたからというのも理由の一つのようだ。マーケットの予想に反して政策金利を引き上げなければ、インフレファイターとしての評判に傷がつくと恐れたようなのだ。

ビビりだなあと思う人もいるかもしれない。リーダーシップをとってマーケットを引っ張るわけではなく、マーケットの御機嫌を取っているというわけだから。しかしながら、考えようによっては「金融政策の分権化」に向けて一歩踏み出すことができるかもしれない。

どういうことかというと、Fedが例えば2%のインフレ目標を採用すると同時に、以下のようなルールに従うようにすればいいのだ。

マーケットが政策金利とインフレ率の今後についてどのように予想しているかをチェックする。将来的にインフレ率が2%を上回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも高めに政策金利を設定する。それとは反対に、将来的にインフレ率が2%を下回るというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想しているよりも低めに政策金利を設定する。インフレ率が今後も2%にとどまるというのがマーケットの予想のようなら、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定する。

循環しているように見えるかもしれない。Fedはマーケットに反応し、マーケットはFedに反応するというわけだから。しかしながら、どこにも問題はない。経済学者は、同時性(simultaneity)の問題に慣れっこなのだ。

言うまでもなく、マーケットはFedの反応を織り込んで予想を立てるだろう。しかしながら、何の問題もない。そうなることが理想なのだ。最終的には、インフレ率が今後も2%にとどまるとマーケットが予想するような不動点(fixed-point)に達するだろう。あとは、マーケットが予想している通りの高さに政策金利を設定すればいい。そうすればインフレ目標を達成できるのだ。

2012年12月17日月曜日

Garett Jones 「『債務』という名の最も粘着的な価格」(2012年9月11日)

Garett Jones, “Debt: The Stickiest Price of All”(EconLog, September 11, 2012)


名目支出(総需要)が減るせいで実体経済に害が及ぶとしたらいかにしてか? そのことについて経済学者はぺちゃくちゃと喋りまくる。いや、喋らざるを得ないのだ。名目支出が減ると、産出量(実質GDP)が減るというのは当たり前ではないからだ。「一般的な供給過剰」(general gluts)の存在を前提するわけにはいかないからだ。

窓の外に目をやれば供給過剰の証拠なんてすぐに見つかるというのが世間の考えだというのに、供給過剰を生んでいる根本原因を解き明かすためにわざわざ頭を悩ます必要なんてあるんだろうか? あるのだ。供給過剰の存在は、経済学者がこれまでに育んできた偉大なアイデアの一つと抵触するのだ。売れ残りが出るようなら――労働者が職にあぶれていたり、住宅が売れ残っていたり、車が売れずに駐車場で錆びついていたりするようなら――、価格が低下して、売り捌かれるはずなのだ。

売れ残りが出ると、供給過剰を解消するようなプロセスが始動するはずなのだ。その実例を知りたければ、終了まで残り30分のガレージセールを眺めるといい。

価格の力に刃向かって供給過剰が解消されるのを妨げる「摩擦」(“frictions”)というのがあるとすれば、相当強力じゃないといけないはずで、誰の目にもすぐに目につくはずだ。しかしながら、経済学者が持ち出す「摩擦」というと、「粘着価格」(“sticky prices”)だとか、「粘着賃金」(“sticky wages”)だとか、文化規範だとか、公共部門の労働組合だとかというのが通例だ。どれも強力だし、その存在も疑おうとは思わない。しかしながら、需要と供給の力を上回るくらい強力だろうか? 何年も持続するくらい強力だろうか?

ここで、私のお気に入りの「摩擦」にご登場願おう。社会心理学的な理由によってではなく、契約の力によって生じる「摩擦」である。その名は、「債務」(debt)。家計が負う債務。企業が負う債務。政府が負う債務。債務の破壊力に着目した経済学者と言えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)だ。1933年にエコノメトリカ誌の第1号に掲載された大変優れた論文(pdf)で、債務が景気を収縮させることを説いたのだ。フィッシャーの不況理論(デット・デフレ理論)は、ケインズの『一般理論』の中のどの説明よりも優れているというのが私の考えだ。

債務が存在するようだと、売り上げがちょっと落ち込むだけでも破産するおそれがある。収入が大きく落ち込むと、資産の投げ売りが誘発される。借り入れている額が大きいほど、自由にできるお金も少なくなる。債務の返済に充てないといけないからだ。クレジットカードの滞納が何度か続くと、これまでとは別の社会階級に仲間入りしないといけなくなる。住宅ローンが返済できないと、警察がやって来て我が家から追い出される。クレジットカードの支払いにしろ、住宅ローンの返済にしろ、粘着的な価格なのだ。

実質値で測った小売売上高が危機以前のトレンドをおよそ15%も下回った理由の一部は、債務が粘着的な価格だからだろう。大きく落ち込んだ売上高の中から債務を返済して、警察が我が家にやって来るのを防がなくてはいけないのだ。

個人的にこれという答えが出せないでいる問いがある。民間部門の債務は、大きな「負の外部性」を生むのだろうか? 名目所得(名目GDP)が不安定なようなら、その答えは「おそらくイエス」というのがフィッシャーの教えなのだ。

2012年11月26日月曜日

Christina Romer 「為替レートについて率直に話しましょうよ」(2011年5月21日)

Christina D. Romer, “Needed: Plain Talk About the Dollar”(New York Times, May 21, 2011)


先日のカンファレンスで、最近のドル安傾向についてどう思うか尋ねられたベン・バーナンキ(Ben Bernanke)――FRBの議長――は、為替レートは財務省の管轄ですのでとだけ答えていなした。そして、アメリカは強いドルを歓迎していますと付け加えたのだった。

その発言を耳にした瞬間に私の脳裏に蘇ったのは、オバマ政権のアドバイザーを務めて間もない時に味わった体験だった。2008年の11月に、元財務長官でオバマ大統領のアドバイザーだったラリー・サマーズ(Larry Summers)と一緒にシカゴの町を走るタクシーに乗っていた時のことである。これから何度となく訪れるインタビューやヒアリングの機会に備えて、サマーズと想定問答をしていた。サマーズにいくつか質問を投げかけてもらって、私の回答におかしなところがないかチェックしてもらっていたのである。

為替レートについて問われたので、「為替レートは、価格の一つです。あれやこれやの価格と違いはありません。その値は、市場で決まります」と答えた。

すると、サマーズから突っ込みが入った。「おっと、それは間違いだ。『為替レートは、財務省の管轄です。アメリカは強いドルを歓迎しています』が正解だね」。

率直に言わせてもらうと、私の回答の方がはるかに筋が通っていた。為替レートは、価格の一つに過ぎないのだ。他の国の通貨で測ったドルの価格なのだ。誰かによってコントロールされているわけでもない。ドルの価格が高くて「強い」のは、いつだって望ましいわけでもないのだ。

自国通貨の価格を固定している国もある。例えば、中国がそうだ。アメリカも1970年代の初頭まではそうだったが、今は違う。外国為替市場でのドルの需要と供給が変化するのに応じて、ドルの価格も変動する。エネルギー省がガソリンの価格を決めていないのと同じように、財務省はドルの価格を決めていないのだ。どちらの省もいくらか準備を保有している。市場が動揺した場合に対処できるようにだ。しかしながら、どちらの省にしても、市場で決まる均衡値から価格を長らく遠ざけておけるだけの資源も権限も持ち合わせていないのだ。

「為替レートは、財務省の管轄です」というので意味されているのは、政府の高官で為替レートについて語る資格があるのは財務長官だけ(財務長官でさえも、ベラベラ喋るわけじゃない)ということなのだろう。残念なことである。政府の高官が為替レートについて率直に話せるようになれば、為替レートが絡んでくる問題についての理解も深まるだろうし、議論の質も高まるだろうからだ。

つまりは、経済学の基礎を踏まえた議論が可能になるのだ。例えば、以下のような感じで。

外国為替市場が存在するのはなぜかというと、他の国と取引したいと思うからである。他の国に投資したいと思うからである。スペインに旅行するためには、ユーロが要る。ドイツ国債を買うためには、ユーロが要る。ドルとユーロを交換する術が必要になるのだ。

外国為替市場でドルを供給するのは、外国から何か(財、サービス、資産)を買いたいと思っているアメリカ人である。その一方で、外国為替市場でドルを需要するのは、アメリカから何か(財、サービス、資産)を買いたいと思っている外国人である。

ドルの需要が増えるなりドルの供給が減るなりしたら、ドルの価格が上がる。それとは反対に、ドルの需要が減るなりドルの供給が増えるなりしたら、ドルの価格が下がる。
 
例を使って考えてみるとしよう。まずは一つ目の例として、アメリカ国内の起業家によって外国人が欲しがるような新製品が次々と開発されたとしよう。外国人が投資したがるような会社の設立も国内で相次いだとしよう。すると、外国為替市場でドルの需要が増えて、ドルの価格が上がるだろう。アメリカ人も国内で開発された新製品を買いたがるだろうし、外国人に人気の国内の会社に投資したがるだろう。そのために、海外の製品なり資産なりを買うのを控えようとするだろう。すると、外国為替市場でドルの供給が減って、ドルの価格はさらに上がるだろう。イノベーションが起きてドルが強かった1990年後半のアメリカの状況そのものだ。

次に二つ目の例として、アメリカ政府が抱える財政赤字が膨らんで、アメリカ国内の金利が上昇したとしよう。すると、外国人もアメリカ人もドル建ての債券を買おうとする一方で、外貨建ての債券を買うのを控えようとするだろう。すると、外国為替市場でドルの需要が増えて、ドルの供給が減るだろう。その結果として、ドルの価格が上がるだろう。レーガン政権による減税と軍事費の拡大ゆえに巨額の財政赤字が発生した1980年代初頭のアメリカの状況そのものだ。財政赤字が巨額に上っただけでなく、ヴォルカー(Paul A. Volcker)議長率いるFedが反インフレ政策に乗り出したこともあって、アメリカ国内の金利は急騰した。ドルもかなり強かったのだ。

どちらの例でも――アメリカ国内で輝かしいイノベーションが起きても、アメリカ政府が厄介な財政赤字を抱えても――ドルが強くなる。しかしながら、イノベーションはアメリカ経済にとって明らかに好ましいが、巨額の財政赤字は好ましくない。ドルの価格が上がるにせよ下がるにせよ、どうなると良くてどうなると悪いかを一概には決められないのだ。為替レートの変動が望ましいかどうかは、どういう理由で変動したかによるのだ。

それに加えて、経済情勢にもよる。完全雇用が達成されているようなら、ドルが強くなるのは望ましい。ドルが高くて強いというのは、同じ額のドルで買える外国製品(輸入品)の量が増えることを意味するからである。

しかしながら、景気が低迷しているようなら、ドルが強くなるのは望ましいと言い切れなくなる。ドルが弱くなると、米国製品が外国製品に比べて安くなる。そうなると、米国から海外への輸出が増えて輸入が減る。純輸出(=輸出-輸入)が増えたら、アメリカ国内の産出量と雇用量が増える。ドルが弱くなったら、外国からの輸入品が高くなるというマイナスの効果が生じる一方で、アメリカ国内での雇用量が増えるというプラスの効果が生じる。景気が低迷していて雇用を確保するのが切実に求められているようなら、ドルがしばらく弱くなればプラスの効果がマイナスの効果を上回るだろう。

Fedは、アメリカ国内のインフレと失業率に配慮してどういう措置を講じるかを決めている。バーナンキ議長が為替レートについて公然と語れるようになったら、金融政策を緩和すると景気が刺激される理由の一つは、ドルが弱くなるからだと口にすることだろう。経済学入門の講義で必ず教えられていることなのに、今のFedはそうではないかのように振る舞わざるを得ないのだ。

財政政策も国内の事情に配慮してその内容が決められている。財政赤字を減らすために財政を引き締めたら(そのうちそうしないといけなくなるだろうが)、やはりドルが弱くなるだろう。ドルが弱くなったら、財政引き締めが雇用量や産出量に及ぼす短期的なマイナスの効果が和らげられるだろう。

不思議なことがある。どの政治家も例外なく、ドルが人民元(中国の通貨)に対して弱くなる(ドル安元高になる)のは望ましいと理解しているようなのだ。人民元に対してドルが弱くならないように、中国政府は長年にわたってアメリカ国債を買い続けている。中国政府がドルの価格が下がるのを受け入れたら、アメリカから中国への輸出が増えてアメリカ国内の景気にプラスに働くだろう。アメリカ議会は報復する可能性をちらつかせて、中国政府がドルを弱くするために必要な措置を講じるように迫っている。

そうかと思うと、次の瞬間には強いドルの重要性を訴える声が議場にこだまするのだ。人民元に対してドルが弱くなるのが好ましいのであれば、その他の多くの国の通貨に対してもドルが弱くなれば、なおさら好ましいだろう。

こんな感じで率直に語ると、過激派だとか非国民だとかという烙印を押されかねない。しかしながら、もっと成熟して率直に意見を交わすべきなんじゃなかろうか。為替レートを管轄しているのは、財務省でもなければ、強いドルの信奉者でもない。市場なのだ。

2012年10月11日木曜日

Paul Krugman 「デレバレッジ・ショックと財政乗数」(2012年10月9日)

Paul Krugman, “Deleveraging Shocks and the Multiplier (Sort of Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, October 9, 2012)


IMFが財政乗数の推計について懺悔していて、ジョナサン・ポルテス(Jonathan Portes)――1週間後にロンドンで財政政策について討論する予定になっていて、彼とは共同戦線を張ることになりそうだ――がそのことについてコメントを加えている。世界中の多くの政策当局者は、財政乗数の値が1を大きく下回るという前提で行動してきたが、経験に照らすなら財政乗数の値は1よりも大きいようだというのだ。

あえて指摘しておかないといけないと思うことがある。財政乗数の値が大きくなる理屈と、危機が起こる理屈との間には非常に密接なつながりがあるのだ。信用バブルが崩落した後には、財政乗数の値が大きくなると予想されるのだ。それだからこそ、信用バブルが崩落した後にどうにでもなれとあきらめてしまうと――もっとまずいことには、財政緊縮に乗り出してしまうと――、ひどい害が招かれてしまうのだ。

今みたいな混乱に陥ることになってしまったのは、どうしてなんだろう? 借り入れに対して過度に強気な姿勢が続いていたかと思ったらある日突然目が覚めたというのが、シンプルだけど概ね正しい筋書きだ。家計が負う債務が急速に膨れ上がって、ある時突如として借り過ぎだと悟られたのだ。




マクロ経済学的な観点からすると見逃せないのは、借り入れとデレバレッジ(債務の圧縮)が景気に及ぼす効果が非対称ということだ。他の事情が一定で変わらないようなら、借り入れが増えると総需要も増える。でも、そのようにして総需要が増えても中央銀行がその気になれば相殺できるし、その気になって相殺するのが通常だ。金利を引き上げるのはいつだって可能だからだ。その一方で、デレバレッジが景気に及ぼす効果を相殺するのは、借り入れが景気に及ぼす効果を相殺するのと同じくらい造作ないかというと、そうじゃない。金利を引き下げて応じるという手があるが、ゼロ%までしか下げられない。非伝統的な金融政策で応じるという手もあるが、非伝統的な金融政策については異論もあって、その効果も不確かなところがある(だからといって、非伝統的な金融政策には手を付けるなかれと言いたいわけじゃない)。

つまりは、借り入れが急速に膨張していたのが一転して、誰も彼もがデレバレッジ(債務の圧縮)に勤(いそ)しむようになると、総需要の不足が長引いてしまう可能性があるのだ。通常の金融政策によってはそのことを解決できない可能性があるのだ。僕が言うところの「不況の経済学」が当てはまる状況に陥ってしまうのだ。

信用バブルが崩落した後に財政乗数の値が通常よりも大きくなるのも同じ事情が絡んでいる。通常であれば、拡張的な財政政策は、金融引き締め(金利の引き上げ)によって相殺される一方で、緊縮的な財政政策は、金融緩和(金利の引き下げ)によって相殺される。通常の経験に基づいて導き出された財政乗数の推計値が小さいのもそのためなのだ。しかしながら、誰も彼もがデレバレッジに勤しむせいで「流動性の罠」に陥ってしまうと、金融政策によって財政政策の効果を打ち消すことができなくなる。

「流動性の罠」に陥ってしまったとしたら、財政乗数の値はどれくらいになると予想されるだろうか? 答. 1より大きい。

その理由を探るために、まずは摩擦の無い世界を想定してみるとしよう。つまりは、消費者が将来のことを完全に見通すことができて(完全予見の仮定)、誰もが資本市場に自由にアクセスできる(資本市場の完全性の仮定)と想定するとしよう。摩擦の無い世界では、財政乗数の値は1になるはずだ。政府支出が変化しても、消費支出は増えも減りもしないはずだ。それゆえ、政府支出が増えるのと同額だけGDPが増えるはずだ。その理由は? 政府支出が増えると、今の時点で所得が増えるけど、それと同時に将来における税負担も増えるからだ。それら2つの効果がちょうど打ち消し合うことになるのだ。

現実に近付けて摩擦を付け加えてみるとしよう。家計は流動性制約下にあるか、今の所得がどれくらいかに照らして消費のために使う金額を決めるような経験則(rules of thumb)に従っているとしよう――ところで、エガートソン(Gauti Eggertsson)との共著論文でも指摘したが、債務ないしはデレバレッジを組み込んだモデルを使うというのは、多くの家計が流動性制約下にあると想定していることを意味するのだ――。そのような摩擦が存在するようなら、政府支出が増える結果として今の時点で所得が増えたら、消費支出も同じようにいくらか増えるだろう。反対に、政府支出が減る結果として今の時点で所得が減ったら、消費支出も同じようにいくらか減るだろう。つまりは、財政乗数の値が1よりも大きくなるのだ。

マーケットからの「信頼」がどうのこうのという意見があるかもしれない。政府支出が変化したとして、それが将来における政府支出のもっと大きな変化の前触れであるとみんなが信じるようなら、先の結論もひっくり返るかもしれない。でも、財政刺激策が試みられたとして、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、そんなことは到底ありそうにない。これまでを振り返ると、財政刺激策はあくまでも一時的な措置でしかなかったからだ。財政危機に陥って慌てて財政緊縮策に乗り出す場合にしても、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、かなり疑わしい。

そんなわけで、財政乗数の値が大きいからといって驚くべき理由なんてないのだ。今のような危機に陥ったら、そうなるはずと予測できたことなのだ。財政乗数の値が1を大きく下回るなんていう正当化し得ない想定が受け入れられたせいで、危機の深刻化に拍車がかかってしまったのだ。

Antonio Fatas 「過小評価された財政乗数」(2012年10月8日)

Antonio Fatas, “Underestimating Fiscal Policy Multipliers”(Antonio Fatas on the Global Economy, October 8, 2012)


IMFの世界経済見通し(IMF World Economic Outlook)の最新版(2012年10月)が公表されたが、世界経済の成長が鈍化するリスクについて強く警戒されている(報告書の全文はこちら)。第1章に目を向けると、これまでの成長予測において財政乗数の大きさが過小評価されていた可能性について優れた分析が加えられている。一部を引用しよう。

多くの国々が財政再建に取り組む中で、財政乗数の大きさについて激しい議論が繰り広げられた。財政乗数の値が小さければ小さいほど、財政再建に伴うコストも小さくなる。実際のところはどうだったか? 財政再建に着手した国々のパフォーマンスは、期待を裏切るものだった。そこで当然問われるべきは、財政乗数の値が過小評価されていたのではないかということである。財政引き締めが景気に及ぼす短期的なマイナスの効果が予想を上回ったのは、財政乗数の値が過小評価されていたからではないかということである。

そうなのだ。財政乗数の値は過小評価されていたのだ。

これまでの経緯を私なりに振り返ってみるとしよう。11年くらい前に試みられた一連の学術的な研究によると、財政乗数の値は1〜1.5の範囲にあると推計されていた。言い換えると、政府支出が1%増えると、GDPが1〜1.5%増えると推計されていたのである。2001年にイリアン・ミホフ(Ilian Mihov)と一緒に書いた論文――その論文はこちら(pdf)――で私なりに達した結論でもあり、ほぼ同じ時期に書かれたオリヴィエ・ブランシャール(Oliver Blanchard)とロベルト・ペロッティ(Roberto Perotti)の共著論文――その論文はこちら(pdf)――でも同じ結論が得られている。この件についてはその後に大量の研究が積み重ねられた。数多くの論文が(財政乗数の値が1〜1.5の範囲にあるという)先の推計結果を追認したが、疑問を投げ掛ける論文もあった。例えば、戦争のようなイベントに着目した研究では、財政乗数の推計値は小さくなりがちだった。財政政策が絡んでくる問題だけに、論争はいつまで経っても鎮まらなかった。乗数の値はゼロに近い、いやマイナスだ――政府支出が増えると、それと同じ額かそれ以上に民間の支出が減る――と語る研究者も出てくる始末だった。 

論争はあったものの、2008年に危機が勃発するまでに得られていた研究成果を私なりに振り返ると、乗数の値は1くらいか1を少し上回るというのが大方の見立てだったと言っていいと思う。

2008年に危機が勃発すると、財政乗数の値がどれくらいかという問題は、学術的な論争の対象から、緊急を要する政策課題の争点になった。財政刺激策はどれくらいのインパクトを持つのだろう? オバマ政権は、財政刺激策の必要性を正当化するために、財政乗数の値が1.5くらいであることを示唆する報告書――執筆者の一人は、クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)――を発表した。この報告書に批判を加えたのは、深刻な危機に陥っていようが総需要を管理しようなんて以ての外だと信じている人たちだった。財政乗数の値をめぐる論争は、イデオロギー闘争の様相を強めていった。その一方で、我々が今まさに直面しているような特殊な状況――金融政策がゼロ下限制約に直面していて、債務の圧縮に伴って民間の需要が落ち込んで深刻な景気後退に陥っている状況――では、乗数の値が11年前の推計値よりも大きくなる可能性を示唆する学術的な研究がちらほらと表れ出した。

しかしながら、その新しい研究成果も従来の研究成果ともども無視された。財政刺激策が試みられた後の2008年〜2009年に繰り広げられたイデオロギー色が濃い論争の結果として導き出されたのは、財政刺激策は効果がなかったし、財政緊縮に邁進することこそが求められているという結論だった。過去2年の間に多くの政府が足並みを揃えて財政緊縮に乗り出したが、乗数の値が大きい可能性を見過ごしてGDPの成長率が予測されたのだった。

IMFが最新の世界経済見通しの中で自己批判を込めて分析しているが、世界経済の成長率を予測するために使っていたモデルに検討を加えたところ、財政再建のインパクトを予測するにあたって乗数の値が0.5くらいであると暗黙のうちに想定されていたことがわかったという。GDPの成長率の実績値が予測を下回ったことを踏まえると、乗数の値は0.5を上回るのではないかというのがIMFの考えで、乗数の値は0.9〜1.7の範囲にあるかもしれないと示唆している。11年前の推計結果とほとんど同じであり、最新の推計結果とも合致する。今のような特殊な状況に置かれたら乗数の値がどうなりそうかをモデルを使って理論的に予測する試みもあるが、その大半の結果ともそれほどかけ離れていないのだ。