大恐慌(Great Depression)に関する専門的な研究の多くは、大恐慌があそこまで深刻な不況となった理由を金本位制に求めている。これまで経済史家は、大恐慌の引き金となった要因としてアメリカによる金融引き締めに着目してきたが、フランス(による金融政策)が果たした役割に対しては十分な注目が払われていない。世界全体に存在する金準備のうちフランスが保有する割合は、1926年の時点では7%だったが、1932年の時点ではその割合は27%にまで上昇することになったのである。1930~31年の間に世界全体で物価は30%下落することになったが、そのうちのおよそ半分はフランスとアメリカによる金の大量保蔵(溜め込み)によって説明できる可能性があるのだ。
1930年代に発生した大恐慌(Great Depression)に関する経済学の専門的な研究の多くは、当時の景気後退の長さと深刻さを金本位制と結び付けて論じる傾向にある。金本位制を採用していた国では為替レートが固定されることになったため、危機に対処する手段として金融政策に頼れなかったというわけである(詳しくは、Temin(1989)、Eichengreen(1992)、Bernanke(1995)などを参照のこと)。
しかしながら、金本位制が1929年から1933年までの間にあれほどまでのデフレーションを世界規模で引き起こすことになった理由についてははっきりしない面もある。というのも、世界全体での金準備の量は1920年代から1930年代を通じて着実に増え続けていたのである。それなのに、どうして金本位制は自壊したのだろうか? どうしてあれほどまでの大激震が引き起こされることになったのだろうか?
大恐慌に関する標準的な説明
これまで経済史家は、1930年代の大惨事を説明しようと試みる中で、中央銀行が採用した政策に着目してきた。大恐慌の起源をめぐる標準的な説明では、1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めこそが大恐慌の引き金となったと考えられている(Friedman and Schwartz 1963, Hamilton 1987)。1928年初頭にFRBが金利を引き上げたことで他の国々からアメリカへと金が流入することになったが、FRBはそれにあわせて売りオペを行って金の流入を不胎化した。そのため、アメリカでは金の流入にもかかわらずマネタリーベースは増えず、(マネタリーベースが増えなかったために)景気が刺激されることもなかったが、その一方で金の流出に見舞われた国々は金融引き締めを余儀なくされることになった。かくして世界経済はデフレショックに見舞われることになり、その影響で通貨危機や銀行パニックが引き起こされ、さらにそれが原因となって物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかる格好となった・・・というわけである。
新たな仮説
しかしながら、大恐慌に関する標準的な説明では見過ごされがちな事実がある。フランスもアメリカと非常に似通った行動に乗り出していたという事実がそれである。実のところ、フランスはアメリカを上回るスピードで金準備を溜め込むだけでなく、アメリカを凌駕する勢いで(自国に流入してきた)金の不胎化に乗り出していたのである(詳しくは、Johnson(1997)およびMouré(2002)を参照のこと)。1926年にフランが切り下げられたことも一因となって大量の金がフランスに流入することになったが、その結果としてフランス銀行が保有する金準備の量は急速な勢いで増大し始めた。以下の図1に示されているように、世界全体の金準備のうちフランスが保有する割合は、1926年の時点では7%に過ぎなかったが、1932年にはその割合は27%にまで上昇することになったのである。
図 1. 世界全体の金準備に占める各国のシェア(アメリカ(青)、フランス(赤)、イギリス(緑))
フランスやアメリカに金が集中した結果として、それ以外の国々は大きなデフレ圧力に晒されることになった。(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々は、1929年から1931年までの間に世界全体の金準備のうち8%に相当する金を手放す格好となったわけだが、1928年12月の時点で(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々が保有する(世界全体の金準備に占める)金準備の割合は15%だったことを考えると、そのほとんどを手放すことになったわけである。しかしながら、フランスとアメリカが金の流入を不胎化しなければ、フランスとアメリカへの金の集中も世界経済にとって問題とはならなかったことだろう。フランスとアメリカが金の流入を不胎化しなければ、金の流出に見舞われた国々では金融引き締めを余儀なくされる一方で、フランスとアメリカでは金の流入に伴って金融緩和が進められることになる。すべての国が古典的な金本位制の「ゲームのルール」に従うようなら当然そうなるはずだったが、戦間期においてはすべての国が同意する「ゲームのルール」は確立しておらず、フランスもアメリカも金の流入が金融緩和につながらないように金の流入を不胎化していたのである。
フランスによる(金の流入の)不胎化の実態は、正貨準備率の推移を辿った以下の図2で見て取れる。正貨準備率というのは中央銀行債務(銀行券発行残高+当座預金残高)に対する金準備の割合を指しているが、この方面でフランスが辿った進路は他の国と比べて際立っている。フランス銀行の正貨準備率は、1928年12月の時点では40%だったが(法律で定められていた正貨準備率の下限は35%)、1932年12月の時点ではその値は80%近くにまで上昇しているのだ。フランスの金準備は1928年から1932年までの間に160%も増加したわけだが、その間にマネーサプライ(M2)はまったくと言っていいほど変化しなかった。同時代人の間ではフランスを指して「金の溜池(金の吸引機)」(“gold sink”)と呼ぶ声もあったというが、それももっともなことだと言えるだろう。
図 2. 主要中央銀行の正貨準備率(1928年~1932年)
アメリカとフランス(による金融政策)が世界経済に及ぼしたデフレ圧力はどの程度か?
1928年を基準年として選ぶとすると、任意の年に(不胎化されたことで)未利用のままに置かれている〔訳注;金融緩和のために使用可能ではあるが、使用されずにいる〕金の量を次のようにして求めることができる。その年の金準備の量から、その年の中央銀行債務(マネタリーベース)に1928年時点の正貨準備率を掛け合わせたもの〔訳注;その年の中央銀行債務(マネタリーベース)×1928年時点の正貨準備率=1928年時点と同じ正貨準備率を維持する上で必要となる金準備の量〕を差し引くのである。そのようにして求められた「未利用の金の量」をグラフにしたのが以下の図3である(世界全体の金ストック(残高)に対する割合として表わされている)。
フランスとアメリカは、1930年の時点では両国合わせて世界全体の金ストックのおよそ60%を保有していたわけだが、その同じ年に両国合わせて世界全体の金ストックの11%を未利用のままに置いていたことになる。1929年と1930年に関してはフランスもアメリカも(金の流入を不胎化し、金を未利用のままに置いておくことで)世界経済に対して同等のデフレ圧力を及ぼしたと考えられるが、1931年と1932年に関してはフランスの方がアメリカよりもずっと大きなデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったと考えられる。1928年から1932年までの期間全体で判断すると、フランスはアメリカを上回るデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったと考えられる。というのも、1928年時点と同じ正貨準備率を維持するという前提でいくと、1928年から1932年までの間にフランスがさらなる金融緩和のために利用できたはずの金の量は世界全体の金ストックの13.7%に相当する一方で、同じ期間にアメリカがさらなる金融緩和のために利用できたはずの金の量は世界全体の金ストックの11.7%に相当するという結果になっているからである。
図 3. 未利用の金の量(1929年~1932年)
物価に及ぼした影響
デイヴィッド・ヒュームは1752年に「貨幣について」(“Of Money”)と題されたエッセイの中で次のように語っている。「硬貨(貨幣)がたんすの中にしまい込まれると、硬貨がこの世から消滅した場合と同様の効果が物価に対して生じることになる」。さて、フランスとアメリカが金を未利用のままに置いた――金をたんすの中にしまい込んだ――ことで世界全体の物価水準に対してどのような影響が生じたのだろうか? 私自身のつい最近の研究によると(Irwin 2010)、世界全体の金ストックが1%だけ増えると、世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するとの関係が成り立つことが確認されている。フランスとアメリカを合わせると1930年の時点では世界全体の金準備のうち11%が未利用のままに置かれていた〔訳注;世界全体の金ストックが11%だけ減少した〕わけだが、そのことが物価に対して及ぼした影響を(世界全体の金ストックが1%だけ増えると、世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するという)先の関係を使って算出すると、世界全体の物価水準をおよそ16%下落させる効果を持ったということになる〔訳注;世界全体の金ストックが1%だけ増えると、世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するという関係が成り立つとすると、世界全体の金ストックが11%だけ減少すると、世界全体の物価水準はおよそ16%(=(-11)×1.5)だけ下落するということになる〕。1930~31年の間に世界全体の物価水準は30%下落したわけだが、先の単純な演算によると、そのうちのおよそ半分はフランス銀行とFRBによる金の溜め込みによって引き起こされたと結論付けられることになろう(Sumner(1991)も異なる計算手法を使って同様の結論に達している)。
デフレスパイラルに一旦嵌ると、他の要因が関与してきて物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかることになるというのは確かである。例えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)が指摘したデット・デフレ(債務デフレ)のメカニズムが働く可能性がある。デフレによって企業の破産が増え、それに伴って銀行パニックが発生すると(銀行取付などを通じて預金の引き出しが増える結果として)現金預金比率が上昇して貨幣乗数が低下する可能性がある。しかしながら、そういった出来事は当初のデフレショックから独立して発生したとは見なし得ず、それゆえ、物価下落のうち「説明されずに残っている」部分〔訳注;30%の物価下落のうち、残りの14%(=30-16)〕についても少なくともその一部はフランス銀行とFRBが間接的に責任を負っていると言えるだろう。
まとめるとしよう。これまで経済史家は、大恐慌の引き金となった要因として1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めに着目してきた。しかしながら、世界全体をデフレスパイラルに陥れた元凶ということで言うと、フランスが果たした役割にもこれまで以上にずっと大きな注目が払われてしかるべきなのだ。
<参考文献>
●Bernanke, Ben (1995), “The Macroeconomics of the Great Depression: A Comparative Approach(pdf)”, Journal of Money, Credit and Banking, 27:1-28.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Friedman, Milton, and Anna J Schwartz (1963), A Monetary History of the US, 1867-1960, Princeton University Press.
●Hamilton, James (1987), “Monetary Factors in the Great Depression”, Journal of Monetary Economics, 19:145-169.
●Irwin, Douglas A (2010), “Did France Cause the Great Depression?”, NBER Working Paper 16350.
●Johnson, H Clark (1997), Gold, France, and the Great Depression, 1919-1932, Yale University Press.
●Mouré, Kenneth (2002), The Gold Standard Illusion: France, the Bank of France, and the International Gold Standard, 1914-1939, Oxford University Press.
●Sumner, Scott (1991), “The Equilibrium Approach to Discretionary Monetary Policy under an International Gold Standard, 1926-1932”, The Manchester School of Economic & Social Studies, 59:378-94.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.
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