2015年2月5日木曜日

Jonathan Portes 「『ケインジアン』ってどういう意味?」

Jonathan Portes, “Fiscal policy: What does ‘Keynesian’ mean?”(VOX, February 7, 2012)

「ケインジアン」という言葉には一体どのような意味が込められているのだろうか? 経済学のその他の用語と同様に、「ケインジアン」という言葉も政争の具とされている感を強く受ける。そのために政策論争が不毛なものとなり、その結果として何百万もの雇用がいたずらに失われる羽目になっているのだ。

少しばかり私自身の個人的な経歴に触れさせてもらうが、1987年にイギリスの大蔵省で職を得た後、私は経済学を学ぶために一時的にプリンストン大学の門を叩いた。そこではロゴフ(Kenneth Rogoff)やキャンベル(John Campbell)から教えを受けたが、その後は再びイギリスに戻り、2008年に金融危機が勃発した際には内閣府で首相に経済政策に関してアドバイスを送る立場にあった。これまでの歩みを振り返ると、この間に自分自身のことを「ケインジアン」と考えたことが一度もなかったことに気付く。そもそも「ケインジアンかどうか?」と問うこと自体意味がなかったのだ。それはあたかも物理学者に対して「あなたはニュートン主義者ですか?」と問うようなものだったのだ。ケインズは偉大な存在であり(20世紀のイギリスを代表する最も偉大な人物の一人であることは間違いない)、彼の洞察を理解せずしてマクロ経済学を理解することはできなかったのである。しかしながら、そのような状況にも徐々に変化の波が押し寄せることになったのであった。

2008年に金融危機が勃発する以前の時期を振り返ると、イギリスの大蔵省ではマクロ経済を管理する術を巡って次のような見解が広く支持されていた。財政政策は確かに重要ではあるが、総需要を管理する術として利用するのは――実践上の理由からして――賢明ではない。総需要を管理する術としては財政政策よりも金融政策の方が優れている。というのも、金融政策の方が小回りが利き、透明性が高く、政治的な圧力によって歪みが生じる恐れが小さいからだ。このような見解に対して理論的な後ろ盾を与えたのがナイジェル・ローソン(Nigel Lawson)が1984年に行ったかの有名なメイズ講演である。当の私自身もこの見解を全面的に支持していた。

しかしながら、金融危機を経た2008年以降の世界では事情は少々複雑になっている。というわけで、ここで問うことにしよう。「ケインジアン」という言葉には一体どういった意味が込められているのだろうか? その候補としてはいくつか考えられるだろう。


定義<その1>

時計の針を1930年代まで戻すことにしよう。その当時ケインズはいわゆる「大蔵省見解」(‘Treasury View’)に明確に異を唱えた(「大蔵省見解」はしばしば「セイの法則」――供給はそれ自らの需要を生み出す――と同一視されることがあるが、そのような捉え方は幾分不公平ではある。ともあれ、「大蔵省見解」を巡る過去の論争の概要についてはQuiggin(2011)を参照されたい)。「大蔵省見解」によると、財政政策は「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼすことはできないとされる。政府が支出を増やすためには課税ないしは国債の発行(借り入れ)を通じて市中に出回っているお金を調達してこなければならず、政府が支出に回せるお金が増えると民間部門ではそれと同額だけ支出に回せるお金が減るというのである。さて、ここで「ケインジアン」の定義<その1>が得られることになる。「ケインジアン」というのは「大蔵省見解」――財政政策は「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼすことはできない――を受け入れない人々というわけだ。どうやらジョン・コクラン(John Cochrane)は「ケインジアン」をこのように定義付けているようだ(Cochrane 2009)。彼は次のように書いている。

まず第一に、お金が新たに発行されないとすれば、市中に出回っているお金をどこかから調達してこなければならない。政府があなたから1ドルを借り入れたとすれば、あなたの手を離れたその1ドルは消費に回されることもなく、企業に貸し出されることも(そしてその企業が設備投資を増やすことも)ない。つまりは、政府支出が増えた分だけ民間部門で支出が減らねばならないのだ。政府支出が増えたおかげで新たに雇用が生まれたとしても民間部門で支出が減るおかげで別のところで雇用が失われることになるのだ。財政刺激策を通じて道路を建設することは可能だが、その代わり民間部門で工場の建設が取り止められることになる。道路も工場もどちらもともに建設することはできないのだ。このようにして「クラウディング・アウト」が発生するのは会計上の必然的な結果に過ぎず、経済主体の行動についてどういった想定を置こうとも結論は左右されないのだ。

読者もよくご存知だとは思うが、コクランのこの主張をきっかけとして経済学ブログの世界でクルーグマン(Paul Krugman)やデロング(Brad Delong)らを中心として激しい論争が巻き起こることになった。例えば、サイモン・レン-ルイス(Simon Wren-Lewis)はコクランに対して「学部レベルの間違いを犯している」と手厳しい批判を加えている(Wren-Lewis 2012a)。デロングらが指摘しているように、その後コクランは当初の意見を幾分か引っ込めたようである(Cochrane 2012, Delong 2012)。アメリカでの学者間での論争はともあれ、私自身は定義<その1>に照らす限りでは――「大蔵省見解」に与しないという意味で――紛れもなく「ケインジアン」である。しかしながら、この意味では誰もが皆――現在のイギリス大蔵省を含めて――「ケインジアン」ということになるだろう。「財政政策は定義上(「会計上の恒等式」の制約ゆえに)総需要に影響を及ぼすことはできない」と本気で信じている人は現在では誰一人として――誇張でも何でもなく本当に誰一人として――いないのだ。


定義<その2>

もう少しもっともらしくて標準的な用法にも沿った「ケインジアン」の定義は次のようになるだろう。財政政策は(理論上の話にとどまらず)「実証的にも」(実際にも)総需要にかなり大きな影響を及ぼすと信じる人々、それが「ケインジアン」だというものである(定義<その2>)。それとは対照的な立場に立つのが「リカードの等価定理」(‘Ricardian equivalence’)を信奉する人々である。「リカードの等価定理」によると、政府支出や政府の借り入れに変化が生じても民間部門においてその変化を打ち消すような行動が引き起こされ、その結果総需要はほとんどないしはまったく影響を受けないとされる。比較的最近になって提唱され出した「拡張的な財政緊縮」(‘expansionary fiscal contraction’)と呼ばれる考えはもっと先鋭的な立場である。「拡張的な財政緊縮」の立場に立つ論者によると、(財政再建に向けた)財政緊縮策は為替レートの減価や民間部門における信頼感の改善を通じて総需要の拡大および経済成長の加速をもたらし得るとされる。この見解を流布する上で特に強い影響を持ったのが2009年に発表されたアレシナ&アルダーニャ論文(Alesina and Ardagna 2009)であり、(あくまでも些細で一時的なものだとは思うが)その影響はイギリス大蔵省にも及んでいる。例えば2010年の緊急予算には次のような記述が見られる。

財政再建に向けた財政緊縮策は民間部門の行動に変化を促す可能性があるが、民間部門におけるそのような行動の変化は総需要を刺激し、経済パフォーマンスの改善を後押しする方向に作用する可能性がある。そういったポジティブな効果は財政緊縮に伴って直接的に生じるネガティブな効果を上回ることもあり得る。

私が知る限りではイギリス大蔵省がこのような見解を表明した機会はこれ一度きりのようだ。それも頷けるところである。というのも、現実の証拠は「拡張的な財政緊縮」論が説くところとは正反対の結果を指し示しているからだ。アレシナ&アルダーニャ論文に対してはこれまでに多くの学者から疑問が呈されており、その後のIMF(国際通貨基金)の研究によってその結論が否定されてもいる。さらに重要なことには、「拡張的な財政緊縮」論を裏付けるようなエピソードを各国中探してもそういった事実はほとんど見当たらないのである。「拡張的な財政緊縮」論の妥当性に関する現在の通念はIMFがまとめている通りだと言っていいだろう。IMFは2010年10月の段階で既にこう結論付けている(詳しくはこちら(pdf)を参照されたい)。

財政再建は短期的には経済成長の減速をもたらす傾向にある。今回新たなデータを用いて検証したところ、GDP比で1%に相当する規模の財政緊縮(財政赤字の縮小)はそれ以降の2年の間に生産量(実質GDP)をおよそ0.5%だけ落ち込ませ、失業率を3分の1(0.333…)%だけ引き上げる傾向にあるとの結果が得られた。

その後、IMFはどちらかというとこの結論を強調する姿勢を見せている。例えば、IMFのチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)はつい最近次のように語っている。

「短期的に見ると財政再建は総需要の足かせとなることは疑いない。ということはつまり経済成長の足かせともなるということだ。」(Blanchard 2012

定義<その2>に照らす限りでは――財政政策は実際にも総需要に影響を及ぼすという見解を支持するという意味で――私自身はやはり「ケインジアン」である。しかしながら、この意味ではIMFの専務理事やチーフエコノミストも同じく「ケインジアン」である。それだけにとどまらない。イギリス大蔵省やイングランド銀行、イギリス予算責任局も「ケインジアン」に括られる。これらいずれの機関のマクロ計量モデルにも財政乗数が組み込まれているし、これらの機関で働く上級職員の中で財政再建に向けたこれまでの取り組みが実際問題としてイギリス経済の成長を鈍化させる効果を持ったことを否定する者はおそらくいないだろう。例えば、2011年11月に開催された(イングランド銀行の)金融政策決定会合の議事要旨(pdf)には次のような文言が見られる。

昨年1年間を通じてGDPの伸びは弱々しいものだったが、その理由は家計の実質所得の落ち込みや資金の借り入れが困難な状況が続いていること、そして長引く財政再建の影響に求められると思われる。

定義<その3>

定義<その1>と定義<その2>に照らす限りでは私は間違いなく「ケインジアン」だと言えるわけだが、しかしそれと同時に真面目に取り合うべき人々のあまりにも多くもまた「ケインジアン」ということになってしまうだろう。目下の政策論争の場で「ケインジアン」とそれ以外を区別するために用いられている定義はもう少し狭く限定されたものであり、これまでの2つの定義と比べるとずっと「政治的」な色合いが強いものだと言えるかもしれない。その定義というのは次のようなものだ。「今現在のイギリス経済(あるいアメリカ経済)が置かれている状況を踏まえると、財政再建のペースを遅らせることが好ましい」。そう考えるのが「ケインジアン」だというのである(定義<その3>)。しかしながら、個人的にはこの定義は色々と問題を抱えていると思う。そう考える理由は二つある。まず一つ目の理由は、「ケインジアン」という言葉が何らかの意味を備えるべきだとしたら、特定の時期に特定の国で議論の対象となっている特定の政策についての立ち場を指し示すための言葉として用いられるのではなく、もっと普遍的な意義を持った言葉であるべきだと思われるのだ。独自の哲学というか理論的な見解――少なくとも実証的な証拠を解釈する仕方――を指し示すための言葉であるべきなのだ。

二つ目の理由はもっと重要である。「拡張的な財政緊縮」論の妥当性には今や疑問符が付いているわけだが、そうだとすると「財政再建のペースを遅らせるべきだ」と語る陣営と「そのような決定(財政再建のペースを遅らせること)は大きな危険を伴う過ちと言わざるを得ない」と語る陣営との間の争点は財政再建のペースを遅らせることで経済に好ましい効果(訳注;財政再建のペースが遅らされることで財政緊縮策を原因とした景気の減速が和らげられる)が生じるかどうかという点にはないということになる(両陣営ともに好ましい効果が生じるという点に異論はない)。真の争点は財政再建のペースが遅らされることでマーケットが政府に対する「信頼」を失い、その結果として長期金利が跳ね上がるリスクがあるかどうか、そして長期金利が急騰した場合に経済に及ぶ損害は財政再建のペースを遅らせることに伴う好ましい効果を凌駕する可能性があるかどうかという点にあるのだ。

(財政再建のペースを遅らせることで)長期金利が跳ね上がるリスクはかなり誇張されており、財政再建のペースを遅らせた結果としてどのような事態が生じ得るかについて綿密な検討が加えられている様子はあまり見受けられないように個人的には感じるわけだが(この点について詳しくはPortes(2011a)およびPortes(2011b)を参照されたい)、果たしてどちらの陣営が正しいのかという話は少なくともここでの文脈ではどうでもいいことなのだ。両陣営の間で繰り広げられている論争にケインジアンかどうかという区別はまったく関係ないという点をこそ指摘したいのだ。マーケット全体が合理性を欠いた振る舞いを見せる可能性にどう取り組んだらよいか、格付け機関の役割についてどう考えるべきか、複数均衡の問題にどう対処したらよいか等々ここには多くの問題が控えているわけだが、こういった一連の問題についてどちらか一方の立場を表明したからといって「私はケインジアンだ」「お前はケインジアンではない」といったように截然と区別されるわけではないのである。

最後になるが、かつてイギリスの大蔵省に勤めていた際に学んだ経験との絡みで一点だけ指摘しておこう。かつての大蔵省でもそうだったのだが、総需要が極めて低調である際には財政政策ではなく金融政策(金融緩和)で対応するのが望ましいといった見解は今でも広く支持されている。この話題については経済学ブログの世界でも盛んに議論の対象となっている(とっかかりとしてはEconomist(2012)をご覧になられるといいだろう)。この話題に関する私の基本的な姿勢は正直言って変わった。過去20年間にわたって大蔵省を支配していた見解――総需要を管理する上で財政政策が果たすべき役割はない――には最早与してはいないのだ(とは言え、真っ先に財政政策に手を付けるべきだとまでは考えていない)。この点についてはサイモン・レン-ルイス(Wren-Lewis 2012b)が優れた要約(特に最後から2番目のパラグラフ)を行っているのでそちらもあわせてご覧になられたい。

総需要を管理する上では(財政政策よりも)金融政策の方が適しているという見解自体もそもそもは理論的な裏付けがあったわけではなく一種のプラグマティズム(pragmatism)にその根拠を持っていたわけだが、この話題に関して私が基本的な姿勢を変えた理由もそれと同様の事情からである。実際問題として総需要を刺激する上で金融政策単独で十分なのだとしたら、イギリス経済は今のような状況――失業率が自然失業率の推計を大きく上回っており、近い将来にこの状態が改善される見込みが薄い状況――にはそもそも置かれてはいないはずである。別のところでも触れたが(Portes 2012)、今のこのような状況(ひいては今のような状況をもたらしている総需要管理政策)は政策当局者の納得を得られるような代物では到底ないのだ。

私が姿勢を変えたのはイデオロギー上の理由からではない。現実の世界およびマクロ経済学はこれまでに想定していた以上にずっと複雑なものだという事実を真摯に受け止めた結果としてそうなったのだ。どうやらブランシャールも私と同じ立場を共有しているようだ。彼は次のように語っている(Blanchard 2011)。

金融危機後の世界はまったく新しい世界である。政策決定者の目の前に広がる光景はこれまでとはガラリと変わっている。まずはこの現実を受け入れねばならない。・・・(中略)・・・マクロ経済政策(とりわけ財政政策と金融政策)が追い求めるべき目標の数は一つではなく複数存在している。そしてその複数ある目標を達成するために使用し得る手段も複数存在しているのだ。

マクロ経済政策のあるべき姿を探る上ではプラグマティックな観点に立って何事も疑ってかかる姿勢を忘れないこと――そして現実の証拠の裏付けを徹底して追い求めること――。それこそが私の理想とする態度である。ケインズが今も生きていたとしたらおそらく彼も私に同意してくれるに違いない。


<参考文献>

●Alesina, Alberto F and Silvia Ardagna (2009), “Large Changes in Fiscal Policy: Taxes Versus Spending”, NBER Working Paper No. 15438, October.
●Blanchard, O (2011), “The future of macroeconomic policy”, blogpost, March.
●Blanchard, O (2012), “Driving the Global Economy with the brakes on”, blogpost, January.
●Cochrane, J (2009), “Fiscal Stimulus, Fiscal Inflation, or Fiscal Fallacies?”, University of Chicago webpage, version 2.5, 27 February.
●Cochrane, J (2012), “Stimulus and etiquette”, blogpost, January.
●Delong, B (2012), “John Cochrane says John Cochrane used to be a bullshit artist”, blogpost, January.
●Economist (2012), “The zero lower bound in our minds”, 7 January.
●Guajardo, J, D Leigh, and A Pescatori (2011), “Expansionary Austerity: New International Evidence”, IMF Working Paper 11/158, Research Department, International Monetary Fund.
●HM Treasury (2010), “Emergency Budget”.
●Lawson, N (1984), Mais Lecture.
●Leigh, D, P Devries, C Freedman, J Guajardo, D Laxton, and A Pescatori (2010), “Will it hurt? Macroeconomic effects of fiscal consolidation(pdf)”, World Economic Outlook, October, International Monetary Fund.
●Monetary Policy Committee (2011), Minutes(pdf), Bank of England.
●Portes, J (2011a) “The Coalition’s Confidence Trick”, New Statesman, August.
●Portes, J (2011b), “Against Austerity”, Spectator, October.
●Portes, J (2012), “The largest and longest unemployment gap since World War 2”, blogpost, January.
●Quiggin, J (2011), “Blogging the Zombies: Expansionary Austerity – Birth”, blogpost, November.
●Wren-Lewis, S (2012a), “Mistakes and ideology in macroeconomics”, blogpost, 10 January.
●Wren-Lewis, S (2012b), “The return of Schools-of-thought macro”, blogpost, 27 January.

2015年2月4日水曜日

Alan S. Blinder and Jeremy Rudd 「オイルショックの経済学」(2009年1月13日)

Alan S. Blinder and Jeremy Rudd, “Oil shocks redux: Why the recent oil shock wasn’t very shocking”(VOX, January 13, 2009)

2002年から2008年にかけて原油価格が高騰したにもかかわらず、1970年代のように惨憺たる結果が招かれることはなかった。それはなぜなのだろうか? その理由はいくつか考えられる。i)先進国で省エネ化が進んだため ii)実質賃金の伸縮性が高まったため iii)経済全体に占める自動車産業のシェアが縮小したため iv)金融政策がコアCPIに重きを置いて運営されるようになったため v)原油価格が高騰した原因が、供給サイドにではなく、需要サイドにあったため。

アメリカ経済は、2002年の終わりから2008年の半ばにかけて、大規模なオイルショックに見舞われることになった。原油のドル建て価格が5倍も上昇し、一時的に1バレル=145ドルにまで達したのである。物価変動の影響を取り除いた実質価格で見ても、この間の原油価格の高騰には仰天させられる。ピーク時の原油価格の実質価格は、1979年~80年のいわゆる第二次オイルショック時に記録されたそれまでの最高値を50%も上回ることになったのである(原油価格は2008年7月にピークをつけた後に急落し、その後は1バレル=30~50ドルのあたりをうろついている)。

かつての2度にわたる(OPECが主導した)オイルショック時と比べても遜色ないほどに原油価格が高騰したわけだが、マクロ経済に及ぼした影響となると、かなり大きな違いが見られるようだ。1970年代から1980年代前半には「スタグフレーション」が発生し、高い失業率と高率のインフレが共存する状況が長く続いたわけだが、教科書的な説明ではその原因は「サプライショック」(原油価格および食料価格の急騰)にあるとされている。その一方で、この間の原油価格の高騰に伴って、2001年以降から続く景気の拡大に横槍が入った様子はほとんど見受けられない(アメリカ経済は、2007年の終わり頃から景気後退入りすることになったが、その主たる原因は、サブプライム危機に端を発する金融危機にあるというのが大方の見方だ)。コアCPI(食料やエネルギーの価格を除いた消費者物価指数)にしても、かつての2度にわたるオイルショック時とは違って、比較的安定した動きを見せている。

「どうしてこうも違うんだろう?」という疑問が自然と湧いてくるが、その答えの候補の一つとして名乗りを上げているのが、1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる「修正主義的な」解釈である。「修正主義的な」解釈――代表的な提唱者としては、デロング(DeLong 1997)、バースキー&キリアン(Barsky and Kilian 2002)、チェケッティその他(Cecchetti et al. 2007)を挙げることができる――によると、1973年から1983年にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わったそもそもの原因は、オイルショック(をはじめとしたサプライショック)にではなく、稚拙な金融政策にあるとされる。例えばデロングによると、当時のFedは、1930年代の大恐慌の悪夢に囚われており、インフレを抑えるために金融引き締めに乗り出すべきところでも二の足を踏む傾向にあったという。それに加えて、当時のFedは、フィリップス曲線は長期的に見ても右下がりであると認識しており、高めのインフレを受け入れる代わりに失業率をできるだけ低く抑えようと試みる傾向にあったという。その結果として、インフレが昂進することになったというのだ。バースキー&キリアンの二人も同様の立場に立っており、1970年代から1980年代初頭にかけて高インフレと高失業が発生した原因は、当時の「ストップ&ゴー」型の金融政策に求められるという。バースキー&キリアンの二人はさらに一歩踏み込んで、アメリカをはじめとした世界各国の金融緩和が原因で一般物価のみならず原油をはじめとしたコモディティの価格も高騰することになったと主張している。つまりは、原油価格の高騰をはじめとしたサプライショックは、スタグフレーションを引き起こした原因ではなく、政策の失敗(行き過ぎた金融緩和)に付随して生じた現象に過ぎないというのだ。

我々二人は、つい最近の論文(Blinder and Rudd 2008)で、1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる「通説」(「サプライショック説」)――原油価格および食料価格の急騰(それに加えて、1970年代初頭における賃金・価格統制の撤廃)こそが、スタグフレーションを引き起こした主因だとする説――の妥当性の検証を試みている。サプライショック説がはじめて唱えられたのは30年以上も前になるが、この間の研究の蓄積――新たに得られたデータに、新たに開発された理論に、計量経済学上の新たな証拠――に照らし合わせてみてわかったことは、「通説」の妥当性は揺るがないということである。詳しくは論文をご覧いただきたいが、(1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる)「修正主義的な」解釈についても批判的な検証を加えている。

オイルショックの影響が弱まってきているのはなぜ?

「通説」の妥当性が揺るがないとすると、大きな謎に直面することになる。1970年代から1980年代初頭にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わった主因がサプライショックにあったのだとすると、つい最近の原油価格の高騰も同じくマクロ経済に対して大きな負の影響を及ぼしてもおかしくはなさそうなのに、そうはなっていない。なぜなのだろうか? 1980年代初頭以降もオイルショックは度々発生しているが、多くの論者によって裏付けられているように――例えば、フッカー(Hooker 1996, 2002)、ブランシャール&ガリ(Blanchard and Gali 2007)、ノードハウス(Nordhaus 2007)を参照されたい――、オイルショックがマクロ経済に及ぼす影響はかつてに比べて小さくなってきているようだ。オイルショックがコアCPIに及ぼす影響は時代が下るにつれて急速に弱まってきており、生産量や雇用量はオイルショックからほとんど何の影響も受けないようになってきているのだ。

どうしてなんだろうか? 理由の一つは明らかである。1973年~74年のいわゆる第一次オイルショック(「OPEC I」)と1979年~80年のいわゆる第二次オイルショック(「OPEC II」)の後にエネルギーの消費を節約する動きが広がり、アメリカをはじめとする先進国では、1973年当時と比べると、省エネ化が相当進んだ。アメリカのケースで言うと、エネルギー消費量の対GDP比(BTU単位で測った年間のエネルギー消費量をその年の実質GDPで除した値)は劇的なペースで減少しており、1973年当時と比べるとほぼ半減するまでになっている。それに伴って、オイルショックがマクロ経済――価格(原油以外の財・サービスの価格)および数量(生産量や雇用量)――に及ぼす影響も同じく半減することになったと思われるのだ。

しかしながら、フッカーによると(Hooker 2002)、オイルショックがその他の財・サービスの価格(例えば、コアCPI)に及ぼす影響は時とともに無視できるところまで小さくなっており、省エネ化という要因だけではすべてを説明できないという。さらには、我々の論文ではエネルギー集約度に応じて消費財を分類し、それぞれの分類に含まれる消費財の価格がオイルショック後にどのような反応を見せたかを検証しているが、2002年~2007年の期間に関して言うと、エネルギー集約度の高さと、価格の変動幅との間に正の相関は見出せなかった〔訳注;「エネルギー集約度の高い消費財ほど、オイルショック後に価格が大きく上昇した」という関係は見出せなかったということ〕。どうやら、省エネ化以外の別の要因にも目を向ける必要があるようだ。

「別の要因」を探っているのが、ノードハウスのつい最近の論文だ(Nordhaus 2007)。ノードハウスは、その候補を三つ挙げている。つい最近の原油価格の高騰はその上昇ペースが比較的緩やかであり、そのためもあってその影響が薄められることになったというのが一つ目の候補だ。原油価格の上昇幅は、2002年~2008年にかけての累計で測ると相当なものだが、年平均で測ると「OPEC I」や「OPEC II」時よりもずっと緩やかなのである。2002年~2008年にかけての原油価格の上昇幅を年平均で測ると、対GDP比でおよそ0.7%という結果になるが(ただし、ノードハウスの試算では、2006年第2四半期までしか対象に含まれていない点に注意願いたい)、「OPEC I」や「OPEC II」時におけるそれは、対GDP比でおよそ2%になるのである。原油価格の上昇ペースが緩やかであれば、それだけその影響も弱まることになるだろう。

二つ目の候補は、とりわけ重要である。ノードハウスは、Fedがどのようなルールに従って政策金利を決定しているか(いわゆる「テイラー・ルール」)を推計しているが、1980年以前のFedはヘッドラインCPI(食料やエネルギーの価格を含んだ消費者物価指数)に重きを置いて金融政策を運営していたが、1980年以降になるとコアCPIに重きが置かれるようになっていることを見出している。バーナンキその他(Bernanke et al. 1997)によると、かつてのオイルショック時に生産量が落ち込んだ理由の多くは、Fedがインフレを抑えるために金融引き締めに動いたためだとされているが、そのような見方が正しいとすると、つい最近の原油価格の高騰がどうしてそれほど大きな生産の落ち込みを伴わなかったのかについてもそれなりに納得がいくことになる。というのも、先にも触れたように、オイルショックがコアCPIに及ぼす影響が弱まってきていて、FedがコアCPIに重きを置くようになっているとすると、オイルショックの発生に伴って金融政策が変更される(原油価格の高騰に伴って、金融政策が引き締められる)可能性は小さくなっていると予想されるからである。

三つ目の候補は、1970年代に比べて、実質賃金の伸縮性が高まっている可能性である〔訳注:このパラグラフでは、ノードハウスの主張がかなり圧縮されたかたちで要約されており、そのまま訳したのでは内容がわかりづらいだろうと判断して、Nordhaus(2007)に照らし合わせて訳者の側で若干修正を加えている〕。それもこれも、原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が世間一般に広がったことが大きい。その結果として、原油価格が高騰しても、労働者は名目賃金の引き上げを求める代わりに、実質賃金の下落を受け入れるようになった。新古典派的なメカニズム(相対価格の変化に促された生産要素間の代替〔訳注;財・サービスを生産するにあたって、相対的に高価になった生産要素(エネルギー)の代わりに、相対的に安価になった生産要素(労働)の投入を増やす〕)が働く余地が広がることになった可能性があるのだ。さらには、原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が広がったことで、消費者が原油高騰による実質所得の低下をあくまで一時的なものと見なすようになった。その結果として、原油価格の高騰が実質所得の低下を招いて総需要を冷え込ませるケインジアン的なメカニズムの効果がかつてよりは和らいでいる可能性がある。このような一連の変化は、オイルショックが生産量や雇用量に及ぼす影響を弱める方向に作用することだろう。

ブランシャール&ガリの二人も実質賃金の伸縮性が高まっている可能性に言及しているが(Blanchard and Gali 2007)、それに加えて、1970年代以降に中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まってきていることも見逃せないと主張している。中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まれば、原油価格が高騰しても、予想インフレ率はそこまで変わらない可能性がある(ブランシャール&ガリの二人は、そのような証拠を見出している)。原油価格の高騰にもかかわらず、予想インフレ率が安定しているようであれば、原油価格の高騰がコアCPIや生産量に及ぼす影響は小さくなると考えられるのだ。ただし、彼らも述べているように、荒削りな面が多分にあるモデルから得られた結論とのことなので、あまり重視し過ぎないほうがいいだろう。

実証的な裏付けのある二つの興味深い要因に言及しているのがキリアンだ(Kilian 2007)。いずれの要因も国際貿易と深い関わりがある。まず一つ目の要因は、おそらくはかつての2度にわたるオイルショック(「OPEC I」と「OPEC II」)がきっかけとなって、1973年以降にアメリカ国内の自動車産業で構造転換が進んだことである。小型で燃費の良い車を手に入れようと思ったら、かつては海外から輸入するしかなかったが、今では国内でも大量に製造されるようになっている。その結果として、原油価格が高騰しても、国産車への需要がかつてほど落ち込むことはなくなったのである(これまでの小型化・低燃費化の流れに逆行するかのようにして、SUV車が流行しているが、自動車産業もアメリカ経済もその代償を今になって支払わされているわけだ)。さらには、1970年代に比べると、自動車産業がアメリカ経済全体に占めるシェアもずっと小さくなっていて、このこともオイルショックの影響が弱まってきている理由の一つとなっている。

キリアンが指摘している二つの目の要因は、原油価格の高騰をもたらしたそもそもの原因に関わるものである。2002年~2008年にかけて原油価格が高騰した理由は、(1970年代のように)世界的に原油の供給が減少したためでもなければ、原油市場に特有のショックが発生したためでもなく、世界経済の堅調な成長に支えられて原油に対する需要が増加したためであるようだ。原油価格の高騰は、その原因の如何を問わず、アメリカのような原油輸入国にとっては「オイルショック」を意味することに変わりはないが、世界経済が堅調な成長を続けているおかげで海外への輸出が増えることになり、その結果として「オイルショック」に伴う負の影響(「オイルショック」に伴う生産の落ち込み)が和らげられる格好となったのである。

結論

まとめるとしよう。「オイルショックの影響が弱まってきているのはなぜか?」という疑問に答えるために長々と探りを入れてきたわけだが、その苦労も無駄ではなかったようだ。無駄ではなかったどころか、豊作だ。答えの候補が数多く列挙されたリストが出来上がったのだから。そのうちのどれか一つが群を抜いているわけではなく、いずれの候補も多かれ少なかれ妥当性を備えているように思われる。スタグフレーションの原因をめぐる「サプライショック説」も依然として定性的には妥当性を失っていないが、定量的にはかつてほど重要ではなくなっている〔訳注;原油価格の高騰に伴って、コアCPIが上昇したり生産量(や雇用量)が落ち込む可能性はあるが、その影響の量的な大きさは限定的ということ〕。よほどの不運や政策上の不手際に見舞われない限りは、食料やエネルギーの価格が高騰したとしても、1970年代や1980年代初頭のように惨憺たる結果が招かれる必然性は最早ないのだ。


<参考文献>

●Barsky, Robert B., and Lutz Kilian. 2002. “Do we really know that oil caused the Great Stagflation? A monetary alternative”, In NBER Macroeconomics Annual 2001, eds. Ben S. Bernanke and Kenneth Rogoff, 137-183.
●Bernanke, Ben S., Mark Gertler, and Mark Watson. 1997. “Systematic monetary policy and the effects of oil price shocks”, Brookings Papers on Economic Activity 1: 91-142.
●Blanchard, Olivier J., and Jordi Gali. 2007. “The macroeconomic effects of oil shocks: Why are the 2000s so different from the 1970s?”, NBER Working Paper no. 13368, September.
●Blinder, Alan S., and Jeremy B. Rudd. 2008. “The supply-shock explanation of the Great Stagflation revisited”, NBER Working Paper no. 14563, December.
●Cecchetti, Stephen G., Peter Hooper, Bruce C. Kasman, Kermit L. Schoenholtz, and Mark W. Watson. 2007. “Understanding the evolving inflation process(pdf)”, US Monetary Policy Forum working paper, July.
●DeLong, J. Bradford. 1997. “America’s peacetime inflation: The 1970s(pdf)”, In Reducing inflation: Motivation and strategy, eds. Christina D. Romer and David H. Romer, 247-280. Chicago: University of Chicago Press.
●Hooker, Mark A. 1996. “What happened to the oil price-macroeconomy relationship?”, Journal of Monetary Economics 38 (October): 195-213.
●Hooker, Mark A. 2002. “Are oil shocks inflationary? Asymmetric and nonlinear specifications versus changes in regime”, Journal of Money, Credit, and Banking 34 (May): 540-561.
●Kilian, Lutz. 2007. “The economic effects of energy price shocks(pdf)”, University of Michigan, October. Mimeo.
●Nordhaus, William D. 2007. “Who’s afraid of a big bad oil shock?”, Brookings Papers on Economic Activity 2: 219-240.