2013年3月7日木曜日

The Economist 「メディア・バイアスの経済学 ~ニュースにバイアスが生じるワケ~」

The Economist, “A biased market”(October 30, 2008)
ニュースに散見される歪み(バイアス)はメディア界が機能不全に陥っているサインだと見なされる傾向にあるが、実際のところは健全な競争が働いているサインであるのかもしれない。
つい最近のことだが、バラク・オバマ(Barack Obama)がニューヨーク・タイムズ・マガジンのライターに対して次のように語っている。仮にフォックス・ニュース-右翼系のテレビ局-が存在しなければ、来る大統領選での私の得票率は2~3%ポイントくらい上昇することになるかもしれない、と。一方で、共和党の副大統領候補であるサラ・ペイリン(Sarah Palin)もここぞとばかりに「リベラルなメディア」が抱えるバイアスを取り上げてそれに激しい口撃を加えている。メディアの偏向報道を問題視する様はすっかりアメリカ政治に定着した感がある。しかし、ニュースの報道の仕方に(新聞社やテレビ局ごとに)そのような違いが生じる理由はどうしてなのか、と立ち止まって思いを巡らす人はほとんどいないようである。

ニュースにバイアスが生じるのはサプライサイド(ニュースを伝える側)の問題だ、と見なすことができるかもしれない。つまり、テレビ局や新聞社のオーナーやそこで働く従業員が抱く政治的な見解(イデオロギー)が新聞や報道番組で伝えられるニュースに歪みを生じさせる、という見方である。しかし、この見方は、読者や視聴者は(伝えられる)情報の正確さを重視する、との想定と対立することになる。というのも、もし読者や視聴者が情報の正確さを重視するのだとすれば、メディア間での競争によって、一貫して(右寄り・左寄りどちらの方向であれ)歪んだ情報を伝える報道機関は(読者や視聴者からそっぽを向かれることで)経営的に痛手を被ることになるはずだからである。アメリカのメディア市場では自由な競争が行われていることを考えると、ここアメリカにおいてニュースにバイアスが散見される背後では何か別の要因が働いている可能性が示唆されることになる。

競争の激しいメディア市場でニュースにバイアスが散見されるのはなぜなのかを理解するためには、読者(ニュースの受け手)が実際に欲しているのは何か、という点についてもっと明確に考えることがキーとなるかもしれない(訳注;ディマンドサイド(ニュースの受け手側)に目を向ける必要があるかもしれない)。ともにハーバード大学の経済学者であるSendhil MullainathanとAndrei Shleiferは有名な論文(“The Market for News(pdf)”, American Economic Review, September 2005)の中で次のように主張している。人々が情報の正確さだけを気にかけると想定するのはナイーブであるかもしれない、と。その代わりに、彼らは件の論文の中で、新聞の読者は(情報の正確さを気にかけるだけではなく、それに加えて)記事を読むことで自らの信念が裏付けられる(自分が正しいと信じていることが正当化される)ことも好むと想定し、そのような想定の下でどのような結果がもたらされるかをモデル化している。Mullainathan=Shleiferのモデルによると、読者がそれぞれ異なる信念を持っている限り、メディア間での競争を通じて-歪んだニュースを伝える新聞社が市場から駆逐されるのではなく-新聞社は特定の(バイアスを持った)信念を共有する読者の集団のいずれかを満足させるよう促される(訳注;ある新聞社は右寄りの発想を持った読者グループを満足させるように、他の新聞社は左寄りの発想を持った読者グループを満足させるように、ニュースを報道する)ことが示唆されることになる。ともにシカゴ大学のビジネススクールの経済学者であるMatthew GentzkowとJesse Shapiroはつい最近の論文(“What Drives Media Slant? Evidence from U.S. Daily Newspapers(pdf)”(May 2007);ジャーナル掲載版(pdf))でこのMullainathan=Shleiferの主張を検証している。

その検証を行うためには、まず何より先にニュースの内容が抱える政治的な偏向(political slant)の程度を測定する必要があるが、Gentzkow=Shapiroは実に想像力に富んだ手法でその測定の問題を処理している。コンピュータープログラムを走らせて、議会での討論の様子を分析し、共和党の議員と民主党の議員がそれぞれ頻繁に使用するフレーズを特定したのである。例えば、民主党議員が頻繁に使うフレーズのリストの中には“estate tax”(相続税)という語があるが、同じ問題を論じる際に共和党議員は“death tax”(相続税)という語を使用する傾向にある(これは偶然ではない。Gentzkow=Shapiroはある匿名の共和党スタッフが次のように語っている事実を論文で引用している。党組織はメンバーに“death tax”と発言するよう訓練している。「というのも、‘estate tax’と表現すると富裕層だけが対象であるかのような響きがありますが、‘death tax’と表現すると(富裕層だけではなく)すべての人が対象であるかのように響くからです」、と)。このように党派色のあるフレーズを特定した後に、Gentzkow=Shapiroはアメリカで発行されている400以上の新聞を対象にそういった党派色のあるフレーズがどの程度頻繁に記事の中に紛れ込んでいるかを分析したのであった。こうして個々の新聞が抱える「偏向」(“slant”)の程度-党派色のあるフレーズが新聞記事の中でどの程度使用されているか-を測る正確な指標が得られることになる。

次になすべきことは新聞の読者ごとの政治的な信念を評価することである。そこでGentzkow=Shapiroは、2004年の大統領選における現職のジョージ・ブッシュ(共和党)の得票率に関する地域別のデータと各地域の住民がどの程度頻繁に民主党あるいは共和党と関わりの深い組織に通っているか民主党あるいは共和党と関わりの深い組織に対してどの程度寄付等を通じた支援を行っているかを示す情報をもとにして、新聞が発行されている地域ごとの読者の政治的な信念を明らかにしようと試みたのであった。こうして新聞の発行部数と新聞の偏向の程度、そして読者の政治的な信念との間の関係を探る用意が整ったことになる。

まずはじめに、Gentzkow=Shapiroは、新聞の発行部数が新聞の偏向の程度と読者の政治的信念との近さ(合致の程度)に反応するかどうかという点をめぐって計測を試みている。その結果、「共和党」寄りの新聞は「共和党」寄りのzipコード(郵便番号)の地域において比較的多くの発行部数を誇っていることが明らかとなった。この点はさして驚くことでもないだろうが、新聞の発行部数が読者の政治的信念にどの程度反応するかを計測することによってもっと興味深い計算を行うことが可能となったのであった。つまりは、読者の政治的な信念の分布が与えられた場合に、新聞社にとって利潤の最大化につながる偏向の程度がどの程度であるかを計算することが可能となったのである。そしてGentzkow=Shapiroは、利潤の最大化につながる偏向の程度と実際にそれぞれの新聞が抱える偏向の程度とを比較したのである。

その比較の結果はというと、・・・両者は驚くほど一致しているのであった。つまりは、平均的に見て、各新聞は利潤の最大化につながる偏向の水準から右にも左にもズレない位置取りを行う傾向にあった(訳注;実際に新聞が抱える偏向の程度は利潤の最大化につながる偏向の程度とほぼ変わらないものであった)のである。また、そうなるのも商業的に見て納得のいく理由がある。というのも、Gentzkow=Shapiroのモデルによると、(利潤の最大化につながる)「理想的な」偏向の水準からほんの少しズレるだけでも発行部数は大きく落ち込み、そのため新聞社は大きな利潤の損失を被ることが示されているのである。


Have I got skews for you(私の歪みはあなた方のため)

新聞は政治的な偏向を抱えている、それも経済的に見て合理的な偏向を・・・、ということが示されたからといって、そのことだけからニュースにバイアスが生じる原因が(メディア企業の)オーナーの側(サプライサイド)にあるのか、それとも読者・視聴者の側(ディマンドサイド)にあるのかという疑問に対する回答が得られるわけでは必ずしもない。そこでGentzkow=Shapiroは、大規模なメディア企業が複数の新聞を発行している事実-それも読者の政治的信念が大きく異なる地域で発行している事実-を利用してこの疑問を解き明かそうと試みている。オーナーが同じである複数の新聞の間においての方がランダムに選ばれた2つの新聞の間においてよりもそれぞれの偏向の程度に強い相関があるかどうかを検証したのである。その結果は「ノー」であった。オーナーは新聞が抱える偏向に対して無視できる程度の影響力しか持っていないのである。実際に計測された(新聞が抱える)偏向の5分の1は読者の政治的信念によって説明されるが、オーナーはそれ(新聞が抱える偏向)の説明要因とはならないのである。


ありのままの真実(あるいは、バイアスのない正確な情報)を追い求める人々にとっては以上の発見は何の助けにもならないことだろう。そのような注意深い人々はバイアスにとらわれずに世界を眺めるために複数の新聞に目を通す労をとらねばならない、ということになろう。しかしながら、メディア間での競争は、多種多様な政治的な(信念に関する)ニッチに応じることで、異なるものの見方を代弁・反映することにつながっているとも言える。ともかくも、ペイリンがフォックス・ニュースを批判する手間を掛けることがないように、オバマがニューヨーク・タイムズに対してぶつぶつ不満を漏らすこともないだろう。