2010年4月11日日曜日

Paul De Grauwe 「"通常の景気後退期"における財政政策と"異常な景気後退期"における財政政策」(2010年3月20日)

Paul De Grauwe, “Fiscal policies in “normal” and “abnormal” recessions”(VOX, March 30, 2010)

財政刺激策を継続すべきだろうか? それとも、できるだけ速やかに財政引き締めに転じるべきだろうか? 3タイプの異なるマクロ経済モデル――ケインジアンモデル/ニューケインジアンモデル/リアルビジネスサイクルモデル(リカーディアンモデル)――を比較した上で言えるのは、どのようなタイプの景気後退に直面しているかによって答えが変わるということだ。「通常の景気後退」(“normal recessions”)に直面しているようなら、最も適切な指針を与えてくれるのはニューケインジアンモデルである。その一方で、「異常な景気後退」(“abnormal recessions”)に直面しているようなら、最も適切な指針を与えてくれるのはケインジアンモデルである。

世界的な経済危機が勃発した2008年以降に、政府が抱える財政赤字ならびに公的債務が急速な勢いで膨らんでいる。そんな中で、財政政策に景気を刺激する力があるのかどうかをめぐって活発な論争が繰り広げられている。重要な争点である。論争の行方次第によって、このまま財政刺激策を継続すべきなのか、それともできるだけ速やかに財政刺激策から手を引くべきなのかが決せられるからである。

門外漢の人でも特段驚きはしないだろうが、この問題については経済学者の間で意見が割れている。そのことを明瞭に示しているのが以下の図1である。アメリカ経済に関する異なるマクロ経済モデルから予測される財政政策の乗数効果をサーベイした最近の論文(Cogan et al. 2009)から転載した図で、政府支出が恒久的に1%増えた場合にアメリカの実質GDPに生じる効果の大きさ(乗数の値)について2つの異なるモデル――Romer&BernsteinモデルとSmets&Woutersモデル――から得られる予測が示されている。

Romer&Bernsteinモデルでは、政府支出が増えてから1年後に強力な乗数効果が表れて、乗数の値はその後も高止まりすると予測されている。その一方で、Smets&Woutersモデルでは、政府支出が増えてから4年後に乗数の値が0.4にまで落ち込んで、それ以降は次第にゼロに向けて低下していくと予測されている。


        
図1. 政府支出の1%の恒久的な増加がアメリカの実質GDPに及ぼす効果  
出典:Cogan, et al. (2009)


これら2つのモデルの根本的な違いをもっとわかりやすいかたちで可視化したのが以下の図2である。乗数の値ではなく、政府支出が恒久的に1%増えた場合に実質GDPが辿ると予測される経路が跡付けてある。比較のために、財政刺激策が試みられなかったとしたら実質GDPが辿ると予測される経路(ベースライン)も並べてある。


        
図2. 実質GDPが辿る経路:3つのシナリオ
出典:Cogan, et al. (2009) のデータに基づいて筆者が作成


根本的に異なる経済観

Romer&Bernsteinモデルでは、財政刺激策によって実質GDPが増えると、そのままベースラインを上回る経路に引っ張り上げられることになる。その一方で、Smets&Woutersモデルでは、財政刺激策が試みられても、実質GDPは次第にベースラインに向けて立ち返る傾向にある。背後にある経済観が根本的に異なっているのだ。

Romer&Bernsteinモデルでは、均衡が複数あって、政府が財政刺激策によって経済を別の均衡に誘うのが可能になっている。その一方で、Smets&Woutersモデルでは、均衡が一つしかなくて、財政刺激策が試みられてからしばらくすると、その唯一の均衡に立ち返ることになるのだ。経済観が根本的に異なるこれら2つのモデルからは、財政刺激策から手を引くべきか否かについて異なる回答が返ってくることは言うまでもない。


3タイプのマクロ経済モデル

図2における3つのシナリオにそれぞれ対応するマクロ経済モデルがあって、財政政策の有効性について三者三様の予測を行う。

第1のタイプは、ケインジアンモデルである。Romer&Bersteinモデルもこの仲間だ。ケインジアンモデルでは、財政刺激策によって産出量(実質GDP)の水準が恒久的に高まる。さらには、均衡が複数ある可能性があって、複数ある均衡のうちのいくつかでは雇用量が完全雇用水準に満たない可能性がある。

第2のタイプは、リアルビジネスサイクル(RBC)モデルである。このモデルでは、リカードの中立命題が成り立つと想定されていて――それゆえ、リカーディアンモデルと呼んでもいいだろう――、個々の経済主体は合理的で将来志向(forward looking)であると見なされる。現時点で財政赤字が拡大すると、そのうち増税されることを見越して行動するわけである。将来の税負担がどれくらい増えるかを現時点の価値に割り引いて計算して、それと同じ額だけ(将来の増税に備えて)今のうちに貯蓄を増やすわけである。それゆえ、リカーディアンモデルでは、財政刺激策を試みても、民間の経済主体が貯蓄を増やすのでその効果が完全に相殺されてしまう。乗数の値がゼロになるのだ。財政刺激策を試みても、実質GDPがベースラインから離れないのだ。

第3のタイプは、ニューケインジアンモデルである。Smets&Woutersモデルもこの仲間だ。ニューケインジアンモデルでは、財政刺激策が産出量(実質GDP)の水準を高める効果は長続きしない。財政刺激策が試みられた直後は、産出量にケインジアンモデルと非常に似た効果が生じる。しかしながら、リカーディアンモデルと同様に、合理的で将来志向の民間の経済主体が将来の増税に備えて貯蓄を増やす――それに伴って、民間消費と民間投資が減少する――ので、乗数の値が徐々に小さくなって、産出量が次第にベースラインに立ち返ることになる。産出量がベースラインに立ち返るまでにリカーディアンモデルよりも長い時間がかかるが、その理由は名目賃金や名目価格が硬直的なためである。現在の「最先端」のマクロ経済モデルの大半は、ニューケインジアンモデルに属していて、そのいずれもがSmets&Woutersモデルと似た特徴を備えている(Cwik&Wieland 2009)。

これまでの説明からも窺い知れるだろうが、ケインジアンモデルとニューケインジアンモデルの違いの方が、リカーディアンモデルとニューケインジアンモデルの違いよりも根本的だと言えよう。

ケインジアンモデルでは、産出量が長期的な均衡に自動的に引き戻されることはない。だからこそ、財政刺激策が産出量に及ぼす効果が持続する可能性があるのだ。それに対して、ニューケインジアンモデル――ならびに、リカーディアンモデル――は、大違いの経済観に立っている。ニューケインジアンモデルでは、財政刺激策が試みられると、金利、価格、賃金が変化して、それに伴って民間消費や民間投資がクラウドアウトされる(減少する)。その結果として、産出量が長期的な均衡に引き戻されることになる。リカーディアンモデルでは、産出量があっという間に長期的な均衡に引き戻される。ニューケインジアンモデルでは、賃金や価格が硬直的なせいで、産出量が長期的な均衡に引き戻されるまでに時間がかかる。そういう違いはあるが、ニューケインジアンモデルとリカーディアンモデルは基本的に同じ構造を共有しているのだ。


最も適切なマクロ経済モデルはどれ?

「通常の景気後退」(“normal recessions”)に直面しているようなら、最も適切な指針を与えてくれそうなのはニューケインジアンモデルで、「異常な景気後退」(“abnormal recessions”)に直面しているようなら、最も適切な指針を与えくれそうなのはケインジアンモデルだ。ニューケインジアンモデルを含む均衡モデルは、「通常の景気後退」を理解するのに役に立つ。「通常の景気後退」であれば、調整メカニズムが働く――例えば、金利や価格が変化するおかげで長期的な均衡に引き戻される――からである。ニューケインジアンモデルを含む均衡モデルは、産出量を長期的な均衡に引き戻すのに財政政策がどれくらい助けになるかを理解するヒントをくれるだろう。例えば、ネガティブな需要ショック(総需要の収縮)が生じたとしよう。ニューケインジアンモデルによると、産出量が落ち込むのは一時的で、産出量はそのうち長期的な均衡に立ち返ることになるだろう。しかしながら、産出量が長期的な均衡に立ち返るまでにはしばらく時間がかかるだろう。財政刺激策に乗り出せば、産出量が長期的な均衡に立ち返るまでの時間を縮めることができる。どれくらい短縮できそうかを知るためにも、乗数の値を把握しておくのが重要になってくる。ニューケインジアンモデルの予測によると、財政刺激策が試みられた直後は乗数の値は1くらいで、その後は急速に低下することになる。「通常の景気後退」に直面しているようなら財政政策は役に立つ可能性があるが、やり過ぎないように注意せよというのがニューケインジアンモデルの教えである。さらには、「出口戦略」(“exit strategy”)は急ピッチで進めろというのもニューケインジアンモデルの教えである。


「通常の景気後退」か? それとも「異常な景気後退」か?

我々が今まさに直面しているのは「通常の景気後退」ではないだろう。なぜそう言えるのかを説明するために、3種類のデフレスパイラル(deflationary spirals)を区別するとしよう。いずれも今回の危機の最中にその牙をむいたのだ。

  • ケインジアン流の「貯蓄のパラドックス」:多くの人が一斉に自信を失って――「集合的な自信の喪失」――、こぞって貯蓄に励む。そのせいで産出量が落ち込む。
  • フィッシャー流の「デット・デフレーション」: 誰もが疑心暗鬼になって――「集合的な不信」――、こぞって債務の削減を試みる。資産が一斉に売られるせいで、資産の価格が低下する。資産の価格が低下するせいで、バランスシートが毀損する(資産額から負債額を差し引いた純資産額が縮小する)。そのせいで、さらに資産の売却が試みられる。
  • 銀行信用デフレーション:民間の銀行が突如としてリスクを嫌い、一斉に貸し出しを抑制する。そのせいで、貸出債権のリスク(貸し倒れリスク)が高まる。

これら3種類のデフレスパイラルは、同じ構造を共有している。個々の行動(貯蓄、債務の削減、貸出の抑制)が「負の外部性」を生むせいで、自滅的な結果を招くことになるのだ。いずれのデフレスパイラルも、集合的な不安/集合的な不信/集合的なリスク回避がきっかけで引き起こされる。みんなで一致団結しようにもコストがかかってそう簡単にはいかないため、負の外部性を内部化することができない。「コーディネーションの失敗」が生じて、悪い結果を避けられないのだ(この点について詳しくは、Cooper&John (1988) を参照せよ)。 

大勢の信念が共鳴する――言い換えれば、「アニマルスピリッツ」(Akerlof&Shiller 2009)が伝播する――せいで引き起こされる「市場の失敗」の例だと言える。大勢の信念が共鳴しないようなら、市場は一人ひとりの信念をうまく調和させられるだろう。しかしながら、アニマルスピリッツが伝播するようなら、そうはいかない。市場は「良い均衡」(“good equilibrium”)を実現できずに終わるのだ(この点については、Farmer&Guo (1994) も参照せよ)。

同じ構造を共有してはいるが、違いもある。「貯蓄のパラドックス」は、「フローのデフレーション」(“flow deflation”)と呼べるだろう。消費者がフロー(貯蓄)を変えようと試みるせいで起きるからである。その一方で、フィッシャー流の「デット・デフレーション」や銀行信用デフレーションは、「ストックのデフレーション」(“stock deflations”)と呼べるだろう。ストック――債務の水準や銀行信用(貸出)の水準――の調整に伴って起きるからである。「フローのデフレーション」と「ストックのデフレーション」が相互作用し始めると、厄介なことになってしまうのだ。

戦後になってこれまでに起きた「通常の景気後退」においては、「フローのデフレーション」だけがその牙をむいた。家計にしても企業にしても民間銀行にしても、バランスシートの調整にあくせくするようなことはなかったのである。所得や利潤が減るのではないかと悲観的になって、貯蓄に励んだのである。しかしながら、調整メカニズムがちゃっかり働いて、止めどない下降スパイラルに陥らずに済んだのだ。銀行部門が調整メカニズムの一端として重要な役割を果たしたのだ。

「フローのデフレーション」と「ストックのデフレーション」が相互作用して互いに補強し合っているというのが、2007年以降に世界経済が直面することになった問題だ。今回の危機に先立って、民間部門で過剰な債務が積み上げられた。それが原因で「ストックのデフレーション」が強力に牙をむく土壌が形成されたのである。「通常の景気後退」であれば働く調整メカニズムもその機能を発揮しなかった。中央銀行が金利を引き下げたものの、民間の銀行が貸し出しを抑制したために、その恩恵(金利の低下)が消費者や企業にまで及ばなかったのである。

「フローのデフレーション」と「ストックのデフレーション」が相互作用しているのだ。積み上がった過剰な債務を処分するために、家計は債務を減らして貯蓄を増やそうとしている。しかしながら、待っているのは自滅的な結果だろう。貯蓄も増えないし、債務も減らないだろう。そこで、家計はなおさら貯蓄を増やそうとするだろう。預金金利が低下しているのに、民間の銀行が貸出金利を引き下げずにいるのも事態の悪化に手を貸している。今のような状況では、企業も投資を増やそうとするインセンティブを持たないだろう。デフレスパイラルを食い止めるストッパーがどこにも見当たらないのだ(Minsky (1986) および Fazzari, et al.(2008) も参照せよ)。


集合行為を通じた「コーディネーションの失敗」の解決

今のように景気がこんなにも落ち込んでいるのは、「コーディネーションの失敗」の結果である。市場が一人ひとりの行動を調和させるのに失敗して、「良い均衡」を実現できずにいるのだ。

市場によっては解決できなくても、政府が陣頭指揮をとる「集合行為」を通じてなら解決することが原則的には可能な問題だ。景気を回復させるためには、銀行部門の安定化を実現できるかどうかが鍵になる。未だに「流動性の罠」に嵌っている可能性はあるものの、銀行部門はどうにか安定を取り戻したように思える。ケインズ流の「貯蓄のパラドックス」やフィッシャー流の「デット・デフレーション」についてはどうかというと、政府が貯蓄を切り崩す(財政赤字を拡大する)だけでなく、債務(公的債務)を積み増すことによって難を逃れたようである。そのおかげなのだ。民間部門が貯蓄を増やせたのも債務を減らせたのも。「フローのデフレーション」と「ストックのデフレーション」が相互作用して止めどない下降スパイラルに陥るのを回避できたのも。

これまでに述べてきたことが2007年に始まった景気後退のメカニズムを的確に描写できているとしたら、安定的な均衡の存在が想定されているモデルから得られる財政乗数の推計結果はまったくあてにならないことになろう(例えば、Wieland (2009), Cogan et al. (2009), Fatás&Mihov (2009), Hassett (2009) も参照せよ)。政府が財政赤字を拡大して債務(公的債務)を積み増したおかげで、民間部門における「コーディネーションの失敗」が解決されたし、民間の経済主体が望み通りに貯蓄を増やせて債務を減らせたのだ。景気を不安定化させることなく。その「乗数」効果は極めて大きい可能性があるが、具体的な値を推計するのは難しいだろう。


持続不可能な債務?

民間の債務が政府の債務によって置き換えられる――民間部門が債務を圧縮する一方で、財政赤字が拡大して公的債務が積み上がる――のに伴って争点として持ち上がっていてマーケットの関心事にもなっているのが、公的債務の持続可能性の問題である。公的債務の持続可能性に疑問符がつくようなら、政府はできるだけ速やかに出口戦略に乗り出す(財政引き締めに転じる)べきということになろう。しかしながら、この件については、民間の債務の持続可能性の問題と切り離して論じるわけにはいかないのだ。 

民間の債務の水準がまだ過剰で、民間の経済主体が今後も債務の圧縮を継続しなければならないようなら、政府ができるだけ速やかに出口戦略に乗り出すべきだとは言い切れない。出口戦略のタイミングを間違えて先走ってしまうと、その代償として民間の債務が持続不可能な水準にまで膨れ上がってしまって、新たにデフレスパイラルが引き起こされるだろうからだ。

民間の債務が現段階で持続可能な水準にあるかどうかが肝心なのだ。民間の債務が持続可能な水準にあって、政府が財政赤字と債務(公的債務)を減らそうとしてもデフレスパイラルに陥る恐れがないかどうかが肝心なのだ。残念ながら、今の段階でこの問いに答えを出すのは難しい。民間の債務が持続可能かどうかを見極めるのは難題だからである。フィッシャー流の「デット・デフレーション」のメカニズムを思い起こしてもらいたいが、誰かしらが負っている債務の持続可能性は他の誰かの行動に依存しているのだ。外部性が存在するからこそ、債務が持続可能かどうかを見極めるのはいつだって難しいのだ。


<参考文献>


●Akerlof, George, and Robert Shiller (2009), Animal Spirits: How Human Psychology Drives the Economy and Why It Matters for Global Capitalism, Princeton University Press, 264.
●Cogan, John, Tobias Cwik, John B Taylor and Volker Wieland (2009), “New Keynesian versus Old Keynesian Government Spending Multipliers”, CEPR Discussion Paper 7236, March.
●Cwik, Tobias, and Volker Wieland (2009), “Keynesian Government Spending Multipliers and Spillovers in the Euro Area”, CEPR Discussion Paper 7389.
●Cooper, Russell W and John, Andrew (1988), “Coordinating coordination failures in Keynesian models”, Quarterly Journal of Economics, 103:441-463.
●Farmer, Roger and Jang-Ting Guo (1994), “Real Business Cycles and the Animal Spirits Hypothesis”, Journal of Economic Theory, 63, 42-73.
●Fatás, Antonio and Illian Mihov (2009), “Why Fiscal Stimulus is Likely to Work”, International Finance 12:1, Spring.
●Fazzari, Stevan, Pierro Ferri and Edward Greenberg (2008), “Cash flow, investment, and Keynes–Minsky cycles”, Journal of Economic Behavior and Organization, 65:555–572.
●Fisher, Irving (1933), “The Debt-Deflation Theory of Great Depressions(pdf)”, Econometrica, 1:337-57, October.
●Leijonhuvud, Axel (1973), “Effective demand failures”, Swedish Journal of Economics, 75:27-48.
●Minsky, Hyman (1986), Stabilizing an Unstable Economy, McGraw Hill, 395pp.
●Reinhart, Carmen and Kenneth Rogoff (2009), “The Aftermath of Financial Crises”, NBER Working Paper 14656.
●Smets, Frank and Raf Wouters (2007), “Shocks and Frictions in US Business Cycles: A Bayesian DSGE Approach”, American Economic Review 97, 3: 506-606.
●Wieland, Volker (2009), “The fiscal stimulus debate: “Bone-headed” and “Neanderthal”?”, VoxEU.org, 31 March.

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