2010年4月11日日曜日

Daniel Leigh 「目標インフレ率は4%に引き上げられるべきか?」

Daniel Leigh, “A 4% inflation target?”(VOX, March 9, 2010)
深刻な不況期に名目金利の引き下げ余地をできるだけ確保するためにも、中央銀行は4%のインフレ率を目標にすべきだとの提言をIMFのチーフエコノミストであるオリヴィエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)が行っている。まさにその通りだ。日本銀行が4%のインフレ率を目標に掲げていたとしたら、日本経済が “失われた10年”(“Lost Decade”)の間に喪失することになった産出量の規模を半分に抑えることができていた可能性があるのだ。

金融政策は何よりも先に低インフレ――例えば、1~2%程度のインフレ率――の達成を心掛けるべきだというのが、セントラルバンカーの世界における通念(conventional wisdom)となっている。例えば、1996年に世界中のセントラルバンカーが一堂に会したジャクソンホールカンファレンスでは、「低位のあるいはゼロ%のインフレ率の達成を金融政策の長期的な目標に据えるべきだとの総意」が得られている(Kahn 1996)。CPI(消費者物価指数)が抱える上方バイアス(測定誤差)を考慮すると、「真の」インフレ率がゼロ%になるのは、CPIで測ったインフレ率が1~2%の場合ということになろう(Wynn and Rodriguez-Palenzuela 2002)。

ところで、世界金融危機のあおりを受けた国の中には、名目金利をこれ以上引き下げられない事態に追い込まれたケースが散見された。そういった国では低インフレの達成が目標に掲げられているが、望ましい名目金利がゼロ%を下回ったケースもいくつかある。例えば、米国経済を対象にしたRudebusch (2009) の推計によると、テイラールールから導かれる望ましいFF金利(フェデラルファンド金利)の水準は、2009年時点だとマイナス4%以下――ゼロ下限制約のずっと下――との結論が得られている。名目金利をゼロ%以下に引き下げることはできないわけだが、もしも実際よりもずっと高めのインフレ率が目標に掲げられていたとしたら、どうなっていたろうか? 中央銀行の手に万能薬が授けられることになっていたろうか?


「名目金利の引き下げ余地」(“room to cut”)の効能に関する最新の研究

つい最近のことだが、IMFのチーフエコノミストであるオリヴィエ・ブランシャールとその同僚らが、インフレ率の目標値を4%に引き上げてみてはどうだろうかと提言している(Blanchard et al. 2010)。少し前になるが、もしも日本銀行が4%のインフレ率を目標に掲げていたとしたら、日本経済のパフォーマンスにいくらか違いが生まれていたかどうかを私なりに検討してみたことがある(Leigh 2009)。日本経済は、1990年代中頃に政策金利がゼロ%の下限に達した後に、「失われた10年」(“Lost Decade”)を経験することになったわけだが、「日本銀行が4%のインフレ率を目標に掲げていたとしたら、どんな結果が待ち受けていたろうか?」という反実仮想的な問いへの答えを得るために、日本経済のデータから推計された標準的なDSGE(動学的確率的一般均衡)モデルの助けを借りてシミュレーションを試みてみたのだ。そのシミュレーションを通じて得られた発見は、3つある。

第1の発見;「日本銀行は、1990年代前半に大いなる過ちを犯した」というのが大方の見方だが、1990年代前半における日本銀行の政策は、決して異端(unorthodox)と呼べるようなものではなかったようだ。モデルから得られた推計結果によると、当時の日本銀行は、標準的なテイラールールに従って政策金利を調整していた可能性が示唆されているのだ。どうやら1%のインフレ率が暗黙の目標となっていたようで、インフレ率の安定化に重きを置いて――インフレ率を1%に落ち着かせることを最優先して――政策金利が上げ下げされていたようなのだ。実際の政策金利の推移と、モデルから推計された政策金利の推移を並べて掲げたのが図1だが、1990年代前半においては、実際の政策金利がモデルの推計値をなぞっていることがわかる。

図1.日本経済:モデルから推計された政策金利(実線)と実際の政策金利(点線)

第2の発見;反実仮想的なシミュレーションの結果によると、日本銀行が4%のインフレ率を目標に掲げていたとしたら、名目金利のゼロ下限制約を回避できていた(名目金利の引き下げ余地が広がっていた)可能性が示唆されている。しかしながら、名目金利の引き下げ余地が広がるだけでは、産出量(GDP)の大きな改善にはつながらない。日本銀行が産出量の安定化――GDPギャップ(現実のGDPと潜在GDPの乖離)の縮小――に積極的にならない限りは、名目金利の引き下げ余地が広がってもその機会が存分に活用されることはない。インフレ率の目標値が4%に引き上げられると予想インフレ率が高まり、それに伴って実質金利が低下することになる。そのおかげで産出量が刺激されることなるが、その効果は長続きしない(図2を参照)。

図2.日本経済:目標インフレ率4%;実際(実線)と反実仮想(点線)

第3の発見;日本銀行がインフレ率の目標値を引き上げるだけでなく、産出量の安定化――GDPギャップの縮小――にも積極的に取り組んでいたとしたら、日本経済のパフォーマンスは大きく改善していた可能性がある。シミュレーションの結果によると、インフレ率の目標値が4%に引き上げられるのに加えて、日本銀行が産出量の安定化――GDPギャップの縮小――に積極的に取り組んでいたとしたら、日本経済が「失われた10年」の間に喪失することになった産出量の規模を半分に抑えることができていた可能性があるのだ(図3を参照)。

図3.日本経済:目標インフレ率4%+産出量の安定化に重きを置いた政策運営;実際(実線)と反実仮想(点線)



1990年代の日本経済の経験から得られる教訓

次なる「失われた10年」に陥らずに済む手助けをするために、金融政策にできることと言えば何があるだろうか? 日本と経済構造が似ていて、襲われるショックの種類も似ている国の中央銀行に対しては、以下の2つの政策変更が求められることになろう。
  • 名目金利の引き下げ余地をできるだけ確保するために、インフレ率の目標値を引き上げるべし。
私の研究では、インフレ率の目標値が4%に引き上げられるケースに狙いが定められている。4%というのは、先進国で目下のところ受け入れられている規範(norm)と比べると、ずいぶんと高めではある。しかし、マクロ経済に大きな混乱を招くほどの高さではない。ここで、あえて指摘しておきたい事実がある。1980年代前半にFRB議長を務めていて、タカ派で知られたポール・ヴォルカー(Paul Volcker)が、インフレ率が「4%」近辺で安定するやいなや「勝利を宣言した」という事実がそれだ(Tobin 2002)。
  • 産出量の安定化――GDPギャップの縮小――に積極的になるべし。
中央銀行の法的な責務の範囲を広げて、中央銀行がインフレ率の安定化――インフレ目標の達成――だけでなく、産出量の安定化――GDPギャップの縮小――にも積極的に取り組むようになれば、次なる「失われた10年」に陥らずに済む助けとなるだろう。

ところで、現在の日本経済は、大きな挑戦に直面している。10年に及ぶマイルドなデフレーションを経験した後に、さらなるデフレ圧力に晒されているのだ。おそらくは、「失われた10年」に陥るのを避ける以上に厄介な挑戦であると言えよう。


<参考文献>

〇Blanchard, Olivier, Giovanni Dell’Ariccia, and Paolo Mauro (2010), “Rethinking Macro Policy”(拙訳はこちら), VoxEU.org, 16 February.
〇Eggertsson, Gauti (2006), “The Deflation Bias and Committing to Being Irresponsible”(ワーキングペーパー版はこちら(pdf)), Journal of Money, Credit and Banking, 38(2), pp. 283-321, March.
〇Eggertsson, Gauti (2008), “Great Expectations and the End of the Depression(pdf)”, American Economic Review, 2008: 90(4).
〇Kahn, George A., 1996, “Achieving Price Stability: a Summary of the Bank's 1996 Symposium(pdf)”, Economic Review, Fourth Quarter 1996, Federal Reserve Bank of Kansas City.
〇Leigh, Daniel, 2009, “Monetary Policy and the Lost Decade: Lessons from Japan(pdf)”, IMF Working Paper 09/232.
〇Rudebusch, Glenn D (2009), “The Fed's Monetary Policy Response to the Current Crisis”, Federal Reserve Bank of San Francisco Economic Letter Number 2009-17.
〇Tobin, James (2002), “Monetary policy”, in: Henderson, D R (ed.), The Concise Encyclopedia of Economics, Liberty Fund Inc., Indianapolis.
〇Wynne, Mark A and Diego Rodriguez-Palenzuela (2002), “Measurement bias in the HICP: What do we know, and what do we need to know?(pdf)”, European Central Bank Working Paper Series, 131.

0 件のコメント:

コメントを投稿