2012年7月30日月曜日

Richard Ebeling 「ヴィンセント・オストローム ~自由と連邦主義の擁護者~」

Richard M. Ebeling, “Vincent Ostrom (1919-2012): Political Philosopher of Freedom and Federalism”(In Defense of Capitalism & Human Progress, July 1, 2012)


2012年6月29日金曜日、政治学者であるヴィンセント・オストローム(Vincent Ostrom)がこの世を去った。齢92歳であった。オストロームはアメリカにおける立憲上の連邦主義(アメリカ憲法に体現された連邦主義)(American constitutional federalism)の構造とその内容に関する指導的な専門家の一人であった。1919年にこの世に生を受け、1950年にUCLAから政治学の博士号を取得、1964年にインディアナ大学に移り、そこで妻であるエリノア・オストローム(Elinor Ostrom)――2009年のノーベル経済学賞の受賞者であり、夫が亡くなるおよそ3週間前に78歳でこの世を去った――とともに「政治理論と政策分析に関するワークショップ」(Workshop in Political Theory and Policy Analysis)を立ち上げている。

アメリカの立憲的な秩序の解剖に取り組んだ偉大なる業績 『The Political Theory of a Compound Republic』(1971, 2nd ed., 1987)は、 「フェデラリスト・ペーパー」(“The Federalist Papers”)の念入りな注釈を通じて、「自己統治」(“self-governing” )の概念とそのユニークな特徴を理解・解釈しようと試みた傑作である。このテーマはその後 『The Meaning of American Federalism: Constituting a Self-Governing Society』(1991)に収録されたエッセイでさらなる検討に付され、様々な方向に拡張されている。

私見によれば、彼の真の代表作は 『The Meaning of Democracy and the Vulnerability of Democracies: A Response to Tocqueville’s Challenge』(1997)である。本書は、政治哲学、経済学、社会学、歴史、社会における言語理論(訳注;社会言語学か?)(the theory of language in society)とが見事に融合された学際的な業績である。この本で彼は、自由な社会が存続するためには――ヴィルヘルム・レプケ(Wilhelm Roepke)の表現を借りれば――「需要と供給の彼方」( “beyond supply and demand”)にまで乗り出す必要があることを示している。

自由な民主主義社会(The free democratic society)は選挙や立法手続き(legislative procedures)ないしは成文憲法ですべてが尽くされるわけではない。自由な民主主義社会は――オストロームが好んで引用したアレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)の表現を借りれば――「心の習慣」(“habits of the heart” )や「精神の特徴」(“character of the mind”)に基づいている。つまりは、社会の構成員の間で「共有された意味の構造」(“structures of shared meaning”)から成る広大なネットワークに依存しているのである。自己統治に基づく社会秩序というのは、社会を構成する個々のメンバーが自分自身そして他者をどう捉えるかという点に依存するかたちで立ち現れてくるものなのだ。(訳注;自己統治が可能となりそれが存続するためには)社会の構成員の間で人間の価値の意味や個々人の尊厳に対して共同の信頼が置かれねばならず、一人ひとりが持つ夢や願望(wish)、望み(hope)、価値観の違い(人間の多様性)を尊重しそれを寛容に受け入れる態度が共有されねばならないのである。

とりわけ重要であるのは、社会の構成員の間で信念の体系(belief-system)――オストロームが強調しているように、信念の体系が社会の構成員の思考法(自分自身や他者をどのようなものとして考えるか)をある方向に導くためには、人々が使用する言語の中に埋め込まれねばならない――が共有されねばならない点である。自己統治を可能とする信念の体系はある発想、つまりは、暴力や抑圧、操作、欺瞞、腐敗(腐敗(corruption)の中には社会的・政治的な討論の場で使用される言語の転化も含まれる)に依らずとも、社会の構成員が共同の利益の促進に向けて平穏かつ協働して結集・協力する方法を見い出すことは可能だし望ましくもある、との発想に基づいている。

オストロームが強調しているように、自己統治は政治的な民主主義プロセスの場においてのみ意味を持ったり実現したりするわけではない。自己統治や「民主主義の精神」(“spirit of democracy”)はもっと広範なものであって、政治的な民主主義プロセスの場で実現する自己統治はその一部が表出したに過ぎないのである。民主主義的な統治の性格やその善し悪しは、自由な結社から成る自由な社会に生きる自由な個人によって協働的な自己統治の発想が安定的・持続的に共有されるかどうかで変容するのである。

自己統治に基づく社会秩序が抱える脆弱性の一つは、世代を超えて受け継がれ得るような「自己統治の遺伝子」(“self-governance gene” )など存在しない点にある。自己統治に基づく社会秩序は、新たな世代ごとに学ばれ適応されねばならず、それを支える「心の習慣」や「精神の特徴」が更新されることがなければ弱体化し最悪の場合は崩れ去ってしまう類のものなのである。

エドワード・シルズ(Edward Shils)が『Tradition』(1981)の中で指摘しているように、社会の伝統や慣習は三世代――子供と親と祖父母――が重なり合う(オーバーラップする)場合においてのみ保存され得る。三世代が重なり合うことで、知恵(wisdom)や洞察、理解、信念――これらは経験と内省を通じてのみ得られるものである――が若い世代に受け継がれる可能性が生じることになるのである。

ただし、慣習や伝統は永遠に「不変」(“frozen”)というわけではない。慣習や伝統は世代ごとに変化し修正されていく。しかしながら、その変化は「心の習慣」や「精神の特徴」が世代を超えて共有されることを通じて生じるのである。

オストロームは、自己統治に基づく社会の存続や繁栄が依って立つ「心の習慣」や「精神の特徴」が失われつつあるのではないか、と警告を発していた。介入的な国家・福祉国家の規模とコントロールが拡大することを通じてパターナリズムや社会工学を支持するメンタリティが広まり、それと引き換えに自己統治を可能とする「心の習慣」や「精神の特徴」が失われつつあるのである。

自由の言語(The language of liberty)――自由で自己統治を体現した人々の言語――が失われつつあるのだ。我々は、言語を通じて、自分自身について、他者との関係の在り方について、社会秩序一般について思考する存在なのである。

ナチ時代を生き抜いたユダヤ系のドイツ人であるヴィクトール・クレンペラー(Victor Klemperer)は戦後に一冊の本――『The Language of the Third Reich』――を執筆している。彼はその本の中で、ナチ・ドイツでは事実上誰もが皆ナチであった――自らを国家社会主義者と見なすかどうかにかかわらず。そして体制から虐げられた多くの者(ユダヤ系ドイツ人も含む)もまたそうであった――、と主張している。

なぜか? ナチの支配者らが流布したアイデアやイデオロギーによって人々の思考や信念が囚われ、それに対する適応が生じたためである。当時ナチ・ドイツに生きた人々は人生やモラルについて違った仕方で考えること、つまりは、人間や「人種」(“race”)、社会に関するナチ流の概念を反映する言語や政治的なフレーズから独立した思考を行うことに困難を感じたのである。クレンペラーが示唆しているように、ヒットラーの国家社会主義流の言葉遣いやロジックを通じて思考し行動した結果として、当時の人々はもはや自己統治を体現した存在ではなく体制の奴隷へと化したのであった。

オストロームはその研究を通じて、人々が「他者による統治」に陥ってしまって手遅れになってしまわないように、と警告を発していた。今やあまりにも多くの市民が精神や言語のコントロールに晒されそれに囚われつつある。「給付金(福祉の受給権)」(“entitlement”)、「不労所得」(“unearned income”)、「社会正義」(“social justice”)・・・・。

この先我々は集産主義的な(collectivist)パターナリズムに屈することになるのだろうか? それとも自由の言語や自由のアイデアが守り抜かれることになるのだろうか? その帰結次第でここアメリカを舞台とした自己統治をめぐる偉大なる実験――1830年代にトクヴィルがアメリカを訪れた際に大きな印象を受けた実験――がこのまま続くかどうかが決まるだろう。

ヴィンセント・オストロームの研究は、アメリカで観察される自己統治の性質やそのロジックを説明するにとどまらず、政治権力の分割と分権化を通じて自由を確保しようと試みるアメリカの偉大な実験が人類の歴史上に占めるそのユニークな位置づけを評価するよう促してもいる。その実験が途中で放棄されることにでもなれば悲劇的なまでの損失を意味することとなろう。

オストロームは、それなしでは自由が存続し得ない政治制度と社会的に(社会の構成員の間で)共有されたアイデアとに関する優れた分析を通じて、自由の哲学の深化に貢献する深遠な知的遺産を残すことになったのである。

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<訳者による追記>
 
ヴィンセント・オストロームの思想の全体像を知るにはR.ワグナーによる以下の論文も参考になるかもしれない。
 
● Richard E. Wagner(2005), Self-governance, polycentrism, and federalism: recurring themes in Vincent Ostrom's scholarly oeuvreScienceDirect)”(Journal of Economic Behavior & Organization, Vol.57(2), pp.173-188;こちら(pdf)で論文を閲覧できたり・・・


なお、文中でも触れられているように、ヴィンセント・オストロームの妻であるエリノア・オストロームも夫とほぼ時期を同じくして亡くなっている。エリノア・オストロームの訃報記事としては例えば以下を参照。
 
● Catherine Rampell, “Elinor Ostrom, Winner of Nobel in Economics, Dies at 78”(New York Times, June 12, 2012 )
● Daniel Cole, “Elinor Ostrom obituary”(guardian.co.uk, June 13, 2012)
● Peter Boettke, “Elinor Ostrom (1933-2012)”(Coordination Problem, June 12, 2012)
● Daniel Little, “Ostrom's central idea”(UnderstandingSociety, June 12, 2012)

オストローム夫妻のご冥福をお祈りします。

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