2014年9月19日金曜日

Douglas Irwin 「大恐慌の原因はフランスにもあり?」

Douglas Irwin, “Did France cause the Great Depression?”(VOX,  September 20, 2010)

大恐慌(Great Depression)に関する専門的な研究の多くは大恐慌の深刻さを金本位制と結び付けて論じる傾向にある。これまで経済史家は大恐慌の引き金となった原因としてアメリカによる金融引き締めに着目してきたが、大恐慌の過程でフランスが果たした役割に対しては十分な注目が払われていない。世界全体に存在する金準備のうちフランスが保有する割合は1926年の時点では7%だったが、1932年の時点では27%にまで上昇を見せることになったのである。1930~31年の間に世界全体で物価は30%下落することになったが、そのうちおよそ半分はフランスとアメリカによる大量の金の保蔵(溜め込み)によって説明できる可能性があるのだ。

1930年代に発生した大恐慌(Great Depression)に関する経済学の専門的な研究の多くは、当時の景気後退の長さとその深刻さを金本位制と結び付けて論じる傾向にある。金本位制を採用していた国では為替レートが固定されることになり、そのため危機に対処するために金融政策を自由に運営することができなかったというわけである(詳しくはTemin(1989)やEichengreen(1992)、Bernanke(1995)などを参照のこと)。

しかしながら、1929年から1933年までの期間に金本位制がどうしてあれほどまでのデフレーションを世界規模で引き起こすことになったのかその理由についてははっきりしない面もある。というのも、1920年代から1930年代を通じて世界全体での金準備の量は着実に増え続けていたのである。どうして金本位制は自壊したのか? どうして金本位制はあれほどまでの大激震を世界経済にもたらすことになったのだろうか?


大恐慌に関する標準的な説明

1930年代の大惨事を説明しようと試みる中でこれまで経済史家は中央銀行が採用した政策に着目してきた。大恐慌の起源を巡る標準的な説明によると、1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めこそが大恐慌の引き金となった原因だと語られる傾向にある(Friedman and Schwartz 1963, Hamilton 1987)。1928年初頭にFRBが金利を引き上げたことで他の国々からアメリカへと金が流入することになったが、FRBはそれにあわせて売りオペを行い金の流入を不胎化した。そのためアメリカでは金の流入にもかかわらずマネタリーベースは増えることはなく、その一方で金の流出に見舞われた国々は金融引き締めを余儀なくされることになった。こうして世界経済はデフレショックに見舞われることになり、その影響で通貨危機や銀行パニックが引き起こされ、さらにそれが原因となって物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかる格好となった・・・というわけである。


新たな仮説

しかしながら、そのような(大恐慌に関する)標準的な説明においてはしばしば次の事実が見過ごされている。フランスもアメリカと非常に似通った行動に乗り出していたという事実がそれである。実のところ、フランスはアメリカを上回るスピードで金準備を溜め込むとともにそれ(自国に流入してきた金)を不胎化していたのである(詳しくはJohnson(1997)およびMouré(2002)を参照のこと)。1926年にフランが切り下げられたことも一因となって大量の金がフランスに流入し始めることになるが、その結果フランス銀行が保有する金準備の量は急速な勢いで増大し始めることになった。 以下の図1に示されているように、世界全体の金準備のうちフランスが保有する割合は1926年の時点では7%に過ぎなかったが、1932年には27%にまで上昇することになったのである。

図 1. 世界全体の金準備に占める各国のシェア(アメリカ(青)、フランス(赤)、イギリス(緑))



このようにしてフランスやアメリカに金準備が集中した結果、それ以外の国々は大きなデフレ圧力に晒されることになった。1929年から1931年までの間に(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々は世界全体の金準備のうち8%相当を手放す格好となったわけだが、1928年12月の時点で(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々が保有する(世界全体の金準備に占める)金準備の割合は15%だったことを考えると、そのほとんどを手放すことになったわけである。しかしながら、アメリカとフランスが金の流入を不胎化することがなければこのような(フランスとアメリカへの)金準備の集中も世界経済にとって問題とはならなかったことだろう。アメリカとフランスが金の流入を不胎化しなければ、金の流出に見舞われた国々が金融引き締めを余儀なくされるのと引き換えに、アメリカとフランスでは金の流入に伴って金融緩和が進められることになる。すべての国が古典的な金本位制の「ゲームのルール」に従って行動する場合は当然そうなるはずであったが、戦間期の金本位制においてはすべての国が同意する「ゲームのルール」は確立しておらず、フランスもアメリカもともに金の流入が金融緩和につながらないように金の流入を不胎化していたのである。

フランスによる(金の流入の)不胎化の実態は以下の図2の正貨準備率の推移に表れている。正貨準備率というのは中央銀行債務(銀行券発行残高+当座預金残高)に対する金準備の割合を指しているが、ここでもフランスが辿った進路は他の国と比べて際立っている。フランス銀行の正貨準備率は1928年12月の時点では40%だったが(法律では正貨準備率は最低で35%を満たすよう定められていた)、1932年12月の段階では80%近くにまで上昇しているのだ。1928年から1932年までの間にフランスの金準備は160%も増加したものの、その一方でマネーサプライ(M2)はまったくと言っていいほど変化しなかった。当時の人々の中にはフランスを指して「金の溜池(金の吸引機)」(“gold sink”)と呼ぶ声もあったというが、それももっともなことだと言えるだろう。

図 2. 主要中央銀行の正貨準備率(1928年~1932年)




アメリカとフランス(による金融政策)が世界経済に及ぼしたデフレ圧力はどの程度か?

1928年を基準年として選んだ場合、(不胎化されたことで)未利用のままに置かれている(訳注;金融緩和のために使用可能ではあるが、使用されずにいる)金の量を次のようにして求めることができるだろう。その年(例.1931年)に実際に中央銀行が保有していた金準備の量からその年(例.1931年)の中央銀行債務(マネタリーベース)に1928年時点の正貨準備率を掛け合わせたもの(訳注;その年(例.1931年)の中央銀行債務(マネタリーベース)×1928年時点の正貨準備率=1928年の時点と同じ正貨準備率を維持する上で必要となる金準備の量)を差し引くのである。そのようにして計算された「未利用の金の量」をグラフにしたのが以下の図3であり、世界全体の金ストック(残高)に対する割合として表わされている。

1930年の時点ではアメリカとフランスは両国合わせて世界全体の金ストックのおよそ60%を保有していたわけだが、その同じ年に両国を合わせると世界全体の金ストックの11%を未利用のままに置いていたことになる。1929年と1930年に関してはアメリカとフランスは(金の流入を不胎化し、金を未利用のままに置いておくことで)世界経済に対して同等のデフレ圧力を及ぼしたと考えられるが、1931年と1932年に関してはフランスの方がアメリカよりもずっと大きなデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったと考えられる。そして1928年から1932年までの期間全体で判断すると、フランスはアメリカを上回るデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったということになる。仮に1928年と同じ正貨準備率を維持するつもりであれば、フランスは世界全体の金ストックの13.7%に相当する金を元手に更なる金融緩和に乗り出し得たのであり、アメリカは世界全体の金ストックの11.7%に相当する金を元手に更なる金融緩和に乗り出すことが可能だったのだ。

図 3. 未利用の金の量(1929年~1932年)



物価に及ぼした影響

1752年にデイヴィッド・ヒュームは「貨幣について」(“Of Money”)と題されたエッセイの中で次のように語っている。「硬貨(貨幣)がたんすの中にしまい込まれると、その結果として価格には硬貨がこの世から消滅した場合と同様の効果が生じることになる」。さて、アメリカとフランスが金を未利用のままに置いていたことで世界全体の物価水準にはどのような影響が生じただろうか? 私自身がつい最近行った研究結果によると(Irwin 2010)、世界全体の金ストックが1%だけ増えると世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するとの関係が成り立つことが確認されている。アメリカとフランスを合わせると(1930年の時点では)世界全体の金準備のうち11%が未利用のままに置かれていた(訳注;世界全体の金ストックが11%だけ減少した)格好となるわけであり、それゆえ先の関係に当てはめると世界全体の物価水準をおよそ16%下落させる効果を持ったということになる(訳注;世界全体の金ストックが1%だけ増えると世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するという関係が成り立つとすると、世界全体の金ストックが11%だけ減少した場合は世界全体の物価水準はおよそ16%(=(-11)×1.5)だけ下落するということになる)。1930~31年の間に世界全体で物価は30%下落したわけだが、この単純な計算結果に従うとそのうち(30%のうち)のおよそ半分はFRBとフランス銀行による金融政策によって引き起こされたと結論付けられることになろう(Sumner(1991)は異なる計算手法を通じて同様の結論に達している)。

いったんデフレスパイラルに向けて事態が動き出すと、他の要因が関与してきて物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかることになるというのは確かである。例えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)が指摘したデット・デフレ(債務デフレ)のメカニズムを通じて破産が増え、その結果として銀行の倒産が発生すると(銀行取付などを通じて預金の引き出しが増える結果)現金預金比率が上昇することで貨幣乗数が低下する可能性がある。しかしながら、そういった出来事は当初のデフレショックから独立して発生したものとは見なし得ず、それゆえ物価下落のうち「説明されずに残っている」部分(訳注;30%の物価下落のうち残りの14%(=30-16))についてもその一部はFRBとフランス銀行が間接的に責任を負っていると言えるだろう。

まとめることにしよう。これまで経済史家は大恐慌の引き金となった原因として1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めに着目してきた。しかしながら、世界全体をデフレスパイラルに陥れた元凶ということで言うとフランスが果たした役割にもこれまで以上にずっと大きな注目が払われてしかるべきなのだ。


<参考文献>

●Bernanke, Ben (1995), “The Macroeconomics of the Great Depression: A Comparative Approach(pdf)”, Journal of Money, Credit and Banking, 27:1-28.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Friedman, Milton, and Anna J Schwartz (1963), A Monetary History of the US, 1867-1960, Princeton University Press.
●Hamilton, James (1987), “Monetary Factors in the Great Depression”, Journal of Monetary Economics, 19:145-169.
●Irwin, Douglas A (2010), “Did France Cause the Great Depression?”, NBER Working Paper 16350.
●Johnson, H Clark (1997), Gold, France, and the Great Depression, 1919-1932Yale University Press.
●Mouré, Kenneth (2002), The Gold Standard Illusion: France, the Bank of France, and the International Gold Standard, 1914-1939, Oxford University Press.
●Sumner, Scott (1991), “The Equilibrium Approach to Discretionary Monetary Policy under an International Gold Standard, 1926-1932”, The Manchester School of Economic & Social Studies, 59:378-94.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.

0 件のコメント:

コメントを投稿