経済学の研究者は、自分の論文が引用されることを強く望む。有名大学でポストを得たり、政府に対してアドバイスを送る立場に就けたら、論文の引用数が増える可能性がある。それでは、経済学界で最も名誉ある賞を受賞したら、論文の引用数にどんな影響が及ぶだろうか? ノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞)の授与が開始されたのは1969年。ノーベル経済学賞を受賞したら、論文の引用数がうなぎ登りに増えるに違いないと思うかもしれない。しかしながら、オックスフォード大学とウプサラ大学に籍を置く三人の研究者の共著論文によると、どうもそういうわけではないようだ。
デジタルライブラリーである JSTOR が提供するサービスを利用して、ノーベル経済学賞の受賞者各人ごとに論文の引用数をカウント。ノーベル経済学賞を受賞する前と後とで論文の引用数にどんな変化が見られるかが分析されている。対象となっている期間は1930年から2005年までだが、ちょっとした問題がある。1年の間に公表される論文の数が時代が下るにつれて増えているのである。1930年に公表された論文の数よりも、2005年に公表された論文の数の方がずっと多いのだ。そこで、1年間に何回引用されたかを単純に数えるのではなく、その年に公表された論文の総数を基にした指標を作成。その指標の単位は「アロー」(“Arrows”)。1972年にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー(Kenneth Arrow)にちなんでいる。
ノーベル経済学賞を受賞する前と後とで論文の引用数はどのように変化しているのだろうか? 受賞者全体の平均でそのことを跡付けたのが以下の図である。Bassモデルという名で知られている複雑な数学モデルを用いて、ノーベル経済学賞受賞者の(論文の引用数で測った)影響力の変遷が辿られている。
受賞者全体の大まかな傾向としては、キャリアがほぼピークに達したあたりで賞を受賞していることがわかる。受賞者の選考を行うスウェーデン王立科学アカデミーは、安全策をとっているわけだ。ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数は一時的に増えるが、その後は徐々に減っていく傾向にあることも見て取れる。
どうなっているかを個別に見てみるのも面白いだろう。例えば、1976年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマン(Milton Friedman)の場合はどうかというと、受賞者全体の平均的(標準的)なパターンとほとんど同じ変遷を辿っている。ただし、ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数が大きく落ち込むという結果にはなっていない。
アマルティア・セン(Amartya Sen)やフリードリヒ・フォン・ハイエク(Friedrich Von Hayek)は、平均的(標準的)なパターンを辿っていないようだ。アマルティア・センがノーベル経済学賞を受賞したのは1998年だが、その後も革新的な研究成果――その多くは、経済学以外の分野――を発表し続けた。そのことが論文の引用数の変遷にも反映されている。
ハイエクはどうかというと、ノーベル経済学賞を受賞した1974年までの間に、論文の引用数は減少傾向にあった。 しかしながら、ノーベル経済学賞のおかげで待ちに待ったブーストがかかった。イギリスの首相だったマーガレット・サッチャーがハイエクの考えに心酔していたことも手伝って、ハイエクの名は世間にも広く知れ渡ることになった。ノーベル経済学賞を受賞した後に論文の引用数は増え続けたのである。
これらのことが何を意味しているのかとなると、よくわからないというのが論文の執筆者たちの結論である。ノーベル経済学賞を受賞すると、それまでのように論文が引用されなくなってしまうのは、あまりに有名になり過ぎて誰もわざわざ参照しようとしないせいなのかもしれない。個人的な意見を言わせてもらうと、経済学が気紛れな学問であることを表しているのではないかと思う。経済学の世界では、一度流行ったアイデアはすぐに忘れ去られてしまうのかもしれない。経済学の世界で影響力を保ち続けるのは、ノーベル経済学賞という最も名誉ある賞の受賞者でさえも困難なのだ。
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