2013年6月11日火曜日

Benjamin Mandel&Geoffrey Barnes 「予想インフレ率を測るための新たな指標 ~日本の予想インフレ率を探る~」(2013年4月22日)

Benjamin R. Mandel&Geoffrey Barnes, “Japanese Inflation Expectations, Revisited”(Liberty Street Economics, April 22, 2013


金融政策の成否を測る重要な指標の一つは、予想インフレ率を安定させられるかどうかである。予想インフレ率は実際のインフレ率にも影響を及ぼすし、それゆえにインフレ目標を達成できるかどうかを左右するのだ。このことが特別な意義を持ってくるのが、日本経済である。日本では、CPI(消費者物価指数)で測ったインフレ率が1994年以降に何度かマイナスを記録していて、予想インフレ率が一貫してマイナスにとどまっている(すなわち、デフレの継続が予想されている)と広く信じられているのだ。このエントリーでは、日本における予想インフレ率を測るための新たな指標について説明を加えて、その頑健性をチェックする。購買力平価説に依拠したその指標によると、ここ最近の日本の予想インフレ率は過去3年間におけるピークを大きく上回っているのだ。

背景情報を伝えておくと、日本銀行の政策で最近になって変わったところは、インフレ期待(予想インフレ率)にスポットライトが当てられるようになったことである。去る4月4日に、量的・質的緩和(Quantitative and Qualitative Monetary Easing ;QQE)と呼ばれるプログラム(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕が導入された。マネタリーベースを拡大させるために資産の買い入れ額を劇的に増やすと同時に、満期が長めの資産の買い入れを進めることが誓われたのである。日本国債の利回り(名目金利)はもう既に極めて低いので、量的・質的緩和プログラムの成否は、予想インフレ率が2%――日銀が掲げる「物価安定の目標」――に近いところまで上昇して実質金利が低下するかどうかによって判断されることになるだろう。


予想インフレ率をいかにして測るか:予想インフレ率を測るための既存の指標

日本の予想インフレ率を測るためには、どうしたらいいのだろうか? この件についてはコンセンサスがある。日本の予想インフレ率を測るために頼りになる指標は存在しないというのがそれだ。アメリカの予想インフレ率を測るためによく使われる市場データとしては、普通国債と物価連動国債(TIPS)の利回りの差がある。いわゆるブレーク・イーブン・インフレ率と呼ばれているやつである。他には、インフレスワップと呼ばれる店頭デリバティブのデータも利用されている。その一方で、日本の物価連動国債(JGBi)は、取引量が極めて少なくて、発行残高の大半が近年になって財務省によって買い戻されている。それゆえに、物価連動国債の利回りから日本の予想インフレ率について頼りになる情報が得られるかというと、疑わしい。インフレスワップについても市場の厚みの面で物価連動国債と同様の問題を抱えている。 

予想インフレ率を測るための別の指標としては、 家計、投資家、経済予測の専門家らに対するアンケート調査がある。しかしながら、アンケート調査での回答はバックワードになりやすい(過去に引きずられやすい)かもしれない。回答が将来的なインフレ予測(将来的にインフレがどうなりそうか)を反映するよりも、実際のインフレ(最近のインフレがどうだったか)に強く影響される可能性があるのである。ちなみに、市場データに基づく指標――ブレーク・イーブン・インフレ率(紫色の実線)&インフレスワップ(赤色の実線)――と、アンケート調査に基づく指標――日経クイックサーベイ(青色の実線)&日銀による生活意識に関するアンケート調査(緑色の実線)――の推移を表しているのが以下のチャートである。ここ最近になって、5年先、10年先の予想インフレ率を測る指標がいずれも1%近辺に集まっていることがわかる。しかしながら、既に指摘したように、多くのアナリストは、これらの指標から予想インフレ率の符号の向きですら正確に知れるかどうかについて覚束なく感じているのである。




購買力平価説に依拠した予想インフレ率の指標:予想インフレ率を測るための新たな指標

そんなわけで、市場データに基づく別の指標にスポットを当てることにしよう。アメリカの予想インフレ率――日本に比べると、アメリカでは物価連動国債(TIPS)もインフレスワップも活発に取引されている――と購買力平価説を組み合わせて、日本の予想インフレ率を導き出すのだ。我々が知る範囲では、そのようにして日本の予想インフレ率が推計されることは滅多にないようだが、物価連動国債(JGBi)やインフレスワップに代わる有益な情報源になる可能性がある。例外として、ゴールドマン・サックスによる調査(“The Market Consequences of Exiting Japan’s Liquidity Trap,” Global Economics Weekly 13/05, February 2013)を挙げておこう。ドル円の先物為替レート(30年先)を使って、日本の予想インフレ率が推計されている。

我々が提示する指標は、購買力平価(Purchasing Power Parity;PPP)説に依拠している。購買力平価説によると、任意の二国間の名目為替レートは、その二国の物価水準の比と等しくなると考えられている。これまでの研究によると、購買力平価説は、名目為替レートの長期的な変動をかなりうまく説明できて、とりわけ変化率で見る(相対的PPP)とあてはまりがいいことがわかっている。すなわち、日本における物価水準の期待変化率(≒予想インフレ率)は、アメリカにおける物価水準の期待変化率に名目為替レート(ドル円レート)の期待変化率を加えたものに等しくなる〔日本の予想インフレ率=アメリカの予想インフレ率+名目為替レートの期待減価率〕わけである。アメリカの予想インフレ率を測る指標としてアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて、名目為替レートの期待減価率を測る指標としてドル円の先物為替レートを用いるとしよう。

購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の推移を表したのが以下のチャートである。日次データを利用していて、2010年1月以降が対象である。5年先の予想インフレ率が赤色の実線、7年先の予想インフレ率が緑色の実線、10年先の予想インフレ率が紫色の実線で表されている。予想インフレ率にシフトが生じているタイミングを見ると、政策面での変化と関わりがありそうなことが示唆される。過去3年のうちで予想インフレ率がピークに達したのは、政策面でイノベーション(新たな行動)に踏み切られた後だからである。2010年10月に日本銀行は「包括的金融緩和」(pdf)〔日本語版はこちら(pdf)〕に乗り出したが、その後に予想インフレ率が高まっていることが見て取れる。しかしながら、予想インフレ率は2011年の半ば頃までに包括的金融緩和が導入される前の水準にまで戻った。2012年2月に日本銀行は「1%の物価安定の目途」(pdf)〔日本語はこちら(pdf)〕を発表したが、その後に再び予想インフレ率が高まった――包括的金融緩和が導入された後に比べると、軽微な上昇にとどまった――。しかしながら、その数ヶ月後には予想インフレ率は再び元の水準(「1%の物価安定の目途」が発表される前の水準)にまで低下した。最近はどうかというと、2012年9月に安倍晋三が自民党の総裁に選ばれて、同年の12月に新首相の座に就いて「アベノミクス」と呼ばれる政策レジームが始動すると、予想インフレ率が跳ね上がった。以下のチャートによると、「アベノミクス」後の予想インフレ率は、先程触れた過去2回のピークを大きく上回っているのだ。




頑健性のチェック

国のペアを変えて同じ理屈を当てはめてみたら、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標が頑健かどうかをチェックできるだろう。購買力平価説から示唆される日本の予想インフレ率の変動がアメリカと日本の金融市場に特有の事情によって突き動かされているわけではないようなら、ドル円以外の先物為替レートやアメリカ以外のブレーク・イーブン・インフレ率を用いても似たような結果が得られるはずである。アメリカ以外の別の国として真っ先に候補になるのはイギリスだろう。イギリスの物価連動国債の市場は、流動性が比較的高いからである。先のケースと同じように、ポンド円の先物為替レートとイギリスのブレーク・イーブン・インフレ率を用いて日本の予想インフレ率を導き出した結果をまとめたのが以下のチャートである。「日本×イギリス」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.K.-PPP;緑色の実線)に加えて、「日本×アメリカ」のペアから求められる日本の予想インフレ率(U.S.-PPP;赤色の実線)も並記してある。その水準は必ずしも完全に一致しているわけではないが、両者(U.K.-PPP&U.S.-PPP)の相関はかなり高い――相関係数は0.66――。




イギリスのブレーク・イーブン・インフレ率とドルポンドの先物為替レートを用いてアメリカの予想インフレ率を導き出して、それとアメリカのブレーク・イーブン・インフレ率を比較するという手もある。以下のチャートがそれである。購買力平価説から示唆されるアメリカの予想インフレ率が緑色の実線、アメリカのブレーク・イーブン・インフレ率が赤色の実線で表されている。2012年後半の数日を例外として、この2つの指標も相関がかなり高い――相関係数は0.64――。購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、物価連動国債(TIPS)から算出される予想インフレ率の良い近似になっていると言えよう。




要約しよう。購買力平価説に依拠すれば、日本の予想インフレ率を測るための市場データに基づく新たな指標が得られる。その指標は、日本銀行による最近の金融政策面でのイノベーションに極めて敏感に反応しているようである。異なる期間(5年先、7年先、10年先の予想インフレ率)や異なる国のペア(アメリカと日本、イギリスと日本、アメリカとイギリス)でも似たような結果が得られることから判断すると、購買力平価説から示唆される予想インフレ率の指標は、予想インフレ率を測るための頑健で頼りになる指標と言えそうなのだ。

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