2025年6月7日土曜日

Tyler Smith 「大恐慌から抜け出せたのは、金本位制から離脱したおかげか?」(2024年1月23日)

Tyler Smith, “Recovering from economic depressions: Did ending the gold standard help countries escape from the Great Depression?”(Research Highlights, American Economic Association, January 23, 2024)


金本位制からの離脱が1930年代の大恐慌(Great Depression)を終わらせるために必要な第一歩だったというのが多くの経済学者の考えである。そのことを裏付ける何よりの証拠がアメリカの経験である。しかしながら、一つの例あるいは一部の例から一般的な結論を導き出すのは軽率かもしれない。
 
大恐慌から抜け出すのを支えた真因は何だったのか? そのことを探るためにこれまでで最も包括的なデータを使って検証を加えているのが、アメリカン・エコノミック・レビュー誌の2024年1月号に掲載予定のマーティン・エリソン(Martin Ellison)&サン・セオク・リー(Sang Seok Lee)&ケヴィン・オルーク(Kevin Hjortshøj O'Rourke)の三人の共著論文――“The Ends of 27 Big Depressions”(American Economic Review 114 (1): pp. 134–68)――である。27カ国が対象になっていて、最先端のナウキャスティングの手法を使って1500以上の変数について月次ないしは四半期の23万件を超えるデータに分析が加えられている。

金本位制から離脱する前後で物価水準と産出量にどんな変化が生じたかを跡付けたのが、三人の共著論文から転載した以下の図(図11)である。ベルギー、カナダ、デンマーク、エストニア、フィンランド、日本、ニュージーランド、ペルー、南アフリカ、スウェーデン、イギリス、アメリカの計12カ国が対象になっている。いずれも金本位制から離脱した日付がはっきりしている国である。




横軸に直行する垂直線よりも左側が金本位制から離脱する前で、右側が金本位制から離脱した後である。赤色の実線は、アメリカの物価水準と産出量の推移を表している。濃い黒色の実線は、アメリカを除く11カ国の平均値を表している(産出量については、データの制約もあって、ペルー、ニュージーランド、デンマーク、エストニア、フィンランドが除かれている)。

金本位制から離脱するまでは、12カ国すべてで物価水準が下落傾向にあった。金本位制から離脱した後はどうだったかというと、大半の国で物価水準が急速に安定した。多くの国では、産出量も盛り返した。アメリカなんかは特にそうだ。しかしながら、産出量が下落し続けた国もいくつかあった。上の図に照らす限りだと、金本位制から離脱したおかげで産出量にどんな効果が及んだかについて明確な結論は下せない。

金本位制からの離脱がどんな効果を持ったかを推計するために、エリソン&リー&オルークの三人は別の手法も使って分析を加えている。そして、金本位制からの離脱がインフレ期待を喚起して実質金利を低下させたことを見出している。 実質金利が低下したおかげで、景気が回復したというのである。

通貨制度が大きく変わると、インフレ期待が喚起されて総需要が刺激される可能性があるのだ。金本位制からの離脱がその典型例なのだ。

2025年6月5日木曜日

Aaron Steelman 「輸入を称えて」(2003年)

Aaron Steelman, “In Praise of Imports”(Econ Focus, Federal Reserve Bank of Richmond, Winter 2003)


アメリカの歴史を振り返ると、輸入の制限を求める声が絶えない。貿易が自由になると、国内が海外の製品で埋め尽くされて、自国の企業が育たないという意見もある。貿易を制限して戦時において重要になる産業を保護するのは、国防の観点からして国益にかなうという意見もある。

保護主義を求める言い草のどれにも共通しているのは、「完全無欠な世界」とでも呼べるものが想定されていることである。例えば、次のように語られる。「他の国も関税を引き下げるのであれば、我が国が関税を引き下げるのに賛成してもいい」。他にもある。隣国が特定の産業に補助金を与えるのをやめるようなら、自由に貿易するのも結構なことに違いないだろうけど。あるいは、世界中で賃金が同一であるようなら云々。しかしながら、そのような条件は満たされそうにないので、貿易を制限する措置を撤廃するわけにいかないというのである。

「完全無欠な世界」が実現されそうにないからという理由で保護主義を擁護する議論のどこが問題かというと、そもそもどうして貿易を行うのかを誤解しているところだ。消費するためなのだ。「輸入」こそが国際貿易による真の恩恵を生むのだ。 

19世紀のアメリカがどうだったかを振り返ってみるとしよう。当時は、輸入が輸出を上回りがちだった。言い換えると、貿易赤字を抱えがちで、赤字が巨額に上ることもしばしばだった。そのせいでアメリカ経済は打撃を被ったかというと、逆だ。急速に成長したのである。その背後で輸入が重要な役割を果たしたのである。1993年にノーベル経済学賞を受賞したダグラス・ノース(Douglass North)によると、1800年代に「消費財を作るために使われていた生産要素(労働や資本)の多くが運河や鉄道の建設に転用された。海外から消費財が大量に輸入されたおかげで、国内での消費財の生産の落ち込みがある程度相殺された。1850年代になると、鉄道を建設するために使われる鉄が大量に輸入された。・・・(略)・・・海外の資本のおかげで輸入の超過が賄われたし、綿花の生産を増やしたり交通のインフラを整えたりするために資源を振り向けるのが可能になったのである」。

それは今でも同じで、世界中の貧しい国々が海外の製品に国境を開いたら生活水準を高められる可能性がある。貿易が発展途上国にどのような恩恵をもたらすかをワシントン大学に籍を置く経済学者のラッセル・ロバーツ(Russell Roberts)が架空の例を使って説明している。

セントルイスの住民が地元(セントルイス)で生産された品物しか買えなくなったとしたらどうなるかを考えてみるとしよう。農産物を育てる土地を確保するために、あちこちの家を取り壊わさなくてはいけなくなるだろう。生きるために欠かせない品物の生産に注力するために、多くの住民が職を変えないといけなくなるだろう。ロバーツによると、「あれやこれやの変化が相次ぐだろうが、どの変化も生活を貧しくするだろう。これとそっくりなのが最貧国なのだ。国内で自給自足しようとすると、ものすごく高くつくのだ。貿易をすれば、罠から抜けられる。貿易をすると、搾取されるのではなく、自給自足ゆえの貧困から抜けられるのだ」。

1950年代から1980年代にかけて真逆の進路を選んだのが、ラテンアメリカの発展途上国の多くである。工業化を促すために、「輸入代替」政策を採用したのである。そのおかげで国内に工業部門が育ったのは確かである。しかしながら、その代償は大きかった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に籍を置く経済学者のセバスチャン・エドワーズ(Sebastian Edwards)によると、「輸出が落ち込み、為替レートが割高になり、雇用が伸び悩み、保護されている部門における大量の資源――有能な人材も含む――がロビー活動に振り向けられた」。

輸入を制限したせいで「輸出が落ち込んだ」というエドワーズの指摘は、腑に落ちないかもしれない。輸入障壁を高くしても、海外への輸出は増えないまでもこれまでと変わらないんじゃないかと思うかもしれない。しかしながら、なかなかそうはならないのだ。1930年代にそのことに気付いたのがアバ・ラーナー(Abba Lerner)である。ラーナーも主張しているように、 輸入に税金を課すのは、輸出に税金を課すも同然なのだ。

チリとブラジルがその例証になる。チリは、1970年代にラテンアメリカ諸国の中で貿易の自由化を試みた数少ない例の一つである。チリでは、その後の25年の間に輸入も輸出も対GDP比で測って急増した。 その一方で、保護主義的な政策が続けられたブラジルでは、輸入も輸出も停滞したままだったのだ。

教訓として何が言えるかというと、輸入を制限するのは万能薬なんかではないということだ。輸入を制限すると、国が貧しくなる。輸入を制限しても、経常収支(貿易収支)はほとんど(あるいは、まったく)改善されない。ミルトン&ローザのフリードマン夫婦が語っているように、アメリカは世界中の国々に向かって次のように提案するべきなのだ。「貿易を自由化しろと強要することはできない。しかしながら、誰もが同じ条件で全面的に協力する機会を作ることならできる。関税もその他の制限措置も撤廃して、市場を開放するのだ。売れる商品を売ってもらうのだ。売りたい商品を売ってもらうのだ。買える商品を買ってもらうのだ。買いたい商品を買ってもらうのだ。 そうすれば、一人ひとりが世界規模で自由に協力できるようになるのだ」。

2025年5月24日土曜日

Paul Krugman 「小心の罠」(2014年3月21日)

Paul Krugman, “Timid Analysis (Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, March 21, 2014)


今日のコラムでも軽く触れたけど、もうちょっと突っ込んだ話をしておこうと思う。

ブルッキングス研究所主催のパネルディスカッションから戻ってきたばかりだ。「アベノミクス」がテーマの論文についても報告があって、僕も含めて二人が討論者を務めた。もう一人の討論者は、ベン・バーナンキだとかいう名前だったと思う。個人的にずっと心配に思っていたことがあって、そのことについても語った。言いたいことを前よりもいくらかうまく整理できてると思うので、ここでも繰り返させてもらうとしよう。

僕が1998年に書いた論文(pdf)以降に大量に生み出された「ゼロ下限制約」に関する理論的な研究の山を眺めてみると、「流動性の罠」に陥るのは一時的なショックの結果であると見なされている。例外なくだ。何らかのショックが起こって――わかりやすい例だと、バブルが崩壊したりとか、信用ブームが終わってデレバレッジ(債務の圧縮)が強いられたりとか――、総需要が大きく落ち込む。金利をゼロ%にまで引き下げても完全雇用を実現できないくらいに。でも、そのショックもいつまでも続くわけじゃない。いつかは終わる。そうだとすると、抜け道があることになる。金融政策のレジームが変わったことをみんな(国民)に納得させればいいのだ。ゼロ下限制約に直面している状況で総需要を刺激してほどほどのインフレを起こしたければ、ショックが去って総需要が回復してからも中央銀行が金融緩和を続けるとみんなに信じ込ませればいいのだ。  

ところで、日本でショックが去るのはいつになるんだろうか? 総需要が勢いを取り戻して、ゼロ下限制約に縛られる必要が無くなるのはいつになるんだろうか? アメリカについてすら長期停滞(secular stagnation)の可能性が真剣に取り沙汰されていて、金融政策が「正常」に戻るまでにかなり長い時間を要するかもしれないというのに。

それでもなお、景気に弾みをつけるのは依然として可能だ。中央銀行が高めのインフレ率の達成を目標に掲げて、そのことがみんなから信頼されるようなら、〔予想インフレ率が上昇するので〕実質金利が低下する。ところで、中央銀行が掲げるインフレ目標がみんなから信頼されるために必要なことって何だろう? 「自己実現的な予言」(self-fulfilling prophecy)が大いに絡んでくるに違いない。中央銀行が掲げる目標値にまでインフレ率が上昇するに違いないとみんなが信じて行動したら、その通りにならなくちゃいけないのだ。景気が刺激されて、インフレ率が目標値にまで上昇しなくちゃいけないのだ。

そのための必要条件がある(ただし、十分条件じゃない)。インフレ率の目標値がかなり高めに設定される必要があるのだ。みんなが信じて行動したら、ブームが起きるくらいの高さに設定される必要があるのだ。インフレ率の目標値がそんなに高くないようだと、みんなが信じて行動したとしてもその通りにならないだろう。景気もそこそこしか刺激されずに、そのせいでインフレ率も目標値に届かないだろう。そんなだと、そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなって、すべての努力が無駄になってしまうおそれがあるのだ。 

今朝作成したばかりの図を使って、今の話を確認しておくとしよう。




黒い曲線は、フィリップスカーブを表わしている。仮想的なものではあるが、現実のフィリップスカーブとそう違わないと思う。インフレ率が産出量の水準に依存していて、資本設備の稼働率が高くなるほど(産出量の水準が高まるほど)傾きが急になっている。青い直線は、金利がゼロ%の場合の総需要曲線を表わしている。予想インフレ率が上昇すると、それと同じだけ実質金利が低下する。総需要曲線が右上がりになっているのは、そのためだ。上の図では、中央銀行がインフレ率の目標値を2%に設定するけど、インフレ率が2%にまで上昇しない状況が描かれている。インフレ率が2%にまで上昇するとみんなが信じて行動したとしても、その通りにならないのだ。そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなってしまうだろう。

僕の心配事というのは以上の通りだ。インフレ率の目標値を4%に設定する必要があるというのに、セントラルバンカーが次のように語ったとしよう。「4%ですか? ちょっと過激に思えますね。もうちょっと慎重になって、2%にしておきましょう」。慎重で分別があるようだけれど、そのせいで失敗してしまうかもしれないのだ。

2025年5月23日金曜日

Gregory Mankiw 「景気循環の影響は尾を引く?」(2006年5月25日)

Gregory Mankiw, “Goolsbee on the Business Cycle”(Greg Mankiw’s Blog, May 25, 2006)


シカゴ大学に籍を置く経済学者のオースタン・グールズビー(Austan Goolsbee)が本日のニューヨーク・タイムズ紙に素晴らしい記事を寄稿している。学生たちが社会に出る時の景気の状態が彼らのその後のキャリアに及ぼす影響について調査している最新の研究結果が紹介されている。一部を引用しておこう。

スタンフォード大学経営大学院に籍を置く経済学者のポール・オイヤー(Paul Oyer)が最近の論文――“The Making of an Investment Banker: Macroeconomic Shocks, Career Choice and Lifetime Income”(NBER Working Paper 12059, February 2006)――で見出している証拠を取り上げるとしよう。オイヤーは、1960年から1997年までの間にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちのその後の経歴を辿っている。

どういう結果が見出されているかというと、学生たちが大学院に入学してから2年間の株式市場のパフォーマンスが卒業後に投資銀行部門に就職できるかどうかだけでなく、卒業後の平均賃金にも重要な影響を及ぼしているという。投資銀行部門というのは給与も高額だから、特段驚くような結果ではない。衝撃的なのは、卒業した年度の違いによる平均賃金の差が20年後になっても埋まらないということだ。

例えば、1988年度にスタンフォード大学経営大学院を卒業した学生たちは、1987年の株価大暴落(ブラックマンデー)の直後に就職戦線に入ることになった。民間の銀行は、新卒採用に消極的だった。そのためもあって、1988年度の卒業生の初年度の平均賃金は、1987年度の卒業生の初年度の平均賃金を下回るだけでなく、株式市場が回復した後に卒業した学生の初年度の平均賃金も下回ったのだった。卒業してから10年以上が経過した後でも、1988年度の卒業生の平均賃金は、それ以外の年度の卒業生の卒業後10年以上が経過した後の平均賃金を大きく下回ったままなのだ。1988年度の卒業生たちは、社会人としてスタートした時点で割りのいい仕事を取り逃がしてしまい、その後も失地を挽回できなかったのだ。

過去20年間を対象に同様の調査を行っている他の経済学者によると、MBA(経営学修士号)を取得してウォール街で働くような若者だけに当てはまる現象ではないことが見出されている。学部の卒業生(大卒者)にも当てはまるというのだ。フィリップ・オレオプロス(Philip Oreopoulos)&ティル・フォン・ワッチャー(Till Von Wachter)&アンドリュー・ヘイス(Andrew Heisz)の三人の最近の共著論文――“The Short- and Long-Term Career Effects of Graduating in a Recession”(NBER Working Paper 12159, April 2006)――によると、不況期に就職した大卒者は、社会に出てから10年間は収入面での躓き(つまずき)を挽回できないというのだ。

標準的なマクロ経済理論と食い違っているようだが、辻褄を合わせるにはどうしたらいいだろう? この記事を読みながら頭に浮かんだ疑問だ。標準的な理論によると、自然産出量や自然失業率から一時的に乖離するのが景気循環という現象なのだ。マクロ経済ショックが起きてから数年後には、すべてが正常に戻ると想定されているのだ。それとは対照的に、グールズビーが紹介している証拠によると、マクロ経済ショックが一人ひとりの機会に及ぼす影響はだいぶ尾を引くというのだ。

GDPが過去の値(履歴)に強く影響を受ける――「単位根」を持つ――ことを示唆する時系列分析の分野の発見と関わってくる証拠なのかもしれない。景気循環の社会的コストについて見直しを迫る証拠なのかもしれない。

グールズビーが紹介しているミクロの証拠と標準的なマクロ理論との食い違いを埋めるために、優れた研究論文がそのうち何本か書かれるんじゃなかろうか。

2025年5月21日水曜日

Mike Moffatt 「リセッションとデプレッションの違いとは?」(2018年7月22日)

Mike Moffatt, “What Is the Distinction Between a Recession and a Depression?”(ThoughtCo., July 22, 2018)


「リセッションというのは、あなたの隣人が仕事を失う時のこと。デプレッションというのは、あなたが仕事を失う時のこと」。経済学者の間で知られている古いジョークだ。

リセッションとデプレッションの違いが曖昧ではっきりしない単純な理由がある。一般的に認められている定義というのがないのだ。100人の経済学者にリセッションとデプレッションの定義を聞いたら、最低でも100通りの別の答えが返ってくるだろう。しかしながら、とにかくやってみるとしよう。リセッションとデプレッションがどう定義されているかを概観した後に、ほぼすべての経済学者が同意してくれそうなやり方で両者の違いを説明してみるとしよう。


リセッション:新聞の定義

GDP(国内総生産)が2四半期(あるいは、2四半期以上)連続して減少するのがリセッションというのが、新聞でよく目にする定義だ。

大半の経済学者は、この定義を気に入っていない。主な理由は二つあって、GDP以外の変数の変化が考慮されていないというのが一つ目だ。例えば、失業率だとか消費者信頼感指数だとかの変化が無視されているのだ。四半期のデータを使って判断されているので、リセッションがいつ始まっていつ終わったのかを特定するのが難しいというのが二つ目の理由だ。リセッションが10カ月未満しか続かないようなら、見過ごされてしまう可能性があるのだ。


リセッション:景気循環日付委員会の定義

リセッションに陥っているかどうかをより的確に見抜こうと試みているのがNBER(全米経済研究所)の景気循環日付委員会だ。 雇用量、鉱工業生産、実質所得、卸売販売額/小売販売額だとかの変化に目を凝らして、景気の良し悪しを認定している。景気循環日付委員会では、 景気が「山」から「谷」に向かうまでの期間をリセッション(景気後退局面)と定義している。それとは反対に、景気が「谷」から「山」に向かうまでの期間は景気拡張局面と定義されている。この定義によると、リセッションは平均的には1年くらい続く傾向にあるようだ。


デプレッションの定義

1930年代に大恐慌が起こるまでは、景気の低迷は例外なくデプレッションと呼ばれていた。1910年とか1913年とかに起こったデプレッションと1930年代に起こったデプレッションを区別するために、1910年とか1913年とかに起こったデプレッション(1930年代に起こったデプレッションほどは深刻じゃないデプレッション)をリセッションと呼ぶようになったのである。このことからデプレッションの単純な定義が得られることになる。リセッションよりも長く続いて深刻なのがデプレッション。


リセッションとデプレッションの違い

リセッションとデプレッションをどうやって区別したらいいだろうか? いい目安がある。実質GDPの落ち込みが10%以上ならデプレッションで、実質GDPの落ち込みが10%未満ならリセッションと見なすのだ。

この物差しを使うと、アメリカで最後にデプレッションが起こったのは1937年5月から1938年6月までの期間ということになる。実質GDPが18.2%減少したのだ。この物差しを使うと、1930年代に起こった大恐慌の見え方も変わってくる。一回ではなく二回のデプレッションが起こったのだ。1929年8月から1933年3月までの間に実質GDPが33%近くも減少するというひどいデプレッションが起こって、その後に景気回復局面を挟んで、1937年5月から1938年6月までの間にもう一回デプレッションが起こったのだ。

戦後のアメリカでは、実質GDPが10%以上減少するようなデプレッションは起こっていない。1973年11月から1975年3月までの間に実質GDPが4.9%減少したのが、過去60年の間に起こった最悪のリセッションだ。フィンランドだとかインドネシアだとかでは、実質GDPが10%以上減少するようなデプレッションがつい最近も起こっている。

2025年5月20日火曜日

Gregory Mankiw 「リセッションとデプレッション」(2008年10月10日)

Gregory Mankiw, “Recession or Depression?”(Greg Mankiw's Blog, October 10, 2008)


学生から質問された。

どうなればリセッション(recession)がデプレッション(depression)になる決まりになっているのでしょうか?
 
デプレッションの公式の定義というのはない。私も委員を務めたことがあるNBER(全米経済研究所)の景気循環日付委員会では、景気循環の転換点を認定している。景気が拡大局面から後退局面(あるいは、後退局面から拡大局面)に転換したのはいつかを後知恵で決めているわけだ。緩やかな景気後退をリセッションと呼んで、深刻な景気後退をデプレッションと呼ぶのが習わしみたいになっているが、リセッションとデプレッションを区別する公式の定義というのはないのだ。 

この上なく明快な定義は、おそらく以下だろう。

リセッションというのは、あなたの隣人が仕事を失う時のこと。デプレッションというのは、あなたが仕事を失う時のこと。

Cory Doctorow 「フランスやスコットランドが性能面で劣っていたクロスボウに固執したのはなぜ?」(2016年1月20日)



ロングボウクロスボウよりも性能がだいぶ優れていたが、軍の主力武器として取り入れたのはイングランドだけだった。フランスやスコットランドの軍隊は、性能面で劣っていたクロスボウを1世紀近くも使い続けたのである。その理由は?

歴史家たちを何十年にもわたって悩ませてきたこの謎――「ロングボウパズル」――の答えを二人の経済学者が提示している。サイモン・フレーザー大学に籍を置くダグラス・アレン(Douglas Allen)と、ジョージ・メイソン大学に籍を置くピーター・リーソン(Peter Leeson)の二人が Journal of Law and Economics 誌に掲載された論文で、ロングボウパズルを解いているのだ。

フランスやスコットランドの王は、反乱を恐れるあまりに、兵にロングボウを持たせたがらなかったというのが二人の言い分だ。その一方で、イングランドは政情が比較的安定していたので、安心して兵にロングボウを持たせることができたというのだ。その結果として、イングランドは外敵との戦争で優位に立てたというのだ。

論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

ロングボウは、中世ヨーロッパにおける飛び道具界の無二の王の地位に一世紀以上にわたって君臨した。しかしながら、軍の主力武器として採用したのはイングランドだけだった。フランスやスコットランドの軍隊は、性能面で劣っていたクロスボウに固執したのである。何十年にもわたって歴史家たちを悩ませてきた謎である。本稿では、「制度によって制約された技術選択」理論の観点からこの謎に切り込む。ロングボウは、クロスボウとは違って、安価で作るのが簡単で、戦場で使うつもりであれば大勢の射手を養成する必要があった。ロングボウのこれらの特徴ゆえに、軍の主力武器として採用すると、王の座を狙う貴族がロングボウの扱いに慣れた大勢の兵を束ねて反乱を引き起こす可能性が生まれたのである。どの飛び道具を軍の主力武器として選ぶかをめぐって、王(支配者)はトレードオフに直面していたのだ。内乱を防ぐか、それとも国防を強化するかというトレードオフに。中世末期のヨーロッパで、飛び道具として最も優れていたロングボウを選んでも反乱が起こるのを心配する必要がないくらいに政情が安定していたのはイングランドだけだった。政情が不安定だったフランスやスコットランドでは、クロスボウがやむなく選ばれたのだ。