2015年6月12日金曜日

Francesco D’Amuri&Juri Marcucci 「Googleトレンドの予測精度はいかほど? ~Googleトレンドの検索データを使って失業率の行方を予測する~」(2009年12月16日)

Francesco D’Amuri&Juri Marcucci, “The predictive power of Google data: New evidence on US unemployment”(VOX, December 16, 2009)

タイムリーな経済指標を求める世間の声に応えるために、Googleの助けを借りて時系列モデルの予測精度を高めようと試みられている。Googleトレンドの検索データ(「Googleインデックス」)を使えば、失業率の予測精度を大幅に高めることができるのだ。アメリカだけでなく、イタリアについても。

Googleトレンドを予測に役立てるのが一つのトレンド(流行)になっている。例えば、ネイチャー誌に掲載されたばかりのGinsberg et al. (2009) では、Googleでインフルエンザに関係の深いキーワードがどれくらい検索されたかという情報だけを使ってインフルエンザ様疾患の患者数を予測するシンプルなモデルが開発されている。Googleで特定のキーワードがどれくらい検索されたかを知ろうと思ったら、全検索数に占める割合についてのデータが週ごとにほぼリアルタイムで利用できるのである。

求職活動にインターネットを活用するのも当たり前になりつつある昨今だが(Stevenson 2008)、失業の予測にGoogleの検索データを役立てようとする試みも散見されるようになってきている。これまでの研究成果によると、職探しに関わりの深いキーワードの検索数が総検索数に占める割合を示す「Googleインデックス」は、ドイツやイスラエルにおける失業率(Askitas&Zimmermann 2009、Suhoy 2009)だけでなく、アメリカにおける失業保険の新規申請件数(Choi&Varian 2009)を高い精度で予測できることが明らかになっている。


Googleトレンドの検索データを使ってアメリカの失業率の行方を予測する

今般の経済危機がインターネットを使った求職活動に及ぼした影響を浮き彫りにしているのが以下の図1である。危機が発生する前と後とで「Googleインデックス」の値がアメリカ国内でどう変化したかが可視化されている。「Googleインデックス」を失業率を予測するための先行指標の一つとして用いると、予測の精度が大幅に高まることが我々がつい最近行ったばかりの二つの研究で明らかになっている。アメリカ(D’Amuri&Marcucci 2009)だけでなく、イタリア(D’Amuri 2009)についても。



図1 今般の危機が発生する前と後での「Googleインデックス」の変化〔原注1〕


1ヶ月先、2ヶ月先、3ヶ月先の失業率を予測する上で、「Googleインデックス」を説明変数に含んでいるモデルの方が、線形・非線形の定評のある300以上の時系列モデル〔訳注;自己回帰移動平均(ARMA)モデル〕よりも精度が高かったのである。

「Googleインデックス」は、アメリカ全土の失業率だけではなく、州ごとの失業率の予測でも力を発揮する。アメリカ国内の7割に上る州の失業率を予測する上で最も精度が高かったのは、「Googleインデックス」を説明変数に含んでいるモデルだったのである。さらには、以下の図2に示されているように、「Googleインデックス」を説明変数に含んでいるモデル〔緑色の線〕は、フィラデルフィア連銀が実施している専門家予測調査(SPF)〔青色あるいは赤色の線〕よりも高い精度で四半期の失業率を予測できるのである。予測誤差を測る尺度の一つである平均二乗誤差(Mean Squared Error)の値が1桁違いで小さいのだ。



図2 予測誤差 ~時系列モデル vs 専門家予測調査(SPF)~〔原注2〕


「Googleインデックス」の高い予測精度は、イタリアにおいても確認されている。イタリアでも、「Googleインデックス」を説明変数に含んでいる時系列モデルが失業率の行方を予測する上で最も精度が高かったのである。政策の立案にも重要な意味を持ち得る発見である。なぜなら、四半期ごとの失業率が公式に発表されるのは大体2ヶ月後というのがイタリアの現状だが、Googleの検索データはほぼリアルタイムで利用できるからである。アメリカでは失業率のデータがもう少し早く公表されるので、「Googleインデックス」を失業率の予測に役立てることによって得られる見返りはイタリアにおいてのほうが大きそうである。


結論

「Googleインデックス」を失業率の予測に役立てる上での主たる難点は、インターネットを介した求職活動は失業者によるものだけとは限らないところである。在職中の転職活動も含まれている可能性があるのだ。別の難点は、誰もがインターネットを使うわけではないので、インターネットを介して職探しをする求職者は無作為に抽出されたサンプルとは言えない可能性があるところである。しかしながら、この点は大した問題じゃないだろう。求職活動にインターネットを活用するのが当たり前になりつつあるからだ。それに加えて、インターネットを使って職探しをする失業者とインターネットを使わずに職探しをする失業者とでショックから受ける影響が異ならない限りは、サンプルに偏りが生じることはないだろうからだ。

失業問題に対する世間の関心が高まるにつれて、失業率をタイムリーかつ正確に予測する必要性も高まっている。Googleの検索データの助けを借りれば、その求めに応じることも可能なのだ。


〔原注1〕左の画像は、危機が発生する前の2007年5月~8月の「Googleインデックス」の値(職探しに関わりの深いキーワードの検索数が総検索数に占める割合)を表している。右の画像は、危機の最中にあたる2009年5月~8月の「Googleインデックス」の値を表している。青色が濃いほど、Googleインデックスの値が高い(インターネットを介した求職活動が盛んである)ことを示している。画像の出所は、Googleトレンド。詳細は、D’Amuri&Marcucci (2009) を参照のこと。

〔原注2〕専門家予測調査(SPF)と時系列モデルによる四半期の失業率の予測誤差を比較した図。対象期間は2007年2月~2009年6月。SPF_mean は、専門家予測調査における(およそ30人の専門家による)予測の平均値の予測誤差。SPF_median は、専門家予測調査における予測のメディアン(中央値)の予測誤差。○○_Comb は、○○を説明変数に含んでいる時系列モデルの予測誤差を表している。時系列モデルから得られる四半期の失業率の予測値は、当該四半期の最初の月の終わりの時点での1ヶ月先と2ヶ月先の予測値に、当該四半期の最初の月の実際の失業率を加えて平均をとったもの。G_Comb は、「Googleインデックス」を説明変数に含んでいる時系列モデルの中で最も予測精度が高いモデルの予測誤差。IC_Comb は、「Googleインデックス」を説明変数に含まずに失業保険の新規申請件数(Initial Claims;IC)を説明変数に含んでいる時系列モデル(サンプル期間長め)の中で最も予測精度が高いモデルの予測誤差。IC_Comb_s は、「Googleインデックス」を説明変数に含まずに失業保険の新規申請件数を説明変数に含んでいる時系列モデル(サンプル期間短め)の中で最も予測精度が高いモデルの予測誤差。SETAR、LSTAR、AAR は、ラグ数が2の非線形自己回帰モデルの予測誤差。詳細は、D’Amuri&Marcucci (2009) を参照のこと。


<参考文献>


●Askitas, Nikoa and Klaus F Zimmermann (2009), “Google Econometrics and Unemployment Forecasting(pdf)”, IZA Discussion Paper (4201).
●Choi, Hyonyoung and Hal Varian (2009), “Predicting Initial Claims for Unemployment Benefits(pdf)”, Google technical report.
●D’Amuri Francesco (2009), “Predicting unemployment in short samples with internet job search query data”, MPRA WP 18403.
●D’Amuri, Francesco and Juri Marcucci (2009), ““Google it!” Forecasting the US unemployment rate with a Google job search index”, ISER WP 2009-32.
●Ginsberg, Jeremy, Mathew H Mohebbi, Rajan S Patel, Lynnette Brammer, Mark S Smolinski and Larry Brilliant (2009), “Detecting Influenza epidemics using Search Engine Query Data”, Nature (457), pp.1012-1014.
●Stevenson, Betsy (2008), “The Internet and Job Search”, NBER Working Paper (13886).
●Suhoy, Tanya (2009), “Query Indices and a 2008 Downturn(pdf)”, Bank of Israel Discussion Paper (06).

2015年2月5日木曜日

Jonathan Portes 「『ケインジアン』ってどういう意味?」(2012年2月7日)

Jonathan Portes, “Fiscal policy: What does ‘Keynesian’ mean?”(VOX, February 7, 2012)

「ケインジアン」ってどういう意味なのだろうか? 経済学のその他の用語と同様に、「ケインジアン」という用語も政争の具にされてしまっている。そのせいで政策論争がいたずらに紛糾していて、何百万もの雇用が失われる羽目になってしまっているのだ。

少しばかり私の個人的な経歴に触れさせてもらうとしよう。1987年にイギリスの大蔵省で職を得た後、経済学を学ぶために一時的にプリンストン大学の門を叩いた。そこではロゴフ(Kenneth Rogoff)やキャンベル(John Campbell)から教えを受けたが、その後は再びイギリスに戻った。2008年に金融危機が勃発した時には、内閣府で首相に経済政策についてアドバイスを送る任務に就いていた。これまでを振り返ると、自分のことを「ケインジアン」と考えたことが一度もなかったことに気付く。ケインジアンかどうかを問うことに、そもそも意味がなかったのだ。物理学者に対してニュートン主義者かどうかを問うようなものだったのだ。ケインズは偉大な存在であり(20世紀のイギリスを代表する最も偉大な経済学者の一人であることは間違いない)、彼の洞察を理解せずしてマクロ経済学を理解することはできなかったのである。しかしながら、常にそうだったわけではない。

2008年に金融危機が勃発するまでのイギリス大蔵省では、財政政策の重要性は否定されてはいなかったものの、総需要を管理するために財政政策を微調整するのは――実行面でのいくつかの困難もあって――賢明ではないという意見が大勢だった。金融政策の方が小回りが利くし、透明性も高いし、政治的な圧力によって歪みが生じるおそれが小さいと考えられていた。このような見解に対して理論的な後ろ盾を与えたのが、ナイジェル・ローソン(Nigel Lawson)が1984年に行ったかの有名なメイズ講演である。当の私もこの見解を全面的に支持していた。

しかしながら、2008年に金融危機が勃発して以降は、事情が少々複雑になっている。そこで、問わなくてはいけない。「ケインジアン」ってどういう意味なのだろうか? いくつかの定義を考えることができそうだ。


定義<その1>

時計の針を1930年代まで戻すと、ケインズは、いわゆる「大蔵省見解」(“Treasury View”)に決然と異を唱えた――「大蔵省見解」は、「供給はそれ自らの需要を生み出す」と説く「セイの法則」と同一視されることがあるが、それは些(いささ)か不正確だ。「大蔵省見解」をめぐる過去の論争の概要については、Quiggin(2011)を参照されたい――。 「大蔵省見解」によると、財政政策は、「会計上の恒等式」の制約ゆえに、総需要に影響を及ぼせないとされる。政府が支出を増やすためには、税金を徴収するか国債を発行するかして市中に出回っているお金を調達しなければならず、政府が支出に回せるお金が増えると民間部門でそれと同額だけ支出に回せるお金が減るというのである。さて、「ケインジアン」の定義<その1>のお出ましである。「財政政策は『会計上の恒等式』の制約ゆえに総需要に影響を及ぼせない」という言い分を受け入れないのが「ケインジアン」というわけである。シカゴ大学のジョン・コクラン(John Cochrane)が以下のように書いているが、この「ケインジアン」の定義が念頭にあるようだ(Cochrane 2009)。

まず第一に、お金が新たに発行されないようなら、市中に出回っているお金をどこかから調達してこなければならない。政府があなたから1ドルを借り入れたとすれば、その1ドルは消費に回されることもなければ、設備投資を行うための資金として企業に貸し出されることもない。つまりは、政府支出が増えるのと同じ額だけ民間部門で支出が減らねばならないのだ。政府支出が増えたおかげで新たに雇用が生まれたとしても、民間部門で支出が減るせいで別のところで雇用が失われることになるのだ。公共事業で道路を建設しても、民間部門で工場の建設が取り止めになる。財政刺激策によって道路も工場もどちらも建設することはできないのだ。このようにして「クラウディング・アウト」が発生するのは、会計上の必然的な帰結なのであり、経済主体の行動についてどんな想定を置いても結論は変わらないのだ。

読者もよくご存知だろうが、コクランのこの主張をきっかけにクルーグマン(Paul Krugman)やデロング(Brad Delong)を中心にしてネット上で激しい論争が巻き起こった。例えば、サイモン・レン=ルイス(Simon Wren-Lewis)は、「学部レベルの間違いを犯している」とコクランに対して手厳しい批判を加えている(Wren-Lewis 2012a)。デロングらが指摘しているように、しばらくしてコクランは当初の意見をいくらか引っ込めたようである(Cochrane 2012, Delong 2012)。アメリカでの学者間での論争はともかくとして、定義<その1>を「ケインジアン」の定義として採用するなら、私は紛れもなく「ケインジアン」である。しかしながら、この定義を採用するなら、誰もが皆「ケインジアン」ということになるだろう。現在のイギリス大蔵省も含めてだ。財政政策が「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼせないと本気で信じている人は、誰一人として――誇張でも何でもなく本当に誰一人として――いないのだ。


定義<その2>

もう少しもっともらしくて標準的な定義としては、財政政策が(理論的な可能性にとどまらずに)「実証的にも」(現実問題として)総需要にかなり大きな影響を及ぼすと信じているのが「ケインジアン」ということになろう(定義<その2>)。それとは対照的なのが、「リカードの等価定理」(“Ricardian equivalence”)を信奉する立場の人々である。「リカードの等価定理」によると、政府支出なり政府の借り入れなりが変化しても民間部門においてその変化を打ち消すような行動が引き起こされるので、総需要はほとんどないしは全く(まったく)影響を受けないとされる。最近になって唱えられ出した「拡張的な財政緊縮」(“expansionary fiscal contraction”)と呼ばれる考えはさらに踏み込んでいて、(財政再建を見据えた)財政緊縮策は総需要を刺激したり経済成長を加速させたりする可能性があるという。そうなるのは、為替レートが減価したり、民間部門における信頼感が改善したりするおかげだという。この説を流布するのに特に貢献したのが2009年に発表されたアレシナ&アルダーニャ論文(Alesina and Ardagna 2009)であり、その影響は(些細で一時的なものに過ぎないが)イギリス大蔵省にも及んでいる。例えば、2010年の緊急予算の中に次のような記述が見られる(HM Treasury 2010)。

財政再建を見据えた財政緊縮策は、総需要を刺激して、経済パフォーマンスの改善に寄与する可能性がある。ポジティブな効果がネガティブな効果を上回る可能性が大いにあるのだ。

私が知る限りでは、イギリス大蔵省がこのような見解を表明したのはこれ一度きりのようだ。それも頷(うなず)けるところである。というのも、これまでの実証研究によると、「拡張的な財政緊縮」説が説くのとは正反対の結果が得られているからだ。アレシナ&アルダーニャ論文に対しては多くの学者から疑問が呈されていて、IMF(国際通貨基金)の研究も異を唱えている。さらには何より重要なことに、「拡張的な財政緊縮」説を支持するような実証的な証拠がほとんど見当たらないのである。IMFがこの件についての通説を代表する立場だと言えるが、IMFは2010年10月の時点で次のように結論付けている。

財政再建は、短期的に経済成長を減速させる傾向にある。新たなデータを用いて検証したところ、対GDP比で1%に相当する規模の財政緊縮(財政赤字の縮小)が試みられると、それ以降の2年間に産出量(実質GDP)がおよそ0.5%落ち込み、失業率が3分の1パーセントポイント上昇する傾向にあることが見出された。

その後のIMFは、この結論をさらに強調するようになっている。例えば、つい先月のことだが、IMFのチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)は、次のように語っている。

「財政再建が総需要の足かせになるのは明らかだ。ということは、経済成長の足かせにもなるということだ。」(Blanchard 2012

定義<その2>を採用するにしても、私はやはり「ケインジアン」である。しかしながら、この定義によるなら、IMFの専務理事やチーフエコノミストも同じく「ケインジアン」である。イギリス大蔵省もだし、イングランド銀行もだし、イギリス予算責任局もだ。これらの機関のどのマクロ計量モデルにも財政乗数が組み込まれているし、これらの機関で働く上級職員の中で財政再建がイギリス経済の成長を鈍化させたことを公の文書で否定する者がいるとは思えない。例えば、2011年11月に開催されたイングランド銀行の金融政策決定会合の議事要旨(pdf)に目をやると、次のように述べられている。

GDPの伸びは一年を通じて弱々しかったが、その理由は、家計の実質所得が落ち込んでいること、資金の借り入れが困難な状況が続いていること、財政再建が長引いていることに求められるものと思われる。

定義<その3>

定義<その1>と定義<その2>のどちらを採用するにしても、私は間違いなく「ケインジアン」である。しかしながら、真面目に取り合うべき人たちのほぼすべても「ケインジアン」ということになるだろう。目下の政策論争の場において「ケインジアン」とそれ以外を区別するために用いられている定義は、これまでの2つに比べると「政治的」な色合いがずっと濃いようだ。「イギリス経済(あるいアメリカ経済)が置かれている現状を踏まえると、財政再建のペースを遅らせることが好ましい」と考えるのが「ケインジアン」だというのである(定義<その3>)。しかしながら、この定義は二つの理由で問題を抱えていると思う。まず第一に、「ケインジアン」という用語に何らかの意味を持たせるのであれば、特定の時期に特定の国で議論の対象になっている特定の政策についての立場を指し示すのではなく、もっと普遍的な意味を持たせるべきだろう。独自の哲学なり理論的な世界観なり――少なくとも、実証的な証拠を解釈する枠組みを提供する視座――を指し示す用語であるべきなのだ。

二つ目の理由はもっと重要である。「拡張的な財政緊縮」説の妥当性に疑問符が付いている今となっては、「財政再建のペースを遅らせるべきだ」と唱える陣営にしても、それに反対する陣営(「財政再建のペースを遅らせるのは、大きな危険を伴う過ちだ」と唱える陣営)にしても、財政再建のペースを遅らせたからといって景気に冷水が浴びせられるとは考えていない。財政再建のペースを遅らせると、政府に対するマーケットの「信頼」が損なわれて長期金利が跳ね上がるかどうかというのが争点になっているのだ。長期金利が急騰するリスクを避けるために、景気に冷水を浴びせてまで急いで財政再建に取り組むべきかどうかが争点になっているのだ。

長期金利が跳ね上がるリスクはかなり誇張されていると思うし、財政再建のペースを遅らせたとしたら社会なり経済なりにどんな損害が及ぶのかについて綿密に検討されているようにも思えないが(この点について詳しくは、Portes(2011a)およびPortes(2011b)を参照されたい)、どちらの陣営が正しいのかというのは今はどうでもいいのだ。両陣営の争いは、「ケインジアン」かどうかという区別とは全く(まったく)関係がないのだ。両陣営の争いには数々の問題が絡んでいるが――マーケットが合理性を欠いた振る舞いをしたらどう対処したらいいか、格付け機関の役割についてどう考えたらいいか、複数均衡の問題にどう対処したらいいか等々――、それらの問題について何らかの立場をとったからといって、「ケインジアン」に区別されるわけでもなければ、「反ケインジアン」に区別されるわけでもないのだ。

最後になるが、イギリス大蔵省に勤めていた時に身をもって学んだこととの絡みで指摘しておきたいことがある。私が勤めていた時もそうだったのだが、総需要が極めて低調であるようなら財政政策ではなく金融政策で対応すべきというのが、今でも大蔵省で広く支持されている見解である。この件については、ネット上でも盛んに議論になっている(とっかかりとしては、Economist(2012)をご覧になるといいだろう)。財政政策の役割についての私なりの態度は変わった。過去20年間にわたって大蔵省を支配していた見解――総需要を管理する上で財政政策に出る幕はないという見解――には、最早与(くみ)していないのだ。とは言え、財政政策に真っ先にご登場願うべきとは考えていないけれど――この点については、サイモン・レン=ルイスが優れた議論を展開しているので(特に最後から2番目のパラグラフ)、あわせて参照されたい(Wren-Lewis 2012b)――。

金融政策の方が総需要を管理するのに適しているという見解も理論的な裏付けがあったわけではなく、一種のプラグマティズム(pragmatism)にその根拠を持っていたが、私が態度を変えたのもそれと同じ事情ゆえである。総需要を刺激するのに金融政策だけで十分なのだとしたら、イギリス経済は今のような状況に陥っていないだろう。失業率が自然失業率の推計値を大きく上回っていて、近いうちに雇用情勢が改善される見込みが薄い今のような状況に陥っていないだろう。別の機会にも触れたが(Portes 2012)、今のような状況をもたらしている総需要管理策に合格点をあげることなど到底できないのだ。

私が態度を変えたのは、イデオロギー上の理由からではない。現実の世界(およびマクロ経済)が思っていた以上にずっと複雑であることを認識した結果なのだ。ブランシャールも同じ仲間のようだ。ブランシャール曰く(Blanchard 2011)、

金融危機後の世界は、まったく新しい世界である。政策決定者の目の前には、これまでとは大違いの光景が広がっている。この現実をまずは受け入れねばならない。・・・(中略)・・・マクロ経済政策(とりわけ財政政策と金融政策)が追い求めるべき目標の数は、一つではない。複数あるのだ。使える手段も一つではない。複数あるのだ。

プラグマティックであること。何事も疑ってかかること。現実の証拠という裏付けを求めること。マクロ経済政策のあるべき姿を探る時に心に留めておきたい戒め(いましめ)である。ケインズが今も生きていたら、同意してくれるだろう。


<参考文献>

●Alesina, Alberto F and Silvia Ardagna (2009), “Large Changes in Fiscal Policy: Taxes Versus Spending”, NBER Working Paper No. 15438, October.
●Blanchard, O (2011), “The future of macroeconomic policy”, blogpost, March.
●Blanchard, O (2012), “Driving the Global Economy with the brakes on”, blogpost, January.
●Cochrane, J (2009), “Fiscal Stimulus, Fiscal Inflation, or Fiscal Fallacies?”, University of Chicago webpage, version 2.5, 27 February.
●Cochrane, J (2012), “Stimulus and etiquette”, blogpost, January.
●Delong, B (2012), “John Cochrane says John Cochrane used to be a bullshit artist”, blogpost, January.
●Economist (2012), “The zero lower bound in our minds”, 7 January.
●Guajardo, J, D Leigh, and A Pescatori (2011), “Expansionary Austerity: New International Evidence”, IMF Working Paper 11/158, Research Department, International Monetary Fund.
●HM Treasury (2010), “Emergency Budget”.
●Lawson, N (1984), Mais Lecture.
●Leigh, D, P Devries, C Freedman, J Guajardo, D Laxton, and A Pescatori (2010), “Will it hurt? Macroeconomic effects of fiscal consolidation(pdf)”, World Economic Outlook, October, International Monetary Fund.
●Monetary Policy Committee (2011), Minutes(pdf), Bank of England.
●Portes, J (2011a) “The Coalition’s Confidence Trick”, New Statesman, August.
●Portes, J (2011b), “Against Austerity”, Spectator, October.
●Portes, J (2012), “The largest and longest unemployment gap since World War 2”, blogpost, January.
●Quiggin, J (2011), “Blogging the Zombies: Expansionary Austerity – Birth”, blogpost, November.
●Wren-Lewis, S (2012a), “Mistakes and ideology in macroeconomics”, blogpost, 10 January.
●Wren-Lewis, S (2012b), “The return of Schools-of-thought macro”, blogpost, 27 January.

2015年2月4日水曜日

Alan S. Blinder&Jeremy Rudd 「オイルショックの経済学」(2009年1月13日)

Alan S. Blinder&Jeremy Rudd, “Oil shocks redux: Why the recent oil shock wasn’t very shocking”(VOX, January 13, 2009)

2002年から2008年にかけて原油価格が高騰したにもかかわらず、1970年代のように惨憺たる結果が招かれることはなかった。それはなぜなのだろうか? その理由はいくつか考えられる。i)先進国で省エネ化が進んだため ii)実質賃金の伸縮性が高まったため iii)経済全体に占める自動車産業のシェアが縮小したため iv)金融政策がコアCPIに重きを置いて運営されるようになったため v)原油価格が高騰した原因が、供給サイドにではなく、需要サイドにあったため。

アメリカ経済は、2002年の終わりから2008年の半ばにかけて、大規模なオイルショックに見舞われることになった。原油のドル建て価格が5倍も上昇し、一時的に1バレル=145ドルにまで達したのである。物価変動の影響を取り除いた実質価格で見ても、この間の原油価格の高騰には仰天させられる。ピーク時の原油価格の実質価格は、1979年~80年のいわゆる第二次オイルショック時に記録されたそれまでの最高値を50%も上回ることになったのである(原油価格は2008年7月にピークをつけた後に急落し、その後は1バレル=30~50ドルのあたりをうろついている)。

かつての2度にわたる(OPECが主導した)オイルショック時と比べても遜色ないほどに原油価格が高騰したわけだが、マクロ経済に及ぼした影響となると、かなり大きな違いが見られるようだ。1970年代から1980年代前半には「スタグフレーション」が発生し、高い失業率と高率のインフレが共存する状況が長く続いたわけだが、教科書的な説明ではその原因は「サプライショック」(原油価格および食料価格の急騰)にあるとされている。その一方で、この間の原油価格の高騰に伴って、2001年以降から続く景気の拡大に横槍が入った様子はほとんど見受けられない(アメリカ経済は、2007年の終わり頃から景気後退入りすることになったが、その主たる原因は、サブプライム危機に端を発する金融危機にあるというのが大方の見方だ)。コアCPI(食料やエネルギーの価格を除いた消費者物価指数)にしても、かつての2度にわたるオイルショック時とは違って、比較的安定した動きを見せている。

「どうしてこうも違うんだろう?」という疑問が自然と湧いてくるが、その答えの候補の一つとして名乗りを上げているのが、1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる「修正主義的な」解釈である。「修正主義的な」解釈――代表的な提唱者としては、デロング(DeLong 1997)、バースキー&キリアン(Barsky and Kilian 2002)、チェケッティその他(Cecchetti et al. 2007)を挙げることができる――によると、1973年から1983年にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わったそもそもの原因は、オイルショック(をはじめとしたサプライショック)にではなく、稚拙な金融政策にあるとされる。例えばデロングによると、当時のFedは、1930年代の大恐慌の悪夢に囚われており、インフレを抑えるために金融引き締めに乗り出すべきところでも二の足を踏む傾向にあったという。それに加えて、当時のFedは、フィリップス曲線は長期的に見ても右下がりであると認識しており、高めのインフレを受け入れる代わりに失業率をできるだけ低く抑えようと試みる傾向にあったという。その結果として、インフレが昂進することになったというのだ。バースキー&キリアンの二人も同様の立場に立っており、1970年代から1980年代初頭にかけて高インフレと高失業が発生した原因は、当時の「ストップ&ゴー」型の金融政策に求められるという。バースキー&キリアンの二人はさらに一歩踏み込んで、アメリカをはじめとした世界各国の金融緩和が原因で一般物価のみならず原油をはじめとしたコモディティの価格も高騰することになったと主張している。つまりは、原油価格の高騰をはじめとしたサプライショックは、スタグフレーションを引き起こした原因ではなく、政策の失敗(行き過ぎた金融緩和)に付随して生じた現象に過ぎないというのだ。

我々二人は、つい最近の論文(Blinder and Rudd 2008)で、1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる「通説」(「サプライショック説」)――原油価格および食料価格の急騰(それに加えて、1970年代初頭における賃金・価格統制の撤廃)こそが、スタグフレーションを引き起こした主因だとする説――の妥当性の検証を試みている。サプライショック説がはじめて唱えられたのは30年以上も前になるが、この間の研究の蓄積――新たに得られたデータに、新たに開発された理論に、計量経済学上の新たな証拠――に照らし合わせてみてわかったことは、「通説」の妥当性は揺るがないということである。詳しくは論文をご覧いただきたいが、(1970年代のスタグフレーションの原因をめぐる)「修正主義的な」解釈についても批判的な検証を加えている。


オイルショックの影響が弱まってきているのはなぜ?

「通説」の妥当性が揺るがないとすると、大きな謎に直面することになる。1970年代から1980年代初頭にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わった主因がサプライショックにあったのだとすると、つい最近の原油価格の高騰も同じくマクロ経済に対して大きな負の影響を及ぼしてもおかしくはなさそうなのに、そうはなっていない。なぜなのだろうか? 1980年代初頭以降もオイルショックは度々発生しているが、多くの論者によって裏付けられているように――例えば、フッカー(Hooker 1996, 2002)、ブランシャール&ガリ(Blanchard and Gali 2007)、ノードハウス(Nordhaus 2007)を参照されたい――、オイルショックがマクロ経済に及ぼす影響はかつてに比べて小さくなってきているようだ。オイルショックがコアCPIに及ぼす影響は時代が下るにつれて急速に弱まってきており、生産量や雇用量はオイルショックからほとんど何の影響も受けないようになってきているのだ。

どうしてなんだろうか? 理由の一つは明らかである。1973年~74年のいわゆる第一次オイルショック(「OPEC I」)と1979年~80年のいわゆる第二次オイルショック(「OPEC II」)の後にエネルギーの消費を節約する動きが広がり、アメリカをはじめとする先進国では、1973年当時と比べると、省エネ化が相当進んだ。アメリカのケースで言うと、エネルギー消費量の対GDP比(BTU単位で測った年間のエネルギー消費量をその年の実質GDPで除した値)は劇的なペースで減少しており、1973年当時と比べるとほぼ半減するまでになっている。それに伴って、オイルショックがマクロ経済――価格(原油以外の財・サービスの価格)および数量(生産量や雇用量)――に及ぼす影響も同じく半減することになったと思われるのだ。

しかしながら、フッカーによると(Hooker 2002)、オイルショックがその他の財・サービスの価格(例えば、コアCPI)に及ぼす影響は時とともに無視できるところまで小さくなっており、省エネ化という要因だけではすべてを説明できないという。さらには、我々の論文ではエネルギー集約度に応じて消費財を分類し、それぞれの分類に含まれる消費財の価格がオイルショック後にどのような反応を見せたかを検証しているが、2002年~2007年の期間に関して言うと、エネルギー集約度の高さと、価格の変動幅との間に正の相関は見出せなかった〔訳注;「エネルギー集約度の高い消費財ほど、オイルショック後に価格が大きく上昇した」という関係は見出せなかったということ〕。どうやら、省エネ化以外の別の要因にも目を向ける必要があるようだ。

「別の要因」を探っているのが、ノードハウスのつい最近の論文だ(Nordhaus 2007)。ノードハウスは、その候補を三つ挙げている。つい最近の原油価格の高騰はその上昇ペースが比較的緩やかであり、そのためもあってその影響が薄められることになったというのが一つ目の候補だ。原油価格の上昇幅は、2002年~2008年にかけての累計で測ると相当なものだが、年平均で測ると「OPEC I」や「OPEC II」時よりもずっと緩やかなのである。2002年~2008年にかけての原油価格の上昇幅を年平均で測ると、対GDP比でおよそ0.7%という結果になるが(ただし、ノードハウスの試算では、2006年第2四半期までしか対象に含まれていない点に注意願いたい)、「OPEC I」や「OPEC II」時におけるそれは、対GDP比でおよそ2%になるのである。原油価格の上昇ペースが緩やかであれば、それだけその影響も弱まることになるだろう。

二つ目の候補は、とりわけ重要である。ノードハウスは、Fedがどのようなルールに従って政策金利を決定しているか(いわゆる「テイラー・ルール」)を推計しているが、1980年以前のFedはヘッドラインCPI(食料やエネルギーの価格を含んだ消費者物価指数)に重きを置いて金融政策を運営していたが、1980年以降になるとコアCPIに重きが置かれるようになっていることを見出している。バーナンキその他(Bernanke et al. 1997)によると、かつてのオイルショック時に生産量が落ち込んだ理由の多くは、Fedがインフレを抑えるために金融引き締めに動いたためだとされているが、そのような見方が正しいとすると、つい最近の原油価格の高騰がどうしてそれほど大きな生産の落ち込みを伴わなかったのかについてもそれなりに納得がいくことになる。というのも、先にも触れたように、オイルショックがコアCPIに及ぼす影響が弱まってきていて、FedがコアCPIに重きを置くようになっているとすると、オイルショックの発生に伴って金融政策が変更される(原油価格の高騰に伴って、金融政策が引き締められる)可能性は小さくなっていると予想されるからである。

三つ目の候補は、1970年代に比べて、実質賃金の伸縮性が高まっている可能性である〔訳注:このパラグラフでは、ノードハウスの主張がかなり圧縮されたかたちで要約されており、そのまま訳したのでは内容がわかりづらいだろうと判断して、Nordhaus(2007)に照らし合わせて訳者の側で若干修正を加えている〕。それもこれも、原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が世間一般に広がったことが大きい。その結果として、原油価格が高騰しても、労働者は名目賃金の引き上げを求める代わりに、実質賃金の下落を受け入れるようになった。新古典派的なメカニズム(相対価格の変化に促された生産要素間の代替〔訳注;財・サービスを生産するにあたって、相対的に高価になった生産要素(エネルギー)の代わりに、相対的に安価になった生産要素(労働)の投入を増やす〕)が働く余地が広がることになった可能性があるのだ。さらには、原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が広がったことで、消費者が原油高騰による実質所得の低下をあくまで一時的なものと見なすようになった。その結果として、原油価格の高騰が実質所得の低下を招いて総需要を冷え込ませるケインジアン的なメカニズムの効果がかつてよりは和らいでいる可能性がある。このような一連の変化は、オイルショックが生産量や雇用量に及ぼす影響を弱める方向に作用することだろう。

ブランシャール&ガリの二人も実質賃金の伸縮性が高まっている可能性に言及しているが(Blanchard and Gali 2007)、それに加えて、1970年代以降に中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まってきていることも見逃せないと主張している。中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まれば、原油価格が高騰しても、予想インフレ率はそこまで変わらない可能性がある(ブランシャール&ガリの二人は、そのような証拠を見出している)。原油価格の高騰にもかかわらず、予想インフレ率が安定しているようであれば、原油価格の高騰がコアCPIや生産量に及ぼす影響は小さくなると考えられるのだ。ただし、彼らも述べているように、荒削りな面が多分にあるモデルから得られた結論とのことなので、あまり重視し過ぎないほうがいいだろう。

実証的な裏付けのある二つの興味深い要因に言及しているのがキリアンだ(Kilian 2007)。いずれの要因も国際貿易と深い関わりがある。まず一つ目の要因は、おそらくはかつての2度にわたるオイルショック(「OPEC I」と「OPEC II」)がきっかけとなって、1973年以降にアメリカ国内の自動車産業で構造転換が進んだことである。小型で燃費の良い車を手に入れようと思ったら、かつては海外から輸入するしかなかったが、今では国内でも大量に製造されるようになっている。その結果として、原油価格が高騰しても、国産車への需要がかつてほど落ち込むことはなくなったのである(これまでの小型化・低燃費化の流れに逆行するかのようにして、SUV車が流行しているが、自動車産業もアメリカ経済もその代償を今になって支払わされているわけだ)。さらには、1970年代に比べると、自動車産業がアメリカ経済全体に占めるシェアもずっと小さくなっていて、このこともオイルショックの影響が弱まってきている理由の一つとなっている。

キリアンが指摘している二つの目の要因は、原油価格の高騰をもたらしたそもそもの原因に関わるものである。2002年~2008年にかけて原油価格が高騰した理由は、(1970年代のように)世界的に原油の供給が減少したためでもなければ、原油市場に特有のショックが発生したためでもなく、世界経済の堅調な成長に支えられて原油に対する需要が増加したためであるようだ。原油価格の高騰は、その原因の如何を問わず、アメリカのような原油輸入国にとっては「オイルショック」を意味することに変わりはないが、世界経済が堅調な成長を続けているおかげで海外への輸出が増えることになり、その結果として「オイルショック」に伴う負の影響(「オイルショック」に伴う生産の落ち込み)が和らげられる格好となったのである。


結論

まとめるとしよう。「オイルショックの影響が弱まってきているのはなぜか?」という疑問に答えるために長々と探りを入れてきたわけだが、その苦労も無駄ではなかったようだ。無駄ではなかったどころか、豊作だ。答えの候補が数多く列挙されたリストが出来上がったのだから。そのうちのどれか一つが群を抜いているわけではなく、いずれの候補も多かれ少なかれ妥当性を備えているように思われる。スタグフレーションの原因をめぐる「サプライショック説」も依然として定性的には妥当性を失っていないが、定量的にはかつてほど重要ではなくなっている〔訳注;原油価格の高騰に伴って、コアCPIが上昇したり生産量(や雇用量)が落ち込む可能性はあるが、その影響の量的な大きさは限定的ということ〕。よほどの不運や政策上の不手際に見舞われない限りは、食料やエネルギーの価格が高騰したとしても、1970年代や1980年代初頭のように惨憺たる結果が招かれる必然性は最早ないのだ。


<参考文献>

●Barsky, Robert B., and Lutz Kilian. 2002. “Do we really know that oil caused the Great Stagflation? A monetary alternative”, In NBER Macroeconomics Annual 2001, eds. Ben S. Bernanke and Kenneth Rogoff, 137-183.
●Bernanke, Ben S., Mark Gertler, and Mark Watson. 1997. “Systematic monetary policy and the effects of oil price shocks”, Brookings Papers on Economic Activity 1: 91-142.
●Blanchard, Olivier J., and Jordi Gali. 2007. “The macroeconomic effects of oil shocks: Why are the 2000s so different from the 1970s?”, NBER Working Paper no. 13368, September.
●Blinder, Alan S., and Jeremy B. Rudd. 2008. “The supply-shock explanation of the Great Stagflation revisited”, NBER Working Paper no. 14563, December.
●Cecchetti, Stephen G., Peter Hooper, Bruce C. Kasman, Kermit L. Schoenholtz, and Mark W. Watson. 2007. “Understanding the evolving inflation process(pdf)”, US Monetary Policy Forum working paper, July.
●DeLong, J. Bradford. 1997. “America’s peacetime inflation: The 1970s(pdf)”, In Reducing inflation: Motivation and strategy, eds. Christina D. Romer and David H. Romer, 247-280. Chicago: University of Chicago Press.
●Hooker, Mark A. 1996. “What happened to the oil price-macroeconomy relationship?”, Journal of Monetary Economics 38 (October): 195-213.
●Hooker, Mark A. 2002. “Are oil shocks inflationary? Asymmetric and nonlinear specifications versus changes in regime”, Journal of Money, Credit, and Banking 34 (May): 540-561.
●Kilian, Lutz. 2007. “The economic effects of energy price shocks(pdf)”, University of Michigan, October. Mimeo.
●Nordhaus, William D. 2007. “Who’s afraid of a big bad oil shock?”, Brookings Papers on Economic Activity 2: 219-240.