Garett Jones, “Debt: The Stickiest Price of All”(EconLog, September 11, 2012)
名目支出(総需要)が減るせいで実体経済に害が及ぶとしたらいかにしてか? そのことについて経済学者はぺちゃくちゃと喋りまくる。いや、喋らざるを得ないのだ。名目支出が減ると、産出量(実質GDP)が減るというのは当たり前ではないからだ。「一般的な供給過剰」(general gluts)の存在を前提するわけにはいかないからだ。
窓の外に目をやれば供給過剰の証拠なんてすぐに見つかるというのが世間の考えだというのに、供給過剰を生んでいる根本原因を解き明かすためにわざわざ頭を悩ます必要なんてあるんだろうか? あるのだ。供給過剰の存在は、経済学者がこれまでに育んできた偉大なアイデアの一つと抵触するのだ。売れ残りが出るようなら――労働者が職にあぶれていたり、住宅が売れ残っていたり、車が売れずに駐車場で錆びついていたりするようなら――、価格が低下して、売り捌かれるはずなのだ。
売れ残りが出ると、供給過剰を解消するようなプロセスが始動するはずなのだ。その実例を知りたければ、終了まで残り30分のガレージセールを眺めるといい。
価格の力に刃向かって供給過剰が解消されるのを妨げる「摩擦」(“frictions”)というのがあるとすれば、相当強力じゃないといけないはずで、誰の目にもすぐに目につくはずだ。しかしながら、経済学者が持ち出す「摩擦」というと、「粘着価格」(“sticky prices”)だとか、「粘着賃金」(“sticky wages”)だとか、文化規範だとか、公共部門の労働組合だとかというのが通例だ。どれも強力だし、その存在も疑おうとは思わない。しかしながら、需要と供給の力を上回るくらい強力だろうか? 何年も持続するくらい強力だろうか?
ここで、私のお気に入りの「摩擦」にご登場願おう。社会心理学的な理由によってではなく、契約の力によって生じる「摩擦」である。その名は、「債務」(debt)。家計が負う債務。企業が負う債務。政府が負う債務。債務の破壊力に着目した経済学者と言えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)だ。1933年にエコノメトリカ誌の第1号に掲載された大変優れた論文(pdf)で、債務が景気を収縮させることを説いたのだ。フィッシャーの不況理論(デット・デフレ理論)は、ケインズの『一般理論』の中のどの説明よりも優れているというのが私の考えだ。
債務が存在するようだと、売り上げがちょっと落ち込むだけでも破産するおそれがある。収入が大きく落ち込むと、資産の投げ売りが誘発される。借り入れている額が大きいほど、自由にできるお金も少なくなる。債務の返済に充てないといけないからだ。クレジットカードの滞納が何度か続くと、これまでとは別の社会階級に仲間入りしないといけなくなる。住宅ローンが返済できないと、警察がやって来て我が家から追い出される。クレジットカードの支払いにしろ、住宅ローンの返済にしろ、粘着的な価格なのだ。
実質値で測った小売売上高が危機以前のトレンドをおよそ15%も下回った理由の一部は、債務が粘着的な価格だからだろう。大きく落ち込んだ売上高の中から債務を返済して、警察が我が家にやって来るのを防がなくてはいけないのだ。
個人的にこれという答えが出せないでいる問いがある。民間部門の債務は、大きな「負の外部性」を生むのだろうか? 名目所得(名目GDP)が不安定なようなら、その答えは「おそらくイエス」というのがフィッシャーの教えなのだ。