2012年10月11日木曜日

Paul Krugman 「デレバレッジ・ショックと財政乗数」(2012年10月9日)

Paul Krugman, “Deleveraging Shocks and the Multiplier (Sort of Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, October 9, 2012)


IMFが財政乗数の推計について懺悔していて、ジョナサン・ポルテス(Jonathan Portes)――1週間後にロンドンで財政政策について討論する予定になっていて、彼とは共同戦線を張ることになりそうだ――がそのことについてコメントを加えている。世界中の多くの政策当局者は、財政乗数の値が1を大きく下回るという前提で行動してきたが、経験に照らすなら財政乗数の値は1よりも大きいようだというのだ。

あえて指摘しておかないといけないと思うことがある。財政乗数の値が大きくなる理屈と、危機が起こる理屈との間には非常に密接なつながりがあるのだ。信用バブルが崩落した後には、財政乗数の値が大きくなると予想されるのだ。それだからこそ、信用バブルが崩落した後にどうにでもなれとあきらめてしまうと――もっとまずいことには、財政緊縮に乗り出してしまうと――、ひどい害が招かれてしまうのだ。

今みたいな混乱に陥ることになってしまったのは、どうしてなんだろう? 借り入れに対して過度に強気な姿勢が続いていたかと思ったらある日突然目が覚めたというのが、シンプルだけど概ね正しい筋書きだ。家計が負う債務が急速に膨れ上がって、ある時突如として借り過ぎだと悟られたのだ。




マクロ経済学的な観点からすると見逃せないのは、借り入れとデレバレッジ(債務の圧縮)が景気に及ぼす効果が非対称ということだ。他の事情が一定で変わらないようなら、借り入れが増えると総需要も増える。でも、そのようにして総需要が増えても中央銀行がその気になれば相殺できるし、その気になって相殺するのが通常だ。金利を引き上げるのはいつだって可能だからだ。その一方で、デレバレッジが景気に及ぼす効果を相殺するのは、借り入れが景気に及ぼす効果を相殺するのと同じくらい造作ないかというと、そうじゃない。金利を引き下げて応じるという手があるが、ゼロ%までしか下げられない。非伝統的な金融政策で応じるという手もあるが、非伝統的な金融政策については異論もあって、その効果も不確かなところがある(だからといって、非伝統的な金融政策には手を付けるなかれと言いたいわけじゃない)。

つまりは、借り入れが急速に膨張していたのが一転して、誰も彼もがデレバレッジ(債務の圧縮)に勤(いそ)しむようになると、総需要の不足が長引いてしまう可能性があるのだ。通常の金融政策によってはそのことを解決できない可能性があるのだ。僕が言うところの「不況の経済学」が当てはまる状況に陥ってしまうのだ。

信用バブルが崩落した後に財政乗数の値が通常よりも大きくなるのも同じ事情が絡んでいる。通常であれば、拡張的な財政政策は、金融引き締め(金利の引き上げ)によって相殺される一方で、緊縮的な財政政策は、金融緩和(金利の引き下げ)によって相殺される。通常の経験に基づいて導き出された財政乗数の推計値が小さいのもそのためなのだ。しかしながら、誰も彼もがデレバレッジに勤しむせいで「流動性の罠」に陥ってしまうと、金融政策によって財政政策の効果を打ち消すことができなくなる。

「流動性の罠」に陥ってしまったとしたら、財政乗数の値はどれくらいになると予想されるだろうか? 答. 1より大きい。

その理由を探るために、まずは摩擦の無い世界を想定してみるとしよう。つまりは、消費者が将来のことを完全に見通すことができて(完全予見の仮定)、誰もが資本市場に自由にアクセスできる(資本市場の完全性の仮定)と想定するとしよう。摩擦の無い世界では、財政乗数の値は1になるはずだ。政府支出が変化しても、消費支出は増えも減りもしないはずだ。それゆえ、政府支出が増えるのと同額だけGDPが増えるはずだ。その理由は? 政府支出が増えると、今の時点で所得が増えるけど、それと同時に将来における税負担も増えるからだ。それら2つの効果がちょうど打ち消し合うことになるのだ。

現実に近付けて摩擦を付け加えてみるとしよう。家計は流動性制約下にあるか、今の所得がどれくらいかに照らして消費のために使う金額を決めるような経験則(rules of thumb)に従っているとしよう――ところで、エガートソン(Gauti Eggertsson)との共著論文でも指摘したが、債務ないしはデレバレッジを組み込んだモデルを使うというのは、多くの家計が流動性制約下にあると想定していることを意味するのだ――。そのような摩擦が存在するようなら、政府支出が増える結果として今の時点で所得が増えたら、消費支出も同じようにいくらか増えるだろう。反対に、政府支出が減る結果として今の時点で所得が減ったら、消費支出も同じようにいくらか減るだろう。つまりは、財政乗数の値が1よりも大きくなるのだ。

マーケットからの「信頼」がどうのこうのという意見があるかもしれない。政府支出が変化したとして、それが将来における政府支出のもっと大きな変化の前触れであるとみんなが信じるようなら、先の結論もひっくり返るかもしれない。でも、財政刺激策が試みられたとして、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、そんなことは到底ありそうにない。これまでを振り返ると、財政刺激策はあくまでも一時的な措置でしかなかったからだ。財政危機に陥って慌てて財政緊縮策に乗り出す場合にしても、将来的に何かもっと大きな変化があるに違いないとみんなが信じるかというと、かなり疑わしい。

そんなわけで、財政乗数の値が大きいからといって驚くべき理由なんてないのだ。今のような危機に陥ったら、そうなるはずと予測できたことなのだ。財政乗数の値が1を大きく下回るなんていう正当化し得ない想定が受け入れられたせいで、危機の深刻化に拍車がかかってしまったのだ。

Antonio Fatas 「過小評価された財政乗数」(2012年10月8日)

Antonio Fatas, “Underestimating Fiscal Policy Multipliers”(Antonio Fatas on the Global Economy, October 8, 2012)


IMFの世界経済見通し(IMF World Economic Outlook)の最新版(2012年10月)が公表されたが、世界経済の成長が鈍化するリスクについて強く警戒されている(報告書の全文はこちら)。第1章に目を向けると、これまでの成長予測において財政乗数の大きさが過小評価されていた可能性について優れた分析が加えられている。一部を引用しよう。

多くの国々が財政再建に取り組む中で、財政乗数の大きさについて激しい議論が繰り広げられた。財政乗数の値が小さければ小さいほど、財政再建に伴うコストも小さくなる。実際のところはどうだったか? 財政再建に着手した国々のパフォーマンスは、期待を裏切るものだった。そこで当然問われるべきは、財政乗数の値が過小評価されていたのではないかということである。財政引き締めが景気に及ぼす短期的なマイナスの効果が予想を上回ったのは、財政乗数の値が過小評価されていたからではないかということである。

そうなのだ。財政乗数の値は過小評価されていたのだ。

これまでの経緯を私なりに振り返ってみるとしよう。11年くらい前に試みられた一連の学術的な研究によると、財政乗数の値は1〜1.5の範囲にあると推計されていた。言い換えると、政府支出が1%増えると、GDPが1〜1.5%増えると推計されていたのである。2001年にイリアン・ミホフ(Ilian Mihov)と一緒に書いた論文――その論文はこちら(pdf)――で私なりに達した結論でもあり、ほぼ同じ時期に書かれたオリヴィエ・ブランシャール(Oliver Blanchard)とロベルト・ペロッティ(Roberto Perotti)の共著論文――その論文はこちら(pdf)――でも同じ結論が得られている。この件についてはその後に大量の研究が積み重ねられた。数多くの論文が(財政乗数の値が1〜1.5の範囲にあるという)先の推計結果を追認したが、疑問を投げ掛ける論文もあった。例えば、戦争のようなイベントに着目した研究では、財政乗数の推計値は小さくなりがちだった。財政政策が絡んでくる問題だけに、論争はいつまで経っても鎮まらなかった。乗数の値はゼロに近い、いやマイナスだ――政府支出が増えると、それと同じ額かそれ以上に民間の支出が減る――と語る研究者も出てくる始末だった。 

論争はあったものの、2008年に危機が勃発するまでに得られていた研究成果を私なりに振り返ると、乗数の値は1くらいか1を少し上回るというのが大方の見立てだったと言っていいと思う。

2008年に危機が勃発すると、財政乗数の値がどれくらいかという問題は、学術的な論争の対象から、緊急を要する政策課題の争点になった。財政刺激策はどれくらいのインパクトを持つのだろう? オバマ政権は、財政刺激策の必要性を正当化するために、財政乗数の値が1.5くらいであることを示唆する報告書――執筆者の一人は、クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)――を発表した。この報告書に批判を加えたのは、深刻な危機に陥っていようが総需要を管理しようなんて以ての外だと信じている人たちだった。財政乗数の値をめぐる論争は、イデオロギー闘争の様相を強めていった。その一方で、我々が今まさに直面しているような特殊な状況――金融政策がゼロ下限制約に直面していて、債務の圧縮に伴って民間の需要が落ち込んで深刻な景気後退に陥っている状況――では、乗数の値が11年前の推計値よりも大きくなる可能性を示唆する学術的な研究がちらほらと表れ出した。

しかしながら、その新しい研究成果も従来の研究成果ともども無視された。財政刺激策が試みられた後の2008年〜2009年に繰り広げられたイデオロギー色が濃い論争の結果として導き出されたのは、財政刺激策は効果がなかったし、財政緊縮に邁進することこそが求められているという結論だった。過去2年の間に多くの政府が足並みを揃えて財政緊縮に乗り出したが、乗数の値が大きい可能性を見過ごしてGDPの成長率が予測されたのだった。

IMFが最新の世界経済見通しの中で自己批判を込めて分析しているが、世界経済の成長率を予測するために使っていたモデルに検討を加えたところ、財政再建のインパクトを予測するにあたって乗数の値が0.5くらいであると暗黙のうちに想定されていたことがわかったという。GDPの成長率の実績値が予測を下回ったことを踏まえると、乗数の値は0.5を上回るのではないかというのがIMFの考えで、乗数の値は0.9〜1.7の範囲にあるかもしれないと示唆している。11年前の推計結果とほとんど同じであり、最新の推計結果とも合致する。今のような特殊な状況に置かれたら乗数の値がどうなりそうかをモデルを使って理論的に予測する試みもあるが、その大半の結果ともそれほどかけ離れていないのだ。