2016年5月31日火曜日

George Akerlof 「木の上の猫 ~経済危機に関する私見~」

●George A. Akerlof, “The cat in the tree and further observations: Rethinking macroeconomic policy”(VOX, May 9, 2013)
経済学者は危機の到来をうまく予測することができなかった。しかしながら、危機に対処するために導入された一連の経済政策はそのほとんどが「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。良い経済学(経済学の教えの中でも質的に優れたもの)も良識(健全な世間知)もこれまでのところかなりうまく働いている。これまでに様々な対策が試みられ、成果もきちんと上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。

編集者による注記:この記事はIMF主催のカンファレンス「マクロ経済政策を再考する<第二弾>:初動対応と現段階での教訓」(“Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”)の模様を回想して書かれたエッセイのトップを飾るものである。

今回IMFが主催したカンファレンスでは「マクロ経済政策の再考」がテーマとして掲げられた(IMF 2013)。私もその場に参加させてもらったわけだが、多くのことを学ぶことができた。カンファレンスの席上でスピーチしてくださったすべての方々に大いに感謝したいと思う。今回のカンファレンス全体の印象を一つのまとまったイメージとして描き出すとどうなるだろうか? 誰かの役に立つかどうかはわからないが、私なりのイメージを語らせてもらうと次のようになるだろう。猫が大木によじ登り、木の上の高い所にじっと居座っている。そしてその猫を頭を抱えて見上げる人々の群れ。そういうイメージだ。言うまでもないだろうが、「猫」というのは2008年以降に我々の身に襲いかかることになった大規模な経済危機を指している。今回のカンファレンスでは「木の上に居座る愚かな猫をどう取り扱うべきか?」「猫を木の上から降ろすためにどうしたらいいだろうか?」という問いを巡って参加者一人ひとりが思うところを吐露したわけだ。その様子を眺めていてとりわけ感銘を受けたのは、「猫」に対するイメージ(「猫観」)が各人ごとで違っており、意見が被るということがなかったことだ。とは言え、延々とすれ違いが続くというわけではなく、時として互いの意見がうまくかみ合う(補強し合う)瞬間が訪れる。今回のカンファレンスを振り返ってみるとそういうイメージが浮かんでくるのだ。今回のカンファレンスで交わされた討論は大変有益なものだったというのが私の感想だが、それというのもどの「猫観」もそれぞれ独自の観点から導き出されたものだったからだ。そしていずれの「猫観」もそれぞれ妥当な根拠に裏付けられている。私自身の「猫観」はどういうものだろうか? 哀れな猫が木の上にいて今にも飛び降りようとしている。しかし、木の下でその様子を眺めている人間たちはどうしていいかわからないでいる。こういう感じになるだろう。


経済危機に関する私見

それではこの度の危機に関する私なりの考えを具体的に論じていくことにしよう。これまでのところ「猫」の扱いはどのくらい上手くいったと言えるだろうか? これまでに大勢の人々がそれぞれ独自の観点から訴えてきた多様な主張を私なりに少々違った角度から照射してみることにしよう。

以下では議論の対象を危機以降のアメリカ経済に限定するが、これから論じることはその他の国々にとっても関係してくることだろう。まず何よりも真っ先に取り上げたいのはオスカー・ヨルダ(Oscar Jorda)とモリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)、そしてアラン・テイラー(Alan Taylor)の三名の手になる大変優れた共著論文である(Jorda, Schularick&Taylor 2011)。この論文では1870年から2008年までの間に先進14カ国で発生した景気後退が金融危機を伴う景気後退(financial recession)とそうではない(金融危機を伴わない)通常の景気後退(normal recession)の2つのタイプに分類されている。景気後退に先立つブーム期に与信残高の対GDP比はどの程度の値に達したか? (景気後退に先立つ)ブーム期における与信残高の対GDP比の値の違いに応じてその後に発生した景気後退の性質(GDPの落ち込みの程度やGDPの回復ペース)にどういう違いが見られるか? 彼らの論文ではその点について詳しく検証されているわけだが、その検証の結果として実証的に確たる裏付けのある次のような発見が得られている。

  • 金融危機を伴う景気後退は通常の景気後退に比べて落ち込みの程度が大きいだけではなく、その後の景気回復の足取り(景気回復のペース)も鈍い傾向にある。さらには、金融危機を伴う景気後退の中でもその後の景気回復の足取りには違いが見られ、景気後退に先立つブーム期における与信残高の対GDP比の値が高いほどその足取り(景気回復のペース)は鈍い傾向にある。

以上の発見は過去の歴史を振り返るとそうだったという話だ。過去のエピソードの検証を通じて得られた以上の発見は目下の危機についてどのような光を投げ掛けるだろうか? その答えは「与信残高」をどう測るかによって左右されることになる。

  • 民間部門における銀行融資残高で「与信残高」を測った場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」):ピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPの水準と景気後退入りして以降のGDPの水準との差に着目すると、2007年以降のアメリカの景気回復局面では過去の似たような事例(景気後退に先立つブーム期における与信残高の対GDP比が同じくらいの値を記録した過去の事例)の平均と比べるとその差は1%程度ほど小さいことがわかる。
  • 民間部門における銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えた場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」+「シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高」):シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高も加えるとそれに応じて「与信残高」の対GDP比の値も高まるわけだが、同じくピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPの水準と景気後退入りして以降のGDPの水準との差に着目すると、2007年以降のアメリカの景気回復局面では過去の似たような事例の中央値と比べるとその差は4%程度ほど小さいことがわかる。

以上の点について詳しくは論文のグラフ をご覧いただきたいが(訳注1)、金融デリバティブの隆盛に伴って「与信(信用)」(‘credit’)をどう測ればいいのかがますますよくわからなくなってきている面がある。

デリバティブがリスクヘッジのための手段として機能するようであれば、金融市場がクラッシュしてもデリバティブの存在のおかげでそのインパクトは和らげられることになる。そう予想されることだろう。例えば、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を購入しておけばお金を貸している相手が債務不履行に陥ってもその煽りを受けて自分も破産してしまうというリスクを避けることができる。そういう意味ではクレジット・デフォルト・スワップは金融市場がクラッシュした場合にそのインパクトを和らげる働きをすると予想されることだろう。その一方で、(クレジット・デフォルト・スワップをはじめとした)デリバティブはギャンブルに近い投機的な活動を後押しする可能性があるという立場に立つと、デリバティブは金融市場がクラッシュした場合のインパクトを増幅する働きをすると予想されることだろう。

2007年~2008年のアメリカで金融市場がクラッシュした際にはデリバティブは様々な経路を通じてギャンブルに近い投機的な活動を後押しする役割を果たしていた。一般的にはそのように解釈されている。こういう話がよく持ち出されるものだ。(カリフォルニア州の)セントラル・バレーで怪しげな相手に貸し出された複数の住宅ローン(モーゲージ)がひとまとめにしてプールされ、それを担保にあれこれの証券が組成される。そしてそのようにして生み出された証券に格付け機関からAないしはそれ以上の評価が与えられる。デリバティブはかようにして住宅ローンの評価を順繰りに吊り上げる仕組みを生み出すことになったのだ、と。怪しげなジャンクが格付けに影響を及ぼさない環境が用意され、そのためにモーゲージのオリジネーター(住宅ローンの原債権者)は住宅ローンの借り手に頭金を要求するインセンティブも借り手の信用調査を行うインセンティブも失うことになった。頭金の支払いも求めないし信用調査も行わないというケースは実際のところそう珍しくもなかったのである。

新たなデリバティブが次々と編み出され、そのどれもこれもに高い格付けが与えられる。そのようなことが可能となったのは投資銀行や格付け機関が「受託者」(fiduciary)という立場に伴う高い評判を存分に活用したためだった。デリバティブに備わるこのような(ギャンブルに近い投機的な活動を後押しする)役割を踏まえると、銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えて「与信残高」を測ったとしてもその指標では金融面の脆弱性を正確に捉えることはできない(金融面の脆弱性の程度が過小評価されることになる)だろうし、その指標に依拠したベンチマーク(金融危機を伴う景気後退が発生した後の景気の落ち込みの程度に関する想定)も控え目なものとなってしまうことだろう。


政策の成否を測るベンチマークとしての大恐慌

2008年の秋頃に世間一般に広まっていた認識は「与信残高」に依拠したベンチマークが控え目なものであることを見抜いていたようだ。政府が介入しなければ(政府が何らかの対策を講じなければ)「大恐慌」級の不況がやって来るだろう。2008年の秋頃にはそのように考えられていた。「大恐慌」がベンチマーク(現状を評価するための物差し、政策の効果を測るための比較対象)として想定されていたわけだ。「大恐慌」というベンチマークに照らして考えると、これまでに手掛けられたマクロ経済政策は「グッド」というにとどまらず「エクセレント」という評価に値すると言えるだろう。アラン・ブラインダー(Alan Blinder)も出色の一冊である『After the Music Stopped』の中でまったく同様の評価を下している(Blinder 2013)。

これまでに手掛けられた危機への対応策はそのほとんどが「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。その具体的な例を列挙すると以下のようになる。

  • 2008年景気刺激法
  • 保険大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)への公的資金の注入(を通じた救済)
  • ワシントン・ミューチュアルやワコビア、カントリーワイドといった大手金融機関の救済合併
  • 不良資産救済プログラム(TARP)
  • 財務省とFedが中心となって進めた銀行のストレステスト(健全性審査)
  • Fedによるゼロ金利政策(政策金利をほぼゼロ%の水準にまで引き下げる)
  • 2009年アメリカ復興・再投資法(ARRA)
  • 自動車業界の救済
  • IMFが主導的な役割を果たしたG20ピッツバーグ・サミットでの合意内容に沿った国際協調(国際的な政策協調)

危機への対応策との絡みで私なりに不満を感じていることもなくはない。

  • 政策の成否は足許の失業率の高さで測るのではなく、ベンチマークとの比較で測るべきだ。景気後退に先立つブーム期に金融面での脆弱性がどこまで高められることになったか、そして金融面での脆弱性が顕在化した後に何の対策も講じずに放っておいたらどうなっていたと考えられるか? そのような想定を通じてベンチマークを拵え、そのベンチマークと現状(何らかの対策が講じられた現実の状況)との比較を通じて政策の成否を測るべきだ。経済学者は世間に向けてそう訴えるべきだったのだ。

(金融面での脆弱性が顕在化した後に何の対策も講じずに放っておいた場合(ベンチマーク)と現状とを比べた上で判断すると)これまでのところマクロ経済政策は成果を上げている。経済学者は世間に向けてそう説明すべきだったのにその任務をうまくこなせずにいる。とは言え、仮に経済学者がきちんと説明していたとしても世間がその説明をすんなりと受け入れたとは限らない。そう考えるに足るそれなりの理由もある。世間一般の人たちはマクロ経済学やマクロ経済の歴史を学ぶ以外にもやるべきことをたくさん抱えているのだ。

しかしながら、これまでに手掛けられた一連のマクロ経済政策がかなり高い成果を収めたことに気付くためには(マクロ経済学やマクロ経済の歴史に習熟せずとも)ちょっとした良識を働かせるだけでいい。例えば、リーマン・ブラザーズが1ドルの赤字を計上しており、破産裁判所の厄介にならないで済む(経営破綻という事態を避ける)ためには1ドルの黒字に転じるだけでいいとしよう。その場合、今まさに危機が起きようとしている決定的な瞬間を逃さずにわずか2ドルの公費を投じるだけで「大恐慌」級の不況が回避される可能性があることになる。「大恐慌」級の不況を避けるためには2ドルあれば十分というわけであり、この2ドルは「堤防の裂け目に突っ込まれた指」(訳注2)のようなものというわけだ。

言うまでもないが、実際のところは金融機関を救済するために投じられた公費は2ドルでは済まなかった。そのために必要となる金額はプラスの値になることは避けられないだろうし、その額は最終的には数十億ドルに及ぶ可能性もある。しかしながら、金融機関を救済するために公費を投じたおかげで金融システムのメルトダウンが避けられたことは確かだ。仮に(金融システムのメルトダウンを避けることができず、その結果として)「大恐慌」級の不況に見舞われていたら数兆ドル単位に及ぶGDPが失われていた可能性があるわけだが、そうだとすると不良資産救済プログラム(TARP)の費用対効果は(金融機関を救済するために数十億ドルの公費を投じることで「大恐慌」級の不況(数兆ドル単位のGDPが失われる事態)が回避される可能性があるという意味で)1対1000にも上るということになる。費用対効果が1対1000だというのだから「堤防の裂け目に突っ込まれた指」という喩えを持ち出しても誇張でも何でもないと言えるだろう。

それに比べるとブッシュ政権とオバマ政権のもとで試みられた財政刺激策(2008年景気刺激法と2009年アメリカ復興・再投資法)は費用対効果の面でいくらか見劣りする。とは言え、効果があったことは確かだ。政府支出乗数の値は今のところ2くらいだと推計されているが、その値は直感的にも納得いくものだ。流動性の罠に嵌っている状況では均衡予算乗数の値は理論的にはおよそ1くらいであり、実証的に見てもそのくらいだと推計されている。減税乗数(租税乗数)の値も同じく1くらいだと推計されている。政府支出乗数は均衡予算乗数と減税乗数の和として求められる。それゆえ政府支出乗数の値は2くらいということになるわけだが、そうだとすると財政刺激策もかなり大きな見返りが期待できる対策であることは確かだと言えるだろう。


結論

まとめることにしよう。危機の予測という点に関しては経済学者はダメダメだった。その一方で、危機が勃発してからこれまでの間に手掛けられた一連の経済政策は「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。そのような一連の経済政策はブッシュ政権およびオバマ政権の両政権を通じて次々と取り入れられたものであり、議会もそれを支持したのだった。

良い経済学(経済学の教えの中でも質的に優れたもの)も良識(健全な世間知)もこれまでのところかなりうまく働いている。これまでに様々な対策が試みられ、成果もきちんと上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。

編集者による注記:この記事は元々iMFdirectに投稿されたものだが、IMFの許可を得た上で本サイトにも転載される運びとなった。


<参考文献>

●Blinder, Alan S (2013), After The Music Stopped, Penguin.
●IMF (2013), “Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”, conference, 16-17 April.
●Jorda, Oscar, Moritz Schularick and Alan Taylor (2011), “When credit bites back: Leverage, Business Cycles and Crises”, NBER Working Paper Series 17621, NBER.


(欄外訳注1)


このグラフはJorda, Schularick&Taylor論文のpp.36にあるFigure. 5 (b) を転載したものである。民間部門における銀行融資残高で「与信残高」を測った場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」)の過去の似たような事例は茶色の線で表されており、民間部門における銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えた場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」+「シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高」)の過去の似たような事例は赤線で表されていると大まかに捉えてもらって構わないだろう。2007年以降のアメリカ経済の軌跡は紫色の線で表されている。縦軸はピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPとその時々のGDPとの差を表しており、横軸は景気後退入りしてからの経過年数を表している。曲線が縦軸の0の値に近づくほど景気の復調に伴ってピーク時のGDPとの差が縮まっていることを示している。ちなみに、Jorda, Schularick&Taylor論文の概要は次のVOXの記事で知ることができる。 ●Moritz Schularick and Alan Taylor, “Fact-checking financial recessions: US-UK update”(VOX, October 24, 2012)

(欄外訳注2) 「堤防の裂け目に突っ込まれた指」(finger in the dyke)というのはアメリカの作家であるメアリ・メープス・ドッジの作品『銀のスケート-ハンス・ブリンカーの物語』の中の「ハールレムの英雄」という話(堤防の裂け目に自分の指を突っ込んで水漏れを塞ぎ、村が水浸しになることを防いだオランダの少年が主人公のフィクション)に由来する表現のようだ。堤防の裂け目に指を突っ込むという一見些細な行動が大災害を防いだごとくに費用対効果が驚くほど大きい、というような意味が込められているのであろう。

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