2010年11月25日木曜日

Mark Thoma 「QEⅡって何?」


Mark Thoma, "What is QEII?"(moneywatch.com, November 15, 2010)


最近よく耳にするQEⅡとは一体何なのであろうか? 日本語で量的緩和と訳されるQuantitative Easing(QEと略される)-かつてFedも一度実施したことがあり(1度目のQEということでQEIと呼ばれる)、近々再度実施にうつされる見込みである(2度目のQEということでQEIIと呼ばれる)-のメカニズムについては、イールドカーブ(利回り曲線)を用いて説明するのがわかりやすいだろう。イールドカーブというのは、金融資産の期待利回り(≒金利)が資産の満期の違いに応じてどのように変化するかを以下のように図示したものである。



横軸には各資産の満期までの長さがとられている。一番左端にはFF市場(コール市場)で取引されるオーバーナイト物(翌日物)の金融資産が、右端にはモーゲージのような30年物の金融資産が位置している。オーバーナイト物と30年物モーゲージとの間には、満期までの長さが短い順に、左から3ヶ月物、6カ月物、1年物、5年物、10年物、20年物といった金融資産が位置することになる。縦軸には満期の違いに応じた各資産ごとの期待利回りがとられている。一般的にはイールドカーブは右肩上がりの形状を持つことになる。手元の貨幣をより長い期間にわたって投資するよう投資家に促すためには満期までの長さが長くなるに応じて追加的に高い利回りが必要とされることになるからである。

住宅バブルが発生する以前の時期においては、Fedは財務省短期証券(TB)の売り買いを通じてイールドカーブ全体を上方あるいは下方にシフトさせることが可能であった。つまり、住宅バブル以前の時期においては、Fedは長期金利と短期金利のどちらもともにコントロールしていたわけである(下図参照)。



しかしながら、住宅バブル発生~住宅バブル崩壊以前の時期においては、Fedはイールドカーブのロングエンド(右端)に対するコントロールを失ったかのように見えた。つまり、FedによるTBの売り買いがもはや長期金利に対してそこまで大きな影響を及ぼすことがなくなったかのように見えたのである(下図参照)。



企業による(実物)投資の決定や家計による新規住宅の購入決定や車や冷蔵庫のような耐久消費財の購入決定は、主に長期金利の動向に影響を受けるので、この事実(=長期金利に対するFedの影響力の低下)はFedの政策担当者にとって心配の種となることになった。しかしながら、長期金利に対するFedの影響力がなぜ低下したのかその理由が完全に解明される前に金融危機が勃発し、そのために人々の注目はこの問題から逸らされることになってしまった。ただ、TBの売り買いを通じた長期金利への影響力が低下したとしても、Fedの手元には長期金利の水準を自らが望むような方向に変化させ得る他の手段が存在している。その手段というのは、長期国債-イールドカーブのロングエンドに位置する金融資産-の直接的な売り買いである。

まさにこれこそがQEⅡの本質である。QEⅡは、従来のように短期資産の売り買いを通じてではなく、長期資産の売り買いを通じてイールドカーブのロングエンドに働きかける政策であるが、イールドカーブのロングエンドに働きかけるという点では伝統的な金融政策と何ら変わるところはないのである。

しかしながら、現在、長期資産の直接的な売り買いを通じてイールドカーブのロングエンドに働きかける必要性が生じている理由は、危機勃発以前のようにTBの売り買いを通じた長期金利への影響力が低下してしまったからではなく-住宅バブルの破裂後にはTBの売り買いを通じた長期金利への影響力は回復した-、もはやFedはイールドカーブのショートエンド(左端)の金利を操作することができないからである。

目下のところ、Fedはイールドカーブのショートエンドに働きかけることはできない。というのも、Fedが政策的に誘導している短期金利-オーバーナイト物のFF金利-の水準は今やほぼゼロ%だからである。これ以上さらに短期金利を引き下げることはできないのであるから、イールドカーブのショートエンドへの働きかけは大して効果を生むことはないだろう。しかしながら、Fedは依然として(長期資産の購入を通じて)イールドカーブのロングエンドの金利を引き下げることは可能なのである(下図参照)。



今現在望まれていることは、イールドカーブのロングエンドに位置する資産の利回りが低下することで企業による新規の実物投資や家計による消費が刺激されるようになればいいが(為替レートの減価を通じた純輸出の増加という効果もあるが、どうやらFedにはQEⅡを通じて為替レートを変化させようとする意図はないらしい。詳しくはここを参照のこと)、ということである。

そこでQEⅡの登場である。イールドカーブに沿って機能するという意味でQEⅡは伝統的な金融政策そのものに他ならないのである。

Robert Barro 「QE2に関する私見」


Robert Barro, "Thoughts on QE2"(Free Exchange, November 23, 2010)


Fedが第2弾の量的緩和-QE2と呼ばれている-に踏み切ったことに対して、賛成と反対が入り乱れるかたちで盛んに議論がたたかわされている。しかしながら、率直に言って、賛成、反対、どちらの立場であれ、それらの議論の多くは、QE2に関する主要な争点を考えるための首尾一貫した分析枠組みを欠いているように見受けられる。この場を借りてそうした分析枠組みの提示を試みてみようと思う。

Fed、そしてその議長をもって擬人化させてもらえば、ベン・バーナンキは、景気回復の足取りの鈍さならびに中でも特に将来的なデフレーションの可能性を気にかけている。こういった懸念材料(=景気回復の足取りの鈍さ、将来的なデフレの可能性)に立ち向かうために、Fedは新たな金融緩和策を計画している。Fedによる新たな金融緩和策に関して私が達した主要な結論をまとめると以下のようになる。

〇短期名目金利が実質的にゼロ%であるような現下の状況においては、財務省短期証券(Treasury bills)の購入を通じた買いオペレーションは何の効果も持たないであろう(この点についてはFedも同意しているところである)

〇長期国債(long-term Treasury bonds)の購入を通じた買いオペレーション(QE2)は金融緩和(ないしは景気刺激)効果を持つ可能性がある。しかしながら、長期国債の購入を通じた買いオペレーションは、財務省による既発国債の満期構成の短期化(shortening the maturity of its outstanding debt)とその効果において変わるところはない。なぜ財務省ではなくあえてFedが国債管理政策(既発国債の満期構成の管理)を実施すべきであるのか、その理由は明らかではない。


Fedが大きく気にかけている争点の中でも最も重要な争点は、景気回復が軌道に乗り、名目短期金利がもはやゼロ%ではなくなった際にどのようにしてインフレーションを避けたらよいかという問題、つまりは出口戦略の問題である。伝統的な出口戦略は売りオペレーションを通じて実行されることになるが、売りオペレーションを実施すれば景気回復の腰が折られることになるのではないかと心配する声がある。この懸念に対して、Fedは、「Fedの手元には出口戦略を進める上で準備預金付利という追加的な手段があり、準備預金に対して支払う金利を引き上げることで、インフレーションを回避しつつ確固とした景気回復を後押しする手助けができる」と考えているようであるが、しかしながら、私が思うに、この見解は適当ではない。出口戦略に関する私の結論は以下である。

〇出口戦略という観点からすると、財務省短期証券(TB)の利回りの上昇に歩調を合わせるかたちでの準備預金金利の引き上げは、Fedのバランスシート上に保有されているTBの売却(バランスシート上で保有されるTBの減少)を通じて準備預金の量を縮小させる売りオペレーションとその効果において変わるところはない。それゆえ、準備預金金利の引き上げは通常の売りオペレーションに基づく出口戦略と同程度の金融引き締め(ないしは景気抑制)効果を持つ。

〇出口戦略の手段として準備預金金利の引き上げと比較されるべき代替的な手段は、Fedのバランスシート上に保有されている長期国債の売却(バランスシート上で保有される長期国債の減少)を通じて準備預金の量を縮小させるオペレーションである。このオペレーションは、上記の出口戦略(=準備預金金利の引き上げ or TBの売却を通じた売りオペ)の効果に加えて既発国債の満期構成の長期化の効果を伴うことになるであろう。既発国債の満期構成の長期化に関しては、財務省がFedからの助けなしにそれ(=満期構成の長期化)を達成することも回避することも可能である。



これまでの事態の推移に触れておくと、2008年8月以降、Fedはそのバランスシートの規模を約1兆ドル分だけ拡大させてきた。それに伴い、Fedがバランスシート上で保有する資産(そのうちのほとんどが不動産担保証券(mortgage-backed securitie)で占められている。この点についてはまた別の機会で論じることになろう)はおおよそ1兆ドルだけ増え、バランスシートの反対側である負債サイドではほぼゼロ%の金利支払いがなされる超過準備がおおよそ1兆ドルだけ増えることになった。景気が低調であったこともあり、民間の金融機関はすすんでこれほど大量の無利子資産(つまりは準備預金)を受け入れる(保有する)ことになったのである。特に、金融危機の勃発により低リスク資産-Fedに預けられた準備預金もその一つである-に対する需要が急激に増加したのであった。こうして低リスク資産に対する需要が増加したために、「貨幣」( "money" )の量が急増したにもかかわらずこれまでインフレ(あるいはインフレの加速)が生じることはなかったわけである。

Fedに準備預金を預けることのできる民間の金融機関にとっては、超過準備(準備預金)とTBとは本質的には同じ(=完全に代替的な)資産である。となれば、どちらの資産の保有に対してもほぼ同水準の金利支払いがなされる必要がある、ということになる。現在のところ、準備預金金利もTBの利回りもほぼゼロ%となっている。ここでFedが通常の買いオペレーション―市中からのTB購入に応じて準備預金の供給量を増やす―を行えば、民間部門が保有するTBの量が減少し、それと同額だけ(民間部門が保有する)準備預金の量が増加することになる。現在の状況(=ゼロ金利)の下では、民間の金融機関の目には準備預金もTBも同じ資産として映るだろうから、通常の買いオペは経済に対して何の効果も及ぼすことはないだろう。つまり、物価水準や実質GDPなどには何の効果も生じないであろう。

FedがQE2を実施することになれば、Fedは通常の買いオペに加えてTBの売却と対になった長期国債の購入にも乗り出すことになる。TBの利回りと長期国債の利回りとの間には差がある―現状でTBの利回りは0.1%であり、10年物国債の利回りは約3%である―事実が示すように、TBと長期国債とは同じ(=完全に代替的な)資産ではない。QE2に対しては以下のような政策効果が期待されている。Fedが長期国債を購入することによって市中に出回る(既発の)長期国債の量が減少することになれば、長期国債の価格に上昇圧力、同じことであるが、長期国債利回り(≒長期金利)に低下圧力が働くことになるだろう。そして長期金利が低下すれば総需要が刺激されることになるかもしれない、と。この推論は正しいかもしれないが、先にも触れたように、財務省が国債の満期構成を変化させること-政府の資金調達手段として、短期国債の発行を増やし、長期国債の発行を減らす-によってもこれ(=QE2)と同様の効果がもたらされることになるはずである。

経済の改善がすすみ、それを受けて民間の金融機関がこれまでのように低リスク資産でありゼロ金利である超過準備をすすんで受け入れたがらなくなる(保有したがらなくなる)時が到来すれば、その時こそ出口戦略発動の時である。Fedが準備預金金利をほぼゼロ%の水準に維持すると同時に通常の(TBの売却を通じた)売りオペレーションにも乗り出さなければ、1兆ドルの超過準備は経済に対して激しいインフレ圧力をもたらすことになるであろう。通常であれば、インフレーションを回避するために、「貨幣」の量を減らす(TBの売却を通じた)売りオペレーションが実施されることになるであろう。

Fedは(TBの売却を通じた)売りオペの代わりに準備預金金利の引き上げに訴えることで出口戦略を改善することができると考えているようである。例えば、TBの利回りが2%にまで上昇すれば、民間の金融機関が超過準備1兆ドルをそのままFedに預けておくよう促すために、Fedは準備預金金利を2%近くにまで引き上げることになるだろう。しかしながら、一度準備預金金利が2%近くにまで引き上げられることになれば(TBの利回りと準備預金金利とが等しくなれば)、準備預金とTBとの交換を伴う公開市場操作は再び問題とはならなくなるだろう。つまり、準備預金を1兆ドルだけ縮小させるためにFedがTBを1兆ドルだけ売却しても(FedがTBをこれだけ保有しているとすればだが)何の効果も生じないであろう。この理屈からすれば、TB利回りの上昇に歩調を合わせるかたちでの準備預金金利の引き上げはTBの売却を通じた通常の売りオペと変わらない、すなわち、どちらの手段も実体経済に対しては同様の効果を持つ、ということが示唆されよう。

実際問題としては、準備預金金利の引き上げと比較されるべきは、TBの大量売却ではなく(Fedはそれほど大量のTBを保有していない)、むしろ、2008年8月以降にFedのバランスシート上に蓄積されてきた大部分の資産の売却である。QE2実施以降には、出口戦略の過程で売却されることになるであろう資産の候補はほとんどが長期国債ということになるだろうが、不動産担保証券もその候補となり得るかもしれない。TBの売却のケースと比べると、長期国債の売却には通常の売りオペの効果に加えて先に触れたQE2のトランスミッションメカニズムとは正反対のメカニズム-市中における長期国債の量が増加→長期国債の価格が低下=長期国債利回りが上昇→景気抑制効果-が働くことになるであろう。しかしながら、ここでもまた、財務省が既発国債の満期構成を変化させる-政府の資金調達手段を長期国債からTBにシフトさせる-ことでこの効果(=長期国債の売却による長期金利の上昇)を打ち消すことが可能となるのである。

私の結論を述べよう。QE2は短期的な景気刺激効果をもつ可能性があり、それゆえデフレ懸念を和らげる可能性がある。しかしながら、財務省による既発国債の満期構成の変化によってもQE2と同様の効果をもたらすことができるのである。QE2が抱えるマイナス面は、出口戦略-その目的は、Fedの大規模な金融緩和がやがてもたらすことになるであろうインフレ圧力を回避することにある-の舵取りをさらに難しくさせるところにある。しかし、Fedは出口戦略の舵を取る自らの能力に対して自信過剰気味のようである。Fedのこの自信過剰な態度を支える見解、つまりは、準備預金金利の引き上げは痛みのない出口戦略を可能とする新しくかつより効果的な手段であるという見解は誤りなのである。

2010年11月24日水曜日

Nicholas Crafts and Peter Fearon 「記憶にとどめておくべきエピソード;1937~38年のアメリカの不況から得られる教訓」

Nicholas Crafts and Peter Fearon, "A recession to remember: Lessons from the US, 1937–1938"(VOX, November 23, 2010)
今般の世界的な経済危機と1930年代の大恐慌(Great Depression)を比較する言説はしばしば目にするが、「1937年の不況」についてはそれほど広範には論じられていない。本稿では、「1937年の不況」からどのような教訓が得られるかについて検討する。「1937年の不況」は、世の政策当局者たちに対して、①財政再建は先延ばしすべきではない、②財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というメッセージを送っているのだ
OECD諸国は、大恐慌以来最も深刻な不況と金融危機から回復しつつあるようだ。それに伴って、政策当局者にとっての課題が適当な出口戦略を練ることへと移行しつつある。景気刺激策から手を引くのが早すぎて再び景気後退を招いてしまう可能性が一方であり、景気刺激策から手を引くのが遅すぎてインフレの過熱を許してしまう可能性が一方である。

名目利子率がゼロ%ないしはその近辺にある中では、財政乗数の値はおそらく大きな値をとることだろう。しかしながら、中期的な観点からすると、銀行危機の影響で潜在GDPが落ち込んだせいで構造的財政赤字――GDPギャップがゼロである(完全雇用が達成されている)状況での財政赤字額――が拡大していることを考え合わせると、財政の持続可能性(fiscal sustainability)を確保する方向に転じる必要がある。

今のこのタイミングで、1937~38年にアメリカを襲った厳しい不況――大恐慌から快調に回復しつつあったアメリカ経済に突然襲いかかった不況――を振り返ってみるのは時宜を得ていると言えるだろう。このエピソードは、米国の外で活動する経済学者の大半にはあまり知られていないが、心にとどめておくべき教訓を投げかけているのだ――このエピソードについては、フランソワ・ヴェルデ(Francois Velde)のつい最近の論文(Velde 2009)も是非とも参照されたい。何があったかが巧みにまとめられているだけでなく、鋭い分析も加えられている――。

大不況からの回復

1933年以降に、アメリカ経済は堅調な景気回復を経験した。表1にあるように、実質GDPは1937年までにほぼピークの水準にまで戻り、大恐慌のどん底だった1933年初頭の(実質GDPの)水準を40%以上も上回ることになったのだ。このようなかたちで景気が勢いよく回復した主たる理由は、1933年3月に金本位制から離脱する決定が下されて新たな政策レジーム(policy regime)が採用されることになったからである、という点については経済学者の間で幅広い合意が得られている。クリスティーナ・ローマー(Christina Romer)が指摘しているように(Romer 1991, 2009)、金本位制からの離脱後に、マネーサプライが非常に急速な勢いで伸びることになった。重要なポイントは、新しい政策レジームへの移行に伴ってインフレ期待がシフト(上昇)したことにある。そのことが「流動性の罠」から抜け出す上で重要な役割を演じたというのが、エッガートソン(Gauti Eggertsson)がDSGEモデルを使った分析を通じて得た結論だ(Eggertsson and Pugsley 2006, Eggertsson 2008)。ローマーもエッガートソンも共通して主張しているように、名目利子率がゼロ%近辺に張り付いていてもうそれ以上下がりようがなかったものの、ルーズベルト大統領が1920年代中頃の水準にまで物価水準を回復させる強い意志を見せたおかげで劇的にインフレ期待が高まり、結果的に実質利子率が大幅に下落することになったのである――インフレ期待の上昇に伴う実質利子率の低下は、アメリカ経済の景気回復を支えた中心的な波及経路の役割を果たした――。同時期に連邦財政支出も急激に増えたものの、経済史家にとっては周知のように、ニューディール政策は「穏やかな」財政刺激策どまりだった――穏やかとはいっても、インフレ期待のシフトに貢献した可能性はある――。当時の財政赤字の規模は対GDP比で3%あるいは4%程度だったが、赤字になったのは景気が低迷して税収が落ち込んだせいだったのである。

表1 四半期別の実質GDP
(1929年第3四半期(1929 Q3)の実質GDPを100とおく)


データの出所;Balke and Gordon (1986)

1937年初頭の段階では依然としてGDPギャップが存在していたが――Balke and Gordon(1986)の推計では、当時のGDPギャップは対GDP比で15%程度と見積もられている――、世間では「不況はもう終わった」との認識が広く抱かれていた。政策当局者はというと、インフレや財政赤字を気にかけるようになっていた。Fedはというと、銀行システムに積み上がった大量の超過準備に懸念を抱き、財務省はというと、政府債務残高の対GDP比が1929年から1937年にかけて16%から40%へと上昇した事実に懸念を抱いたのである。

1936年に所得税率が引き上げられ、1937年1月に社会保障税が導入されると、連邦財政収支は1938年にほぼ均衡するに至った。1936年に退役軍人に対するボーナスの支払いで一時的に歳出が急増したものの、それ以降は歳出の削減も進んだ。Larry Peppers(1973)の推計によると、これら一連の措置の結果として、裁量的な財政引き締め(discretionary fiscal tightening)――財政黒字――の規模は対GDP比で3%を上回るまでに達したのである。金融政策面での政策変更に目を移すと、1936年12月に金不胎化政策が採用され、1936年8月から1937年3月にかけて計3度にわたって預金準備率が引き上げられることになった(計3度にわたる引き上げの結果、預金準備率はそれまでの水準の2倍に達することになった)。Fedの高官の口からは、インフレの危険性を強調する発言が増え出している。ヴェルデの分析によると(Velde 2009)、1937年5月から1938年6月までの景気後退――この期間は、NBER(全米経済研究所)によって景気後退期と判定されている――は、これら財政・金融政策両面における(財政引き締め・金融引き締めに向けた)政策スタンスの変更によって十分に説明できるとのことだ。表1にあるように、この期間に実質GDPは約11%も急落した。鉱工業生産は30%以上も減少。実物投資は50%以上も減少。株価は40%以上も下落した。物価の上昇はストップし、逆に再び下落し始めることになった。「1937年の不況」は、それまでの景気回復傾向からの大逆行を意味しており、1930年代初頭に匹敵するほどの勢いで景気が落ち込むことになったのである。預金準備率が引き下げられ、金不胎化政策が停止され、20億ドルに上る財政出動が繰り出されて均衡財政政策が放棄されると、1937年5月からはじまった景気後退も終わりを迎えることになったのであった。

名目利子率が低い水準に張り付いている状況では、財政乗数はかなり高めの値をとり、クラウディングアウト効果が働く余地もそんなにないと考えてもよかろう――この点は、その方面の理論や実証を概観しているRobert Hall(2009)によっても確認されている――。おそらく1930年代後半もそうだったと思われる――ロバート・ゴードン(Robert Gordon)&ロバート・クレン(Robert Krenn)の二人による推計によると、1940年時点の財政乗数の値は1.8程度とのことだ (Gordon and Krenn 2010)――。となると、財政再建を試みたら景気に大きな下押し圧力がかかる可能性があるわけで、財政緊縮に伴うデフレ圧力を打ち消すために拡張的な金融政策(=金融緩和)が求められていた・・・はずだが、1930年代後半のアメリカ経済はダブルパンチ(財政引き締めと金融引き締め)を食らわされる羽目になってしまった。1936~1937年における政策スタンスの転換の何が致命的だったかというと、インフレ期待を低下させたことにある。ローマーも指摘しているように、インフレ期待が低下した結果として、実質利子率が急上昇することになったのだ。Eggertsson and Pugsley(2006)によると、名目利子率が極端に低い水準にある状況では、政策当局が何を目標にしているかについての世間一般の信念(public beliefs)にちょっとした変化が生じるだけでも、生産量(実質GDP)に重大な影響が及ぶことが見出されている。

「1937年の不況」の教訓

「1937年の不況」がその教訓として世の政策当局者に対して伝える主たるメッセージは、財政再建は先延ばしすべき・・・ということではない。そうではなくて、財政再建に向けて財政刺激策から手を引く「出口戦略」に乗り出す場合は、金融緩和を通じて総需要を支える必要がある、というのがそのメッセージだ。近年のOECD諸国でうまくいった財政再建の特徴の一つに金利の引き下げが伴っていた点があげられるが、先のメッセージはこの事実とも整合する。しかしながら、1930年代と同様に、今現在も名目利子率を引き下げる余地は残されていない。そこで、実質利子率を引き下げるためにも、物価が上昇するとの予想を醸成する(インフレ期待を高める)必要があろう。そのために、量的緩和をさらに進めるのもありだろうし、「インフレ目標」の代わりに一時的に「物価水準目標」を採用するというのも一考の価値ありだろう。

今般の危機の過程でアメリカをはじめとした各国の政策当局者が見せた積極的な行動は、1930年代初頭に政策当局者が犯した悲劇的なまでの過ちと比べると、大きな進歩を示していると言えよう。政策当局者が積極的に行動したおかげで、大恐慌(Great Depression)の再現ではなく、大不況(Great Recession)を経験する程度で済んだのだ。不況を阻止するにはどうしたらいいかという点に関しては、過去の歴史から重要な教訓がきちんと学ばれてきている。しかしながら、1930年代は、景気回復の扱い方をめぐっても、今でも有用な教訓を持ち合わせている。1930年代の教訓についてもっと知りたいようなら、我々が執筆したサーベイ論文(Crafts and Fearon 2010)――このサーベイ論文は、1930年代の教訓に関する専門的な研究成果を一般向けに紹介するために取りまとめられた論文集のイントロダクションとして書かれた――に目を通してもらえたら幸いだ。


<参考文献>

〇Balke, N and RJ Gordon (1986), “Appendix B: Historical Data”, in RJ Gordon (ed.), The American Business Cycle: Continuity and Change. Chicago: University of Chicago Press, 781-850.
〇Crafts, N and P Fearon (2010), “Lessons from the 1930s’ Great Depression”, Oxford Review of Economic Policy, 26:285-317.
〇Eggertsson, GB (2008), “Great Expectations and the End of the Depression(pdf)”, American Economic Review, 98:1476-1516.
〇Eggertsson, GB and B Pugsley (2006), “The Mistake of 1937: a General Equilibrium Analysis(pdf)”, Monetary and Economic Studies, December, 151-190.
〇Gordon, RJ and R Krenn (2010), “The End of the Great Depression, 1939-41: Policy Contributions and Fiscal Multipliers”, NBER Working Paper 16380.
〇Hall, RE (2009), “By How Much Does GDP Rise if the Government Buys More Output?(pdf)”, Brookings Papers on Economic Activity, Fall, 183-231.
〇Peppers, LC (1973), “Full-Employment Surplus Analysis and Structural Change: the 1930s”, Explorations in Economic History, 10:197-210.
〇Romer, CD (1992), “What Ended the Great Depression?”, Journal of Economic History, 52:757-784.
〇Romer, CD (2009), “The lessons of 1937”, The Economist, 18 June.
〇Velde, FR (2009), “The Recession of 1937 – a Cautionary Tale(pdf)”, Federal Reserve Bank of Chicago Economic Perspectives, Quarter 4, 16-37.

2010年11月19日金曜日

Paul Krugman 「債務、デレバレッジング、流動性の罠」

Paul Krugman, "Debt, deleveraging, and the liquidity trap"(November 18, 2010)

現在先進国経済でたたかわされている政策論議の中で大きな注目を集めているのは「債務」である。不況やデフレーションを避けるためには拡張的な財政政策が必要だと主張する論者がいる一方で、債務が原因で生じた問題を債務(政府債務)をさらに増やすことを通じて解決することなどできない話だと主張する論者もいる。本論説の目的は、債務ショックとそれに対する政策反応の検討を可能とするためについ最近になって考案されたエッガートソン=クルーグマンモデルのロジックの核となる部分を説明することである。モデルの中に異質なエージェント(経済主体)を導入することにより、エッガートソン=クルーグマンモデルは「貯蓄のパラドックス」を無理なく説明するばかりか、サプライサイドにおける新たなパラドックス-「精励のパラドックス」と「伸縮性のパラドックス」-の発見にも成功している。エッガートソン=クルーグマンモデルによれば、これまで大半の経済学者は現下のマクロ経済問題を間違って捉えてきており、アメリカやEUにおける現実の政策は間違った方向に向かっている、ということが示唆されることになるであろう。


現下のアメリカやヨーロッパを悩ましている経済問題を巡る議論の中で最も頻繁に登場する単語があるとすれば、それは「債務」(“debt”)という単語ということで間違いないだろう。2000年~2008年の間に、アメリカの家計債務の対可処分所得比は96%から128%に、イギリスのそれは105%から160%に、スペインのそれは69%から130%に、それぞれ上昇を見せることになった。急速に累積する債務が危機のお膳立てをし、過剰な債務が景気回復の足を引っ張り続けている、と広く語られているところである。


不足するフォーマルなモデル

現在債務に対して向けられている関心は、フィッシャー(Irving Fisher)の債務デフレ(デット・デフレ)理論(1931年)からここにきて再び注目されているミンスキー(Hyman Minsky)の金融不安定性仮説(1986年)、そしてクー(Richard Koo)のバランスシート不況モデル(2008年)にまでわたる経済分析上の長い伝統に立ち返るものであると言える。しかしながら、現下の経済的な困難に関する人気のある議論の中で債務に対して大きな注目が寄せられており、また景気の落ち込みをもたらす重要な要因として債務の役割に着目する経済学上の長い伝統が存在するにもかかわらず、政策論議の場で債務に対して向けられる強い関心に合致するような経済政策-特に財政政策と金融政策-に関するモデルは現在のところ驚くほど不足している。今もなお、多くの分析(私自身のものも含めて)は代表的個人モデル(representative-agent model)に基づいてなされているが、代表的個人モデルでは、モデルの性質上、ある経済主体が債務者であり、他の経済主体が債権者である、という事実がいかなる結果をもたらすことになるかを取り扱うことができないのである。

現在エッガートソン(Gauti Eggertsson)と共同で進めている研究(Eggertsson and Krugman 2010)において、我々はこの欠陥の修正を意図した単純な分析枠組みを構築しようと試みている。単純な枠組みではあるが、このモデルは現在世界経済が直面している問題に対して重要な洞察を提供することになるだろうと個人的には信じている。また、このモデルによれば、現実の政策に影響を与えている通念(conventional wisdom)の多くは現下のような状況においては誤った観念である、ということが示唆されることになるだろう。


モデルのコアとなる経済学的なロジック

我々のモデルは標準的なニューケインジアンモデルが描写する経済とほとんど同じ構造を有するものであるが、我々のモデルでは代表的な個人(representative agent)の代わりに2タイプのエージェント(経済主体)-「気長な」(“patient”)タイプと「気短な」(“impatient”)タイプ-の存在が想定されている(訳注)。我々のモデルでは「気短な」エージェントが「気長な」エージェントから借入れを行うことになる。ただし、個々のエージェントが借り入れ可能である債務の水準には上限-レバレッジの安全性(どの程度のレバレッジの水準であれば安全であるか)について一般的に抱かれている判断に基づいて暗黙のうちに設定される制限-が存在している。

異質な2タイプのエージェントを導入することにより、「デレバレッジングショック」(“deleveraging shock”;deleveraging=債務圧縮)の結果として今現実に世界経済が直面しているような危機をモデル化することが可能となる。具体的な理由はどうであれ、受け入れ可能な(=安全であるとみなされる)債務水準の上限が突然引き下げられる瞬間がやってくる-「ミンスキー・モーメント」(“Minsky moment”)の到来-。受け入れ可能な債務水準の上限が低下することによって債務者は(ショックによって低下した新たな債務水準の上限に向けて既存の債務を圧縮するために)支出の急速な切り詰めを強いられることになる。このような状況で経済が不況に陥ることを防ごうとするのであれば、他のエージェントが支出を増加させるような刺激―例えば金利の低下―が経済に対して提供される必要がある。しかしながら、デレバレッジングショックがあまりにも大規模であるために、金利がゼロ%にまで引き下げられてもなお不況を回避する上では十分ではないかもしれない。つまり、大規模なデレバレッジングショックの結果として経済が流動性の罠に陥ってしまう可能性がある-それも比較的容易にある-わけである。

この分析から直截的かつ自然なかたちでフィッシャー流のデット・デフレーションの過程が導き出されることになる。債務契約が名目単位(貨幣単位)で締結されており、デレバレッジングショックによって物価が下落するとすれば、結果として債務の実質的な負担が増加することになる。債務の実質的な負担が増加することによって債務者が直面する支出切り詰め圧力はさらに高まることになり、債務者が直面する支出切り詰め圧力がさらに高まることによって当初のショックが増幅されることになる。フィッシャー流のデット・デフレーション効果が有するインプリケーションの一つは、デレバレッジングショックの発生後には総需要曲線は右下がりではなくて右上がりの形状を持つ可能性がある、ということである。つまり、物価の下落によって財やサービスに対する総需要が減少する可能性がある、ということである。

さらに我々のモデルは、大規模なデレバレッジングショックの発生によって経済が真っ逆さまの世界(world of topsy-turvy)-これまで妥当であったルールの多くがもはや通用しなくなる世界-に誘われることも明らかにしている。この真っ逆さまの世界では、古い伝統を持つものの長らく無視されてきた「貯蓄のパラドックス(あるいは節約のパラドックス)」(paradox of thrift)-個々人がもっと貯蓄しようと試みることで全体としての総貯蓄が減少してしまう、というパラドックス-やサプライサイドにおける新たな2つのパラドックス、すなわち、「精励のパラドックス」(“paradox of toil”)―潜在GDPが上昇することで現実のGDPが減少してしまう、というパラドックス-と「伸縮性のパラドックス」(“paradox of flexibility”)-労働者が名目賃金のカットをこれまで以上に抵抗なく受け入れるようになることで現実の失業が増加してしまう、というパラドックス-とが成り立つのである。

しかしながら、我々のモデルが特に新しい洞察を提供するように思われるのは財政政策の分析においてである。


財政政策へのインプリケーション

現在の政策論議の場においては、債務はしばしば失業解消を目的とした拡張的な財政政策を薦める主張を撥ねつける際の論拠の一つとして引き合いに出される傾向にある。拡張的な財政政策に批判的な論者はこう主張する。「債務によって引き起こされた問題を債務をさらに増やすことによって解決することはできない」と。また、多くの人々はこう語る。「家計の借り入れは行き過ぎだった」と。「今度は政府に借り入れをもっと増やしてもらいたいとでも言うのかい?」というわけである。

以上の財政政策批判のどこがおかしいのであろうか? 先の財政政策批判においては、暗黙のうちに、「債務は債務である」、つまりは、誰がお金を借りているかは重要ではない、と想定されている。しかしながらそんなことはあり得ない。もし誰がお金を借りているかが重要ではないとしたら、そもそも債務が問題を生じさせることはないだろう。第一次近似としては、一国レベルでみると、債務というのは我々が我々自身から借り入れたお金である、ということは確かである。アメリカは中国その他の国に対して債務を負っているではないか、というのはもっともな意見だが、そのことは今問題にしている争点の核心となるものではない。海外から借り入れた債務を無視するか、あるいは、世界経済全体のレベルで見れば、全体的な債務の水準は全体的な純資産に対して影響を及ぼすものではない。ある人が借り入れた債務は他の人が保有する資産なのである。

となると、債務の水準が重要となることがあるとすれば、それは、債務の分配が重要となる限りにおいてであり、高水準の債務を抱える経済主体が直面する制約と低水準の債務を抱える経済主体が直面する制約とが異なる限りにおいてである、ということになる。このことは、すべての債務はまったく同じものとして創造されるわけではない、ということを意味している。そして、過去の(ある経済主体による)過剰な借り入れが原因で生じた問題を現在の(また別の経済主体による)借り入れによって解決し得るのは、すべての債務がまったく同じものではないからなのである。この点は我々のモデルが非常に明瞭に示しているところである。我々のモデルによれば、少なくとも原則としては、国債発行によって賄われた政府支出(deficit-financed government spending)は、高水準の債務を抱えた民間の経済主体がバランスシートの改善を進めている間にあっても、経済が失業の増加やデフレーションを経験せずにすますことを可能とするのである。また、我々のモデルによれば、政府はデレバレッジングの危機が過ぎ去ったのちに自らが抱える債務を返済し得ることが示されている。

本論説の内容を要約すると、債務の役割と債務者が直面する制約とを真剣に(あるいは明示的に)考慮に入れることで、現在世界経済が直面している問題とその(あり得る)解決策とに対するずっとクリアな見通しを得ることができる、ということである。そして、そう、我々の分析が示唆していることは、政策当局者に対して(政策的に何をなすべきかという点について)指針を提供している現在の通念はほぼ完璧に間違っている、ということである。


(訳注)参考文献にもあがっている本論説の基になった論文(Eggertsson and Krugman 2010)によれば、2タイプのエージェントはそれぞれが有する時間選好率の違いによって区別されることになる。「気長な」(“patient”)/「気短な」(“impatient”)、というエージェントの名前からも予測されるように、「気長な」タイプの方が「気短な」タイプよりも時間選好率が低いエージェントとして特徴づけられている。


<参考文献>

〇Eggertsson, Gauti and Krugman, Paul (2010), “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap(pdf)”, mimeo
〇Fisher, Irving, (1933), “The Debt-Deflation Theory of Great Depressions(pdf)”, Econometrica, Vol. 1, no. 4.
〇Koo, Richard (2008), The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from Japan’s Great Recession, Wiley.
〇Minsky, Hyman (1986), Stabilizing an Unstable Economy, New Haven: Yale University Press.

2010年11月5日金曜日

Barry Eichengreen 「大停滞と大不況;回顧と教訓(2)」


Barry Eichengreen , "The Great Recession and the Great Depression: Reflections and Lessons(pdf)"(Central Bank of Chile Working Papers No.543, September 2010;その(1)はこちら

ここで少し話題を変えることにしよう。ただし、歴史(歴史に関する分析)に依拠して最近の出来事を理解するというこれまでのスタイルはそのまま維持することにしよう。今次の大停滞は国際的な経済システムに生じた危機であったということもあり、この先グローバリゼーションの流れが逆行することになるのではないかとの声を耳にする機会が増えることになるかもしれない。ここで金融のグローバリゼーション(financial globalization)とそれ以外の側面におけるグローバリゼーションとを区別した上で、まずは金融のグローバリゼーションの今後について論じることにしよう。端的に結論めいたことを言えば、金融のグローバリゼーションの黄金時代はすでに過ぎ去った、と言い得るかもしれない。 Given the urgency attached to creating orderly resolution regimes for nondepository financial institutions (something that can be done at this stage only at the national level, given lack of international agreement on how to structure them), pressure will increase to ensure that the domain of such institutions coincides more closely with the domain of regulation. All this will mean that somewhat less capital will flow across national borders. (I emphasize the “somewhat” in that last sentence, to remind you that I am not getting carried away.)

On the recipient side, emerging markets are keenly aware that countries that relied most heavily on capital inflows suffered the greatest dislocations when the crisis hit and deleveraging occurred. Countries such as South Korea, where half of all domestic stock market capitalization was in the hands of foreign institutional investors, saw their markets crash, as these foreign investors liquidated holdings in a desperate effort to repair damaged balance sheets. In contrast, the countries that had internationalized their financial markets more slowly suffered less serious disruption. Governments are therefore likely to do more to limit inflows in the future. We have seen the Brazilian authorities impose a 2% tax on some forms of portfolio capital inflow. Korea’s Financial Supervisory Agency has announced it intends to impose additional capital charges on banks borrowing offshore. One can question the effectiveness of these measures: will Brazil’s measures be evaded via offshore markets or Korea’s via shifting transactions from bank to nonbank financial institutions, for example. To answer these questions, people will almost certainly return, yet again, to another historical episode, namely, Chile’s experience in the 1990s.6

The other thing needed to deal with capital flows – you will not be surprised to hear this from me – is exchange rate flexibility sufficient to create two-way bets. The absence of this flexibility is fueling the carry trade, which in turn is giving rise to frothy property and asset markets, especially in Asia. Given expectations that the dollar can only decline and that Asian currencies can only rise, there is an irresistible temptation to use dollar funding, at what are effectively negative real interest rates, to invest in Asia, where values can only rise with currency appreciation. Letting currencies adjust now, so that there is no longer the prospect of a one-way bet, would help to relieve this pressure. Latin America is by no means immune to the carry trade, but the fact that the major countries, not least this one, allow their currencies to fluctuate relatively freely means that this tendency has affected local markets less. To put it another way, the point is that US monetary conditions, which remain loose for good reason, are not appropriate for emerging markets, whose problems are, if anything, incipient inflationary pressure and strong economic growth. And capital flows are the vehicle through which pegging to the dollar causes these countries to import US monetary conditions.

I could cite various historical illustrations of the danger. The locus classicus again is the Great Depression. The carry trade contributed to the unstable equilibrium of the 1920s, as investors funded themselves at 3% in New York to lend to Germany at 8%. Then as now, the migration of capital from low- to high-interest-rate countries was predicated on the mirage of stable exchange rates.

Another example is the 1960s, when Germany was in the position China is in now. Everyone understood that the deutschemark would rise against the dollar. Everyone who could get their hands on dollars poured them into German assets, since exchange rate policy offered a one-way bet. As a result the Bundesbank was forced to wage a continuous battle against imported inflation. One might object: if this problem was so serious, why didn’t it result in a dangerous bubble followed by a devastating crash? The answer is that the German authorities limited the impact on the economy. They revalued in 1961 and 1969. And they imposed Brazilian-style capital controls in April of 1970 and May of 1971.7 But it was only when they allowed the deutschemark to float, first in 1971 but especially in 1973, that they finally got a handle on the problem.

* * * * *

Let me turn finally to other aspects of globalization. I want to argue that what is true of finance – that the golden age of globalization is past – is less obviously true of other aspects of globalization. There is little likelihood that we will see this rolled back. US appliance manufacturers continue to do assembly in Mexico, global credit crisis notwithstanding. German auto companies continue to source parts and components in Eastern Europe. East Asia is of course the prime case in point. Trade there, in parts and components, has been growing exponentially. China is effectively serving as a gigantic assembly platform, for the region and the world.

Moreover, the logic for these global supply chains and production networks remains intact. The cost of air transport has fallen by two-thirds since 1950. Ocean freight rates have fallen by a quarter as a result of containerization and other advances in logistics. And what is true of transportation is true of communication: the cost of satellite communications is barely 5% what it was in the 1970s. Then there is the cost of communicating via the Internet, a medium that didn’t exist four decades ago. The outsourcing of back office services, transcription, data entry, and now software engineering and financial analysis to developing economies reflects these same advances in communications technology, which are not going to be rolled back.

To be sure, one can imagine channels through which the backlash against financial globalization could spread. Trade grows more quickly when there is easy access to trade finance. At the height of the crisis the difficulty of securing letters of credit, which are important for financing export transactions and giving exporters confidence that they will be paid, had a profoundly depressing impact on export and import transactions. HSBC, a leading supplier of trade finance, reported in November 2008 that the cost of insuring letters of credit had doubled in little more than a month.8 In response, however, there were a variety of concerted interventions by multinationals and national import-export banks. In response, the volume of trade has recovered.

And even if financial de-globalization is permanent, it will still be possible for importers and exporters to obtain trade credit from national sources. That is, even if cross-border financial transactions remain more limited than in the past, it will still be possible for US exporters to get trade credit from US banks and for Korean exporters to get trade credit from Korean banks. When only a handful of countries had well developed financial markets and banking systems, this would have been a problem. It would no longer be a problem today.

There may also be a destructive interplay between the politics of domestic economic liberalization and the politics of globalization. Insofar as a legacy of the crisis is an extended period of high unemployment, the voting public may grow disenchanted with liberalization. The end-August 2009 Japanese elections are consistent with this view. The voting public may grow disaffected with globalization since it has failed to deliver the goods.

Here it will be important for our leaders to make the case for free and open trade. They will have to draw a firm distinction between financial and other aspects of globalization. It will be important for them to distinguish between the need for tighter regulation of financial markets, where the justification is clear on the grounds of consumer protection, market integrity and systemic stability, on one hand, and tighter regulation of other markets, on the other, where the need is less evident and the response should be on a case-by-case basis.

These distinctions were not drawn in the 1930s, when there was a backlash against both trade and finance and when governments intervened equally in domestic and international markets. Experience after World War II is more reassuring. In the third quarter of the 20th century, global trade expanded vigorously, despite the fact that international financial transactions remained heavily controlled. And notwithstanding enduring hostility to the deregulation of financial markets and liberalization of international financial flows, political consensus favoring trade liberalization was successfully maintained through successive GATT rounds, over fully half a century. This experience offers at least cautious grounds for hoping that the same will again be possible. I for one am hopeful.

2010年11月2日火曜日

Krugman and Obstfeld 「流動性の罠から抜け出すための一方策~スヴェンソンのFoolproof Way~(2)」


Paul Krugman and Maurice Obstfeld, “Fixing the Exchange Rate to Escape from a Liquidity Trap(pdf)”(in 『International Economics: Theory and Policy(8th)』, Ch.17, Online Appendix A(1)と(2)を一つにまとめたものをScribdにアップしておきます)

Figure 1 は、経済が流動性の罠に陥る可能性を考慮した場合にAA-DD図(訳注1)がどのように修正されることになるかを示したものである。DD曲線は先の章と同様の形状をとるが、AA曲線はAA1曲線のように低水準の生産量の範囲において水平な形状をとることになる。AA曲線の水平部分は、生産量が極めて低水準であることを反映して(それに伴い生産量=所得の増加関数である貨幣需要も小さくなる;訳者注)、貨幣市場の均衡をもたらす利子率がゼロ%(R=0)となる事実を表している。また、AA曲線の水平部分は、名目為替レートが Ee /(1 - R*)以上の水準に上昇し得ない(減価し得ない)ことも示している。 図にあるように、均衡点1においては、生産量は完全雇用を実現する生産量(Yf)以下の水準 Y1 にとどまることになる。


次に、この物珍しいゼロ金利の世界において買いオペを通じたマネーサプライの増加がどのような効果を持つことになるかを見てみることにしよう。Figure 1 ではマネーサプライ増加の効果について詳しく跡付けることはしていないが、マネーサプライを増加させればAA曲線が右方にシフトすることになるだろう。マネーサプライの増加によってAA曲線が右方にシフトするのは、任意に与えられた名目為替レートの下で(名目為替レートが一定の水準にある場合は名目利子率R も一定の水準にとどまることになる)、再び貨幣市場において均衡がもたらされるためには(マネーサプライの増加による貨幣の超過供給を埋め合わせるに十分なだけ)生産量(所得)Yが増加して貨幣需要が増加する必要があるからである。マネーサプライが増加する結果として、AA曲線の水平部分は右方に向けて長く伸びることになるだろう。AA曲線の水平部分が右方に長く伸びるということは、名目利子率がプラスの水準に復するまでに(そしてAA曲線の右下がり部分に沿って名目為替レートが増価するまでに)生産量ならびに(生産量の増加関数である)貨幣需要が増加する余地がこれまで以上に広がることを意味する。マネーサプライの増加がもたらす驚くべき結果は、経済は点1にとどまったまま動かないということである。金融緩和は生産量に対しても為替レートに対しても何の影響も及ぼさないわけであり、こういう意味で経済は罠に嵌ってしまった、ということになるわけである。

流動性の罠に関するここまでの議論においてキーとなる要素は、将来の期待名目為替レート(Ee)は不変であるという先に置いた仮定である。ここで、中央銀行がマネーサプライを永続的に(permanently)増加させることを信頼のおけるかたちで約束できるとしよう。この約束が信頼されれば、現時点におけるマネーサプライの増加とともに Ee が上昇することになる。 Ee の上昇を実現する信認のある永続的なマネーサプライの増加はAA曲線を右上方向へシフトさせることになり、その結果として生産量が増加するとともに名目為替レートが減価することになるだろう。しかしながら、これまで日本経済を観察してきた人々は、日本銀行の審議委員らは-1930年代初頭のセントラルバンカーの多くと同じように-為替の減価とインフレーションとを非常に恐れており、そのため日本銀行が永続的に為替を減価させると約束してもマーケットがその約束を信用することはないだろう、と主張してきた。そうだとすれば、マーケットは日銀が後になって為替を増価させようとする意図を持っているのではないかと疑うことになり、そのためいかなる金融緩和も一時的なものとみなされることになるであろう(原注1)。

ラルス・スヴェンソン(Lars E. O. Svensson)プリンストン大学教授は、日本経済のジャンプスタートを可能とするもっと確実な方法を提案している。彼は、マーケットの(将来の名目為替レートに関する)期待に対してもっと直接的なかたちで働きかけるための方法として、名目為替レートを現在マーケットで成立している水準よりも割安な(減価した)水準で固定させたらどうか、と提案している。このスヴェンソン提案の簡略化バージョンを図にしたものが Figure 2 である(原注2)。図に示されているように、名目為替レートを減価させた上で永続的に E0 の水準に固定すればAA曲線が AA1 から AA2 にシフトすることになり、その結果経済は即座に新たな均衡である点2―完全雇用を実現する生産水準―に向けて移動することになる。図によれば、均衡点2 は新たなAA曲線の右下がり部分に位置しているが、このことは点1から点2への移動に伴って名目利子率 R が上昇することを意味している。しかしながら、為替の減価によって世界の需要が日本製品に振り向けられることで結果として生産量は拡大することになる。新たな均衡において名目利子率が上昇するにもかかわらず、この政策は(為替の減価による純輸出の増加を通じて;訳者注)景気拡張的な効果を持つことになるわけである(原注3)。

果たして日本においてこの政策提案が実際に採用される見込みはあるだろうか? この政策が採用されない場合に待っている事態は、(スヴェンソン提案他によって実現する名目為替レートの減価と同等の程度の)実質為替レートの減価をもたらすことになる長期にわたるデフレーションということになるであろう。日本が抱える問題は経済的な問題であると同時に政治的な問題でもあるように見受けられる。そういうわけで、日本経済が、どのようなかたちで、そしていつの時点で、現下の流動性の罠から抜け出すことになるかを予測することは困難である。

<注>

(原注1) このような見解は以下の論文で述べられている。Paul R. Krugman, “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap(pdf)”(邦訳(山形浩生氏訳)はこちら(pdf)), Brookings Papers on Economic Activity 2: 1998, pp. 137-205.  また、以下の論文も参照せよ。Ronald McKinnon and Kenichi Ohno, “The Foreign Exchange Origins of Japan’s Economic Slump and Low Interest Liquidity Trap”(ワーキングペーパー版はこちら), World Economy 24 (March 2001), pp. 279-315.

(原注2) もっと詳しい説明については、スヴェンソンの以下の論文を参照せよ。 Lars E. O. Svensson, “Escaping from a Liquidity Trap and Deflation: The Foolproof Way and Others”, Journal of Economic Perspectives 17 (Fall 2003), pp. 145-166.

(原注3) 一般的には、通貨切り下げはマネーサプライの変化を伴うことになるだろう。為替レートが特定の水準に固定されるようになれば、マネーサプライの水準は(固定の為替レートが維持されるように)内生的に決定されることになるだろう。Figure 2 では政策の結果として名目利子率と生産量とが同時に上昇することになるので、新たな均衡点2においてマネーサプライが増加することになるのか減少することになるのかは一概には判断できない。マネーサプライが増加する場合には、AA曲線の水平部分の範囲が拡張することになり、マネーサプライが減少する場合にはAA曲線の水平部分の範囲が狭まることになる。

(訳注1) AA-DD図については、本書第3版の邦訳である『国際経済-理論と政策-〈2〉国際マクロ経済学』や第5版の邦訳である『国際経済学』でも説明がなされているので詳しくはそちらを参照のこと。
必要な範囲でAA-DD図について簡単に説明しておくと、AA-DD図は短期における財(生産物)市場と資産市場との同時均衡を描写したものであり、DD曲線は財市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、AA曲線は外国為替市場を含んだ資産市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、それぞれプロットしたものである。 DD曲線が右上がりである理由は、名目為替レートが減価することで総需要を構成する純輸出が増加し、それ(総需要の増加)に合わせて生産量が増加するからである(E↑→Y↑)。また、(通常の)AA曲線が右下がりである理由は、生産量(所得)Yの増加(Y↑)→貨幣需要の増加→(貨幣に対する超過需要の発生によって)名目利子率の上昇(→貨幣市場における均衡の回復)→(Ee、R*が所与の下での金利平価条件より)名目為替レートの増価(E↓)、となるからである(Y↑→E↓)。

2010年11月1日月曜日

Krugman and Obstfeld 「流動性の罠から抜け出すための一方策~スヴェンソンのFoolproof Way~(1)」


Paul Krugman and Maurice Obstfeld, “Fixing the Exchange Rate to Escape from a Liquidity Trap(pdf)”(in 『International Economics: Theory and Policy(8th)』, Ch.17, Online Appendix A


1930年代の長きにわたる大不況(Great Depression)期において、アメリカでは名目利子率はゼロ%に達し、アメリカ経済は経済学者が言うところの「流動性の罠」に陥ることになった。貨幣は資産のうちで最も流動的な資産である-貨幣は、財と容易に交換できる性質を備えたユニークな資産である-。流動性の罠が罠と呼ばれる理由は、一度名目利子率がゼロ%に達してしまうと、中央銀行がマネーサプライを増加させても(つまりは、経済の流動性を増加させても)名目利子率はもはやそれ以上(ゼロ%以下の水準に向けて)下落し得ないからである。どうしてだろうか? その理由は、名目利子率がマイナスの水準になると、人々は債券を保有するよりは貨幣の保有を強く望むようになり、その結果として債券市場が超過供給状態に陥ることになるだろうからである(訳注1)。ゼロ%の名目利子率はお金を借りる人にとってみれば喜ばしいことであろう。というのも、金利負担なしでお金を借りることができるからである。しかしながら一方で、ゼロ%の名目利子率はマクロ経済政策を実施する政策当局にとっては悩みの種となる。というのも、名目利子率がゼロ%に達するや、政策当局はもはや伝統的な金融政策によってはマクロ経済をコントロールし得なくなるかもしれない状況に嵌り込んでしまうからである。しかしながら、本付録で示すように、名目為替レートを現在マーケットで成立している水準と比べて十分に減価した割安な水準に固定することによって、経済を流動性の罠から脱出させることが可能となるのである。

経済学者は、流動性の罠はもはや過去のものであると考えていた-1990年代後半に日本経済が明らかに流動性の罠にはまることになるまでは。日本銀行-日本の中央銀行-による名目利子率の段階的な引き下げにもかかわらず、日本経済は十年以上にわたる停滞を経験することになった。1999年には、日本の短期名目利子率は実質的にゼロ%に達することになった。例えば、日本銀行が伝えるところでは、2004年9月にオーバーナイト金利はわずか0.001%の水準であった。

経済が流動性の罠に陥って停滞している状況下において中央銀行が直面することになるジレンマは、国内の名目利子率(R とおく)がゼロ%である場合(R = 0)の金利平価条件を検討することにより明らかとなる(訳注2)。


R = 0 = R* + (Ee - E)/ E

ここしばらくの間、将来の期待名目為替レート(Ee)は不変である(所与)と想定することにしよう。ここで、中央銀行が、一時的に為替レートを減価させることを意図して国内のマネーサプライを増加させたとしよう(つまり、現時点において E は上昇するが、その後しばらくして Ee の水準にまで下落する)。金利平価条件によれば、一度 R = 0 となれば E はこれ以上上昇し得ない(為替はこれ以上減価し得ない)ことがわかる。 E の上昇を実現するためには国内の名目利子率 R がマイナスにならなければならないからである。 R=0 が成り立っている状況では、マネーサプライの増加にもかかわらず、名目為替レートは以下の水準


E = Ee /(1 - R*)

に止まり続けることになるだろう。名目為替レート E はこの水準を超えて上昇し得ない(減価し得ない)わけである。

どういった次第でこのような結論になるのだろうか? マネーサプライを一時的に増加させれば名目利子率が下落する(ならびに名目為替レートも減価する)という通常の議論は、人々は(投資対象として)債券が貨幣と比べて魅力的でなくなる場合に限って自身のポートフォリオ上における貨幣の保有を増やすようになる、との前提に基づいている。しかしながら、利子率がゼロ%(R=0)であるような状況では、人々は貨幣を保有するか債券を保有するかに関して無差別となるかもしれない-貨幣の保有からも債券の保有からも同じ水準の利回り、つまりはゼロ%の利回りが得られることになる。このような状況で、中央銀行が買いオペレーションを通じて貨幣と引き換えに債券を購入しても市場が撹乱されることはないだろう。債券を手放して新たに貨幣を手にした人々は、増えた貨幣をそのままポートフォリオ上に保有することで満足し、そのために利子率は変化せず、それゆえ為替レートも変化することはないだろうからである。先の章で検討したケースとは反対に、(国内の名目利子率がゼロ%である状況においては)マネーサプライの増加は経済に対して何らの影響をも及ぼさないだろうことが予想されるわけである。市中に債券を売却(売りオペレーション)してマネーサプライを段階的に減少させれば最終的に名目利子率が上昇することになるだろうが-経済は幾ばくかの貨幣なしには機能しえないのである-、この可能性(=マネーサプライを縮小させ続ける結果として名目利子率が上昇する可能性)は、経済が停滞している状況においてはもちろん助けとなるものではない。

(続く;その(2)へ)


<注>

(訳注1) 債券市場が超過供給状態になれば、債券価格に下落圧力が働くことになる。債券価格の下落=債券利回り(=利子率)の上昇を意味しており、名目利子率はゼロ%以下の(マイナスの)水準から正の水準に向けて上昇することになるだろう 。

(訳注2)  R* は外国の名目利子率、E は自国通貨建ての名目為替レート(対ドル為替レートを考えれば、例えば「1ドル=80円」との表示方法が採用されることになる。よって、E の値が上昇すれば円安(減価)を、E の値が下落すれば円高(増価)を、意味することになる)、をそれぞれ表している。 

2010年10月7日木曜日

Barry Eichengreen 「大不況と大恐慌;回顧と教訓(1)」


Barry Eichengreen , "The Great Recession and the Great Depression: Reflections and Lessons(pdf)"(Central Bank of Chile Working Papers No.543, September 2010)

これまでしばしば、2008年以降の世界的な同時不況――いわゆる大不況(The Great Recession)――と1929年に世界経済を襲った経済不況――わゆる大恐慌(the Great Depression)――との比較が行われてきた。本論文では、現在の大不況下における政策当局の反応が1920年代~1930年代の政策当局の反応とどれだけ大きく異なる姿をとったか、また、過去と現在とにおける政策当局の反応の違いが大恐慌に関する歴史的な分析にどれだけ負っているか、について論じる。さらに、歴史的な分析に依拠して、貿易・金融両面におけるグローバリゼーションとの関連で今後世界経済が直面することになるかもしれない変化についても議論する。


大学の同僚が好き好んで私にこう語ることがある。「君は経済史家だから、現実の出来事に応じて大学での講義内容を改定(アップデート)する必要がないという利点をもっている」と。私が担当するような歴史の講義は、例えば大いなる安定(Great Moderation)について語る講義のように瞬く間に時代遅れになることがない、というわけである。この見解(というかジョーク)に含まれている間違いは、いわゆる「事実」("facts")は変わることはないが、その解釈は変わり得る、という点を見過ごしているところにある。このことの明らかな例をあげれば、最近生じた出来事の結果として、私は大恐慌(Great Depression)についてこれまで語ってきたすべてのことに改定を施す必要に迫られることになった。具体的には、1929年の危機の原因――この問題と関連する争点としては、フロリダにおける不動産バブル、グローバル・インバランス(当時は「トランスファー問題」という名で呼ばれていたが)、金融システムにおける緩やかな監督・規制等といった話題が含まれる――や1930年代における金融政策や財政政策の(景気刺激策としての)有効性に関する論争、そして「「それ」(=大恐慌)は再来しうるか?」といった話題に関して私がこれまで抱いてきた見解に改定を施す必要に迫られることになったのである。

とは言え、依然として大恐慌に関する伝統的な(標準的な)説明が今日の政策当局者のものの見方を強固に形作っていることもまた事実である。今日の政策当局者のものの見方は、大恐慌に関する伝統的な説明や大恐慌についての記憶――果断な金融緩和に乗り出すことなく、デフレ期待の蔓延を許してしまったFedの失敗 / 最後の貸し手(lender of last resort)としての責務を果たすことなく銀行システムの崩壊を許してしまったFedの失敗 / 1930年代初頭に予算の均衡を目指して増税を実施し、結果として(予算の均衡を実現することができなかったばかりか)民間需要のさらなる低迷を後押しするだけに終わったフーバー政権と米議会の行動 /1929年の下半期にはすでに景気後退入りが明らかになっていたにもかかわらず、物価下落を食い止め、銀行システムに再び安定を取り戻し、(実物)投資需要の回復を促すことを意図した効果的な手段が1933年に入るまで実施されなかった事実――によって強く影響されているのである。

こういった「歴史の教訓」(“lessons of history”)が頭にあったのであろう、今次の危機においてアメリカの政策当局者らは行動することにためらいを見せることはなかった。危機が勃発するや、Fedは金融市場に対して大量の流動性を供給し、また経済が低調な様子を示し続けていることを受けて、政策金利をゼロ%にまで引き下げる決定を行った。さらには、Fedはあらゆる種類の証券化商品の市場に対しても介入を実施し、そして2009年のはじめ頃になると量的緩和に乗り出して政府債券の購入にも踏み切ることになったのであった。

政府側の対応に目を移すと、2008年はじめの財政刺激策のあとを受けて、2009年に入るとオバマ政権と議会は7870億ドル規模の財政刺激策に打って出ることになった。オバマ政権(と彼が率いたエコノミストのチーム)は1930年代の経験から引き出されたさらなる教訓――名目金利が低い水準にまで引き下げられた状況においては、経済を安定化させる手段として財政政策の重要性がより一層増す――をはっきりと意識した上で行動していた。

こうした米政府やFedならびに各国政府・中銀の行動のおかげもあって、今次の大不況(Great Recession)が第二の大恐慌に発展するような事態は回避された。しかしながら、そもそもどのようにして今のこの危機的な状況に陥ったのか、危機を抑制するうえでなぜ政策的な対応がそれほど効果を見せなかったのかといった問題について考えると、皮肉なことにその原因の一部は歴史(の教訓)をあまりにも文字通りに受け止め過ぎる傾向のためであったのかもしれない。大恐慌についての世間一般の理解では暗黒の木曜日(1929年10月24日)を含む1929年の株価大暴落が果たした役割に大きな注目が寄せられる傾向にあるが、経済学者による大恐慌の典型的な説明では29年の株価大暴落はあくまでも一つのサイドショー(sideshow)として扱われ、その代わりに銀行システムにおける危機――第一次(1930年)、第二次(1931年)、第三次(1933年)の銀行危機――が強調される傾向にある。1930年代のアメリカ経済は銀行部門に大きく依存していたおり、それゆえ銀行危機を強調する経済学者の(大恐慌に関する)説明は適切なものだと主張する人もいるかもしれない。しかしながら、ディスインターメディエーション(disintermediation;金融仲介機能の消滅)や証券化の進展を背景として経済における非銀行金融仲介機関(nonbank financial institutions)の重要性が今回の危機に先立つ期間において時の経過とともに高まってきていたのである。今次の危機は銀行部門で生じた危機であるだけではなく、AIGのような保険会社やヘッジファンド――ヘッジファンドによる資産(証券)の投げ売り(distress sale)は他の投資家の立場を悪化させることにつながった――、そして大きくは証券市場において生じた危機でもあったのである。

皮肉なことだが、今次の危機勃発当初において政策当局者らの注目が金融システムの中でも特に銀行部門に注がれ、(金融システム内の)それ以外の部門が無視される結果となったのは、1930年代の金融危機の記憶――当時の金融危機は何よりもまず銀行危機というかたちをとった――が原因となっているのかもしれない。(今次の危機勃発の)当初、政策当局は商業銀行に対して積極果敢な貸出を実施したが、それ以外の金融機関に対しては同様の措置がとられることはなかったのである。こうした行動の背後には、銀行は金融取引の連鎖における弱い鎖である(banks are the weak link in the financial chain)との「1930年代の教訓」(“lesson of the 1930s”)が控えていたのかもしれない。しかしながら、今次の危機においては、問題は銀行部門だけではなく「影の銀行システム」(“shadow banking system”)にまで広がりを見せていたのである。つまりは、危機は投資銀行が関与する導管体(conduit)や特別目的事業体(SPV;special purpose vehicles)――危機勃発当初、投資銀行は連銀貸出の対象には含まれていなかった――、ヘッジファンドやAIGのような保険会社にまで及んでいたのである。しかしながら、Fedは「影の銀行システム」に対して支援を行うことにためらいを見せたのであった。この事実は歴史物語(historical narrative)の持つ力を示しているのではないかと思われる――1930年代当時には歴史家の検証対象となるような影の銀行システムなるものは存在していなかったのである――。さらには、この事実は、歴史は繰り返すがまったく同じような姿をとって繰り返すことは決してない(while history repeats itself, it never repeats itself in the same way)、ということを認識することがいかに難しいかを示すものでもあると思われる。

これと同様の話は、リーマン・ブラザーズを破綻させる決定に引き続いて生じたクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)絡みの金融的な混乱の影響を過小評価する傾向にあった政策当局の当初の態度に関してもあてはまるかもしれない。1930年代にはCDSやその他の複雑なデリバティブに対応するような金融商品が存在していなかったという事実のために、今日の政策当局者らはそれら(=CDSをはじめとする複雑なデリバティブ商品)の重要性を正当に評価することに失敗してしまったのかもしれないのである。再度繰り返し指摘しておくと、歴史物語(あるいは歴史の教訓)のおかげでまっとうな政策対応がなされることがあり得る一方で、同じく歴史物語のために政策対応が不適切な方向に歪められることになってしまうこともあり得るのである。

以上の議論は、今日の政策当局者らが1930年代当時よりも首尾よく対応したということを一切否定するものではない。まあ、1930年代当時よりもひどい政策対応がとられるなんてことはそもそも考え難いことではあるのだが・・・。

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今次の危機の過程において、各国の中央銀行は1930年代と同様に相互間での密なコミュニケーションを図った。1930年代との違いは各国の中央銀行間におけるコミュニケーションが実際の協調行動にまで発展・結実したことである。各国中銀間での協調を実現することがいかに重要であるかはさらなる「歴史の教訓」でもある。今次の危機の過程においては、FRBとECB、イングランド銀行との間で通貨スワップ協定が結ばれ、さらにECBはユーロ圏以外のヨーロッパ諸国との間でドルとユーロのスワップ協定を締結し、同様にFRBもメキシコ、ブラジル、韓国、シンガポールとの間でスワップ協定を締結した。通貨スワップ協定を通じた資金融通のおかげで資金受け入れ国が抱える金融上の問題が劇的なかたちで解決されるというようなことはなかったものの、アメリカのヘッジファンドやヨーロッパの銀行による投資資金の引き揚げに伴って生じた当面のドル資金やユーロ資金の不足問題が和らげられることにはなったのである。一方、1930年代の状況は今日の状況とはまったく異なるものであった。1930年代当時、フランスは国際決済銀行(Bank for International Settlements)を通じてオーストリアに対して資金を供与することを拒んだのであった。フランスが資金供与を拒んだ背景には、独墺関税同盟(Austrian-German customs union)計画やドイツがヴェルサイユ条約に反してポケット戦艦(pocket battle ships)の建造に乗り出したことに対する反感があった。フランスによるオーストリアへの資金供与の拒否は、金融危機がコントロール不能な状況にまで発展する上で決定的な役割を果たすことになったのである。

今日のアジアには戦間期におけるフランスとドイツとの紛糾した関係性と似た状況が存しているのではないかと私の眼には映る。アジアの各国間で金融支援を実施するための地域的な仕組み――チェンマイ・イニシアティブ(今では、チェンマイ・イニシアティブの多極化(“the Chiang Mai Initiative Multilateralization”、略してCMIM)と呼ばれている)――が設けられてはいるものの、過去80年において最も深刻なグローバル金融危機がその姿を露わにした2008年9月~11月の段階においてもアジア各国の間にはこの仕組みを本格的に稼働させようとする意思が見られることはなかった。その理由は明らかである。デリケートな政治上の関係が障害となってアジア各国間で政策調整を行うことが困難な状況にあり、そのためにどの国もイニシアティブ向けに資金を提供したがらないのである。

この問題を緩和するためにチェンマイ・イニシアティブを通じた金融支援では2国間で取り決めた融資枠の20%までは2国間の独自判断で融資が可能であるが、それを超える部分については国際通貨基金(IMF)による融資をリンクさせるよう設計されている。しかしながら、1997~1998年のアジア通貨危機の記憶が依然として生々しいこともあって、アジア各国政府はIMFと交渉することに対して乗り気ではない。北京(中国政府)はアジア地域内における金融支援をさらに拡充するための新たな仕組みの創設を目指しているが、東京(日本政府)はこの動きに対して抵抗を見せている。日本政府は金融支援のための新たな仕組みが創設されれば、最終的に中国がその仕組みの下で支配的な地位を占めることになるのではないかと懸念しているのであろう。日本政府としては新たな仕組みを創設するよりはIMFを通じた金融支援を望むことだろう――IMFにおいては日本は中国と比べて2倍の投票権を有しており、さらに日本政府はIMFの副専務理事のポストの一つを占めている――。一方、中国――IMFにおける中国の投票権はベルギーと同程度である――はIMFを通じた金融支援にはおそらく抵抗を見せることだろう。また、中国はドルに対して人民元を引き上げる(増価させる)ことにも抵抗しているが、後に詳しく触れるように中国政府の人民元引き上げに対する抵抗はまた別の問題を引き起こすことになるだろう。

ここで戦間期の大恐慌に関するチャールズ・キンドルバーガー(Charles Kindleberger)の解釈との類似性を指摘したくなるところである。キンドルバーガーの解釈というのは、大国の地位から滑り落ちつつあった当時のイギリスにはリーダーシップを発揮するだけの能力がなく、一方で大国の地位に上り詰めつつあった当時のアメリカにはリーダーシップを発揮しようとする意思がなかったために、大恐慌が生じたのだというものである(原注1)。今現在、大国の地位から滑り落ちつつある(あるいはパワーの低下を経験しつつある)のはアメリカであり、大国の地位に上り詰めつつある(あるいはパワーの上昇を経験しつつある)のは中国である。しかしながら、この面における過去と現在との類似性があまり強調されすぎてはならないという点は指摘しておこう。中国が何らかの形でリーダーシップを発揮してくれるようであれば現在の問題が解決に向かう上で助けになることは疑いない。しかしながら、今のところ中国は1929年当時のアメリカに期待し得たような種類のリーダーシップを発揮するだけの能力を備えているとはいえない。1929年当時、台頭するパワーとしてのアメリカは凋落するパワーとしてのイギリスの3倍の経済規模を誇っていた。これとは対照的に、現時点におけるアメリカの経済規模は依然として中国の3倍の大きさである。この事実は記憶にとどめておく価値があるであろう。というのも、今後アメリカの家計が退職後に備えた貯蓄計画を練り直すことに伴ってアメリカ経済の消費支出が落ち込むようなことになれば、中国に対してそれ(=アメリカの消費支出の落ち込み)を相殺するに十分なだけ消費支出を増加させよと求める声があがるかもしれないが、アメリカの経済規模は中国の3倍の大きさであるという事実を前提とすると、アメリカの消費支出の落ち込みを相殺するために中国に必要とされる経済面での調整はかなりの規模のものになるだろうからである。


(原注1) 以下を参照せよ。Charles Kindleberger (1973), The World in Depression 1929-1939, Berkeley: University of California Press.(邦訳 『大不況下の世界- 1929-1939』)

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今次の危機において我々が賢明にもうまく対処した点を他にも探すと、それは保護主義を回避した点ということになろう――ここで「賢明にも」(“reasonably”)という修飾語を特に強調しておく必要があるであろう――。アメリカの財政刺激策の中に「バイ・アメリカ」(“Buy America”)条項が盛り込まれたり――他の国でも同様の措置が採られた――、世界銀行が伝えているように、リーマン・ブラザーズの破綻以降5カ月の間だけをとってみても世界中で新たに46の貿易制限措置が採られたことも事実である。しかしながら、保護主義への動きを抑えつける上で今日我々が(大恐慌期と比べれば)うまくやってのけることになったという点は依然として正しいことに変わりはないのである。今次の危機の過程では、1930年代のように、各国が見境なく関税を引き上げたり数量割り当てに訴えたりするような事態は生じなかったのである(原注2)。

この面において過去と現在との間で違いが生まれた理由は再度「歴史の教訓」に求めることができるであろう。しかしながら、この例は、悪い歴史(訳注;誤った歴史解釈といった意味が込められていると思われる)が皮肉にも良い政策を導く結果となった例の一つである。ここに悪い歴史というのは、スムート・ホーレー関税法が大恐慌の更なる深化に大きく貢献し、他国からの広範な報復措置を招くことになった、との信念のことである。大恐慌に貢献した要因をその重要性に照らして上から順番に並べたリストを作成した場合、私であればスムート・ホーレー法は上から17番目くらいのところに位置づけることだろう。実際のところアメリカの関税は1922年のフォードニー・マッカンバー「超高率」関税法(Fordney-McCumber “skyscraper” tariff)によってすでに高水準に達していたのである。スムート・ホーレー法はすでに高水準にあった関税をわずかばかり引き上げることになったにすぎない。大恐慌に貢献した要因としては、金融政策や財政政策、そして競争政策や労働市場に対する諸政策の方がよほど重要な要因であったのである(原注3)。

また、実際のところスムート・ホーレー法に対する報復措置は限定的なものであった。世界的な報復合戦のきっかけを作ったのは、スムート・ホーレー法ではなく、1932年にイギリスで成立した輸入関税法であった(原注4) 。しかしながら、良い政策を導く悪い歴史にはメリットもある。今次の危機において政策当局者らが嘆かわしい保護主義的な政策対応に打って出ることを防いだのは、まさにこの「スムート・ホーレー」というフレーズ(によって想起される歴史(悪い歴史)の教訓)のおかげであったのである。

ダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)との共著論文の中でも指摘したことだが、今次の危機において我々が保護主義を回避するに至った他の理由としては、適切な財政・金融政策が採用されたことを挙げることができる。1930年代当時各国は限られた需要を自国に向けて取り込もうとして――限られた支出を自国の財に引きつけようとして――必死の思いで関税引き上げに踏み切った。各国が関税引き上げに踏み切った理由は、当時においては未だ財政刺激策の有効性が十分理解されておらず、また金本位制の制約が存在する限りはさらなる金融緩和策に乗り出すことが不可能であったからである。しかし、1931年以降になると、金本位制から離脱し、それゆえファースト・ベストの金融緩和策を採用することが可能となった国々が登場することになったが、金本位制から離脱したかどうかという点以外の他の事情を一定として考えると、金本位制から離脱した国々ほど保護主義的な政策に訴える傾向は弱まることになった。他の手段(訳注;特に金融政策)によって失業問題に対処することが可能となったことを受けて、(金本位制から離脱した)各国は「支出一定」仮説(fixed-lump-of-spending hypothesis)を唱えることも保護主義に訴えることもなくなったのである。ここには良い歴史(訳注;正しい歴史解釈といった意味が込められていると思われる)のおかげで保護主義が回避された例を見出すことができよう。政策当局者らが大恐慌のような脅威に対しては足並みの揃った(あるいは協調的な)財政・金融政策で対処する必要があると理解しているその程度に応じて、保護主義に傾斜する程度は弱められることになったわけである。

(続く;その(2)へ)


(原注2) 以下を参照せよ。Hiau Looi Kee, Christina Neagu and Alessandro Nicita, “Is Protectionism on the Rise: Assessing National Trade Policies during the Crisis of 2008(pdf)”, unpublished manuscript, the World Bank (April).

(原注3) スムート・ホーレー法はデフレ的な経済環境の下で物価上昇圧力を生み出すことになったという意味で望ましいインパクトを持っていた、との議論も成り立ち得るところである。このような結論がどのような条件の下で成り立つかについて論じたものとして、以下を参照せよ。Barry Eichengreen (1989), “The Political Economy of the Smoot-Hawley Tariff”, Research in Economic History 12, pp. 1-43(NBERワーキングペーパー版はこちら(pdf)).

(原注4) 以下を参照せよ。Barry Eichengreen and Douglas Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?(pdf)”, NBER Working Paper no.15142 (July).

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Alan S. Blinder 「量的緩和;入口戦略と出口戦略(1)」

Alan S. Blinder, "Quantitative Easing: Entrance and Exit Strategies(pdf)"(CEPS Working Paper No. 204, March 2010)

明らかに、それ(=量的緩和政策)はここアメリカにおいても採用される可能性がある。2008年12月16日、連邦公開市場委員会(FOMC)は、1937年以来最悪の不況に発展しそうな事態(=大停滞)と闘うために、フェデラルファンド金利(FF金利)の誘導目標をほぼゼロ%に引き下げる決定を行った。その後、この大停滞と闘う中で伝統的な政策手段のすべてを使い尽くしたFedは、それはそれは素晴らしき量的緩和の世界へと勢いよく足を踏み入れることになった。ベン・バーナンキ議長はFedが実施した新しい政策を「信用緩和」(“credit easing” )と呼ぶよう心がけたが-おそらく、日本銀行がそれ以前の時期において実施した政策と区別しようとしたのであろう-、その呼び方が定着することはなかった。

おおざっぱにいうと、量的緩和というのは、市中への流動性の注入(市場流動性の回復)や信用条件の緩和を目的として、中央銀行のバランスシート上における資産構成(composition)やバランスシートの規模を変化させる政策のことである。 量的緩和を反転させる(reverse)ことは「量的引き締め」(“quantitative tightening”)とでも呼ぶことができるのであろうが、誰一人としてこのように呼ぶ気配はないようである。通常の議論の中では、量的緩和を反転させることは「出口戦略」(“exit strategy”)と呼ばれている-「出口戦略」という言葉が使用される背後には、量的緩和(quantitative easing ;“QE”)は何か異常なものであるとの認識が控えているのであろう-。大勢にしたがって、本論文でも量的緩和を反転させることを「出口戦略」と呼ぶことにしよう。

以下で展開する議論の流れを説明すると、まずはじめに量的緩和の採用を後押しする概念的な根拠のスケッチを行う。そこでは、量的緩和がなぜ適当な政策となり得るのか、量的緩和はどのようなメカニズムを通じて機能することになるのか、といった問題を検討するであろう。次には、Fedの入口戦略(entrance strategy) -おそらくはもうすでに採用済みの過去の戦略ということになるのであろうが-に話題を転じ、その後に出口戦略-まだこの先の将来に問題となる戦略であろう-について議論する。Fedの入口戦略と出口戦略とを議論する際には、2001~2006年における日本の経験との簡単な比較が行われるであろう。そして最後に、量的緩和の採用に伴って引き起こされることになるであろう中央銀行の独立性にまつわる質問をいくつか取り上げたのちに、本論文の内容を簡潔に要約して議論の終わりとする。


量的緩和の採用を後押しする概念的な根拠: 流動性の罠(the liquidity trap)

まず当たり前な点から触れておくと、金融政策について学んでいるどの学生も、中央銀行が保有する伝統的な政策手段-オーバーナイト金利(アメリカでは「フェデラルファンド」金利)-の方が量的緩和よりも効果的で(powerful)頼りになる手段だ、と考えることだろうと思う。そうだとすれば、どうして理性的なセントラルバンカーたちは量的緩和なんかに打って出ようとするのだろうか? その答えはあまりにも明白である。経済が非常に厳しい逆境に置かれているような状況において、中央銀行が名目金利をゼロ%にまで引き下げてもなお経済を十分に刺激するには至らない、といったケースが生じることがあるからである。名目金利がゼロ%の下限に達してしまっているような状況は、「流動性の罠」(“liquidity trap”)との名称-ケインズのオリジナルの意味とは若干異なった使用法ではあるが-で呼ばれている (Krugman, 1998)。

なぜ経済が「流動性の罠」に陥ることがあるのか、そのロジックを簡単に見ておこう。まず前提として、総需要の決定において重要となるのは、名目金利(i)ではなく実質金利(r)である、と想定される。深刻な不況下では、時に、中央銀行は実質金利(r = i – π;π はインフレ率を表している)をマイナスの水準にまで引き下げる必要に迫られることがあるが、一度名目金利(i)がゼロ%に達してしまうと、それ以上名目金利を引き下げることはできなくなってしまう。結果として、実質金利(r)は–π の水準-低水準ではあるだろうがおそらくはプラスの水準ーにとどまることになる。一度名目金利がゼロ%に達してしまうと(i=0)、伝統的な金融政策は「スッカラカン状態」(“out of bullets”)になってしまう(=打つ手がなくなる)のである。

Actually, the situation is even worse than that. Recall Milton Friedman’s (1968) warning against fixing the nominal interest rate when inflation is either rising or falling: Doing so invites dynamic instability. Well, once the nominal rate is stuck at zero, it is, of course, fixed. If inflation then falls, the real interest rate will rise further, thereby squeezing the economy even more. This is a recipe for deflationary implosion.

Enter quantitative easing. Suppose that, while the riskless overnight rate is constrained to zero, the central bank has some unconventional policy instruments that it can use to reduce interest rate spreads—such as term premiums and/or risk premiums. If flattening the yield curve and/or shrinking risk premiums can boost aggregate demand, then monetary policy is not powerless at the zero lower bound.6 In that case, a central bank that pursues QE with sufficient vigor can break the potentially vicious downward cycle of deflation, weaker aggregate demand, more deflation, and so on.

What might such an arsenal of unconventional weapons contain? While the following list is hypothetical and conceptual, every item on it has a clear counterpart in something the Federal Reserve has actually done.

First, suppose the objective is to flatten the yield curve, perhaps because long rates have more powerful effects on spending than short rates. There are two main options. One is to utilize “open-mouth policy.” The central bank can commit to keeping the overnight rate at or near zero either for, say, “an extended period” (or some such phrase) or until, say, inflation rises above a certain level. To the extent that the (rational) expectations theory of the term structure is valid, and the commitment is credible, doing so should reduce long rates and thereby stimulate demand.7 But this would not normally be considered quantitative easing because no quantity on the central bank’s balance sheet is affected.

The QE approach to the term structure is straightforward: Use otherwise-conventional open-market purchases to acquire longer-term government securities instead of the short-term bills that central banks normally buy. If arbitrage along the yield curve is imperfect, perhaps because asset-holders have “preferred habitats,” then such operations can push long rates down by shrinking term premiums.8

The second target of QE is risk or liquidity spreads. Every private debt instrument, even bank deposits and AAA bonds, pays a spread over Treasuries for one or both of these reasons.9 Since private borrowing, lending, and spending decisions presumably depend on (risky) non-Treasury rates, reducing their spreads over (riskless) Treasuries will reduce the interest rates that matter for actual transactions even if riskless rates are unchanged.

How might a central bank accomplish that? The most obvious approach is to buy any of a wide variety of risky and/or less liquid assets, paying either by selling some Treasuries out of its portfolio, which would change the composition of its balance sheet, or by creating new base money, which would increase the size of its balance sheet.10 Either variant can be said to constitute QE, and its effectiveness depends on the degree of substitutability across the assets being traded. As we know, buying X and selling Y does nothing if X and Y are perfect substitutes.11 Fortunately, it seems unlikely that, say, mortgage-backed securities (MBS) are perfect substitutes for Treasuries—certainly not in a crisis.


The Fed’s entrance strategy

With this conceptual framework in mind, I turn now to what the Federal Reserve actually did as it embarked on its new strategy of quantitative easing. Because the messy failure of Lehman Brothers in mid-September 2008 was such a watershed, I begin the story a bit earlier.

Reacting somewhat late to the onset of the financial crisis in the summer of 2007, the FOMC began cutting the federal funds rate on September 18, 2007—starting from an initial setting of 5.25%. While it cut rates rapidly by historical standards, the Fed did not signal any great sense of urgency. It was not until April 30, 2008 that the funds rate got down to 2%, where the FOMC decided to keep it while awaiting further developments. (See Chart 1.) Perhaps more germane to the QE story, the Fed was neither expanding its balance sheet (see Chart 2) nor increasing bank reserves (see Chart 3) much over this period.




However, the Fed was already engaging in several forms of quantitative easing, even apart from emergency interventions such as the Bear Stearns rescue. To understand these brands of QE, it is useful to refer to the oversimplified central bank balance sheet just below. Because other balance sheet items are inessential to my story, I omit them.

The first type of QE showed up entirely on the assets side. Early in 2008, the Fed started selling down its holdings of Treasuries and buying other, less liquid, assets instead. (See Chart 2.) This change in the composition of the Fed’s portfolio was clearly intended to provide more liquidity (especially more T-bills) to markets that were thirsting for it. The goal was to reduce liquidity premiums. But, of course, the underlying financial situation was deteriorating all the while, and the markets’ real problems may have been fears of insolvency, not illiquidity—to the extent you can distinguish between the two.12

The second sort of early QE operations began on the liabilities side of the Fed’s balance sheet. To assist the Fed, the Treasury started borrowing in advance of its needs (which were not yet as ample as they would become later) and depositing the excess funds in its accounts at the central bank. While these were fiscal operations, they enabled the Fed to increase its assets—by purchasing more securities and making more discount window loans (e.g., through TAF, the Term Auction Facility)—without increasing bank reserves (see Chart 3). That’s very helpful to a central bank that is a bit timid about stimulating aggregate demand and/or is worried about running out of T-bills to sell, both of which were probably true of the Fed then. But notice that these operations marked the first breaching—however minor—of the wall between fiscal and monetary policy. In addition, the Fed began lending to primary dealers in the immediate aftermath of the Bear Stearns rescue.

Then came the failure of Lehman Brothers, and everything changed, including the Fed’s monetary policy.

The FOMC resumed cutting interest rates at its October 10, 2008 meeting, eventually pushing the funds rate all the way down to virtually zero by December 16th. (See Chart 1 again.) More germane to the QE story, the Fed started expanding its balance sheet, its lending operations, and bank reserves immediately and dramatically. (See Charts 2 and 3.)13 By the last quarter of 2008, any reservations or hesitation at the Fed about boosting aggregate demand were gone. It was “battle stations.”

Total Federal Reserve assets skyrocketed from $907 billion on September 3, 2008 to $2.214 trillion on November 12, 2008. By the last quarter of 2008, any reservations or hesitation at the Fed about boosting aggregate demand were gone. It was “battle stations.”14 (Chart 2.) As this was happening, the Fed was acquiring a wide variety of securities that it had not owned before (e.g., commercial paper) and making types of loans that it had not made before (e.g., to nonbanks). On the liabilities side, bank reserves ballooned from about $11 billion to an astounding $594 billion over that same period—and then to $860 billion on the last day of 2008 (Chart 3). Almost all of this expansion signified increased excess reserves, which were a negligible $2 billion in the month before Lehman collapsed (August) but soared to $767 billion by December.15 Since the Fed’s capital barely changed over this short period, its balance sheet became extremely leveraged in the process. Specifically, the Fed’s leverage (assets divided by capital) soared from about 22:1 to about 53:1. It was a new world, Tevye.16

The early stages of the quantitative easing policy were extremely ad hoc, reactive, and institution-based. The Fed was making things up on the fly, often acquiring assets in the context of rescue operations for specific companies on very short notice, e.g., the Maiden Lane facilities for Bear Stearns and AIG. But, starting with the Commercial Paper Funding Facility (CPFF) in September 2008, and continuing through the MBS purchase program (announced in March 2009), the TALF (Term Asset-Backed Securities Loan Facility, started in March 2009), and others, the Fed’s parade of innovative purchase, lending, and guarantee programs took on a more systematic, thoughtful, and market-based flavor. The idea now was not so much to save faltering institutions, although that potential need remained, but rather to push down risk premiums, which had soared to dizzying heights during the panic-stricken months of September-November 2008 (and then did so again in February-March 2009).17

This change in focus was notable. It was also smart, in my view. As mentioned earlier, riskless rates per se are almost irrelevant to economic activity. The traditional power of the funds rate derives from the fact that risk premiums between it and the (risky) rates that actually matter—rates on business and consumer loans, mortgages, corporate bonds, and so on—do not change much in normal times. Think of the interest rate on instrument j, say Ri, as being composed of the corresponding riskless rate, r, plus a risk premium specific to that instrument, say ρi. Thus Ri = r + ρi. If the ρi change little, then control of r is a powerful tool for manipulating the interest rates that matter—and hence aggregate demand. But when the ρi move around a lot—in this case rising—the funds rate becomes a weak and unreliable policy instrument. During the panicky periods, in fact, most of the Ri were rising even though r was either constant or falling.

While I will have more to say about the Japanese experience later, one sharp contrast between QE in the U.S. and QE in Japan is worth pointing out right now. The Bank of Japan concentrated its QE on bringing down term premiums, mainly by buying long-term government bonds (JGBs). By contrast, until it started buying long-term Treasuries in March 2009, the Fed’s QE efforts concentrated on bringing down risk premiums, which involved a potpourri of market-by-market policies. It was far more complicated, to be sure, but in my view, also far more effective.

In fact, the one aspect of the Fed’s QE campaign of which I have been critical is its purchases of Treasury bonds. The problem in many markets was that the sum r + ρi, was too high--but mainly because of sky-high risk premiums, not high risk-free rates. Thus the real target of opportunity was clearly ρi, not r, which was already low. Furthermore, a steep yield curve provides profitable opportunities for banks to recapitalize themselves without taxpayer assistance. Why undermine that?

In any case, the Fed’s QE attack on interest rate spreads appears to have been successful, at least in part. Charts 4 and 5 display two different interest rate spreads, one short term and the other long term. Chart 4 shows the spread between the interest rates on three-month financial commercial paper and three month Treasury bills; Chart 5 shows the spread between Moody’s Baa corporate bonds and ten-year Treasury notes. The diagrams differ in details, with, e.g., short rates much more volatile than long rates. But both convey the same basic message: Once the Fed embarked on QE in a major way, spreads tumbled dramatically. Admittedly, other things were changing in markets at the same time; so this was hardly a controlled experiment. Still, the “coincidence” in timing is quite suggestive.


The Fed’s exit strategy

The Fed’s exit is still in its infancy. Chairman Bernanke first outlined the major components of its strategy in July 2009 Congressional testimony, and then followed that up with a speech in October 2009 and further testimonies in February and March 2010.18 So by now we have a pretty good picture of the Fed’s planned exit strategy. Here are the key elements, listed in what may or may not prove to be the correct temporal order: 19

1. “In designing its [extraordinary liquidity] facilities, [the Fed] incorporated features… aimed at encouraging borrowers to reduce their use of the facilities as financial conditions returned to normal.” (p. 4n)

2. “normalizing the terms of regular discount window loans” (p. 4)

3. “passively redeeming agency debt and MBS as they mature or are repaid” (p. 9)

4. “increasing the interest on reserves” (p. 7)20

5. “offer depository institutions term deposits, which… could not be counted as reserves.” (p. 8)

6. “reducing the quantity of reserves” via “reverse repurchase agreements” (p. 7)

7. “redeeming or selling securities” (p. 8) in conventional open-market operations.

Notice that this list deftly omits any mention of raising the federal funds rate. But the funds rate will presumably not wait until all the other steps have been completed. Indeed, Bernanke (2010a) noted that “the federal funds rate could for a time become a less reliable indicator than usual of conditions in short-term money markets,” so that instead “it is possible that the Federal Reserve could for a time use the interest rate paid on reserves… as a guide to its policy stance” (p. 10). I will return to this not-so-subtle hint shortly.

The first and third items on this list are the parts of “quantitative tightening” that the Fed gets for free, analogous to letting assets run off naturally. As the Fed has noted repeatedly, its special liquidity facilities were designed to be unattractive in normal times, and Item 1 is by now pretty close to complete. The Fed’s two commercial paper facilities (one designed to save the money market mutual funds) outlived their usefulness, saw their usage drop to zero, and were officially closed on February 1, 2010. The same was true of the lending facility for primary dealers, the Term Securities Lending Facility, and the extraordinary swap arrangements with foreign central banks. The TAF and the MBS purchase program were just completed, and the TALF is slated to follow suit at the end of June.

Item 2 on this list (raising the discount rate) is necessary in order to supplement Item 1 (making borrowing less attractive), and the Fed began doing so with a surprise inter-meeting announcement on February 18, 2010. A higher discount rate is also needed to enable the Fed to shift to the “corridor” system discussed below.

Note, however, that all these adjustments in liquidity facilities will still leave the Fed’s balance sheet with the Bear Stearns and AIG assets and huge volumes of MBS and GSE debt. Now that new purchases have stopped, the stocks of these two asset classes will gradually dwindle over time (Item 3 on the list). But unless there are aggressive open-market sales, it will be a long time before the Fed’s balance sheet resembles the status quo ante.

That brings me to Items 6 and 7 on Bernanke’s list, which are two types of conventional contractionary open-market operations, either done via reverse repo (and thus temporary) or outright sales (and thus permanent). Transactions like these have long been familiar to anyone who pays any attention to monetary policy, as are their normal effects on interest rates.

However, there is a key distinction between Items 1 and 3 (lending facilities), on the one hand, and Items 6 and 7 (open market operations), on the other, when it comes to degree of difficulty. Quantitative easing under Item 1, in particular, wears off naturally, on the markets’ own rhythm: These special liquidity facilities fall into disuse as and when the market no longer needs them. From the point of view of the central bank, this is ideal because the exit is perfectly timed, almost by definition.

Items 6 and 7 are different. The FOMC will have to decide on the pace of its open-market sales, just as it does in any tightening cycle. But both the volume and the variety of assets to be sold will probably be huge this time around. Of course, the FOMC will get the usual market and macro signals: movements in asset prices and interest rates, the changing macro outlook, inflation and inflationary expectations, etc. But its decisionmaking will be more difficult, and more consequential than usual, because of the enormous scale of the tightening. If the Fed tightens too quickly, it may stunt or even abort the recovery. If it waits too long, inflation may gather steam. Once the Fed’s policy rates get lifted off zero, short-term interest rates will presumably be the Fed’s main guidepost once again—more or less as in the past.

This discussion leads naturally to Item 5 on Bernanke’s list, the novel plan to offer banks new types of accounts “which are roughly analogous to certificates of deposit” (p. 8). That is, instead of just having a “checking account” at the Fed, banks will be offered the option of buying various “CDs.” But here’s the wrinkle: Unlike their checking account balances at the Fed, the CDs will not count as official reserves. Thus, when a bank transfers money from its checking account to its saving account, as individuals do all the time, bank reserves will simply vanish.

The potential utility of this new instrument to a central bank wanting to drain reserves is evident. The Fed has announced its intention to auction off fixed volumes of CDs of various maturities, probably ranging from one to six months. Such auctions would give it perfect control over the quantities but leave the corresponding interest rates to be determined by the market. Frankly, I wonder why these new fixed-income instruments would be attractive to banks since they cannot be withdrawn prior to maturity, do not constitute reserves, and cannot serve as clearing balances. In consequence, they may have to bear interest rates higher than those on Treasury bills. We’ll see.

I come, finally, to the instrument that Bernanke and the Fed seem to view as most central to their exit strategy: the interest rate paid on bank reserves. Fed officials seem to view paying interest on reserves as something akin to the magic bullet. I hope they are right, but confess to being a bit worried. Everyone recognizes that the Fed’s QE operations have created a veritable mountain of excess reserves (shown in Chart 3), which U.S. banks are currently holding voluntarily, despite the paltry rates paid by the Fed. The question is: How urgent is it—or will it become—to whittle this mountain down to size?

One view sees all those excess reserves as potential financial kindling that will prove inflationary unless withdrawn from the system as financial conditions normalize.21 We know that under normal circumstances, and before interest was paid on reserves, banks’ demand for excess reserves was virtually zero. But now that reserves earn interest, say at a rate z which the Fed controls, banks probably won’t want to reduce their reserves all the way back to zero. Instead, excess reserves now compete with other very short-term safe assets, such as T-bills, in banks’ asset portfolios.22 Indeed, one can argue that, for banks, reserves are now almost perfect substitutes for T-bills. So excess reserve holdings won’t have to fall all the way back to zero. Rather, the Fed’s looming task will be to reduce the supply of excess reserves at the same pace that banks reduce their demands for them. The questions are how fast that will be and how far the process will go. Notice that, as the Fed’s liabilities shrink, so must its assets. So as it reduces bank reserves, the Fed must also reduce some of the loans and/or less liquid assets now on its balance sheet.

There is, however, an alternative view that argues that the large apparent “overhang” of excess reserves is nothing to worry about. Specifically, once the relevant market interest rate (r) falls to the level of the interest rate paid on reserves (z), the demand for excess reserves becomes infinitely elastic (horizontal) at the opportunity cost of zero (r-z=0), making the effective demand curve DKM rather than DD in Chart 6.23 Another way to state the point is to note that banks will not supply federal funds to the marketplace at any rate below z because they can always earn z by depositing the funds with the Fed.

As Chart 6 shows, as long as the (vertical) supply curve of reserves, SS, which the Fed controls, cuts the demand curve in its horizontal segment, KM, the quantity of reserves should have no effect on the market interest rate, which is stuck at z. Therefore, the quantity of reserves should presumably have no effects on anything else, either. Infinitely elastic demand presumably means that any volume of reserves can remain on banks’ balance sheets indefinitely without kindling inflation. It also means that the Fed’s exit decisions should concentrate on how quickly to shrink the assets side of its balance sheet. The liabilities side, in this view, is the passive partner and matters little per se.

The idea of establishing either an interest rate floor, as depicted in Chart 6, or an interest corridor, as depicted in Chart 7 below, may become the Fed’s new operating procedure.24 The corridor system starts with the floor just explained and adds a ceiling above which the funds rate cannot go. That ceiling is the Fed’s discount rate, d, because no bank will pay more than d to borrow federal funds in the marketplace if it can borrow at rate d from the Fed.
25 The Fed’s policymakers can then set the upper and lower bounds of the corridor (d and z) and let the funds rate float--whether freely or managed--between these two limits. Under such a system, the lower bound—the rate paid on reserves, z—could become the Fed’s active policy instrument, with the discount rate set mechanically, say, 100 basis points or so higher.26

If the federal funds rate is free to float within the corridor, rather than stuck at the floor or ceiling, the Fed would be able to use it as a valuable information variable. If the funds rate traded up too rapidly, that would indicate the Fed was withdrawing reserves too quickly, creating more scarcity than it wants. If funds traded down too far, that would indicate that reserves were too abundant, that is, the Fed was withdrawing them too slowly. Such information should help the Fed time its exit.

2010年5月3日月曜日

Tom Jacobs 「強力な敵の不安鎮静化効果」

Tom Jacobs, 〝The Comforting Notion of an All-Powerful Enemy”(Miller-McCune Online, March 8, 2010)

最新の研究によると、我々は、一般的な不安(generalized anxiety)に対する防衛機制(defense mechanism)として、敵を仕立て上げてその実力を誇張する傾向にある――そうすることを通じて、不安の鎮静化を図る傾向にある――らしい。

我々の前には、敵が立ち塞がっている。それも、強力な敵が。そのようにして、多くの人々の間で抱かれている「一般的な不安」が「獰猛な敵」の姿に転化されるというのは、現代の政治論争の場で繰り返されるモチーフの一つになっている。

感情的なレトリックを駆使する党派的な論客たちによって、けたたましい警鐘が鳴らされている。審議の過程で骨抜きにされた法案でさえも議会をなかなか通過させられずにいるオバマ大統領だが、党派的な論客たちによれば、オバマ大統領はアメリカを社会主義国家に作り変えようとしているらしい。反オバマの「ティーパーティー運動」は、これまでに何度も繰り返されている被害妄想的な現象ではなく、アメリカの基盤を揺るがしかねないまったく新しい現象らしい。オサマ・ビンラディンは、どこぞの洞穴に閉じ込められていて身動きできないようだが、気を許してはならないという。やはり脅威であるからだというのだ。

ある一派によると、敵の強さを誇張して語る傾向は、特定の心理的な機能を果たしているという。我々の幸福(well-being)は、自分ではコントロールできない要因に大きく左右されるという事実を受け入れるよりも、我々が感じているあらゆる恐怖の原因を単一の強力な敵のせいにするほうが、気持ち的に楽なのだ。何といっても、敵がいるとなれば、的が絞れるし、分析を加えることもできるし、倒すことだってできるかもしれないのだ。

怒りの矛先を強力な(と思われている)敵にぶつけることによって恐怖が和らぐ可能性について誰よりも先んじて論じたのは、文化人類学者のアーネスト・ベッカー(Ernest Becker)である――1969年に出版された 『Angel in Armor』にて――。Journal of Personality and Social Psychology誌に掲載されたばかりの論文――“An Existential Function of Enemyship”――で、ベッカーの説の妥当性が裏付けられている。

カンザス大学に籍を置く社会心理学者のダニエル・サリヴァン(Daniel Sullivan)が率いる研究チームは、先の論文で4つの実験を試みている。それらの結果によると、多くの人は、「身の回りの混沌とした環境というぞっとした事実に直面するのを避けるために、明確な敵を作り上げて絶えずそれと張り合うように動機づけられている」らしい。彼らの発見を踏まえて現代の多くの(経済的な、あるいはそれ以外の)脅威なるもの――我々が直面している脅威なるものーーを眺めてみると、異なるイデオロギーの持ち主を強力なモンスターのように見なそうとする傾向にも得心がいくようになる。

サリヴァンらが試みた実験の1つ――2008年の大統領選挙期間中に行われた実験――では、カンザス大学に通う学部生を対象に、自分が支持していない候補(オバマ or マケイン)――すなわち、敵――が選挙で勝つために電子投票機を不正に操作していると思うかどうかが尋ねられている。

この「陰謀論」について自分なりの考えを語ってもらう前に、被験者の半数に対しては、以下の主張が正しいと思うかどうかが問われている。

「私は、自分が病気に罹るかどうかを思いのままに操れます」(“I have control over whether I am exposed to a disease.”) 
「私は、就活がうまくいくかどうかを思いのままに操れます」(“I have control over how my job prospects fare in the economy.”)
その一方で、残りの半数の被験者に対しては、先の主張と似ているがそこまで重要とは言えない以下のような主張について、正しいと思うかどうかが問われている。
「私は、テレビの視聴時間を思いのままに操れます」(“I have control over how much TV I watch.”)。
どういう結果が得られたかというと、人生における重大事(病気や就職)に対する自分の非力さ(思いのままにならないこと)を自覚させられた被験者たちは、「自分が支持していない候補が電子投票機を不正に操作していると信じる傾向が強かった」という。

別の実験では、被験者の大学生に対して2つのエッセイのうちどちらか1つをランダムに割り当てて、それを読んでもらっている。1つ目のエッセイでは、アメリカ政府は不況を容易く終わらせることができる能力を備えていて、捜査当局の頑張りのおかげで犯罪率が下落傾向にあることが述べられている。2つ目のエッセイでは、アメリカ政府は不況に対して為す術がなくてお手上げ状態であり、捜査当局の懸命の努力にもかかわらず犯罪率が上昇傾向にあることが述べられている。

被験者たちは、どちらか一方のエッセイを読んだ後に、架空の出来事のリストを見せられて、それぞれの出来事を引き起こした原因として最も可能性が高そうなのはどれだと思うかを以下の選択肢の中から選ぶように求められた。
①友達、②敵、③どちらでもない(たまたま起きてしまった)
どういう結果が得られたかというと、政府が万能ではないことを「教えられた」被験者たち(2つ目のエッセイを読んだ被験者たち)は、自分の人生におけるよからぬ出来事は敵によって引き起こされていると見なす傾向が強かった。それとは対照的に、何もかもがうまく回っていると「教えられた」被験者たち(1つ目のエッセイを読んだ被験者たち)は、「自分の人生に対して敵がよからぬ影響を及ぼしている度合いを軽く見積もる傾向にあった」という。

これらの実験結果は、苦しみの原因を誰か(あるいは、何か)に帰することできたら、不思議と心が和らぐ可能性があることを示唆している。さらには、アメリカ人が絶えず外部の敵(標的)――ソビエトであったり、ムスリムであったり、中国であったり――を見つけ出そうとする理由を説明する助けにもなる。ところで、「強力な敵」という幻想が多くの人に信じ込まれてしまうと、何らかの代償(犠牲)を払わねばならなくなる。「敵意」(“enemyship”)への欲求を抑えるためには、どうしたらいいのだろうか?

この問いに対して、サリヴァンはメールで次のように答えている。「自分の人生だったり世の中で起こる危害だったりに対するコントロール感をいくらか高められたら、他人を敵に仕立て上げる必要性も減るだろうと思います。例えば、我々が試みた最初の実験では、自分の人生に対するコントロール感が高めになるように意識づけられた被験者たちは、外的な危害の原因を敵に求める傾向が弱いという結果が得られています。自分の人生に対するコントロール感を高めるのにつながる何らかの仕組みを用意できたら、敵を仕立て上げたり、敵の実力を誇張しようとする必要性(あるいは、傾向)は減ずるはずです。完全に無くなりはしないでしょうが」。

「我々が試みた3つ目の実験では、社会システムが安定していて秩序が保たれていると感じると、自分ではコントロールできない何らかの脅威に直面しても、その原因を敵に求めようとするよりも、政府に信頼を寄せる傾向にありました。先ほどの繰り返しになりますが、自分の人生に対するコントロール感が高まったり、頼もしくて効率的な社会システムのおかげでランダムな危害の脅威から守られていると感じられるようなら、敵を仕立て上げる必要性は減ずることになるでしょう」。 

「あらゆる市民が医療保険に入っていたり、警察が守ってくれるに違いないと感じているようなら、ランダムで差し迫った脅威を引き起こしている敵を探し出して槍玉にあげる傾向は減ずる可能性があると思います」。

サリヴァンは、「敵意」への欲求を抑制するために個人レベルで出来る対処法も二つほど語ってくれた。「自分の人生に対するコントロール感なり確実性への欲求なりが人間に埋め込まれているのだとしたら、その欲求が可能な限り社会的に有益な結果を生むように誘導してやればいいと思います。多くの人は、我々が住む不確実な世界を何らかのルールに基づく明確なシステムとして把握するために、あるいは、不確実な現実との折り合いをつけるために、科学、芸術、宗教等――以上は、ほんの一例にすぎません――に没頭しています。そのおかげで、自分なりに精通している領域というのを生み出せるわけですね。狭い領域ではありますが。そのような試みが誰も傷つけずに、コントロール感を高めるのに役立つようなら、『敵意』への欲求を抑制できるでしょう」。

「人生は不確実で、何もかもをコントロールできるわけではないことを受け入れるというのが最終的な対処法でしょうね。例えば、道教なんかは、そのような発想が根っこにあります。人というのは、自分でコントロールできることに限りがあるのをゆくゆくは受け入れられるというんです。敵を仕立て上げたりして我が身を守ろうとせずとも、そのような境地に達することができるというんです」。

というわけで、今すぐにできることから実践しようじゃないか。手始めに、MSNBCの視聴時間を減らして、瞑想にあてる時間を増やそうじゃないか。

2010年4月30日金曜日

Alberto Alesina and Richard Holden 「選挙における曖昧さと過激さ」


Alberto Alesina and Richard Holden,〝Why do candidates move along the political spectrum?”(September 22, 2008)

理論的な観点からすると、大統領候補者たちは、選挙に勝つつもりであるならば中位投票者を説得しようと試みるはずであり、その試みの過程においては、選挙民に向かって自らの政策方針(platforms)を明瞭な言葉で語るはずである。しかしながら、現実の候補者たちは、しばしば曖昧な言葉で語り、政治的スペクトル上の中心に向かって(=中位投票者の選好に沿うように)自らの政策方針を調整している様子はない。我々は、最近の研究において、いかにして金権政治(money-politics)が候補者たちの関心を政治的スペクトル上の中心(中位投票者)から逸らせることになり、また、候補者たちの政策方針における曖昧さを助長することになるか、を議論している。


政治学(political science)の世界でもっともよく知られている結論によると(Downs 1957)、2人の候補者が選挙レースを争うケースでは、ヨリ多くの票を獲得して選挙に勝利することを目指す2人の候補者は、互いにその政策方針を政治的スペクトル上の中心に向かって調整することになるはずである。もっと正確に表現すると、2人の候補者はともに中位投票者(median voter)が選好するような政策を提言することになるはずである。中位投票者の選好に沿う政策を提言することが選挙に勝利するための最善の戦略であるということになれば、2人の候補者はともに選挙民に対して今まさに語りかけようとする話の内容(=中位投票者の選好に沿う政策)が可能な限り明瞭に伝わるように心掛けるはずであり、政策方針の中身に関するちょっとした不確実性であってもそれを取り除こうと試みるはずである。

現実の選挙はどうもこの理論的な予測からはかけ離れているようである。現実の2政党間の選挙の多くでは、候補者たちが掲げる政策方針は大きな対立を見せており、しばしば政治的スペクトル上における政治的中道の位置にスッポリと大きな穴が開いている(=政治的中道の立場に立つ候補者がほとんどいない)ことも珍しくない。この点については現在のアメリカがいい例であろう。共和、民主両党の大統領候補者は、外交から中絶、ヘルスケア、税金の問題にわたるまであれもこれも(他にも両者が大きく対立する争点があるようなら先のリストに付け加えていってください)に関して意見を異にしている。過去2回の米大統領選挙における両候補者間の意見の食い違いといったら、それはそれはもう激しいものだった。ここ最近フランスやイタリア、スペインで実施された選挙でも、相対する2つの政党グループが提示した政策方針の中身は大きく異なっていた。

候補者たちは自らの政策方針を曖昧さを排除した明瞭なかたちで選挙民に対して表明するはずである、という理論的な予測もまた現実政治の世界とは大きくかけ離れている。政治家は、選挙期間中において、自らの立場を明確に表明することを避けようとしてどっちつかずの言葉で語るものだ、と相場が決まっているものである。現実の政治家が見せる曖昧さ(ambiguity)は主に2つの形態をとる。第1のタイプの曖昧さは、文字通りに、自らの政策方針を曖昧、不明瞭(vague)なままにしておくことであり、もう1つのタイプの曖昧さは、語りかける聴衆に応じて話す内容(メッセージ)に修正を加える、というかたちをとる。

さて、どうすれば2政党間の選挙競争に関する古典的なダウンズモデルの予測と現実政治とのかい離を埋めることができるであろうか? 我々は、最近の論文において (Alesina and Holden 2008)、政党の政策形成に対して逆の方向に作用する2つの力(force)の存在を指摘し、その2つの力の働きに関して分析を加えている。第1の力は、ダウンズモデルでも想定されている通常の力であり、この力が作用する結果として両政党の政策方針は政治的スペクトラム上の中心に向かって収斂することになる(その結果として互いの政策方針の内容も似通ったものとなる)―左翼の候補者(政党)が、左翼的な選挙民の支持に加えて、ヨリ穏健な立場の(政治的中道よりの)選挙民からも支持を勝ち得ようとする結果として、彼らの政策方針は政治的スペクトル上の中心に向かって調整されていくことになる(右翼の候補者(政党)に関しても同様の議論が成り立つ)―。しかしながら、政党間の政策方針を政治的スペクトル上の正反対の方向に引き離すように作用するもう一つの力が存在する。この力は、選挙キャンペーンへの貢献(campaign contributions)―「選挙キャンペーンへの貢献」は、大まかには、政治家(政党)に対する金銭(政治献金や賄賂等)の供与、ロビイストをはじめとした政治活動家(activists)が選挙運動に投下する時間、労働組合によるストライキetcから成っている―を通じてその効果を表すことになる。

(上で定義したような広い意味での)選挙キャンペーンへの貢献は、選挙における過激さを増す方向、つまりは、両政党間の政策方針を政治的スペクトル上の中心からかい離させる方向に(それも正反対の方向に)作用する結果になりがちである。選挙キャンペーンへの貢献は、有権者全体のムードを自身にとって都合のよい方向に(右翼的な政党にとっては保守的な方向に、左翼的な政党にとってはリベラルな方向に)変える働きをするかもしれない。例えば、保守的な運動グループからの政治献金のおかげで、TVでヨリ長く(右翼的な政党の)選挙CMを流すことが可能となり、その結果として(選挙キャンペーンへの貢献にはそれほど積極的ではない=投票以外の方法で政治に関与することにはそれほど熱心ではない)有権者の中の中道的な人々が保守的な(右翼的な)方向に傾くことになるかもしれない。あるいは、左翼的な政治活動家が多くの時間を選挙運動に費やす結果として、左翼的な政党が政治的に重要な地区で勝利を収めることができるかもしれない。そういうわけで、例えば右翼的な政党から立候補する候補者は、2つの相反する力のバランスを取らなければならないことになる。政治的スペクトル上を右方向に動くことで、彼あるいは彼女は、保守層からヨリ多くの票を得ることができ、さらには(選挙キャンペーンへの貢献の効果を通じて)中位投票者を右方向に傾かせることができるかもしれない。一方で、政治的スペクトル上の中心に向かって動くことで、彼あるいは彼女は、(保守的な人々からの)選挙キャンペーンへの貢献を失うことになるが、政治的スペクトル上においてそこまで右の方向にはいないかもしれない中位投票者に向かって近付いていくことになる。これら相反する2つの力のバランスを取ろうとする結果、この右翼的な候補者が掲げる政策方針は必ずしも政治的スペクトル上の中心に向かって調整されることはないかもしれない。同様の理屈は左翼的な政党から立候補する候補者に対しても妥当するので、最終的には両政党間の選挙競争は分裂的な均衡(polarised equilibrium)に落ち着くことになる(訳者注;両政党が掲げる政策方針が政治的スペクトル上の中心に向かって収斂するのではなく、両政党ともに政治的スペクトル上の異なる位置に(右翼的な政党は政治的スペクトル上の中心からやや右寄りに、左翼的な政党は政治的スペクトル上の中心からやや左寄りに)留まったままに互いの政策方針が対立的な内容を含むことになる)かもしれない。

相反する2つの力のバランスを取ろうとする候補者の努力は、政策方針における曖昧さを生むことにもなるかもしれない。ある意味、候補者たちはケーキを持ちつつ同時に食べたい(=矛盾することを同時に達成したい)と考えることだろう(the candidates would like to have their cake and eat it too)。候補者たちは、明確に自身の政策方針を語るよりは、幅を持った緩やかな政策(a range of policies)を語ることになるしれない。選挙キャンペーンへの貢献者(訳者注;上で触れたように、金銭、時間、ストライキ等の実力行使を通じて政党に働き掛ける人々)は、候補者が当選した暁には、候補者が彼ら(=選挙キャンペーンへの貢献者)の最も支持するような政策(例えば、幅を持った政策の中でも最も極端な政策)を実行してくれることを望むだろう。 一方で、中位投票者は、その反対(幅を持った政策の中でも最も緩やかな(イデオロギー的に見て最も中立的な)政策の実行)を望むことだろう。このようなかたちで政策方針を曖昧に保つことで(=政策に幅を持たせることで)、候補者は、(中位投票者の選好を反映した政策方針を明確に表明する場合と比べて)選挙キャンペーンへの候補者からヨリ多くの票を獲得することが可能となると同時に、(選挙キャンペーンへの貢献者たちを満足させるような政策方針を明確に表明する場合と比べて)中位投票者からの票の流出をヨリ少なめに抑えることができる、つまりは自らの政策方針を明確に語る場合よりもヨリ多くの票を獲得することができるかもしれないのである。選挙キャンペーンへの貢献者と一般の投票者とは、候補者が曖昧さを欲するインセンティブを有していることに気付くこともあるだろうが、候補者が有権者に対して自分自身の真の選好を隠すことができる限りは、均衡においては(選挙キャンペーンへの貢献者と一般の投票者がともに、完全に合理的であり、かつ、リスク回避的である、と仮定した場合においても)、候補者にとって政策方針を曖昧に保ち続けることが望ましい戦略となり得るのである。

以上の議論は、2政党間の選挙であればどのようなケースに対しても妥当するものである。アメリカの大統領選挙のケースでは、両政党の候補者間における政策方針の曖昧さを助長する追加的な力として、予備選挙(primaries)の存在を指摘することができる。どの候補者(党の公認を巡って争う同党内の大統領立候補者)も彼あるいは彼女の政策スタンスに関するオプション価値(option value)を維持しようと欲している。政策スタンスを曖昧なままにしておけば、(同党内の)誰が対立候補として立候補するかに応じて自らの立ち位置を調整することができるからである。それゆえ、対立候補が誰になるのか、そして対立候補がどのような政策スタンスをとることになるのか、という点に関して不確実性が存在するとなれば、政策方針における曖昧さは一層助長される結果となる。(予備選挙の後に来る)大統領選挙の一般選挙において(共和、民主)両党の公認候補の間で働く曖昧さを志向するインセンティブの存在を考えれば、予備選挙での対立候補が誰であるかが具体的に判明しても対立候補である彼あるいは彼女の政策スタンスは(訳者注;(同党内の)対立候補は、次に来る一般選挙を見据えて政策方針を曖昧に保つことになるであろうから)完全には明らかにはならないだろう(訳者注;それゆえ、この前の文章にあるように、対立候補がどのような政策スタンスをとることになるのかに関して不確実性が存在することになり、どの候補者も(対立候補が政策スタンスを明らかにしないために)対立候補の政策スタンスに応じて自らの立ち位置を明らかにすることができない=誰一人として自らの政策スタンスを明らかにしない、という状況が生じることになる)。それゆえ、予備選挙において自らの政策方針を曖昧さを排除した明確なかたちで語ることは、キツキツの拘束衣をまとうことを意味することになるかもしれない(訳者注;予備選挙で自らの政策方針を明確に語ること=自らキツキツの拘束衣をまとうこと、であり、そのようなことを自ら進んで行う人は誰もいない、ということを意味しているのだろう)。一方で、リスク回避的な投票者は、予備選挙におけるあまりにも行き過ぎた曖昧さを嫌うことになるであろう。予備選挙における曖昧さの程度は、これら相反する2つの力(リスク回避的な投票者による曖昧さを忌避する力と予備選挙において(同党内の)対立候補の間で働く曖昧さを維持しようとする力)のバランスによって決定されることになる。アメリカの大統領選挙においては、予備選挙における曖昧さを志向するインセンティブが、2政党間の選挙であればどのようなケースにおいても見られる曖昧さを志向するインセンティブに付け加わることになるのである。

熾烈な予備選挙が争われるケースでは、曖昧さは時に滑稽なかたちをとってあらわれることがある。例えば、つい最近の共和党予備選挙で、J.マケイン(John McCain)は対立候補であるM.ロムニー(Mitt Romney)に対して次のように迫った。「あなたは中絶問題に関して7年ごとに立場を変えてらっしゃるようですが、一体どういうわけでしょう?」。マケインのこの突っ込みに対してロムニーは次のように答えたのであった。「私が立場を変更した背景には、クロ-ン(cloning)研究における新発見があるんです」(← ロムニーの返答をそっくりそのまま再現しています。こちらでは一切手を加えておりません)。


<参考文献>

〇Alesina and R. Holden (2008) “Ambiguity and Extremism in Elections”, NBER Working Paper.
〇Downs, Anthony (1957). An Economic Theory of Democracy, Harper and Row, New York, NY.

2010年4月27日火曜日

Esther Duflo 「多すぎるバンカー?」(2008年10月8日)

Esther Duflo, "Too many bankers? ″ (VOX, October 8, 2008)

金融部門は、過去20年間にわたり、相対的に高額な給与の支払いを通じて多くの――おそらくは、あまりにも多すぎる――有能な人材を引きつけてきた。今般の金融危機は、才能の配分(allocation of talent)を改善する効果を持つかもしれない。すなわち、有能な人材の創造的なエネルギーがこれまでよりも社会的に有益なかたちで利用されるようになるかもしれないのだ。

金融危機の混乱から金融部門を救い出すための緊急救済策が講じられる過程で、金融部門における給与水準の驚くほどの高さに注目が寄せられることになった。ニコラス・クリストフ(Nicholas Kristof)がニューヨーク・タイムズ紙のコラムで詳しく報じているが、リーマン・ブラザーズ――今般の金融危機の渦中で最初に(9月)倒産することになった銀行――のCEOが受け取っていた給与は、2007年の1年間だと4500万ドル、1993年から2007年までの総額だとおよそ5億ドルにも上るという。

しかしながら、リーマン・ブラザーズのCEOのケースは例外というわけではない。Thomas Piketty&Emmanuel Saezの二人によるパネルデータ分析によると、アメリカにおける所得上位1%の超富裕層の取り分は1980年代以降コンスタントに高まっているが、金融部門で働く「ゴールデンボーイ」が受け取る所得の上昇ペースは他の富裕層のそれを大きく上回っているのである。Thomas Philippon&Ariell Reshefによる最近の研究で(注1)、1980年の時点では、金融部門で働くバンカーが受け取っていた給与は他の部門で働く同程度の能力の持ち主とほぼ同水準だったが、1980年代に入って両者が受け取る給与水準に開きが出始め、その後はその差が広がる一方であることが明らかにされている。2000年時点だと、金融部門における給与水準は、それ以外の部門における給与水準を60%も上回っているのである。その一因としては、金融部門において高度なスキルを備えたバンカーの数が増えたのに加えて、失業するリスクが高まったことが挙げられるが、あくまでも一因でしかない。Plippon&Reshef の計算によると、金融部門で働くバンカーが受け取っている給与水準は、先の二つの要因――①高度なスキルを備えたバンカーの数が増えたこと、②失業するリスクが高まったこと――を踏まえて導き出される水準を40%も上回っているのである。バンカーの給与がこれほどまでの高額に達したのは、1929年以来のことなのだ。

そういうわけで、金融安定化に関するポールソン案の是非を巡る議論の中で高額給与の問題が俎上にのぼるのは避けられなかった。ポールソン案では、金融機関の株式(市場では買い手がつかないであろう株式)を購入するために最大7000億ドルの公的資金枠が設けられる予定になっているが、1万7000ドルもの時給を受け取っているバンカーの尻拭いをするために自分の財布からお金を出さねばならない納税者にとっては何とも不公平な話に思えてしまうことだろう。最終的に、役員への「ゴールデンパラシュート(退職金)」にいくらか制約が課せられることにはなったものの、役員(政府が出資したファンドに株式を売却した銀行の役員)の報酬に制限を課す話はお流れになった。Thomas Piketty が先週のLiberation紙のコラムで指摘しているように、サラリーキャップ(給与水準に上限を課すこと)を出し抜くのは容易であることを考えると、ルーズベルト政権が実施したように、(給与水準に上限を課すよりも)高額所得への課税強化に乗り出す方が望ましいだろう。

バンカーの給与水準を(大幅に)引き下げるにしろ、給与への課税を(大幅に)強化するにしろ、モラルの観点からすれば――公平性の観点からしても――望ましい措置に違いないだろうが、多くの経済学者が主張しているように、その代価として経済効率が損なわれてしまう恐れ――金融部門で働く有能なバンカーの労働意欲を阻害し、金融技術面でのイノベーションを低迷させるリスク――はあるだろうか? その答えはおそらく「イエス」だろうが、そうなるのには好ましい面もあるのだ。

金融部門が大学出のエリートたちをそそのかす誘惑の強さは、Philippon&Reshefの推計が示唆しているよりもずっと大きい。“Harvard and Beyond” サーベイ――Claudia Goldin&Larry Katzの二人がハーバードの大学院生を対象に複数の世代にわたって実施した調査――によれば、大学での成績や入学時の偏差値、専攻、卒業年度etcにコントロールを加えた後でも、2006年時点で金融部門で働いていたハーバード大学の院卒生は、それ以外の部門で働いていた院卒生のほぼ3倍以上の(195%も高い)給与を得ていたという(注2)。才能ある若者にとって金融部門で働くことの誘惑はかくも大きいのであり、1969年~1972年に大学院を修了したハーバード大の男子の院卒生のうちで金融部門で職を得た学生は全体の5%に過ぎなかったが、1988年~1992年に大学院を修了したハーバード大の男子の院卒生になると、その数(金融部門で職を得た学生の割合)は15%にまで増えているのだ。1980年代に入って金融市場で大規模な規制緩和が進み、莫大な利潤を手にできる機会が広がるのに伴って、金融部門で働く人の数が増えるとともに、金融部門で働く上で求められる資格要件(学歴)が厳しくなっていった。Philippon&Resheff によると、金融部門で働くバンカーとそれ以外の部門で働く人々との間に見られる平均的な学歴差に匹敵する事例を過去から見つけるためには1929年にまで遡らなければならないとのことである。金融商品の複雑化に加えて、職務上求められるスキルの上昇を背景として、大学院生――おそらくは高い知性の持ち主――にとって金融部門の(就職先としての)魅力がいや増すことになったのである。

今回の危機が明け透けにしたことは、これらの有能な知性がそれほど生産的な方法では利用されていないということである。金融部門は、起業家と投資家とを結び付ける仲介役として欠かせない部門というのは確かである。しかし、金融部門は、金融に対する実体経済の必要性を満たすという役割からやや切り離されて、それ自体でほとんど独立(あるいは、自己完結)した部門として拡大を続けてきたように思える。Thomas Philippon の計算によると、金融部門がGDPに占める割合は2006年時点で8%に達しており、金融仲介機能を果たす上で必要なサイズよりも少なくとも2%は余分に規模が大きい可能性があるとのことである(注3)。なお厄介なことには、「不動産担保証券」(“mortgage backed securities”)に対する銀行の飽くなき需要が過剰な借入れと住宅バブルを招き、サブプライム危機の一因となったことである。ここ数日中の出来事を眺めていると、「金融部門のCEOたちを追い出せ」との声が日増しに強まっているようである。プラグマティックな観点からすると、金融部門で働くCEOの法外な報酬が抑制されることにでもなれば、若い世代の人々が金融部門以外の部門へと行き先(就職先)を変更することで、有能な若者の創造的なエネルギーがこれまでよりも社会的に有益なかたちで利用されるようになるかもしれない。金融危機は、経済を深刻で長期化する不況に引きずり込む可能性があるが、希望の光が見出せないこともない。金融危機は、「才能の配分」の改善につながる可能性を秘めてもいるのだ。ウォール街とヨーロッパで準備されている金融部門の救済パッケージが、最良にして最も聡明な若者たち(the best and brightest)に「金融部門は、依然として最善の選択肢(=就職先)だ」との判断に傾かせる結果に終わらないようにと願いたいところである。 


<注>

(注1) Thomas Philippon and Ariell Reshef(2007), “Skill Biased Financial Development: Education, Wages and Occupations in the U.S. Finance Sector”, NYU Stern Business School mimeograph, September 2007.
(注2) Claudia Goldin and Lawrence Katz(2008), “Transitions: Career and Family Life Cycles of the Educational Elite(pdf)”, American Economic Review 98:2, pp.263-269
(注3)Thomas Philippon, “Why Has the U.S. Financial Sector Grown so Much?(pdf)”, MIMEO, NYU Stern.

2010年4月19日月曜日

Ari Aisen and Dalibor Eterovic 「グローバル・インバランス;新興市場の新規参入?」


Ari Aisen and Dalibor Eterovic, “Global imbalances: Are emerging markets the new guest at the party?”(February 26, 2010)

多くの論者が今般の世界金融危機を引き起こした原因であると主張するグローバル・インバランスの今後は一体どうなるだろうか? 本論説で我々は、今後、経常収支黒字国・赤字国の双方においてともに黒字・赤字の規模が縮小する方向に調整が生じる可能性が高い一方で、これまではグローバル・インバランスを巡る議論を外から傍観するだけであった新興市場(emerging markets)が過剰な流動性を吸収し始める可能性がある、と主張する。


So-called global imbalances, or the persistence of current account deficit in the US and other high income countries matched by the surplus of others such as China, have been identified as one of the major causes of the current crisis (Bernanke 2009 among others). The presence of excess liquidity ended up inflating prices of financial assets to unsustainable levels in the US and other major economies as well as international commodity prices (Obstfeld and Rogoff 2009).

For the time being the collapse of international trade (Baldwin 2009) has helped to reduce the size of imbalances. Yet looking forward, the future trajectory of global imbalances is unclear. In a recent paper, Blanchard and Milesi-Ferretti (2009) argue that, while global imbalances have reduced, reducing them further would be beneficial to the world economy as the imbalance may threaten the sustainability of the recovery.

Two major questions remain unresolved:

  • First, does the reduction of global imbalances reflect a transitory or a more permanent shift?
  • Second, directly related to the first, which form will the economic and financial landscape take regarding global capital flows?

Regarding the first question, a number of observers, argue that the reduction in global imbalances is transitory. Baldwin and Taglioni (2009), in a column on this site, argue that the improvements in global imbalances are mainly the transitory side-effect of the large trade collapse recently experienced by the world economy, and once global growth resumes, global imbalances are likely to re-emerge as well. The IMF in its October 2009 World Economic Outlook, forecast a widening of the global imbalances towards 2014, albeit not as big as the immediate pre-crisis level. Its forecast of a reduction of the deficits in the countries with chronic deficit is not matched by a reduction of surpluses of countries with chronic surplus. The resulting gap is subsequently closed by an increase of errors and omissions (Figure 1).

Figure 1. Global imbalances as a share of World GDP


A three scenario analysis
We think the IMF forecast provides a useful framework to think about this problem. We suggest three alternative scenarios for the “absorption” of the forecast errors and omissions. This analysis was also explored in depth in chapter 1 of the most recent financial stability report at the Central Bank of Chile (2009).

Since balance of payments of all countries are required to sum zero on a global scale, the capital reflected in the errors and omissions account of the IMF forecast will eventually be shared by one or more countries.1 Three potential scenarios result; deficit countries increase their deficit, surplus countries reduce their surplus, or finally, another group of countries that so far, have not been the centre of the discussions around the global imbalances, becomes the recipient of the excess liquidity and start running increasing deficits. Naturally, combinations of these three scenarios are also possible. Figure 2 describes these three possible scenarios for the evolution of the global imbalances through a simple framework based on the path of private savings in three different groups of countries. (For simplicity, this framework assumes unchanged government savings and private and government investments. Different assumptions for the path of these variables can be easily incorporated but go beyond the scope of this note).

Figure 2. Global imbalances scenarios


Back to the past?
If the surplus countries do not adjust, one possibility is that the errors and omissions go to finance consumption of the deficit countries. This would signal a return to the old imbalances. The same kind of imbalances would probably lead to problems similar to those which led to the current crisis – only much faster, and probably deeper. The flow of cheap capital would stimulate consumption again, but deficit countries are already highly leveraged, so a shorter time would ensue before the new environment becomes unsustainable.

A healthy alternative?
China and other chronic surplus countries may adopt policies to stimulate higher domestic consumption and lower savings. This would keep global imbalances smaller as trade may not recover to levels as high as previously observed. World growth, however, is likely to be lower in this scenario as the total size of the chronic surplus countries’ economies is significantly smaller than the total size of the economies with chronic deficit. We believe that the possibility of the errors and omissions being reduced by the lower surplus of China is remote in the medium term. First, it may take time for China to move away from an export-oriented economy to one mostly based on domestic demand and second, the impact on its growth rate would be uncertain. Moreover, there are still other surplus countries like the oil-exporting ones. But due to their size, even if they adjust, it is unlikely to be enough to diminish errors and omission forecast in a significant way.

New people at the party?
A third possibility, neglected so far but, in our opinion, likely to gain traction, is that the errors and omissions go to a different group of countries; countries which have been ancillary to the action and outside the core discussion of global imbalances. This could result if the currencies in deficit countries appreciate, leading to less competitive exports and deteriorating their balance of payments. Capital flows to these countries may inflate assets prices and overheat their economies. Figure 3 shows that countries that received the larger capital inflows to portfolio equity investments during the third quarter of 2009 saw their equity markets increase by a larger margin. In the context of this scenario, several macroeconomic risks emerge for this group of countries and their governments, which would face difficult policy dilemmas so as to mitigate the negative effects on the economy.

Figure 3. Net asset inflows and stock market prices* (% variation in dollars, share of initial stock)


Policy implications for emerging market economies
In our third scenario, large and sustained capital inflows will test emerging markets’ ability to absorb foreign capital without distorting prices in their national economies. Beyond emerging countries, Australia, New Zealand, Canada and other economies may also face similar challenges from large capital inflows.

The exchange rate regime will be pivotal in shaping the policy implications faced by each economy. On one hand, economies with flexible exchange rate regimes are likely to see their currencies appreciate over time, creating problems of competitiveness for their export sector. Figure 4 shows that currencies of countries that received the larger capital inflows to portfolio equity investments during the third quarter of 2009 appreciate the most. Given the exports’ sector importance and political influence, governments of these countries may face pressures favouring foreign exchange intervention to reduce foreign exchange volatility. This intervention may take the form of direct purchases of foreign exchange in the market or indirect capital controls aiming to discourage capital inflows. Measures liberalising capital outflows may also be considered as a tool to mitigate exchange rate appreciation. On the other hand, economies with more rigid exchange rate regimes are likely to see their credit expand rapidly, creating risks of overheating the economy and increasing inflationary pressures.

Figure 4. Net asset inflows and nominal exchange rate against the dollar (% variation, share of initial stock)


Bottom line
Attributing a high probability to scenario 3, we believe that policy challenges in emerging economies will abound in the near future. Navigating through the different options will not be trivial and capital controls in several countries could re-emerge after years of ostracism as a policy instrument. Brazil and Taiwan are among economies which have recently taken the first steps in this direction.


<注>

(注1) Nonetheless, some errors and omissions are always expected to remain in place given institutional capacity problems of data collection in several countries, which may arise from, among others, under- and over-reporting of exports and imports and informal capital account transactions (capital flight).


<参考文献>

〇Baldwin, Richard (2009), The Great Trade Collapse: Causes, Consequences and Prospects, VoxEU.org Ebook, 27 November.
〇Baldwin, Richard and Daria Taglioni (2009), “The illusion of improving global imbalances”, VOX.org, 14 November 2009.
〇Bernanke, Ben S (2009), “Financial Reform to Address Systemic Risk”, Speech at the Council on Foreign Relations, Washington, DC, 10 March.
〇Blanchard, Olivier and Milesi-Ferretti, Gian M. (2009),“Global Imbalances: In Midstream?”, IMF Staff Position Note, December.
〇Central Bank of Chile (2009), “Financial Stability Report – December 2009”.
〇International Monetary Fund (2009), “World Economic Outlook”, October.
〇Obstfeld, Maurice and Kenneth Rogoff (2009), “Global Imbalances and The Financial Crisis: Products of Common Causes”, Paper prepared for the Federal Reserve Bank of San Francisco Asia Economic Policy Conference, Santa Barbara, CA, October 18-20.