2014年10月22日水曜日

Andrea Prat 「金融規制の政治経済学」

Andrea Prat, “A political economy view of financial regulation”(VOX, March 9, 2009)

現状の金融規制は数々の欠陥を抱えていることは間違いない。しかしながら、ルールが現状のままであっても規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずである。ルール自体がいかに優れたものであっても規制当局者(ルールを執行する立場にある人間)がそのルールを忠実に執行するインセンティブを持たなければ意味はない。金融規制の分野で「規制の虜」と呼ばれる現象が発生する可能性がどの程度のものかを評価し、その可能性を少しでも低く抑えるために、規制当局はこれまでに入手した情報だけではなく規制対象となる産業界との人的なつながりの実態についても公表すべきである。

今回の金融危機で大きな打撃を受けたのは金融市場だけにとどまらない。金融システムの動向を監視・監督する役割を果たす金融規制に対する国民の信頼も地に落ちることになったのだ。金融システムの安定性を確保するために金融規制の分野における現状のルールをどのように変えたらよいかという問題を巡って活発で示唆に富む議論が繰り広げられている最中だが、ここではちょっと視点を変えて政治経済学的な観点からこの問題に切り込んでみることにしよう。

今回金融危機に見舞われた多くの国における金融規制の体系は時代遅れどころか最先端というにふさわしい特徴を備えていた。しかしながら、規制が効果を上げるかどうかは(法律をはじめとした)ルールの質だけに依存するわけではなく、そのルールを執行する立場にある人間(規制当局者)のインセンティブにもかかっている。規制当局者が直面するインセンティブの中でもとりわけ重要となってくるのは規制当局が規制対象となる産業(民間企業)の虜となってしまう可能性(いわゆる「規制の虜」(regulatory capture)と呼ばれる現象(欄外訳注1)が発生する可能性)であり、この問題については長らくその重要性が指摘されてきているだけではなく公的規制をテーマとするテキストの中でも大きな関心が寄せられている(Laffont&Tirole 1993)(原注;ラフォンとティロールの共著であるこの本の第5部は「公的規制の政治学」(The Politics of Regulation)と題されており、本全体のおよそ3分の1の分量を占めている)。また、規制当局の独立性に疑問符が付く場合には好ましからぬ結果が招かれる可能性を示す実証的な証拠も数多い(Dal Bó 2006)。

金融規制の分野における現状のルールも完璧とは言えず改善の余地があることは疑いないだろう。しかしながら、規制当局者がルールを執行する上でどのようなインセンティブに直面しているかも同時に分析の対象に含めるべきなのだ。規制当局者がルールを忠実に執行するインセンティブを欠いていたり、ルールが目指す方向とは逆行する行動を選び取るよう促すインセンティブに晒されているような状況では、ルール自体がいかに優れたものであっても前途は暗いと言わざるを得ないだろう。

今回の金融危機の過程で規制当局が規制対象となる金融機関の虜となるような事態は果たして見られたのだろうか? この問題を考えるにあたって次の2つの質問を検討してみることにしよう。


規制当局は現状のルールと手持ちの情報をフルに活用したと言えるだろうか?

ルールが現状のままであっても規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずだというのが私の判断である。そのことを裏付ける典型的な例はバーナード・マドフ(Bernard Lawrence Madoff)が仕掛けた金融詐欺事件である。米国証券取引委員会(SEC)は詐欺の実態に関する情報を事前に得ていた。マドフが巨大なポンジ・スキームに手を染めている可能性については信頼できる情報源から密かに何度も繰り返しリークされていたのである。また、SECはこの問題に対処するための揺るぎない法的な権限も備えていた。証券詐欺規制法がそれである。それにもかかわらず、どうしてこんなにも大規模で古典的な手法を使った違法行為が見逃されることになったのだろうか?(原注;2003年に発生したいわゆるスタンフォード詐欺事件についても規制当局に対して事前に信頼できる情報源から情報がリークされていたことが判明している) それ以外にもポール・ムーア(Paul Moore)による内部告発の例もある。ムーアは当時イギリスの大手金融会社HBOSでリスク管理部門長を務めていたが、同社がリスクを過剰に取り過ぎていると内部告発を行ったのである(ムーアは内部告発を行った後に同社を解雇されることになった)。信頼できる情報源から警告が寄せられていたにもかかわらず、どうして英国金融サービス機構(FSA)(欄外訳注2)は重大な問題に発展しかねない事態に十分な真剣さを持って向き合わなかったのだろうか? HBOSはその後公的資金による救済を受けることになったわけだが、もし仮にFSAがムーアの内部告発を受けて即座に断固たる対応をとっていたとすればイギリスの納税者は何十億ポンドにも上る税負担をせずに済んでいた可能性がある。実際問題として規制当局には個別の金融機関の戦略を変更させるだけの権限はなかったという反論もあることだろう。しかしながら、FSAにしろSECにしろ手持ちの情報を基にして国民に対して警告を発することくらいは少なくとも可能だったはずである。自らと取引関係のある金融機関がどういったリスクをとっているかについて株主や貸し手、預金者たちに対してはっきりとした言葉で警告が発せられていたとしたら今頃どうなっていただろうか? これといって大差はないと言えるだろうか?


規制当局は「利益相反」の問題をどの程度抱えているだろうか?

いずれの公的機関も「独立性の確保」と「優秀な人材を確保する必要性」との間のトレードオフに直面しているが、とりわけ金融規制の分野は「利益相反」(conflict of interest)の問題に晒される高い可能性を秘めているようだ。例えば、FSAの現副長官(2009年当時)であるジェームズ・クロスビー卿(James Crosby)はかつてHBOS――内部告発を行ったポール・ムーアを解雇した会社――でCEOを務めていたが、2004年から2006年の時期にかけてはFSAの副長官とHBOSのCEOを兼務する状況にあったのである。言うなれば、規制される側の企業のトップが規制当局の挙動に監視の目を光らせていたようなものだ。競争政策をはじめとしたその他の分野でこれと同様の状況が考えられるだろうか? マイクロソフト社のCEOが(独占禁止政策を取り仕切る)米国連邦取引委員会(FTC)の委員に任命されるということがあり得るだろうか? 規制当局と規制対象となる企業との間に存在する人的なつながりの例はこれだけにとどまらない。FSAの非常勤委員8名のうち3名は現在(2009年現在)でも民間の金融機関で職に就いているようである(原注;その3名というのはピーター・フィッシャー(Peter Fisher)、デビッド・マイルズ(David Miles)、ヒュー・スティーブンソン(Hugh Stevenson)である。FSAのホームページにある略歴によると、フィッシャーはブラックロック、マイルズはモルガン・スタンレー、スティーブンソンはエクイタスならびにマーチャント・トラストでそれぞれ要職にあるとのことだ)。規制対象となる民間企業と人的な交流(つながり)を持つことは多少避けられない面もあるが、FSAの委員の席に規制対象となる企業のトップが居座る必要性が果たしてどれだけあるのだろうか?

金融規制というのはルールさえ用意すれば放っておいても自動的にその機能を発揮するような類のものではない。多くの国においては金融システムは非常に洗練されており、国民に対して多大な便益をもたらす可能性を大いに秘めている。優秀な弁護士や会計士といった人材も豊富であり、システムの運営を側面から支援する人的資源という面に照らしても文句なしである。しかしながら、金融システムがその潜在的な力を存分に発揮するためには能力が優れているだけではなくルールを忠実に執行するインセンティブを備えた規制当局者の存在が欠かせない。必要とあれば問題の所在を徹底的に追及し、規制対象となる金融業界に対して厳しい態度で臨むことも厭わない規制当局者の存在が欠かせないのだ。

今後の課題に目を転じることにしよう。規制当局者がルールを存分に活用する強いインセンティブを持つようにするためには具体的にどのような措置を講じたらよいだろうか?
  • 金融規制の分野で規制当局が規制対象となる金融機関の虜となる可能性がどの程度のものかを正確に評価するためにはまずもってこれまでの実状を知る必要がある。規制当局はこれまでにどのようなリーク情報を得たかを公開し、その情報に基づいて調査に乗り出した経緯がある場合はその調査結果もあわせて明らかにすべきである。例えば、FSAがHBOSだけではなくそれ以外の金融機関が抱えているリスクの実態についてどういった情報を得ていたか(あるいは知り得た状況にあったか)が明らかにされれば非常に有用な判断材料となることだろう。
  • 規制当局と規制対象となる企業の経営陣との間の人的なつながりの実態についても情報を明らかにすべきである。規制当局の委員を務める人物(および規制当局で働く官僚)が委員に任命される前、委員在任中、そしてその職を辞した後にそれぞれどのような地位にあったか(あるか)について情報を公開すべきである。その種の情報が明らかにされれば、規制対象となる企業との人的なつながりが果たしてルールの厳格な適用を妨げているかどうかを検討することが可能となるだろう。
  • 上記で公開された情報を精査し、その分析結果に照らして「利益相反」の問題に対処する策を講じる必要がある。その場合、現時点における産業界との人的なつながりだけではなく、将来における産業界との人的なつながり(いわゆる「天下り」問題)(訳注;規制当局で委員を務めた人物や規制当局で働く官僚がその職を辞した後に規制対象となっている企業に天下ることを認めてもいいかどうか)も検討の対象となることだろう。その対策の具体的な内容が固まった暁には国民に向けて大々的に公表し、規制当局は社会全体の利益を何よりも優先する旨を確約すべきである。
成果主義(成果に基づく報酬の支払い)というアイデアは最近はあまり受けがよくないようだが、規制当局者にルールを忠実に執行するインセンティブを持たせる手段の一つとして金融システムの健全性がどの程度保たれているかに応じて規制当局者に支払う報酬の額を決める(訳注;そうすることで金融システムの健全性を保つことが規制当局者自身の利益(自己利益)ともなるように仕向ける)という大胆な可能性を探ってみるべきであろう。そのためには金融システムの健全性(あるいはその反対に脆弱性)をできるだけ正確に測る指標を作成する必要があるが、仮にそのような指標が作成できた暁には規制当局者に支払う報酬の額をその指標に照らして決める(その指標の変動に応じて報酬の額を上下させる)という一種の成果主義的な報酬制度を導入する道が開かれることになる。仮にそのような報酬制度が実際にも導入される運びとなったら、規制当局者は(実際のところは自己利益に従って行動しているものの結果的に)社会全体の利益を優先しているかのように振る舞うよう促される可能性があるのだ。


<参考文献>

●Jean-Jacques Laffont and Jean Tirole (1993), A Theory of Incentives in Procurement and Regulation, MIT Press.
●Ernesto Dal Bó (2006), “Regulatory Capture: A Review,” Oxford Review of Economic Policy, 22(2): 203-225.


(欄外訳注1) 規制対象となる企業が規制当局に対して政治的な働きかけを行う結果として規制の内容が社会全体の利益よりも規制対象となる企業の側の利益を優先するような方向に歪められたり、規制の適用にあたって手心が加えられたりすること

(欄外訳注2) FSAは2013年4月に解体され、その権限は金融行為監督機構(FCA)とイングランド銀行内に設置された金融安定政策委員会(FPC)およびプルーデンス規制機構(PRA)の3つの機関に委譲されている。詳しくは例えば次の論文を参照のこと。 ●小林襄治, “英国の新金融監督体制とマクロプルーデンス政策手段(pdf)”(証券経済研究, 第82号(2013 . 6))

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