2014年9月25日木曜日

Barry Eichengreen and Peter Temin 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」

Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of gold and paper”(VOX, July 30, 2010)

世界経済は、固定為替相場制度――具体的には、ドルにペッグした人民元、および、ユーロ――に端を発する緊張に包まれている最中である。かつての金本位制の経験が示しているように、国際通貨制度というのは、為替レートを通じて多くの国々が結び付けられた一つのシステムであり、どの国の政策も(為替レートを通じて結び付けられている)他の国に影響を及ぼさざるを得ない。1930年代と同様に、経常収支黒字国が支出の拡大を渋っているために、経常収支赤字国が景気の低迷を余儀なくされている。ケインズは、大恐慌の経験に学んで、慢性的な経常収支黒字国に対して(課税や制裁といった)何らかの措置を講じる必要性を訴えた。大恐慌から60年少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。

「1930年代の教訓」を売り物にするマーケット(アイデア市場)に新規参入が相次いでおり、非常に激しい競争が繰り広げられている最中だ(例えば、以下を参照せよ。Mason and Mitchener 2010, Fishback 2010, Helbling 2009)。我々もその競争の輪に加わらせてもらうとしよう。ただし、「金融危機を拡散させる上で、固定為替相場制度が果たす役割」と「金本位制の経験から得られる教訓」の2点に焦点を絞って、参戦させてもらうとしよう。

1930年代における世界経済危機の最中においては、金本位制が重要な役割を演じた。この件については、我々のどちらもが一家言を持っていて、詳細な分析を加えている(Temin 1989, Eichengreen 1992)。当時の金本位制が備えていた特徴を列挙すると、次のようになるだろう。国境を越えた金(ゴールド)の自由な移動、固定相場制――金と自国通貨との交換比率(平価)を一定に固定(それゆえ、金本位制を採用している国同士の間の為替レートも一定に固定――、国家間の調整を図る(超国家的な)国際機関の不在。

金本位制が備えていた以上のような特徴は、経常収支赤字国と経常収支黒字国の間に「非対称性」を持ち込む結果になった。金準備の減少が続いていて、平価を維持するのが困難になっている国(経常収支赤字国)は、一種の罰則を受け入れざるを得なかった一方で、金準備を溜め込んでいる国(経常収支黒字国)は、(金準備を保有する代わりに、他の資産に投資していれば得られたであろう金利収入を除くと)罰則を一切受け入れる必要がなかったのである。金準備の減少が続く経常収支赤字国は、多くのケースで、平価を切り下げる(為替レートを減価させる)のではなく、デフレ(国内物価の下落)を受け入れることを選んだのである。

1920年代を通じて、経常収支赤字国であるドイツやイギリスから、経常収支黒字国であるアメリカやフランスに向けて、金や外貨準備が大量に移動することになったが、それもこれも当時の金本位制に備わっていた「非対称性」が原因だった。(アメリカやフランスといった)経常収支黒字国は金準備が増えたからといって金融緩和(ひいては、リフレーション)を強要されることはなかった一方で、(ドイツやイギリスといった)経常収支赤字国は金準備が減るのに伴って金融引き締めを余儀なくされ、その結果としてますます強まるデフレ圧力に晒される格好になったのである。

イデオロギーとしての金本位制

金本位制は、単なる通貨制度にとどまる存在ではなかった。金本位制は、イデオロギーでもあったのだ。大恐慌当時の政策決定は、「金本位制は、繁栄を実現するための前提条件である」との信念に束縛されていた。生産や雇用を安定させることよりも、金本位制を維持することが優先された。世のセントラルバンカーは、金本位制を維持しさえすれば雇用も自ずと増えると思い込み、直接的に雇用を増やそうと試みても失敗するに違いないと信じ込んでいた。金本位制を維持しさえすれば、生産量が落ち込むこともないし、物価が下落することもないし、銀行が閉鎖して貯蓄(金融資産)を失うこともないはず・・・だったが、金本位制が維持されていたら起きるはずのない出来事が1930年代の初頭に現に起きてしまったのである。

期待と現実の大きな食い違いを前にして、どうにかしてその辻褄を合わせる必要が出てきた。起きるはずのない異常事態を慣れ親しんだ言語で無理矢理にでも解釈する必要に迫られることになったのである。危機が深まる中、批判の矛先は、「金本位心性」(gold-standard mentalité)に反逆した政策当局者に向けられた。「FRBやイングランド銀行が『管理通貨』という誘惑に負けたのが悪いのだ。金本位制のルールを守らずに、貨幣の濫発に手を染めるばかりか、金の不胎化に乗り出す始末。FRBやイングランド銀行が金本位制のルールを守ってさえいれば、金融市場も自ずと安定を取り戻し、それにあわせて、価格やコストの調整もスムーズに進んでいたはずなのに・・・」。

しかしながら、デフレに晒されていた当時の状況においては、そのような批判は間違いもいいところだったのだ。

21世紀版の金本位制と言えば、ユーロと人民元(ドルにペッグした人民元)ということになろう。金本位制と全く一緒とは言えないが、いくつか似た面があることは確かである。

ユーロ:金本位制よりも厳しいコミットメントを伴う通貨制度

ユーロは、金本位制よりもずっと厳しいコミットメントを伴う通貨制度である。というのも、金本位制の場合だと、投資家から怒りを買うことなしに離脱することができたが、ユーロの場合は――ギリシャに対して、ユーロから一時的に離脱することを勧める提案(Feldstein 2010)もあるようだが――そうはいかない〔訳注;特定の国がユーロから一時的に離脱することを選ぶと、それに伴って金融危機が発生する可能性が高いという意味。それに加えて、ユーロから離脱するためには、非常に手間のかかる交渉が待っている(EUの協定では、ユーロから離脱する手続きについて明確な規定がなく、ユーロから離脱するためにはEU自体から離脱する必要がある。EUから離脱するためには、全加盟国の承認が必要とされる)〕からである (Eichengreen 2007, Blejer and Levy-Yeyatia 2010)。

ユーロは、金本位制の後継というだけではなく、ブレトンウッズ体制の後継でもある。あえてこのことを指摘するのは、ブレトンウッズ体制が誕生するに至るまでの交渉に重要な意味が控えているからである。その交渉に参加した一人がケインズだ。ケインズは、戦間期の経済情勢を眺めているうちに金本位制の有害な影響に気付き始めた。そして、次のように結論付けた。金準備の減少に直面している国(経常収支赤字国)が既にデフレが定着している状況でさらにデフレの受け入れを選ぶことは、その国にとってだけではなく、周辺の国々にとっても有害である、と。

戦後(第二次世界大戦後)に二度と同じような事態が起きないようにするためには、どうしたらいいか? 経常収支赤字国だけではなく、経常収支黒字国も、(国際収支の)不均衡を是正する義務を引き受けるべき、というのがケインズの答えだった。しかしながら、その線に沿ったケインズの提案(「清算同盟案」)は、イギリスとアメリカの意見が対立したために、実現するには至らなかった。こうして、問題は未解決のまま棚上げされてしまったわけだが、棚上げしたまま忘れてしまってもいいということには当然ならない。

人民元:イデオロギーとしてのドルペッグ制

もう一つの重要な固定相場制度である「ドルにペッグした人民元」は、中国の開発戦略を支えるイデオロギーの中心的な要素の一つとして理解するのが適当だろう。ドルペッグ制(ドルにペッグした人民元)には、次の3つの役割が託されている。
  • 製造業の輸出を促進する
  • 海外から中国国内への直接投資を促進する
  • 国内企業の利益(ひいては、内部留保)の蓄積を促して、インフラ投資に振り向けることができる貯蓄の源泉を拡大する
固定為替レートを通じて結び付けられている国同士の間では、一方の国の政策が他方の国へも影響を及ぼすことになるわけだが、そのことについては当事者の間でもうっすらと気付かれてはいるようだ。しかしながら、何らかの行動に移ろうとする気まではないようだ――1920年代の状況とそっくりである――。例えば、2006年にIMF(国際通貨基金)が多国間協議の場を用意(pdf)して、それぞれの国の政策が国境を越えて他の国にも影響を及ぼす可能性を考慮に入れるように念押ししているし、アメリカと中国は、米中戦略・経済対話の場を通じて毎年会合を開いている。IMFは、定期的に多国間サーベイランスを実施している。しかしながら、重大な政策変更は、ほとんどなされていないままなのだ。

金本位制下だとドイツ、ユーロ圏だとギリシャ、現状のグローバル・インバランス〔訳注;近年における世界的な経常収支不均衡のこと。ちなみに、この論説の著者の一人であるアイケングリーンは、「グローバル・インバランス」をテーマに一冊物している。次がそれ。 ●バリー・アイケングリーン(著)/松林洋一・畑瀬真理子(訳) 『グローバル・インバランス』(東洋経済新報社、2010年)〕下だとアメリカということになるが、経常収支の大幅な赤字を抱える国に手を差し伸べよと言いたいわけではない。かつてのドイツにしても、ギリシャにしても、アメリカにしても、予算制約を無視しようとしている点では同じだ。いずれも、収入以上の生活をしており、そのせいで財政赤字と経常収支赤字が発生し、その赤字を海外からの借り入れで賄っている状態なのだ。

しかしながら、経常収支赤字国が抱える問題は、コインの片面でしかない。コインのもう一方の面である経常収支黒字国の政策も問題を抱えているのだ。1920年代~1930年代初頭にドイツをはじめとした中央ヨーロッパ諸国を襲った困難は、アメリカとフランスによる「金の不胎化」によって大きく増幅された。アメリカとフランスが経常収支の黒字を計上したおかげで、他のいずれかの国は経常収支の赤字を計上しなければならなかった。アメリカとフランスが支出の拡大を拒否したおかげで、他の国々は支出を切り詰めざるを得なかった。アメリカとフランスが(経常収支赤字国への)緊急資金援助を拒んだおかげで、経常収支赤字国で景気の悪化が加速した。その結果として、政治の舞台で悲惨な事態が引き起こされることになってしまったのである。

似たような展開が目下進行中である。経常収支の大幅な黒字を計上しているドイツが支出の拡大に難色を示しているせいで、ドイツと貿易面で深くつながっているギリシャがデフレを選ぶしかない瀬戸際に追いやられているのだ。資金繰りに苦しむギリシャが(経常収支の赤字を縮小するするために)対GDP比で10%にも上る支出のカットを短期間で成し遂げられるかどうかは、はっきり言ってわからない。現在のギリシャが抱えている問題は、1930年代初頭にドイツが抱えていた問題と似ている。1930年代初頭のドイツがそうだったように、ギリシャが(賃金をはじめとした)コストの削減を試みたとしても債務の負担が一層重くなるだけに終わるかもしれないのだ。

1931年のフーヴァー・モラトリアムの再現はあるのか?

だからこそだ。だからこそ(コストの削減を試みたとしても債務の負担が一層重くなるだけに終わるからこそ)、1931年にあのフーヴァー大統領〔アメリカ合衆国第31代大統領〕でさえもドイツに対して債務の支払い猶予(モラトリアム)を認めざるを得なかったのだ。「内的減価」〔訳注;デフレを通じた実質為替レートの減価〕――通貨の切り下げを実現するためにギリシャに唯一残された手段――には、債務の再編が伴う必要があるのだ。フーヴァー・モラトリアムが実現するには、アメリカによる政策変更が必要だった。それと同じように、ギリシャの債務再編に漕ぎ着けるためには、EUとIMFによる方向転換が必要とされることだろう。

中国をはじめとしたその他の(経常収支黒字を抱える)国々が支出の拡大に難色を示すだけでなく、ドルに対して自国通貨を切り上げるのを拒むようなら、アメリカが国内の雇用を増やすために打てる手は、輸出品の競争力を高めるくらいしか残されていない。オバマ大統領は、アメリカ国内で完全雇用を実現するために、今後5年間で輸出量を倍に増やすことを目標に掲げている。しかしながら、(経常収支黒字を抱える)アジア諸国が支出を増やすなり名目為替レートの増価を受け入れるなり高めのインフレを許容するなりして、実質為替レートがアメリカに有利な方向に調整されない限りは、輸出量を倍に増やすためには、アメリカ国内の(賃金をはじめとした)コストを削減して、大幅に生産性を高めるしかない。そのような努力も水の泡に終わる・・・なんてことになれば、保護主義に向けた反動が生じかねない。

結論

結論をまとめるとしよう。国際通貨制度というのは、為替レートを通じて結び付けられているすべての国の行動如何でその運行がスムーズにいくかどうかが左右される「システム」であると言える。経済収支赤字国の行動だけではなく、経常収支黒字国の行動も、システム全体に影響を及ぼす。それゆえ、経常収支赤字国だけに不均衡を是正するすべての責任を押し付けるわけにはいかないのだ。

ケインズも大恐慌の経験から同様の教訓を導き出した。そして、第二次世界大戦中に考案した「清算同盟案」の中で、慢性的な経常収支黒字国に対して(課税や制裁といった)何らかの措置を講じる必要性を訴えたのだった。大恐慌から60年少々が経過しているが、ケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓が忘れ去られてしまっているようだ。


<参考文献>

●Blejer, Mario I and Eduardo Levy-Yeyati (2010), “Leaving the euro: What’s in the box?”, VoxEU.org, 21 July.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Eichengreen, Barry (2007), “The euro: love it or leave it?”, VoxEU.org, 17 November.
●Fishback, Price (2010), “US monetary and fiscal policy in the 1930s – and now”, VoxEU.org, 30 April.
●Feldstein, Martin (2010), “Let Greece Take a Euro-Holiday,” Financial Times, 16 February, www.ft.com.
●Helbling, Thomas (2009), “How similar is the current crisis to the Great Depression?”, VoxEU.org, 29 April.
●Mason, Joseph and Kris James Mitchener (2010), “Exit strategies for central banks: Lessons from the 1930s”, VoxEU.org, 15 June.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.


<訳者による補足>

この論説は、以下の論文の縮約版である。

●Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of Gold and Paper”(NBER Working Paper No. 16202, July 2010;Oxford Review of Economic Policy誌に掲載されたバージョンはこちら

0 件のコメント:

コメントを投稿